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********************************************************************** 99/7/9 「街角お散歩ガイド」メールマガジン第3号 まぐまぐ 864部 Pubzine31部 江戸歴史散歩 発行人 榎本民夫 jt7t-enmt@asahi-net.or.jp ********************************************************************** ==================「街角お散歩ガイド」について ======================= 895名のご登録いただいた、皆様に心より感謝申し上げます。 街角お散歩ガイドの御購読ありがとうございます。 ご購読お申し込みに従いまして、貴方のメールボックスにお届け致します。 ご購読は無料です。 このマガジンは東京で江戸時代の面影を残す各地の史跡、神社、大名庭園など を駅ごとや土地ごとに紹介していきたいと思います。 ★まぐまぐ経由の御購読及び登録解除 で行うことができます。 ご登録戴いた、メールアドレスは忘れないようにして下さい。 目次 ============================================================== ▼発刊遅延のお詫び ▼NHK 生活ほっとモーニング出演します ▼撮影の印象 ◇東京散歩ガイド◇ ▼赤坂見附から特許庁 ▼特許庁前 → 霊南坂 ▲発刊遅延のお詫び ====================================================================== 月に一度は発刊をしようと思いましたが、メールマガジンについて色々考えて いると、発行が遅れてしまいました。お詫びいたします。 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ これからは、あまり重く考えずに定期的に発刊していきたいと思います。 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ▲ NHK 生活ほっとモーニング出演について ====================================================================== ある日突然に、 私のホームページを見たディレクターの方から「その内容の詳細さと、散見さ れます「こだわり」の深さにいたく敬服しました。」とメールを戴き、私が女 性リポーター 吹田明日香と共に江戸城の本丸跡を案内することになりました ■□ 放送は未定 全国放送です □■ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 内容は、江戸城の観光名所は皇居外苑ではなく、その東側の本丸跡であり、そ こが278年に渡る徳川氏の居城だったこと。江戸時代の日本の中心であった ことを紹介したいと思います。 ==============要約============= ◆---------------巽櫓から分かる江戸城 江戸城の櫓、多聞は総白漆喰塗り、2引きの付長押を特徴としています。 屋切りには、銅板葺きで青海波の文様があります。 ◆---------------大手門 大手門前には下馬札が掲げられていました。ここで、藩主に随行できる供の数 は制限されていたために、各藩主を待つ家臣達が情報交換を行ったことから 「下馬評」という言葉が生まれました。 浅野内匠頭刃傷の時も、大手門前の家臣達の大混雑になったと言われています 大手門は江戸城の正門であり、他の城門と比べて石垣の造りを比較すると、明 らかに綺麗に造られています。 江戸城は城郭であり、遠くを見渡せなくするために直角に折れるように歩く構 造になっています。 ◆---------------入園 東御苑入園は無料であり、手続きは、入園票をもらって、出口で返せばよいだ けです。非常に簡単です。 月曜と金曜が休園日です。 ◆---------------中の門の白い石 江戸周辺には石垣を築く石はなく、多くは伊豆から運ばれましたが、下乗門か ら中の門などで角など重要な部分に白い石が使われています。これは御影石で あり、小豆島など関西から船で運ばれたもので、非常に貴重な石でした。 ◆---------------同心番所 江戸城の中にしては、簡単な造りですが、江戸時代の建築物の一つ、外回りの 櫓などが漆喰塗りの耐火建築であるのに対して、板葺きの建築物。鬼瓦に三つ 葉葵がある。本が瓦葺きである。 ◇ポットン便所の貸し屋みたいです ◆---------------二の丸庭園 時間が無く割愛 小堀遠州作園と伝えられる。中島を配した池を中心とした、築山回遊式の大名 庭園。築山を登るり、滝の背後に回ると、三尊石組があり、庭園全体を見渡せ ます。 築山正面の立木は、邪魔です。築山から中島と土橋を眺めるのがポイントのは ずです。 ◇小堀遠州も嘆いていると思います ◆---------------本丸跡 間口200m、奥行き400mの総建坪11000坪の本丸御殿が広がってい ました。現在の天守閣周辺が大奥に当たります。 明暦の大後に、再建された本丸は184年間使用されています。 ◇ここで歴史は作られました ◆---------------天守閣 台地の一番高いところに造られ、60mあった。四代将軍家綱の時代の165 7年に明暦の大火で焼けてから再建はされていない。いま見る石垣は翌年の1 658年に加賀藩のお手伝い普請によって築かれた。神田橋から三の丸を経て 運ばれた記録が残っています。 天守閣は石垣部分が高さ5間(11m)、天守部分が22間(44m)あり、 日本最大の木造建築でした。 ◇石垣は本当に見事です。日本一です ◆---------------歴史の舞台 松の廊下 松の廊下は畳5枚、二間半の幅がありました。江戸城では一番長い廊下でし た、中庭沿いに沿い20m折れて35mあった。松の廊下の先に、大名の控 えの間と黒書院があった。 梶川与惣兵衛と吉良上野介が立ち話をしていた。「この間の遺恨、覚えたる か」斬りかかった場所です。 ◇今は石碑と案内板があるのみです ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▲撮影のの印象 ===================================================================== 2時間半の撮影でした。私が映像に耐えるかどうかは分かりませんが、実際に 使えるのは4、5分と思います。何処の誰か分からない、私をいきなり、江戸 城本丸の解説に使用するディレクターの勇気を、私は見習います。 撮影が終わり、急に腰が痛くなり、私なりに緊張していました。正直な話、番 組を通して見たことは、一度もありませんでしたので、雰囲気が分かりません でした。バラエティ調で話した方が良かったかもしれません。 ◆◆◆ ◆☆◆ 是非ぜひ見て感想を御願いします。 ◆◆◆ jt7t-enmt@asahi-net.or.jp 日本一のNHK、そこのディレクターは非常に偉い役職で部下を顎で使ってい ると今まで思っていましたが、実際の撮影では、私とリポーター、カメラマン が2人とディレクターでした。三脚を持ったり、ビデオテープを入れ替えたり 宮内庁の職員に御願いに走ったりと、手間受け大工に気遣いをする親方のよう な印象を受けました。 ◆---------------アイドルと一緒 リポーターの吹田明日香さんは、撮影後に経歴をinfoseekで調べたところ、最 初は歌手だった事が分かりました、最初にNHKの名刺を頂いたの職員と思っ ていました。◆可愛いというと失礼ですが、元アイドルの綺麗な女性です。 ◇――――――――――――――――――――――――――――――――◇ ※※※※ NHKの皆様に心より感謝申し上げます ※※※※ ◇――――――――――――――――――――――――――――――――◇ ホームページを一生懸命に運営していると、貴重な体験が出来ます。 サイト運営者のみなさん頑張りましょう。 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽ ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽ ◆◆ 久しぶりの東京散歩ガイド ◆◆ ▲赤坂見附 → 特許庁前 ===================================================================== 赤坂見付駅から虎ノ門方面の道は平坦な道です。ここは溜池と呼ばれていた通 りに、江戸時代は江戸城の防備を兼ねた外堀兼用の上水源として作られ水道の 発祥地ともなりました。徳川秀忠の時代には鯉や、鮒をを放し、蓮を植えて、 上野の不忍池に匹敵する江戸の名所となったそうです。また、三代将軍家光は 遊泳したとも伝えられています。江戸後期には日枝神社より赤坂四丁目に通じ る銭取橋が架設され、「麦とろ家」が数軒出店しにぎわったと言われています 明治28年より埋め立てに着手し、44年に完成した。東京オリンピック以降 はビル街として発展しました。 ▲特許庁前 → 霊南坂 ===================================================================== 特許庁前を六本木方面に坂を上がると、アメリカ大使館があります。正門前の 交差点が霊南坂、汐見坂、榎坂の交差点です。霊南坂のホテルオークラの敷地 は、武蔵川越藩の屋敷でした。大倉集古館前に銅灯篭が展示されていました。 もとは、何処にあったかは分かりませんが、会津藩が奉納した物と、御三家が 奉納したものが有りました。 =-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- 皆様のご意見を戴きたいと思います。宜しくお願いいたします。 これからも、ご指導の程宜しくお願いいたします。 ◆作者◆ 榎本民夫 jt7t-enmt@asahi-net.or.jp =-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- ---------------------------------------------------------------------- 『まぐまぐ』を利用して発行しています。 http://www.mag2.com そのために 「ウィークリーまぐまぐ」が週3回届きます。解除は上記URLで出来ます。 ---------------------------------------------------------------------- |