このサイトができるまで まえがき
第1章 「監督」
第2章 「美味礼讃」
第3章 直木賞
第4章 パソコン
第5章 サイト開設
第6章 その後
あとがき

ヒサ―1963年(うさぎ年)生まれ。東京都中野区出身。牡牛座。O型。左利き。172センチ。65キロ。

ウキウキしてくる食べ物 「近為」の銀ダラ、「小洞天」のかたやきそば、じゃんがららーめん、「ドゥリエール」のミルクレープ、セルリアンタワー東急ホテルのパリ・ブレスト
好きなテレビドラマ 「我ら青春」「俺たちの旅」「池中玄田80キロ」「北の国から」「王様のレストラン」
「刑事コロンボ」「大草原の小さな家」
好きな漫画 「12の三四郎」「ジョジョの奇妙な冒険(第三部、丈太郎まで)」
趣  味 以下のとおり
 映 画 約2300本観た。観る基準は監督。
 演 劇 三谷幸喜さんの大ファン
 落 語 春風亭昇太さんの大ファン。立川志の輔さん、立川藤志楼さん、三遊亭円丈さんも大好き。
 アウトドア 春から秋にかけては登山、釣りを楽しむ。1998年6月14日、北海道の道東、斜里川で30センチのアメマスを釣り、知り合いに魚拓をとってもらった。
 読 書 海老沢泰久以外の好きな作家−源氏鶏太さん、星新一さん、村上春樹さん、清水義範さん 他

雑 記
2017年12月15日
『人気の不思議』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年12月13日
『ヴェテラン』(『ヴェテラン』収録)の書写終了。
誤植を発見した。単行本167ページのうしろから3行目に「翌十四日」と記述されているが、「十五日」の間違い。
 それはともかく、これで『彼女の哲学』『サルビアの記憶』『オーケイ。』『男ともだち』『星と月の夜』『廃墟』『帰郷』『孤立無援の名誉』『さびしい恋人』『夏の休暇』『二重唱《デュエット》』『スーパースター』みんなジャイアンツを愛していた』に続いて『ヴェテラン』を丸々書写したことになった。
2017年12月6日
 エッセイ集『暗黙のルール』に収録されている「正常な文学―吉田健一」には、要約するとこういうことが書かれている。
「吉田健一は『英国の文学の横道』で、今日の日本では文学そのものがどこか異常なものに見られ、それゆえにその仕事をするものにも異常であることが求められているようだが、それは文学が異常なものであるという前提があってのことで、そのような前提を認めるわけにはいかない。
(中略)
 これを読んだとき、ぼくは長年のモヤモヤが晴れた気がした。というのも、ぼくが学生のころ、小説を書く者は貧乏と病気と女で苦労しなければならないといわれていた。当時のぼくはその三原則をひとつも満たしていなかった。それでぼくには小説が書けないのではないかと不安になっていたのだ。
 しかし『英国の文学の横道』のおかげでぼくは小説を書くためにわざわざ不健康な生活をするというバカげたことをしないですんでいる」
 ここで語られていることには、海老沢さんの文学観がクッキリと表れているといってよい。何しろ『女の気持』(『廃墟』収録)には、登場する女が、そのことを吉田健一のことまで含めて語る場面があるのである。

 ちなみに海老沢さんの吉田健一の文章への信用は厚いようで、朝日新聞でも「何といっても吉田健一」というエッセイで絶賛している。
2017年11月6日
 国学院大学の授業で、海老沢さんは「書くことは自己表現だと思っている人が多いが、言葉は鍋ややかんと同じで、道具である」とおっしゃっていた。
先日、クーリエ・ジャポンの2009年7月号に掲載された村上春樹氏へのインタビュー記事を読んでいたら、村上さんはこう発言していた。
「僕は言葉を道具として使う。とても効果的に使える純粋な道具として。その道具を使って物語を書く」
 とてもクリアな文章を書くお二人の考え方は同じなんだなとうれしく、同時に、ぼくが惹かれる文体が再認識された瞬間でもあった。
 ぼくは海老沢さんの文章と村上さんの文章には共通の明度を感じている。それを説明するのは難しいのだが、村上春樹さんの『シドニー! (コアラ純情篇) 』の最初の二編「1996年7月28日 アトランタ」と「2000年6月18日 広島 オリンピック開会式まであと89日」を読んでいただければある程度納得していただけると思う。気になる人は是非。
2017年11月2日
『タモリと戦後ニッポン』(近藤正高著)で、海老沢さんはタモリ、井上陽水とともに「携帯電話を持たない会」を結成していたことが記されている。現代において携帯電話を持たないですむというのは、幸せな境遇にあるという趣旨らしい。
2017年11月1日
 ファンになって三十周年を迎えたことを勝手に記念して、短編小説集十四冊を読破してみた。すなわち、読んだ順番に『星と月の夜』『夏の休暇』『廃墟』『サルビアの記憶』『男ともだち』『彼女の哲学』『二重唱』『さびしい恋人』『無用庵隠居修行』『孤立無援の名誉』『スーパースター』『帰郷』『オーケイ。』『追っかけ屋愛蔵』を次々に読んで行ったということである。こんなに立て続けに読んだのは初めてだ。
 普段は本を読むのは遅いのだが、すでに何度か読み返している本であることと久しぶりに味わう凝縮感にあふれた文体に酔い、三日に一冊ぐらいのペースで読み進めることができた。ひと月半ほど“海老沢漬け”になったわけだ。
 実に爽快な気分に浸れた日々だった。
2017年10月13日
 先日テレビ放送された『無用庵隠居修行』。録画しておいたものをやっと見た。じっくり鑑賞できるタイミングを待っていたのだ。
 連作短編集である原作からあちこちのエピソードを集めた脚本になっていた。中心になっていたのは「尾ける子」と「千両鶯」。テレビ番組製作にはテレビ番組製作の事情があるのだろうから、原作から物語をふくらませることに異論はない。重要なのは出来上がった作品の完成度である。
 ぼくの感想としては、原作への思い入れが強すぎるのか、やはり物足りなかったと言わざるを得ない。原作における、短い言葉で書かれているけどとても大切なことが映像表現されていないと感じた。
 ただ思うのは、この作品に限らず、もしかしたら海老沢作品というのは映像に向いていないのかもしれないということだ。
 これまでに映像化された作品は『F2グランプリ』と『空を飛んだオッチ』。二作とも劇場公開された映画だが、どちらもまったく面白くなかった。文章を読んで想像が大いにかきたてられていた分、落胆も大きかった。まあこれは、思い入れのある小説が映画化されたときにファンが一様に経験する落胆と同種のものだろうが。
2017年10月5日
『広沢の過ち』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年10月4日
『スマートな采配』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年10月2日
 ぼく自身がこのサイトを訪れるのは、ぼく自身が海老沢さんの作品で何か思い出せないことがあったり、新たな更新をしたときぐらいである。存命中は東京中日スポーツでの週に一度の連載エッセイもあって更新頻度も高かった。訪問者数は一日平均8カウントほど伸びた。しかし亡くなって八年も経った今では一日平均1.3程度。風前の灯でる。まあ、新作も発表されなくなったのだから無理もない。
 ところが先月の9月15日、海老沢さんの『無用庵隠居修行』がドラマ化されてBS朝日で放送されたおかげで、放送日の数日前からカウントがうなぎのぼり。放送後も余波があった。こんな感じである。
 9月7日  43364
 9月11日 43390
 9月16日 43485
 9月17日 43522
 9月18日 43531
 9月19日 43548
 9月20日 43561
 9月21日 43572
 9月22日 43579
 9月23日 43591
 新刊が発表されたときのようなカウントの伸び方である。改めて、テレビの力を思い知らされた。ちなみに9月24日以降は一日平均1.3程度に戻った。
2017年9月28日
『秋の憂鬱−高橋慶彦』(『ヴェテラン』収録)の書写終了。
2017年9月7日
 先日ふと気づいた。海老沢さんのファンになって今年でちょうど三十年経ったのだと。
 一九八七年の夏から秋にかけての時期に友人に『監督』をもらったのがきっかけである。
 そして人生の舵が切られた。夢のような素晴らしい世界への転換だった。
 三十年。なかなか感慨深い。
2017年9月4日
『ジャイアンツのオーナー』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年8月8日
『悪しき打点記録161』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年8月4日
『「手腕」というもの』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。

 デビュー以来ずっと、「わかる」を「分る」と表記してきたが、このエッセイでは「分かる」と表記している。
2017年8月2日
『二軍選手の希望』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年7月10日
『「将」の「将」たるゆえん』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年7月6日
『「打てるものなら打ってみろ」』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年7月5日
『審判の責任』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。

  海老沢さんは自分のことを常に「ぼく」と表記してきたが、ここで一度だけ「僕」と表記している。まあ、ただそれだけのことなのだが、ちょっとビックリした。
2017年7月3日
『十年の夢−牛島和彦』(『ヴェテラン』収録)の書写終了。
2017年6月7日
『審判は過酷な職業』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年6月6日
 海老沢さんはデビュー以来ずっと、「わかる」を「分る」と表記してきた。パソコンで漢字変換すると「分かる」がもっとも一般的なようだが、ぼくは文章を書くとき、海老沢さんを真似てずっと「分る」と書いてきた。
 しかし後年、海老沢さんも「分かる」と書くこともあったようだ。一九九九年五月から翌年四月まで読売新聞で連載した「名文句を読む」シリーズでは「分かる」と表記している。
 もっとも一九九九年六月二十二日、東京中日スポーツでのエッセイ「日本野球協会がない」では「分る」と書いているところを見ると、はっきりと「これからは『分かる』と書く」と決意したわけではなさそうに思える。もしかしたら「名文句を読む」シリーズでは海老沢さんは「分る」と書いたが編集者が変えたのかもしれないし、海老沢さん自身が無意識に「分かる」と書いたのかもしれない。しかしいずれにせよ、こんな些細なことでも大ファンとしては見逃せない。
 そういう違いに気づけたのも、日々書写を続けていればこそである。ペン字練習としてはじめたわりには一向に文字は美しくならないが、それでもやめる気にならないのは、ときどきこういう発見にぶつかるからである。
2017年6月5日
『どうした清原?』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年6月2日
『「日本野球協会」が存在しないことの意味』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年5月10日
『イチローと四球』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年5月9日
『ピッチャーの究極の目標』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年4月7日
『根本さんとスカウト』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年4月5日
『指名打者−石嶺和彦』(『ヴェテラン』収録)の書写終了。

 文中に間違いを発見した。単行本94ページ5行目。
 昭和五十三年日本シリーズの第七戦、球史の汚点として名高い一時間十九分の抗議の原因となったヤクルト大杉のホームランが「六回表」と書かれているが、「六回裏」の間違い。編集者も気づかなかったのだろう、文庫化されても訂正されることもなかった。
2017年3月16日
 二〇〇二年秋の国学院大学での授業のとき、話しの流れで、ある女子生徒が村上春樹氏の小説が好きだと言ったときだった。
 海老沢さんは、
「村上春樹、文章いいねえ」
 と勢いよく言い切った。「内容云々より、あれは文章がいいんだ」
 ぼくは今でこそ村上春樹さんの大ファンだが、そのころは苦手にしていた。だからそのとき、自分が愛してやまない文章を書く海老沢さんが手放しで賞賛する作家を苦手にするなんて、面白いものだなと思った。
2017年3月9日
『はかない喜び』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年3月8日
『「なる」ことと「であり続ける」こと』(『巨人がプロ野球をダメにした』収録)の書写終了。
2017年2月10日
『伝記−ロバート・クリーマー』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2017年2月7日
『何も書かない小説−永井龍男』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2017年1月16日
 二〇〇二年秋、国学院大学で授業を持つことになった第一回目の授業のとき、海老沢さんはカメラマンを伴って現れた。海老沢さんは、文藝春秋の取材だと説明した。カメラマンは授業の邪魔にならないように気をつけながら教室の後方から写真を撮っていた。ぼくは、いつ記事になるのだろうと文藝春秋社が発行する雑誌を何カ月かのあいだ、書店でチェックし続けた。
 しかし記事にはならなかった。少なくともぼくの知る限りでは。おそらく、教室が満員でもなく(受講生は二十人ぐらいだった)、とても地味な授業だったので記事にしにくかったのではないかと想像しているのだが、どうなのだろう?
2017年1月13日
『言葉の発達−アル・カンパニス』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2017年1月10日
『あきらめの年齢−吉行淳之介』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2016年12月20日
『正常な文学−吉田健一』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2016年12月15日
『きみはやりたいのか?−アーネスト・ヘミングウェイ』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2016年12月5日
『嫌われた男』(『ヴェテラン』収録)の書写終了。
2016年11月10日
『絶望−折口信夫』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2016年11月7日
『トイレのシート−パトリシア・コーンウェル』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2016年10月31日
 ワープロで書くことが当たり前になっている現代。今や文字は「書く」というより「打つ」時代である。
 海老沢さんは小説というものは原稿用紙に万年筆で書くという哲学を持っていて、国学院大学での授業でもそのように教えていた。だからテーマを決めて書かせた原稿用紙二枚の宿題も、生徒たちには手書きを要求した。
「普段はパソコンを使って書いているのだろうが、原稿用紙に万年筆で書くといつもと違った気分で書ける」
 そうアドバイスしていた。
 ぼくもワープロで書くことが多いが、毎朝の書写をやめないのは、海老沢さんの教えを忘れないためである。
2016年10月13日
『世界の真実−H・D・ソロー』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2016年10月6日
『文体−大岡昇平』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2016年9月21日
 ハガキや封筒に縦書きで宛名を書くとき、まず郵便番号を書き、続いて住所、氏名と進めていくのが一般的だろう。しかしぼくは郵便番号を書いたあと、中央に相手の氏名を書き、そのあと右側に住所を書き始める。
 これは、この順番で書くと文字が擦れるのを防げるからなのだが、自分で思いついて始めたわけではない。海老沢さんのやり方をマネしただけである。
 二〇〇二年秋、海老沢さんは母校の国学院大学で授業を持った。社会人も受講可能な授業だったのでぼくも申し込んだ。
 二回目の授業終了後、ぼくはまだ教室内にいた海老沢さんをつかまえて、持参した『監督』と『美味礼讃』にサインをお願いした。応じてくれた海老沢さんは本を開き、ぼくの万年筆を使って、見開きの中央より左側に「海老沢泰久」と書き、中央より右側に「〜(ぼくの氏名)さんへ」と書いた。その過程を見ていたぼくは、「そうか、その順番ならインクが擦れなくて便利なんだ」と理解した。
 ぼくがその順序で宛名を書くようになってから、十四年が経つ。
2016年9月7日
『不機嫌の理由−平野謙』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2016年9月1日
『海の恐怖−三島由紀夫』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2016年8月17日
『6インチプレースなんていらない』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2016年8月12日
『管理野球を考える謎』(『暗黙のルール』『ふたりのプロフェッショナル』収録)の書写終了。
2016年7月25日
『はじめに』(『みんなジャイアンツを愛していた』の序文)の書写終了。
 これで『彼女の哲学』『サルビアの記憶』『オーケイ。』『男ともだち』『星と月の夜』『廃墟』『帰郷』『孤立無援の名誉』『さびしい恋人』『夏の休暇』『二重唱《デュエット》』『スーパースター』に続いて『みんなジャイアンツを愛していた』を丸々書写したことになった。
2016年7月19日
『野球の都を離れて』『みんなジャイアンツを愛していた』収録)の書写終了
2016年7月7日
『ルールがあるから面白い』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2016年7月5日
『マリーンズ熱』『暗黙のルール』、『ふたりのプロフェッショナル』収録)の書写終了。
2016年6月30日
『十四本のクラブ』(『暗黙のルール』、『人はなぜスポーツするのか』収録)の書写終了。
2016年6月27日
『死にものぐるいのジャイアンツ(『快適な日々』『ふたりのプロフェッショナル』収録)の書写終了。
2016年6月8日
『コンペ前夜』(『暗黙のルール』、『人はなぜスポーツするのか』収録)の書写終了。
2016年5月6日
『ノーキャディ』(『暗黙のルール』、『人はなぜスポーツするのか』収録)の書写終了。
2016年4月27日
『巨人を愛した巨人キラーたち』(『みんなジャイアンツを愛していた』収録)の書写終了。
2016年4月1日
『四年に一度という絶妙』(『暗黙のルール』、『人はなぜスポーツするのか』収録)の書写終了。
2016年3月10日
『非紳士的スポーツ』(『暗黙のルール』、『人はなぜスポーツするのか』収録)の書写終了。
2016年2月22日
『広岡達朗の七九〇日』(『みんなジャイアンツを愛していた』収録)の書写終了。
2016年2月16日
『肉体の裏切り』(『暗黙のルール』、『人はなぜスポーツするのか』収録)の書写終了。
2015年10月26日
『なぜ人間はスポーツをするのか?』(『暗黙のルール』、『人はなぜスポーツするのか』収録)の書写終了。
2015年10月22日
『ルールが生む悲喜劇』(『暗黙のルール』、『人はなぜスポーツするのか』収録)の書写終了。
2015年9月11日
『プロ野球衰亡論』(『快適な日々』、『ふたりのプロフェッショナル』収録)の書写終了。
2015年9月3日
『プロ野球をつまらなくしたのは何か』(『快適な日々』『「読売巨人軍」の大罪』『ふたりのプロフェッショナル』収録)の書写終了。
2015年8月3日
『長島茂雄という謎』(『快適な日々』『ふたりのプロフェッショナル』収録)の書写終了。
2015年7月13日
『悪太郎のパームボール』(『快適な日々』収録)の書写終了。
2015年7月3日
『成功者』(『ヴェテラン』収録)の書写終了。
2015年5月29日
『建築家の心』(『快適な日々』『ぼくらのスコットランド紀行』収録)の書写終了。
2015年5月26日
『もの書き』(『快適な日々』『ぼくらのスコットランド紀行』収録)の書写終了。
2015年4月14日
『同窓会名簿』(『快適な日々』『ぼくらのスコットランド紀行』収録)の書写終了。
2015年4月6日
『桜の木の下には』(『快適な日々』『ぼくらのスコットランド紀行』収録)の書写終了。
2015年4月1日
『ジャイアンツが敗れた』(『みんなジャイアンツを愛していた』収録)の書写終了。
2015年3月10日
『故郷の山』(『快適な日々』『ぼくらのスコットランド紀行』収録)の書写終了。
2015年1月23日
『文化のはじまり』(『快適な日々』『ぼくらのスコットランド紀行』収録)の書写終了。
2015年1月6日
『モミの木ほしい』(『快適な日々』『ぼくらのスコットランド紀行』収録)の書写終了。
2014年12月25日
『眼下のゲーム』(『スーパースター』収録)の書写終了。
 これで『彼女の哲学』『サルビアの記憶』『オーケイ。』『男ともだち』『星と月の夜』『廃墟』『帰郷』『孤立無援の名誉』『さびしい恋人』『夏の休暇』『二重唱《デュエット》』に続いて『スーパースター』を丸々書写したことになった。
2014年12月2日
『もっと静かにつつましく』(『快適な日々』『ぼくらのスコットランド紀行』収録)の書写終了。
2014年11月27日
『もっとも愛するもの』(『スーパースター』収録)の書写終了。

 いつも短編ばかり書写しているが、これは文庫本で六十九ページにも及ぶ中編で、今まででもっとも長い小説だった。当然ながらずいぶんと時間もかかった。三カ月近くかかったのではないだろうか。
 この小説は誘拐事件や野球賭博を扱っているサスペンスなのだが、これだけサスペンス色が強い海老沢作品は、他には殺人事件を扱った『愚か者の舟』だけだ。完全に異色作である。
 しかしおそらくそのスリリングなドラマ性が理由なのだろうが、この作品は1987年にはTBS文芸図書館シリーズのラインナップに加えられ、カセットテープで発売された。ぼくとしては他に音声化してほしい海老沢作品はいくつもあるので、正直言って違和感を抱いている。

 以前にもあるのだが、今回、書写していて間違いを発見した。
 主人公のプロ野球チームのエースが七イニングを無失点に抑える場面がある。『一回から七回まできれいに0を並べてやった』と書かれている。しかし五行あとで、妻を誘拐され、犯人から八百長を強要されている彼は二点リードの場面でこう考える。
『おれはこれからの三回で、すくなくとも三点は与えなければならないのだ』
 この『三回』は明らかに『二回』と書かれなければならない。

 ただこれも以前に書いたことだが、ぼくはこういう間違いを怒っているわけでもなければ、間違いを発見して優越感に浸っているわけでもない。単純に、こういうこともあるんだな、と思っているだけである。

 他には『外野手はノックのボールを全力で追いかけた』という文章が、『広岡達朗1982』(『みんなジャイアンツを愛していた』に収録)にある『守備についてはゴロやフライを狂ったように追いかけた』という文章に似ていて興味深かった。
2014年10月20日
 五月二十七日から桜川市で開催されていた「海老沢泰久展〜直木賞作家の横顔〜」も九月二十八日に終わった。四カ月の長期にわたる没後五周年イベントがついに閉じたわけだ。
 開催期間中、ぼくは二度足を運んだ。
 展示会場自体はさして広くなかった。ファンでもなければ、おそらく五分程度で飽きてしまうだろう。しかしぼくには宝の山だった。直筆原稿、中学・高校時代のアルバム、母校の国学院大学から借りたという資料の数々を丹念に見てまわり、六月に行った一度目のときは二時間も堪能した。
八月には海老沢さんの代表作『帰郷』をテーマにした読書会にも参加させていただいた。それが二度目のときだ。

 ここ五年ほどはこのサイトの訪問者数も一日あたり1.5程度しか増えていかなかったが、展示会開催期間中は文字通り倍増した。展示会のために製作されたパンフレットには、ぼくが受けたインタビューの回答も記載されていた。
 まったく、ファン冥利に尽きる一連の出来事だった。
2014年9月17日
 海老沢泰久氏の恩師と言えば、これはもう、現在國學院大学名誉教授で歌人の岡野弘彦氏をおいて他にいない。
 エッセイによれば、海老沢泰久氏が一九六八年に國學院大学に入学したとき、そのころはまだ助教授だった岡野弘彦氏と知り合ったようだ。以降、四十年以上の長きにわたって親交が続いた。
 海老沢泰久氏ゆかりの人物なら、いつか講演を拝聴したいものだ。二十年ばかり、ぼくはずっとそれを願っていた。
 実現したのは一昨年の春。早稲田大学で開催された講義だった。
 テーマは「『古事記』と小泉八雲から日本の原風景をたどる」というもので、話は実に機知に富んだ魅力あふれるものだった。古事記を語りながら、何度もそこから脱線して知性の旅に誘っていただいた。
「歌というものは黙読しているだけでは本当の意味の三分の一ぐらいしか理解できない。声に出して読むことで、その情景や心情を理解できる」
 という話が印象的だった。
2014年7月24日
『ライバル』(『スーパースター』収録)の書写終了。
2014年6月30日
『イン・ザ・ホール』(『スーパースター』収録)の書写終了。
2014年5月27日
 前回、「今も、未読作品がないかをインターネットで調べている」と書いたが、先週、ゾクゾクと身震いするような作品を見つけた。
 一九八一年にプレジデント社から発行されたムック「プロ野球 不滅のスーパースター」に収録された『打倒沢村の執念−松木、景浦ら豪華タイガース打線の秘密特訓』というドキュメントである。海老沢氏の長編デビュー作『監督』の発行が一九七九年だから、まだ駆け出しだったころの貴重な作品である。
 最初にこのムックをインターネットで見つけたとき、期待感は薄かった。詳しく調べてみるとすでに本に収録されている作品だったという経験を何度もしているので、今回も同じじゃないかと疑ったのだ。北海道の古書店が取り扱っていることが分っても、価格が千円だからダメ元で購入することに決めたものの、期待はずれに終わるだろうと思っていた。もっと高かったら買わなかったかもしれないくらいだ。
 それが、数日後に送られてきたそのムックを開いて驚いた。久しぶりに一瞬にして体温が上がる興奮に震え、満足感に満たされた。
 今日から9月28日まで、茨城県桜川市にある真壁伝承館歴史資料館で海老沢泰久氏の展示会が開催されるらしいが、それを祝うような掘り出しものだった。
2014年5月19日
 海老沢泰久氏が急逝してから今年の夏で五年になるが、ぼくは今でもときどきインターネットで未読作品がないかチェックしている。
 一年ほど前だっただろうか、グーグルで検索していたところ、「ラジオ文芸館」というNHKのラジオ番組がヒットした。
 詳しく見てみると、それは短編小説を朗読する番組で、一月十二日に海老沢氏の『小田原まで』が放送されていたことが分った。
 その情報によって番組の存在を知ったぐらいだから、当然、その放送を聞いているはずはない。
 ぼくは番組宛てにハガキを書いた。番組で募集していたのは「感想」だったが、ぼくはそれを無視して『小田原まで』の再放送をリクエストした。番組が求めているものとは違う内容のハガキだが、どうしても聞き入れてもらいたいリクエストなので、自分の簡単なプロフィールや、いかに海老沢泰久氏のファンであるかを綴った。ファンサイトのURLも添えた。
 それから四カ月ばかり経った九月二十八日、『小田原まで』は再放送された。
 こんどはちゃんと録音もした。
 その音源は、ぼくの宝物である。
2014年5月7日
 かれこれ十六年ほど前、毎週月曜日にラジオ日本で「広岡達朗のスポーツアイランド」というラジオ番組があった。主に、パーソナリティの高山栄さんが前週のプロ野球の勝敗結果を紹介しつつ、途中で広岡氏にコメントを求めるという進行だった。
 あるとき、広岡氏が不幸なかたちでジャイアンツを退団したときのエピソードに話が及んだのだが、高山氏はそのことをよく知らない様子だった。
 熱心なリスナーだったぼくは、番組宛てに海老沢氏の『みんなジャイアンツを愛していた』を送って高山氏にプレゼントした。「この本が参考になります」という手紙を添えて。
 するとそれから三週間ぐらい経ったころ、番組で高山氏が「ありがたいことに、こんな本をいただきました」と紹介した。ぼくは驚き、そしてもちろんうれしかったのだが、高山氏は著者名を「エビサワ タイキュウ」と読んだ。
 ぼくはすぐに「著者名は『エビサワ ヤスヒサ』と発音します。訂正とともに、広岡氏に海老沢氏との関わりについてお尋ねいただければ幸いです」という手紙を書いて、番組宛てにファックスを送った。
 ファックスは一時間後ぐらいに紹介された。高山氏は「実は『ヤスヒサ』と読むことは知っていたのですが、うっかり業界の言い回しをしてしまいました」と訂正したあと、広岡氏に海老沢氏とのつき合いについて訊いてくれた。広岡氏は言った。
「ぼくがヤクルトの監督をしていたときに彼が取材で来たのが最初。とても無口な男で、ぼくがいろいろ話すことに『ふん、ふん』と大人しく聞いているだけだった。心配になったので、話し終わったあと、『これで記事が書けるのか?』と訊いたら『書けない』と言う。『じゃあ明日も来るか?』と訊いたら『来ます』と言う。それでたしかあのときは三日ぐらい来たかな。そのあとはつき合ってなかった。でもしばらくして『ゲラができたので見てください』と原稿を持ってきた。それが『監督』という作品で、これはもう、大笑いしながら読んだ」
 それから高山氏は「ヒサさん、そういうことだそうです」と言って、次の話題に移った。
2014年4月17日
『「美味礼讃」について』((『快適な日々』『ぼくらのスコットランド紀行』収録)の書写終了。
2014年4月10日
『微妙な香り』(『快適な日々』『ぼくらのスコットランド紀行』収録)の書写終了。
2014年4月8日
『川のある景観』(『快適な日々』『ぼくらのスコットランド紀行』収録)の書写終了。
2014年4月1日
『プロ野球選手の引退』(『快適な日々』『ぼくらのスコットランド紀行』収録)の書写終了。
2014年3月13日
『いつも何かに怒っていた』(『快適な日々』収録)の書写終了。
2014年2月25日
『記録』(『スーパースター』収録)の書写終了。
2014年2月6日
『ふたりのランナー』(『スーパースター』収録)の書写終了。
2014年1月15日
『新たな楽しみ』(『暗黙のルール』収録)の書写終了。
2013年12月24日
『父の葬式』(『暗黙のルール』、『ぼくらのスコットランド紀行』収録)の書写終了。
2013年12月18日
『再会』(『暗黙のルール』、『人はなぜスポーツするのか』収録)の書写終了。
2013年11月26日
『スーパースター』(『スーパースター』収録)の書写終了。
2013年9月30日
『輪唱曲』の書写を終えた。
 これで『彼女の哲学』『サルビアの記憶』『オーケイ。』『男ともだち』『星と月の夜』『廃墟』『帰郷』『孤立無援の名誉』『さびしい恋人』『夏の休暇』に続いて『二重唱《デュエット》』を丸々書写したことになった。
2013年9月10日
『傷』(『二重唱《デュエット》』収録)の書写終了。
2013年8月13日
『ウサギ』(『二重唱《デュエット》』収録)の書写終了。
2013年7月23日
『夜のタクシー』(『二重唱《デュエット》』収録))の書写終了。
2013年6月28日
『うそ替え』(『二重唱《デュエット》』収録))の書写終了。
2013年6月4日
『二重唱《デュエット》』(『二重唱《デュエット》』収録)の書写終了。
2013年5月15日
『友だちの恋人』(『二重唱《デュエット》』収録)の書写終了。
2013年4月10日
『ひと月』(『二重唱《デュエット》』収録)の書写終了。
2013年3月14日
『季節』の書写を終えた。
 これで『彼女の哲学』『サルビアの記憶』『オーケイ。』『男ともだち』『星と月の夜』『廃墟』『帰郷』『孤立無援の名誉』『さびしい恋人』『夏の休暇』を丸々一冊書写したことになった。
2013年3月7日
『柔らかい孤独』書写終了。
 本というものは書きおろしでない限り、初出は雑誌である(今の時代ならネットというのもあるのだろうが)。
 作家は本にするとき、初出の原稿をチャックして手直しするものだが、ぼくは海老沢作品に関しては初出のほうも熱心に読んでいるので、海老沢氏がほとんど手直ししないことを知っていた。それは三年前にたまたま知り合った元サントリークォータリー編集者で海老沢氏の担当だった方の話とも一致していた。
 しかし例外もある。『柔らかい孤独』はぼくが知る限りもっとも多く手直しされた作品である。この作品を本で読んだ数年後に図書館で初出を読んだときには、別の作品ではないかと思ったほどだ。だからこの機会に、どこをどう改稿したのかをたどりながら書写してみた。
 すると、最後の三十行ほどは丸々改稿されていることは分っていたが、「ウィスキー」を「ウイスキー」と表記を変えていたり、話し言葉の中での「寝ている」を「寝てる」に変えていたりと、細部にわたって変更していることが分った。
 しかし一方、物語上のつじつまの合わないところが直っていなかった。
 この物語は三組の夫婦が旅先でそれぞれ別の組み合わせになって寝てしまう話なのだが、中盤、酔った木下貞二と組み合わせになった相手は羽田美也子で、そのことは妻の陽子も見ていたのに、後半、陽子は自分の夫が寝た相手は河野リサだと思っているのだ。
 たぶん海老沢氏の見落としなのだろう。木下貞二がそのあと相手を変えたのだという解釈も成り立たないわけではないが、そういう描写がない以上、やはり作者のチェック漏れだと思う。
 だがもちろん、ぼくはこのことを残念に思っているわけでもなければ批判的にとらえているわけでもない。こういうことがとても興味深いと言っているだけである。
2013年1月10日
『結婚記念日』(『夏の休暇』収録)の書写終了。
2012年12月13日
『遠い時間』(『夏の休暇』収録)の書写終了。
2012年11月14日
『フィレ・ミニヨンの夜』(『夏の休暇』収録)の書写終了。
2012年10月23日
『あしたの約束』(『夏の休暇』収録)の書写終了。
2012年9月28日
『鳥籠』(『夏の休暇』収録)の書写を終えた。
2012年7月9日
『川を渡る』の書写を終えた。これにより、『彼女の哲学』『サルビアの記憶』『オーケイ。』『男ともだち』『星と月の夜』『廃墟』『帰郷』『孤立無援の名誉』に続いて、『さびしい恋人』を丸々一冊書写したことになった。
2012年6月7日
 毎朝三十分、ペン字の練習をしている。万年筆で原稿用紙に書いている。
 最初の十分は練習帳のお手本をなぞる。「包」とか「曲」を一文字ずつ。あとの二十分は海老沢泰久の短編を書写している。毎日少しずつしか進まないが、まったくかまわない。目的は早く書写することではなく、可能な限りきれいに書くことだから。納得できなかったら同じ文字を何度も書くことだってある。
 それでも一カ月ほど経つと、一つの短編を書写し終える。
 今朝、『幸福の定義』(『さびしい東京』収録)を終えた。
2012年4月30日
 毎朝、出勤前にコーヒー・ショップでペン字練習をしているのだが、最初の十分はウォーミング・アップがてら、練習帳の文字をなぞり、そのあとの二十分を海老沢泰久の短編小説を書写している。
 先日は『二つの世界』(『さびしい恋人』収録)を書き終えた。
 ええと、ただそれだけのことです。
2012年3月10日
 ときどき、そう、月に一回ぐらいの頻度でグーグルでの検索を中心に海老沢作品の発掘作業をしているが、発見できずにいる。
 発見できないとサイトを更新できない。
 更新できないと、最終更新日がそのままである。
 最終更新日がそのままだと、来訪者から「もうこのサイトはこのままかな」と見放されるかもしれない。
 そうならないために、何もなくても、ときどきこうしてつぶやこうと思う。
2011年8月6日
 筑波に行く用事があったので、足を伸ばして下妻に寄った。そこには下妻市立図書館があって、五年ほど前に海老沢泰久氏が講演会を行った。その辺りが海老沢氏が生まれ育った土地なのだ。
 更新頻度がすっかり低くなったこのサイトにとって、じつにふさわしい話題と言えよう。
 図書館は開館してからまだ十年しか経っていないので新品同様である。読書コーナーの一角には八畳ほどの“和室”もあって面白い。
 ぼくは「本の案内」にいた五十ぐらいのおばさんに、
「五年前に講演した海老沢泰久さんを偲ぶような、何かしらの展示物はありますか?」
 と尋ねた。
 おばさんはそのときの様子を思い出しながら、ゆっくりとした口調で言った。
「講演会を開催したときに、入口周辺に著書を並べたコーナーを設けましたが、常設の展示物はないですねえ」
 ぼくは、もしおばさんがこの図書館で働き始めたのが最近で、しかもあまり本を読まない人だったら海老沢泰久氏を知らないのではないかと心配していたのだが、そんなことはなく、五年前の講演会のことを知っている人だった。そういう人から「常設の展示物はない」と教えてもらったのだ。展示物があればもちろん見たいが、ないことが分っただけでもぼくは満足だった。あるのかないのか分らないのが一番ストレスが溜まる。それだけは避けられたのだ。
 ぼくは館内をゆっくりと一周して図書館をあとにした。
2010年9月15日
 ペン字練習をはじめて六年ほどたつ。しかしいまだに「きれいな字」というレベルには達しない。映画『男はつらいよ』シリーズのエピローグで、旅先の寅さんから届いたハガキの文字がきたなくて笑える場面があるが、それと変わらない程度だ。手紙は直筆で書くようにしているが、受け取った人物が文字にうっとりすることはあり得ないと断言できる。子供のころにサボっていたツケなのだろう。そのツケが三十年以上の長きにわたり大きな利子を生んだのだ。簡単に返済できるものじゃない。だが、やらないよりはいいだろうと思って続けている。
 毎朝、出勤前のコーヒーショップで三十分程度の練習をする。その分早起きして時差通勤しているのだ。ウォーターマンの黒の万年筆で書いている。インクはブルー・ブラック。最初の十分はウォーミング・アップとして練習帳のひらがなや「土」とか「手」といった文字をなぞる。あとの二十分は海老沢泰久氏の短編を原稿用紙に書写することにしている。好きな作品であり、お手本にしたい文章を書いているのだからとても楽しい。
 ランダムに『走る理由』や『春の風邪』や『広岡達朗1982』など、特に好きな作品から始めたのだが、今やその数八十二作。六年も続けているとはいえ、先日数えてみて我ながらおどろいた。『帰郷』『廃墟』『男ともだち』『オーケイ』『サルビアの記憶』『彼女の哲学』『星と月の夜』は一冊まるごと書いた。
 だがむろん、これだけ書写したからといって、ぼくも海老沢泰久氏のような、すぐれた文体を持つ密度の高い作品が書けるようになるわけではない。むしろ書写したことで、簡単に真似のできる作品ではないことを実感として理解した。
 目的はあくまでも文字を少しでもきれいに書くことなので、ひらがなだろうが漢字だろうが、「これはちょっとひどいな」と思ったときはその文字を二回でも三回でも納得するまで書きなおす。そういうことはしょっちゅうある。
 しかし一度、短編『帰郷』に取り組むとき、「これは原稿用紙で何枚の作品なんだろう」と興味を持ち、作品どおりに書いてみた。ひどい字になっても書き直すことなく。それでこれが五十四枚の作品であることが分った。分ったから何だということはないのだが。
 ところで万年筆というものはあまり筆圧をかけなくても書けるし、鉛筆のようにときどき削る手間もない。シャープペンのようにカチカチと芯を出す必要もない。インクがなくなるまでぶっ通しで使える。学生時代には万年筆なんて使わなかったが、今になって万年筆のそうした面をとても便利に感じる。
 ぼくが使っている万年筆はウォーターマンの中でも特別高価なものではないのだが、宝物である。何たって、海老沢泰久氏も使った万年筆なのだ。
 国学院大学で講義を受けていた二〇〇二年秋のときだ。講義終了後、アパートから持参した『監督』と『美味礼讃』を持ってつかつかと寄って行き、サインを頼んだ。そのとき海老沢泰久氏が使ったのがぼくの万年筆だったのだ。
 そういうわけで、ぼくは毎朝、宝物の万年筆を使って好きな作品を書いているのである。そのせいだろう、早起きをつらいと思ったことはない。
2010年8月13日
「このサイトができるまで」に意図的に書かなかったことがある。そのことを一周忌の節目に公開することにする。
 第6章「その後」に、
「(海老沢泰久氏に)どうしても会いたいという気持はなかった。会う理由がなかったからだ。会ったところで、ぼくはあなたのファンですという以外、何もなかった」
 と書いた。
 たしかに初めて会ったのは国学院大学での講義のときだ。しかし実は、手紙で「ぼくはあなたのファンです」という気持は伝えていた。つまり、ファンレターを出したことがあるのだ。『美味礼讃』に圧倒され、「この人の作品を全部読む」と心に決めた一九九二年の春のことである。
 どんなに熱烈なファンかということを便せん三枚ぐらいに書き綴った。最初に読んだのが『監督』であること、最初の数ページで虜になったこと、以来、著書を愛読していること。読んだ著書のタイトルを全部書き、さらに、
「もし他に私の知らない著書があるなら教えてほしい。また、今後発売予定のある作品があるならそれも知りたい」
 とお願いまでして返信用のハガキを同封した。
 一週間ほどして返事がきた。ぼくは驚いた。多忙な作家が得体の知れない一ファンに返事をくれることなどないだろうと高をくくっていたからだ。返事には『ヴェテラン』と『快適な日々』の発売予定が書かれていた。そして別便で『二重唱』のサイン本が送られてきた。
 むろん感激した。だが一方、なぜ送ってくれたのが『二重唱』なのか分らなかった。ファンレターに特に好きな作品として挙げたわけではないのだ。ぼくはノートに残っていたファンレターの下書きを見てみた。それで分った。読んだ著書に『二重唱』を書き落としていたのだ。海老沢泰久氏は、熱心なファンが『二重唱』だけ未読だと思って送ってくれたに違いない。ぼくのミスから起こったことだが、予想もしなかった宝物を得てしまった。
 それから六年ばかり経ってこのサイトを作ったとき、今度は全ページのコピーを送って承諾を得ることにした。
「ファンサイトを作りました。著作権の侵害には細心の注意を払います。それでも予期しなかった面倒が起きたときには、当然ながら私が全責任を負います」
 添えた手紙にそう書いた。
 数日後、「かまいませんよ」という内容の返事が届いた。
 海老沢泰久氏は『これならわかる パソコンが動く』というマニュアルを書きながら、最後まで自分ではパソコンを持たなかった。それでぼくは、毎年秋になるとサイトのコピーを送って年に一度の報告をしていた。
 このことを「このサイトができるまで」に敢えて書かなかったのは、ぼくと同じことをするファンがたくさん現れたら海老沢泰久氏に迷惑がかかるのではないかと心配したからだ。すべてのファンレターに返事を書くのは無理だろうし、中にはファンレターとはいえない内容の手紙も含まれるかもしれない。考えすぎかもしれないが。
 全国に海老沢泰久ファンは大勢いるだろうが、ここまでやるファンはあまりいなかったのだろう、ぼくは覚えられた。
 それが分ったのは二〇〇二年秋に国学院大学で講義を受けたときだ。講義の第一回目、海老沢泰久氏が出欠をとった。ぼくも名前を呼ばれて「はい」と返事をした。すると海老沢泰久氏はゆっくりとぼくのほうを振り向いて、こう言ったのだ。
「君なのか?」
 ぼくは心臓が飛び出してしまいそうなほど緊張し、
「はい」
 と言った。
 それから海老沢泰久氏は、喜んでいる様子でもなければ迷惑がっている様子でもないニュートラルな口調で、他の生徒たちにぼくのことを説明した。
「彼は、ぼくのファンなんだ。何年か前にはホームページを作りましたと言ってコピーを送ってきたんだ」
 そしてぼくのほうを見て、
「君のホームページはすごい。みんな驚いている」
 と続け、出席とりの続きに戻った。「みんな」というのは仕事でつき合いのある編集者のことだろう。
 ぼくはフワフワと宙に浮いたような気分になり、自分を取り戻すのにとても苦労した。