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『顔役』シナリオ 分析採録
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 血と汗と涙  原形質の海    勝新太郎の演出


               MAO★藤田真男


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「日曜日にはТVを消せ」第9の2号 1977年5月8日発行
 "新・座頭市特集" 
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          血と汗と涙  原形質の海 

               MAO★藤田真男

 人間の情緒が、多分に皮膚や粘膜の感覚に依存していることは了解していただけるでしょうな? 例えば、「ぞっとする」「ざらざら」「ねばつく」「むずむずする」…こう並べただけでも、いわゆる体表面感覚が、いかにわれわれの気分や雰囲気の形容になっているかがわかります。そして、この体表面感覚というのは、一口に言ってしまえば空気に対して海を保存しようという本能なんですな。…もっとも進化した陸棲動物である人間でさえ、血液から、骨から、原形質にいたるほとんどが海の成分で成り立っている。
 …その皮膚自体が、やはり海の変形にほかならない。ほかよりは抵抗力が強いといっても、時々は海の助けを借りなけれやっていけない。外分泌腺というのは、つまりは、苦戦している皮膚に対する海の援軍なんですな。涙は目の海です。…ですから、結局私どもの情緒などというものも、要するに外分泌腺の興奮と抑制…言葉を変えれば陸に対する海の自己防衛の闘いにしかすぎず…(安部公房『第四間氷期』) 

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 さて、安部公房と勝新太郎とどのような関係があるかというと、『燃えつきた地図』に勝新(以下カツシン)が主演したことぐらいで、別にたいした関係はなく、本文ともあまり関係ない。
   ★燃えつきた地図
 『燃えつきた地図』という映画は、あまり面白くなかった。記憶があやふやで、たしかな引用はできない、この映画の後、多分、勝プロで何か新作を完成させた時、カツシンはキネマ旬報のエッセーに「"燃えつきた…"をやったことで、僕は娯楽映画作りに対する自信を強めた」というようなことを述べていた。このことば、マジメなのか皮肉なのかよく判らないが、いかにもカツシンらしくて面白い。
 そして、その自信のほどは、後に自ら監督主演した『顔役』において全面的に開花した、といえるようだ。
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 『無宿』のロケ中、共演した高倉健を評してカツシンいわく…黙って立っているだけで、毛穴から何か出てくる役者だ。実にうまいことをいうものだ。役者についての、映画についてのカツシンの見方が、この名言からもうかがえよう。毛穴、なのだ。皮膚、なのだ。
 『無宿』でのカツシンが、やたら汗を流していたことを、健さんの方は、ちっとも汗をかいていなかったことを、思い出してもらいたい。そして、監督・斉藤耕一(自分では和製ルルーシュじゃないと言ってるけど、ルルーシュが聞いたら笑う)には、カツシンの皮膚感覚を裏切る形でしか、二人を描けなかった、ということも。
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 健さんの身体つきというのは精悍にはちがいないのだが、例えば藤竜也なんかとは異質である。いつまでたってもウダツが上がらず、思い悩んで清順さんの所へやってきて泣き事を云ったりしていた若き日の藤竜也は、ヒマにまかせてかどうかは知らぬが、ボディ・ビルできたえた肉体美(?)ばかり目についたことだろう。古い日活映画の中で、チョイ役のそんな彼の姿をみかけると、いじましくも、あわれにもみえるのだが、同時に、現在の彼の内にも、かつての肉体とココロが、じっと身をひそめているかと思うと、妙な感慨を覚えたりする。
 一方、常に感情(渡辺武信クン風の詩的表現を用いれば、情念ですか?)というよりも、外分泌腺を抑制しようとしてか、それとも、もっと人間的表現をとるなら、少年のようなハニカミとでも申しましょうか… 寡黙の内に闘っている健さんはといえば武骨ともいえる彼にふさわしくボディ・ビルならぬ、腕立て伏せ(?)でもって、コツコツと身体づくりに励んだのであった。健さんがひとり黙々と、ひたすら腕立て伏せを続けている姿を想像してみるがいい・
 おそらく、カツシンの皮膚感覚は、それでも健さんの毛穴から出てくる何かを、鋭敏に感じとるのであろう。
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 「人をセパードみたいに云わんといてくれ!」−『顔役』よりカツシンのセリフ
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 思わず口走ってしまうコトバ、何気ない瞬間のリアクション、まなざし、息づかい、空気、汗…・クローズ・アップで捉える皮膚感覚。『顔役』から、いくつか名場面を拾ってみる。
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 太地喜和子が、廊下で出くわした前田吟をもの珍しそうに眺めながら、悩ましげな声で
 「ねぇー、さー、あなたホントに刑事サン…?」
 新米刑事はドギマギして
 「ウ…?! ウンッ!」と小学生みたいな返事をしてしまってから、こんな女にバカにされてたまるか、とでも云いたげなこわばった表情。
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 刑事課長・大滝秀治、桜の代紋をカサにきて、何かにつけて部下をたしなめるといった調子で
 「アー、ボクの意見を云わせてもらうとだネ〜」などとのたまう。デカ部屋にはクーラーなどなく、扇風機が重たげに首を振っている。全員、汗ダラダラ。大滝デカ長、黙ってその扇風機を「ボクのもんだ」といわんばかり、ムリヤリ自分の方に向けて平然とすまし込もうとする。
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 留置場で、組から差し入れられた豪華な昼飯を食っている山崎努。取調べ中の前田刑事は…かたわらでわびしくラーメンをすすっている(クソ暑いのに、フーフー汗を流しながらだ!)。山崎、自分の食べ残しを示し、「食わんかいっ!」と前田をドヤしつける。前田、思わずドンブリから顔を上げ、ついつられて「ウン」と、きわめて素直に答えてしまう。二人は、しばしニラミ合う。なんと、ラーメン一杯で劇的に主客転倒してしまう人間心理生理の機微を活写した名場面といおうか…。
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 組長・山形勲がナイトクラブから出てきたところを狙撃される。取り乱し、血相を変え、しかし威厳を失うまいと「医者や!ニッポンイチの医者呼べェ!!」と怒鳴りちらす。
 いかに深作欣ニが『仁義なき戦い』で金子信雄を喜劇的に人間的に(!)描こうとカツシンのようには撮れないだろう。
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 ここにあげたいくつかのシーンは、ほんの一例にすぎないが、これらはすべて、みるものの予想もつかないような、瞬間のアクションとリアクションを、実にみごとに捉えている。とても文字で再現できるものではないことは、云うまでもない。
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 TV『座頭市物語』の内のカツシン演出による『心中あいや節』でも、まるで神業みたいなカメラワークにおどろかされるシーンがあった。それは本当に何でもないような、ごくさりげない動作を捉えたもので、笠をかぶった吉沢京子が、わずかにうなだれ、そしてまたわずかに面をあげる、その時、全く偶然のように彼女の眼が笠の縁の奥にある、ただそれだけのことで、こんな風に書いてみたところで、具体的に理解してもらえないだろうが… ぼく自身も、なぜ驚いたのか忘れてしまったほどなのだ。これでは、お話にならんか。とにかく、あれが偶然だとしたら、そのタイミングを逃さずカメラに収めたカメラマンの腕は大したものだ。巧みな演出によるものなら、カツシンのデリケートな感覚に驚く。
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 プロデユーサー、監督、役者。カツシンのタレントは、まだ他にもある。例えば、『顔役』の音楽はダビングの際、カツシン自ら指揮までやったそうである。作曲者・村井邦彦によれば、とにかくメチャクチャにエネルギッシュで熱気ムンムンのダビングであったそうだ。一日中、深夜までスタジオにこもりっきり。いくらやってもうまく行かない。その内、バンド全員アルコールが回って、まあ気楽にやろうや、とカツシン。ブワーとリラックスして録音を終えた。楽しい体験でした、と村井さんは語っていた。
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 ラスト・シーンにかぶさる静かに盛り上がってくる曲など、素人の耳にも、ブラスの音がとんでもないところへひびいて行くのが判るほどで、それがまた何ともいえずイキイキとして、安っぽいレザーの靴で黙々と土を踏み固めるカツシンの姿にオーバー・ラップして、実に気持ちがいい。
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 今度はじまったTV『新・座頭市』の音楽も村井邦彦。またもや深夜、カツシンからの電話で起こされた村井さん。主題曲が出来てたら、聞かせてくれ、とカツシン。今、ここで? 村井さんは電話をピアノの所まで引っ張って行って、弾き語りを聞かせたところ、カツシンは大いに満足したそうである。
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 ギャンブル。「11PM」マージャン教室に出演し、なんと"初級"で最下位であった。大橋巨泉が解説しながら、カツシンの打ち方にゴチャゴチャ文句をつけていた。思ったより弱いようである。『顔役』での、あのケッサクなイカサマ・マージャンのようには行かんものだ。
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 三味線も得意。かと思えば、ビートルズ・ナンバーを実に巧みに唄ってのける。もちろん英語で。レコードも出ている。歌は巨泉よりうまいのだ。
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 どうでもいいけど、カツシンは、太平洋戦争のことを、今も大東亜戦争と呼ぶ。
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 『顔役』のラスト・シーンをみて、ぼくがおぼえるもの哀しいような感動は、しかし決して水っぽいセンチメンタルなものではなく、体内のどこかでうずいていた感覚が、原形質の海に拡がり解放されて行くような、いわくいい難いすがすがしさを伴うものである。
 それは、安部公房『第四間氷期』のラストで、陸にはい上がった水棲人間の少年が、風に吹かれて涙を流すときの、いわくいい難い感動と同じ質のものなのかもしれない。
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 『新座頭市物語・折れた杖』のラスト・シーン。姉弟をのみこんだ海が、息づくように、静かに波打っている。スクリーンいっぱい、どこまでも海原。どこまでも続く白い砂浜。画面の右から左へ、傷ついた市が、砂に足をとられながらヨロヨロと歩み去るロング・ショットで映画は終る。
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 最後の力をふりしぼって、這い上がった。想像の中では、風の音楽をたしかめるために、地面の上いすっくと立上がるはずだったのだが、実際に這い上がってみると、世界のすべての重さという重さを、自分の体が一挙に吸い取ってしまったように、ずしりと重く、そのまま地面にへばりついたきり、身動きもできないのだった。
 しかし、待望の風は吹いていた。とりわけ風が眼を洗い、それにこたえるように、何かが内側からにじみだしてくる。彼は満足した。どうやら、それが涙であり、地上病だったらしいと気づいたが…もう動く気はしなかった。
 そして間もなく、息絶えた。
 さらに、何十昼夜かが繰返され、海はその小島をも飲みこんだ。死んだ少年は、波に浮んでどこまでも流されつづけた。  (安部公房『第四間氷期』)

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 砂浜を歩み去る瀕死の市の耳に、波の音楽は聞こえなかったかもしれないが、潮風が眼を洗い、彼の眼の中にも海が拡がったにちがいないのである。
  
                        1976年10月8日記

 まともな監督・勝新太郎論が無い状況で、貴重な勝新論である。
 TV版『座頭市物語』と『新・座頭市』はビデオが発売されたことがある。現在はそのうちの一部数本を俳優中心でまとめたセット販売がある。『新座頭市物語・折れた杖』は1998年にようやくビデオで発売された。
 しかし、傑作『顔役』はまだビデオ化されていない。
 またTVシリーズ『警視K』はまったくビデオ化されない。私は数本ビデオに録画しているが、ソニーのベータ版なので現在はベータ・ビデオ機械の故障のため、見られないのだ。VHSにダビングする直前に機械が壊れてしまった・・・・。(1999年.池田追記)。
 『警視K』はビデオになっていました!(バップより.ビデオ番号はVPVX-64384から64390の7巻.1巻目のみ2940円で他は5040円(池田記.2000年1月)。
 2007年テレビ版座頭市が次々とDVD化された。やっと勝新の演出のすごさが理解してもらえる時代がやってきた。


2007年6月26日、池袋の新文芸座の勝新リスペクト上映にて、『顔役』は『燃えつきた地図』とともに上映された。


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  池田博明「顔役」評  

  『顔役』シナリオ 分析採録

  勝新演出の現代もの「警視−K」 

  監督・勝新を取り上げたTV番組  

 勝新太郎監督 「赤城おろし」 台本と完成作品との異同


 『座頭市』勝新インタビュー1田山力哉【pdf】 

 『座頭市』勝新インタビュー2和田誠【pdf】