勝新演出の「座頭市物語」「新・座頭市」   勝新太郎の演出の回
 
             池田博明
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「日曜日にはТVを消せ」No.9 PART5
 2007年10月3日 
 "座頭市 新・座頭市"特集 
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           勝新演出の「座頭市物語」「新・座頭市」 京都でのロケ

               池田博明

 TVの『座頭市物語』は1974年の10月から翌年の4月まで放映された。
 1976年秋からは、『新・座頭市』が始まった。
 1974年以前の勝新監督の映画化作品は、『顔役』(1971年)、『新座頭市物語・折れた杖』(1972年)の2本のみだった。
 一方、TV放映の作品では、『座頭市物語』のうち、 「祥月命日いのちの鐘」「忘れじの花」「二人座頭市」「赤ン坊喧嘩旅」「赤城おろし」「心中あいや節」の6本、『痛快!河内山宗俊』のうち、「地獄に花をつみに行く」「桜吹雪江戸の夕映え」「第23話/真っ赤に咲いた想い花」(藩文雀主演)の3本、『夫婦旅日記・さらば浪人』のうち、「暮六つの鐘が鳴る」(これは「走れメロス」のような作品だった)。
 勝新演出はTVでこそ見ることができるといえよう。テレビ版・座頭市は全百話が製作され放映された。このうち勝新演出作品は20本。全体の5分の1を占める。
 ジョナス・メカスの言葉 「われわれにそなわっている多くの感覚の一つ一つは、 世界とわれわれ自身に向かって開いている窓である」
 勝新演出作品にふさわしい言葉である。 

★以下、「日曜日にはTVを消せ」第9号PART1とPART2から転載。PART3以降はホームページ版。

      座頭市物語   フジテレビ開局20周年記念番組

 毎週木曜午後8時から8時55分。フジテレビ。
 スポンサーは大正製薬・ニッカウィスキー・黄桜酒造・カシオ計算機・花王石鹸
 企画・久保寺生朗・角谷優    プロデューサー・西岡弘喜 真田正典
 美術・太田誠一 技術・大角正夫 照明・風間博 音楽・富田勲 
 現像・東洋現像所  原作・子母沢寛

2007年1月、とうとうTV版『座頭市物語』がDVD-BOXセットで発売された。今後、TV版の全作品100話がDVD-BOXで発売されるという。なんと素晴らしい企画。さっそく入手しました。これで見逃した作品も見られますが、なんと言っても勝新太郎監督作品が存分に見られるのが最大の喜びです。特典は『座頭市物語』と『新・座頭市』の予告編でした。
 以下、太い枠の写真はそのDVD付録のパンフレットからの引用で、再見したときの付記は茶色の文字で表します。


  ★第3話 「祥月命日いのちの鐘」(脚本・高橋ニ三、監督・勝新太郎)  1974年10月17日

第3話 ●あいにく裏番組が長島引退劇だった。視聴率半減。放映時間に遅れまいと札幌の地下鉄北18条駅から1キロ余、みんなで走った。勝新演出の回はすべてカラーで舘田芳彦氏の家で見せていただいたのである。多謝。
 秋草一家の後家・おまさ(外崎恵美子)の療治によばれた市は、 おまさに亡くなった育ての親の暖かさを感じる。だが、その場になぐり込んで来た中森一家の刺客によって、 おまさが殺された。市も仕込みをふるうが、あけ六つの鐘を聞いて、刃をおさめる。母の命日だ。
 青竹の紋次(北大路欣也)、千代(今出川西紀)、殺し屋(チャンバラ・トリオ)、撮影・牧浦地志

 ◆市は祥月命日には仕込みを決して抜かないと心に決めていたのだ。
 中森(江幡高志)に挨拶に行った市は秋草一家の息子・新吉(青山良彦)が捕えられ、 縄張りを譲るという証文に署名させられる現場にい合わせて騒ぎを起こし、証文を焼き捨て、 新吉を逃走させる。怒った中森一家は市を簀巻きにして川へ投げ込んだ。 川の途中で市は青竹の紋次(北大路欣也)に救われる。市に借りがあると紋次は言うが、 市には覚えが無い。実は秋草一家襲撃の折り、市が仕込みを収めたおかげで命拾いをしたのが紋次だったのだ。
 一宿一飯で中森に雇われ市の仕込みで命を落とした浪人の娘・千代(今出川西紀)が茶屋で父を待っていた。 紋次は千代に経緯を伝え、千代は市を父の仇と刺す。市は急所を外した場所を刺させる。 一方、新吉は中森一家に捕まりそうになっていた。紋次が新吉を助ける。 新吉は一人で殴り込むと言っているものの、もともとやくざに向かない弱気な男である。 市は新吉を止め、暮れ六つの鐘を待つ。やがて暮れ六つの鐘が響くなか、市の仕込みが中森一家を一掃する。 親なし子になってしまった新吉と千代を残して市は去っていく。途中で紋次が市に無言で斬りかかる。 “てえした居合斬りだ。痛くもかゆくもねえ”と紋次は倒れる。暮れ六つのニセ鐘をついたのは紋次だったのだが。
 待ち合わせ場所に紋次はいない。市は不吉な運命を感じる。撮影は牧浦地志。
■週間TVガイド 1974年  “座頭市”にのってる勝新
 時代劇では『座頭市物語』(制作・フジテレビ)、『破れ傘刀舟・悪人狩り』(制作・NET)、 『ふりむくな鶴吉』(制作・NHK)、『丹下左膳』(制作・日本テレビ)の四本が目玉になる。
 四月中旬に制作をスタートした『座頭市物語』はすでに四本完成、 もっか、第五話を撮影中だが、これが“座頭市”こと勝新太郎自作自演の「祥月命日いのちの鐘」。
 この日を期して節酒節制に努め、脚本家とも打ち合わせを繰り返し、 脚本を三回も書き直した勝は、
 「監督って仕事は最高だよ。しょっちゅう、どうしていいかわからなくなる。 そういう不安な状態がたまらなく充実するんだね」。
 ゲスト出演に北大路欽也、今出川西紀を迎え練りに練った第五話の物語は、 オフクロの命日なのでその日だけは刀を抜くまい、と心に決めていた座頭市、賭場で土地のヤクザ 中森一家に因縁をふっかけられ、ス巻きにされて川に投げ込まれる。 それを助けたのが渡世人・青竹の紋次(北大路)。二人はやがて対決する宿命にあった・・・・。
 「勝さんとは映画の“悪名”以来の共演。感覚的にも合うもの、 ハダの触れあいを感じますね」と北大路。
 「欣也くんもスケールのでっかい役者になってきましたね。 負けちゃいられないって気合いがはいっちゃう」と勝も負けてはいない。
 あと一、二本は自ら監督した作品をという勝は、 「テレビだから本編だからって、ものを作る精神は同じ。 普通、テレビだと一週間で一本というペースらしいが、この作品は十日に一本。 それでも日数には不満が残っている。 でも、制作費の関係もあって、それでギリギリ。 一度、死んだ座頭市をこの作品で生き返らせて見せるよ」と汗だくで奮闘中だ。

 ▼北大路の言う“悪名”とは増村保造監督作品『悪名・縄張荒らし』のことである。 この作品は同じく増村監督『陸軍中野学校』と呼応する快作である。 つまらねえ戦争で死ぬんじゃあない、なんとしてでも生きるんだ、 死んではいかんのだという意志において、1974年東宝作品と1966年大映作品は呼応しあうのである。(池田博明)


★第8話 「忘れじの花」  (脚本・奥村利夫・東條正年、監督・勝新太郎、撮影・森田富士郎)  1974年11月21日 十朱幸代

第8話  ●首をつろうとしていたお菊(十朱幸代)を救った市。お菊は逃げてきた女郎である。 市とお菊は二人で道中。山あいの宿に泊まったり。先の宿場には、お菊の抱え主・辰蔵(鈴木康弘)が回っている。 土地の親分・松蔵(高木均)と辰蔵は兄弟分。お菊の先の亭主・佐吉(山城新吾)の情報で・・・。 伊助(千波丈太郎)、おしん(武智豊子)、浪人(花岡秀樹)

 ◆市はお菊といっときの二人暮らし。
 斬り合いのさなか、市に突き出された槍を防いだお菊は刺されてしまう。 市に抱きかかえられたお菊は満天の星を見る。 「明日は晴れだね」、それがお菊の臨終の言葉だった。
■週間TVガイド 1974年10月25日 勝新も恐がる“禁句”

 「木曜の夜は“座頭市・・”を見ない人はタタッ斬るよ」と、 気炎をあげる勝新太郎。先日も完成パーティでその抱負を語った。
 「テレビだからという意識はないよ。だけど映画よりはもっと人間くさい座頭市になるな」。 テレビは六十分、ドラマのテンポは早くなるという。 「コマーシャルの前後に見せ場をつくる」というだけに毎回、アイデアねん出には苦労が多い。
 「高橋二三(脚本担当)とね。一週間行動をともにしたんだ。そしたらとんでもないアイデアが出てね。 それは見てのお楽しみだけどね」と、自信のほどを強調。 “どめくら”“こじき”などの「禁句」にも手を焼いた。
 「現場でかなり注意するが、いざラッシュ(試写)をみるとやたらチェックがでてくるんだな」。 その度になんべんも俳優を呼びもどし、やり直したという。
 「とことんやらねば気がすまない」という勝新、 “決定版・座頭市”に奮戦中。


■山城新吾『おこりんぼ さびしんぼ』(廣済堂文庫)より  p.176-181

 『座頭市』は、人気が高まって新作を作るたびに、撮影がむずかしくなっていった。
 勝さんが、台本をどんどん変えてしまうからである。
 「いや、そこ、ちょっと待て。こうした方が面白い」
 監督も演出家も、その勝さんの一言が恐い。すべてのリハーサルが無駄になってしまうからだ。
 「馬鹿野郎、この期におよんでそんなこと」と思っても、勝演出が面白くてみんな納得してしまうのだから、仕方がない。
 そして出来上がった映画は当たるのだから。
 特にテレビ版になってからは、ほとんど台本などなかったと言っていいだろう。
 ある時、ぼくのところにも、ゲスト出演の依頼が来た。出演を承諾すると、勝さんは電話口でその回の内容を伝えた。
 「新吾、おまえは、日本橋の米問屋のせがれなんだ」
 「はい」
 「女房がいるんだよ。一応、女房は十朱幸代に電話しといたから、たぶん出ると思う。それでだ、二人が旅しているんだ、おまえたちが」
 「どんなせがれなんですか、ぼくは」
 「そこだ。おまえは堅気な癖にちょっと中途半端なんだ。それでヤクザと博打するんだよ。バカボンなおまえは負けて、借金を重ねる」
 「身上潰すわけですか」
 「いや待て。女房を置いていくから勘弁してくれ、って命ごいをするわけだ。その辺りの設定までは決まってる」
 電話はそれで切れた。後で台本らしきものが来たが、筋書きと言い換えてもよさそうなものだった。
 とうとう、本番の日がやってきた。
 女房に十朱幸代さん、オレを負かすヤクザの役に高木均さんという新劇の俳優を呼んである。
 「いいか、新吾。おまえ、チョンマゲを真っ直ぐにしている時は堅気なんだ。それをヒョイと曲げるとこれが、ヤクザになるわけだ」
 勝さんの演出がどんどん進む。チョンマゲに蝶番がついている。道中、女房と歩き、人前で愛想をふりまく若旦那のチョンマゲは、真っ直ぐだが、賭場に入った途端、ぴこん、と曲がった。
 「バカバカしい」
 と、高木さんは小声でぼやいているものの、顔は笑っている。それはそうだろう。これまでチョンマゲの曲がり具合で、その人物の性格を表現しようとした人などいなかったのだから。しかし、このアイデアが実際に映像になってみると、実に面白いのだ。
 こんな小さい箇所も、どんどん現場で決まっていく。台本がキッチリしていないのは当然だったかもしれない。しかし面食らう役者もやっぱりいるのだ。
 「ねえ、台本はないの? 演技のプランが立てられないじゃない」
 と、十朱ちゃんもぶつぶつ言っている。
 博打が始まる。オレはどんどん負ける。
 「こいつはうちの女房だ。すぐに受け出しに来るから、形に取ってくれ。オレはこう見えても日本橋の米問屋のせがれだ。今は道中だが、ちゃんと説得したら親父が五日以内に金を届けるから」
 といった台詞を言った。そこで、いったん場面が終わる。
 座頭市ではなく、演出家の勝さんがニヤリと笑った。そして台本に関係なく、ヤクザの親分役の高木さんに指示した。
 「いいか、新吾の言い訳が本当だと思ったら。そこで殺さずに置いとけ。こいつまた口からでまかせ言いやがってと思ったら、その場で殺せ」
 「はあ」
 親分役の高木さんはわかったようなわからないような顔をしている。
 ぼくにしてみれば、殺されずにすむ言い訳をいくつも考えるのはつらい。そんなに長々と筋がどうなるかわからないこの撮影に付き合っているわけにもいかない。
 だから、カメラに写らないところで小さい声で、
 「もう殺して、殺して」
 と必死に高木さんに訴えた。
 十朱ちゃんも、勝さんには逆らえないものの、若旦那に惚れて旅にまでついてきた女房の役づくりをしてきているのに「私だけ残されるの、イヤよ」といった顔をしていた。
 台本らしきものを読んでいた親分の高木さんは「新吾を殺してしまったら、話が成り立たない」と思ったらしい。
 「わかった。五日間、待ってやる」
 と言ってしまった。
 でも十朱ちゃんには悪かったが、高木さんが「殺っちまえ」と言ってくれた方が、本当はうれしかった。
 そんなふうに楽しく撮っていたテレビの『座頭市』も人気は上々だった。視聴率もよかった。
 だが、残念なことに放送は長くは続かなかった。
 みなさんは座頭市が怒る起爆剤になる言葉を覚えておられるだろうか。
 たとえば、こういうシーンだ。劇中、悪者が市をからかう。
 「うるせえ! このドめくら!」
 「ドめくらと言いなすったな」
 「ドめくら」はその頃から放送禁止用語になっていったのだった。どんどん規制が激しくなっていた時期だった。 


★第9話 「二人座頭市」  (脚本・高橋ニ三、監督・勝新太郎、撮影・森田富士郎)  1974年11月28日 

第9話  ●勝新演出の作品中の『座頭市物語』の最高傑作。 アウト・フォーカスでゆっくりパン・ダウンすると真っ白な盆の上。賭場である。まるで『顔役』ムード。
浜木綿子  市とは幼ななじみで、勘が悪く、コブばかり作っていたという”コブ市”(植木等)の生き様が、座頭市のそれを逆照射する。 『緋牡丹博徒・花札勝負』(東映69)と同様、ニセモノの存在がホンモノのもうひとつの道を示す。 同じ盲人でありながら、なぜ一方は座頭市として恐れられ、なぜ一方はニセ市として笑われるのか。 座頭市の宿命さえ浮き上がる悲劇である。

 おけい(浜木綿子)、升五郎(遠藤太津朗)、武平(国一太郎)、女中(高木峯子)、白首女(朝永桐子)
▼女・おけい(浜木綿子)は壷振り師でもある。 勘の悪い市松から座頭市に乗り換えようとして、市に色仕掛けで迫る。 しかし、最後に市は、この女を断罪しない。やくざを斬って、市松を救った後で、 「もう女にだまされるんじゃないぞ」と諭すと、市松は「もう女はこりごりだ」と答える。 市が本ものの座頭市だったことを知って、一部始終を唖然と見つめていた女の前を二人は去っていく。 このやくざな世界で生きる女も、いわば被害者なのだ。(池田博明)

■読売新聞 1974年11月28日「試写室」より
 灯火を消した暗やみ。「暗くなりゃ五分と五分。 見当つけて切ってきな」。勝新太郎の座頭市の名せりふだが、植木等の”座頭市”が、これを言って三下やくざをおどす。 彼は、座頭市の何たるかを知らず、座頭の市松という自分の名前を縮めて ”座頭市”と名乗るとみな恐れると知り、やくざの家にわらじを脱いで歩く楽な生活を覚えてしまった男。 それも相棒の性悪女おけい(浜木綿子)の入れ知恵だ。
 この危なっかしげな世渡りをする間抜けな座頭を、 勝の本物の座頭市が、茶の間の気持ちになり代って温かく見守り、 危機を救おうとするのが今回の趣向。やくざ時代劇の類型から脱して、弱い男の悲しさと、 強い男のやさしさをうまくデフォルメして対比している。
 市松と女がいる悪親分(遠藤太津朗)の家へ、 あんまとして入り込んだ座頭市は、市松が女に色仕掛けで悪事をそそのかされているのを知り、 忠告するが受け付けられない。「おめえ、やいてんだな」と市松は逆に得意げ。 こんな人物に植木は適役で、持ち前のこっけいな味が一層あわれさを出す。
 浜のあばずれ女の描写も的確。 女は市松が盲目なのを幸いに、自分と思わせて市松に夜たかを抱かせる。 市松はうれし涙。「男とは、ほれた女にこうも・・・」と思わされるリアルな描写だ。 女はドライだった。自分の都合で、市松の正体を親分にばらしてしまう。 「さあ、市松の窮地に座頭市は?」と興味をかきたてる巧みなクライマックスだ。 (和)
植木等
 ◆DVDになった作品を少しだけと思って見始めたら、最後まで見てしまった。
 遠藤太津朗の演技が秀逸。コブ市を少し疑いの目で見る様子、 おけいからコブ市の正体を明かされた瞬間の狼狽ぶり、 弱者をいじめる様子など、作品の幅を大きくしている。
 浜木綿子も絶品。悪役とはいいながら、 正体が割れたコブ市をやくざ衆がいたぶるのを、黙って見つめる表情には同情と諦観がある。 最後に本物の座頭市が仕込みをふるう場面でも、彼女は黙って、すべてを見ている。 まるで自分の心のなかをじっと見つめているようだ。

★第14話 「赤ン坊喧嘩旅」  (脚本・星田正郎、監督・勝新太郎、撮影・森田富士郎)  1975年1月16日
第14話
 ●女が市と間違えられて和平次(岸田森)らに殺された。 市は女が抱いていた赤ン坊を宮木村の里の父親のもとへ送り届けようとする。 途中で出会ったスリのお香(大谷直子)と一緒の旅。赤ン坊の父も今では土地の大親分・宇之助(中山仁)だが、 赤ン坊も母親も知らないと言う。
 島蔵(長沢大)、赤ん坊の母おとよ(真鍋明子)、平太夫(原田清人)、茂平(横山あきお)、 嘉七(志賀勝)ほか近江輝子

 ◆殺し屋たちは市が籠に乗ったのを見て待ち伏せしていた。 ところが途中で市は腹痛で苦しんでいる母親おとよを乗せたのだった。
 スリのお香は最初は迷惑がっているが、次第に赤ん坊と市に情けを移していく。 勝新監督にしては比較的クローズアップが少なく、カエデの紅葉が美しい。
脚本の星田正郎は『座頭市血笑旅』の星川清司郎・松村の合体匿名か。ほとんど映画版第8作『座頭市血笑旅』(1964年)のリメイク。

 ★第16話 「赤城おろし」 (脚本・直居欽哉・原田順夫、監督・勝新太郎、撮影・牧浦地志) 1975年1月30日 辰巳柳太郎

第16話  ●ご存知・国定忠治(辰巳柳太郎)を、情婦お町(池玲子)を交えて人間味ある、弱さのある人間として描いた作品。 強風の描写が冴える。重厚な傑作である。
 お加代(奈三恭子)、吉五郎(袋正)、文蔵(御影伸介)、梅宮辰夫、宮本昿二郎
 撮影は牧浦地志。

 ◆2007年のDVDを見て、“市は赤城にやって来た。 ちょうど国定忠治は、情婦お町(池玲子)に会うために赤城山を下山していた。 お町の家には若い男(袋正)がいた。お町はその若い男を「兄さん」と紹介し、「酒を買ってきておくれ」と外へ出す。 しかし、酒を飲まないはずの男が酒を買う不審さを目明しの吉五郎(御影伸介)に疑われる。吉五郎は忠治がお町のところに来ていると察する。役人が家を取り囲んだところで、三室の勘助(清水将夫)が機転をきかせ、 家のなかの忠治に危険を知らせ、一番に乗り込んで逃げ道を示唆する。 勘助は忠治に恩があったのだ。市が役人を切り伏せ、忠治は山へ逃げる。
 勘助は市を迎えて、酒を酌み交わす。 娘・お加代(葵三恭子)のうどんをすすりながら、勘助は落ち目の忠治の判断力を疑う。
 一方、山へ戻った忠治は、叔父・勘助からの情報をもたらした浅太郎(梅宮辰夫)を叱責する。 浅太郎は裏切り者の疑いを免れる為に勘助の許へ現われる。 許婚者の浅太郎が現われて喜ぶ加代。叔父を責める浅太郎。勘助は「凶状持ち、 忠治の許を去れ」と答え、怒った浅太郎は勘助を斬る。全てを見ていた市は勘助の真意を浅太郎に伝える。
 市は山へ登り、忠治を諭す。 勘助の願いでもあったもう一度忠治に人々の憧れになって欲しいと。 自分の不明を恥じた忠治は子分に盃を返し、山を下りる決心をする。お町にも最後の別れを告げる。
 年季の入った清水将夫、辰巳柳太郎のセリフ回しもみどころ。 池玲子は弱さのある女として見事に描かれている。”
  勝新太郎監督 「赤城おろし」 台本と完成作品との異同 

浅丘ルリ子 ★第23話 「心中あいや節」 (脚本・星田正郎、監督・勝新太郎、撮影・森田富士郎) 1975年3月20日

第23話  ●津軽三味線が響く勝版『津軽じょんがら節』。
 盲目のごぜ・おさわ(浅丘ルリ子)は、芸人のおきてを破り、 はなれごぜとなって深い雪のなかを旅していた。おさわを一人の殺し屋・加平次(石橋蓮司)が追っていた。
 おさわの世話をする少女・おとよ(吉沢京子)、はなれごぜ・おきく(八木昌子)、 おさわに惚れた庄屋の息子(松平健《新人》)、その父・作衛門(加藤嘉)、ほか野村けい子
殺し屋を仕向けたのは庄屋の作衛門だった。 帰って来た息子やおさわを許して出迎えたように見せているが、 その実、作衛門は二人の仲を許してはいなかったのだ。 息子の女房と赤児を息子に会わせる。納まるところに納まるのがいい・・・と呟く息子だったが、 夜になって全く別の決意をしていた息子はおさわを吹雪の浜へ連れ出す。 裸足で雪の上を歩くおさわ。夜が明けると浜でふたりは死んでいるのだった。
 ▼藤田真男“TV『座頭市物語』の内のカツシン演出による『心中あいや節』でも、 まるで神業みたいなカメラワークにおどろかされるシーンがあった。 それは本当に何でもないような、ごくさりげない動作を捉えたもので、 笠をかぶった吉沢京子が、わずかにうなだれ、そしてまたわずかに面をあげる、 その時、全く偶然のように彼女の眼が笠の縁の奥にある、 ただそれだけのことで、こんな風に書いてみたところで、 具体的に理解してもらえないだろうが…  ぼく自身も、なぜ驚いたのか忘れてしまったほどなのだ。これでは、お話にならんか。 とにかく、あれが偶然だとしたら、そのタイミングを逃さずカメラに収めたカメラマンの腕は大したものだ。 巧みな演出によるものなら、カツシンのデリケートな感覚に驚く”
▼星川清司『カツドウヤ繁盛記』(日本経済新聞社、1997)より(p.212-)
 なにしろ、めっぽう「勘」のいいひとで、その才能は無類だ。のちになっても「心中あいや節」というテレビの座頭市シリーズのときにも舌を巻いた。そのときも、「ゴゼと座頭市というのはどうだろう」とわたしがいったのが、そもそものはじまりだったが、その仕事、わずか一時間たらずのものに難渋した。半年ちかくかかった。
 それでも、ようやく書きあげたので、読ませたら、勝はたいそうよろこんでくれた。そのまま決定稿になって、手直しなし。
 あるとき閑談していて、たまたま、ドナルド・キーンのことに話が及んだ。
 「つまらない市井の男と女が、道行にかかると、双方の背筋がすっと伸びる」
 近松のことを述べた一節に、そういうことばがあった。「背筋が伸びる」という日本人にもできないような表現がみごとだ、とわたしがいうと、勝が「それだ」と叫んだ。
 何をいいたいのか、すぐにわかった。そして、「わかったから、それ以上いわないで」とわたしはいった。それで二日待ってくれといった。勝はいい気分になって、それからは自由な閑談になった。
 わたしはほんとうに舌を巻いた。
 勝新太郎というひとの「勘」のするどさ。
 約束の二日のちに、わたしは、市とゴゼが生き別れになっている最後の件りを書き改めて渡した。
 その原稿を勝は読まなかった。そして、「おれが監督やりたいけど、それでいいか」といった。いいもわるいも、もう決めていることだ。監督と決まっていた井上昭を嘆かせた。
 勝はさらに欲を出し、三十五ミリフィルムで撮りたいといい出して、雪の若狭にトラック十台をつらねて出かけていった。
 雪の中に宿屋を一軒、建てたのだという。
 「熱心なひとですねぇ」
 ゴゼ役の浅丘ルリ子が感じ入ったように笑った。
 妻子がありながらごぜに心を奪われて、ついてまわる庄屋の息子を松平健、その父親を加藤嘉、父親にたのまれてゴゼ殺しを狙う悪党を石橋蓮司、ゴゼに同行している少女が吉沢京子、はなれゴゼが八木昌子、音楽が富田勲、という贅を凝らした布陣だった。
 いったん仕事となると、勝はゼニカネ計算がわからなくなる。
 「商売だってかんがえるさ、当りめえじゃねえか」
 そういいはするけれど、アテになったことではない。
 ゴゼと若旦那が道行となって海で果てる最期になった「心中あいや節」は、すべてうまくいったが、作品が完成し、しばらくしてから、ある席で、勝が笑いながら、こういった。
 「あれは、どうも座頭市の物語じゃなかったね。市は脇役だったぜ。欺されちまった。でも、おれは監督やったからいいや」
 TV版『座頭市物語』と『新・座頭市』は全作ビデオが発売されたことがある(全作ではないかも・・・)。 しかし、現在は販売されていない。その後、数本が俳優中心でセット販売された。映画版の勝新監督作品『新座頭市物語・折れた杖』も 1998年にようやくビデオで発売された。しかし、勝新監督の最初の傑作映画『顔役』はまだビデオ化されていない。 TVシリーズ『警視−K』は1998年にVAPからビデオ化されて発売された。(池田追記、2000年)。 『警視-K』ビデオはいまや品切れ絶版。2007年1月、とうとうTVシリーズの全作品100話のDVD発売が始まった。 まずは第1シリーズ26話『座頭市物語』が発売となった。

      新・座頭市
  第1シリーズ

 毎週月曜午後9時から9時55分。フジテレビ。
 企画・久保寺生朗・角谷優・荒井忠   
 プロデューサー・西岡弘喜・真田正典・市古聖智
 美術・太田誠一 技術・大角正夫 照明・風間博 音楽・村井邦彦  殺陣・楠本栄一 
 現像・東洋現像所  原作・子母沢寛  

 ★第1話 「情けの忘れ雛」(脚本・東条正年・沖守彦,監督・勝新太郎) 1976年10月4日 新座頭市 1話■いしだあゆみが好演   1976年10月4日 読売新聞
 
 旅のやくざ弥吉が八州回り役人(江見俊太郎)に切られ、死に際に小さなひな人形を座頭市に託した。市は人形を届けに友部宿の小さな宿屋・乃沢屋を訪れると、そこでは死んだ弥吉の女房おしの(いしだあゆみ)が幼い娘かよ(飯島洋美)を抱えて細々と店を守っていた。市は弥吉の死を話せないまま、ここにしばらく泊まり続けるうち、土地の親分辰造(藤岡重慶)の悪だくみを知る。おしのの美しさに目をつけた辰造は、亭主の弥吉を八州役人に手を回して殺させたのだった。いしだあゆみ2
 前半、市の強さを知らない悪親分が、もみ療治に来た市を手ひどく扱う。市はおとなしくひき下がるが、次第に本性の強さを出していくところが面白い。『新・座頭市』の“新”らしい点だ。この第1回は勝新自身が監督し、ゲスト主役にいしだを選んだだけに、いしだのさびしそうな美しさをきれいに撮り、いしだも夫に死なれた悲しみを好演している。子役の飯島がかわいい。(武)

●関八州の役人に斬られた弥吉が市に託した雛人形・・・この雛人形の顔と、かよ(飯島洋美)がそっくり。殺陣シーンにティンパニーが鳴る。音楽は『顔役』の村井邦彦である。
 無名の市から座頭市への転換は形こそ違え、月光仮面やまぼろし探偵、日常の顔とヒーローの顔のふたつを持つ「正義の味方」と共通なものがある。こういう設定だと、市が有名だからこそ、ニセ市が出現した『二人座頭市』のような話は成立しない。撮影・森田富士郎。

 弥吉は辰造の代貸しだったが、おしのと所帯を持って堅気になろうとしたところ、辰造に隣りの権蔵を斬れば盃を返すと言われて、権蔵を斬ったのだった。八州は権蔵殺害の罪で屋吉を成敗する。
 八州回りのための賭場で市はイカサマを見抜き、仕込を振るう。おしのが辰造にさらわれたと知って市は救出に向う。そして、最初におしのを手篭めにしようとした辰造から斬る
 いしだあゆみ証言  『新・座頭市』第2シリーズ パンフレットより引用
 「うまく言葉で言えませんが、勝さんの作品作りは、真剣に遊んでいるといった感じでしたね。時間を忘れて遊ぶというか・・・
 勝新太郎さんとは、この座頭市で初めて共演させていただきました。私は、時代劇の経験がなくて、かつらをつけたのも初めてでした。初めての体験で勝さんに教えていただいたので、すごく幸せでしたね。芝居をつけるときにも勝さんが見本を示してくれたので、とてもやりやすく、時代劇がとても大好きになりました。
 着物のひき方とか、えりの動き方とか、女役の演技指導も本当に素敵でほれぼれするくらい。男性から見た女性はこうであってほしいという願望のようなものが勝さんにはあったんじゃないでしょうか?
 私にとって、勝さんに教えてもらった経験が今でも自分の女優としての力。基盤のようなものになっている気がします。本当に分りやすく教えてくれましたね。
 座頭市の現場では、スタッフの方々も勝さんと同じ感じで、ごはんを食べるのも忘れて遊んでいるみたいな・・・・
 人数は今の現場に比べれば少なかったですが、皆さん超一流の職人さんでしたね。だから座頭市に出演させてもらって、全く当時新人だった私でもそれなりに上手に見えちゃうんですよね〜。
 一番すごいなぁと思ったのは、勝さんから『泣いた後の顔を撮りたい』と言われたことです。泣いている顔はいらない、視聴者が見た時に、この人はさっきまで泣いていたんだろうなぁと思わせる表情をしてくれと言われたんです。素敵ですよね〜風情があって! すごく覚えています。
 だから座頭市で、演技だけじゃなく、風情とか余韻とかを教わりました。今そういうものを教えてくれる人はいませんしね・・・・。
 今のドラマでは勝さんの好きだった間合いとか余韻ってありませんからね。現場では毎回『あぁそうか』と感心・勉強させていただきました」

★第7話 「わらべ唄が聞える」(脚本・佐藤繁子,監督・勝新太郎) 1976年11月15日
新座頭市 7話●勝新演出第2回目。撮影は渡辺貢で、勝新演出は凝りに凝っていた。
 市に片腕を斬り落された伝兵衛(草野大悟)は、甚左(殿山泰司)に市の殺害を依頼。甚左は娘お艶(新藤恵美)を狂女にしたてて接近させる。狂女を装うお艶は人形に仕込んだ刀を手に市のすきを狙う。

 冒頭は、まだ暗い夜明け。ちょうど陽がさしてくる。朝霧が立って緑が陽に映えてくる。朝の光を感じる市・・・。
 田んぼのなかで狂女を見つめる百姓たち。女は市を「秀次郎」と呼び、接近してくる。市は女を哀れに思うが、一緒に連れていくわけにはいかない。ところが、通り雨でどしゃぶりになる。雨宿りをしている市に女が追いついて来る。宿場には伝兵衛が先に来ていた。土地の親分(名和宏)は先に市を斬ろうと算段する。
 なかなか市の寝首をかく時期を見定められない女。甚佐は水を怖がるはずだと舟の上におびき出すことを提案する。砂浜で市は自分から舟を出そうとする。乗り込んだ舟で人形に仕込んだ短刀を取り出したものの、すぐに市に見破られてしまう。市は女に訳を聞いて、伝兵衛が約束の百両を払うわけがないと諭す。
 浜に横たわる市の周りに伝兵衛たちが集まってくる。女は市を殺ったのか? 約束の百両は?
 すべてが片付いて、女が残した最後の言葉、「じゃあ、・・・ね」を市は繰り返す。
春日太一『天才 勝新太郎』(文春新書、2010)より 197-198ページ
 
 斬られる覚悟の女を座頭市は許す。そして、舟をこぎ出す。
 <女「この舟、どこにつけるんだい?」
 座頭市「どこにつければ気が済むんだい?」
 女「殺し合わないですむところ」
 座頭市「それなら一生懸命、こがないとな」>
 その後、二人は浜辺へ流れ着き、握り飯を二つに分けたりしながら、心を通わせていく。
 こうした芝居の際、濡れ場は全くなく、また、勝自身もラブシーンを演じたがらなかった。座頭市はいつも女性たちと(精神的にも、肉体的にも)一定の距離を保ち、決して直接触れようとはしない。それはまるで自らの禁忌としているようでもあった。
 「座頭市はこんなことはしない!」
 と勝が嫌がった芝居の中でも、最も嫌がったのは女性を乱暴に扱ったり、「性」として扱う芝居だったという。
 勝、そして座頭市は、女性を「聖なるもの」として崇めていた。
吉永小百合
 ★第14話 「雪の別れ路」(脚本・佐藤繁子・中村努,監督・勝新太郎) 1977年1月10日
 
 ●吉永小百合が一途に宇乃(林与一)を慕う三味線ひきを演ずる。宇乃は実は女たらしなのだが、おゆき(吉永)にとっては恋人。「潮来の別れ花」と似た設定だが、吉永は過去の夢を現在に投影する夢に生きる女。撮影は森田富士郎。お里(野村けい子)、辰蔵(田中明夫)、政吉(中村孝雄)。
 冬枯れの川辺の雑木林。巣から落ちた文鳥のひなを救った市とおゆき。宿場でゆきは3年ぶりに男に会った。しかし、その男はついさきほど別の女に殺し文句「二人で体をあっためあいながら生きていこうじゃないか」と言っていた。市はもみ療治を頼まれて聞いていたのだ。ゆきが大切に持っていた紅い櫛も、男が女をだます小道具だった。
 女は売リ飛ばされていく時にも、宇乃の名前を呼び続けていた。
 市は宇乃と出会ってうきうきしているゆきのために一計を案じた。宇乃を脅して「実は俺にはかかあもがきもいるんだ。かかあはいい女なんだ。だからもう会わねえぜ」と言わせたのだ。酒場ですっかり酔いつぶれるゆき。この場面は美しい。
 そこへ宇乃が登場。さっきの話はウソだったと言って、親分辰蔵のところへ連れていく。親分は宇乃の借金を帳消しにするというほど、ゆきが気に入ったようだ。市に辱められた連中はゆきを身代わりにして市を連れてくる。
 オレンジ色の敷物をかぶせられながら、相手を斬る市。親分の鼻を切り落す。一瞬、俯瞰になる。狭い女郎屋での激しい斬りあい。ゆきは市の刃の前に出て、宇乃を逃がす。しかし、逃げた奥の部屋で宇乃は騙した女に刺されて命を落す。呆然とするゆき。
 雪のふる道を歩く二人。いまだにゆきが持ち続けていた櫛を、居合で真っ二つに切る市。
春日太一『天才 勝新太郎』(文春新書、2010)より、191-192ページ
 
 上手くいく場合もあった。
 吉永小百合がゲストに来た時のこと。
 例によって、撮影間際になっても、勝は脚本でもめていた。
 「こんなもん、やってられるか!」
 ホテルフジタには毎晩のように、勝の怒声が鳴り響いていた。そうこうしているうちに、スケジュールは迫り、吉永が京都にやって来る。
 さすがに吉永を現場で長々と待たせたり、ボツ」にして途中で返すわけにはいかない。そう考えた勝は、台本なしで現場に臨み、全て即興演出で対応することにした。念のため、女優を演出することに長けている井上昭に頼み、監督補についてもらった。
 そして、勝は、松平健にしたように、その場で芝居のシチュエーションを作っては吉永に演じさせた。小鳥と戯れ、水を口移しで飲ませる吉永。懐かしい恋人との再会にときめく吉永。酒に酔いながら、哀しい過去を語る吉永。恋人の死に呆然とする吉永。その一つ一つの表情を、勝は1カットずつ丹念に、照明とカメラワークを駆使しながら撮りあげていく。
 「勝さん、凄い・・・・・」
 吉永の感嘆が、一段と勝を乗せた。
 こうして無事に吉永の出演シーンは撮り終える。その上で勝は、その画を活かすために後から話を作っていった。そして、結果的に一つの物語が見事にまとまってしまったという。

 ★第15話 「月の夜に女が泣いた」(脚本・新藤兼人,監督・勝新太郎) 1977年1月17日
   DVDでは、題名が『仕込杖が怒りに燃えた』となっていた 
真野響子 ●子分・寒天の清松(剣持伴紀)の美人の女房おしの(真野響子)に横恋慕のやくざ赤鯰の長八(草薙幸二郎)に、 陰険きわまる悪知恵が浮かんだ。 清松に市を切らせるのだ。とてもかなう相手ではない。清松は一刀のもとに切られた。 この世の名残に妻に一目会いたいと、断末魔の声をふりしぼる清松を背負い、 市は、おしのと息子・清吉(清水晴康・子役)の待つ家へ急いだ。
 長八の子分・辰文(今井健二)らが、おしのの家へ火をかける。 おしのや清吉が火を消そうとする。清吉がけなげだ。市は清吉を助けて火にまかれる。 気が付くとおしのの手当てを受けていた。おしのは離れた隠れ家に居て、長八の目を逃れる。 市は体の回復と共に手伝う。が、やがて隠れ家も発見され、市の留守におしのは強姦され、 背に刃を刺し込まれる。おしのは市の腕の中で息を引き取る。女が男に看取られたのだ。 「・・・市さん、抱いてください・・・」。そして市は仕込みをふるう。
 撮影・森田富士郎。庄屋の藤左衛門(田武健三)。
勝新監督作品として印象深い傑作。 寒さで湿地が凍りつく朝。霜をふみしだく足音、刺客が市を襲う。一瞬にして斬られる刺客たち。 そのなかに清松がいた。
 火をかけられて燃え上がる家、 その前で清吉を助ける市と、それを見て市を夫の仇と狙うことの誤りを一瞬で悟るおしの。 次第に市に心を寄せていくおしのの感情が、後れ毛をかき上げるとか、首筋をなでる等のさりげない仕草や、 「(市さん)ずっと(一緒にいてくれますか)・・・旅をなさるんですか?」といった短い言葉で表される。 市とおしのの会話をとらえる森田富士郎のカメラは微妙な動きを追う。
  おしのは息子の清吉を生まれ故郷の半田で漁師にしたいと考えている。 そして、市を半田に誘う。もし市を半田の人々が受けて入れてくれなかったら・・・ 「そのときは私が入れてあげます」。しかし、その想いも空しく、おしのは刺されて亡くなる。

★第21話 「契り髪」(脚本・中村努,監督・勝新太郎) 1977年2月28日
新座頭市 21話 ●女を食いものにするやくざ清次郎(峰岸徹=峰岸隆之介)の情婦となり、転落していくおよう(由美かおる)は投身自殺するところを市に助けられる。 ところが助けられても感謝するでもない。
 一緒に旅するうちに、おようは市に対して心を開いていく。 そして、染物をやっている儀兵衛(桑山正一)のところで堅気の働きの尊さを学んだりする。 しかし、追っ手がかかっていた。撮影・渡辺貢。
 初冬の雪がある浜辺。やくざたちが逃げた女を捜していた。 海に身投げしようとする女を市が助ける。その女、おようはすっかり世の中を捨てていた、しかし、 市のこの世には地獄が百あれば、いいところも百あるかも・・・という言葉で、もう一度生き直してみようと決心する。田舎の藍染め屋で働き始めたおようは市を兄と偽って同居させる。おようは市に仕込みから離れて生き直して欲しいと懇願する。おようの願いをいったんは聞き入れた市だったが、伝馬町の牢屋から清次郎が戻ってきて、手下とともにおようを追っていた。
 おようは清次郎に体を預ける代わりに 自分の命を助けてくれた市の命乞いをする。だが、座頭市の素性を知った清次郎が市を見逃すはずは無かった。 他の勝新演出作品同様、セリフがほとんど無いまま、話は進んでいく。

 『新・座頭市』のDVDボックスに原田芳雄が巻頭言を寄せている。この言葉がカツシン演出をよく物語っている。
“勝さんは、誰もやったことがない、誰も見たことがないものを探っていましたね。
 思い起こせば、当時映画界が大きく変わっていく時代で、世の中も、もの凄い勢いで回り始めていて、今までのものをぶち壊して、 新しいものはないかという探りがものすごくあった時代で・・。自分は、ちょうどその時分に映画人と仕事をやることになりました。
 黒木さんや宮川さんなど大映映画のスタッフには、すでにお世話になっていて、「竜馬暗殺」が1973年にATGで公開になり、それが縁で、勝さんから、「座頭市」に呼んでいただいた。
 勝さんから「常に時代劇の定形を壊していかなければいけない」という強い気持ちを感じていましたし、 勝さん本人が先頭を切ってやっていた。そういう自分も既存のものを何とかぶちこわしたいと思っていたので、お互いに、とてもスムーズだったですね。
 たとえば、座頭市撮影の朝、撮影所に入っても、カメラがなかなか回らない。通常では考えられないことなんだが、 「シナリオがあってもばきのごとくのやり方」という勝さんの手法というのは、僕の中では、全くもって違和感がなかった。
 さらに、勝さんいわく、「俺は、台本を食っちゃう。シナリオを食っちゃって、飲み込んで、歯糞が残っている、その程度にせりふを言うんだ。」とよく言ってました。
 だから、勝さんと会うと、「芳雄ちゃん、何しゃべる?」ということからじ始まるんですよ。
 勝さんは、「俺自身もわからないんだから」などと言いながら、古典的なカテゴリーを持ってて、しかも半分壊しつつ、また先に進む・・。まさに、先進的にものを考えていましたね。
 常に考えて、考えて、考えて、新しいことを考えていた勝新太郎。それは、最後の最後まで変わらなかったですね。”


若山富三郎 ★第27話 「旅人(たびにん)の詩」(脚本・中村努・奥村利夫,監督・勝新太郎) 1977年4月11日

●用事があってとぎれとぎれに見たので話がわからない。 「座頭市とスターたち」というビデオ・シリーズで見直して記しておく。(2004年)

 市は自分に斬りかかった者を斬り捨てた。その現場を目撃した克蔵こと大前田英五郎(若山富三郎)は市と共に旅をする。一方、英五郎の故郷ではやくざの親分(天津敏)が英五郎の父親代わりの六蔵を暗殺していた。葬儀の墓場で六蔵の仇を討つ英五郎は仇を一網打尽にして、名を上げる。新座頭市 27話
 市は行き倒れの女・お竹(佐藤オリエ)を救う。女は英五郎の恋人で、英五郎を追ってきたのだ。 しかし、疲労と病気で彼女は英五郎の腕の中で息を引き取ってしまう。
 隣り村を仕切る白銀の銀次(石橋蓮司)に挨拶に行った英五郎は、銀次があずかった十手をちらつかせるので、 兄弟分の盃を水に流す。博打うちが役人と兄弟というわけにはいかないからというのが、英五郎の理由だ。 もともと銀次は英五郎を目の上の瘤と思い、その動向を親分衆に密告していたのだ。
 義理の父と女を亡くして寂しさの漂う英五郎のため、お祭りのひょっとこ面をかぶり、踊ってみせる市。 二人が河原近くのお湯に入っているとき、銀次の手下が襲撃してくる。銀次の論理は、盃を返せばてめえは御用の筋だ、という訳だ。
 二人で彼らを斬り捨てたものの、空しさが残る。市は旅を続けるのだった。撮影・渡辺貢。

ON & OFF ザトウイチあれこれ  池田博明

  『新・座頭市』はほとんどの回を見ることが出来た。スタッフは『座頭市物語』とそれ程変化していない。企画の久保寺生郎・角谷優に荒井忠(フジテレビ)が加わり、プロデューサーに市古聖智が加わって三人(西岡・真田・市古)になったこと、音楽が村井邦彦に変わり、主題歌「不思議な夢」を石原裕次郎が歌っていることが主な変化である。殺陣は楠本栄一が指導。
  +    +     +
 『新・座頭市』のスタッフについては助監督だった南野梅雄の監督作品が3作あることが特記事項だろう。どれも佳作であった。
 勝新演出作品はどれも見事であった。ジンとしたのは真野響子主演の「月の夜に女が泣いた(仕込杖が怒りに燃えた)」が一番。由美かおる(「契り髪」)や吉永小百合(「雪の別れ路」)、池玲子(「赤城おろし」)などを私は好きではないが、勝新が撮ると実に人間味豊かになる。鮮やかである。
 『新・座頭市』の中のベストとして、黒木和雄演出「幽霊が市を招いた」を上げておこう。(最初に見たときの印象でしたが、再見してみると「幽霊が・・・」は演出者の意図が後退しており、 やや混乱しています。勝新監督の演出の方が卓越していました。公開当時に藤田真男氏が黒木和雄監督作品より勝新監督の作品のほうがずっとすぐれていると言っていましたが、その通りでした。)
 太田昭和が最も多く演出しているが、『痛快!河内山宗俊』「三途の川は空ッ風」を抜く作品はなかった。といっても、これはけなしているのではなく、それほど「三途の川は・・・」が異色ですぐれていたのである。最もコミカルだったのは、「鴉カアーと泣いて市が来た」で、私好みなのだが、詭弁的な面白さがあった。
 撮影者について、渡辺貢を低く評価したような記述をしたことがあったが、間違いであった。華麗ではないが、手堅い撮影だと判断した。牧浦地志と森田富士郎だけではないのだ。勝新監督で映画を撮らせる製作者はいないものか。
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 キャストでは石橋蓮司の多出演が目立った。チョイ役で彼より多く出演している人はいるだろうが、石橋蓮司は『座頭市物語』では私が見たうちの2本に出ていたし、『新・座頭市』にも3本は出演していた。
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 新聞記事に、『新・座頭市』では座頭市を無名の男にとあったが、これは最初の数回程度。他は話も半ばするとザトウイチという噂が広がるというのがほとんどであった。
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 四季の情景、自然の変化が毎回とらえられていた。
 しかし、納得いかない話もあった。例えば最終回「終わりなき旅路」。小池朝雄はなぜあのまま逃げきらなかったのか。子分たちが竹脇無我を斬ってしまった事を知った後で、逃げ続けるわけにもいかない、男の誇りを全うするために戻ってきたわけだが、それでは食あたりから助かったときのあの芋ガユのうまさ(生きることの実感)はどうなるのか。そうた易く自分の命を捨ててしまっていいものだろうか。小池朝雄には子分のところへなど戻らず、逃げ切って欲しかった。小池朝雄の旅(人生)も終わってしまい、竹脇無我の旅も終わってしまい、何が終わりなき旅路なんだ。終わりなき旅を続けるのが市ひとりとは、あんまりカッコ良すぎるじゃないか。たとえ、話は一丁あがりといかなくとも、小池は小池で、竹脇は竹脇で、市から見れば無意味な旅を続けていく方向へ話を持っていったほうが私には良かったと思える。
 将棋の「待った」「待たぬ」で喧嘩というのは伊藤大輔監督『下郎の首』の発端と同じで、私は傑作『下郎の首』を思い出しながら見てしまった。
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 MAO(藤田真男)の「血と汗と涙」を次に読んで下さい。      (1977年5月5日記)



     新・座頭市      第2シリーズ


           記録    池田博明


 毎週  月曜午後9時から9時55分。フジテレビ。
 企画・久保寺生朗・角谷優(フジテレビ)・荒井忠(フジテレビ)
   または久保寺生朗・湯沢保雄(フジテレビ)・久坂順一朗(フジテレビ)
 プロデューサー・西岡弘喜・真田正典・市古聖智
       (真田正典・市古聖智の二人の場合もあり)
 美術・太田誠一 技術・大角正夫 照明・風間博 
 音楽・村井邦彦  殺陣・楠本栄一 
 編集・谷口斗史夫
 現像・東洋現像所  原作・子母沢寛 

 TVの『新・座頭市』(第2シリーズ)は1978年の1月9日から1978年の5月22日まで放映された。
 『新・座頭市』(第2シリーズ)19話のうち勝新演出作品は「天保元年駕籠戦争」「歌声が市を斬った」「遠い昔の日に」「冬の海」の4本。
 これら勝新作品は傑作だが、他にも黒田義之監督の「忠治を売った女」や井上昭監督「女の鈴が哭いた」が傑作。

 このシリーズは放映当時は見ていませんでした。以下の解説の黒字部分はDVDに同封されたパンフレットの文。茶色の文字はDVDを見ての記録。

2007年6月27日、とうとうDVD化されて発売!
 勝新初監督作品だった『顔役』のテーマ音楽(村井邦彦)が使われている回があります。

 フジテレビ系 制作:勝プロダクション、フジテレビジョン 
 音楽:村井邦彦 
 演奏:日高富明&ファイヤー
 主題歌「座頭市子守唄」(作詞:いわせひろし、作曲:曽根幸明、歌:勝新太郎)  
 ★第3話「天保元年駕籠戦争」(脚本・尾中洋一、勝新太郎監督)  1978年1月23日 
根津甚八 街道筋では、駕籠屋同士が大喧嘩。市は甚公(根津甚八)に助けられたのが縁で、甚公駕籠屋に肩入れする。
 それを邪魔する丸源一家は、街道中のやくざを集め、罠を仕掛けた。
撮影は牧浦地志。
 通常の回のタイトルバックは本篇のダイジェストなのだが、今回は茶屋に集まる丸源一家の駕籠かきたちの前に甚公と八公の駕籠がやってきて大喧嘩になる場面であった。 丸源一家のなかでも清吉(風間杜夫)だけはこの喧嘩に加わらず悩んでいる様子。
 市は喉が渇いて道端で倒れたところを甚公の駕籠に拾ってもらった。甚(根津甚八)は代々続いた駕籠屋。 しかし、いまや駕籠かきは甚と八の二人だけになっていた。甚の妹おりん(栗田ひろみ)は丸源一家に寝返った清吉と恋仲で赤ん坊も宿していた。
 八が丸源一家に拉致され、リンチを受ける。用心棒(十貫寺梅軒)から刀で刺され、八は瀕死の状態で甚の許へ。「俺は(清吉と違って)寝返らなかったぜ」とこときれる。 怒った甚は出刃包丁を取り出し、敵討ちに行こうとする。市が止める。
 丸源(梅津栄)は街道筋の駕籠はすべて自分たちの支配下になったと息巻いている。そこへ市が先棒、甚が後棒の駕籠が来る。 丸源が油断をしているうちに市は丸源の駕籠の心棒を次々に斬っていた。
 清吉は夜中におりんに会いに来る。この土地がイヤになった清吉はおりんを誘って逃げようというのだ。 夜逃げしようとした清吉とおりんは、途中で丸源の仲間に捕縛されて人質になり、西の河原で市と交換という条件が出される。
 決闘のときが来た。市だけでなく、甚も清吉も丸源一家と大喧嘩。
 ■夜の室内のような暗い場面が多い。おりんが妊娠している様子はおりんの登場時から示唆されるが、分るのは後半になってから。

★第5話「歌声が市を斬った」(脚本・新藤兼人、勝新太郎監督)  1978年2月6日
中野良子  市から財布をすった泥棒(川谷拓三)は、その金で市を誘って大判振る舞い。しかし、隣の部屋では殺し合いが始まってしまう。
 市と泥棒は残された娘(中野良子)と一緒に、三味線片手に旅を始める。
▼撮影は牧浦地志。
 網笠の破れ目から市が見える。浪人(待田京介)は金ほしさに斬る相手を捜していた。市は杖で円を描き、その中が自分の城だ、中に入ったものは斬ると宣言する。 浪人は仕掛けるが着物を斬られて、動けなくなる。市は銭を与える。
 渡し舟のなかで瓜の皮むきを見せている女がいた。その妙技に見とれている間に男(川谷拓三)は市の財布をスリ取ってしまう。
 宿場でスリ男は市に再会する。財布をスラれて弱っているという市に男は宿で酒を振舞う。隣の部屋では借金のかたに娘を抱かせろと母親に迫っているやくざ(蟹江敬三)がいた。母親はあたしでよかったらと言うが、やくざは承知しない。娘に手を出そうとすると母親がやくざを刺した。やくざは母親をドスで斬りつけ、二人は死んでしまう。
 残された娘・お菊の歌に合わせて三味線を弾く市。お菊と市と泥棒は三人で門つけをする。しかし土地のカワウソの親分に呼ばれたのはお菊だけだった。お菊が手篭めにされようとしたとき、市が現われてお菊を救出する。
 お菊は「こんなに親切にされたことは無かった」とうれし泣き。泥棒は三人で暮らそうと思いを語るが、市は無言だ。翌朝、お菊の姿は見えなかった。泥棒は市にスリを止めて真人間になる、なれたら再会したとき声をかけると約束して別れる。
 お菊は借金の相手、僧侶でもある亀屋(北村和夫)のもとへ出向いていた。借金のかたに自分の身を差し出したのだ。お菊は亀屋の座敷牢で言うことを聞かない女がなぶり殺しにされるのを見た。亀屋の裏の顔は極悪人だった。
 伊勢屋が金をもって女たちを買い付けに来た。伊勢屋は途中で歌の上手な芸人と出会ったと言う。市だった。
 お菊は市の傍へ駆け寄る。市は「やはりここだったか・・・目をつぶっていなさい」。
 市は亀屋一派を斬り、女たちを解放する。あの浪人者も亀屋の用心棒で雇われていた。今度は位置の仕込みが容赦しなかった。
 解放されたお菊。去る市とすれ違った馬車を引く馬子はあの泥棒だった。しかし、彼はまだ市に声をかけなかった。
■勝新が自分で三味線の腕前を披露する。刀で斬られた三味線をつなげて弾く場面がある。

        春日太一『天才 勝新太郎』(文春新書、2010)より、

 勝は最高の作品を作るため、スタッフの一人一人に最高の状況を揃えた。そして、スタッフたちもその信頼に応えた。
  ---- いいものをつくろう!
 純粋にそれだけを追い求めることのできる現場には、邪な心はどこにもなかった。徹夜の撮影をすれば事務所でみんなで雑魚寝をする。翌日が休みの時は、ロケバスを借り切ってみんなで祇園に飲みに行く。その一体感は、まさに「勝新太郎一家」だった。
 こうした勝プロのチームワークは、その周囲の人間をもと魅了していく。ゲストで出演した中野良子もその一人。中野は、勝をr中心としたスタッフたちと現場を過ごすことが楽しくてしかたなかった。そして撮影最終日、どうsても離れ難い気持を抱いてしまい、所属事務所の社長・三船敏郎に直訴する。
 「私も、みなさんと一緒に働きたい! 勝プロの助監督にさせてください!」
 特別扱いされ、輪から離れたところで、ただ見ているのがもったいない。スタッフとして、仲間に入りたい。「家族」のような温かさと、「最高の現場」で働くことのできる充実した表情の数々。女優に「共に汗をかきたい」と惚れこませる現場がそこにあった。(三船はあまりに意外な訴えに困惑。マネージャーに命じて強引に中野を東京へ連れ帰らせている)

        新藤兼人『弔辞』(岩波新書,1988)より

 モスクワから帰って、またテレビの座頭市を書いてくれということで『歌声が市を斬った』を書いた。このときも勝監督には会わないでプロデューサーに渡した。
 ところが、勝監督がシナリオの打ち合わせをしたいからきてくれという連絡。打ち合わせをしたいといわれれば行かなければならない。京都へ出かけた。駅に迎えが待ちうけていてホテルへ案内される。打ち合わせは明日撮影初日に行いたいとオーナーがいわれますから、明朝八時に迎えにまいります、どうか今夜はごゆっくりと事務所の人は帰った。
 明日から撮影というのに、えらい悠長なことだな、今夜打ち合わせをしたらええのに、と思ったが、わたしの思うままにはならない。
 翌朝八時に迎えが来た。車は太秦へはいって元京都大映に向かう。はて、大映は潰れたはずじゃが、と思っていると車は正門から中へ入る。
 所内は無気味なほど閑散としていて無人、奥の突き当りのところで車は停まった。どうやら勝プロダクションは旧大映の中に事務所を構えているらしい。
 二階の製作部に案内されてはいると、そこらの人が一斉に仕事をやめ、わたしを目で迎えおじぎをした。そこへやおら現れる勝新太郎。
 「センセイ、遠いところをわざわざ」と気味が悪いほど丁寧な挨拶。わたしは落ちつかなくてソファへ浅く腰をかける。雰囲気が『悪名』の朝吉親分の家へでも行った具合なのだ。
 勝が、ぐいとアゴをしゃくると製作部の若いもんがわたしの前の卓へさっと将棋盤をおいた。
 「センセイ、将棋がお強いとききましたが」
 「いや、ほんのヘタのヨコズキで」
 「一番、お願いします」
と勝が座ってもう駒を並べる。
 これから撮影へ出発というところだったらしく、製作部のものはムリに落ち着いた顔で見守っている。
 シナリオの打ち合わせはいつはじまるのかと思いながら、わたしは平凡にヤグラに組んだがたちまち負けてしまった。猛烈な攻め将棋だ、ぐんぐん攻めてくる。つづけて負けた。
 「センセイ、アメねぶらしたらあきまへんでェ」
 三番目はどうやら勝った。わたしがアメをねぶらされたのかもしれない。
 製作部がたまりかねて、「オーナー、出発の時間がすぎてますが」とおそるおそるそばからいうと、勝監督、やおら腰をあげ、
 「センセイ、ロケにつきおうとくれやす」
となり、わたしはロケに同行することになった。それにしてもシナリオの打ち合わせが気になっているのだが、一向にシナリオのシの字もきりだす気配がない。
 バスとトラックと乗用車でロケ隊は出発。わたしは勝の運転する車に同乗。
 到着したところは、嵐山に近い竹藪のほとり。そこにムシロばりの賭場の表のオープンセットが組んである。ここで撮影するらしい。先発のライトマンや大道具が群がって仕上げを急いでいる。
 勝はそれを見てアゴをしゃくった。付き添いの若いもんがタテ長の高さ三尺ばかりの四角い木箱を持ってきた。いつも持ち歩いているらしい。先端の平面が重箱ぐらいの広さ。
 別の若いもんがその上に将棋盤を置いた。
 で、勝はわたしに目をやり、
 「センセイ、どうぞ」
ともう駒を並べはじめる。
 わたしは狼狽した。すぐそばではスタッフが準備に忙殺されている。そのそばでいくらなんでも将棋とは。
 「センセイ、仇討ちです」
という。
 わたしは度胸をきめて相手になる。立ったままの将棋だ。
 一局すむ頃を見計って、製作主任らしいのが、
 「オーナー、準備ができました」
 「そうか」と勝はわたしに「あとで落ち着いて一番願います」
と離れた。
 草っ原の上にゴザを敷き、座頭市に化ける一切のものが並べてある。
 着物、帯、越中ふんどし、脚絆、ゾーリ、仕込み杖。
 勝がぱっと丸首のセーターとズボンをぬいでパンツ一つになり、両手を広げて大の字になって立つ。
 すると衣裳係や小道具などが群がり、まず越中ふんどしをつけ、着物の袖を通させ、帯を結び、脚絆をつけ、最後に仕込み杖を渡す。約三分間で座頭市ができあがる。これはおどろいた。回転を落として撮ったむかしの映画のようだ。
 頭はいつものいがぐり頭。メーキャップはしない、素顔がメーキャップになっている。
 勝が、
 「カメラ、ここ」
と指定する。
 カメラマンがいつものことで慣れているとみえ、さっとポジションを決める。
 「オレが右手から現れる。カメラ、オレにつける、ズームでオレのバスト、オレが賭場へはいって行く」
 一同、うなづく。テストを一度やって本番。撮影はこれだけ。中は撮影所へ帰ってセットでやるらしい。
 製作主任が叫ぶ。
 「広沢の池へ移動。中食は現場へついて」
 スタッフはそのように動く。実にみな機敏だ。よく訓練されている。
 わたしは勝の車で移動。ところが勝の車は広沢の池へ向かわないで嵐山に向かう。小ぎれいな料亭の前に「着く。
 勝はわたしを促して下り、わが家のごとくずんずんはいってゆく。仲居さんがしとやかに迎える。
 勝手知ったる座敷へ通る。
 「センセイ、午めししまほう」
と上座にわたしを座らせる。もうわたしは度胸をきめている。午めしを食べながらシナリオの話が出るのだろう。
 美しい初老の女主人が現われ、ながれるようになめらかな京都弁でお世辞を言い、「ごゆっくりどうぞ」と去る。
 と入れちがいに料理が運ばれてくる。何もかも電話で連絡がとってあるらしく、撮影のようにテンポよく進む。
 中食だからかんたんなものだが、手のこんだもんで、日ごろうまいものを食っていないシナリオライターには法外なご馳走だ。
 食べながら、シナリオの話が出るかと思ったが、出ない。わたしからシナリオにどこか欠陥でもありますかとは、死んでも口に出すわけにはいかないので、黙っていると、勝のほうからも出ない。
 食事が終わった。
 「時間をくってしまったな。センセイ、現場へつきおうてください」
 で、料亭を出て、広沢の池へ向かう。車で二十分のところだ。スタッフは中食を了えて休憩している。ここは映画やテレビがしばしばロケをするところで、わたしもここで『愛妻物語』のロケをしたことがある。桜の名所でもある。
 勝が車から下りると、製作主任と助監督が寄ってくる。あまり近づかない。一定の距離を保っている。
 勝が空を見上げた。
 曇ってきた。
 「中止」
とオーナーの一言。
 製作主任と助監督は駆け去る。たちまちスタッフがざわめき、バス、トラックが撮影所へ向かって動き出す。どうやらきょうの撮影はおわりらしい。
 たいていのテレビ映画は、曇ったら曇った方法でやる。余裕のある撮影だな、と勝の顔を見ると、
 「センセイ、今夜は食事をつきあってください」
 「一晩泊りの予定できたんですが」
 「そうですか、もう松茸が出てるんですが」
と製作主任をかえりみた。
 「センセイを駅へお送りしろ」
はい、と製作主任は他の車をさし、
 「センセイ、こちらへどうぞ」
 対応が実にすばやい。
 わたしは、勝に、
 「じゃあ、どうも」
と言った。
 「ご苦労さんでした」
と丁寧に勝。
 わたしはこうして京都駅へ運ばれた。遂にシナリオの話は出なかった。わたしはなぜ京都へへ呼ばれたのだろう。シナリオの打ち合わせをしたいということだったのだ。将棋を四番やるためにきたのか。
 わたしはシナリオの打ち合わせもさることながら、勝の監督ぶりを見たかった。

★第7話「遠い昔の日に」(脚本・中村努、勝新太郎監督)    1978年2月20日
李礼仙  突然、村の寺子屋が盗賊に狙われ、子供達が人質になった。市に怨みをもつ盗賊の頭(石橋蓮司)は座頭市を殺せと村人に脅しをかける。
 善良な村人たちも次第に凶悪な気持に変わっていく。
▼撮影は森田富士郎。
 冒頭にタイトル「遠い昔の日に」が出る。霧のなか、少年の市に少女が紫色の花を渡す。市「帰って来る。偉くなって」、少女「きっとね、待ってる」。霧のなかに消えていく少年。
 歩んでくる男がいる。壮年の市である。とおりがかった村人にたずねる。「この辺りに上州屋という染物屋さんがあったはず・・・」、農民「十数年前につぶれちまった。家族もどうしたか・・・」。
 盗賊の頭(石橋蓮司)の妻(李礼仙)は乳飲み児を抱いているが、頭は自分の子供も邪魔にしているようだ。宿場で妻は市に接触する。しかし、市が紫色の菊の花を大切にしているのを見て、妻は昔のことを想い出す。市を殺す手伝いなど出来ない。市は赤児の名前「きく」を聞く。翌朝、市が宿を出ようとすると既に女は発っていた。
 待ち伏せする賊に女は市を見失ったと報告する。ほどなく市が現われるが、斬りつけた賊二人は田んぼのなかで斬られてしまう。
 相馬の町で幼馴染の留(草野大悟)に会った市は、酒を酌み交わして旧交を暖める。市は上州屋の娘が嫁入りを嫌って自分の頬に焼きゴテを当てたと聞く。寺子屋の鐘が不吉に鳴り響く。寺子屋の師匠とその奥さん、子供達が賊に人質に取られたのだ。賊は市を探し出せと命じてくる。
 市は寺子屋へ行こうとするが、留は止める。村人は子供たちのためにはやむを得ないという気持ちになってくる。
 賊の投げ文はさらにエスカレートし、「市をなぐり殺せ」という。一方、寺子屋のなかでは逃げ出そうとした子供が殴られたり、妻を守ろうとした師匠が殺されたりしていた。非道な頭目を妻は「市が怖いんだろう」と非難する。
 農民と一緒に市が寺子屋へやって来る。頭は「お前たちでなぐり殺せ」と命じる。
 村人達は市を棒で殴る。倒れた市を見て頭は子供達を解放するフリをする。もう少しで子供達が親元へというとき、頭は子供を押し留め、「ひとり十両出せ」と言う。農民達にはそんな金は無い。
 倒れている市にとどめを刺そうとした頭目のわき腹にドスを付きたてた賊がいた。頭目の妻であった。信じられない様子で妻を斬り、ひるんだ賊とその一味を市は一瞬の間に斬る。
 村人たちは市に謝罪する。市は村人に賊の妻の赤児を育ててくれるように頼む。村人たちから俺が俺がという声があがる。昨年流行病で妻を亡くしていた留が「お前たちには子供がいるじゃないか。これは俺と市ちゃんの子供だ。俺が育てる」と言う。瀕死の盗賊の妻の目に涙が光っていた。

★第10話「冬の海」(脚本・勝新太郎・中村努、勝新太郎監督)  1978年3月13日
  たけだけしい冬の海。
 市は絵を描くことが好きな少女と出会い、人里離れた海辺の小屋に、少女と共に住みつく。 そこへ、市を探すやくざの群れが、その小屋を取り囲む。
▼撮影・牧浦地志。音楽は通常の回の村井邦彦ではなく、 青山八郎とクレジットされる。ラスト・クレジットのスタッフ名も小さく出て、独立した作品を意識して作られた1本だろう。
 市を襲う男たち、斬られたなかに少年がいた。その少年(谷崎弘一)を養生所へ連れていき、やくざ稼業から足を洗うように告げて金を渡す市。
 こもをかけた馬車が野道を行く。ひとりの少女が乗り込んでくる。コモのなかに市がいた。市がほおばるおにぎりを見つめる少女。 市はその気配に気がつき、おにぎりをひとつ渡す。嬉しそうに両手で抱えて食べる少女。突然馬車が坂道を転げ落ちる。市を狙った男達が斬りかかってくる。仕込をふるう市。その姿を見ていた少女は市の後をついて来る。
土地の親分(内田朝雄)は不甲斐ない手下どもに勘当を言い渡し、市の首を狙わせる。
 一方、少女は「天」と名乗る。市「天女さまだ・・・」。天は下駄を2枚合わせて風景を切り取り、絵を描く。
冬の荒れた海辺の小屋。市「夕焼けがきれいだね・・・」、天「見えるの?」、市「いや、そんな気がして・・・」、美しい夕焼けが小屋のむしろの間からのぞく。
 天「市さん、夢を見る? ねてる時は目明きの人と同じ・・・」。
 やくざ稼業から足を洗うように諭した少年・銀太が小屋にたずねてくる。市と少女の二人だけの世界に少年が加わった。海を見て涙をためる少女。
 銀太「あんた。養生所から逃げ出したひとだろ? みんなが探していた。 ひと月しか命がないんだって?」
 天「市さんには黙っていて。約束して」
 漁師たちが博打をしている。市がいる。市は博打に加わらず按摩稼業に精を出している。
  稼ぎを持って市が小屋に帰って来る。出迎える天。二人はまるで夫婦のようだ。
 天「市さん、あたしの顔を描いて。さわってみれば描けるでしょ」。市が描いた天の似顔絵。いたずら心を出した天の前歯は出っ歯に描かれている。そっくりだと笑う天と銀太。
  銀太は市に男どうし一緒に暮らそうと提案する。それを聞いた天は突然、「さよなら」と告げて小屋の外へ。小屋の外へ立つ天に市は「忘れ物だよ」と画帖を渡す。
 漁師町の神社の祭りの夜である。市と銀太は天を探している。天は隠れんぼをしている。銀太が市に「天の命はあと一月もない」ことを話す。 市は「天ちゃんに言っちゃだめだぞ」。二人の前に姿を現す天、突然倒れる。
 次第に顔色が悪くなり、死期が迫ってくる天。最後の絵を描こうとしている。飛ぶ鳳凰を描く。「裸が描きたいの」と呟く。 銀太がふんどし一丁の裸になるが、天は画板につっぷしたままだ。天が描きたいのは市の体なのだ。
 市が半裸になり、天は描く。銀太はいたたまれなくなり、町へ魚を買いに出るが、途中でやくざに会い、なぶり殺しにされてしまう。
 最後の力をふりしぼって天は描く。「蓮の葉の上にいるの・・・光る杖持って」。やくざが小屋を取り壊して斬り込んでくる。浜辺で市は仕込をふるう。
 亡くなった天を船に載せ、冬の海へ送り出す。じっと冬の海を見つめる市。
■脚本家の中村努の、『座頭市全集』DVDボックス巻之一の「聞書座頭市」での証言:“なんにもなしで始まって素晴らしいものが出来たことがある。原田美枝子さん主演の『冬の海』がそれで、オールラッシュを見て、こんな傑作になってしまい、ホンヤとしてどう書いたらいいかと聞いたことがある。すると勝さんは「市、少女、海」と3行書けと答えてにっこりしました。
 女優・原田美枝子の話では、台本は捨てて、心で演技をと教えられたと言う。次の第3シリーズ中の、原田美枝子出演の「不思議な旅」もとんでもない傑作!。おそらく勝新は原田の天性に他の役者には無い可能性を見出していたのだと思う。原田美枝子を撮影したカメラマン・勝新の写真集もあるぐらいだ。絶版だが古書店に稀に出る。
原田美枝子写真集
週刊プレイボーイ特別編集  写真集 勝VS美枝子 定価1000円  昭和55年3月25日 集英社





          新・座頭市      第3シリーズ   

    
 毎週  月曜午後8時から8時54分。フジテレビ。
 企画・久保寺生朗・湯川保雄   
 プロデューサー・真田正典・市古聖智
 美術・太田誠一 技術・大角正夫  編集/谷口登志夫
 照明・風間博 音楽・村井邦彦  
 殺陣・楠本栄一 
 現像・東洋現像所  原作・子母沢寛 
 TVの『新・座頭市』(第3シリーズ)は1979年の4月16日から1979年の11月19日まで全26話放映された。
  (企画・プロデューサーは上記と異なる場合がある)

  2007年9月17日、とうとうDVD化されて発売!
音楽:村井邦彦、冨田勲、喜太郎「天界」より(第23話)
他に特にクレジットはありませんが第4話で青山八郎(映画「無宿」使用曲)などの流用もあり

主題歌「座頭市子守唄」(作詞:いわせひろし、作・編曲:曽根幸明、歌:勝新太郎)
挿入歌「カラスの子守唄」(作詞:藤田まさと、作・編曲:曽根幸明、歌:勝新太郎)


★第4話「あした斬る」(脚本・中岡京平、勝新太郎監督)
郷ひろみ、本田博太郎、桂木梨江、飯島洋美  1979年5月14日放映。撮影は牧浦地志。
脱藩したニヒルな剣士・五九郎(郷ひろみ)と市は湯治場で知り合った。士に人を斬って欲しいという依頼をする。その相手は市だった。いよいよ決闘することになり、二つの影が重なり、市は倒れる。
▼市は人形を抱いた少女(飯島洋美)に抱き上げてくれと頼まれる。木に縄をかけて首を吊ろうとしていたのだ。 助けた少女を連れて行く市。なぜ少女が自殺しようとしたかは明かされない。断片的な話からすると、女中にかしづかれているような高貴な少女らしいのだが。
 脱藩して藩の刺客に狙われる剣士・五九郎(郷ひろみ)と市は湯治場で知り合った。
市を狙う鬼面一家の代貸(本田博太郎)は女(桂木梨江)連れだった。鬼面一家の親分(金子研三)は剣士に市を斬って欲しいという依頼をする。親分は威張り散らしていて、自分は臆病なくせに子分を弱気だと殴るような最低の人物である。
 剣士は釣りをしていた市と話しを付け、一家には「あした斬る」と約束する。川で決闘し、市は倒れる。川を流されていく市。芝居だった。
 剣士は礼金の三百両の半分を市に渡していた。市が生きていることに気付いた親分は怒る。少女を誘拐して市をおびき出す鬼面一家。 剣士が登場、「自分が斬る」と言う。決闘して、二人が倒れる。相打ちか。親分たちが近づくと市と剣士は起き上がり、一家を切り捨てる。 最後に代貸しも市に斬られるが、傷は浅い。女が命請いに入る。剣士と市は戦わない。
 去っていく少女と市。少女の正体は最後まで明かされない。
 勝新の良さがあまり出ていない作品。郷ひろみのようなハンサムなアイドルや、子供を出演させると焦点がボケてしまい、集中を欠いて失敗してしまうという例だろうか。

★第6話「糸ぐるま」(脚本・勝新太郎・山田隆之、勝新太郎監督)
緒形拳、倍賞美津子、秋山勝俊、北見治一 1979年5月28日放映。 撮影は渡辺貢。
▼上納金を作るため、村の娘・おヨネ(倍賞美津子)が売られていく。 村長(高原駿雄)が村人に払ったお金を、村人を斬り捨てて横取り、 さらには村長も殺してしまった 悪党たちは許しちゃならねえと市は仕込をふるった。 市は悪党の頭領(緒方拳)の右足を切り落とした。
 その後、市は宿場で遊女・おヨネと再会する。娘は亭主持ちだった。 その亭主はあの悪党の頭領だった。足を洗って堅気の風呂焚きになっていた。 おヨネとは薬売りをしていたときに出会ったのだと言う。市と再会した頭領は市に礼を言うほどだった。 男はわがままな客に殴られるが、片足を失った不自由な身では耐えるしかなかった。
 「俺、草鞋をはこうと思うんだ」と男は女に告白する。女「あきたの?」、 男「・・・(そんなわけないじゃないか)・・・」。 しかし、昔の悪党仲間(秋山勝俊)が十手持ちになって男を訪ねて来る。 男の首には五十両の賞金がかけられていたのだ。捕縛されて囚人駕籠に乗せられていく男。茫然自失する女。
 役人たちの行く道の途中に市が待っていた。 市は「やくざが役人と一緒になっちゃいけねえ」と男を救出する。女は戻って来た男と固く抱きあう。
 倍賞美津子は第16話にも登場。
春日太一『天才 勝新太郎』(文春新書、2010)より 195-196ページ
 
 緒形と倍賞がゲストで来た時のこと。その夜は撮影所に見学に来ていた大親分の招きで、勝・緒形・倍賞の三人は祇園で飲むことになった。飲みながら興の乗って来た三人は、その場で即興の芝居を始めてしまう。最初はそれを親分も楽しそうに見ていたが、やがて三人は延々と芝居を続け、親分は完全に置いてきぼりに。気づけば、翌日に撮る芝居がその場で全て出来上がっていた。
 撮影が長引き、緒形が何時間も待たされることもあった。
 「今回は何日かかっても終りそうにありませんよ」
 すまなそうに語りかけてくる真田に、緒形は笑顔で返す。
 「ご安心ください。今回は来週一杯空けてありますから」
 彼ら役者たちもまた、「勝一家」の一員になっていた。

 第3シリーズ「新・座頭市」のブックレット巻頭に田中徳三監督が寄稿している。
 *************
 ある作品の撮影の初日、セットでの会話。
 勝「どうもこの脚本は面白くねえな?」
 私「・・・」
 勝「こんなファーストシーンはどうや」
 ここで、勝新太郎の、脚本とは全然別の物語が始まる。これが中々面白い。監督の私もつい乗ってしまう。
 勝「責任は俺が持つ」勝新節がつづく。
 勝新太郎は、勝プロのオーナーであり、社長である。そして座頭市の主役であり、誰よりも座頭市を知っており、座頭市を愛している男である。
 「これはオーナー命令である」 この一言には誰も逆らえない。
 勝「ここまではこれでいける、このあとは・・」
 毎日撮影は科白をつくり、シーンをその場で考え進行する。
 クランクアップの前の日。
 勝「どうやらこれでまとまったナ」
 そこには勝新太郎よりオーナーの顔があった。
 最初の脚本から残ったのは、題名とキャストの名前だけであった。
 そしてこの作品は完成した。私にとって不思議な体験である。
 こんなことは二度とやりたくない。
 脚本家にも失礼だし、私自身とまどいながら撮影していた。
  +++++++++++++++++++++++++++++++
 撮影の現場がよく分る監督の言葉である。勝新のワンマンぶりが目に見えるようだ。 芸術作品というのは恐ろしい。ひとりよがりで作った作品でも、天才の作品なら傑作だからである。

★第21話・第22話 「渡世人の詩」(脚本・中村努・奥村利夫,監督・勝新太郎)  1979年10月15日・22日
森繁久弥 ▼これら3作の勝新監督・牧浦地志撮影作品は、途方もない傑作である。脚本に勝自身(=奥村利夫)が加わっている。 どれも実験的な作品である。 あら筋を語ることには、ほとんど意味が無い。ビデオで見た(2004年)。撮影・牧浦地志。
 冬の河原。森繁の顔のアップ。雑木林にたたずむ森繁。小鮒が釣れるが逃がしてやる。市と出会う。
 10年ぶりの再会だという。森繁は昔、市に斬りかかったことのある利助である。今は黒磯一家の客分だ。 市は銚子の貸元からこの利根の藤城一家を紹介されてやってきたのだと言う。明日は朝市のたつ“いち”の日である。
 利助は「藤城一家は評判がいい。清吉という若いもんに目をかけてみてくれ」と言う。 さて、藤城の親分は小池朝雄だから、口では「争いごとは好きではない」と立派なことを言っているが、どうも裏がありそうな感じがするのは否めない。
 清吉(根津甚八)に藤城は「喧嘩をするんじゃないぞ」と念押しをしている。朝市を荒らす理不尽な黒磯の二代目喜三郎(船戸順)。藤城の賭場に顔を出して手形の紙一枚で金を無心するような無礼をはたらく。その夜、屋台でソバを食べたあと、別れた弟分の秀次が翌朝、斬られて川に浮かんでいた。
 ヒデを弔う清吉とヒデの妻子。市と利助が弔いに来る。黒磯の客分である利助の線香代を断る清吉。しかし、市が「これは利助さん自身の気持だから」と諭して受け取らせる。
 怒りが収まらない清吉は親分に返盃を申し出る。縁を切って黒磯を成敗しようという腹なのだ。 最初から清吉を怒らせる計画だった藤城はほくそ笑む。足の爪を切りながら話をする藤城のいやらしさがよく出ている。
 黒磯一家の喜三郎に利助の口ききで会った市は、キセル管の口を居合で斬って、藤城の縄張りに手を出さないように忠告する。 しかし、黒磯は手下を仕向けてきた。一瞬のうちに五人を切り倒す市であった。(前篇)
 既に黒磯の手下が斬られたという噂は伝わっていた。藤城は「清吉がやったのかな・・・」と表向きは言っているが、実際に市がやったことを知っていて、 わらじを吐くという市に十両ものわらじ銭を渡す。その金をヒデの弔い賃にと清吉に託す市。屋台で酒をくみかわしながら、利助はホトトギスの話をする。 代理親のウグイスがひなのホトトギスを殺してしまうこともあるんだろうねと利助。表には直接出て来ないが、清吉は利助の子供で、藤城は養父ということではないかと推測される。 利助は市の求めに応じて「ボウフラの唄」を歌う。“ボウフラが人を刺すような蚊になるまでは、泥水のみのみ、浮き沈み”。藤城親分がヒデの葬儀を出す。 思ったより香典の見入りが多く、喜ぶ藤城。清吉の姿を見つけ、藤城は「縁を切ったお前に、(香典の一部をヒデの女房に渡してくれなどと)意見される筋合いはない」と言い、 わらじ銭として五両を投げつける。縁を切った無宿者に居所は無いのだ。渡世人への風の冷たさが身にしみる。
 一方、黒磯一家は喧嘩の支度をして向っていた。利助からの文を市が清吉に渡す、そこには河原で「八つ半に」と書かれていた。黒磯一家を斬る清吉と座頭市。 一方、無駄飯くらいの老いぼれと黒磯に批難された利助は旅支度をして、葬儀場におもむき、藤城を一刀のもとに斬った。
 修羅場を切り抜けた二人の前にひとりの渡世人が現われ、通りすぎるさまに、斬りかかり、市の居合いに倒れる。利助だった。 利助は「市のお蔭で長生きできた。市に斬られて本望だ。落ち葉は風をうらまねえよ」と言う。清吉は「利助さんから渡世の生き方を教わった」と言う。 市は清吉にそう言われて利助も喜んでいると答える。
★第23話 「不思議な旅」(脚本・星川清司・奥村利夫,監督・勝新太郎)  1979年10月29日放送
原田美枝子 ビデオで見た(2004年)。他となんの関連もない突然変異的な作品である。原田美枝子主演作品は『警視-K』もそうであったが、ほとんどアドリブで作られている。
 原田美枝子、 勝村淳、藤田駿、小林昭二、山口奈美。撮影・牧浦地志。
 企画は久保寺生郎・湯沢保雄(フジテレビ)。
 雪の日、死体の腕が雪から突き出ている。遠景に乞食女が見えてくる。タイトルが出る。
 女乞食として登場した少女(原田)はアバラ家に住む一人住まいの安寿と名乗ったり,宿場の廓で市を肩もみに雇う女になったり。  三種三様の声色と扮装と表情の変化を表す。
 次第に少女は自殺した隣村の女郎うめの娘であるらしいことが分かる。少女はうめの父親が「いち」だったと話し,「いち」と縫い取りのある財布を渡す。 少女は市の娘か?
 実際にはこれは少女の作り話であることが推察される。
 少女は因縁話をして、母親の復讐に市を雇ったのだ。
 こんなふうに物語の説明があるわけではない。こういった理解は視聴者の方で創り上げるものとなっている。それと知りつつ,市は宿場の廓をしきる非道な親分衆を斬り捨てる。とんでもない傑作!



【付記2000年/2007年】  TV版『座頭市物語』と『新・座頭市』は全作ビデオが発売されたことがある(全作ではないかも・・・)。しかし、現在は販売されていない。その後、数本が俳優中心でセット販売された。映画版の勝新監督作品『新座頭市物語・折れた杖』も1998年にようやくビデオで発売された。しかし、勝新監督の最初の傑作映画『顔役』はまだビデオ化されていない。TVシリーズ『警視−K』は1998年にVAPからビデオ化されて発売された。(池田追記、2000年)。『警視-K』ビデオはいまや品切れ絶版。2007年1月、とうとうTVシリーズの全作品100話の発売が始まった。まずは第1シリーズ26話『座頭市物語』が発売となった。
【付記2009年】集英社新書『時代劇は死なず!』(春日太一著,2008年)の第二章は70ページにわたって、「大映・勝プロの葛藤」と題して、大映の技術スタッフの優秀さと勝新太郎と勝プロの苦闘を描きだしている。これほど真面目に書かれたテレビ版『座頭市』論はかつて無かった。なんども感動して、読む手が止まった。
 勝新太郎自身が監督した作品を手放しで持ち上げているわけではない。コストを無視した作品作りや、脚本を否定して内面に向かう孤独な作家、勝の姿を存分に伝えている。そして、「勝新太郎がわが身を削って実現させた<最高の仕事>が、<世界最高峰>の技術の拡散を防ぎ、いまに伝える礎となったのである」としめくくる。これほど評価されれば、天国の勝新も本望であろう。全篇引用したいところだが、それは著者と版元に失礼だろう。ぜひ買って読むべし。

 春日太一は『天才 勝新太郎』(文春新書、2010)で映像作家・勝新を本格的に論じた。傑作!

    田中徳三監督のことば  勝新演出とは

 勝ちゃんがテレビで自分で監督やって「座頭市」とか撮りだしたころですが、勝ちゃんは、出て来る俳優に全部芝居をつけちゃうんですよ。そうすると、どの俳優もキャラクターがなくなってね、みんな勝新太郎になっちゃう。そういうところは、勝ちゃんは分からない。だから小津安二郎さんもみんなそれですよ。全部小津さんになっちゃう。目の配り方や台詞なんかもね。まぁ、そのスタイルを押し通して、すごい作品を作られたわけですから、横からいろんなことを言う筋合いはないんだけど。
 俳優を引き立たせたいって、当然そうですね。ただ、俳優自体の存在感というのではなしに、映画全体の中でね、そのシーンの存在感が突出して浮かび上がるように構成していく。
 また勝ちゃんですが、監督やっててね、そのシーン、そのシーンは実に面白いんですよ。ところがつないでみるとね、どのシーンも勝新太郎のアイデアみたいのが出てきてね、映画ってのは山あり谷ありでしょ。そして最後にクライマックスがある、勝ちゃんの場合は、全部がクライマックスやから、逆にフラットになっちゃう。だから森田富士郎ちゃんに言わすと、「勝新太郎は、監督という麻薬をのんだ」ってね(笑)。あれは大失敗やったと、はっきり言ってました。

         『RESPECT田中徳三』(シネ・ヌーヴォ、2006)より


  
 座頭市物語         日曜日にはTVを消せ No.9 PART1

 新・座頭市第1シリーズ  日曜日にはTVを消せ No.9 PART2 

 新・座頭市第2シリーズ  日曜日にはTVを消せ No.9 PART3 

 新・座頭市第3シリ−ズ  日曜日にはTVを消せ No.9 PART4 

 勝新演出の座頭市      日曜日にはTVを消せ No.9 PART2-4
 
 勝新演出の警視K       日曜日にはTVを消せ No.9 PART5

 「痛快!河内山宗俊」     日曜日にはTVを消せ No.9 PART6

 黒田義之監督の座頭市   日曜日にはTVを消せ No.9 PART7

監督・勝新の『新座頭市物語 折れた杖』脚本と完成作品の異同

 警視-K
                     
 顔 役


 兵隊やくざ 映画シリーズ
                  

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  →  『座頭市覚書』ロケ地の記述など情報が豊かです(作者不詳)