新・座頭市    第1シリーズ
              池田博明
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「日曜日にはТVを消せ」No.9 PART2
 1977年5月8日  (更新2007年5月1日)
 "勝新・新座頭市"特集 
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          新・座頭市    第1シリーズ

               池田博明

 TVの『新・座頭市』(第一シリーズ)は1976年の10月から翌年の4月まで放映された。
 『新・座頭市』(第1シリーズ)のうち勝新演出作品は「情けの忘れ雛」「わらべ唄が聞える」「雪の別れ路」「月の夜に女が泣いた(仕込杖が怒りに燃えた)」「契り髪」「旅人の詩」の6本。
 1978年に第2シリーズが、1979年に第3シリーズが放送された。

 ジョナス・メカスの言葉 「われわれにそなわっている多くの感覚の一つ一つは,世界とわれわれ自身に向かって開いている窓である」
 勝新演出作品にふさわしい言葉である。 (1976年10月)

 ★以下,「日曜日にはTVを消せ」第9号PART2から転載。
 あらすじはほとんどが「週間TVガイド」と新聞から構成したもの。
 公開当時の記録としておく。●印は当時私が見た作品。■は引用文。

 茶色文字は2007年のDVDを見た後の追加。  

 2007年4月25日、とうとうDVD化されて発売!今年最高の映像である。
 以下、各回の左上にそのパンフレットから写真を抜粋して掲載しました。
 ただし、第6話・第12話・第14話・第15話・第17話・第27話は 放映当時の新聞の写真。

 2015年5月、宝島社から『新・座頭市』傑作選DVD BOOKが廉価版で発売。
 勝新監督4作品が収録。『わらべ唄が聞える』『仕込み杖が怒りに燃えた』『契り髪』『旅人の詩』。
 2015年9月第2シリーズから4作品収録を販売。『恋鴉いのち百両』『歌声が市を斬った』『遠い昔の日に』『冬の海』。
 2015年6月CS時代劇専門チャンネルでテレビ版「座頭市」全100話放映開始。年内に修了。
 2016年3月下旬(発売日は2016/04/08表記)、宝島社から新・座頭市 第3シリーズ傑作選DVD BOOK
 『あした斬る』『糸ぐるま』『渡世人の詩(前篇)(後篇)』発売。


       新・座頭市  第1シリーズ

 毎週月曜午後9時から9時55分。フジテレビ。
 企画・久保寺生朗・角谷優・荒井忠   
 プロデューサー・西岡弘喜・真田正典・市古聖智
 美術・太田誠一 技術・大角正夫 照明・風間博 音楽・村井邦彦  殺陣・楠本栄一 
 現像・東洋現像所  原作・子母沢寛   
★第1話 「情けの忘れ雛」(脚本・東条正年・沖守彦,監督・勝新太郎) 1976年10月4日
新座頭市 1話■いしだあゆみが好演   1976年10月4日 読売新聞
 旅のやくざ弥吉が八州回り役人(江見俊太郎)に切られ、死に際に小さなひな人形を座頭市に託した。市は人形を届けに友部宿の小さな宿屋・乃沢屋を訪れると、そこでは死んだ弥吉の女房おしの(いしだあゆみ)が幼い娘かよ(飯島洋美)を抱えて細々と店を守っていた。市は弥吉の死を話せないまま、ここにしばらく泊まり続けるうち、土地の親分辰造(藤岡重慶)の悪だくみを知る。おしのの美しさに目をつけた辰造は、亭主の弥吉を八州役人に手を回して殺させたのだった。いしだあゆみ2
 前半、市の強さを知らない悪親分が、もみ療治に来た市を手ひどく扱う。市はおとなしくひき下がるが、次第に本性の強さを出していくところが面白い。『新・座頭市』の“新”らしい点だ。この第1回は勝新自身が監督し、ゲスト主役にいしだを選んだだけに、いしだのさびしそうな美しさをきれいに撮り、いしだも夫に死なれた悲しみを好演している。子役の飯島がかわいい。(武)

●関八州の役人に斬られた弥吉が市に託した雛人形・・・この雛人形の顔と、かよ(飯島洋美)がそっくり。殺陣シーンにティンパニーが鳴る。音楽は『顔役』の村井邦彦である。
 無名の市から座頭市への転換は形こそ違え、月光仮面やまぼろし探偵、日常の顔とヒーローの顔のふたつを持つ「正義の味方」と共通なものがある。市が知られていないという設定だと、市が有名だからこそ、ニセ市が出現した『二人座頭市』のような話は成立しない。撮影・森田富士郎。

 弥吉は辰造の代貸しだったが、おしのと所帯を持って堅気になろうとしたところ、辰造に隣りの権蔵を斬れば盃を返すと言われて、権蔵を斬ったのだった。八州は権蔵殺害の罪で屋吉を成敗する。
 八州回りのための賭場で市はイカサマを見抜き、仕込を振るう。おしのが辰造にさらわれたと知って市は救出に向う。そして、最初におしのを手篭めにしようとした辰造から斬る
 いしだあゆみ証言  『新・座頭市』第2シリーズDVD パンフレットより引用

 「うまく言葉で言えませんが、勝さんの作品作りは、真剣に遊んでいるといった感じでしたね。時間を忘れて遊ぶというか・・・
 勝新太郎さんとは、この座頭市で初めて共演させていただきました。私は、時代劇の経験がなくて、かつらをつけたのも初めてでした。初めての体験で勝さんに教えていただいたので、すごく幸せでしたね。芝居をつけるときにも勝さんが見本を示してくれたので、とてもやりやすく、時代劇がとても大好きになりました。
 着物のひき方とか、えりの動き方とか、女役の演技指導も本当に素敵でほれぼれするくらい。男性から見た女性はこうであってほしいという願望のようなものが勝さんにはあったんじゃないでしょうか?
 私にとって、勝さんに教えてもらった経験が今でも自分の女優としての力。基盤のようなものになっている気がします。本当に分りやすく教えてくれましたね。
 座頭市の現場では、スタッフの方々も勝さんと同じ感じで、ごはんを食べるのも忘れて遊んでいるみたいな・・・・
 人数は今の現場に比べれば少なかったですが、皆さん超一流の職人さんでしたね。だから座頭市に出演させてもらって、全く当時新人だった私でもそれなりに上手に見えちゃうんですよね〜。
 一番すごいなぁと思ったのは、勝さんから『泣いた後の顔を撮りたい』と言われたことです。泣いている顔はいらない、視聴者が見た時に、この人はさっきまで泣いていたんだろうなぁと思わせる表情をしてくれと言われたんです。素敵ですよね〜風情があって! すごく覚えています。
 だから座頭市で、演技だけじゃなく、風情とか余韻とかを教わりました。今そういうものを教えてくれる人はいませんしね・・・・。
 今のドラマでは勝さんの好きだった間合いとか余韻ってありませんからね。現場では毎回『あぁそうか』と感心・勉強させていただきました」

★第2話 「父恋い子守唄」(脚本・佐藤繁子,監督・太田昭和) 1976年10月11日
新座頭市 2話冒頭、急流の上にかかった細い橋を腹ばいで慎重に渡る市、暑い夏の日である。その傍らを男の子が倒れた母親のもとへ走る、市は女の臨終の言葉「この子を追分の油屋へ」を聞く。旅の途中、孤児となった市左ヱ門(羽田勉,子役)は、追分の油屋の主人の落しダネだった。茶屋で二人は百姓風情の老人(辰巳柳太郎)と知り合う。子供を誘拐しようとする男(岸田森)が登場。ある宿場へ入ると神社のお祭りだった。頭上の果物の払いのけ芸(益富信孝)に市が挑戦する、市の腕前を見た紬一家の女親分おりん(宇都宮雅代)は座頭市を泊めようとするが、子供連れを理由に市は断る。
 雨が降って来た。雨宿りの小屋に腕を斬られた老人がやって来る。老人は首の弥三郎と言われた侠客だった。すっかり意気投合した市と弥三郎。弥三郎が紹介したのは紬一家だった。弥三郎をつけねらう浪人はおりんの兄(新田昌弦)だった。市はおりんから、おりんの父は金で雇われて弥三郎をねらったが、胸の病気で倒れ、弥三郎に葬ってもらったこと、自分たちは叔父の弥三郎に育てられたこと、兄は父の仇と弥三郎をねらうようになったこと等を聞く。

 一方、追分の油屋の番頭は未亡人と共謀して、主人が女に産ませて後継ぎに指定した市左ヱ門を殺そうと、手先を派遣していた。手先が岸田森。
 市は子供を油屋へ連れていくのではなく、老人に預けようと考える。老人は市に一緒に百姓をしようともちかける。そんなある日、子供が誘拐された。近くの神社の境内に市が向う・・・
 撮影は渡辺貢。

河内山宗俊『痛快!河内山宗俊』の「三途の川は空っ風」(1975年11月24日、脚本・直居欽哉)で、お艶(赤座美代子)に対する金子市(原田芳雄)、森田屋(大滝秀治)、宗俊(勝新)と立場の違う三人の感情を無言のうちに、描破してみせた太田昭和だが、この「父恋い子守唄」ではそれ程ではない。「三途の川・・」は大人の恋愛ドラマとして大胆であり、見事であった。お艶は川で拾われた子だ。こんな風に言う、「今度生まれてくる時は男に生まれてくるんだ。そして好きな女を・・・一生大事にしてやるんだ」と。いじらしい。ラスト、お艶の死体を舟にのせ、川へ返してやる・・・。
 1976年2月2日放映の『河内山宗俊』「雪に舞う女の絵草紙」(脚本・尾中洋一・直居欽哉)も十朱幸代主演で見事だった。
 演出は太田昭和でも撮影者が違うからかもしれない。「父恋い・・・」は渡辺貢、「雪に舞う・・・」は牧浦地志。
 太田昭和の『蜘蛛の湯女』(撮影・牧浦地志)については、「観覧車」1973年12月号、秋本鉄次の《名画探検》を参考に。
■1975年11月24日週間TVガイドより。『痛快!河内山宗俊』
 市之丞はふとしたことでお艶(赤座美代子)と深い仲に。友人・辰之進の「苦境を救うため、市之丞は碇屋重兵衛から森田屋清蔵殺しを引き受ける。清蔵の寝込みを襲った市之丞は、同じ部屋でお艶の姿を見て驚く。剣先を鈍らせた市之丞は逆に手傷を追った。


   《名画探検》   蜘蛛の湯女 (1970年大映)   
      不遇の傑作! 成仏できず?    秋本鉄次
蜘蛛の湯女
 大映崩壊して2年目の秋がやってきた。その大映最後の映画『蜘蛛の湯女』が珍しく先日、新宿昭和館地下にかかった。この不遇の傑作の供養をするつもりで再見した。やっぱりスゴイ!
 思えば、1971年後期は日活も一時的に製作中止したっけ。しかし日活はその後まもなくロマンポルノとして美事に転生をはたしたし、タイミング遅れながらも藤田敏八の『八月の濡れた砂』はあり余る評価を今でも受けている。それにひきかえ、もっとみじめな大映は、まるで優勝決定したあとのプロ野球の残り試合みたいに見捨てられていた。それくらいスタッフたちもヤル気なかったのだろうか?。
 否である。勝新の気鋭の快作『顔役』、増村保造の名作『遊び』、そしてこの太田昭和監督の『蜘蛛の湯女』もまたあったのである。
 人形浄瑠璃から一転、大暴風雨の中の強姦シーンで始まるこの作品はまさに、堂々たる大映セット美学の総力を上げたような風格を持っている。てんで下らない男どもを尻目に、りりしく生きてる湯女たちの素晴らしさ。顔ぶれもスゴイ。相川圭子や田中真理も今より数段適役であり、イキもいい。その他、川崎あかね、地井武男・・・・圧巻は父を刺青男に殺された怨みから、客の刺青男を次々殺し釜炉で焼く横山リエ、それを手伝う唖の釜たき役の怪優常田富士男がラスト、殺した21人の男のしゃれこうべを流し燈篭にするシーンの美しさは極め付けだ。ラストピクチュアを撮らされるハメになったスタッフ達の万感の意もそこにある。
 『秘録長崎おんな牢』(これもなかなかいい)でデビューして2作目、太田監督さあこれからの矢先だった大映崩壊。それならロマンポルノあたりで思いっきり活躍して欲しいのに、今どうしてるんだろう。TVか? CMか? もう足洗ったかな? とにかく彼の作品、今も成仏できず娑婆に迷うて出る始末。くわばらくわばら。

★第3話 「潮来の別れ花」(脚本・下飯坂菊馬,監督・井上昭) 1976年10月18日

新座頭市 3話■座頭市は我孫子の宿の渡し場で、舟から降りるとき手を差し伸べてくれた幸福そうな若妻おえん(十朱幸代)の、温かいてのひらの感触がいつまも忘れられなかった。潮来の遊郭で市は、懐かしいおえんに再会。夫・喜三郎(津川雅彦)の危難を救うために苦界に身を沈めたのだ。だが、喜三郎は、ちょっといい男とさわやかな弁舌を武器に、女をだましては女郎に売り飛ばすとんだ小悪党。市には人間のくずのような男にとことんつくすおえんのいじらしさが哀れだった。おえんの身請けの金の算段に市はやくざ文五郎(江幡高志)の賭場に上がった。(読売新聞記事)

不安定な船の上で駒回しを披露している男がいた。喜三郎である。見事な芸に一同感心していたが、船が揺れた拍子に飛んだ駒を市の杖先が受けた。市はさらに巧みに駒を操り、喜三郎に返す。お株を取られた形の喜三郎は面白くない。渡し場でおえんが市に手を貸す。市を追い越していく編笠の侍がいた。侍は喜三郎に声をかけ、連れの女の素性を聞く。「・・・妹です」という喜三郎、「女房です」というおえん。侍は喜三郎に斬りかかる。助けを求める声に市が反応した。仕込みにやられた侍は「たえ・・・お前を助けることができなかった」と謎の言葉を残す。この侍はたえの兄だった。
 潮来の宿場。悪魔払いの太鼓が叩かれている。旅籠を探していた市は遊郭に連れ込まれた。酌婦が来るが、病気もちである。名前はたえだという。たえの身を案じ、代わりに来たおえんは市を見て驚く。一方、たえは働きが悪いと殴られて死んでしまう。元は侍の娘だったが、喜三郎にだまされて遊郭に売られたのだった。
 市は賭場に上がり、もうける。女壷振り蝶々のお金のイカサマ(清めの塩の中へサイコロを仕込み取り替える)を見破り、30両を持ち帰る。帰途、因縁をつける子分たちの前で一文銭を居合い斬りすると、子分たちは震え上がる。
 市を客人として迎えようという文五郎の招きで、市は賭場でもうけた30両でおえんを身請けしたいと申し出る。証文が市に渡される。市は蝶々のお金の盃には酒をうまくつぎ、文五郎には頭から酒をかけて、さっさと去る。馬鹿にされて怒る文五郎。
 喜三郎はおえんに市の仕込を奪う算段を話す。しかし、証文を返されたおえんは市に感謝し、仕込みを奪うなんて裏切り行為は出来なかった。
 市の仕込みを奪えなかった喜三郎はたえの墓参りに行った市の後を追う。
 
 津川雅彦は口八丁で、市の仕込み杖を奪おうとする。市に刺されて「・・・?・・・刺さってんのか? いてえ・・・死にたくねえよ・・・抜いてくれ」、実は臆病な女たらし、上にはへつらい、下にはあたるという男を演じた。文五郎の一の子分に石橋蓮司、情婦の壷振りに絵沢萌子。撮影・森田富士郎。 『座頭市物語』の「忘れじの花」に続いて十朱幸代が男につくす女を演ずる。おえんが自由の身になったのを喜ばない喜三郎に茫然、野原にやってきたおえんは市に斬られたやくざ達を見て安堵するのだった。
 津川の役どころは女衒で、『座頭市物語』の「愛始まる日」の林与一、「子守唄に散った女郎花」の江原慎二郎、「忘れじの花」の山城新吾などの系譜である。『新・座頭市』の「雪の分かれ路」の林与一も女衒である。

★第4話 「月の出の用心棒」(脚本・池田一朗・岩元南,監督・太田昭和) 1976年10月25日 ●撮影・森田富士郎
■  10月27日読売新聞 「豆鉄砲」より         情感ふくらむ『新・座頭市』

新座頭市 4話 この秋も、たくさんの、さまざまな新番組が登場した。その中で『新・座頭市』(フジテレビ、月曜、午後9:00)は、特に質のいい娯楽作品といっていいだろう。座頭市のケタはずれな強さや、いのちを張って生きてきた揚げ句、身にそなわったユーモアが、毎回、意表をついた工夫で生き生きと描かれていて、楽しい。前シリーズに比べ、情感ある映像がずっと増えたのもいい。石原裕次郎
 25日の「月の出の用心棒」は、ゲストに石原裕次郎を迎えていた。
 石原扮する武士は、主命で、妹と駆け落ちした同輩を討つべく旅に出た男である。途中、市と親しくなるが、やがて再会した妹は女郎に身を落していた。その身請けの金を作るために、男はヤクザの用心棒になり、市と対決する仕儀となる・・・。
 まず、その男が失明しかけているという設定がミソである。“座頭市”の最大の特色である“盲目”ということを、男と市のふれあいのモメントにし、クライマックスに目の見えぬ二人の男の勝負にもっていったところに、工夫がうかがわれた。
 石原は剣の達人でありながら失明しつつある男の悲哀と、不幸な妹への切ない情愛を好演。勝も、堂に入った座頭市ぶりで対抗。見ごたえのあるドラマになっていた。(お)    
★第5話 「牢破りいそぎ旅」(脚本・中村努・岩元南,監督・太田昭和) 1976年11月1日
新座頭市 5話●太田昭和連投。撮影・牧浦地志。
 市の目のアップ、唇のアップ。第1回の関八州の役人を斬ったショットがモンタージュされる。

 “御用提灯に追われる座頭市は運悪く捕えられてしまう。そのとき親切にしてくれた若者・仙太郎(織田あきら)の情けに打たれた市は牢を破る。そして、若者の添いとげられぬ恋のため、仕込みをふるう。仙太郎の恋人・大店の娘おみつ(田坂都)。目明かし(深江章喜)、指物師の職人(下元勉)、佐山俊二。





 ★第6話 「師の影に泣いた」(脚本・犬塚稔・岩元南,監督・南野梅雄) 1976年11月8日

丹波哲郎●母の墓参久しぶりで帰郷した座頭市は、かつての剣の師匠の浪人伴野弥十郎(丹波哲郎)に再会。世間なみの幸福をあきらめている足の悪い弥十郎の妹弥生(柴田美保子)は、少女の頃から好きだった市に、結婚して欲しいと哀願。情にほだされ、市も堅気になる決心をしたが。だが、弥生の幸福のみを願う弥十郎は猛反対。誤解が誤解を生み、やがて市と弥十郎の宿命の対決が待っていた。
 今回は、誤解から市は、大恩人のかつての剣の師と宿命の対決。いい腕を持ちながら、時流に乗る才覚に欠け、一道場主として野にくすぶる剣客商売の浪人に扮して丹波哲郎がゲスト出演。
 助監督だった南野梅雄が初の監督を担当し、好調。撮影・森田富士郎。

【2004年の追記:この枠組みは映画第3作『新・座頭市物語』(1963年、田中徳三監督)と同じである。原脚本が犬塚稔の作品。映画版の弥十郎は河津清三郎で、弥生は坪内ミキ子だった】
脚本家・犬塚稔氏は2007年9月17日に老衰のため逝去。106歳だった。
犬塚氏は映画の座頭市シリーズの後半の脚本にはかなり批判的だった。
晩年のインタビューで勝新監督作品の物語の飛躍にも批判的だった。
勝新監督の『新座頭市物語・折れた杖』も酷評していました。

★第7話 「わらべ唄が聞える」(脚本・佐藤繁子,監督・勝新太郎) 1976年11月15日
新座頭市 7話●勝新演出第2回目。撮影は渡辺貢で、勝新演出は凝りに凝っていた。
 市に片腕を斬り落された伝兵衛(草野大悟)は、甚左(殿山泰司)に市の殺害を依頼。甚左は娘お艶(新藤恵美)を狂女にしたてて接近させる。狂女を装うお艶は人形に仕込んだ刀を手に市のすきを狙う。

 冒頭は、まだ暗い夜明け。ちょうど陽がさしてくる。朝霧が立って緑が陽に映えてくる。朝の光を感じる市・・・。
 田んぼのなかで狂女を見つめる百姓たち。女は市を「秀次郎」と呼び、接近してくる。市は女を哀れに思うが、一緒に連れていくわけにはいかない。ところが、通り雨でどしゃぶりになる。雨宿りをしている市に女が追いついて来る。宿場には伝兵衛が先に来ていた。土地の親分(名和宏)は先に市を斬ろうと算段する。

 なかなか市の寝首をかく時期を見定められない女。甚佐は水を怖がるはずだと舟の上におびき出すことを提案する。砂浜で市は自分から舟を出そうとする。乗り込んだ舟で人形に仕込んだ短刀を取り出したものの、すぐに市に見破られてしまう。市は女に訳を聞いて、伝兵衛が約束の百両を払うわけがないと諭す。
 浜に横たわる市の周りに伝兵衛たちが集まってくる。女は市を殺ったのか? 約束の百両は?
 すべてが片付いて、女が残した最後の言葉、「じゃあ、・・・ね」を市は繰り返す。
春日太一『天才 勝新太郎』(文春新書、2010)より 197-198ページ

 斬られる覚悟の女を座頭市は許す。そして、舟をこぎ出す。
 <女「この舟、どこにつけるんだい?」
 座頭市「どこにつければ気が済むんだい?」
 女「殺し合わないですむところ」
 座頭市「それなら一生懸命、こがないとな」>
 その後、二人は浜辺へ流れ着き、握り飯を二つに分けたりしながら、心を通わせていく。
 こうした芝居の際、濡れ場は全くなく、また、勝自身もラブシーンを演じたがらなかった。座頭市はいつも女性たちと(精神的にも、肉体的にも)一定の距離を保ち、決して直接触れようとはしない。それはまるで自らの禁忌としているようでもあった。
 「座頭市はこんなことはしない!」
 と勝が嫌がった芝居の中でも、最も嫌がったのは女性を乱暴に扱ったり、「性」として扱う芝居だったという。
 勝、そして座頭市は、女性を「聖なるもの」として崇めていた。

 ★第8話 「雨の女郎花」(脚本・猪又憲吾,監督・森一生) 1976年11月22日
新座頭市 8話  市は中山道の宿場で飯盛り女お紋(浅茅陽子)に出会う。彼女は妻として迎えに来ると約束した旅の武士・仲沢(峰竜太)を待ち続けていた。その仲沢が新妻・友江(香野百合子)を連れて宿場に現われた。可愛さあまって憎さ百倍、お紋は仲沢の持つ密書を盗み取った。ほか、長谷川明男、横森久、沼田曜一。未見。

DVDで初めて見ました。船着場で降りた市にぶつかってきた女がいた。身投げクセのあるおせいを必死でとめるお紋だった。旅籠・旭屋に投宿した市はお紋と再会することになる。お紋は旅の男との約束なんか信じられないものだと断言する。
 雨がひどく、川止めになる。お紋に惚れている文次(長谷川明男)が来るが乱暴者の文次をお紋は嫌っている。
 上田藩の侍・仲沢と妻が別の宿に投宿していた。仲沢は昔、お紋と言い交わした仲だった。お紋自身が待っていて裏切られた女だったのだ。雨があがると、上田藩の侍たちが仲沢を追って来ていた。追われた仲沢はお紋に密書を預ける(「お紋が盗む」というあら筋は誤りでした)。密書は主君への反逆を記した連判状だった。事情を聞いた市はお紋を守る。捕われた仲沢は拷問に合うが密書のありかを言わない。文次と親分(沼田曜一)は密書はお紋のところと見当を付けて奪いに行くが市に邪魔されて取れない。仲沢と女房を子安地蔵で処刑するという伝達をしてお紋を導き出した。市も助っ人に駆けつける。撮影は渡辺貢。

■夕刊フジ 1976年11月5日 「浅茅陽子の“貫禄”に天下の勝新“ヘバった”浅茅陽子
  態度も演技も大女優  ロケでは森監督に“注文” 勝、森監督ベタほめ 」
 「さすがヘバちゃん、いやー大女優だねえ」 二十二日放送の『新・座頭市』(フジ・関西系)“待っていた人”編にゲスト主役として浅茅陽子を迎えた勝プロの面々、その“スケールの大きさ”にいささか魂消たといった面持ちだ。
 『雲のじゅうたん』で人気者になった浅茅。知名度は一躍大スター並みになったが、たかだかデビューして二年か三年の新人女優。「まあ、おらが親分の胸さ借りてせいぜい修業するがいい」ぐらいに思っていたところが、天下の勝新太郎に臆するどころか、初日から思ったことをズバズバ。態度もデカけりゃ、演技ぶりも堂々として大女優の貫禄なのだ。
 三日、京都・亀岡の千代川河原で行われたロケーション。
 森一生監督が、市と悪玉のチャンバラが始まろうとするところへ駆けつけた“宿場女郎”の浅茅のアップを撮っていた。
 一回のリハーサルのあとすぐの本番。裏切られた腹いせに密書を奪い、困らせてやろうとしたものの、そのために命の危ないかつての恋人の身を案じる女の必死の思い。情感をただよわせてなかなかいい表情で、森監督は即座にOKを出した。
 ところが、ヘバちゃん、「あ、肩で息しなかったわ。走ってきたんだからやっぱり不自然よね。すみません、もういっぺんやらせて」。
 こんなぐあいに浅茅の意見で、とり直しや、設定すら変わることもしばしば。
 俳優もまじえて数回のディスカッション、最初の台本は、たたき台同然で、納得のいくまで話し合うのが勝プロ方式。だから、新人の浅茅が大ベテランの森監督に注文をつけても別にかまわないのだが、それでも、ベテランを相手に口をはさむには相当の自信と度胸が必要だ。
 時代劇出演は、昨年、『遠山の金さん』にゲストで出たことが一度あるだけだが、「別にどうってことないわ」
 かつて真木洋子が、『藍より青く』のあと初めて時代劇に出たときなど、分らないことが多いせいか、どこかオドオドした感じがあったものだが、撮影所での浅茅は、ぐっと胸を張って、あたりを払う、のおもむきすらある。
 こんな調子だから、ふつうなら浅茅クンか陽子ちゃん、のところが、森監督まで「浅茅サン」。
 さすがの勝新も「二年ぐらいで、これだけ、あつかましく個性が出せる人も珍しいねえ」と苦笑いだが、「役者としてもなかなかいいものをもってるから、多少のわがままはしょうがねえってとこかな」と女優としての力も評価する。
 この辺は森監督も同じで、「若いのに自分のパターンをちゃんと持ってるし、それも体験に裏打ちされたって感じの説得力があるんで、正直、驚いてるんです。性根もすわっているし、最近では貴重な女優さん。ヘンなかたちで使わないで大事にしていきたいですね」とベタぼめだ。

■森一生監督いわく、“いい知恵は大事にするんですよ。
 テレビで『座頭市』シリーズをやったときでしたか、浅茅陽子君がセリフつくったときもそうですね。芝居をいっぺんやってみたら、自分でセリフつくって、酔っ払いの芝居をするんですよね。これは面白かったです。こういうときにはどうなるかと自分で考えてきて、「こういう酔っ払いの女になると思う」ちゅうから、「とてもいいよ」言うて褒めた。芝居もうまかったですけどね。あんときは、セリフも三分の一ぐらい減らして、ほとんど浅茅君の書いてきたとおりにやったはずですわ。・・・
 浅茅陽子さんちゅうのが面白い人でしたね。ざっくばらんで、全部相談にやってきた。・・・テレビの『座頭市』で飲んだくれの女をやったとき、「このセリフは女の自分から見て、すっきりこない」言うて、いろいろ話し合って、セリフを全部書き直して、やらしてみて、また話をして、ぼくが「しかし、ここはちょっと違うぞ。こんな硬いセリフはここで言えないはずだ」ちゅうと、納得する。あのときは気持よかったですね。女優さんと初めてああいうディスカッションをやりましたよ”(『森一生 映画旅』よりp.252及びp.361)


 ★第9話 「見ない涙に虹を見た」(脚本・中村努,監督・田中徳三) 1976年11月29日

伊丹十三紅葉の街道を急ぐ夫婦二人。その後を侍が追いかけて来る。逃げる二人を侍たちは追い越していく。ほっとする二人。ススキの陰の向こうに夕日が沈む。市は道中、幼馴染の為吉(伊丹十三)、おその(音無美紀子)夫婦と再会する。
 三人は旧交を温めるが、為吉の様子がおかしい。聞くと、博打に手を出し多額の借金を抱えたまま夜逃げしてきたという。市はひと肌ぬごうと決心する。おそのは身重。
 為吉はすっかりひねくれていて、市になれなれしく呼ばれるのも気に入らない。「親になるのは犬猫でもできる。だが、親となるのは違う。子供は親を見て育つんだから」と市に説教されるのも気に入らない。しかし、最後には市の心情に打たれ、ほんとうのことを言える人間になる。『座頭市物語』第2話「子守唄に散った女郎花」の江原慎二郎のように。撮影・森田富士郎。
 借金の取り立てで為吉を追うやくざは土地の親分に加勢を頼む。座頭市がそばにいると聞いて、おそのを人質にして市を斬ろうとする・・・。助監督・南野梅雄。
 ★第10話 「娘が泣く木枯らし街道」(脚本・新藤兼人,監督・太田昭和) 1976年12月6日
新座頭市 10話●凶作で困って八造(金内喜久夫)が娘のお光(今出川西紀)を売りにきた。角蔵(織本順吉)は八造を賭場へ誘い、渡した金を巻き上げる。八造は自殺。お光に話を聞いた市は角蔵の賭場へ乗り込んだ。十手持ちの角蔵は手下を使って逆に市を捕えようとする。女中ハナ(沢田雅美)、おしず(川口敦子)。撮影・牧浦地志。







 ★第11話 「風に別れた二つ道」(脚本・東条正年,監督・工藤栄一) 1976年12月13日
新座頭市 11話●工藤栄一登場! しかし、ちょっと不発でギクシャクした出来。桐生へ向う市は渡世人志望の仁吉(湯原昌幸)と道連れになる。百姓がいやになって飛び出してきたのだ。この湯原が最後までもうひとつ生きない。
 市が訪ねた老元締めの吉蔵(西村晃)は六蔵(辻萬長)一家に狙われていた。市と別れた仁吉は六蔵の身内となる。
 おせい(宗方奈美)、政吉(岡部健)、おはな(新地和子)。





 ★第12話 「金が身を食う地獄坂」(脚本・佐藤繁子・八亀文平,監督・田中徳三) 1976年12月20日
緒形拳2●緒形拳が異形のめくら役。ごうつくばりの金貸しを好演。木枯らしの吹くなか、貸した金のとりたてにきびしい。女房をいびり、子供は猫なで声で甘やかす。市に「ゴンちゃん」と呼ばれるのに内心腹を立てている。重蔵(高木均)をアゴで使えると思い込み、市を襲わせたりする。検校になるために金をせっせと貯めているのだ。自分の子供をおとりにして、市を始末しようとするが、先に裏切った重蔵に斬られてしまう。
 権之助の妻おのぶ(町田祥子)、武次(中井啓輔)。緒形拳1

■週間TVガイド 1976年12月24日号
 勝新太郎が緒形拳に盲目の心得を!?
 緒形拳が盲目の金貸し役でゲスト出演。悪玉との設定なので目のまわりを黒くし、頭は五分刈り。それらしく見せようと工夫を凝らすが、盲目の役は初めてとあってぎこちない。見かねた勝新が緒形を呼び二言、三言アドバイス。その上、模範演技まで披露した。これにはさすがの緒形も「盲目の役なら、勝さんの右に出る人はいません」と、すっかり感激。
 市はある宿場で、バクチ仲間だった権之助(緒形)と再会した。権之助はあくどい金貸し業で羽振りがいい。ある日、市は見知らぬ剣客に襲われた。権之助と間違われたのだ。

▼上記の記述は誤り。市を襲わせたのは権之助である。権之助は子供の頃は片目が見えたという設定になっている。しかし、最初の方で道でつまづいて転んだりするので、今は両眼とも見えなくなっていることが示唆される。それなのに、自宅に投げ込まれた手紙を読むものだから、市に謀略がバレてしまうのだ。撮影・森田富士郎。

春日太一『天才 勝新太郎』(文春新書、2010)より、194-195ページ

 錚々たる実力者たちが、勝の魅力にひかれて、「勝プロで、金よりも良い芝居がしたい」と、『座頭市』のためにスケジュールを空けて何度も京都にやって来た。
 緒方拳はその筆頭格だった。当時、緒方は隣りの京都映画撮影所で『必殺』シリーズに出演していたため、空いた時間にはよく勝の楽屋を訪ねた。二人は楽屋で雑談を交わしながら、その場で一つの芝居を作り上げていってしまう・
 「緒方、今度は何やりたい?」
 「座頭市の役をやりたいですね」
 「全部が同じじゃ面白くないから、緒方の座頭市は半分だけ目が見えることにしよう」
 「じゃあ、僕ちょっと行ってきます」
 そう言って去っていった緒方がしばらくして戻ってくると、頭はもう丸坊主になっていた。その時、緒方は東京で現代劇を撮っていて、頭を剃ると画が繋がらなくなってしまう。だが、今すぐ勝と芝居がしたいとという衝動は如何ともしがたかった。
 また、勝・緒方・倍賞がゲストで来た時のこと。
英語版の題名はZatoichi Money and Hell



 ★第13話 「母の涙に市が走った」(脚本・柴英三郎,監督・太田昭和) 1976年12月27日
新座頭市 13話  スキー教室へ参加のため未見。
 市は武家風の老女志乃(北林谷栄)と道づれになった。志乃は賞金稼ぎに身を落した息子の元八郎(松平健)を捜していた。ある宿場で志乃は息子にめぐり合う。が、賞金稼ぎに夢中の元八郎は駆け去っていく。市は志乃に頼まれ、後を追う。又七(中条きよし)、お京(森川千恵子)、孫一(柳原久仁夫)。

DVDで初めて見ました。
 宿場に賞金稼ぎが集まってきた。お尋ね者が逃げ込んだらしい。人相書きが貼られる。その人相書きを破り取る元八郎。剥ぎ取りに因縁をつけた賞金稼ぎを斬って賞金を独り占めするのが元八郎のやりかただった。

 宿場の飯盛り女・お京(森川千恵子)は元八郎の許を訪れ、身を投げ出してある依頼をする。実はお京の兄・又七が指名手配されている。その又七を賞金稼ぎから守って欲しいというのだった。
 荒くれ男たちが又七狩りに出かけると途中に元八郎がいた。お京は又七に逃げるように諭す。又七は自分は無実で、強盗現場に盗まれた手ぬぐいを残されたのだという。そのとき煙草入れも盗まれた。その煙草入れは賞金稼ぎのある男達が持っていた。真犯人は彼らだった。
 しかし、元八郎は又七の賞金首を取りに来た。彼の前に市がたちはだかる。母親も来た。さて、市はどうするのか?
 撮影は牧浦地志。
吉永小百合 ★第14話 「雪の別れ路」(脚本・佐藤繁子・中村努,監督・勝新太郎) 1977年1月10日
 
●吉永小百合が一途に宇乃(林与一)を慕う三味線ひきを演ずる。宇乃は実は女たらしなのだが、おゆき(吉永)にとっては恋人。「潮来の別れ花」と似た設定だが、吉永は過去の夢を現在に投影する夢に生きる女。撮影は森田富士郎。お里(野村けい子)、辰蔵(田中明夫)、政吉(中村孝雄)。
 冬枯れの川辺の雑木林。巣から落ちた文鳥のひなを救った市とおゆき。宿場でゆきは3年ぶりに男に会った。しかし、その男はついさきほど別の女に殺し文句「二人で体をあっためあいながら生きていこうじゃないか」と言っていた。市はもみ療治を頼まれて聞いていたのだ。ゆきが大切に持っていた紅い櫛も、男が女をだます小道具だった。
 女は売リ飛ばされていく時にも、宇乃の名前を呼び続けていた。
 市は宇乃と出会ってうきうきしているゆきのために一計を案じた。宇乃を脅して「実は俺にはかかあもがきもいるんだ。かかあはいい女なんだ。だからもう会わねえぜ」と言わせたのだ。酒場ですっかり酔いつぶれるゆき。この場面は美しい。
 そこへ宇乃が登場。さっきの話はウソだったと言って、親分辰蔵のところへ連れていく。親分は宇乃の借金を帳消しにするというほど、ゆきが気に入ったようだ。市に辱められた連中はゆきを身代わりにして市を連れてくる。
 オレンジ色の敷物をかぶせられながら、相手を斬る市。親分の鼻を切り落す。一瞬、俯瞰になる。狭い女郎屋での激しい斬りあい。ゆきは市の刃の前に出て、宇乃を逃がす。しかし、逃げた奥の部屋で宇乃は騙した女に刺されて命を落す。呆然とするゆき。
 雪のふる道を歩く二人。いまだにゆきが持ち続けていた櫛を、居合で真っ二つに切る市。
 春日太一『天才 勝新太郎』(文春新書、2010)より、191-192ページ
 
 上手くいく場合もあった。
 吉永小百合がゲストに来た時のこと。
 例によって、撮影間際になっても、勝は脚本でもめていた。
 「こんなもん、やってられるか!」
 ホテルフジタには毎晩のように、勝の怒声が鳴り響いていた。そうこうしているうちに、スケジュールは迫り、吉永が京都にやって来る。
 さすがに吉永を現場で長々と待たせたり、ボツ」にして途中で返すわけにはいかない。そう考えた勝は、台本なしで現場に臨み、全て即興演出で対応することにした。念のため、女優を演出することに長けている井上昭に頼み、監督補についてもらった。
 そして、勝は、松平健にしたように、その場で芝居のシチュエーションを作っては吉永に演じさせた。小鳥と戯れ、水を口移しで飲ませる吉永。懐かしい恋人との再会にときめく吉永。酒に酔いながら、哀しい過去を語る吉永。恋人の死に呆然とする吉永。その一つ一つの表情を、勝は1カットずつ丹念に、照明とカメラワークを駆使しながら撮りあげていく。
 「勝さん、凄い・・・・・」
 吉永の感嘆が、一段と勝を乗せた。
 こうして無事に吉永の出演シーンは撮り終える。その上で勝は、その画を活かすために後から話を作っていった。そして、結果的に一つの物語が見事にまとまってしまったという。

★第15話 「月の夜に女が泣いた」(脚本・新藤兼人,監督・勝新太郎) 1977年1月17日
   DVDでは、題名が『仕込杖が怒りに燃えた』となっていた  
真野響子●子分・寒天の清松(剣持伴紀)の美人の女房おしの(真野響子)に横恋慕する印旛沼のやくざ・赤鯰の長八(草薙幸二郎)に、陰険きわまる悪知恵が浮かんだ。清松に市を切らせるのだ。とてもかなう相手ではない。清松は一刀のもとに切られた。この世の名残に妻に一目会いたいと、断末魔の声をふりしぼる清松を背負い、市は、おしのと息子・清吉(清水晴康・子役)の待つ家へ急いだ。
 長八の子分・辰文(今井健二)らが、おしのの家へ火をかける。おしのや清吉が火を消そうとする。清吉がけなげだ。市は清吉を助けて火にまかれる。気が付くとおしのの手当てを受けていた。おしのは離れた隠れ家に居て、長八の目を逃れる。市は体の回復と共に手伝う。が、やがて隠れ家も発見され、市の留守におしのは強姦され、背に刃を刺し込まれる。おしのは市の腕の中で息を引き取る。女が男に看取られたのだ。「・・・市さん、抱いてください・・・」。そして市は仕込みをふるう。
 撮影・森田富士郎。庄屋の藤左衛門(田武健三)。

勝新監督作品として印象深い傑作。寒さで湿地が凍りつく朝。霜をふみしだく足音、刺客が市を襲う。一瞬にして斬られる刺客たち。そのなかに清松がいた。
 火をかけられて燃え上がる家、その前で清吉を助ける市と、それを見て市を夫の仇と狙うことの誤りを一瞬で悟るおしの。次第に市に心を寄せていくおしのの感情が、後れ毛をかき上げるとか、首筋をなでる等のさりげない仕草や、「(市さん)ずっと(一緒にいてくれますか)・・・旅をなさるんですか?」といった短い言葉で表される。市とおしのの会話をとらえる森田富士郎のカメラは微妙な動きを追う。
 おしのは息子の清吉を生まれ故郷の半田で漁師にしたいと考えている。そして、市を半田に誘う。もし市を半田の人々が受けて入れてくれなかったら・・・「そのときは私が入れてあげます」。しかし、その想いも空しく、おしのは刺されて亡くなる。

★第16話 「駆け込み道中ふたり旅」(脚本・沖守彦・岩元南,監督・黒田義之) 1977年1月24日
新座頭市 16話 ●足抜け女郎お香が、加賀まり子。お香は市の寝ている荒れ寺に身を隠す。追っ手が来る。傑作なセリフ、「いたな、このアマ!・・・なんだアンマじゃねえか」(仙次を演ずる蟹江敬三)。アップを多用し、バラエティに富んだカメラ・アングルを見せる。撮影・牧浦地志。
 美濃吉(菅貫太郎)、源八(小野川公三郎)、他に浜村純。
 TV《座頭市物語》で見事な演出を見せた黒田義之監督が2週連続で登板。
 女郎が足抜け。博打場の親分・美濃(菅貫太郎)のもとへ連絡が行き、仙次(蟹江)が探す。お香(加賀まり子)は古寺に身を隠し、市はかくまう。命がけで逃げてきた女は派手な着物じゃすぐ見つかってしまうと言う。着物を取り替えて逃げるが、途中で追手に見つかる。市は追手の髷を切り落とす。仙次はお香が18歳のころ、博打で景気のいいときに結婚した亭主だった。博打で負けがこんで女房を女郎に売り飛ばす。5両の年期があけても親分美濃のもとで働かされる。
 親分はもと役者、市の懐を狙って顔を切られた過去を持っていた。
 足抜けを手伝った源八はお香を「俺をだましたな」と批難する。市が救う。親分は源八を斬る。
 お香は縁切り寺へ駆け込むと言う。廃屋で火をたく二人。朝、市が川へ水を汲みに行った隙に、お香を人質に脅す美濃。しかし、仕込を捨てさせられた市は相手の刀を奪って斬る。渡し場で待ち伏せする美濃。
 市は金で船頭(浜村純)を雇い、お香を川向こうへ送る。やくざが迫ってきていた。

★第17話 「母子道に灯がともる」(脚本・下飯坂菊馬,監督・黒田義之) 1977年1月31日
中村玉緒●都合で中座したため途中までしか見ていない。おたきの付き人卯平(花沢徳衛)、長五郎(山本麟一)他、根岸一正。撮影・渡辺貢

■週間TVガイド 1977年2月4日号より 
 大田原へ来た市は居合斬りを目撃した鮒吉少年(新井つねひろ)の家に泊まった。母のおたき(中村玉緒)は元親分の女房だった。が、親分の死後は荒牛一家に痛めつけられていた。おたきの宿も客を寄り付かせないようにされていたのだ。我慢をするおたきに鮒吉は「なぜ仇討ちをしちゃいけないんだ?」と反抗する。長五郎は計略で鮒吉に子分を刺させ、おたきにカタをつけろと迫る。宿を出て去っていく市を追いかけ、卯吉は助けを求める。長五郎の許へ連れていかれたおたきはスキを見て隠し持ったドスで長五郎を刺した。市も駆けつけて加勢に入る。しかし、おたきは長五郎の子分に斬られていた。
 勝新太郎夫人の中村玉緒がゲスト出演。テレビでの共演は三年ぶり、三回目。スタッフはオーナー夫人というより“親分のかみさん”という意識で、スタジオには笑い声が絶えず、なごやかなムード。もちろん二人のからみは息もぴったりで、雑炊を食べているシーンでは勝が台本にないセリフをポンポン。が、玉緒は少しもあわてず受け答え、監督も「さすが夫婦の芝居です」。

■読売新聞 おしどり夫婦 久しぶり出演
 「坊や、一度人を斬ると、まともにお天道様の下を歩けないのだよ。肩で風きってかっこよく見えるかもしれないが、やくざなんて世間のきらわれ者、小汚い虫ケラ同然だ・・・」
 任侠道の裏面のみにくさと、渡世人の女房の苦労をいやというほど知りつくすやくざの未亡人おたきは、幼い息子の鮒吉をやくざにだけはしたくなかった。市は、少年のやくざ熱をじゅんじゅんと諭す。
 おたきには中村玉緒。『座頭市物語』の第二回で、市をだますあばずれの宿場女郎に扮して以来、久々のおしどり出演だ。
★第18話 「酔いどれ川」(脚本・岩元南・中村努,監督・太田昭和) 1977年2月7日

新座頭市 18話●野川由美子出演。野川は宿場の居酒屋の女将。島送りになった恋人・弥之助(村井国夫)を待っている。顔役の伝兵衛(平田昭彦)がやってきては、酔いどれた女将お竜を抱いてゆく。それを遺憾に思いながらも、どうしようもない居酒屋の使用人では無かった、名前ばかりの夫・茂助(左右田一平)。彼はお竜と添いたいのだが、あまりに気が弱いのだ。弥之助が戻ってきて・・・・。恐妻家の伝兵衛の女房おせん(絵沢萌子)ほか、綾川香。撮影者は牧浦地志。
 川を手製の竹馬で渡った市は河辺でお竜に出会う。お竜は酒浸りだ。人生をすっかり投げているのだ。市は居酒屋でからんできたやくざの子分三人を玄関先で斬った。伝兵衛は子分が斬られているので驚く。「いったい、誰が?」と茂助に尋ねるが、市になにかのときには助てもらおうと算段している茂助は「何も見ていない」と証言する。しかし、・・・・
 伝兵衛は茂助に「市が斬った」と証言すれば、お竜との間に子供を作らせてやると約束し、市を捕縛する。牢屋に入った市は座頭市であることが知られて、牢屋仲間の手引きで牢を抜け出る。その頃、島抜けの弥之助も帰って来た
★第19話 「越後から来た娘」(脚本・下飯坂菊馬・久貴千賀子,監督・黒田義之) 1977年2月14日
新座頭市 19話●純情な若い恋人どうし、おさよ(ジュディ・オング)と吾一(火野正平)の二人を、悪代官・柳田(岸田森)は、やくざ伝馬の権六(中村祥治)と結託して食いものにしようとする。二足わらじの悪貸し元である。お上の印入りの小判を盗んでその罪を二人になすりつけようとする。『河内山宗俊』コンビの出演だが、パっとせず。撮影・森田富士郎。

 一旗上げてくるから三年待ってろと村を出た一を尋ねて越後から来たおさよ。
 春木屋を殺して千両を盗んだ盗賊は代官に五百両を進呈するものの、沼田藩の刻印入りの小判は使えない。関八州は事情を知るものは始末しろと支持する。盗賊仲間を殺した後は誰かに小判を使わせて下手人を仕立てようとする。賭場で十両をもうけた市は心中の相談をしていた貧しい恋人二人に小判を渡す。ところが、簪を買い、酒屋へかたに入れた馬を請け出そうとすると、盗賊として捕縛され、拷問される。事情を知った市は牢屋から吾一を救い、権六一家を斬り、関八州のもとへ連れていかれたおさよを助ける。関八州からもらった十両を置いて市は去る。

★第20話 「いのち駒」(脚本・村尾昭,監督・南野梅雄、助監督・小林正雄) 1977年2月21日
新座頭市 20話●かつて結婚を誓ったおゆき(松原智恵子)を、同門の悪辣な賭け将棋士・源三郎(石橋蓮司)に奪われた棋士・宗達(内藤国雄)が六年後に宿命の対決。
 上州名人・籐兵衛(須賀不二男)は賭け将棋で源三郎に負けて首を吊った。次の一手を書いておく「封じ手」を“将棋を知らない”おゆきに預けたのだが、実はおゆきは父を棋士に持ち、源三郎を夫とする女。手が源三郎に筒抜けになるのだった。次の勝負で、天野の竜と言われていた宗達が三百両の勝負に来る。
 源三郎はおゆきに惚れているが、罪悪感もあってか、宗達に嫉妬し、おゆきにもつらく当る。三番勝負。宗達は、まず一局勝つ。源三郎はおゆきに宗達に負けてくれと頼んでみてくれと強制する。おゆきの頼みを宗達は承諾する。宗達を雇った尾張屋に高野真二。
 初めは形勢不利だった宗達は途中から盛り返す。日が暮れて勝負は翌日となる。源三郎はおゆきを信用できないと殴る。おゆきに預けられた封じ手を源三郎は見る。源三郎に多額の金を賭けて儲けてきた五郎蔵(小松方正)は刺客を放つ。重傷の宗達の手となって市が駒をうつ。勝ってしまった重傷の宗達は運び出される。悪辣な代貸に松山照夫。
 おゆきを寄こすか、賭けで損した三百両を返すかと五郎蔵は源三郎に迫る。市の怒りが炸裂する。
 内藤国雄がひょうひょうとしていた。撮影・牧浦地志。
★第21話 「契り髪」(脚本・中村努,監督・勝新太郎) 1977年2月28日
新座頭市 21話●女を食いものにするやくざ清次郎(峰岸徹=峰岸隆之介)の情婦となり、転落していくおよう(由美かおる)は投身自殺するところを市に助けられる。ところが助けられても感謝するでもない。
 一緒に旅するうちに、おようは市に対して心を開いていく。そして、染物をやっている儀兵衛(桑山正一)のところで堅気の働きの尊さを学んだりする。しかし、追っ手がかかっていた。撮影・渡辺貢。
 初冬の雪がある浜辺。やくざたちが逃げた女を捜していた。海に身投げしようとする女を市が助ける。その女、おようはすっかり世の中を捨てていた、しかし、市のこの世には地獄が百あれば、いいところも百あるかも・・・という言葉で、もう一度生き直してみようと決心する。田舎の藍染め屋で働き始めたおようは市を兄と偽って同居させる。おようは市に仕込みから離れて生き直して欲しいと懇願する。おようの願いをいったんは聞き入れた市だったが、伝馬町の牢屋から清次郎が戻ってきて、手下とともにおようを追っていた。
 おようは清次郎に体を預ける代わりに自分の命を助けてくれた市の命乞いをする。だが、座頭市の素性を知った清次郎が市を見逃すはずは無かった。他の勝新演出作品同様、セリフがほとんど無いまま、話は進んでいく。

★第22話 「浪人子守唄」(脚本・東条正年,監督・太田昭和) 1977年3月7日
新座頭市 22話●財津一郎のよさをよくとらえたとは言い難い。
 へんな武士・難波儀衛門(財津)は幼な子を連れて旅をしていた。婿養子の彼は家付きの娘しず(美川玲子)の横暴に耐えかねて家出したのだ。妻や姑は自分をひととも思わず、種馬のように扱ったのである。子を取り戻す交渉に来た使用人(潮健児)の置いていった着物を右に置き、左に自分が座り、真中に子供を置いて、どちらを取るか選ばせるシーンがある。子供は着物の方へ行きかけ、結局父の方へはいずってくる。幼馴染みの貧乏人・定松(江木俊夫)とおちょう(栗田ひろみ)が、この子宝騒動に際して財津の味方をする結果となる。旅を続けようと宿を出た儀衛門は刺客に殺される。撮影・牧浦地志。




★第23話 「幽霊が市を招いた」(脚本・中村努,監督・黒木和雄) 1977年3月14日
新座頭市 23話●TVガイドにはタイトル「さらば幽霊」とあるが、たしかこんなタイトルだったと思う。シリーズ中の傑作。黒木和雄が情感こまやかで鮮烈な演出を見せる。怪奇篇。撮影は渡辺貢。助監督・南野梅雄。原作は子母沢寛『頼まれ多久蔵』。
 ある舟で、幽霊の噂を市は聞く。宿へ通された市は部屋に誰かいるのを感ずる。だが、誰もいないのだ。市は数日前のことを回想し始めていた。伊三蔵(いさぞう。原田芳雄)というめっぽう喧嘩早い男のことを。
 伊三蔵は女道中師・千両のお富(江波杏子)を見て驚いた。その訳が次第にわかってくる。伊三蔵の背中の彫りものは恋人おしげの像であるが、それとお富はそっくりなのだ。おしげはやくざの八丁徳に強姦されて自殺、怒った伊三蔵は八丁徳をたたっ斬って、行方定めぬ旅に出たのだった。
 市は伊三蔵とおしげのことを、おしげの父で彫り師の忠七(信欣三)から聞く。市は伊三蔵からは背中の彫り物を見せてもらっただけだったが、市にはそれが伊三蔵にとってどれだけ大切なものかが分ったし、伊三蔵も市にだけ心を開いて見せてくれたのだった。市には実際には見えないのだが。伊三蔵はこの故郷の宿場へ戻ってくるはずだったのだが。
 伊三蔵は無念にも八丁徳の身内に斬られたのに違いない。彼は背中を斬られた。背中のおしげの像が幽霊となって市を呼んでいるのだ。市は霊感をたどって、とある河原へやって来る。おしげの像が現われて消えた。消えたところに伊三蔵の死体があった。背中を斬られていた。市は仕込みをふるう為に宿場へ足を向ける。

『新・座頭市』のDVDボックスに原田芳雄が巻頭言を寄せている。この言葉がカツシン演出をよく物語っている。

 “勝さんは、誰もやったことがない、誰も見たことがないものを探っていましたね。
 思い起こせば、当時映画界が大きく変わっていく時代で、世の中も、もの凄い勢いで回り始めていて、 今までのものをぶち壊して、新しいものはないかという探りがものすごくあった時代で・・。 自分は、ちょうどその時分に映画人と仕事をやることになりました。
 黒木さんや宮川さんなど大映映画のスタッフには、すでにお世話になっていて、 「竜馬暗殺」が1973年にATGで公開になり、それが縁で、勝さんから、「座頭市」に呼んでいただいた。
 勝さんから「常に時代劇の定形を壊していかなければいけない」という強い気持ちを感じていましたし、 勝さん本人が先頭を切ってやっていた。そういう自分も既存のものを何とかぶちこわしたいと思っていたので、お互いに、とてもスムーズだったですね。
 たとえば、座頭市撮影の朝、撮影所に入っても、カメラがなかなか回らない。通常では考えられないことなんだが、 「シナリオがあってもなきのごとくのやり方」という勝さんの手法というのは、僕の中では、全くもって違和感がなかった。
 さらに、勝さんいわく、「俺は、台本を食っちゃう。シナリオを食っちゃって、飲み込んで、歯糞が残っている、その程度にせりふを言うんだ。」とよく言ってました。
 だから、勝さんと会うと、「芳雄ちゃん、何しゃべる?」ということからじ始まるんですよ。
 勝さんは、「俺自身もわからないんだから」などと言いながら、古典的なカテゴリーを持ってて、しかも半分壊しつつ、また先に進む・・。 まさに、先進的にものを考えていましたね。
 常に考えて、考えて、考えて、新しいことを考えていた勝新太郎。それは、最後の最後まで変わらなかったですね。”

▼白井佳夫の「最後の役者馬鹿 勝新太郎」より

 友人の黒木和雄監督が、勝プロのテレビ「座頭市」シリーズを京都で作ってきたというので話を聞いてみたら、これが面白かった。「シナリオは一応印刷したものがあるんですが、まったく使いませんで、全部ボスの勝ちゃんが感性のおもむくままに即興的に、現場で作っちゃうんです。それでも彼の周囲には、気心のしれたスタッフや、ツウといえばカアのよく動くからみの俳優たちの集団や殺陣師たちなどがおりましてね、案外テキパキとドラマの流れが出来ていっちゃうんですよ。監督として、とても面白い体験でしたね。いやあ、八方破れのたいへんな男ですよ、勝新太郎というのは」
 「原田芳雄の自由な存在感がとても面白かった、ですって? そりゃそうでしょう。彼の出演シーンのセリフなんか、何も決まってなくて、彼は自分で自分のセリフを作って、地のまんまでやってましたからね(笑)。江波杏子の役が突然画面から消えちゃうのが、効果的で面白かった? ありゃあ別に工夫してやったことじゃないんです。契約上の拘束日数が切れちゃって。彼女が東京に帰ってしまったんですよ(笑)」
 起承転結のついた古いドラマ形式の映画作りを拒否し、即興的で自由奔放な表現を重んじるフランスのヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)以後の映画製作の世界の新しい潮流が、勝プロにあっては、そのような形でユニークに実践されているようであった。これもまた何となく、勝ちゃんの気質からすると、私には解るような気がした。



★第24話 「大利根の春はゆく」(脚本・新藤兼人,監督・森一生) 1977年3月21日
新座頭市 24話 ●博打うち・かわうその源太(なべおさみ)は市にすってんてんに負け、最後は女房ふじ(丘みつ子)を賭け、また負けた。 源太に愛想をつかすふじは、勝手に市のあとについてきた。市は母の墓参に久しぶりで故郷へ帰る途中であった。 寺は無住職で荒れ寺になっていた。本堂には旧知の浪人・平川伝八郎(夏八木勲)がいた。
 撮影・牧浦地志。






★第25話 「帰って来た渡世人」(脚本・東条正年,監督・南野梅雄、助監督・中務忠) 1977年3月28日
新座頭市 25話●市は昔、世話になった松五郎(宮口精二)のところにわらじをぬぐ。今はすっかりさびれてしまっている。実の息子・浅次郎(石田信之)が、凶状もち佐太郎(中山仁)をかくまっていないかと詮議に来る。実の親に対するとは「思えない厳しさだ。また、彼が捕らえようとしている佐太郎は実兄である。何故この厳しさか。浅次郎は自分が養子に出されたのを怨んでいるのであった。親から見捨てられたと思ったのである。親にしてみれば学問好きな子供だったので、それを伸ばすには最良と考えてとった手段だったのだが。
 佐太郎が帰ってきた。藤吉(草野大悟)の店の屋根裏に隠れる。兄は凶状もち、弟は役人という宿命のいたずら。松五郎は自分の心を記した後で自害する。父の気持を知った浅次郎はようやく理解する。
 撮影・渡辺貢。おふみ(井原千寿子)、辰造(玉川伊佐緒)。
★第26話 「鴉カァーと泣いて市が来た」(脚本・星川清司・岩元南,監督・太田昭和) 1977年4月4日
新座頭市 26話●傑作であった。これは喜劇。
 冒頭は強風のなか、マント姿の市が後姿で登場。市がやくざにからまれると思いきや、ちっぽけな村で、ふた組のやくざがいがみ合っているのだ。これは黒澤明の『用心棒』のパロディであろう。
 どちらも本当の喧嘩をする元気はない。が、飯屋のおかみ・おぬい(浜木綿子)を争っていた。おかみはやくざと関わりがあるというので、村人からは冷たい目で見られているが、彼女自身はこのふたつのやくざ、てっとり早く喧嘩して共倒れになってくれればいいと思っている。したがって、口八丁手八丁、ライバル意識をあおりたて喧嘩のお膳立て。赤牛(高木均)は助っ人に座頭市を頼み、源氏屋(深江章喜)は助っ人に若林豪を頼む。あわやというときに関八州の役人(藤村有弘)が登場。二組のやくざの喧嘩を調停してしまい、喧嘩はフイになる。
 おぬいは八州を色仕掛けで誘い、もみ療治をするついでに市が急所をねじ上げる。痛みに耐えかねて八州は逃げ出す。
 おぬいが八州の前で赤牛を「お前さん」と呼んだことに腹を立てて、源氏屋はおぬいの店を壊し、おぬいを殴る。市と若林はお互い自分が付いたのと反対側の親分へ自分を売り込みに行くが、高木均はうちには市がいる、手前なんか不用と若林を袖にする。それだけケチなのだ。夜の場面の撮影で画面がつぶれている箇所があるのが気になった。一方、深江は同様に市を袖にする。
 朝になり、河原でめでたく喧嘩が行われる。そこへ若林がまずふらりと現われる。喧嘩といっても、最初から自分たちにやる気はなく、高木は市を、深江は若林を当てにしていたのだ。高木は現われた若林に是非と助っ人を頼むが、若林「お前、ほんとにバカだな」と斬り捨ててしまう。深江が大喜びするところに、市が現われ、深江は市も血祭りにと襲い掛かって斬られてしまう。さて、市と若林の決闘なるか、と思いきや、ふたりはニヤニヤ笑って別れる。本当に強いヤツは喧嘩しないのだ!
 おかみが村人達に祝い酒をふるまう。はじめは遠巻きにしていた村人たち、次第に店の中へ。
 浜木綿子の口八丁の演技は『座頭市物語』の「二人座頭市」同様、見事である。撮影・藤井秀男。
若山富三郎 ★第27話 「旅人(たびにん)の詩」(脚本・中村努・奥村利夫,監督・勝新太郎) 1977年4月11日 ●用事があってとぎれとぎれに見たので話がわからない。「座頭市とスターたち」というビデオ・シリーズで見直して記しておく。(2004年)
 市は自分に斬りかかった者を斬り捨てた。その現場を目撃した克蔵こと大前田英五郎(若山富三郎)は市と共に旅をする。 一方、英五郎の故郷ではやくざの親分(天津敏)が英五郎の父親代わりの六蔵を暗殺していた。 葬儀の墓場で六蔵の仇を討つ英五郎は仇を一網打尽にして、名を上げる。 新座頭市 27話
 市は行き倒れの女・お竹(佐藤オリエ)を救う。女は英五郎の恋人で、英五郎を追ってきたのだ。 しかし、疲労と病気で彼女は英五郎の腕の中で息を引き取ってしまう。
 隣り村を仕切る白銀の銀次(石橋蓮司)に挨拶に行った英五郎は、銀次があずかった十手をちらつかせるので、 兄弟分の盃を水に流す。博打うちが役人と兄弟というわけにはいかないからというのが、英五郎の理由だ。 もともと銀次は英五郎を目の上の瘤と思い、その動向を親分衆に密告していたのだ。
 義理の父と女を亡くして寂しさの漂う英五郎のため、お祭りのひょっとこ面をかぶり、踊ってみせる市。 二人が河原近くのお湯に入っているとき、銀次の手下が襲撃してくる。銀次の論理は、盃を返せばてめえは御用の筋だ、という訳だ。
 二人で彼らを斬り捨てたものの、空しさが残る。市は旅を続けるのだった。撮影・渡辺貢。

★第28話 「上州わらべ歌」(脚本・東条正年,監督・太田昭和) 1977年4月18日
新座頭市 28話 ●一種の託児所をやっている娘に高橋洋子。舟の渡しの些細なあがりで子供たちの食費をまかなっている。 土地のやくざがいやがらせをする。市がこの渡し場へ腰を落ち着けてからは、いやがらせはますますひどく、 村人を脅して娘に食物を分けるな、市をなぶれ等。子供たちが市をなぐる村人たちに泥のつぶてをぶつけるシーンがある。やくざのひとりに蟹江敬三。
撮影・藤井秀男。






★第29話 「終りなき旅路」(脚本・新藤兼人・中村努,監督・森一生) 1977年4月25日
新座頭市 29話 ●どしゃぶりである。市が泊まった一文宿に妙な男が居た。一人はもと医師という坊主(藤岡琢也)。 もう一人は妻子に乞食をさせて自分は思いつめた表情をしている侍(竹脇無我)。
 土地の親分(小池朝雄)が急に苦しみ出したというので藤岡と市が駆けつける。市がツボを押さえて吐かせる。食あたりだった。
 市は藤岡から侍の話を聞く。藤岡が医師をしていたころ、あの妻(原田英子)が来た、主人が病気だという。 行ってみるとあまりものを食わなかったので発熱した。食わせてやると治ったが治療代が無い。そこで、侍が、妻の操で払うと言った。藤岡は怒って追い出したが、どうしてもこの二人のことが気になって「仕方が無い。それで医業をたたんでとにかく金を払えとつけ回しているのだという。侍は時期がくれば払うと言うだけだ。
 親分の名を聞いた侍は驚き、是非そこへ案内せよという。あだ討ちだったのだ。小池は離れ家でうまそうに芋ガユを食っていた。まあ、これを食ってからにしてくれと、はやる侍をなだめて、小池が話したところによると、侍の父親と将棋を指していたのだが、「待て」「待たぬ」で喧嘩になり、斬ってしまったのだという。
 それで彼は逃げたわけなのだが、斬られた方は取りつぶし。ようやく仇を討ってくれば復職という主君の命を受けて、あだ討ちの旅に出たのが、侍とその妻子だった。
 準備をするからと別室に下がった小池。時間がかかり過ぎると、唐紙を開けると、彼はいない。逃げられた・・・。
 数年の苦労が・・・。しかし侍はあきらめない。藤岡は「なにかと思えば、たかが将棋のことから始まったこと。つまらないことに命を賭け、妻子を犠牲にして、あんたはクズだよ」と言い、故郷へ戻る。侍は「お前らには分らぬ」というだけ。
 一方、侍が自分たちの親分を仇として狙っていることを知った組のものたち。返り討ちにと準備をしているところへ、侍がかくまっているだろうと飛び込んでくる。斬りあいの末に深手を負い、一文宿で絶命。
 この話を聞いた小池は深く残念がり。一文宿へ来て、わざと妻に戦いを挑む。斬りかかる小池の気持を察した市が仕込みを抜き、妻がとどめを刺す。「これでいいんだ。市っつあん」と小池は倒れる。
 妻は故郷へは戻らないという。
 市には親分を失った組員の刃がふりかかる。払わねばならない。
ON & OFF ザトウイチあれこれ  池田博明

 『新・座頭市』はほとんどの回を見ることが出来た。スタッフは『座頭市物語』とそれ程変化していない。企画の久保寺生郎・角谷優に荒井忠(フジテレビ)が加わり、プロデューサーに市古聖智が加わって三人(西岡・真田・市古)になったこと、音楽が村井邦彦に変わり、主題歌「不思議な夢」を石原裕次郎が歌っていることが主な変化である。殺陣は楠本栄一が指導。
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 『新・座頭市』のスタッフについては助監督だった南野梅雄の監督作品が3作あることが特記事項だろう。どれも佳作であった。
 勝新演出作品はどれも見事であった。ジンとしたのは真野響子主演の「月の夜に女が泣いた(仕込杖が怒りに燃えた)」が一番。由美かおる(「契り髪」)や吉永小百合(「雪の別れ路」)、池玲子(「赤城おろし」)などを私は好きではないが、勝新が撮ると実に人間味豊かになる。鮮やかである。
 『新・座頭市』の中のベストとして、黒木和雄演出「幽霊が市を招いた」を上げておこう。(最初に見たときの印象でしたが、再見してみると「幽霊が・・・」は演出者の意図が後退しており、やや混乱しています。勝新監督の演出の方が卓越していました。公開当時に藤田真男氏が黒木和雄監督作品より勝新監督の作品のほうがずっとすぐれていると言っていましたが、その通りでした。)
 太田昭和が最も多く演出しているが、『痛快!河内山宗俊』「三途の川は空ッ風」を抜く作品はなかった。といっても、これはけなしているのではなく、それほど「三途の川は・・・」が異色ですぐれていたのである。最もコミカルだったのは、「鴉カアーと泣いて市が来た」で、私好みなのだが、詭弁的な面白さがあった。
 撮影者について、渡辺貢を低く評価したような記述をしたことがあったが、間違いであった。華麗ではないが、手堅い撮影だと判断した。牧浦地志と森田富士郎だけではないのだ。勝新監督で映画を撮らせる製作者はいないものか。
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 キャストでは石橋蓮司の多出演が目立った。チョイ役で彼より多く出演している人はいるだろうが、石橋蓮司は『座頭市物語』では私が見たうちの2本に出ていたし、『新・座頭市』にも3本は出演していた。
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 新聞記事に、『新・座頭市』では座頭市を無名の男にとあったが、これは最初の数回程度。他は話も半ばするとザトウイチという噂が広がるというのがほとんどであった。
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 四季の情景、自然の変化が毎回とらえられていた。
 しかし、納得いかない話もあった。例えば最終回「終わりなき旅路」。小池朝雄はなぜあのまま逃げきらなかったのか。子分たちが竹脇無我を斬ってしまった事を知った後で、逃げ続けるわけにもいかない、男の誇りを全うするために戻ってきたわけだが、それでは食あたりから助かったときのあの芋ガユのうまさ(生きることの実感)はどうなるのか。そうた易く自分の命を捨ててしまっていいものだろうか。小池朝雄には子分のところへなど戻らず、逃げ切って欲しかった。小池朝雄の旅(人生)も終わってしまい、竹脇無我の旅も終わってしまい、何が終わりなき旅路なんだ。終わりなき旅を続けるのが市ひとりとは、あんまりカッコ良すぎるじゃないか。たとえ、話は一丁あがりといかなくとも、小池は小池で、竹脇は竹脇で、市から見れば無意味な旅を続けていく方向へ話を持っていったほうが私には良かったと思える。
 将棋の「待った」「待たぬ」で喧嘩というのは伊藤大輔監督『下郎の首』の発端と同じで、私は傑作『下郎の首』を思い出しながら見てしまった。
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 MAO(藤田真男)の「血と汗と涙」を次に読んで下さい。      (1977年5月5日記)


 座頭市物語  日曜日にはTVを消せ No.9 PART1 

 新・座頭市第2シリーズ  日曜日にはTVを消せ No.9 PART3 

 新・座頭市第3シリ−ズ  日曜日にはTVを消せ No.9 PART4 

 『勝新演出の座頭市』   日曜日にはTVを消せ No.9 PART3/4

 警視K              日曜日にはTVを消せ No.9 PART5

 痛快!河内山宗俊     日曜日にはTVを消せ No.9 PART6

 黒田義之監督の座頭市   日曜日にはTVを消せ No.9 PART7
 
 兵隊やくざ 映画シリーズ
 
監督・勝新の『新座頭市物語 折れた杖』脚本と完成作品の異同

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