監督・勝新太郎アーカイブス

新座頭市物語 折れた杖     台本と完成作品の異同 
公開 昭和47年(年)月日

月刊「シナリオ」1972年10月号 99-128.
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本ページ作成者は池田博明。
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スタッフ
 
製作 
  勝新太郎 
  西岡弘善
企画 
  久保寺生郎
脚本 
  犬塚 稔
  (犬塚の言葉
監督 
  勝新太郎
撮影  森田富士郎
美術  太田誠一
照明  中岡源権
編集  谷口登司夫 
音楽  村井邦彦
     宮本光雄
録音  大角正夫
スチール 小山田幸生
助監督 奥家孟


品田雄吉の
“座頭市”と監督勝新太郎
キャスト

座頭市       勝新太郎
錦木         太地喜和子
楓           吉沢京子
神条常盤     高城 丈ニ 
お浜          春川ますみ
丑松         中村賀津雄
鍵屋万五郎    小池朝雄
代貸・猪之吉   藤岡重慶
安房屋徳次郎  青山良彦
飯岡助五郎    大滝秀治
伊八        松山照夫
花里        田島和子
新吉        小海秦寛
老婆        伏見直江

    実際の完成作品とは異なっています。
    実際の作品で生かされたところは黒色で示した。(ただしシーン27以降は使われていない)
    付け加えられたところはピンク色で示しました。【追加】の場面も新しい場面である
    灰色文字のところと打ち消し線のところは完成作品には使われていません。

   黒地に白文字でスタッフとキャストが出る  

<佐倉の宿外れ、印旛沼が利根川の支流に注ぎ込むあたり>
 初夏。
 薮蔭の径が帯のように続いて、一面草いきれがしている。
 座頭市、日蔭笠を冠り、小さな風呂敷包を手首に結びつけ、杖で地面を叩きながら一歩一歩を踏みしめて来る。
 暑い、と言った顔で立ち停り、顎に伝わる汗を掃うが、不図耳をすます。
 風にのって微かに三味線の音が聞こえる。
 市、それを耳へ吸い込むようにしてまた歩き出す。
 三味線の音、段段近づく。
 市、橋にかかる。
 高く長い橋は、ところどころ手摺も腐れ落ちて、渡るに覚束なげである。
 向こうから三味線を弾きながら、旅の老婆が来る。
 市、和む顔で立ち停る。
 老婆、近寄る。
 市、物言いたげにして迎える。
 老婆「もし、お盲目(めくら)さんこの橋にァ、あちこちに穴があいてるから、気を付けて行きなされよ」
 市 「へえ、こりゃ、ご親切に、どうも・・・・」
 老婆、通り抜けて行く。
 市 「あのう、ちょいと待っとくんなさいまし・・・・(懐をさぐり)野晒しの三味線なんてもなァ長い間聞いたことがござんせん。耳を楽しませとくんなさったお礼に、ほんの心持ち、おこらないどくんなさいよ(銭を出して差し出す)」
 老婆「恵んどくんなさるんで・・・・有難くお貰いします(引き返して市から銭を受け取り、額に頂く)」
 市 「三味線の音色ってのはいつ聞いてもようござんすね」
 老婆「どこまでお行きなさるんで」
 市 「どこまで行くことになりますか、、気ままな旅でございますから、はなっから。あなたさまは?」、
どこへお行きなさるんですい」
 老婆「下総の銚子に行きます。娘に逢いに銚子の飯沼観音さんまで観音裏まで ・・・
 市 「そうですかい。あすこの観音さまにァ、あたしもお参りしたことがあります」
 老婆「観音さまのが賑やかなとこで、お女郎屋さんが何軒も並んでるそうですが、ひょっとして、扇屋さんていうのをお知りじゃござんすまいか」
 市 「観音裏・・・あすこは盲目には縁のねえところでごぜえますから。さァ、裏の方には廻って見たことがないもんで・・・・」
 老婆「そうでしょうね。すいません、気を付けてお行きなはれ」
 二人はいったん別れるが、市は、ふと思い立ってよびとめて、
 市 「あの、(懐から財布を出し)ほんの心持ち、怒らないでおくんなさいまし・・・」
 老婆「恵んでおくんなさるんで・・・・有り難くお貰い申しますよ」
 前へ出た拍子に老婆は隙間から落ちる。
 市 「へえ、あなたさんも・・・・」
 老婆「お達者に・・・・」
 市、頭を下げる。
 踵を返した老婆の体が途端に崩れ、わっという悲鳴。
 市、驚く。
 老婆、橋板の抜けた穴に落ち込み、皺んだ片手に三味線の棹を掴み、 それが突支えになって穴の下にぶらさがり、一方の手が必死に泥を掻く。
 市 「どう、どうしたんですい(あわてて地面に這う)」
 老婆の泥を掻く手が力つきて消える。
 市 「お婆さんッ(這い寄って、棹を掴んだ老婆の手に触る)」
 と、その手が棹からはなれ去る。

 間もなく、大きな水音が穴の底から湧き上がる。
 近くで肝高い鳥の啼声。
 市 「もし・・・もし・・・・お婆さァん・・・・(不意に穴へのめり込もうとして三味線に手をつく)あっ、こっから落ちたんだ。あの水の音・・・・お婆さんッ、お婆さァん、どうしよう、どうしよう・・・・(立ち上がって叫ぶ)お年寄りが川に落ちました。誰か助けとくんなさい。誰か、早く、誰か来とくんなさい・・・」
 音楽が鳴り始める。三味線を背負って歩く市、渡し場で川の水面を杖で叩く。
 鳥が啼く。

<同・橋の下>
 川はゆっくりと流れている。
 市、流れに踏み込んで、愁然と立つ。
 市 「あたしが声を掛けたばっかしに、こんなことになっちまって・・・・ お婆さん、何とか助かっとくんなさい。お天道さま、どうか、あのお年寄りを助けてあげとくんなさいまし、 お願いします。お願いします(流れの中に膝を落として頭を下げる)」
 川は黙って流れている。


 浜辺である。市が歩いている。
 やくざたちが走って通り過ぎる。後を犬が追う。
 男が首を吊ったようだ。漁師たちが駆けつけて来る。男の女房が泣き崩れる。
 その向こうを市が歩いている。


 T “新座頭市物語 折れた杖”

<銚子の宿、飯沼観音裏の花街(夜)>
 (「◆花街の様子」を市登場の後に移動)
 その中を、市が鈍い足取りで歩いている。背中には三味線を負っている。
 市 「あのう、扇屋さんていうのはどこでござんしょうか近くにございませんか」

 男 「扇屋はそこだ、お前の足で三十歩も行った左側の店がそうよ」
 市 「どうも、はばかりさまで・・・・」
 男たちは盲目の按摩を無視する。少年が「一緒に行ってあげる」と案内を買って出る。楓の弟である。
 市 「扇屋って知ってかい」
 少年 「うん」

 ◆両側に妓楼が並び、雨の上がったあとの水溜に派手な投影を映している。ちょうど賑やかな潮時で、店の格子に取り付いた女たちは素見の客を誘い、票客どもは格子から格子へと渡っている。
 物売りの声、妓夫の呼込み。
 浮かれ囃子が男ごころを唆すように漂う。

<同、扇屋の見世先>
 間口の広い店構え、漆光りのする板間、暖簾に大きく「扇屋」と染め抜く。
 お浜が「ほらほらッ」と、女たちをせかすように手を打ちながら階段を下りて来る。
 お浜 「だんな、今日は昼間っから旦那の噂をしてたんでございますよ」と客に愛想を言い、客と女を案内したと思うと、
 「お君、お君!」と使用人の老婆を呼びつけ、「浪路はどうしたんだい、ほんとにお前はドジだね」と叱る。
 忙しそうな扇屋の暖簾を分けて、市が入って来る。
 妓夫の竹造が下足を揃え、三人連れの客がそれぞれの敵娼や遣手に見送られて土間へおりる。
 喃喃と二言三言、客は手拭などを冠って帰って行く。
 その暖簾の外から市が覗き込む。
 竹造「いらっしッ・・・・」
 市 「今晩わ・・・(ぬっと土間へ入る)」
 竹造「なんだい、お前・・・」
 市 「こちら扇屋さんですね」
 竹造「そうだよ」

 市 「あのう、実はこちらに奉公してる娘さんをたずねて来たんですが、三味線のうまいお袋さんがいて・・・・」
 竹造「三味線のうまいお袋さん・・・・」
 市 「へえ、そのお袋さんの娘さんがこちらにいるんだそうで、ぜひ会いたいと思って・・・・
 竹造「名前わい」
 客が入って会話が中断される。
 市 「それをききそこなったもんで・・・・」
 竹造「歳ァ・・・・」
 市 「歳もきいとりません
 竹造「生国わよッ」
 市 「生まれた国ですか、さァ・・・・」
 竹造「なんにも判ってねえんじゃねえか」
 市 「へえ、何とか会わしてやっとくんなさいまし
 竹造「いい加減にしろよ、判じ物や謎々じゃあるめえし、お前、俺をからかいに入えって来たんだな。お前なんかに関わっている暇はねえんだよ
 暖簾から市を外へ出すが、金を握らされたので態度が豹変、
 竹造「(笑顔になって)お袋さんの名前は?」
 市 「とんでもない、ああ、これを見とくんなさいまし・・・(肩から三味線を外し、胴裏を見せる)」
 そこに「のぶ」と消えそうな仮名文字が見える。
 竹造「のぶ・・って書いてあります
 市 「のぶというのがお袋さんの名前だと思います。兄さん、これをどうぞ(一分金一枚を差し出す)」
 竹造「え、俺にかい」
 市 「へえ、どうぞ」
 竹造「そんなに、お前」
 市 「ご祝儀で・・・」
 竹造「じゃあ奥へ行きましょ、あっしが探してあげますよ」
 竹造「いいのかい、すまないね。じゃ遠慮なく(貰いうけ)で、娘ってなァお女郎衆かい」
 市 「さァ、そうかも知れませんです」
 竹造「そいつもはっきりしねえのか、この扇屋にァ女郎衆だけで十七人、女と名のつくなァ三十人からいるんだ、そいつにいちいちお袋の名を訊いて・・・・まァいいや、そうするより仕様がないね。よし訊くだけ訊いてみよう。だが当てにして貰っちゃ困りますよ。判るか判らないか、とにかく明日の日暮れ方にもう一度来てみとくんなはい」
 市 「あのう、今晩一晩、どなたか揉み療治でもさして貰って、こちらで待たして貰えませんでしょうか」
 竹造「按摩をしてかい」
 市 「へえ」
 その時、女郎の一人が声を揚げながら見世を立ち、慌しく駆け寄る。
 女郎一「捕まえてッ、捕まえとくれッ、雷神の留さんに違いないんだ、はやく追っかけて・・・・」
 竹造「雷神・・・・」
 女郎一「顔を隠して通り抜けてったんだよを、はやくッ・・・・」
 竹造、暖簾外へすっ飛んで行く。
 女郎一「梅ケ枝に逢いに行くつもりだよ。畜生、人を盲目だと思って・・・・(土間へ洗足で下りて暖簾の外を覗く)」
 市 「あのう、つかぬことをたずねますが・・・・」
 女郎一「え、あたしかえ(振り向く)」
 市 「へえ、姐さんのお袋さんは、もしや名前をのぶさんと言いやァしないでしょうか」
 女郎一「のぶ・・・・」
 市 「へえ」
 女郎一「お母さんはきくってんだけど、去年死んだよ」
 市 「さいですか、どうもご愁傷様で・・・・」
 女郎一「ちっ」

<同・奥の廊下>
 台の物をはこぶ若い衆や部屋廻りの女。
 遣手に案内されて二階へ上る客、扇子で顔を隠しながら帰って行く客、お女郎ニ三人が忙しく行き交う。
 竹造が市の手を曳いて慌しく来る。

<同・階段下の行燈部屋>
 灯りはないが、廊下のあかりが障子の白さを際立てて、部屋は仄かに明るい。
 その障子があいて竹造が市を連れて入る。
 竹造「ここなら誰も覗きァしない、何か言ったら、療治の客を待ってるって言やァいいよ」
 市 「どうも無理を言って・・・・」
 竹造「じゃ、あとでな」
 市 「よろしくおたの申します」
 竹造「いいとも・・・・
(障子を閉めて去る)」
 市 「(手さぐりして奥の方に座をとり、鼻をうごめかす) 布団部屋だな、こういうところはどこいっても同じような匂いがしやがる。 黴のにおいに腐った灯し油のにおいか、でも、こいでやれやれだ、 うまく娘さんが見つかってくれりァ申し分はないが・・・・ふう、 矢張りお女郎なんだろうか、そうだとすると余ヨ程のことがあって逢いに行くんだったろうなァ・・・・ (悔恨が甦り)余計なことをしたばっかりに・・・・気の毒に・・・・」
 老婆を呑んだ川の水音。
 鳥の啼き声。

 と、障子に影を映した女の話し声が市を現実に引き戻す。
 女一「この節ァ十人越すともう死ぬ思いだよ、年だね」
 女ニ「お前さんは濡らしすぎるんだもの、好きな男ならともかく、ほどほどにあしらっときァいいものをさ・・・・」
 女一「そのつもりで相手するんだけど、いろんなことされるとすぐ駄目ンなっちまうんだもの、因果な体だね・・・・」
 喋りながら女二人は上草履の音を立てて通り抜ける。
 市、吐息して首を振る。 「婆さんの娘ってのも女郎衆なんだろうか、とすると身請けするつもりだったのかな」.
 老婆を呑んだ川の水音。
 
 時を告げる拍子木の音が見世の方からきこえる。
 市 「九つだな、ちょいと横になるか・・・・(手さぐりして肘を枕に横たわり)もしお女郎なら、毎日毎晩、あんな思いで生きているんだろうね、可哀想に・・・・」
 その時、廊下にまた慌しい足音がして部屋の外へ来る。
 女郎の錦木と船大工の丑松である。 障子を手荒くあけて、錦木と丑松がもつれ合って転がり込む。
 錦木「(声)まさか表から揚がったんじゃないだろうね」
 丑松「(声)あたりめえよ、裏の塀を乗り越えて、さっきから庭に隠れてたんだ」
 錦木「(声)見つかったらどうするんだい」
 丑松「(声)逢いたくって逢いたくって、もう気が狂いそうなんだ」
 錦木「(声)いけないッ、いけないってば、こんなとこで何をするんだよ」
 丑松「(声)俺ァ我慢がならねえッ」
 錦木「(声)あっ、乱暴な・・・」
 市、驚き顔に半身を起こす。
 と、障子を手荒くあけて、錦木と丑松がもつれ合って転がり込む。
 市、思わず体を伏せる。
 錦木「お客が来てるからを待たしてるんだから駄目だよ、こんなとこを見つかったらどうなると思うんだい、はなしとくれッ」
 丑松「抱いとくれッ俺がどんな思いで忍んで来たか、お前は察しねえのかッ
 錦木「無理だよ、そんあこと言ったって・・・・」
 丑松「そんな気か・・・・」
 錦木「だって・・・・」
 廊下をばたばたと音を立て、近寄る草履の音。
 錦木、声を呑む・
 市もそれとなく窺う。
 草履の音、そのまま遠ざかる。
 錦木「(声)あッ、何をするんだい」

 丑松に倒されて仰向けに転がる錦木。
 そのはづみに行灯のひとつがひっくり返る。
 錦木「痛ッ、痛いじゃないか」
 丑松「(錦木にのしかかり)我慢しろ、我慢してくれ、な・・・・」
 錦木「知らないッ」
 市、呆然として二人の話し声を聞いているが、一寸、話は途切れる。
 そして。
 丑松「(上ずった声)錦木・・・・錦木・・・・」
 錦木「(声)そんな大きな声を・・・・馬鹿ッ」
 丑松「(声)怒るんじゃねえ、あ、抱いてくれ、抱いてくれッ、もっと強く、もっとだ、もっと、もっと、ああ・・・・」
 市、いきなり両方の耳へ指を突っ込んで塞ぐ。
 と、同時に二人の話し声も息づかいも部屋の外の雑多な音も断ち切れる。市そのままじっとしているが、暫くして、窺うようにそっと指を抜く。と、いきなり錦木の声が飛び込む。
 錦木「(声)死ぬッ、丑さん、あたし死ぬ、死ぬよ、死ぬよ、ああ・・・・」
 市、ぎょっとして膝を立てるが、あわてて耳を塞ぐ。
 声は遮断される。
 それから数刻、市、指を抜く。
 錦木「(声)そりゃ、あたしだって、相手次第でその気にァなるさ、なっちゃいけないのかえ」
 丑松「(声)厭だとか何だとか言いやがって・・・・」
 錦木「(声)本当は嬉しかったんだよッ」
 丑松「(声)痛えッ、痛えじゃねえか」
 錦木「(声)馬鹿、馬鹿、丑松の馬鹿野郎ッ」

 そこへ、遣手婆の声が飛び込んでくる。
 声 「錦さん、錦さんえ、どうしなすったんですい、錦さん・・・・」
 錦木「来たよ、はなして・・・・」
 声 「錦木さん、どこにいるんですよ・・・・」
 錦木、起き上がって髪を整えて立つ。
 丑松「少しねえかい」
 錦木「あるもんかね」
 丑松「いくらでもいい」
 錦木「こっちが無心したいよ」
 丑松「ちえ」
 丑松は銭を置く。
 錦木「なにこれ・・・」
 丑松「ここんとこ、ちょっとばかし目がついてんだよ」
 錦木「今度来るときは表から来ておくれよ」
 遣手「(声)錦木さん、錦木さんてば・・・・・」
 錦木「見つからないように帰ってくれ」
 丑松「少しでもいいからさ、頼まァ」
 錦木「ないったらないよッ(障子をあけ、四辺を窺って出て行く)」
 丑松「けっ、勝手にしやがれ(蹴るようにして立つ)」
 市、息を詰めている。
 丑松、障子の外へ首を突き出し、四辺を窺うと、さっと駆け出す。錦木も身じまいを正して出てゆく。
 市 「ふん、男も男だが、女もいい加減なもんだ、お蔭で肩が凝ったぜ、ひでえもの訊いちまったな、こちとらも一度死ぬような目に会いてえや思いがしてみてえや錦木っていったなふふ・・・・」

<扇屋の裏口>
 やくざものが逃げ出した女郎・花里を連れて来る
 お浜「ご苦労さん、どこにいたんだい」
 やくざ「八日市場のきたねえ旅籠に隠れていました」
 お浜「お前はほんとに手のかかる子だねえ」
 花里「あたしの年期はとうにあけているはずじゃないですか」
 お浜「何を言っているんだい。お前の借金はまだ残っているんだよ」
 花里「ウソ」
 お浜「ウソ? お前はあたしがウソを言っているというのかい。・・・・・鍵部屋へ連れておいき」
 花里「おかみさん、鍵部屋だけはいやだ」
 やくざものが女郎を連れて出ていく。

<扇屋の賄い場>
 楓の弟・新吉が賄いで働いている楓のところへ来る
 楓 「ここへ来ちゃいけないって言ったでしょ」
 弟 ねえちゃん、いつ帰ってくるの」
 楓 「あしたよ」
 弟 「ほんと?」
 楓 「ほんとよ。これ持っておいき」
 女の声 「楓、なにしてんだい」


 廊下にまた足音が近づいて障子があき、錦木が覗き込む。
 錦木「(忍び声)丑さん・・・・なんだいもう帰っちまったのかね、折角持ってきてやったのに・・・・(二朱銀を手玉にして去りかける)」
 市 「(声)あのう、もし・・・・」
 錦木、はっとして振り返る。
 市 「今晩わ・・・・(暗がりから這い出る)」
 錦木「あッ・・・・(思わず声をあげる)」
 市 「いえ、何もしやァしません、こりゃどうも、吃驚らさしちまって、すいませんです」
 錦木「お前、按摩さんかえ」
 市 「へえ、按摩でございます」
 錦木「さっきからここにいたんだね」
 市 「へえ、どうも気の利かないことで・・・」
 錦木「ふッ、馬鹿にしてるよ、いるならいるで咳払いでもしてくれりゃいいのに、けッ(去ろうとする)」
 市 「ああもしッ、ちょいと待っとくんなさい」
 錦木「何か用・・・・」
 市 「つかぬことを伺いますが、姐さんのお袋さんは、もしや名前をおのぶさんて言やしませんでしょうか」
 錦木「あたしのお母さん・・・・ああ、のぶだよ、それがどうかしたの・・・・」
 市 「本当にのぶって言うんですか」
 錦木「ああ」
 市 「三味線を弾きなさりゃしませんか」
 錦木「弾くよ、永いこと下座のお囃子をしてたから・・・・」
 市 「お前さんだ、あたしの捜してる娘さんはお前さんですよ(三味線を取り上げ)これがお袋さんの持ってなすった三味線でさァ、裏にのぶって名前が書いてありましょう」
 錦木「(手にとり)あたしもこれを弾いてたよ、懐かしい三味線だ、どうしてお母さんを知ってるの・・・・」
 市 「いえ、知ってるって訳じゃないんですが・・・・・」
 錦木「達者にしてます・・・・」
 市 「へえ、あのう、実は一昨日の午ごろ、佐倉の手前で川似落ちて・・・」
 錦木「川に・・・お母さんが・・・・」
 市 「へえ」
 錦木「落ちてどうしたの・・・・」
 市 「生憎く近くに誰もいなかったもんで・・・・」
 錦木「え」
 市 「気の毒なことをしました」
 錦木「じゃ溺れて、死んだんだね・・・なんてことだ、お母さん、死んだんでしょう」
 市 「へえ」
 錦木「なぜ佐倉なんかへ来たんだろう・・・・」
 市 「それが・・・・」
 その時、また遣手と若い女(楓)の声が呼ぶ。
 声 「錦さん、錦さん、何をしてるんだろうね」
 楓の声「錦木姐さん、何処・・・・」
 声 「叱られても知らないよ、ようござんすねッ」
 錦木「按摩さん、半刻したらまた来るから、ここで待っとくんなさい、あとの話が聞きたいから・・・・」
 市 「ようござんす。待っとります」
 楓の声「錦木姐さん、何処にいるんですよを・・・・
 錦木「そいじゃ、頼みます(三味線をおいて、草履の音を立てながら駆け去る)」
 市 「(三味線を引き寄せ)矢張り、お女郎だったか。あれがお婆さんの娘たァ・・・・でも、よかったぜ、まぐれ当りもこう行きァな・・・・」

<同・見世先>
 旅博徒、伊八、仁助、保造、亀吉、与三松がそれぞれ足を洗って上框に立つ。
 遣手「(五人の長脇差を束にして抱え)じゃ、お部屋へどうぞ・・・・
 旅人たち「弁天さまがおがめるなんざ、久し振りだ」
 一塊となって板間へ上り、遣手のあとについて行く。
 市が手さぐりに来る。
 竹造が市を案内している。
 竹造「しかし、あんたも目が高いですね、錦木さんに目をつけるなんざ」
 五人、すれ違う。
 伊八「(声を潜め)座頭市だぜ」
 仁助「違えねえ」
 伊八「野郎、盲目の分際で女を買うんかい」
    「野郎の首はゼニになるんだぞ」
 仁助、市を見守ったまま立っている。
 市、上框へおりる。
 竹造「おや、どうしなすった」
 市 「見つかりました、あたしの捜してる娘さんが・・・・」
 竹造「見つかった・・・・」
 市 「錦木っていうお女郎さんがそうなんですってさ」
 竹造「錦木が、へええ・・・・」
 市 「半刻ばかし待っててくれろッてんで、待たして貰っとります」
 竹造「そりゃよかったね」

<同・二階の引き付け部屋>
 遣手に連れられて、伊八・保造、亀吉、与三松が来る。
 遣手「ここで待ってとくんなさいまし、すぐお目見えをして貰いますが、敵娼(あいかた)さんが決ったら、それぞれ部屋に引き取って、あとは嘗めようと齧ろうと、親分さんの好きなようにして貰いますからね(愛想を残して足早に去る)」
 おくれて仁助が来る。
 与三松「嘗めようと齧ろうと、好きなようにしろとよ、えへへ・・・・」
 仁助「座頭市ァ帰る気配もねえが、どうするい」
 保造「俺らにァ何の因縁もねえ奴だ、ほっとけ・・・・」
 仁助「野郎の首ァ金になるんだぜ、飯岡に持ち込みァ百両にァ売れるんだ」
 亀吉「百両・・・・豪儀じゃねえか」
 伊八「どうせ飯岡にァ寄らにァなるめえ、いい手土産だぜ」
 亀吉「頭割り二十両か、滅多にねえ仕事だ」
 仁助「行き掛けの駄賃よ」

<同・行燈部屋>
 障子をあけて市が戻る・
 と、錦木の部屋の小職、楓が駆けてくる。
 楓 「按摩さん、按摩さん、錦木姐さんが二階のお部屋で待ってとくんなさいって・・・・どうぞ(市の手をとる)」
 市 「さいですか、どうも・・・・一寸待っとくんなさい、三味線を・・・・(部屋の中へ入り、手さぐりして三味線を取り上げる)」

10
<同・二階下の階段口>
 仁助と亀吉が段梯子を駆け降りようとして、あわてて引き返し、柱の蔭へ入る。
 階下から楓に手を曳かれて市が上って来る。
 仁助と亀吉、その市を見迎え、見送る。
 亀吉「座頭市に間違えねえな」
 仁助「間違えねえ、確かだ」
 亀吉「何の変哲もねえ按摩じゃねえか、あんな盲目一匹に歯がたたねえたァどういうんでえ、けッ、馬鹿馬鹿しい・・・・・」
 仁助「とにかく、やるんだ、やろうぜ」
 亀吉「よし・・・・」

11
<同・錦木の部屋>
 楓が市を連れて入る。
 妖しく艶めかしい部屋で、隣り部屋には二ッ枕の寝床も敷いてある。
 楓 「どうぞお坐り下さい、はい、お座布団を・・・・
 市 「へ、どうも・・・この三味線をどこか邪魔ンならないとこに置いとくんなさいまし」
 楓 「はい(受け取って床の間におく)」
 市 「声を聴いてると、まだお若い人のようだが、いくつになんなさるんで・・・」
 楓 「十四です」
 市 「ほう、そいじゃ偶にァ家に帰り度いだろうが、こっから遠いんですかい
 楓 「家はもうないんです、去年まで銚子の浜にあったんですけど、お父つあんが死んだもんで・・・・」
 市 「そう・・・・お袋さんは・・・・」
 楓 「死にました。お母さんもあたしが九ツの時に死にました
 市 「身寄りの人は・・・・」
 楓 「弟がひとり」
 市 「そいじゃ、孤児(みなしご)だね、あたしも同じだ」
 楓 「按摩さんも・・・・」
 市 「六ツの時には二親とも死んじまって・・・・」
 楓 「まァ、そんなに小さい時分・・・・」
 市 「お父つあんはどうして亡くなんなすったの・・・・」
 楓 「漁に出て、海に落ちたんです」
 市 「海に落ちた・・・・」
 楓 「ええ・・・・お茶をどうぞ・・・・(市の膝前に「おく)」
 その時、部屋の外に、
 錦木「(声)おや、お二人さん、何ですの、ひとの部屋を覗き込んだりして、いいお兄さんが廊下鳶ァみっとものうござんすよ
 楓 「姐さん・・・・(慌しく立つ)
 錦木入って来る。
 長襦袢一枚の寝乱れた、しどけない格好である。
 錦木「あたしを見そめてくれたんだって・・・・どこで・・・」
 市 「いえ、見そめたってわけじゃありません。お声がよかったんで、聞きそめたんでございます」
 錦木「そんなこともあるもんかね」
 市 「へえ、姐さんのお袋さんは三味線を弾きませんか」
 錦木「子供のころ聞いたことあるけど・・・」
 市 「じゃあ、これちょっと見ていたけませんかね」
 錦木「のぶ・・・って書いてある。うちの母さん、のぶっていうんだけど・・・・知ってるの」
 市 「いえ、知ってるってわけじゃねえんですが・・・・あっしがこちらに来るちょっと手前で、佐倉の手前で、川に落っこちまして」
 錦木「川に・・・お母さんが」 
 錦木「(市を見ると思わず襟元へ手をやり)そうだっけ、按摩さんに待ってて貰ったんだね」
 市 「誰かここを覗いとりましたか」
 錦木「(どかりと鏡台の前に腰を落とし)どうせ、気の利かないあぶれ者さ」
 市の直感は、それが自分を狙う刺客だと知る。

12
<同・階段口>
 仁助と亀吉が柱の蔭へ入る。
 仁助「どうするい」
 亀吉「俺ァやるぜ」
 仁助「女と寝てたんじゃ取り遁すぜ」
 亀吉「どうせ碌な女ァ当りやしねえ、どうでえ、二人だけでやろうじゃねえか、百両山分けだ」
 仁助「いいだろう」

13
<同・錦木の部屋>
 錦木、長襦袢の背中を市に向け、腰巻を仕替えている。
 錦木「(市に顔を振向け)そいじゃ、あたしのお母さん、あんたが死なしたようなもんじゃないか じゃ、お前さんが殺したようなもんじゃないか
 お前さんが余計なことをしなきァ、お母さんは今時分ここに来てくれてる筈だろう」

 市 「へえ」
 錦木「三味線を届けてくれたからって、礼なんざァ言うことァなかったんだ、礼どころか、どうしてくれるって文句が言いたいよ」
 市 「どうもすいません」
 錦木「すいませんじゃすまないね(脱ぎ落した腰巻を足で掃う)」
 それを楓がまるめて片づける。
 錦木「わざわざ川越から四十里もの道中をして娘に逢いに来ようってんだから、並大抵の想いじゃなかったろうに、それを途中であんたが殺したようなもんだ、そうだろう・・・・」
 市 「あたくし、どうしたらようござんしょうか」
 錦木「どうしたら・・・・そりゃお母さんを生かして返して欲しいさ(扱帯を結んで坐る)」
 市 「何とか償いをしなきァいけないたァ思っちゃいるんですが、お金で勘弁して貰えませんですか」
 錦木「お金って、あんたお金を持ってるの・・・・」
 市 「少しばかしならここに・・・・(懐をを抑える)」
 錦木「(じろりと市を見やり)お母さん、ひょっとしたらあたしを請け出すつもりで来てくれたんかも知れないね、そうだとすりゃそれだけのお金を身に着けてた筈だ、それも一緒に川ン中へ消えちまったんだ、あんた幾ら持ってるの・・・・」
 市 「へえ、二十両ばかし・・・・」
 錦木「二十両・・・・ふ、それぽっちじゃ話にもなりゃしない」
 市 「あのう、姐さんを身請けするお金って、幾らありゃいいんでござんしょうかってどうしたらいいんでございますか
 錦木「そんなことを訊いてどうするのさ」
 市 「いえ、もしかしてあたしに出来たらと思って・・・・」
 錦木「お金がかい」
 市 「へえ」
 錦木「ふう・・・・そうだね、何や彼やでまァ、五十両か・・・・」
 市 「五十両・・・・二三日待っとくんなさいましょうか」
 錦木「待ちゃ、五十両のお金が出来るの・・・・」
 市 「へえ、ちょいと当てがありますんで・・・・」
 錦木「そう・・・・そりゃ頼もしいね、だけどあんた、あたしを身請けしてお内儀さんにでもしようってんじゃないだろうね」
 市 「とんでもない、そんなつもりは毛頭・・・・」
 錦木「ははは・・・・そんなにむきンならなくたって、あたし、あんたのお内儀さんにでも何でもなったげるよ、按摩さんてもなァ大層な腎張りで、女を夜通し寝かさないって言うじゃないか、そうなんだろう」
 市 「え、へえ・・・・」
 錦木「へえだってさァ、ははは・・・・」
<同・二階の引き付け部屋>
 遣手に連れられて、伊八・保造、亀吉、与三松が来る。
 遣手「ここで待ってとくんなさいまし、すぐお目見えをして貰いますが、いま敵娼(あいかた)さんが決ったら、そ れぞれ部屋に引き取って、あとは嘗めようと齧ろうと、親分さんの好きなようにして貰いますからね(愛想を残して足早に去る)」
 おくれて仁助が来る。
 与三松「嘗めようと齧ろうと、好きなようにしろとよ、えへへ・・・・」
 仁助「座頭市ァ帰る気配もねえが、どうするい」
 保造「俺らにァ何の因縁もねえ奴だ、ほっとけ・・・・
 仁助「野郎の首ァ金になるんだぜ、飯岡に持ち込みァ百両にァ売れるんだ」
 亀吉「百両・・・・豪儀じゃねえか」
 伊八「どうせ飯岡にァ寄らにァなるめえ、いい手土産だぜ」
 亀吉「頭割り二十両か、滅多にねえ仕事だ」
 仁助「行き掛けの駄賃よ」
14
<同・扇屋の大戸の外(深夜)>
潜り戸があいて草鞋をつけた市が出る。
あとから楓が送って出る。
楓 「気をつけてお行きなさい」
市 「ありがとう、じゃまた・・・・」
楓 「待っています」
宵の賑わいが嘘のような、森閑とした廓の通りを市は去っていく。
楓、見送って潜り戸へ戻ろうとする。
と、その潜り戸を中から引いて、亀吉が飛び出す。
楓、吃驚して声をあげる。
亀吉、通りの真中へ出て一方を透し見る。
続いて仁助が長脇差を手渡し、二人は夜闇の中に姿を消そうとする市を追って駆け出す。
楓、不安を覚える。

15
<同・廓の外れ>

 市の後をやくざたちが付けている。
 市 「座頭市と知ってつけていなさるのかい。・・・・唖と盲目じゃ話にならねえ」
    斬りこんだ亀吉が一瞬のうちに倒され、血が地面に広がる。
 
市、不図立停る。
 市 「(足音を聞き)二人だな、あの廊下鳶か」
 仁助と亀吉、走り寄ろうとて、あわてて物陰へ飛込む。
 市 「(二三歩歩きかけてまた立停る)そこのお二人さん、あたしに用があんなさるようだが、遠慮なく用の趣を言ってやっとくんなはい」
 仁助と亀吉、顔を見合う。
 亀吉「吐しやがれッ、この盲目めッ(駈け出て抜く)」
 仁助「(同時に市のうしろへ廻って抜く)座頭市ッ 首を貰うぜ」
 市 「お前さん方ァ一体誰だい、あたしに何か意趣でもあるんかい」
 亀吉「うるせえやいッ(斬り込む)」
 市、杖で掃う。
 仁助、たたらを踏む。
 市 「問答無用ってやつか、この二三日、折角人間らしい気持ンなって、人の命の果敢なさや愚かさを考えてたとこだが・・・・・仕様がねえ、火の粉は掃うぜ」
 亀吉「くそッ(勢い立って斬込む)」
 市、一転して斬りおろす。
 亀吉、呆気なく倒れる。
 市、仁助の仕掛けるのを待つ。
 仁助、市の手練に怖えて斬込めず、踵を返して逃げる。
 市、ペッと唾を吐き、刀を鞘に返す。

16
<同・廓の通り>
 楓が不安顔に立停ると、前方から伊助が抜身を掴んだまま駈け戻り、駈け抜ける。
 楓、その伊助を見送り、一層の不安を覚える。

17
<同・廓の外れ、海に近いあたり>
 市、くる。不図立停る。
 市 {(顔の拡大、接写、聞き耳を立て)また来たな」
 (ダブル)草履をはいた男の足がぱたぱたと音を立て、走ってくる(音は現実だが画面は幻想)
 走って来た伊助がいきなり市の背後から斬りつける。
 市、楓と躱(かわ)す。
 楓の声「ああ按摩さん・・・・」
 市、はっとして振返る。
 そこに楓が立っている。
 楓 「(にっこり)よかった・・・・」
 市 「楓さんだったのか」
 楓 「どうもなかったんですね」
 市 「心配して来てくれたんだね、ありがとう・・・・」
 楓 「要心して行って下さいね」
 市 「(神妙に)はい」
 楓、走り去る。
 市、足音を聞き送る。

18
<銚子の海岸(昼)>
 浜に引き揚げられた三十石決に歩板(あゆみ)が掛かり、空提灯が風に踊っている。
 提灯には「飯沼観世音賽銭奉納所施主鍵屋萬五郎」と書いてある。
 金が払えなかったのだろう、裸に剥かれた男がつまみ出される。市がやって来る

19
<同・船の胴の間>
 ここが鍵屋の賭場になっている。丁半の懸声をあげて勝負を争う十四五人の一座、漁師、船方、旅商人などが客で、大きな勝負はない。
 男が代貸に泣きついている。
 代貸「かかァの年はいくつだい」
 男「四十過ぎたとこ・・・」
 代貸「いい女かい」
 組員「かかあかかあって馬鹿野郎、カラスじゃあるめえし・・・」
 
代貸「金さえ持ってくれば書付はいつだって返してやらあ、とっとと帰れ」
 市が様子を聞いている。

 壷があき、一勝負が片付いた時、
 中盆「おい按摩、そんなとこに割込んでたんじゃ邪魔っけだ、張らねえんなら、そこを空けな」
 市、盆前に坐り込んでいる。

 市 「へえ、あのう、ねえ中盆さんあたしに一度筒(どう)を取らしちゃその壷をあっしに振らしちゃおくんなさいませんでしょうか」
 中盆「なんだと、お前が筒をとる・・・・」
 市 「へえ、誰かにくれちまってもいいお金が二十両ばかしありますんで、面白く遊ばしとくれなさりゃこんな端金、みんなはたいちまいたいと思っとりやす(巾着を逆さにして膝前に小判をあける)」
 一座、呆気に取られて市を見る。
 中盆「(驚き顔)その金、お前、本当に賭けるんかい」
 市 「へえ、どなたでも取るようにして取っとくんなさいまし」
 中盆、代貸へ顔を振向ける。
 代貸、やらせろと目顔。

 中盆「目が見えねえに盲目じゃねえか、お前さん、目が見えねえで壷は振れるんかい」
 市 「そりゃもう、好きな道でござんすんで博打のほうも目がねえんでございます、へへへ・・・・」
 市は小判を取り出し・・・客の関心を引く。

 中盆「ならやって見ねえ」
 市 「有難うござんす」

 壷振り「(壷の中へ賽ころを投げ込んで市の膝前に差出す)壷だぜ」
 市 袂から賽コロを二つ取り出す。
 壷振り「おっと賽コロの持込はいけねえよ」
 中盆「こっちの賽コロを使ってくんな」
 市 「へい、これは・・・・ピンのところが萬の字だ・・・・いい賽コロですね

 市 「(裾を跳ねて膝小僧を揃え、壷を取って二度三度賽コロを転がしたあと)盲目なんで、手際のまづいところァ勘弁しとくんなさいまし、さっ、かぶりだ(を壷伏せ)生を張っとくんなせえッ
 伏せた壷の外に賽ころが一つ転がっている。
 皆、顔を見合う。
 丑松が「あ、お前さん・・・」と注意しようとするが、傍の男に止められる。
 中盆「張った張った」
 本 「よし丁といこう」
 同 「俺も丁だ」
 同 「半ッ」 
 同 「半、続いた」
 同 「丁だッ」 
 同 「半にいこう」
 同 「丁」
 同 「よし半だ」
 振られる銭は弧に通した五十文か百文、そして一朱銀が二三枚といったものである。
 市  「さア、あとを張っとくんなせえ、あとを・・・・」
 中盆「もうねえようだぜ」
 市 「落ちァござんせんね、じゃいきますよ、勝負ッ(壷をあける)」
 壷の中には賽ころが一ツ。
 中盆「三四の半、三四の半」
 客 「おっと先行きがいいぜ、ここァ一朱だ」
 同 「こっちァ百文だ」
 市 「(一両小判三枚を投げ出し)こいで足りやすかい」
 客 「なアに一両でおお足りだ」
 中盆が代貸のところへ立って行って何か囁く。
 市が五両を出し、また壷を振るが、再び賽コロが一つ外へ出る。
 丑松がそっと壷を上げてみる。
 客はみんな丁に賭ける。
 代貸も「俺も丁だ」と加わる。
 市 「どうしてみなさん半に張らないんです。しかたがねえ、よござんす」
 中盆「ピンの丁」
 客たちはおお喜び。

 市 「さ、いきますよ」
 懸声と共に壷を伏せるが、賽ころは二ツとも壷の外に出ている。
 市 「さ、張った張った、張っとくんなはい」
 客の一人が中盆を振返る。
 中盆「景気よく張るんだ、さ、張った張った・・・・」
 客 「よし、張るぜ、丁ッ」
 同 「俺も丁だ」
 同 「続いて丁ッ」
 同 「丁ッ」
 同 「丁といけッ」
 市 「え、半方にァ張らねえんですかい、じゃ、三二の半はとらねえが、どうだッ」
 客 「こりゃ丁らしいな、丁だっ」
 同 「やはり丁だ」
 市 「よしっ、五六もとらねえ、五六と三二ァとりやせんよ、さ、半に張っとくんなはい」 
 客 「俺も丁といくぜ」
 市 「いやだね、どうして半にァ張らねえんだろう、さ、張っとくんなはい、半jはないか、半はないか」
 一人がそっと張り加えると、他の者も賭け足しする。
 一同、一様に市の顔を窺っている。
 市 「このへんですかい」
 中盆「そうらしいな」
 市 「勝負ッ(壷をあける)」
 壷の中に賽ころはない。
 中盆「五一の丁だ」
 市 「え、丁ですかい」
 中盆「五一だ」
 客 「ここァ三朱だよ」
 同 「こっちァ三百五十・・・・」
 市 「(小判三枚を投げ)今度ァこの位かな」
 客たち分け合う。
 丑松が時化た顔で入って来て盆を覗き込む。

 市 「金はまだありますよ・・・なんてったって、博打は有り金全部賭けなきゃ面白くありません」
 市 「負けるにしたって、もっと大きく賭けとくんなさらないと、面白かァござんせんね、さ。いきやすよ、かぶりだッ」
 
また賽ころは二ツとも壷の外に出ている。
 市 「さァ張ったッ」
 丑松「あははは、肝心の賽粒ァ・・・・・」
 中盆「うるせえッ」
 丑松、口を綴じる。
 中盆「さァ張った、張っとくんなはいよ、張っとくんなはいよ」

 客 「よし、思い切り張るぜ、半だ(膝前の銭をまとめて押し出す)」
 代貸が慌しく賽銭箱から金を掴み出す。
 客 「俺も半といこう(持金全部を張る)」
 員 「俺も張るぜ、半だ」
 半だ半だと皆が争うようにして張る。
 市 「今度ァみんな半ですかい」
 代貸「俺も半に張るぜ、いいかい、半ッ(十五六枚の小判を重ねて盆に置く)」
 丑松「(なけなしの銭を張る)半ッ」
 市 「丁方は一人もなしか、まァ仕方がねえ、落ちァありやせんかい、落ちァ、ようござんすね、(壷を上げようとして、外に転がる二ツの賽ころを拾い上げ)いけねえ、そそっかしい野郎だぜ、こんなところに飛び出したりしやがって道化野郎、袂から飛び出しやがって・・・・(右の袖口から袂の中へ投げ込む)」
 客 「(驚いて)おい、そいつァ・・・・・」
 中盆「お前、何をするんでえ・・・・
 市 「勝負ッ(壷をあける)」
 あけた壷の中には別の賽ころが二ツ丁目を見せている。
 一同、呆然とする。
 市 「中盆さん、戒名は丁ですかい、半ですかい
 中盆、狼狽の顔。
 市 「ふふ、御返事のねえところをみると丁と出たんだな(賽ころを指先でさぐり)萬ゾロ三一の丁か、ははは・・・丁となりゃあっしの勝ち・・・・じゃ遠慮なく・・・(膝を乗り出して賭銭をかき集め、左袖口へ入れる)みなさんありがとうございました
 代貸「おい待て、おかしいぞ」
 市 「なにがですい
 代貸「お前の袂へほうり込んだ賽粒ァどうしたんでえ」
 市 「どうもしやしません、その賽コロでしたらちゃんとここにありやす(袂の底をつまむ)」
 代貸「そいつァお前が振った壷を外れて・・・・・」
 客 「そうよ、確かに壷を外れた賽ころだ」

 同 「袂から飛び出したとか何とか言ってぬかしやがって・・・・」
 同 「間違えねえ、五二の半と、ちゃんと出てたじゃねえか。」
 代貸「てめえ、盲目のくせにイカサマしやがったな、いってぃここを誰の賭場だと思ってんでえ」
 市 「こ汚ねえ賭場だと思っております」
 代貸「なにをこの野郎}

 市 「へええ、兄さんそうするってえと、お前さん方ァ、あっしの袂からこぼれた壷を外れた賽の目にコマを張ったんでございますか」
 客 「だってお前・・・・
 市 「そんな頓痴気な博打ってあるもんじゃねえがあるもんかい、丁半博打というなァ、伏せた壷ン中の賽の目にコマを張るんでございますよ賭けるんが定だ、ねえ中盆さん、そうでござんすね
 代貸「てめえの目ン玉から火出して貰いてえのかい。たたんじめえ」
 中盆、戸惑い顔。
 代貸「この野郎、一杯かけやがったな」
 客 「金を返せッ」
 同 「いかさまだぜ」
 丑松「そうよ、それに違えねえ、返しやがれ(市の袂を掴む)」
 市 「(その手をはね返し)馬鹿野郎ッ、よくもそんな情けねえことが言えたもんだ、盲目と見縊って、どいつもこいつもさもしい真似をしやがる、目開きの根性の汚さに呆れたよ、けッ(引き揚げようとする)」
 代貸「待ちやァがれッ(市の前に立ち塞がり)手前、ここを何処だと思ってやんでえ」
 市 「知らないね、盲目を餌食にしようなんて、けちな亡者どものいる賭場だ、どうせ碌なとこじゃねえだろう」
 代貸「聞いた風なことを吐しやがれッ(市の胸倉を引掴む)」
 市 「何をしやんでえッ(その手を捻じ切て突き飛ばす)」
 中盆「くそッ(棒片で殴り掛かる)」
 市、それを引手繰って押し倒す・
 代貸「畜生、叩きのばしちめえ、金を取り上げるんだッ」
 丑松を初め、皆がわッと同じて市を取り巻く。
 市 「手前たちァ博打で負けた銭を腕で取り返そうってのかい」
 丑松「いかさまァ勘弁ならねえんだ、痛え目を見たくねえなら、おとなしく金を置いて行きァがれッ」
 市 「その声は聞いたぜ、ふふ、丑松ってんだろう」
 丑松「え・・・・(驚き顔に市を見つめる)」
 市 「いらねえ腕立てをして怪我でもすると、扇屋の姐さんが悔やむぜ、引込んでなよ」
 丑松「洒落臭え、この盲目・・・・(市に組付く)」
 市、引倒す。
 棍棒で殴り込む者、組付く者。
 上板から網元鍵屋万五郎が降りて来る。
 市、組付いてくる丑松の腕を捻じ上げる。
 丑松「痛えッ、ててて・・・・」
 市 「だから引っ込んでろッてんだ・・・・・(突き放す)」
 万五郎のところへ駆け寄った代貸が何か喋舌っている。
 市に掛かる者、皆がしたたかにやられ、怖気立ってもう手を出そうとするものはない。
 市 「こんなことで、気が済んだのかい(奪い取った棒片を投げ捨て)余計な汗をかかしやがって、気に喰わねえ賭場だぜ(言い捨てて万五郎の前を通りぬけ、上板へ上がろうとする)」

 万五郎「座頭市・・・・さんだね
 市、おやといった顔。
 万五郎「矢張りそうかい、お前が座頭市か。気持ちよく遊んでくれたかい
 代貸「親分、この野郎は・・・・」
 万五郎、代貸を制して・・・・ 
 市 「そういうお前さんわい」
 万五郎「気に喰わねえ賭場の貸元だ俺が鍵屋万五郎よ。挨拶ぐれぇはしてったら、どうでぇ
 市 「(小判を1枚取り出し)ほんの手土産よ・・・・(小判を投げあげ居合で半分に斬る。神条の刀の柄に半分が刺さる)」)
 市 「お貸元・・・・・なんでえ、いなすったんですかい、お人の悪い・・・・そいじゃ、銚子の港を一手に取り仕切っといでなさる網元の鍵屋万五郎さんでござんしょうね」
 万五郎「お前、鍵屋の賭場と承知の上で暴れてくれたんかい」
 市 「え、ははは、いくら盲目だからって、理不尽に殴ってくるやつを黙って受けてる馬鹿ァいやせんよ、ま、とにかく面白く遊ばして貰いやした、ここらが潮時と思いやすんで、御免蒙りやす(一礼して上板へ上がって行く)」
 万五郎、その侭見送り、険しい顔いろで胴の間へ入る。
 代貸「見逃すんですかい」
 万五郎「八蔵、野郎の行く先を見届けろ」
 中盆「へッ」
 代貸「どうしやす」
 万五郎「手前っちが束ンなって掛かったって、歯の立つ奴じゃねえ、噂が嘘じゃねえなァたった今手前が相手ンなって見してくれたじゃねえか」

 市、去る。
 万五郎 「あの野郎、どうしてここへ来やがったのかな」
 代貸「座頭市が来たら、きっと留めておけと飯岡の貸し元からの回状も廻ってますし・・・・黙って見逃すわけにはいきません」
 万五郎「騒ぐんじゃねえ、たかがド盲目一匹、俺に任しておけ」  

20
<海岸、船の上>
 市、草鞋をつけて立上り、歩板を渡って、市、船を下りる。
 胴の間から顔を覗かせて見送る中盆、そっと上板に出る。
 神条「(市の後ろを見送り)あれが百両首か・・・・・」
追加
<扇屋、内儀の部屋>
 お浜「(錦木に)どうだったい、お疲れかい、盲目は情が濃いっていうからね」
 錦木「濃いも薄いも、まだなんにもしちゃいないのさ」
 お浜「あ、そう。じゃ、ひと晩じゅう何にもなし・・・・」
追加
<扇屋、市の泊まっている部屋>
 市、小判を数えている。
 市「二十・・・・三十・・・・・これだけあれば、なんとかなるだろう」
 ひとの気配に気づいて、あわてて小判を隠す。
 やり手が入って来て、
 やり手「錦木さんがお内儀さんの部屋まで来てくれってさ」
 市 「へい、ただいま」

追加
<扇屋、内儀の部屋>
 市が暖簾を分けて入って来る。
 お浜「すいませんね、呼んだりして」
 市 「お安いこってす」
 お浜「いま、錦木から聞いたんだけど、お前さん、ほんとに錦木を」
 市 「へい、本当でございます」
 お浜「そりゃ結構だけど、なんたって錦木はうちの看板だし・・・・」
 市 「いかほどありゃ・・・・」
 お浜の出した指を市はさわって、
 市 「二十・・・・五十両・・・・・」
 市は股の間から巾着を取り出し、金を出す。「あの・・・・証文を」
 びっくりするお浜と錦木。
 お浜「はいッ、ただいま。(やり手に)ほら、座布団をお出しよ、さっきから言ってるじゃないか。まったく、ほんとに気が利かないんだからね・・・・あのこれが年期証文でございますよ」
 市 「へい。(受け取った証文を錦木に見せる)見たか・・・・(破る)」
 錦木はほとんど無表情。
追加
<浜辺>
 楓と弟の新吉が浜に坐って海を見ている(後ろ姿)。
 新吉「ねえちゃん、どっかか遠いとこ、行こうよ」
 楓 「ダメよ、そんなことしたら、すぐ捕まってひどい目に合うに決ってる。ねえちゃんだけじゃない、新ちゃんもよ」
 新吉「大丈夫だよ、海のなかへ行くんだもの」
 楓 「海のなかへ」
 新吉「うん」
 楓 「海のなかへ行ったら死んでしまうよ」
 新吉「死んだら一緒にいられるんだろ」
 お互いを見つめる。
 楓 「年期があけたら。こうして毎日ねえちゃんと暮らせるようになるからね」
 新吉「年期・・・・」
 楓 「三年・・・・あと三年の辛抱・・・・兄弟だもの、いつかきっと一緒に暮らせるようになる。そんときはお父つあんとお母さんのお墓、立ててあげようね」
 新吉、つと立って海のほうへ駈けていく。姉の方を振り返ってうなづく。 

21
<同、胴の間>
 万五郎が不図目を向けた片隅の、埃をかぶった漁具の中に数本の銛がある。
 万五郎、その一本を手に取ると板壁に投げつける。
 銛はどんと音を立てて突立つ。
 万五郎「十人ばかしが遠巻きンなって、こいつを投げりゃ、いかな居合斬りも役にァ立つめえ、安、浜の船小屋に四五十本はある筈だ。一寸見てこい」
 代貸「へえ(すぐ駈け去る)」
 万五郎「ふ、座頭市も銛を食らってくたばりゃ話が湧くぜ。ははは……」
 丑松がその万五郎を憑かれたような顔で見詰める。
追加
<同、浜辺>
 白痴の少年が人形で遊んでいる。
 背後から鍵屋の連中が来て、少年をいたぶる。
 「色気づきやがって」「いいことしてやる」などと、
 少年を押さえつけてペニスをしごいているようだ。
 小便をかけられた若い者が、みんなに笑われて、怒り、少年を殴る。蹴る。
追加
<同、浜辺>
 密漁をした浦七と吾一が舟を引き揚げている。
 鍵屋の連中に見つかり、殴られる。
 代貸「この船、誰に断って使ってるんだ。この船、カタに入ってるのを忘れたわけじゃ、あるめいな」
 組員「舟を出すんなら払うものをちゃんと払ってからにしな。わかってんのか」。
 代貸「わからねえよな、わかるようにしてやれ」
 吾一「無理やり、息子を賭場へ誘い込んでイカサマで船を取り上げたんじゃねえか。漁師が船を取り上げられてどうして生きていくんだ」。
 網を取り上げられる。
 新吉が遠くから様子を見ている。
追加
<扇屋の部屋>
 お浜「旦那がいつ来てくれるかと思って短い首を長くして待ってたんでござんすよ」。窓障子を開くと浜が見える。
 安房屋徳次郎「あい変わらず色っぽいね」
 お浜「また・・・・本気にしますよ」
 楓がお銚子を持って来る。
 お浜「楓、ご挨拶をおし。(徳次郎へ)いい娘でしょ」
 徳次郎はじっと楓を見つめる。
22
<同、海辺>
 市、砂地に引揚げられた漁船の間を行く。
 中盆がそのあとを見え隠れに尾けている。
 市、不図顔を顰めて立停る。
 市 「厭に暑いが、何だろう……真逆焚火をしてるんじゃあるまいが・・・・・」
 すぐ近くの砂地に、焼け落ちた船の残骸が、小さな焔と白い煙をあげている。
 市 「火事か、船だね、船火事……役ずみの朽ちた船でも燃やしたんだろうか……」
 小さな焔と白い煙、白い灰。
 放心したようにして見詰めている七八人の漁夫の男女と子供。
 若い漁夫浦七「とうとう灰になっちまった……」
 その父吾一「十七年もの聞、手足ンなってよく働いてくれたものを・・・・」
 浦七「何てえひどい仕打だ・・・・」
 その女房みよ「どうするんだよ、明日から、どうすりゃいいんだよ……(わっと声を立  てて泣く)」
 その泣声に振返る市。


 船が燃やされ、漁師たちがおろおろしている。
追加
<扇屋の部屋>
 徳次郎「いい気持ちだ。あたしはね、火事を見ていると生き返ってくるんだよ。」
 鍵屋万五郎「それは、いいところへおいでなすった」
追加
<海辺>
 漁師「いくら己れの思いが通らないからって、人の船まで燃すなんて、あんまりだ。俺たちは明日からどうして暮らしていけばいいんだよ」
 父「そんなこというんじゃねえ、さ、はよ立つんだ」
 代貸「風呂んなかで屁こいたみてえにブツブツ言ってねえで、言いたいことがあるんなら、このドスにかけて言ってみろぃ」
 砂浜にドスを放る。
 代貸「さ、ドス抜いてみろ、抜けねえのか」
 無抵抗の漁師を殴る、蹴る。
 新吉が石を投げつける。いったんは大人の間に隠れたが、二個目の石を投げようとしたところを代貸に見咎められる。
 代貸は新吉が口に隠した石を吐かせ、刀の鞘で打ちすえる。
 漁師たちの怒りが爆発し、ドスの争いになる。
 砂浜に倒れたままの新吉。「・・・・ねえちゃん・・・・・」
 漁師たちは四人、神条に斬られてしまう。

 燃える船の前を、錦木が杖を引いて、市が行く。
23
<鍵屋の表土間>
 代貸の指図で漁夫たちが搬び込んでくる銛の束。
 代貸「錆は落しやしょうか」
 万五郎「何本あった・・・・・」
 代貸「五十二本で……」
 万五郎「埃だけァ掃っとけ、鯖ァいい」
 代貸「へ」   
 万五郎が奥へ入ろうとするところへ、「親方」と声を掛けて下働きの目吉が駈け込んでくる。
 目吉「安房屋さんが来なさいました」
 万五郎「安房屋が ……もう来たのかい、ふふ、性急な男だ、二三日泊るんだろうが、人数は……」
 目吉「四人で……」
 万五郎[迎えに行ってやれ」
 代貸「へえ(駈け出る)」

24
<同・付近>
 安房屋徳次郎、番頭甚造、浪人神保常盤、それに荷持の久六が来る。
 代貸が駈けてくる。
 代貸「おいでなさいやし、今日はまたお早いことで……」
 甚造「うん、網元はお家ですか」
 代貸「へえ、恰度いま浜から帰んなすったばかしで……」
 甚造[そりゃよかった」
 徳次郎「景気はどうだね、万事網元の思惑通りにいってるかい」
 代賃「へえ、何も彼も上上吉ってとこで・・・・」
 徳次郎「本当かね」

25
<材木置場>
 市が材木の間を潜るようにして来て、その一隅に腰をおろし、膝の上へ手拭をひろげる。 あたりに人影はない。
 市、袂の中の金を掴み出して手拭の上におく、一両小判、一分金、一朱銀、天保 銭、一文銭など雑多である。中盤がそっ と一方の丸太の蔭に窺い寄る。
 市 「(小判を数え)五土両にはまだ足りないね、あと八両ばかし……どうしよう……」   
 中盆、市の背後へ近付く。   
 市の眼がギロョと勣く、がすぐまた平静に戻り、袖口から細い紐を手繰り出す。
 中盆、市の前へ回ろうとして忍び足に丸太の蔭を出る。
 市の右手が颯と翻る。と、細紐が生きもののように宙を飛ぶ。
 中盆、あッと声をあげて倒れかかる。両端に天保銭をつけた紐が中盆の首をぐるぐる巻きにする。
 中盆、声が出ず、死物狂いに紐を外そうともがく。
 市 [(金を包んだ手拭を待ち)八文銭二枚、惜しいけど、駄賃に呉れてやらァ(去って行く)」

26
<鍵屋の居間>
 女郎衆が小唄を歌い、三味線を弾いている。
 甚造が木箱の蓋をとると、二十五両包の缺餅二十個が詰っている。
 甚造「手紙でお申越しの五百両……」
 万五郎「こりゃ……(目を輝す)」
 徳次郎「すぐとあったので、取るものも取り敢えずだ」
 万五郎[驚きやした。こんなに速く、わざわざ安房屋さんが手前で屈けとくんなさるたァ……」
 甚造「知ってのように、旦那はこれと思い立ったら待て暫しがないんだから……」
 万五郎[そこが安房屋さんの若いってとこじゃねえんですかい」

 徳次郎「ふ、若いから思案が届かんたァ甚造の口癖だが、手紙一本で五百両を届けに来たあたしの実意は買って貰いたいね」
 万五郎「そりゃもう、こんなに有難えことァござんせん、五百両確かに……(蓋をする)」
 甚造「且那はえらく網元に親分に肩入れしといでなさるんだから、そのつもりでやっとくんなさらんと……」
 徳次郎「乗り掛った船だ、あたしも後へは引けないからね」
 万五郎「大船に乗ったつもりで任しといとくんなはい。手紙にも書いときやしたが、こいで足許ァ固りやしたんで、そろそろ外川(とがわ)の港に手をのばす算段をしてえと思いやして・・・・・
 徳次郎「マグロのほかにクジラ取りの船まで作って大掛かりな漁業を始める、港の一切は鍵屋の思いのままにする、お前さんて人はたいした商売人だね。」
 万五郎「これまでのボロ網やボロ船じゃあ、これからの役に立つわけはありませんよ。燃やしちまったんだから、やつらには新しいものをこしらえる金なんざ、あるわけはねえ、安い金でこっちの魚場で働くしかねえ。ざっと一日の水揚げが七十から八十・・・・」 
 徳次郎は銚子を持って来た楓に目をつけて呼ぶ。
 お浜「ご挨拶をおし」
 万五郎「(酒を徳次郎の盃に)つぐんだよ、つぐんだよ」
 徳次郎「で、五百両、なんに使うつもりだ」

 徳次郎「(大きく頷く)うん」
 甚造「外川千軒大繁昌というほどの港だから漁場が手に入りゃ、それこそ上上の上吉だが、外川には外川の網元も親分もいるわけだ、その中へどうやって斬込むか、なにか手蔓のようなものはあんなさるんですかい」
 万五郎「ありやす」
 甚造「どういう……」

 万五郎「(声を低め)八州お見回りの細見様で、さァ、鼻薬はもうたっぶりとかがしてありやすから、一言頼むと言やァ力ンなっとくんなさるなァ間違えねえんで……」
 甚造「なる程……」

 徳次郎は楓に盃を差し出す。
 万五郎「(楓に)おめえが呑むんだよ」
 徳次郎「八州様の畢丸(きんたま)まで握るとはお前さんもよっぽど、スケベだねえを握ってるたァ心強いぜ
 花里「楓ちゃんまだ無理だから、あたしが(盃を受けてのもうとする)」
 万五郎「(盃を叩き落して)何しやがんでえ、馬鹿野郎! 連れてけ。」
 代貸「余計なことすんじゃねえ。こっち来い」(と花里を連れ去る)
 顔を上げた楓。
 万五郎「(声)いい子だよ・・・・滅多に取れないシジミだ」
 お浜「(声)・・・また」
 万五郎「(声)ほんとの話だ」

 万五郎「四五日うちにもう一度、手土産の五十両も持って御機嫌伺いに行って来ようと思っとりやす」
 徳次郎「それがいい。先は八州詣だ、御利益があらたかなら、五十両が百両でもいいではないか」
 万五郎「へえ」  
 その時、表土間の万に何か言い争う声が聞える。
 皆、それに注意を向ける。

追加27
<離れの一室>
 錦木「あ、ホタル・・・・」
 飛んでいるホタルを追う錦木。
 錦木「おや、光った」
 市 「いい「匂いだな」
 錦木「匂いだけ? 見えないのか、あ、御免なさい」
 市 「見えなくたって、お前さんが綺麗だってことは、よくわかるよ」
 錦木「お前さん、お内儀さん、持ったことある」
 市 「え・・・・さあ・・・・・」
 錦木「逃げられたの・・・・しつこくしたんだろう」
 錦木、市に抱きついてくる。
 市 「そんな・・・・寝なくちゃいけねえや・・・(横になって)お休み」
 錦木「ねむいの・・・・寝たの・・・・・」
 イビキをかきはじめる市。
 錦木「(市の顔を見つめて)寝てんだか、起きてんだか、わかりゃしない」
 添い寝する錦木。

追加
28
<海岸>
 浜でなにかを探しているような市。
 白痴の少年の声がする。人形と遊びながら手院

追加
29
<離れ>

 錦木「丑さん」
 丑松「俺に断りもなく身請けするとは、どういうわけだ。どういうわけだいッ」
 あげりこむ丑松。
 錦木「そんなこと言ったって、お前さんに五十両っていう大金、出来るわけないだろ」
 丑松「そんなかには俺のゼニだって入ってるんだ、あの野郎、イカサマしやがって。あいつはな、座頭市って、評判の盲目やくざだいッ。それにな、飯岡の助五郎親分があちつの首に百両もの賞金をかけているんだ」
 錦木は驚く。
 丑松「おめえがあいつに抱かれているかと思うと、(胸をたたいて)ここが痛くてしょうがねえや。畜生・・・・なんとかならねえかな」
 錦木「馬鹿だねえ、お前さん、あたしァあの人とはなんにもできちゃいないんだよ」
 丑松「ウソ・・・・」
 錦木「試してごらん」
 丑松「ホントか」
 セミの声が高まる。丑松は錦木を抱きすくめる。
 丑松「おめえの体、おれだけのもんだ・・・・誰にも渡しァしねえよ」
 錦木と丑松、睦みあう。
 市の影が障子に映る。錦木が
 錦木「お帰り」
 市 「サカナ、買ってきたよ」
 錦木「え・・・ほんと、サカナ」
 丑松、音を立ててしまう。
 市 「誰?」、錦木が驚いて魚を取り落す。
 錦木「あ、サカナだよ」。市が魚を拾い上げる。
 市 「オスのサカナだな。刺身にして食っちまおうか」
 錦木「ああ・・・・(あわてて)そうしよう、そうしよう」
 丑松、逃げ出す。


追加30
<鍵屋の船の上>
 万五郎がキセルをくわえて、
 万五郎「このまま、お前たちを帰したんじゃ。この俺の顔がたたねえ」
 伊八ら「へい。たかが盲目一匹、親分さんのお力、お借りするまでのことはござんせんが、黙って御当地をお騒がせしちゃ、仁義に欠けますから」
 仁助「どうでも市をやらねえじゃ、男の意地がすたりまさァ、亀吉のアダをうたにゃなりません。なに、あっしら四人が力を合わせてやりゃあ、いかな座頭市でもうちもらすもんじゃ、ござんせんよ」
 万五郎、盃の酒を飲み干す。
 代貸、組員らが見守る。
 神条「どれ、わしが付いていったやろう」
 伊八「すみません」
 神条「お前たちがどうやって斬られるか、見に行ってやる」
 四人と神条、船を下りていく。
 万五郎「(代貸に)あの四人でやれるもんならそれもよし、やられちまったらそれもよしさ。いずれにしろ、あいつの首は俺が頂戴するんだい」
追加31
<離れ>
 錦木「(市に)どういうつもりであたしを身請けしたんだい。あたしの体に手もふれないで」
 市 「そりゃ、お袋さんの分までこれから先、人並みに生きてもらおうと思ってよ、
 錦木「え、人並み? 人並みってどういうこと・・・・男も抱かずに、商売もしないってことかい」
 市 「そりゃ、男ぐらい抱いたって」。市は錦木から顔をそむける。立って離れる。
 錦木、嘆息する。
 錦木「どっちの・・・・目明きの方、お盲目さんの方」
 市はひしゃくで水を飲む。
 市 「そりゃ、堅気さんと夫婦になって」
 錦木「それから」
 市 「子供を産んで、お袋さんになって」
 錦木「それから」
 市 「その子がまた子供を産んで」
 錦木「そ・れ・か・ら」
 市 「その子を育てて」
 錦木「冗談じゃないよ、気の長い・・・・どうして身請けをしたんだって聞いてるのッ」
 市 「そりゃ・・・・」
 錦木「お母さん殺した罪ほろぼしのためか・・・・そいじゃ自分のためじゃないか、あたしのためでも、ひと助けのためでもない・・・・自分自身の気休めのために、それじゃこっちが迷惑だよ・・・・・はーあ、ね、店へ帰しておくれよ、お金返すから」
 市、驚いて錦木を見つめる。
 錦木「身請けの金五十両だって、博打で勝った金だっていうじゃないか」
追加32
<浜辺>
 市の耳の奥に錦木の声が残っているようだ。
 浜辺の砂浜をふみしめて歩く市。
 男たち刺客の足音が重なる。
 神条が斬りかかる(幻像である。神条の殺気が市に襲いかかる)
 神条「盲目、お前の血の色が見たいか」
 市 「おからかいなすっちゃいけません。血の色が赤いか黒いか、見たくっても見えやしません」
 神条の傍を通り抜けると四人が待つ。
 四人は市の周囲を取り囲む。
 市 「あっしのほうはお前さんがたにはなんの恨みもございませんが、どうしてもやらなくちゃいけませんか」
 仁助「手前が生きてちゃ、手前に斬られてあの世に行った亀の野郎が浮かばれねえんだいッ」
 市 「そいつは・・・なにもあっしのほうから・・・・」
 伊八「うるせえ、手前が生きてたんじゃ、俺たちの男がたたねえんだ」
 市 「たたねえほうが長生きできるぞ。死んじまったら何もかもたたねえぞ」
 斬りかかる四人を一瞬の居合で斬り倒す市。
 神条が投げた手裏剣を杖の柄で受け、手裏剣を抜いて浜に捨て、立ち去る市。
追加33
<扇屋>
 鏡を見ながら化粧された楓。
 お浜「いいじゃないか、よく似合うよ、お前ほど運のいい子は滅多にいるもんじゃないよ、ねえ、錦木の部屋をそのまま貰って、よっぽど有り難いと思わなくちゃね。
 それから、旦那が犬になれって言ったら犬になるんだよ、とにかく体で覚えることだ。判ったの」
 楓 「はい」
 やり手「楓ちゃん、おつねさんが呼んでるよ」
 お浜「行っといで」
 楓、出ていく。鏡の前でしなを作るお浜。
追加34
<扇屋の裏口>
 おつね「楓ちゃん、新ちゃんがね・・・・死んだんだって。いま知らせがあったんだよ」。言い捨てて帰る。
 楓、倒れそうになるが、こらえる。
 外へ飛び出す楓。
追加35
<浜辺>
 走る楓。海辺を駈ける。
 漁師たちが斬られた若者たちの棺の周りで嘆いている。
 少し離れたところに小さな棺がある。
 楓がその棺の傍に駆けつけ、フタをずらすと新吉が納められている。
 楓、悲嘆の情が襲ってくる。
 新吉を抱いて海のほうへ向っていく楓。
 きらめく海。
 楓の声「新ちゃん、ずっと一緒にいられるからね」
 新吉の声「うん」
 楓の頭が沈む。
 きらめく海。

追加36
<鍵屋の一室>
 丑松が万五郎の話を聞いている。万五郎は背中に灸をすえられている。
 万五郎「どうだ、お前と錦木、この俺が夫婦にしてやろうじゃないか。
 丑、手前の惚れた女がたかがド盲目風情に身請けされて悔しかねえか。
 あちいな、いい加減にしろよ!」
 丑松「へえ、それは」
 万五郎「(灸師に)やめろ!(起き上がって) 錦木にしたってそうだな、なんてったって女は五体満足にそろった男がいいに決ってらあな」
 丑松「で、あっしはどうすれば・・・・」
 万五郎「今夜な、市と錦木がたっぷり濡れてるところへ踏み込むんだ。うまくいったら、手前たち夫婦の祝にくれてやらあ、五十両」
 丑松は決心する。「五十両・・・・」
 万五郎「だからよ、丑。錦木にはお前からよく話すんだぞ」
 丑松「へえ」
 乾分「親分、飯岡の貸し元さんより使いがみえまして、これを」(書付を持参)
 万五郎「飯岡の・・・(書状を見る。子分が覗くと)馬鹿野郎、覗くんじゃねえや。(書状を広げて読む)・・・(代貸を呼ぶ)亥乃、市の首を明日、飯岡の貸し元がじきじきに取りにきなさるとよ」
 代貸「飯岡の貸し元がじきじきに・・・こいつはすげえや。親分、ここで市をやれば親分は下総はおろか関東一の大親分ですぜ」
 万五郎「そうなりゃ、おい、飯岡と五分の盃でもやらかすか」
 代貸「こいつはほんとに出来るかもしれませんぜ」
 万五郎「馬鹿野郎」。万五郎と代貸は大笑い。
 丑松がじっと見ている。


追加37
<離れ>
 丑松が家の中の錦木と会話している。
 錦木「どうしてあたしがお前さんが見ている前でやらなきゃならないのさ」
 丑松「見てる方の身にもなってくれよ。お前と夫婦になれると思うからこそ、歯を食いしばって言ってるんだ」
 錦木「じゃ、ただの一回あの人とそうなれば、あたしの体は自由になれるっていうのかい」
 丑松「そうだ、自由になって、俺と夫婦になろうってそう言ってんだよ」
 錦木「誰がそう言ったのさ」
 丑松「万五郎親分がそう言ってんだから間違いねえよ」
 錦木「万五郎親分が」
 丑松「ああ」
 錦木「そんな約束して、お前さんのほうこそ大丈夫なのかい」 


追加38
<離れ>
 夜である。
 酒をついだ後で錦木は市に抱きつき、激しく体を求める。
 丑松の影。
 カミナリがなり、雨が降って来た。
 組員たちがそっと忍び寄る。
 錦木は市の上になっている。
 切り込む組員を市は横転して避け、仕込みを抜いて斬る。
 錦木の傍に血が飛ぶ。
 次々と切り込む刺客を切り捨てる市。
 どしゃぶりの雨のなか、真っ暗闇である。
 錦木が連れ去られる。
 神条が立ちふさがる。二人の一騎打ち。雷鳴がとどき、雷光が光る。神条が倒れる。
 丑松を見つけて、市は刀をつきつけ「案内しろ、錦木のところへ」と脅す。


追加39
<万五郎の船>
 錦木「親分、どうしてあたしがこんな目に会わなきゃならないのさ、ね。親分・・・・放しとくれよ」
 縛られている錦木。
 丑松がやって来る。
 万五郎「丑・・・・市が・・・座頭市は・・・」
 座頭市が後ろについている。
 市はゆっくりと進み、万五郎の正面に坐る。
 万五郎「(自分も坐って)よく来たな、市」
 市 「やくざってのはな、堅気衆のおこぼれをもらって生きているんだ。お天道さまのあたらねえところで生きている人間だぞ。それを手前は堅気の衆を泣かしたうえに煮、お天道さまの下を大手を振って歩いていやがる」
 代貸が銛を取る。
 万五郎「はは・・・・俺にもちっとやり過ぎたところがあったかもしれねえや、なんだ、ひとつ機嫌直しに一杯やってくれろ、(徳利をすすめる)」
 市、その徳利を斬り、銛を先を斬り落とす。
 万五郎が立ちあがると持っていた徳利が縦半分に割れている。 
 市 「錦木、こっちへ来な」
 万五郎「行ってやんなよ、錦木」
 丑松「親分・・・・そんな」(万五郎に殴られる)
 万五郎「ど盲目め、手前にゃ見えねえだろうがな、錦木は動けねえような寸法になっているんだいッ」
 錦木の傍に銛を打ち込む。
 錦木「ひえッ」
 万五郎「市、どうでも錦木、連れて帰りたかったら、その杖を捨てろッ」
 市、躊躇する。
 万五郎「ようしッ、捨てるなよ、その杖を」
 銛を打ち込む。
 錦木「きゃあ・・・・助けて」
 市の耳。橋から老婆が落下したときの音が思い出される。
 万五郎「ようッ、どうするんだよ。今度はどてッ腹に穴あくぜ。・・・・・やっちまえ」
 市 「待ってくれ」。
 杖を差し出す。万五郎はそれを取る。
 万五郎「よし。(子分に)ほどいてやれ。・・・・市、お前の両手、この台の上に乗せろい。二度と療治のできねえようにしてやらァ」
 市 、両手を台の上に乗せる。
 万五郎「(丑松に)丑、手前にやらしてやらァ。(市が切り落とした銛の先を取り)あの手が錦木を抱いたんだ。手前がつぶせ」
 錦木「丑さん(やってはダメだと首を振る)」
 丑松は銛を取り、甲に二度三度と刺す。
 万五郎「杖がなけりゃ三途の川も渡れめえ。両手もがれちゃ、座頭市も赤子どうぜんだ。杖だけは返してやれ」
 市は両手をつぶされ、杖を抱いて立ち上がる。
 万五郎「馬鹿。明け方になったら錦木連れて見舞いに行ってやらァ。いねッ」
 みんが市を笑う。
 万五郎「丑よ、手前よく座頭市をここまで案内してきたな。いいよ、行きな」
 代貸が刀を取る。丑松は帰ろうとする。
 万五郎、代貸の刀を抜き、丑松を刺す。
 万五郎「ひとり・・・あの世へ行け」
 丑松、倒れかかる。錦木が支える。
 丑松「錦木・・・・」
 錦木「・・・・あんたッ」
 万五郎「お前も行くかッ」
 錦木「あ・・・・あたしは・・・・・扇屋さんに・・・・また・・・・働きに・・・・・」
 万五郎「それが利口だよ。なんてったって、この世はゼニだもんな。まだまだお前は働けらァ」


追加40
<浜辺>
 鳶が空を飛んでいる。
 雨があがって夜明けである。
 小屋の中で市は手を端切れ布でしっかり巻いている。
 大勢の足音が近づいて来る。
 飯岡の助五郎を案内して万五郎が来る。
 万五郎「座頭市がどんな死に様をするか、たっぷりとお楽しみなさいまし。万五郎が飯岡の貸し元へのささやかな贈り物でございます」
 市は口も使い、仕込み杖を手の平に縛り付けている。
 外から羽目板が破られる。
 万五郎「やい、座頭市、手の調子はどうだいッ。万五郎がわざわざ見舞いにやって来たんだ。ツラぐらい見せろッ」
 足を止める。
 市は手にツバをはきかける。
 小屋から出て、近づいた子分たちをたたッ斬る。
 万五郎「(驚嘆して)何をしてやがるんだッ。あの化物を早いとこ、たたっ斬れ」
 手下どもは次々と斬られていく。
 万五郎「(代貸に)いつまでくっついてんだ、馬鹿野郎」
 飯岡の助五郎たちは成り行きを見つめる。
 代貸が斬られる。
 助五郎たちは去る。
 万五郎「手前ら、やれッ。やれってんだ」(手下どもは皆逃げる)」
 市は万五郎を追う。
 万五郎「(漁民へ)入れろッ。鍵屋万五郎だ。入れろってんだ」
 漁民は戸を開かない。
 市は万五郎を追い詰める。
 万五郎「勘弁しろい・・・・・勘弁しろ」
 市は追い詰める。斬りかかってくる万五郎を斬り捨てる。
 万五郎「勘弁しろって言ってるのに」。とどめを刺す市。
 泥にまみれた万五郎。市も泥だらけだ。
 漁民たちは遠くから見守っている。


追加41
<浜辺>
 錦木が浜を走っている。
 裸足だ。足元を波が濡らす。
 錦木は砂浜に市の足跡を見つける。
 遠くを見つめる錦木。
 浜を歩いて去っていく市。「完」



      もとの脚本のシーン27以降は、映画にほとんど使用されなかった。

27
<同・表土間>
  海辺の船焼きに立っていた漁夫たちが押しかけて来ている。
 若い漁夫の浦七が父親の吾一を背負って、土足のまま板間に上り、 それを押し止めようとする代貸を、若い女房のみよが狂気のようになって引き放つと、 浦七は吾一を背負った侭奥へ駆け込む。

28
<同・居間>
 何事かと万五郎が立上ったところへ浦七 が父親を背負って入ってくる。
 万五郎「なんでえ、おのれはッ」
 浦七「(背中の吾一をそこへおろし)これを  見なせえッ」
 吾一は死んでいる。
 浦七[父っつあんは、つい今さっき首を吊って、こんな姿になっちまったよ、網元さ  ん、お前さんが殺したんだぜッ」
 万五郎「何を詰らねえことを……」
 浦七「詰らねえことじゃねえ、俺にァ掛替えのねえ、たった一人の父親だ、返してくだせえ、生かして返して下せえ……」
 万五郎「(声を張り)誰もいねえのか。この気違えをつまみ出さねえかいッ」
 代貸と必死のみよがもつれながら入って来る。
 代貸はみよを振り放って浦七に飛びかかり「この野郎ッ」と襟首を引掴む。
 みよ「(万五郎を睨みつけ)人非人(ひとでなし)ッ、あたしたちが言うことを聞かないからって船に火を付けるたァあんまりじゃないか。船や網を二束三文で取上げられたら、あたしたちァどうやって生きてくんだよ。お父っあんはお前さんを恨んで死んだんだよ。首を吊って死んだんだよッ。人殺しッ、鬼ッ、鬼だッ」
 若い者七八人が飛込んで来て浦七、みよを抑える。
 「なにをするんだいッ」「放せ」「畜生」と喚き叫ぶ二人を引摺るようにして連れ去る。
 あとは吾一の死骸が残る。
 万五郎「その汚えもんを持ってかねえかいッ」
 若い者たちが逡巡し、気味悪げに死体を搬び去る。
 万五郎「けッ、何てえことでえッ、馬鹿にしやがって……(徳次郎らへ)とんでもねえ 気違えが舞い込みやがって、吃驚りしやしたろう」
 徳次郎「死人(しびと)を担ぎ込むとは思い切ったことをする・・・・・」
 竹造「こんなことは再々あるんですかい」
 万五郎[とんでもねえ、今日が初めてでさァ、ほんの一ト握りの野郎共が擦った揉んだと糞理屈をこねやがって、なァにいくらあがいたって何てことァありやせんよ」
 徳次郎「思い切ったことをやらかそうとすりや、何処にでもあることさ、そんなものに 聊易したんじゃ仕事ァ出来やしない、こっちにァ金があるんだ、金と力で押しまくりゃ、何だってやれるさ、やれないことがあるもんじゃない、網元、そうは思わないかね」
 万五郎「その通り、安房屋さんのお言いなさる通りでさァ」
 甚造「(不図気附いて)うっかりしてたが、神条さんはどうしたろう、ほっときッぱなしで……」
 万五郎「あのお侍ですかい」
 甚造「そう……」

29
<同・海岸>
 神条常盤、風に吹かれて無表情に海を見ている。
 (甚造、徳次郎の声をかぶせる)
 甚造「(声)一ト月ほど前からの居候だが、口はまるできかないし、お酒は飲まないし、誰一人笑顔を見たことがないんだから、とにかく変ったお人ですよ」
 徳次郎「(声)敵持ちだと言うことだ、町道場の師範を斬って逐電したのを、門弟たちが師匠の敵と、八方手分けして授してるそうだが、隠れようとも遁げようともする様子のないのを見ると、腕は立つらしいね」
 甚造「(声)こんどは五百両というお金を持っての道中だし、用心のために附いて来て貰ったんでさ・::・」
 神采、ぶらりぶらりと歩いている。
 代貸が駈けて来て声を掛ける。

30
<鍵屋・座敷>
  酒肴の膳が並んでいる。
 万五郎が先に立ち、徳次郎、神条、甚造が入って来る。
 徳次郎「それそれ、今日はぜひその博打場を見聞するとしよう」
 万五郎「盆に坐って、一丁張りやすか」
 徳次郎「ふう、張って見るか(甚造を振返る)」
 甚造「とんでもない、若し病みつきにでもなんなすったら、あたしァ腹を切らにァなり  ませんよ、網元、旦那をそそのかしちゃ困りますね」
 万五郎「こりゃ、つい……」
 徳次郎「安房屋の身代、博打に入れあげるか、ははは……」
 一同、それぞれの座につく。
 そこへ代貸が来て万五郎に囁く。
 万五郎[なんだとッ、で、何処へ行ったか見当ァつかねえのか、馬鹿野郎ッ」

31
<同・小部屋>
 若い者が中盆の頚のまわりにべたべたと膏薬を貼ってやっている。
 中盆「痛えッ、痛えよ……」
 若い者「痛えぐれえ我慢しなせえ、命拾いをしたと思って……」
 中盆「すんでのことに締め殺されてたんだもんなア、あ、痛えッ、痛えッてば……」

32
<扇屋の台所>
 楓が奥から出てくる。
 女郎二三人が仮の開に坐って飯をたべている。
 楓、上框へおりて裏手の戸口を覗く、そこに叔母のかねが立っている。
 楓 「お叔母ちゃん……」
 かね「(楓の顔を見るなり)久古が大怪我したんだよ」
 楓 「え、大怪我って、どんな……」
 かね「頭ァ割られて死にかけてるんゼ、すぐ帰ってやとくれ」
 楓 「帰ってって、出られないもの……」
 かね「なんとか頼んで、一寸でも帰して貰えないのかい、死にかけてるんだから、そう言って……」
 楓 「(逡巡するが)待ってとくんなさい(慌しく引返えそうとする)」
 かね「あのう、少しでもいいけど、お金がないと困るんだよ」
 楓、返事に困るがその侭奥へ駈込む。

33
<同・錦木の部屋>
 錦木、胸もあらわに昼寝をしている。
 楓がそっと入ってくる。
 錦本の寝込んでいるのに躊いながら坐り、乱れた据などを掛けてやる。
 楓 「(思い切って)あのう、姐さん、姐さん……」
 錦木「え、あたしかい」
 楓 「ええ」
 錦木「いやに暑いよ、少し煽いどくれな」
 楓 [はい(団扇をとって煽ぐが、思い切って)弟が怪我をして死に掛けてるんです」
 錦木「(目を見開く)誰が死にかけてるって……」
 楓 「弟なんです」
 錦木「え……お前の弟がかい」
 楓 「ええ、すいませんけど、お内儀さんにお頼みして、一寸帰して貰えませんでしょうか」
 錦木[さア、どうだろう、帰してくれるかしら、訊いて見ないじや何とも言えないねえ」
 楓 「姐さん、お願いしとくんなさい、 日暮方までに屹度帰りますから・・・・・」
 錦木「そうだね、どう言うか頼んで見たげよう(襟を掻き合せながら)鏡をこっちに向けとくれ」
 楓 「はい(立上る)」

34
<一膳飯屋の店土間>
 旅博徒伊八、仁肋、保造、与三松の四人が暖簾をはねて入ってくる。
 店の女[おいでなせえ……」
 四人、床几につこうとして顔色を変える。
 市が背中を見せ、丼飯を喰べている。四人、顔を見合う。
 店の女「どうぞお掛けなさい」
 四人、逃げるようにして店を出て行く。
 店の女「なにが気に入らないんだろう………」
 市 「(汁を吸い、沢庵をかじり)ああ、おいしかった・・・・」

35
<飯屋の外の通り>
  伊八、仁肋、保造、与三松が一塊になってくる。
 仁肋「まだうろうろしてやがる……」
 伊八「ここで座頭市に出ッ喰わしたってことァ、亀吉の手曳きかも知れねえぞ」
 与三郎フ証を討ってくれろってかい」  
 伊八「そうよ、みすみす百両首を見遁す手もねえしな」
 保造「百両に釣られて、亀の二の舞えにならねえとも限らねえぞ」
 伊八「手前はどうしてそう火を吹消すようなことばかし言やんでえッ」
 保造「金よりァ命が惜しいもんな」
 伊八「伊達に長脇差を差してるんじゃぬえやいッ」
 下三郎「おいッ(眼で合図する)」

 市、一膳飯屋を出て行く。

 四人、見送る。
 伊八「何とかうめえ工夫かありや、あんな盲目ぐれえ……」
 与三松「どっちにしろ、後を尾けようぜ」
 仁肋「(保造に)どうするい……」
 保造「仕様がねえ、ついてくよ」  
 市、反身に杖をついて歩いている。
  「按摩さァん……」
 うしろから呼ぶ声。
 市、顔を振向ける。         
 小さな風呂敷包みを抱えた楓が駈けてくる。      
 市 「おや、楓さん、何処へ行きなさるんで
 楓 「叔母さん家です。按摩さんは……」  
 市 「浜へでも行って見ようかと思って・・・・」
 楓 「あたしも同じ方、手をとりましょう」 
 市 「え」
 楓、何の跨いもなく市の手をとる。
 市 「どうも、すいません……」   
 あとを尾ける四人組、呆れ顔に見守る。  
 楓 市の手を曳いて行く。
 市 「按摩の手を曳いて歩いてると、笑やしませんかい……」
 楓 「誰がです……(不審顔) どうして・・・・・」
 市 「(にっこり)楓さんはいい娘さんだ、廓などにいる人じゃない、さぞ毎日毎日のつとめが辛いだろうねえ」
 楓 「(寂しく微笑)仕様がありません、売られたんですもの……」
 市、「誰に、誰に売られたの……」  
 楓 「いえ、本当はあたしが決心して、勝手に身を売ったんです。お父フあんが死んだ時、どうしても返さなくちゃいけない借銭があったもんで・・・・・仕様がなかったの・・・・」
 市 「そう……気毒に……」 
 楓 「あたし、もうとっくに諦めちまってるから、そんな気毒なことァないんです。いまにお女郎さんになったら屹度錦木姐さんみたいに平気で働きます。死んだつもりになれば何でもないんですって……」
 市 「(流石に言葉を見失い)叔母さんの家には時々行くの……」
 楓 「(頭を振り)扇屋さんへ奉公してから今日が初めて……叔母さんのとこに弟を預って貰ってるんです」
 市 「楓さんの弟・・・・・」
 楓 「ええ・・・・・」
 市 「いくつンなんなさる……」
 楓 「八つです」
 市 「そいじゃ、暫く振りに今日は姉弟が会うんだね」   
 楓、弟の容態に思いが走る。
 市 「姉さんが顔を見したら、弟さん大喜びで飛びついて来るだろう、見えるようだ  ね」
 楓 「(急に焦燥にかられ)按摩さん、あたし急いで行きます。先に行ってもいいですか」
 市 「いいとも、そんなこと……お互い一刻もはやく会いたいだろうから、構わず行っとくんなさい、これで何か土産でも買ったげて・・・・・行(楓の掌に二朱銀二枚を握らでる)」
 楓 「まァ、こんなに沢出……一ツだけ頂きます(一枚を返そうとする)」
 市 「遠慮はいらない、この按摩、今日は儲ったんだから……(押し返す)」
 楓 「そいじゃ頂きます。すいません」
 市 [さ、はやくお行き・・・・」
 楓 「はい(辞儀をして足早やに去る)」
 尾けている伊八ら四人が見守っている。
 市、いきなり颯と振返る。
 四人、ビリッとして息を呑む。
 市、総て何事もなかったかのように踵を返して歩き出す。
 伊八「気附きァがったかな」
 与三松「気附かれる筈ァねえよ、盲目だぜ」
 仁肋「座頭市のことだ、遠うに気取ってたかも知れねえぞ」
 伊八「どうするい……」
 保造「いい加誠に諦めようぜ」
 仁助「諦めるか……」
 与三松「何を言うでえ、今更・・・・」
 伊八「いくぜ(先にとっとと行く)」
 与三松がすぐ続く。
 仁助と保造、顔を見合せ、仕方なく後を追う。

36
<浜に近い漁村の通り>
 万五郎、徳次郎、甚造、神条、それに寺銭箱を担いだ若い者などが道も狭しと来る。
 擦れ違う漁夫たちは小さくなって通り過 ぎる。
 徳次郎は酒気を帯びて高声に喋舌ってい
 徳次郎「当り前じゃないか、無償で召上げようって言うんじゃなし、それ相応の代価を払って買い取ろうって言ってるんだ、それを厭だの蜂の囲だのと言う奴で構やしな い、船であろうと網であろうと、どんどん焼いちまやァいいのさ」
 甚造「そんなことを大きな声で……」
 徳次郎「構うものかね、だから鍵屋の言うことがきけない漁師や船方共はこの港じゃ働けないようにしちまやいいじゃないか、ねえ網元……」
 楓が擦れ違う、顔を伏せるようにして行くが、廓の髪型が皆の目を注がせる。 
 徳次郎も言葉を切って見送る。
 万五郎「飯沼の廓の女でさ」
 徳次郎「道理で……」
 代貸「(万五郎に小声で)今なァ弥之助の娘ですぜ」
 万五郎、無言に頷く。
 徳次郎「廓にも若くていい女がいるじゃないか」
 代貸「へえ」

37
<同、漁村の路次>
 楓が叔母かねの家の腰障子をあける。

38
< 同、かねの家>
 かね、振返る。  
 狭い部屋の片隅に弟久吉が頭を布で巻いて寝ている。
 楓 土間へ入る。
 かね「来てくれたかい」  
 楓 這い上り、久古の顔を覗き込む。
 久吉は死んだもののように、息もなく寝入っている。
 かね「ずっと気がつかない侭なんだけど、お医者はその方がいいだろうって・・・・気がついたら痛い痛いって泣き続けるから・・・・」 
 楓 「可哀そうに……(久吉を見守る目に涙が湧き、囁くように)久ちゃん、姉ちゃんだよ、随分永いこと会わなかったねえ……(久吉の手を握り)叔母ちゃん、手が温いよ」
 かね「そりゃ生きてるんだもの……」
 楓 「大丈夫だろうね」
 かね「大丈夫だと思うよ」
 楓 「どうしたの……誰かと喧嘩でも……」
 かね「人もあろうに紺屋の舟番と口喧嘩をしたんだって……」
 楓 「舟番て、大人でしょう」  
 かね「それがね、久吉が人殺し、人殺し、鍵屋はみんな人殺しだって言ったもんだから、舟番が怒って、櫓を振り上げて頭を殴ったんだって・・・・」
 楓 「まァ」 
 かね「誰が聞かしたんだか、久吉の父ちゃんは鍵屋に楯突いたもんだから、網でぐるぐる巻きにされて海にほうり込まれたんだ、 鍵屋に殺されたんだよって、喋舌った者がいるんだよ、だもんだから、子供心にも余ッ程悔しいと見えて……」
 楓 「当り前だよ、あたしだって言ってやりたいもの、人殺しに違いありゃしないよ・・・・こんな小さな子供に大きな大人が、何てひどいことをするんだろう……」
 かね「親方が親方だから、下にいる者もみんな同じだよ、そうだ、今日、浦さんとこの船が焼かれて、吾一っあんが首を吊って死んだんだって……」
 楓 「首を吊って……」
 かね「銚子の浜はまるで地獄さ……」
 その時、溝板を踏み鳴らして近所の女房が声を掛けて去る。
 女の声「かねさん、水だよ」
 かね「あ、そう、はばかりさん……(すぐ立って土間へおり、水桶をさげて外へ出て行く)」
 楓、帯の間から小さな紙包を取出し、それをひろげた銭の上に市から頁った二朱銀二枚をのせて、かねの坐っていたあたりへおく。  
 外で、「水だよ、水を取りに来な、水が来たよ、水だ水だ」と男の声が呼び、足音が忙しく交叉する。
 楓 「(久吉の顔に顔を寄せ)姉ちゃん今日は日暮方までに帰ればいいんだから、それまでずっとここにいたげようね、こんな大怪我をしてるのに、姉ちゃんが附いてて上げられないなんて、御免よ、でもいつか屹度一緒に暮せるさ、姉弟だもの、たった二人っきりの姉弟だもの、お天道さまだって照ってなさるんだから、悪いことをしなきァ幸せだって来るさ、屹度来るとも、だからはやくよくなっとくれ、よくなっとくれよね、姉ちゃん、一緒にいなくたって朝晩お祈りをしてたげるから、よくなるよ、本当によくなるよ、よくならなきァ駄目、 いいね……(槌りつくようにして忍び泣 く)」

39
<三十石船の胴の間>
 丁半博打が始っている。
 寺銭箱を挟んで万五郎と代貨が居えそれに隣って見物の徳次郎、甚造がいる。
 神条は片隅に寄り掛ってぽつねんと一人いる。
 威勢のいい丁半の怒声と駒札の勣きに、
 徳次郎は興味をそそられ、熱心に見ている。
 一勝負が終る。
 徳次郎「見ているだけでわくわくするのだから賭けりや面白いのは当り前だね、こりゃ甚造を連れて来るんじゃなかったよ、生涯の不覚だ、ははは………」
 その時、不図正面に目をやった代貸が驚いて万五郎は合図する。
 上板から、市が降りて来る。
 万五郎「来やがった」   
 代貸、息を飲んで市を見詰める。茶飲場にいる丑松が驚き顔に見迎える。
 市 「胴の開へ降り)どなたさんもお暑いのに御苦労さんでござんす、先ほどはとんだお騒がせをして、どうか勘弁してやっと くんなさいまし……あのう、ここに剖込ま して貰ってようござんすね、御免なさい よ、よっこらしょっと……(喋舌りながら 杖で盆前の客を押しのけて坐り込む)」  
 その開、みんな押駄って市を見守る。
 万五郎の顔が嶮しくなる。
 市 「ねえ、代貸さん……代貸さんいなさいやすね」
 代貸[何でえッ」
 市 「ああ、さっきと同じお人だね、いえ、あのう、実はさっきここで稼がしとくんなすったやつを勘定して見たら、思ったほど勝っちゃいねえんでさァ、で、序のことに、もうちょいと稼がして貰い度いと思ったもんで、また出直して来やした。どうかよろしくおたの申しやす」
 万五郎が代貸に耳打ちする。
 代貸「そ、そうですかい、さっきたァちっとばかし顔振れァ変わっとりやすが、ゆっくりと遊んでっとくんなさいやし」
 市 「へえ、どうも……じゃ、御面蒙って……(ぐいと盆茣蓙の上へ乗出す)」
 その問に万五郎は若い者に耳打ちし、若い者はあわてて上板に馳け上る。
 丑松がその万五郎を見詰める。
 万五郎、もう一人の若い者にも何事か言いつけ。これも慌しく去る。
 代貸が中盆(前の中盤とは顔が異なる)に合図する。
 中盆「(合点して)はい、壷かぶります」
 壷振り「へいッ」
 市 「ちょいと待っとくんなはい」
 皆が市を注視する。  
 丑松、立って盤を覗く。
 市 「(懐ろに両手を入れ) 一枚、二枚、三枚……(小判を数える)」
 その間に徳次郎が不審して万五郎へ訊ね、万五郎が徳次郎に囁く。
 神条が立上って上板へ出て行く。
 市 「……八枚、九枚、十枚と、ここに十両ござんす(膝前におき)あたしァこの十両 で、もう十両稼ぎ度えんでさァ、そいつが稼げるか、あべこべに取られるか、どっちにしろ、一声勝負で決めてえんですが、そこにァお貸元さんもお控えなすってなさるようだが、どうでげしょう。誰でもようござんす、あたしと差しで勝負をしとくんなさるお人はござんせんかい」
 万五郎「一声勝負たァどうするい」
 市 「へえ、壷をあたしに持たしとくんなはい、あたしの出目をそっちで決めとくんなすって、そいつが出りゃあたしの勝、さもなきァ負けってことで……」  
 一座、ざわめく。
 万五郎「ということァ、九半十二丁の出目の一ツがお前で、あとの二十は取らねえってことかい」
 市 「さいです」   
 徳次郎が代貸に説明を訊いている。
 万五郎「そんな勝負に勝目ァあるんか」
 市 「やって見にァ判りやせん。こいつァ運否天賦だ」
 万五郎「裏はねえだろうな」
 市 「ござんせん」
 万五郎「そうか、うん、相手しよう」
 徳次郎「(乗出す)網元、あたしにやらしとくんなさい。素人でもやれそうだ」
 甚造「旦那……(制止する)」
 徳次郎「十両、あたしが賭けよう」
 市 「その声は初めてだが、どなたさんで・・・・:」
 徳次郎「安房屋……安房屋徳次郎だ」  
 市 「安房星さん、そうですかい、安房星さんにァ十両なんて金ェ芥子粒みてえなもんでござんすね」
 徳次郎「なら、二十両でもいい、三十両でも……どうだい、お前さんの持金をみんな吐き出したら・・・・・」
 市 「お望みなら賭けやしょう(皆ろから掴み出し)小判で四十二両……」
 徳次郎、甚造に金を出せと促すが、甚造は渋る。
 徳次郎、奪い取るようにして甚造から取上げる。
 徳次郎「(二十五両包ニツを膝前に置き)五十両だ、八両はまけとく……」
 市 「有難うござんす。じゃ壷を持たして頂きやす(壷を取上げ、寞ころを掌の中で吟味するように、暫く揉んで投げ入れる)」
 万五郎「ちょいと待ちなッ」
 市、無言で賽ころを盆にあける。
 中盆がそれを手に取って見、万五郎に頷いて見せる。
 市 「ようござんすかい」
 万五郎「うん」
 市 「かぶりやす(壷へ賽ころを投げ込んで振る)出目を言っとくんなせえ」」
 徳次郎「(いささか声が震え) ご、五一・・・・」
 市 「五一……(賽ころの音を聞くかのようにして耳に寄せて壷を振る)」
 皆、市の手許を凝視する。
 市、壷を伏せる。  
 皆の視線、壷に移る。            
 市 「壷ッ(さっと壷をあける)」  
 寞の目は五一である。
 感嘆の声が湧く。  
 市、膝前の小判を掴んで立上る。
 甚造[(狼狽し、万五郎へ)いかさまじゃないんで……」
 徳次郎「いかさま……(あわてて五十両を取上げる)」
 市 「(徳次郎の前に立ち、大きな掌を差し出す)安房屋さん、五十両貰いましよう」
 徳次郎、万五郎の顔色を見るが、仕方なく市に差出す。
 市、引手繰るようにして取上げると颯と踵を返す。
 上板から中盆(紐で首を締められた男)が駈けおりて来て、鼻ッ面に立つ市に仰天、素頓狂な悲鳴をあげる。
 市、上板へ姿を消す。  
 その市を丑松が追う。
 代貸「畜生……(立上る)」
 万五郎「あわてるんじゃねえッ」
 代賃「え……」
 万五郎「暫く待つんだ」
 代貸「へえ」

40
<海岩、船の上>
 市、歩板を渡って砂浜へおりる。  
 上板に丑松が市を見送って立っている。

41
<付近>
 干網の影に伊八、仁肋、保造、与三松がいる。
  見張りの与三松が声を掛け、三人が立上る。

 向うから市がくる。
42
<三十石の胴の開>
 万五郎、徳次郎、甚造、代貸が顔を突合 せている。
 徳次郎[そんなことなら神条さんに任しァよかったんだ、どんなに居合斬りが凄かろうと、そんなもんに引けをとるお侍じゃない」
 甚造「それにしても、神条さん一体どこへ ……」

43
<浜の道>
 神条、ぶらりぶらりと歩いている。
 市が擦れ違う。
 その瞬間、神条の眼が異様になり、鋭く見返る。
 市もそれを背中に感じて立停る。
 緊迫の致秒。  
 神条が去る。
 市、去る。

44
<三十石の胴の間>
 若い者が上板から駈けおりてくる。
 若い者「銛をはこびやした」
 代貸「打ち手も集ったか」
 若い者[へえ」  
 万五郎が上板へ駈け上ると、皆がどっと続く。

45
<海辺の坂道>
 市が坂を上ってくる。
 「親分」とうしろから声を掛けて、丑松が近寄る。
 丑松「あっしが誰だか判ってやしょうね」
 市 [丑さんだね」
 丑松「どうやら錦木のことも知ってなさるような口振りで、くすぐったい気持だが、ねえ親分……」
 市 「からかっちゃいけねえ、親分なんて、こっちがくすぐったいよ。何か用かい」
 丑松「へえ、親分に後生一生のお願えがござんす。どうか聞き届けてやっとくんなはい」
 市 [手ッ取りばやく言いねえ」
 丑松「親分の一声勝負、あの秘伝を敦えとくんなはい、お願えしやす」
 市 「そんなことかい(不図、何かを感じる)」
 丑松「そいつを心得てりゃ、あっしなら一生涯喰いはぐれがねえんだ。恩に着るから、 伝授してやっとくんなはい」
 市 「教えて会得することじゃねえよ」
 丑松「そんなことを言わねえで……その代り、あっしも一ツ、お前さんの生き死に関  ねることを耳に入れやすよ」
 市 「生き死に関わる……」
 丑松「鍵屋の網元が親分を殺そうと謀んでるのを知っといでやすかい」
 市 「知らねえ」
 丑松「銛打ちに四方八方から銛を打たして仕留めようって寸法だ。これなら座頭市の居合斬りも役にァ立つめえって言っとりやしたよ」
 市 「鮫か鱶みてえな殺され方をするんかい、丑さん、俺たちを囲んでるなァそいつ  らだな」
 丑松「え……(見回す)」  
 そこへ、銛が飛んで来て足元の地面に突立つ。
 丑松「いけねえ、もう来てやがったか」
 わッと声をあげて銛打ちが三方から活を打って迫る。
 物蔭に潜んで恐ろしげに見守る伊八たち 四人。
 市と丑松、銛を避けて地に這う。
 丑松「畜生、駄目だ。危ねえ、親分、一声勝員だ、敦えとくんなせえ……」
 銛打ちいよいよ接近して打つ。
 市、転々として翻し、極って海に飛込む。
 あツと顔を*げる丑松。
 銛打ちたち崖際に駈け寄って海に打ち込  
 市、海に消える。  
46
<扇屋・錦木の部屋>
 座蒲団の上の花札を寄せ集める錦木、差 しで遊んでいる朋輩女郎が負けた銭を投げやる。  
 錦木「(札を切りながら)晩にァ一ツ鰻でもおごるとしようかね(札を配る)」
 遣手「(障子の外から)錦さん、お客だよ」
 錦木「え、今時分からかえ」
 遣手が障子をあけると、仕立卸しの浴衣を着た市が姿を見せる。
 市 「今日わ……」
 錦木「なんだい、昨晩の按察さんか」
 遣手「通しで揚っとくんなすったんだから  ……」
 錦木「え、お客ンなって揚ったの……」
 市 [へえ、いろいろお話もありますもんで
 錦木「そうだったっけ・・・(にっこりする)」   
 朋輩女郎は出て行く。
 遣手「楓ちゃん、ま仁帰らないんだね」
 錦木[もう帰るだろうよ、日も暮れかけてきたし……」
 遣手「では、ごゆるりと……」
 市 「これを……(一分金を出す)」
 遣手「まァそうですか、じゃお貰いします。あのう、台のものをすぐ………(去る)」
 錦木「勿体ない、あんなばばァに一分もやるなんて、按摩さん、お大尽だね(鏡の前に坐る)」
 市 「姐さんの身請けのお金、持って来ましたよ」
 錦木「(鏡に向った侭)いくら……」
 市 「五十両です」
 錦木「まァ五十両も……そうそう、五十両だったね。そいじゃそのお金、あたしにおくんなさるんですね」
 市 「へえ」
 錦木「昨晩あたし、何か気に障るようなことを言ったかしら……あんたに……」
 市 「いいえ、なんにも問いとりません」
 錦木「そりゃよかった,昨晩はお母さんのことを聞かされて、気が立ってたもんだから・・・・」
 市 「あのう、はやい方がようござんすから、あたくし、扇屋さんの旦那にお会いしましょうか」
 錦木「なぜ……」
 市 「身請けの相談をしなきゃなりますまい」
 錦木「そうか、そうね。でも、旦那もお内儀さんも、今日は何処とかへお詣りに行って留守だから……晩にァ帰んなさるけど……あんた、お金を持って来てるの……」
 市 「へえ、ここに持っとります」
 錦木「じゃ、旦那が帰って見えるまで待ってとくんなさい。あんたは、今日は立派なお客だし、何も遠慮することァないんだから、裸ンなろうと、横ンなろうと、好きなようにしてりゃいいんですよ」
 市 「あのう、それから序に、楓さんも一緒に身請けしたげたらと思うんですが、どんなもんでしょうか」
 錦木「(呆れ顔)あんた、本当にそんなことをしようと思ってるの……」
 市 「あんまりお金が張ると、駄目ですけど  ……」
 錦木「楓はまだ子供だもの、水揚げはまだだけど、なんでも五両かそこいらで来たんだろう。十両もありゃお釣りが来るさ、そんなにお金を持って来てるの……」
 市 「いえ、それっくらいなら間に合いますんで……」  
 障子の外で「お待ちどうさま・・・・」と声をかけ、遣手と台屋の若い衆が二朱台を搬び込んで市の前に据え、酒徳利の盆を錦木の前におく。
 錦木「(盃をとり)そいじゃ旦那、はいお盃です」
 市 「へえ、では姐さんのお祝いのつもりで……(盃を貰う)」
 錦木「お酒をもっと待って来といとくんなさいね」
 遣手「ようござんす(去る)」
 錦儀、酌をする。
47
<浜に近い漁村の通り>
 楓が叔母の家から帰って行く。
 と、徳次郎、法造、少しおくれて神条が通り合せ、擦れ違う。
 甚造「往きも帰りも同じ所で出会うとは妙ですね」
 徳次郎「何かの囚縁かも知れんぞ、今日はむしゃくしや晴らしに廓の酒でも飲みに行くか」
 甚造「行くなァようござんすが、明日は少し早目に立ちますから、そのつもりで……」
 徳次郎「うん」
48
<扇屋・錦木の部屋>
 錦木が廊下の行燈を取込んで、部屋は明るくなる。
 市、三味線を弾いている。
 一頻り弾き終ってけらけらと笑う。
 錦木「矢張りお盲さんだね、お母さんの三昧線も、且那みたいな弾き巧者の手に掛ると、すっかり値打ちもんになっちまって」
 市 「酔った、酔いました。本当に酔いました(がっくりと頭をさげて三味線をおく)」
 錦木「ねえ、ちょいと横んなったらどうなんです」
 市 「楓さんはおそうござんすね」
 錦木「日が暮れるまでに帰るって言っときながら、本当に何をしてるんだろうね」
 市 「そいじゃ、あたくし、ちょいと横にさして貰います」  
 錦木「あっちの蒲団の上でおやすみなさいよ」
 市 「いえもうここで……(肱を院に寝そべる)」
 錦木、枕をとってきてあてがう。
 市 「すいません}
 錦木「いちいちそんな挨拶はいりませんよ。明日の朝までこの部屋は旦那のものだし、あたしだって旦那の好きなようにしとくんなすっていいんだから、遠慮は一切無用・・・・・ねえ、同じことだし、あっちの部屋へ行きましょう」
 市 「もうここで……ここが結構……(うつらうつらとする)」
 錦木、市を見詰め、そっと服のあたりを手さぐりする。  
 市、びくりとして腹を抑え、錦木の手を掴む。
 錦木、はっとするが、すぐ笑いに変えて市の手を握り返し、顔を寄せてふうっと市の目に息を吹きかける。
49
<扇屋の台所>
 楓が慌しく帰ってくる。
 楓 「(誰にともなく)おそくなりました。すいません(駈けるようにして奥へ入る)」
50
<同・錦木の部屋>
 市は半ば口を開いて陶酔境にあり、錦木はしきりに市の体をまさぐっている。
51
<同・錦木の部屋>
 楓が来る。
 楓 「(障子の外に坐り、声低く)おそくなってすいません」
52
<同・部屋>
 障子をあけた楓、はっと趾を呑む。
 男の上に馬乗りとなっている錦木背中。
 その下で仰向けになっている市の顔。
 楓、思わず障子を閉め切る。
53
<同・部屋の外>
 楓、慌しく駈け出す。
54
<同・階段口>
 楓が駈けてくる。
 と、男の休に突当ろうとして抱き止めら れる。仁肋である。
 伊八、保造、与三松もいる。
 仁助「(楓の顔を覗き)ああお前だ。お前ンとこに昨晩の按摩ァ来てねえかい、来てるだろう・・・・」
 楓「(つい肯定するように部屋を指さすがあわてて)いいえ、来てなさいません。いませんッ」
 与三松[いるんだ、いるに違えねえ」
 仁助「推量通り……」
 与三松「よしッ(抜刀)」
 仁助「待て、はやまっちゃいけねえ。」
 楓 「姐さん……」
 仁助、あわてて、楓の口を塞ぐ。
 三人、忍び行く。
55
<同・錦木の部屋の外>
 三人、忍び寄る。
 与三松が窓障子の小さな破れに目をあてて覗き見る。
56
<同・部屋>
  恍惚境にある錦木の顔(接写)
 障子の破穴に吸付いている与三松の目(接写)
 仰向けになっている市の顔(接写)
57
<同・へ屋外>
 三人、呆れ碩に囁くが、いまだ、いまだと耳語して抜刀する。
58
<同・部屋>
 仰向けに寝ている市の顔。
 居睡るような錦木の顔。
 飲み乾した何本かの徳利。
 楓と障子があくと同時に乱入の三人長脇差の刃先が市の顔に流れる。
 錦木の体が横転する。
 市が抜き打つ。
 ぎヤツと叫ぶ男の声。
 すとんと畳に落ちた錦木の顔に血飛沫が飛ぶ。
 音を立てて倒れる保造。
 部屋を飛んで出る伊八と与三松、その与三松はばったり廊下で倒れる。
 きゃっと大きな女の悲鳴。
 その声に呼びさまされて目を開く錦木。
59
<同・階段口>
  伊八と仁助が階段を駈けおりる。
60
<同・錦木の部屋>
 錦木、部屋を見廻し、血を吹いた男の死骸に愕然として立ち上るが、腰を落す。
61
<同・階段口>
 不審気に顔を見合うやり手たち
 「どうしたんだい」
 「何かあったのかい」
 市がその階段をおりで行く。
 二階が段々騒々しくなる。
 「 (引撃るような女の声)お内儀さん、お内儀さん、大変です、来とくんなさァい・・・・」
62
<同・行燈部屋> 
 その暗がりにいる楓がその声に顔をあげる。
 そこへ、市が入って来る。
 楓 「まァ、按摩さん……」
 市 「楓さんだね、帰ってなすったのか」
 楓、市を避けるように部屋を出ようとする。
 市 [さ、これを取っといとくんなさい(二十五両を差し出す)」
 楓 「何ですか」
 市 「二十五両ある、これて身綺麗になって弟さんと一緒に暮らしとくんなさい」
 楓 「(暫く市の碩を見守るが、思い切るように頭を振り)あたし、いりません」
 市 「どうして、そんなこと・・・・・」
 楓 「いいんです、すいません……(楓と駈けて行ってしまう)」
 市、不審と寂しさの思いで立っている。
 そこへ二階から降りてくる内儀の声が聞える。
 声 「いいかい、決して喋舌るんじゃないよ、今日はお客を二階に上げないで、下の部屋だけで問に合すんだ、いいね」  
 声 「へえ、わかりました」
 そこへ見世の方から
 竹造の声「お内儀さん、お内儀さん……」
 内儀の声「はァい}
63
<扇屋・見世先>
 格子先にはもう素見の男が群っている。
 万五郎、徳次郎、甚造、神条常盤、代貸の五人が上権へ上ったところへ内儀が駈け寄って愛想よく迎え、万五郎は客人を伴った旨を言う。
 内儀、五人を伴って奥へ案内する。それらと掠れ違うようにしてポが見世へ出て来る。
 竹造「おや、もうお引揚げですかい」
 市 「うむ」   
 憂鬱な面侍て物も言わずに暖簾を出て行く。   
64
<同・座敷>
 錦木が楓を伴って米て唐紙をあけ、楓だけを座敷に入れる。
 座敷では万五郎、徳次郎、甚造に内儀が応対している。
 徳次郎が万五郎に耳打ちする。
 万五郎「内儀、では……(目顔)」
 内儀「はい、ありがとうございます。安房屋さま、この通りのまだ未通女(おぼこ)でございますし何も知りませんので、どうぞよろしくお願い致します。楓、お礼をお言い」
 楓「どうもありがとうございます、どうぞよろしくおたのみ申します」
 内儀「錦木にはあたしから言うけれど、すぐ仕度をしてお貰いよ」
 楓 「はい」
65
<同・内儀の部屋>
 錦木が楓の顔化粧をしてやりながら拉蓄を頓けている
 錦木「こんなことを言ったって、お前にァまだ珍紛漢紛だろうが、お女郎は堅気の女房たァ違うんだから、なるべく指で遊ばせないことだね、それから、口は吸わしてもね、乳を吸はさないようにおしよ」
 楓 「はい」
 錦木「ま、一度に言ったって何だから、ぼつぼつ教えたげるよ、だけど矢張り手前の体で覚えることだね、人さまざまなんだから ……」   
 その時、障子があいて下働の女が顔を出す。
 下働き「楓ちゃん、叔母さんが来といでだよ」
 楓「はい(と返事をするが、どきんと大きな胸騒ぎが起る)姐さんすいません」
 錦木「行っといで……」
 楓 「はい(慌しく立って行く)
 錦木「(思い出して)あたしは泣いたっけが、あの子は平気だね、ふふ・・・・」
66
<同・台所>
  裏手の戸口にかねが立っている。
 楓  「お叔母ちゃん……(上框から覗く)」
 かね「久吉ァ死んだよ……(泣く)」
 楓  「え」
 かね「死んじまったよ、可哀そうに・・・・」
 楓  「叔母ちゃんッ・・・・ (抱きついて泣く)」
 かねも泣く。
 楓は堰を切ったように声をあげて激しく泣く。 
67
<同・座敷>
 座には酒肴が出て、万五郎、徳次郎、甚造が笑声をあげている。
 万五郎「いや、こいで安房屋さんが銚子へ足繁く通っとくんなさるなァ間違えねえでしょうからな」
 徳次郎「いやいや、この安房屋、そうは甘くござりませぬぞ」
 万五郎「まァ、月に二度……」
 徳次郎「なかなか……」
 万五郎「三度・・・・・」
 徳次郎[とんでもない。月に四度五皮……」
 万五郎「え、わははは……」
 そこへ代貸が入って来て万五郎に囁く。
 万五郎、顔を緊めて立上る。
 甚造「どうかしたので……」
 万五郎「あの盲目、座頭市がついに今しがたまでこの家にいたそうで、何かやったらしい……(代貸と一緒に出て行く)」
  甚造「海に逃げた奴が、いつの聞に……」
 徳次郎「女を買いに揚ったのだろうか」
 訪造「さァ……」
68
<居酒屋>
  店は賑わっている。
 その片隅にぽつねんとして飲んでいる市。
 「おい雨だぜ」 「降って来やがった」
 「ち、悪い雨だ」などという声も、市の耳には入らぬらしく、思いに沈か様子である。
69
<扇屋・台所> 
 錦木が奥から来て裏口を覗き見る。
 そこには雨が降っていて誰もいない。
 錦木「楓が来やしなかったかしら……」
 下働の女「さっき部屋へ帰りましたよ」
 錦木「そう……(奥へ戻る)」
70
<同・内儀の部屋>
 内儀が入ってくる。
 誰もいない。
 内儀「どうしたんだろう」
 そこへ錦木が姿を見せる。
 内儀「楓は……」
 錦木「いないんです」
 内儀「いない……何処へ行ったんだい」
 錦木「部屋へ帰ったんだろうか」
 内儀「二階にかい」
 錦木「見て来ます(慌しく出て行く)」
 内儀、楓に着せる長鴇祁を衣桁に掛ける。
71
<同・錦木の部屋>
  血の飛び散った後の部屋に立つ万五郎と代貸が振向く。
 錦木が入って来ようとして、見知らぬ男の姿に訝る。
 代貸「こりゃお前の部屋か」
 錦木「ええ」
 代貸「じゃ、錦木ってんだな」
 錦木「そうです」
 万五郎「按摩の座頭市たァ馴染かい」
 錦木「いいえ」
 万五郎「旅人が二人、斬られたってえが、お前見てたんだな」
 錦木「いいえ」
 代貸「ここにいなかったのか」
 錦木「いたんですけど……」
 代貸「寝てたのか」
 錦木「知らない間に二人が殺されてて、按摩さんもいなくなっちまってたんです」
 万五郎「そりゃ、どういうことでえ……」
 錦木「あたしもなにがなんだか、薩張り」
 万五郎「ちッ(部屋を出る)」
 代貸、続く。
72
<扇屋の前>
 雨に打たれて市が来る。  
 手さぐりして扇屋の暖簾を掴み、中へ声を掛ける。
 竹造が顔を出す。
 市 「また頼みがある。きいとくんなさい。頼み料・・・・(一両小判を握らす)」
 竹造「えっ、一両・・・・・」   
 市 「楓という錦木の部屋子を内緒でここまで呼んでほしいんだ。ほんの一言語をするだけだから、頼みます」
 竹造「楓は今夜、水揚げですぜ」
 市 「なんだって……」
 竹造「鍵屋の親方が連れといでなすった安房屋さんとかが水揚げするんだってことで・・・・・」
 市、竹造を突放して暖簾の中へ入る。
 竹造「おい、お前さん……」
73
<同・見世先>
 市、濡れた侭上って行く。
 竹造「(追い槌り)どこへ行くんだよッ」   
 市、その竹造をはねのける。
74
<同・奥の廊下>
 二階から錦木が降りて来て、はっとして立停る。
 市が来る。
 錦木、無言に見守る。  
 市、二階へ上って行く。
 錦木、そっとあとに続く。
75
<同・錦木の部屋>
 市が来て部屋の前に立つ。
 市 「誰もいねえ……(不意に振向き)誰だ」
 錦木「あたしだよ」
 市 「楓はどこにいる……」
 錦木「楓のことがそんなに気掛りなの……」
 市 「楓はどこにいるんだツ」
 錦木「知らないよ。、あたしをどうしてくれるんだいツ、身請けするとか何とか、みんな嘘じゃないか、お薗さんがどんな強い人だか知らないが、いい加減な出まかせを言 って人を馬鹿にするのも大概におし
 市 「楓に会いたい。会わしとくんなさい」
 錦木「そんなに会い度きゃ、勝手に会やいいじゃないか」
 その時
 男の声「(階下から)誰か来とくんなさい、誰か、楓ちゃんが、楓ちゃんが……」
 市、はっとする。  
 錦木も驚いて駈け出す。
76
<同・行燈部屋>
 戸口に駈け寄ってはっとする.
 錦木も内儀も声を呑む。  
 楓が縊死している。
 内儀「何てことをするんだいッ馬鹿が・・・・・」
 錦木「(泣顔になり)楓ちゃん……」
 内儀「黙って見てないで、誰かおろさないかよッ」
 男たちが気味悪げに中へ入る。  
 市が来る。
 市 「(傍の女に詫ねる)楓は、どうしたんで……」
 女 「首を吊ってるんだよ」
 市、ぐっと歯をくいしばる。
 楓は抱きおろされる。  
 万五郎、代貸が来る。
 代貸「(市の姿に驚き)あッ、座頭市ッ」
 万五郎「いいとこへ現われた、もう逃さねえぞ」
 市 「楓は手前たちが寄って集かって殺したんだな」  
 万五郎「なんの世迷言を、安、神条さんだ。神条さんだ。」
 代賃、走り去る。
 徳次郎と甚造が来る。
 市、まわりの者を掻き分けて見世先へ出て行く。  
 万五郎が甚造に耳打ちする。  
77
<扇屋の見世の外>
  暖簾を潜って市が出る。
 雨、悠然と降っている。
 市、その雨を口に受けて飲む。  
 万五郎、神条、代貸、徳次郎、甚造が出る。
 激闘始まる。
 神条は剛刀を翳して市に掛り、万五郎、代貸、徳次郎、甚造もそれぞれ得物を掴んで隙を窺う。
 錦木、その他、軒下や格子の中に立って凝っと見守っている。
 神条と斬り結ぶ市が足を踏みすべらせて転倒する。  
 それへ目掛けて、代貸が荷車を突きやる。車は音を立てて市に迫る。
 市、さっと寝返る。然し、その轍は、市の刀を持った右拳をまともに踏み引いて通る。
 「うっ」と苦痛の声が洩れると一緒に刀は市の掌から落ちる。
 そこへ斬込む神条、市は刀を左手に拾って受け止める。  
 急を知らされた鍵屋の若い者数人が手に手に抜刀を振り翳して駈けつける。
 市の右手首は挫かれて血を吹出している。それへ若い者は容赦なく斬込む。
 市、手首に手拭を巻きつけ、それへ刀の柄を押込んで立向う。
 獅手奮迅、神条初め彼等を斃す。
 徳次郎、甚造は逃げ去る。  
 市、苦痛を耐えて掌から刀を外す。
 錦木が駈け寄る。
 錦木「その于を・・・・手を・・・・(抽を引きちぎる)」
 市 「(金包を取出し)あんまり素性のいい金じゃないが、八九十両はある。楓の葬いや供養もお前さんの手でしてやっとくんなせえ」
 錦木「(涙声)はい……(両手で受取る)」
 市、去って行く。  
 錦木、膝を落して見送る。
 雨、無情に降り続く。     終

 

月刊『シナリオ』1972年10月号 97-98

 「新座頭市物語・折れた杖」 より

       久 闊       犬塚 稔

 「市っあん、お前いつまでそんな埃臭い格好で、あてのない旅をしてるんだい、いい加減にやくざの足を洗って、按摩稼業に身 を入れたらどうなんだよ」
 「御親切なお言葉、身に染みやす、折角のおさとしじゃござんすが、市ァこんな果敢ねえ旅をしてりゃァこそ、御飯の種にもありつけるってもんで、ここで妙な了簡でも起そうもんなら、忽ちこの口ァ乾上っちめえやす、按摩の笛を吹いて暮してえなどと言やァ、でえ一、市の化身の勝新太郎兄哥が諾(うん)たァ言いますめえ。」
 「なるほど、お前にァ勝って野郎がついてるんだったな、あんな野郎に取憑かれたばっかしに、勾当にも検校にもさして貰えねえで、生涯の三文やくざか、ま、そいつも因縁で仕方がなかろう。だが、いつまでそんな先行きの覚束ねえ暮しをしてくつもりだか、人間歳も取ろうじゃねえか、生身がいつも達者って訳のもんでもねえ」  
 「仰有る通りでござんす、ただ、あっしの言えるなァ、口幅ってえ言い草じゃござんすが、この座頭市、まだまだ、勝兄哥がついててくれる限り、歳ァ取りやせん、旦那、憚りながら、これからの座頭市の働き振りをどうか見ててやっとくんなせえやし。」
 と言うようなことで、延々と続く座頭市シリーズである。
 その二十何作目、いや、もう三十作にはなっているかも知れない、第一作「座頭市物語」が封切られたのが昭和三十七年の春だ ったと記憶するから、もう十年を越えているが、人気聯かも衰えず、依然王者の貫禄を持ち続けているのは流石である。
 先日、勝新太郎君に会った。「座頭市もこの辺で少し生き万を変えたいと思うし、最初の座頭市に戻って見たい、世話物仕立てで一本考えて貰えますか」との話、製作者である彼は、今度は演出もする筈とのこと、私に腹案はなかったが、私は私なりの座頭市観を述べ、勝君は披なりの意見を言った。題名は「折れた杖」と既に決っていた。題名だけではない、ファースト・シーンの情景までも頭の中に描いていた。三味線を引く旅の老婆をまず出し度い、女郎屋と港町を結んで何か話がないか、という案だっ 。「考えよう」ということで、ここに登載の第一稿が出来た訳である。申訳は言い度くないが、製作の予定が急にはやくなったという知らせがあって、大あわてにあわてて書き土けた第一稿であり、殊に中程からあとのところは急ぎに急いで、兎に角話の辻褄を合せた、といった箆棒な代物その侭で、人物も描けていなければ、話の突込みも浅い、お粗末、汗顔である。
  この「折れた杖」は、私には座頭市シリーズの八作目になる。八作目だとは覚えているが、七作目に何を書いたか、六作目がどんな話であったか、それがいつ頃のことであったか、題名も話の内容もまるで記憶にない、保存台本でも引出せば判ることだろうが、旅先にいてはそれも叶わない。恐らくあれから六七年は経っていることだろう。だから久し振りに対面の座頭市だった。座頭市至極頑健、私は私の心の中に住んでいる、あの謙虚な物怖じでもしているかの物腰の座頭市が、杖で地面をコツコツと叩きながら、辞を低くして還って来てくれたものと思っている。
 元来、座頭市の人物像というものは私が創造した、と自負している、だからこのお盲目さんには人一倍に私の愛着も深い訳である。
 最初の「座頭巾物語」二作目の「続・座頭市物語」そして三作目、四作目あたりで、私は盲目やくざ座頭市の人物像を「こんな男」と、大体の性格づけはした積りでいた。ところが、私の手から離れた、この眼の見えない渡世人は、次第に神憑りとな り、目明きそこのけのスーパーマンとなって、如何な剣聖剣豪も 顔色なし、と言った使い手となり、祈るために人を斬る、といった恐ろしい男に変貌して、最早私の手には負えない存在となってしまった。然し、超人はやりの浪に乗って彼の人気はいよいよ揚る一方だった。ところが、まことに奇縁というか不思議というか、その座頭市がいま私の手許に返ってくれたのだ。
 映画の座頭市は子母沢氏の、旧幕臣や博徒などの実話を集めた「ふところ手帳」の一章から貰ったものである。「飯岡助五郎の子分で盲目だが、もういい年配、でっぷりとした大きな男で、刀の柄へ手をかけただけで対手が縮んでしまうという位の抜刀術居合がうまい、小さな桶を宙へ投げ、落ちて来る途端に市の長脇差 の鍔鴫りがする。いつ抜いたか頭の上で桶のはじける音、市の刀はその間にちやんと鞘に納って、呼吸は元より顔色も変っていない。」という一節である、盲目で居合切りがうまい、それだけの話だが、特異な面白い素材だし、人物の設定やその環境、この盲目にどのような運命を課そうかなど、いろいろなフィクションが楽しく組めるものだった。子母沢氏とは旧知の仲で、彼が東京日日新聞の学芸部に(毎日新聞の前身)に籍を置いていた時分から懇意にしていたので、私はこれを読むとすぐ、ほかに何か挿話はないかと電話したが、何もないとの返事で、この話は信州のどこかの宿に泊った時、村の故老から聞いたということを言っていた。「へええ、あんなものが映画の材料になるの……」と不思議そうに笑ったが、これが今や衰退する日本映画を支える数少ない貴重な素材の一つだということに間違いはない。
 私の脚本はスタイルも内容も旧態依然としたオーソドックスなものだが、勝演出がこれをどう料理するか、私が彼の話から想像するところでは、どうやら相当異質なものが出来るに違いないということである。私の妄想の中に浮んで来るものは、私の脚本を泥ンこの中へ叩き込んで、くちゃくちゃに踏ンづけて「よし、これで行こう」という彼の姿である。然し、私はそうした彼の既往の演出家にない、定規を外した情熱に、妙に期待が湧くのであ る。八方破れの勝新太郎が果してどんな座頭市を見せてくれるか、私も手前の脚本を忘れて刮目したいと思っている。
    〈シナリオ作家〉

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2001年11月25日
月刊『シナリオ』1972年10月号 92-96

      “座頭市”と監督勝新太郎    品田雄吉

   1

 “座頭市”シリーズも、こんどの「新座頭市物語・折れた杖」で二十四本目になるそうだ。私は、その全部を見てはいないので“座頭市”論を展開する自信はないが、「不知火検校」の好演から、つづいて“座頭市”'が生まれたとき、ついに勝新太郎は、自分の個性にあった役柄に遭遇した、という印象をうけたことだけは忘れられい。
 たとえば、人間のタイプを体制型と反体制型に分けるとすると、死んだ市川雷蔵は、眠狂四郎などを持ち役にしていたものの、ほんとうは体制型であったと思う。優等生型、あるいはマジメ人間型であった。
 勝新太郎は、市川雷蔵とは正反対のタイプに属する。雷蔵は、絵に描いたような殿様がぴったりするタイプだが、勝新が殿様を演ずる場合は殿様らしくないところが魅力の殿様になってしまう。初期のやせていたころの勝新は、いわば雷蔵がやるような白塗りの二枚目役ばかりをやっていて、これはどうも面白くなかった。勝新らしい魅力を発揮するようになったのは、「悪名」のシリーズをやるようになってからではなかったろうか。
 貴公子型ではなくて庶民型、善人型というよりもやくざ型、固苦 しくなく、さばけている人間といったようなものが、勝新の演ずる役柄の個性をつくりあげているように思われる。そのうえ、ヒーローでもある。平凡な人間にとって、たのもしい存在なのである。
 はじめのころにくらべると、こんどの座頭市は、すこしばかり善人になってしまっているような気がしないでもない。かっての座頭市は、悪人たちに対してだけでなく、いかなる人間に対しても、もっとリアリストで、抜け目がなかったような気がする。昔の座頭市は、よわい善人の味方になって戦うことだけがすべてではなくて、 ときには安い女郎をちゃんと買ったりするような“生活”も描かれていた。シリーズものは、回をかさねるにしたがって、人物像が理想的に単純化され、いわゆる“生活”感が希薄になっていきがちなものだが、“座頭市”リーズにもそういう傾向がありはしないだろうか。

     2
 私は、勝新太郎の第一回演出作の「顔役」を面白く見たので、彼の第二回演出作であるこんどの「折れた杖」にも、どんな演出をして見せてくれるか、という点にかなりの興味をもっていた。  
  「顔役」については、松田政男が、キネマ旬報で面白い批評をかいているので、その一部を引用する。
  「『顔役』は大衆的活劇ではない。断固たる前衛映画だ。正義漢だがヤクザっほい刑事が、一匹狼として暗黒街に挑戦するというギャング映画の典型的なストーリーは、余りにも典型的であるが故に、いわゆるストーリー主義として徹底的に否定され、かわって、いわゆる映像主義が大胆に導入される。」
 かくて、松田政男は、「予想を上廻る圧倒的な(勝新の)変身ぶ り」に、「呆然として一時間半を過ごしてしまった。」というのだが、これはことばの綾でもあるらしく、[私は、ただただ、カツシンの稚気愛すべき大らかなパーソナリティの魅力を、ここでも、ふたたびみたび発見するほかにはなかったのだ。」と、ちゃんと発見すべきことは発見しているのだ。
  「顔役」は断固たる前衛映画だ、と松田政男が断言しても、そしてそれが正しい指摘であるにしても、勝新は、松田が例にあげてい る勅使河原宏や松本俊夫や黒木和雄と一緒に論じられることは、おそらくないだろう。それは、“稚気愛すべき大らかなパーソナリテ ィ”を勝新がもっているからにほかならないのだ、と私は思う。だから、「顔役」は、「燃えつきた地図」とは異質なものでありつづけるわけだ。
 松田の指摘する勝新の“映像主義”は、私には、勝新がつねにイ メージの具体的なディテールでフィクションの世界をつくりあげていくからではないかと思われる。つまり、観客としてのイメージではなく、ある具体的なイメージに執着することが、映像主義的様相 を呈するのではなかろうか。
 「顔役」では、シークェンスが、小道具的な“もの”の超クロースアップからはじまったり、人間の“部分”のやはり超クロースアップからはじまるといった場合が非常に多かった。その超クロ ースアップから全景にズーム・バックしたりする場合は、べつに問題はないのだが、ショットがかわってしまうときなどは、その“もの”の超クロースアップがいったいなんであったのかよくわからな いこともあった。山崎努への差人れのべん当の風呂敷包だったかの超クローズアップなどは、その後者の例である。
 この手法が痛烈に生きていたのは、大滝秀治の演じた捜査主任だったと思うが、その訓示のシーンであった。また、勝新の刑事が伴淳などとマージャンをやっている場面のモンタージュもなかなか秀逸だったと思う。
 このような場面でも、しかし、監督である勝新太郎の演出は、か なり徹底してディテール主義であり、説明的なフル・ショットなどというものは、ほとんど生理的に拒否されているようにみえる。
  「顔役」の披露試写会が、東京プリンス・ホテルで催されたとき、勝新から、「私よりももっと映画を愛している人」と紹介された当時の永田雅一大映社長は、壇上に立ったものの、いつものようなりょうょうたるラッパの音はきかれず、ひどく元気がなかったが、「顔役」については、自分の考えている映画とは少しちがう、というようなことを暗に匂わせた発言をした。おそらく、永田雅一は、勝新太郎監督の“映像主義”に、とまどったのであるにちがいない。
  「顔役」での勝訴の演出は、思いきりやりたいことをやっているという感じがあった。そのために、演出をやりすぎてしまった部分もあったし、ディテールヘの執着がつよすぎて、ディテールとディ テールのつながりが希薄な作品にもなっていたと思う。
 私は、まえから、人づてに、勝新が非常にゆたかなアイディアの持主であり、また自分のもっているストーリーを人に語るときに、 じつにイメージがはっきりとしていて具体的であるという噂を きいていたので、それがひとつの先入主となって、「顔役」の勝新の演出は、よくわかるような気がした。しかし、「顔役」の場合は、対象に少し顔をよせすぎているという感じは否めなかった。あるいは、虫眼鏡や望遠鏡でばかり見て、肉眼で見ることを忘れてしまっているという感じをうけた。

    3
 「新座頭市物語・折れた杖」は、やはり、勝新の演出感覚がよく出ている映画だが、「顔役」のときほどの気負いというかはやりというか、そういったものはかなりおだやかになっている。そのかわ り、ユニークな面白さも、ためらわれているように思われる。
 タイトル前の場面で、老婆が吊り橋を渡るのをほとんど真下からの仰角で、しかもかなりの接写で撮っているのなどは、いかにも勝新的な演出感覚である。しかし、ディテールに凝るはずの演出家にしては、老婆が落ちてしまうところは、ちょっとあっけなかった。 足をふみ外したらしい老婆は、橋板にしがみついてぶら下がっているが、座頭市の手が彼女の手にふれたかふれないで落ちてしまう。 ここは、部分のモンタージュかなにかで、もっと凝ってもらいたかったところである。私の読んだシナリオでは、「板の腐って技けた穴 に、三味線の柄がつっかい棒になって、それを掴んだ老婆が穴の下にブラ下っている。近寄った市の手が老婆の手にふれる、と、その手が三味線の糸を掻き切って、老婆は遠い川面に落下して行く。」 となっている。完成した映画とでは、三味線の扱いがちがっているだけで、そのほかはだいたいおなじである。
 銚子港の色街、飯沼観音裏に座頭市が現われる場面では、勝新お得意の望遠レンズの焦点移動がつかわれる。焦点移動を多用した映画としては、アメリカ映画の「・・・YOU・・・」ラズロ・コバック撮影)が最近では印象にのこっているが、この手法をつかいすぎると、観る者に一種の強制感をあたえ、観る者自身が映画に積極的にかかわっていこうとする意欲をスポイルしてしまうことがある。
 「…YOU…」には、あきらかに、焦点移動の多用によるそういう欠点があったと思う。
 扇屋という女部屋をたずねた座頭市は、ひとまず布団部屋で待たされることになるが、そこへ、塀をこえてしのんできた丑松(中村賀津雄)と錦木(太地喜和子)がもつれこんであわただしい濡れ場となる。ここで、座頭市が耳をふさぐと、二人の例の声がききとれない声になってしまうというのは脚本(犬塚稔)の創案かも知れないが、いかにも勝新らしい着想だと思う。
 この「折れた杖」で、じつはいちばん感心したのは、太地喜和子の女郎の演技だった。この苦界の生活に心まで馴れ親しんでしまっ ている女の自堕落な感じがじつによく出ている。とくに熱演というのではなく、彼女としてはのびのびとやっている感じだが、それがよかったと思う。したがって、脚本の面から見ると、座頭市が、老婆を見殺しにしてしまった一種の堕罪のために錦木を身請けするだけで、この女にはまったく色恋の気持をもたないのは、ちょっとき れいごとすぎるようにも感じられるが、どんなものであろうか。
 ついでに、脚本に関して、感じたことをあげておくと、今回の「折れた杖」は、座頭市に対抗する仇役のイメージが、貸元の鍵屋万五郎(小池朝雄)と用心棒の神条常盤(高城丈二)とに分散していて、いささか焦点がほけてしまっているように思われる。いままでのものだと、高城丈二の演ずる神条常盤なる武士が、座頭市のおそるべき強敵として立ちはだかるのが定石になっていたと思うが、今回は、この人物の描写が、案外かるいのである。また、鍵屋万五郎 が、座頭市の首に百両かかっているのを知って彼の首を狙いながら、そのことをいったん“度忘れ”して、無抵抗の座頭市の手をつぶしただけで生かして帰してしまうのは、その直後に百両のことを思い出してあとを追うことになってはいても、これは“ご都合主 義”という印象を否定できない。今回のストーリーは、このへんの ところに大きな弱点があったように思われる。
 また、これは、私の個人的な考えにすぎないかも知れないが、自分自身だけをたよりにしぶとく世の中を渡っている座頭市のような人間が、錦木という女を人質にとられたために、鍵屋万五郎のいうままになって、甘んじて手をつぶされてしまうという設定は、どうも納得できないものを感じる。座頭市という人間は、もっとしたたかで、甘っちょろいヒューマニストではなかったから、いわば大衆のアイドルとしての人気をもちえたのではないだろうか。この場面においては、座頭市はまったく無抵抗である。殺されるかも知れないほどの危機においこまれて、まったく無抵抗なのであるが、このときの座頭市は、はたして死んでもいいという覚悟をもっていたのだろうか。そのへんのところがはっきりとらえられていないと、座頭市という人間の基本的なイメージはあやふやなものになってしまうだろう。
 このあと、手をつぶされた座頭声が、仕込み杖の抜き身を手に布でしぼりつけて阿修羅の活躍をするのは、たしかにひとつのアイディアだと思うが、クライマックスにふさわしい秀抜なアイディアだとは思えない。着想としては、とくにあっと驚かされるほどのものではなかったと思う。

      4
 私は、座頭市という人物像は、勝新太郎が演じてきたたくさんの人物のなかで、もっともすばらしいものであり、日本の娯楽映画の歴史にのこるほどの人物像だと思っている。“善い悪人像”'は、きわめて魅力的な大衆のアイドルである。
 そして、また、私は、勝新太郎という“監督”の演出感覚をも愛する者のひとりである。彼の演出は、音の扱いにもなかなかすぐれたセンスを発揮するし、画面構成のユニークさもきわめて魅力的である。そして、なによりも、まず“面白い映画”をつくろうとしている態度を全面的に歓迎したいと思う。これからも、もっと、“面白い映画”を目指して、演出もつづけていってほしいと思う。
 そして、これは、私の思いつきにすぎないかも知れないが、より面白い映画、より面白い「座頭市」シリーズをつくるためのひとつの方法として、[座頭市」の脚本を一般に公募してみたりしてはど うだろうか。
 脚本の懸賞公募などという試みは、案外、手数ばかりかかって、収穫はとぼしいものかも知れない。しかし、また、意外な傑作がそこから生まれ出てくるかも知れぬ可能性もあると思う。
 「座頭市」というイメージは、すでに一般にひろく知られている。このシリーズを見ている者なら、だれでも、自分の心のなかに、総合的な座頭市のイメージをつくりあげ、抱きつづけているにちがいない。つまり、座頭市は、すでに勝新個人のものではなく、多数の人びとの共有財産になっているのである。その点では、山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズにもおなじことがいえるのだ が、たとえば、座頭市を共有している多くの人びとから彼についてのイメージやアイディアをカンパしてもらって、さらに新しい座頭市のイメージをつくりあげていくことは、きわめて生産的なことで はないかと思えるのである。
 このことは「座頭市」シリーズだけにかぎったことではない。映画のつくり手と、うけとり手のあいだに、そのような相互運動が行なわれることこそが、映画そのものの生命を充実させていく一種の充電作業になるのではないか、と私には思われる。            〈映画評論家〉


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 新・座頭市第1シリーズ  日曜日にはTVを消せ No.9 PART2 

 新・座頭市第2シリーズ  日曜日にはTVを消せ No.9 PART3 

 新・座頭市第3シリ−ズ  日曜日にはTVを消せ No.9 PART4 

 『勝新演出の座頭市』   日曜日にはTVを消せ No.9 PART2-4

 勝新演出の警視K        日曜日にはTVを消せ No.9 PART5 

 痛快!河内山宗俊     日曜日にはTVを消せ No.9 PART6

 監督・勝新の『新座頭市物語 折れた杖』脚本と完成作品の異同


 兵隊やくざ 映画シリーズ

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joshuaさんのブログ「シネマ、ジャズ、時々お仕事」から転載 2008年12月11日

 (あらすじ:ネタバレあります) 銚子へ向かう道中、座頭市(勝新太郎)は、つり橋の上で出会った三味線引きの老婆(伏見直江)に布施を渡そうとしたが、伏見は三味線を残して橋から転落死。責任を感じた勝は、伏見が受け出しに行くはずだった遊女の娘を探そうと銚子の色町へ。
 女郎屋で体よく布団部屋に押し込められた勝は、そこで遊女・錦木(太地喜和子)と遊び人・丑松(中村賀津雄=現嘉葎雄)の密会を耳にする。果たして、太地は伏見の娘だった。
 女将(春川ますみ)から身請けに必要な金が50両だと聞き、勝は早速賭場へ。例のいかさまで金を巻き上げた勝は、開帳主・万五郎(小池朝雄)の不興を買う。
 勝の首に飯岡助五郎(大瀧秀治)が100両の懸賞金を賭けていることを知った小池は、手下と用心棒(高城丈二)を使って、勝を付回すようになる。
 小池は安房屋(青山良彦)と組み、漁師たちからイカサマ賭博で船を取り上げ、銚子港の利権独占を狙っていた。抵抗する漁師たちは高城らに一網打尽にされ、その中には幼い新吉(小海泰寛)も混じっていた。
 小海の姉で女郎屋で下働き中の楓(吉沢京子)は青山に身請けされる寸前だったが、弟の死を知って入水自殺する。
 一方、首尾よく太地を身請けした勝だったが、身体に指一本触れない勝の態度に太地は懊悩し、中村と密会を重ねていた。それを知った小池は中村に勝のおびき出しを命令。
 太地が勝と睦み合う中、刺客が勝を襲うが、勝の居合い抜きが炸裂。状況不利と悟った小池は、太地を人質に勝をおびき出す作戦に変更し、捕らえた勝の両手をドスで突き刺す。
 止めを刺さなかったのは、明朝、銚子を訪れる大瀧に恩を売るためだ。中村は太地の目の前で小池に惨殺される。
 その頃、勝は仕込み杖をボロ切れで手に結び付けて、応戦体制を整えていた。早朝の壮絶な戦いは高城、小池を倒した勝に凱歌が上がり、大瀧はそそくさとその場を立ち去る。漁師たちが見守る中、勝も静かに港から姿を消していった。

 (感想) 「顔役」に続く勝新の監督第二弾にして、座頭市シリーズ初の勝新演出作でもあります。村井邦彦のモダンなスコアや手持ちカメラによるアップの多用など、「顔役」と良く似た雰囲気を持っていますが、流石に批判されたのか、「顔役」ほどの執拗なアップとピンボケの連続は自粛されています(笑)。むしろ、ロケ・シーンを多用し、画作りも現代劇風にして、マンネリ化が指摘されて久しい座頭市に新風を吹き込もうという意欲を感じさせる一作です。
 海岸での勝新を、引きの画面で、両サイドの民家をシャドウにして強調する構図なんか、同時期に斎藤耕一監督がショーケン-岸恵子の「約束」でやったのとほとんど同じですもんね。初期の座頭市シリーズ、勝新のハード・スケジュールもあったのでしょうが、ほぼ全てがスタディオ内のセット撮影という作品も少なくなかったので、ここでの開放的な雰囲気は確かに新鮮です。
 ただ、手放しで褒めるわけにもいかなくて、「顔役」同様、ストーリーが破綻気味です(ハハハ)。
 シナリオ担当はヴェテランの犬塚稔ですから、オリジナルでは起承転結がちゃんと出来ていたと思うんですよ。それを勝新がアドリブで手直しして行ったために、思わせぶりに登場していた春川ますみ、青山良彦は途中退場、吉沢京子の姉弟愛やら、吉沢の身請け話などは、全て、吉沢の入水自殺でチョン(爆)。
 そうそう、前半部分のストーリーの肝だった、青山と小池による銚子港の利権独占話はどうなってしまったのでしょうか?
 太地喜和子の遊女も、性格付けがシーンごとに変わってしまっていて、演じている本人も少しやりにくそうに見えます。親の死にも涙一つこぼさず、身請けされてもさして嬉しそうな表情も見せないクールな役柄かと思ったら、捕まった後は結局、市のシンパに変身して、最後は砂浜で市に追いすがるんですからねぇ。その間に、中村賀津雄との勝新おびき出し共同謀議にも加わっていますし(笑)。多重人格かい! ただ、仇な遊女役というのは本当に彼女に似合っていますねぇ。今、こんな少し汚れた感じの色っぽい遊女役をこれほどリアルにこなせる女優さんはいないのではないですか。
 犬塚稔は「不知火検校」や初期の座頭市シリーズの脚本を担当し、座頭市のプロットを創造した勝新の恩人の一人ですが、その後、「不知火検校」を借用した「悪一代」というTVシリーズを巡って勝プロとやりあい、疎遠になっていたのを勝新が懇願して本作の脚本執筆に至ったそうです。それをこんなふうに改作されて怒ったのか、再び、勝プロと対立。80年代末には脚本使用料未払訴訟を起こすことになります。
 ただ、勝新にしてみれば、座頭市という役柄に自分のキャラが色濃く反映されているのも確かで、それを演るのにいちいち他人にカネを払わなきゃならないのか…ということになるんでしょうけどもね。 この映画のもう一つの欠点はキャスティングです。
 せっかくの河原崎健三は、漁師その他大勢の中に埋没。若手二枚目・青山良彦を似合わない悪徳商人に起用、用心棒役には全く強そうに見えない高城丈二(現代劇の人なので殺陣回りも苦手のようです)、せっかく錦兄そっくりのメイクで登場の中村賀津雄は、役不足の全くのチンピラ役で、見せ場もなく惨殺されてしまいますし、強い強いと小池朝雄が持ち上げた飯岡助五郎親分が最後の最後に現れたと思ったら、これがどう見ても小池よりずっと弱そうな大滝秀治! しかも彼は一言の台詞もなく踵を返してしまいます(爆)。後半、全く姿を消してしまった春川ますみ同様、スケジュールの都合だったのでしょうかねぇ。
 というわけで、少しダレ気味のままラストの殺陣回りを迎えることになるわけですが、仕込み杖を右手に結わえて敵を迎え撃つ勝新の見事な居合いが炸裂して、観客の不満を相当程度解消させてくれます。小池朝雄の往生際の悪い死にっぷりは、若干、引っ張りすぎだっような気もしますけど…。