日本の三大映画監督  黒沢明 / 勝新太郎 / 森崎東    池田博明

   私が日本の三大映画監督としているのは黒沢明(黒澤明)、勝新太郎、森崎東である。
   黒沢明については研究書も多く、評価されている。しかし、勝新太郎や森崎東はどうだろう。
   じゅうぶんな評価はされていない。私のホームページでは勝新と森崎に焦点を当てる。   

◆文字が大きい時は「表示」でフォントを小さく設定して下さい。         池田博明   勝新『顔役』シナリオ分析採録



     
顔役(ダイニチ映配:大映:勝新太郎監督)  池田博明
顔役ポスター

 カメラが息をする!快哉。

 五感のすべてを攻撃してくる映像が,ここにある。

    花札をきるチャッチャッという音。
    賭け札を張るつぶやき。
    オレンジ色の、こにくらしいタイトル。

 暑い夏だ。床屋の蒸しタオル。消音銃
     −殺しが始まる。

 クローズ・アップと,広角レンズで撮ったショットを微妙につみ重ねていく呼吸は,派手なアクションこそないけれども,躍動感に満ちている。
 また,肌にべっとりくる暑さと共に,ギリギリするような人間関係を強く描き出す。

 幹部・山崎努の不敵な面構え。

   なにかあるはずだ。なにもないはずがない。

   うす笑いに秘められた緊張。

 『野良犬』も暑い夏だった。夏だ。夏が悪いんだ。

   暑さが人を狂わせる。なにが狂っているのかを曖昧にする。

 『野良犬』の脚本は菊島隆三と黒沢明。
 『顔役』の脚本は菊島隆三と勝新太郎。

 娼窟といい,刑事コンビといい,便所での会話といい,捜査の個人的規模といい,『顔役』は,『野良犬』を意識して作られているのである。

 しかし,『顔役』はより主観的な視線を持っている。

 いかなる些細な表情の変化も見落とすまいと,アップで執幼にくいさがるカメラ。

 それもしばしばフリー・ハンドで動くカメラは,そのまま勝新演じる刑事,立花の心象であり,時に視線である。

 リバース・ショットはほとんどない。

 迫ってくるカメラに対して,蟹江敬三も山崎努も,大淀組の組長・山形勲も,会社重役で暴力団の汚職の証人にされてしまう藤岡啄也も,山崎努の情婦・太地喜和子も,幹部・深江章喜も,存分に応える演技をしている。

 捜査一課の課長・大滝秀治,その下で勝新に同情を示す織本順吉,勝新の相棒で,やたら警察手帳をふり回す新米刑事和田・前田吟もしかり。

 勝新太郎はだれひとりとしておろそかに把えていない。強烈なクローズ・アップが効を奏するのは,こんな時だ。

 セリフも少ない。

 恐喝されてハゲをなぶられた男が,チンピラが去ると,「そうはさせるかい」とつぶやく時のショック。
 つづいて入江組のチンピラが刺された時の白い道路が目に染むロング・ショット。車がとまる。弟分が,やはり刺されていて「兄貴」と呼ぶ。

 そう,クローズ・アップばかりじゃないのだ。

 警察の廊下で,編み上げの靴下を直す太地喜和子のストップ・モーションとも見まがうようなフル・ショット。

 証人・藤岡啄也が,妻と女児を連れてドライヴする。前方,ずっとつづくハイ・ウェイ。バック・ミラーに写る子供のはしゃいだ顔。が,突如,ヒビ割れて,粉々に!次はもうつぶれた車のアップ・ショット。

 妖しげな歌とチカチカ点滅するキャバレーのライト。この歌がいい。こんな歌だ。


  @雨の中 傘もささず 濡れながら 泣いていた
      可哀想な 混血児マリー

  A言葉さえ わからないで 友達も 誰もいない 
      可哀想な 混血児マリー

    *ある日 ママが「マリー」と呼んで 「わたしはもうすぐ死んでゆく」

  B許してね というママに 死なないで と泣いていた 
      可哀想な 混血児マリー

    *わたしのママは どこにいるの 誰も教えてはくれないの

  C雨の中 傘もささず 濡れながら 探し歩く 
      可哀想な 混血児マリー
      混血児(あいのこ)マリー


 大淀組の組長は,このキャバレーから出たところで狙撃され,腕に傷を負う。

 ダーティ・ハリーは,基本的人権を無視したと責められた。
 一方,勝新演ずる立花は,「桜の代紋」(=警察機構)の下では,機構の管理性と愛昧な責任体系の中で独り相撲をとるだけだ。
 といっても,桜の代紋を捨てたら,情報屋・伴淳三郎にとっても無用の人間である。

 そんな風に立花は孤立してしまう。

 ヘドロをすくいあげるパワー・ショベルを見ながら,「あのスイッチを切ったら,日本中は泥だらけになってしまう。スイッチを切っても,動きつづけるようなやつがないもんかな」と言っていた男・勝新が,捨てゼリフを残して,警察を一度は辞め,再び戻っても,「なんや阿呆らしくなった。あんたら,いくらパクッても出てくるわな」と言うようになる。

 だが,あらかじめ準備していた大きな穴に,車ごと大淀組の組長を落として,埋めて,陽が暮れるまで踏み固めている勝新の素晴らしいロング・ショットにあるのは,「裁くのは俺だ」という気負いではなく,孤立を知った男の静かで渇いた絶望であるようだ。

 『ダーティ・ハリー』のハリー・キャラハンは,最後に警官のバッジを捨てた(その番号は2211だった)
 立花刑事・勝新は一度警察手帳を捨てたが,『顔役』のラストでは,いまだ現役の警官である。

 丹念に彼はビニール靴(!)で踏み固める。

 画面がモノクロになり,音楽が高まって,消える。

 これぞカタルシス。否応なく伝わってくるのだ,この空しさが。

 撮影・
牧浦地志,美術・西岡善信
 音楽・
村井邦彦(MAOこと藤田真男がキネ旬誌上でふれている)。

 覚えておこう,この名前。

 畏るべき作品である。

 補足。大滝秀治は一課長(殺人課)でなく,四課長(暴力団)かもしれない。
 また立花刑事は,ヤクザ映画でいうところの,いわゆる「鉄砲玉」であって,警察の課長は「代貸」,署長が「組長」に相当するものであるから,責任体系は明らかであるというべきか。

(佐々木毅ミニコミ『ラ・リュミエール』第145号,1974年7月20日)147号)


2007年6月26日、池袋の新文芸座の勝新リスペクト上映にて、『顔役』は『燃えつきた地図』とともに上映された。
池田博明   勝新『顔役』シナリオ分析採録


 公開当時の「キネマ旬報」ベスト・テン選出で、勝新の『顔役』に投票した映画評論家は

    飯島哲夫(5)、岩崎貴久二(5)、岡本博(3)、押川義行(2)、嶋地孝麿(1)、白井佳夫(3)、
    杉山平一(3)、滝沢一(2)、外村完二(1)、人見嘉久彦(3)、松田政男(3)、読者・女(2)
  
   (  )内は点数。『顔役』は『あらかじめ失われた恋人たちよ』に次いで第20位。
日本映画批評

   松田 政男    顔  役     (キネマ旬報1971年9月下旬561号)

 竹中労の説によると、真の大衆的人気スターは、たとえば<エノケン>のように、姓(榎本)と名(健一)をつなげて省略・愛称化されなければならないそうである。ミフネ、裕チャン、錦チャンじゃ駄目で、やはりカツシンと、こうでなくちゃ、というわけだ。だから、「破れ傘長庵」以来の悪人ぶりがひきつがれ開花した「座頭市」シリーズで、カツシンがいつの間にか、悪役というよりもトりック・スターに変身していたのは、大衆迎合でもなんでもなく、むしろカツシンという大衆的スターの宿命的なパースナリティの所以として許されなければならないのだ。そのカツシンが単なる主演俳優では満足せずに、折からのスター・プロ台頭の波に乗ってプロデューサーに、さらに監督へと上昇(?)する過程で、いかなる再度の変身をなしとげたのであろうか。私の「顔役」を見る興味は、一にかかって、ここにのみあった。
 しかも、カツシンの製作・監督・主演に加うるに、「顔役」の原案は、これまたカツシンと並立する東映のトリック・スター若山富三郎が提出し、本人もまた共演しているとあっては、いくらかは場数を踏んできたつもりの私としても、新しい大衆活劇の創出という方向へこの兄弟が野心を燃やしたと早合点したとしても無理からぬことであろう。しかし、期待はみごとに(!)裏切られた。カツシンは、私なんぞの予想を上廻る圧倒的な変身ぶりを見せてくれたのである。
 「顔役」は大衆的活劇ではない。断固たる前衛映画だ。正義漢だがヤクザっぽい刑事が、一匹狼として暗里街に挑戦するというギャング映画の典型的なストーリーは、余りにも典型的であるが故に、いわゆるストーリー主義として徹底的に否定され、かわって、いわゆる映像主義が大胆に導入される。警察側も暴力団側も、あらゆる登場人物は、すべてヒトではなくモノとして扱われる。フィックス・カメラによるクロース・アップといったような絵に描いたような画面なぞ一秒もなく、手持ちカメラが対象となるべき人物の頭のてっぺんから足のつまさきまでを執拘に甜め廻す。その手持ちカメラが、終始、揺れに揺れ、チカチカ、イライラさせるめは、カツシンの逸りに逸る映画青年ぷりの投影で、快して、情操不安定の所以ではないのだ。風景もまた然り。
 といったような次第で、私は、呆然として一時間半を過ごしてしまった。かつて「燃えつきた地図」で組んだ、勅使河原宏も、松木俊夫も黒木和雄もシャッポを脱ぐ、カツシンの前衛作家への変身が、いつ、どこで、なぜ、突如として起ったのかについては、カツシン語録をそらんじている河原畑寧の責務としでぜひ書いていただくとして、私は、ただただ、カツシンの稚気愛すべき大らかなパースナリティの魅力を、ここでも、ふたたびみたび発見するほかはなかったのだ。そして、ミフネや裕チヤンや錦チャンにないカツシンのこの魅力は、得体の知れぬマカロニ・ウェスタンと二木立てで公開された「顔役」によっては酬われないだろうという悪い予感が私にはする。いまはただ、<最後の大スター>カツシン頑張れ!と叫ぶのみである。

   (勝プロ作品*ダイニチ映配配給*封切日八月十一日*上映時間一時間三八分*紹介第五六O号)
     
      勝新太郎の刑事ドラマ      春日太一
      

     理想との出会い  『燃えつきた地図』

 1960年代半ば、勝はトップスターに君臨していたが、一方で大映での仕事に満足がいっていなかった。三大シリーズの繰り返しというローテーションに飽き飽きしていたのである。そこで自らの理想の映画作りを実現するため、67年、大映の「社内プロダクション」という形で独立する。それが勝のオーナー会社・勝プロダクションだった。
 そんな時に出会ったのが、勅使河原宏。64年に安部公房原作の『砂の女』を監督し、その前衛的な作風が評価された気鋭の芸術派監督だ。銀座のクラブでたまたま居合わせた二人はすぐに意気投合する。「従来のプログラム・ピクチャーとは一線を画した、起承転結に囚われない、分らない映画を撮りたい・・・」と思い始めていた勝にとって、彼は最も求めていた才能だった。勝は勅使河原に勝プロ第2作の監督を依頼した。
 そして作られたのが『燃えつきた地図』(68年)だった。
 安部公房が原作・脚本の本作は、勝の扮する探偵が失踪者の捜索をしているうちに自らも失踪者であるような錯覚に囚われていってしまうという、勅使河原の作家性が前面に出た前衛的な作品となった。その内容は、大映のスタッフはもちろん、勝自身ですら理解できなかった。しかし、勝は、ここでの勅使河原の演出に衝撃を受ける。コンテを作らずに、スタッフにイメージを伝えるだけ。スタッフが用意したものを次々と壊し、捨てて行く。現場ではその場での直観によって即興的に演出が進められていった。この無手勝流ともいえる勅使河原の監督スタイルを見た勝は「これならオレでもできる」と確信を持つようになる。自分の理想とする映画を撮るためには自分自身で監督すればいい。勅使河原との仕事を通じて、勝に映像作家としての意識が芽生えていく。


      理想の追求   『顔役』

 だが、なかなか監督をする機会には巡り合えず、その後の勝プロは『人斬り』『座頭市と用心棒』など、大作路線を連発していく。その一方、大映の経営は悪化の一途をたどり、倒産が間近に迫っていた。このままでは、いつ映画が撮れなくなるか分からない。「こうなったら、自分がやるしかない!」。一念発起した勝は、実兄・若山富三郎から聞いたヤクザまがいの刑事のエピソードの脚本化を菊島隆三に依頼、こうして出来たのが『顔役』(71年)だった。
 ここで勝は「ホンモノ志向」を徹底する。登場するストリッパーやトルコ嬢は梅田の風俗街の現役嬢に交渉、撮影場所も本物の店を使用した。同じく冒頭の賭場も本物なら、出演している面々も本物のヤクザ。それだけではない。エキストラもプロの大部屋俳優は一切使わず、代りに裏方スタッフや宣伝部員を説明なしにいきなり出演させた。「大部屋役者のリアクションは上手過ぎて計算できるから面白くない。それよりも素人の新鮮さを」。それが勝の思想だった。
 そして、本作を語る上で重要なのは、ストーリーやキャラクター云々よりも「悪夢的映像」ともいえる数々の斬新なショットだろう。トリッキーなカメラワークと編集により、観客が眩かくするような映像がひたすらに展開されている。シーンの頭がいきなりハゲ頭や水虫のアップから始まって、ここがどこなのか一瞬分からなくなったり、直接面と向かわずにガラスに映った相手の顔と会話をさせることで方向感覚を失わせたり、机に逆さに反射された顔を画面全体に映し出して上下を混乱させたり、まるでだまし絵のような構図が連続して、しばらく経たないと何が映っているのか分からないのである。また、主観ショットの次のカットに客観ショットを混在させることで、カメラが誰の、どこからの視点なのかも混乱させている。劇の中盤で藤岡琢也扮する銀行家を勝刑事が脅すシーンがあるが、ここで勝は突然画面に映らなくなり、画面の外からその声だけが聞こえてくる。呆気にとられるスタッフたちに勝は、「ポスターに『主演・勝』とあって、オレの声も入っているんだから、オレが映らなくてもいいんだ!」と言い張った。「とにかく新鮮なショットを」と、あえて映画文法を無視して、従来の構図を破壊していった。「画的に面白いか、どうか」。それが全てだった。
 
      理想の崩壊  『警視ーK』

 大映倒産後、勝は東宝からフジテレビへと活動の場を移しながら、思う存分の創作を続ける。だがその結果、テレビシリーズ『新・座頭市』は打ち切りとなり、京都での時代劇製作は困難な状況となってしまう(詳しくは拙著『時代劇は死なず-京都太秦の職人たち』集英社新書・刊を参照されたし)。
 そんな80年5月、勝のもとに「勝主演で刑事ドラマを」という日本テレビからのオファーが来る。勝プロサイドも「渡りに船」とばかりに、これに乗るが、勝の懲り性を考えると準備には余裕を持ちたい。そこで翌81年4月からの放送を要望する。しかし、日テレサイドはこれを拒否。日テレとしては、前年に映画『影武者』で黒澤明と対立して世間を騒がせた熱が残っているうちに、放送を開始したかったのと、4月から野球中継が始まり、放送が不定期になることを懸念していた。勝プロは日テレの提案した10月放送開始案を飲むことになった。
 こうして始まったプロジェクトは、とにかく困難の連続だった。勝は従来の日本の刑事ドラマを「評価に値しない」と否定していた。理想とするのは『フレンチ・コネクソン』『ゲッタ・ウェイ』のような迫力のあるアクション。だが、それは日本では不可能な話だった。そこで勝は「中途半端にやるなら、やらない方がイイ」と。「カーチェイスや銃撃シーンは一切やらない」という条件を出す。また、「自分がやるからには群像劇は無理だ」ということで、それらの条件を併せて『刑事コロンボ』『刑事コジャック』を目標に企画が立てられることになる。
 それを実現するには優秀な脚本と監督が必要だったが、当時はテレビ映画全盛期。目ぼしい監督と脚本家は既に押さえられていて、苦心することになる。それでも何とか、脚本では倉本聰の招介で高際和雄、日テレからは柏原寛司が参加し、それに勝の子飼いの中村努、石田芳子が加わることで陣容はそろった。一方、監督は勝の盟友・黒木和雄と師庄格の森一生は確保できたものの、あとの監督は勝のアイデアに耐えられずにパニックを起こして去っていってしまう。そのため、ほとんどのエピソードを勝が自分で撮ることになった。
 タイトルについて、勝は『トラブルメーカー』という提案を出すが、「分かりにくい」ということで拒否される。そして案が出つくした後につけられたのが『警視-K』だった。「K」とはもちろん「勝」の「K」である。
 予想通り、現場は少し撮影してはストップを繰り返し、いつまで経っても作品が仕上がらない。10月の段階で5本のストックは欲しいのに、9月で1本もできていないという状況だった。それでもなんとか間に合わせて放送スタートになるのだが、本当の試練はそこからだった。
 初日の放送終了後、日本テレビにはクレームが殺到した。そのほとんどは「話はあまりに分かりにくい」というもの。
 その原因の一つは、勝の日常的なセリフ回しへのこだわりにあった。「刑事がハキハキ話したら周りに聞こえるだろう。刑事部屋は公開の場なんだから、大声で話すわけがない。普通のトーンで話すのが本来だろう」という勝の主張の下、役者たちは声を張ることなく、ボソボソと話すことが要求される。しかし、それで録音テストしてみたところ、音が全く拾えなかった。そこで高価な特殊ガンマイクを購入したが、それでも厳しい。「セリフが聞き取れない」。それがクレームの大半だったが、勝は「そんなの録音技師の問題だ」と譲らなかった。
 そしてもう一つは、勝が「ながら視聴」を拒否したことにある。「オレのドラマは最初から正坐して観ろ」ということで、ストーリーの説明をするようなシーンやセリフは用意されず、また一度言ったセリフは二度繰り返されなかった。そのため、視聴者は少しでも気を抜こうものなら、アッという間においてきぼりとなった。後から内容をなとか理解しようにも、セリフがよく聞き取れないから、どうにもならない。
 日テレは第2回以降、放送終了時に電話前にクレーム専用要員を配置するがやがてそれも追いつかなくなり、最終的には勝プロ社員が対応するようになった。視聴率が急降下し、後半はひとケタ台に。次々とスポンサーは降りて最後は一社になった。日テレは「3月まで継続できない」と打ち切りを通告。一方の勝プロも、ギリギリの製作スケジュールの中でストックが尽きかかっていて、年明けには放送に穴があく恐れがあった。それだけに、打ち切りにホッと胸をなでおろすスタッフもいた。
 ドラマの内容を振り返ってみると、たしかに自らが監督した最初の4話は、実にやりたいようにやっている。日常会話そのもののセリフ回しで、誇張した芝居は一切なし。アドリブや素の部分を入れつつ、セリフを噛んでもそのまま放送されていた。捜査の手順を見せることなく、日常会話会話を繰り広げながら唐突に画面が動き、ストーリーらしきものが展開される。
 第8話で勝を抑えられる唯一の監督・森一生が登板した時は、事件の説明や張り込み、聞き込み、事情聴取など、捜査手順もきちんと見せるという、当たり前の刑事ドラマになっており、改善の兆しが見られる。が、打ち切りが決まったからか、10話からは思いきり開き直っている。黒木和雄監督、ゲストに原田美枝子、岸田森、草野大悟、小池朝雄ら勝手知ったる同志を迎えて完全に内輪のノリ。続く第11話でも仲のいい緒方拳を呼んで、好き勝手な芝居を延々と見せた。そして最終回。そのラストシーンはレギュラーの実娘・奥村真粧美にゲストの中村玉緒を交えての、実の親子三人の食事で締めくくられている。ここにきて初めて分かる。本作は勝を神とする、完全なる「勝ワールド」だったのだと。そして、それは打ち切りとともに最後に砕け散る。
 勝の刑事・探偵ものの系譜は、創作者・勝の理想の萌芽と崩壊の過程そのものった。
 
             『刑事マガジン』7号(辰巳出版,2009年4月)より

 春日太一『天才勝新太郎』(文春新書、2010)は傑作。


 真魚八重子「映像作家としての勝新太郎論」(四方田犬彦ら編『日本映画は生きている 第5巻 監督と俳優の美学』岩波書店に所収)

     現代風俗研究会 ■第67回「“勝新初監督の『顔役』は、異色のやくざ・ボンノと共に”の時代」

 1971年(昭和46年)の5月の半ば、勝新太郎の監督デビュー作品『顔役』のチーフ助監督を勝プロダクションから頼まれた。待機していると、とんでもない噂がれてきた。  「勝ちゃんの『顔役』には、山口組が協力するらしいぞ」
 大映の1960年代は、『若親分』『悪名』『座頭市』『女賭博師』など、東映と共にヤクザ路線を突っ走ってきたが、東映に大きく水をあけられて青息吐息の毎日。ある脚本家からは、同じように書いてやっても、東映では極彩色の油絵に仕上がるのに、大映では、どうして淡泊な水彩画になってしまうのかと不思議がられる状況が続いていた。
 準備に入る前のある日、勝さんが事務や宿泊に使っているバスに呼ばれていくと、勝さんは熱っぽく語った。
 市川雷蔵亡き後、大映京都を背負って立つ勝さんは、俄然ライバル意識をかきたてられ、東映がチャチなヤクザの泥臭い暴力を売り物にしているのなら、こっちはスケールの大きい広域暴力団暴力の近代的スマートさを叩きつけんと一大発憤。自ら製作・監督・主役の一人三役で本格的暴力映画の制作に乗り出し、完成度を高めるために、本格的な暴力団風俗の考証家を呼んでくるということだった。そんな考証家がいたのかなあと、考証尊重主義の私は、期待しながらも半信半疑で聞き止めた。
 ところで脚本家と勝さんが首っ引きでシナリオを仕上げつつあった6月17日、日米安全保障条約の自動延長と引き換えに、広大な米軍基地は存続したまま、多くの日本復帰賛成派の期待とは裏腹の沖縄返還調印式が行われた。
 数日後。私は沖縄県民の受けた屈辱感に思いを馳せながら、『顔役』の製作準備に入るためのスタッフ顔合わせと、シナリオの読み合わせに臨んだ。勝監督の代理プロデューサーが、いつになく低音を活かした厳かな口調で忠告をのたまった。
  「今度の映画には大した方が直接指導にみえるから、スタッフは言うまでもなく、中でも接触を密にするチーフ助監督の辻さんは、応対に粗相のないよう、くれぐれも注意してください」
 そして、指導に来るのが、「ボンノ」のあだ名で知られた山口組系の組長・菅谷政雄という人だと教えられた。
 スタッフには緊張感が走ったが、私には今ひとつピンとこない。山口組組長ならいざ知らず。子分の1人では、なにが大した方なのか。誰とも分け隔てしないことに心がけている私は、勝手に来いやと楽天的に開き直った。 しかし帰宅してみると、全くの予備知識なしでは仕事に差し支えるのではと気にかかる。本棚から岩井弘融著『病理集団の構造・親分乾分集団研究』などを出して見ても全然わからない。ふと気づいて物置に山と積んである古雑誌の1冊に山口組の特集記事があり、簡単な説明付きの有力子分衆の一覧表から菅谷政雄の名前を見つけるやいなや、ショッキングな文字が飛び込んできて目がチカチカ。「元国際ギャング団領袖」「戦後神戸の山中で女を飼育」「山口組で最も戦闘的」「配下に30余組をもつ」などとあり、管谷組長は山口組配下120人ほどの幹部の中で10人に満たない大もの幹部の1人とされていた。いくら楽天的でも暴力には緊張する。こんな男と2ヶ月も付き合わされるかと思うと、いささか憂うつになったが、持ち前の楽天性から、何事も経験だとスイッチを切りかえた。
 『顔役』のあらすじは、破天荒ながら成績を上げる無頼刑事(勝)が、2組の暴力団のからむ信用金庫の不正融資事件の黒幕を暴こうとするが、途中で警察上部からいきなり捜査を止められる。しかし無頼刑事は、警察手帳を捨てて真相を追求し、犯人たちを倒すというものだ。
 さて勝組は、大阪のロケハンから行動を開始した。最初の目的地・大阪南港埋立地から、新世界のストリップ劇場へ移ろうとすると、勝監督より「少し待て」の指示。当時広大な現場は、ゴミや廃棄物で埋め立て工事が進行中だった。方々で表土の間から中身が露出して悪臭を放ち、メタンガスが炎を吹き上げ、炎天下の熱風がしばしば砂塵とともに襲ってくる。不快な思いに耐えて待っていると、ダンプカーが踏み固めた凸凹道の彼方から、ピカピカに輝く乗用車が砂塵を巻き上げて疾走してきた。見なれない大型の外国車だ。安定した車体の下で、車輪がボンボンと弾んでいる。 「こんなところで無茶しよるな」「物好きなやつがいるもんや」などと、一同唖然としていると、車は見る見る接近。目前で急激に方向転換して停車した。
 降り立った男のスマートに見えたこと。花柄のアロハシャツに、薄色細身のスラックスを粋に着こなし、端正に刈り上げたゴマ塩頭の前髪を浜風になびかせて、一見60歳前後の文士風だ。次に行くべきストリップ劇場の経営者が、勝監督に敬意を表して迎えに来たか。独り合点していると、なんとそれが、山口組系で最も暴力的とされる菅谷組長のお出ましだった。   
 組長のすすめで監督は早々に助手席へ。尻込みする監督補佐と私は監督に強いられて後部席に座らされた。
 新世界への途中、切れ切れに聞こえる前の2人の会話から、乗っている車が、当時国内に1台とか、関西に1台とかのリンカーン・コンチネンタル・マークUで、これが暴力団組長の間ではステータス・シンボルとして憧れの的になっているということだった。
 やがて車は、物騒な風体の男たちがウロウロする釜ガ崎をゆっくり通り抜けていく。ときどき男たちが前に立ちはだかる。車を止めて組長の顔を覗く。しかし組長のにらみが効くらしくて、あっさり避けていく。新世界で車を降りると、組長は先頭に立ち、恐そうな人たちの誰彼となく如才のない言葉を交わしていく。スタッフだけでは緊張を要する従来のロケハンと異なり、私たちはのびのびと思うままにロケハンができた。
 私は、組長=親分衆の祝儀不祝儀に、政財界の有力者や有名芸能人の顔や名前がちらつくのは無理もないとつくづく思った。
 昼食は、組長の知り合いらしい料亭で摂った。勝監督以外は何となく遠慮気味。隣同士でぼそぼそと話し合っているが、私は今後の仕事を思うと遠慮しておれないし、その気もない。機会あるごとに何でも聞こうと思い、「菅谷さん」と呼びかけて、食事の前後にいろいろ聞いてみることにした。
  「菅谷さんでも恐いものがありますか」
  「そりゃあるよ。何が恐い言ったって、愚連隊やチンピラほど恐いものはないよ」
 これには皆驚き、かつ大笑いした。彼らは仁義も切らず、いきなりブスッとやってくる。だから、どこかの組に属している“筋もの”は抗争関係でもない限り、お互いに安全だというわけで、一般社会同様、暴力団の社会でもアウトサイダーは危険分子だった。
  最も尊敬している人は誰ですかと聞くと、即座に答えが返ってきた。
  「全学連の学生諸君や」
 山口組組長の名を予期していたのに意外な返事だった。
  「学生運動の連中は堂々と警察に向かっていきよる。あの姿を見ると、僕らは頭を下げなしようがないがな。彼らは私利私欲でやっとらんから、あんなことができるんや。暴力団の連中はケツの毛まで欲にからんだ動きやから、情けないことに警察が出てくると自然に背中が向いてまうんや」
  「どうして暴力に訴えるのですか」
  「警察も自衛隊も暴力やろ。そやから僕らも、ちょっと暴力を使わしてもらうわけや」
  「責任を感じませんか」
  「天皇さんも戦争責任とってないやないか。僕らだって・・・」
  「悪いとは思いませんか」
  「そりゃ悪いと思っているよ。そやから無闇やたらに使わんよ。幸い世の中には叩いてやるとホコリの出る奴が大勢いるから、ちょっとずつ叩いてみるんや」
  「一般の市民にも暴力が及んでいるが?」
  「そりゃ、時たまとばっちりの飛ぶこともあるやろが、実際には一般の人に暴力をふるうような連中は、暴力団の中でも食いはぐれの屑や。そういう奴は警察の方でビシビシ取り締まってくれると、僕らの社会でも大いに助かる。ますます組織が強化されるばかりや」
  当時は、警視庁・各県警本部が行う暴力団壊滅のための第2次頂上作戦の最中だった。
  「どおすれば暴力団をなくせますか」
  「君もきついことを聞くんやなあ。そりゃ世の中がよくなったら暴力団はすぐつぶれるがな。何でもない人に暴力は振るえんよ。政治がよくならんうちは、世の中も良くならんし、僕らは生きていける」
  「一番大切なものは?」
  「僕らの掟。山口組の憲法だな」
  「国の憲法を大切にしてもらわないと困るんだけど」
  「そんなこと言うけど、僕らの社会に入ってくるような連中は、ほとんどが生まれ落ちた時から日本国憲法に見放されたもんばっかりや。何でそんな奴が、国の憲法を守る気になるねん。山口組憲法の下にこそ、僕らの生きていく道が開けとるのや。その代わり実力主義1本やから、いつも命を張ってなきゃ、目から鼻へ抜ける連中がてんでに競争しとんのや。ぼやぼやしとるとアッという間に蹴落とされるんやで。始終危険がつきまとっとるけど、それなりに実力のある奴には生き甲斐がある。しかしやな、僕らも命は惜しい。好きこのんで殺し合いはしとうないから、それぞれの組が組長を立てて掟を守っとる。その最高が山口組の組長であり、山口組の憲法や」
 対談は組長相手というより、理屈にたけた苦労人としている感じだった。ヤクザは偽るのがうまいと言えばそれまでだが、真情も含まれていると思えた。彼が自分を指すのに「僕」を使っているのが印象的だった。他にも彼は、実に面白い映画批評、社会批評を披露したが、しゃべり過ぎを自嘲したのかのように付け加えた。
  「話に聞いたり読んだりした昔のヤクザは、口数少なく、腹がすわって立派だったということやが、僕ら近頃のヤクザは口先ばかり達者になって、度胸のある喧嘩もなくなり、映画のように格好のええもんじゃなくなった。口喧嘩で形がつかんと、へっぴり腰で突っつき合うのが関の山だ。だから今じゃ口から先に生まれた弁の立つ奴らで、僕らの社会が成り立っているわけや」
 昼食後、神戸のロケハンに向かう車の中で組長との対談を思い返すと、いろいろな考えが駆けめぐった。
 親分が白いものを黒いと言えば、「はい」と答えなければならないような掟が、現在どこまで守られているかわからないが、こうした理性を超越して存在する親分=組長の存在は、ある意味で天皇の存在と共通し、象徴天皇制を規定する憲法第1条は、暴力団の存在にとって大きな後ろ盾になっているのではないだろうか。 
 こうして見ると憲法第1条は、さらに多くの社会悪の存在に役立っているのではと考えが発展し、真実を探る風俗学への幻想がいっそう深まった気がしてきた。 (2012年4月記)

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