座頭市物語   
 
             池田博明
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「日曜日にはТVを消せ」No.9 PART1
 1976年10月3日  (2007年8月 更新)
 "座頭市物語"特集 
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          座頭市物語 

               池田博明


   おてんとさん  

    阿里あさみ 作詞  富田勲 作曲
    勝新太郎 歌

   鼻で知る春 木の芽の匂い  
   耳で知る秋 ツクツクボウシ
   お天道さん   お天道さん
   目ん無いがらすの このあたしとは 
   お互い貸し借りゃ ないけれど
   きけば あなたも ひとり者
    
    《もし どなたさまでございます
     ええ 寄るんじゃねえ おい 寄るんじゃねえ
     寄るってえと おいら 抜くぞ
     ウハハハハ  何だ おい 枯葉さんかい》

   風が運んだ 落ち葉にさえも  
   おびえてとび起き 抜く仕込み杖
   お天道さん  お天道さん
   かんべんなすって おくんなせえよ 
   やくざな この身の かわいさに 
   片手念仏 逆さ斬り

     《ああ もう斬りたくねえ 斬りたくねえ
      お天道さま  もし お天道さま
      ちょっとだけ  ちょっとだけ
      目をつけてやって おくんなさいまし
      目さえありゃ 逃げられるんです》  

   地蔵さんには からすがとまり
   花にゃ 蝶々が とまるというが
   お天道さん    お天道さん
   こんどはわたしの番でござんす
   泣かれる身寄りも ないけれど
   死ぬのはいやで ございます。

(C)1974 by Fuji Telecasting Music Publ. 
 
 
 テレビの『座頭市物語』は1974年の10月から翌年の4月まで放映された。 あれから1年以上もたった。『痛快!河内山宗俊』『夫婦旅日記・さらば浪人』と勝プロ作品はつづき、 今秋からは、再び『新座頭市』が始まるという。
京都でのロケ
 勝新太郎は「スター」であり、「プロデューサー」であり、「脚本」も書き、「監督」もする。 ここでは、勝新の監督としての面をとらえていこうと思う。

 勝新監督の映画化作品は、『顔役』(1971年)、『新座頭市物語・折れた杖』(1972年)の2本のみ。

 一方、TV放映の作品では、『座頭市物語』のうち、 「祥月命日いのちの鐘」「忘れじの花」「二人座頭市」「赤ン坊喧嘩旅」「赤城おろし」「心中あいや節」の6本、『痛快!河内山宗俊』のうち、「地獄に花をつみに行く」「桜吹雪江戸の夕映え」「第23話/真っ赤に咲いた想い花」(藩文雀主演)の3本、『夫婦旅日記・さらば浪人』のうち、「暮六つの鐘が鳴る」(これは「走れメロス」のような作品だった)。

 勝新演出はTVでこそ見ることができるといえよう。

 ジョナス・メカスの言葉 「われわれにそなわっている多くの感覚の一つ一つは、 世界とわれわれ自身に向かって開いている窓である」
 勝新演出作品にふさわしい言葉である。 (1976年10月)

★以下、「日曜日にはTVを消せ」第9号PART1とPART2から転載。
 あらすじはほとんどが「週間TVガイド」と新聞から構成したもの。
 公開当時の記録としておく。
 ●印は当時私が見た作品。
 ■は引用文。

 ◆春日太一『天才勝新太郎』(文春新書、2010)は傑作。これほどテレビ版座頭市を丁寧に論じた本はありません。やっときちんと評価される時代がやって来たという思いがします(池田博明,2010年2月7日)


      座頭市物語
  フジテレビ開局20周年記念番組

 毎週木曜午後8時から8時55分。フジテレビ。
 スポンサーは大正製薬・ニッカウィスキー・黄桜酒造・カシオ計算機・花王石鹸
 企画・久保寺生朗・角谷優    プロデューサー・西岡弘喜 真田正典
 美術・太田誠一 技術・大角正夫 照明・風間博 音楽・富田勲 
 現像・東洋現像所  原作・子母沢寛

2007年1月、とうとうTV版『座頭市物語』がDVD-BOXセットで発売された。今後、TV版の全作品100話がDVD-BOXで発売されるという。なんと素晴らしい企画。さっそく入手しました。これで見逃した作品も見られますが、なんと言っても勝新太郎監督作品が存分に見られるのが最大の喜びです。特典は『座頭市物語』と『新・座頭市』の予告編でした。
 以下、太い枠の写真はそのDVD付録のパンフレットからの引用で、再見したときの付記は茶色の文字で表します。

★第1話 「のるかそるかの正念場」(脚本・高岩肇、監督・森一生) 1974年10月3日

第1話 ●銅山でにぎわう足尾の町は山源一家と悪どい新興勢力・弥三郎(津川雅彦)一家の争いが絶えなかった。足尾へ通じる峠道で、市はひとりの旅人と道連れになる。辰蔵(中村翫右衛門)という名のその男、以前は「投げドスの辰」の異名で知られた一匹狼の渡世人だった。
 お新(土田早苗)、権太(園田裕之)、千太(寺田誠)、彦太郎(堺左千夫)ほか中井啓輔
 ◆辰造は昔恋した娘と結婚した弟分・山源の娘・お新の苦境を知って助けに来たのだ。市は盆の勝負で弥三郎に負けて、宿場を去ると約束させられたが、娘と辰三と頼りない代貸しのたった三人となった山源一家に加勢する。撮影は森田富士郎。
■1974年10月3日読売新聞より。
 勝新太郎が映画の当たり芸をそのままテレビに持ち込んだ。製作費も一本ニ千万円と気ばり、この秋の話題作の一つで、やはり見ごたえがある。一シーンずつ、丁寧な手作りの味は映画と同じだし、その上、映画にないテレビ向きな”遊び”にまで気を配っている。
 たとえば第1回、座頭市がばくち場で「どなたかキセルに火を貸して下さい」と目をキョロキョロする。そこを暗殺者が鉄砲で撃つ。が、弾はちょうどキセルの上を通過し、パッとキセルに火がつく。ちょっとスゴ味のあるユーモアだ。小細工といえばそれまでだが、こんなアイデアが一話に三つはある。これも画面がだれると、強力な裏番組へチャンネルを切り替える茶の間を考えての計算だろう。
 今回は銅山を根城にする横暴なヤクザの弥三郎一家を、市が辰蔵(中村翫右衛門)に協力してやっつける。翫右衛門の枯れた味と、勝の組み合わせが面白い。(横)
 

第2話 ★第2話 「子守唄に散った女郎花(おみなえし)」(脚本・直居欽也、監督・黒田義之) 1974年10月10日

 ●上州草津の宿で市は、弥平(南部彰三)という老人の死に際に接し、太郎吉少年(坂上忍)を高崎まで送り届けてくれと頼まれた。実は太郎吉は高崎一の絹問屋「万屋」の落としダネ。だが、宿場で知った女郎おしの(中村玉緒)と、やくざの伊之助(江原慎二郎)の二人づれは、太郎吉が金づるになると知り、市を出し抜こうとする。一方、宿場の鬼辰(小松方正)一家も太郎吉の身の上を知り、行方を追う。
  政吉(今井健二)ほか、小鹿番、中村是好。

  ◆黒田義之監督の演出は冒頭の柿の木の場面を除くと、前半3分の2が夜。 宿場の七色の灯りが遠くにきらめくなど照明に凝っている。撮影は森田富士郎。

■川本三郎「JAZZ」1974年12月号より
 「おーい、島が見えたゾー」と、マストによじのぼって叫んだ帆船の乗組員も、 シャーウッドの森のロビンフッドも、後楽園球場の照明灯によじのぼる野球ファンも、 ターザンも、みんな”木のぼり男爵”の仲間なのかもしれないのだ。 目あきばかりではない、目くらの勝新・座頭市も、このあいだテレビを見ていたら、 子供に柿を取ってやるために村はずれの大きな柿の木によじのぼっていて 私はすっかりうれしくなってしまった。柿の木というのは枝が折れやすく、 木のぼりとしてはもっとも難しい部類に入るのに。

■川本三郎「週間TVガイド」1974年11月1日号 不正よりこわい正義
 正義をひろまわすヤツほど鼻持ちならないヤツはいない。 大きな悪の前では沈黙し,小さな悪にだけやたらと非寛容になる。 『鞍馬天狗』の天狗(竹脇無我)はそんな正義のタイプになっていて共感を持てない。 十五日の夜のは、天狗が爆弾魔を退治する話だったが、 声高に「罪もない女・子供を巻きそえにする憎っくき爆弾魔め!」と自分のことは 棚上げし他人ばかりを桂小金治ばりに批難し、最後はとるにたらない犯罪者を問答無用、 正義の刃でたたき斬ってしまった。 天狗は時の強いヤツに刃向かうからいいのだ、 弱いヤツを天下公認の正義の刃で成敗してしまうのは正義の名の下に行われる暴力である。 こんな正義は時には不正よりもおそろしい。
 これに対し十日夜の「座頭市物語・子守唄に咲いた女郎花」は一味ちがっていた。 勝新座頭市は、自分も結構悪いことをやって生きている。 正義なんていえる身ではない。 だから彼はチンピラ江原慎二郎と情婦・中村玉緒の悪だくみを気づきながらも、 天狗のように「憎っくき悪党め!」と二人を成敗することなどしない。 逆に「お前さんがたはまだやり直しがきくんだ、しあわせになんな」と二人を逃がしてやるのだ。
 座頭市の行為は正義には反するかもしれないが正義に反しない鞍馬天狗より人間としてはるかに魅力がある。 「人間は強く正しくなければならない、ゆえに弱いダメなヤツは成敗しなければならない」という天狗の考え方より、 「人間はもともと弱くダメなものだ、それでも懸命に生きていくことに価値があるのだ」という座頭市の考えのほうが私は好きだ。


★第3話 「祥月命日いのちの鐘」(脚本・高橋ニ三、監督・勝新太郎)  1974年10月17日

第3話 ●あいにく裏番組が長島引退劇だった。視聴率半減。放映時間に遅れまいと札幌の地下鉄北18条駅から1キロ余、みんなで走った。勝新演出の回はすべてカラーで舘田芳彦氏の家で見せていただいたのである。多謝。
 秋草一家の後家・おまさ(外崎恵美子)の療治によばれた市は、おまさに亡くなった育ての親の暖かさを感じる。 だが、その場になぐり込んで来た中森一家の刺客によって、おまさが殺された。市も仕込みをふるうが、 あけ六つの鐘を聞いて、刃をおさめる。母の命日だ。<
 青竹の紋次(北大路欣也)、千代(今出川西紀)、殺し屋(チャンバラ・トリオ)、撮影・牧浦地志

 ◆市は祥月命日には仕込みを決して抜かないと心に決めていたのだ。
 中森(江幡高志)に挨拶に行った市は秋草一家の息子・新吉(青山良彦)が捕えられ、縄張りを譲るという証文に署名させられる現場にい合わせて騒ぎを起こし、証文を焼き捨て、新吉を逃走させる。怒った中森一家は市を簀巻きにして川へ投げ込んだ。川の途中で市は青竹の紋次(北大路欣也)に救われる。市に借りがあると紋次は言うが、市には覚えが無い。実は秋草一家襲撃の折り、市が仕込みを収めたおかげで命拾いをしたのが紋次だったのだ。
 一宿一飯で中森に雇われ市の仕込みで命を落とした浪人の娘・千代(今出川西紀)が茶屋で父を待っていた。紋次は千代に経緯を伝え、千代は市を父の仇と刺す。市は急所を外した場所を刺させる。一方、新吉は中森一家に捕まりそうになっていた。紋次が新吉を助ける。新吉は一人で殴り込むと言っているものの、もともとやくざに向かない弱気な男である。市は新吉を止め、暮れ六つの鐘を待つ。やがて暮れ六つの鐘が響くなか、市の仕込みが中森一家を一掃する。親なし子になってしまった新吉と千代を残して市は去っていく。途中で紋次が市に無言で斬りかかる。“てえした居合斬りだ。痛くもかゆくもねえ”と紋次は倒れる。暮れ六つのニセ鐘をついたのは紋次だったのだが。
 待ち合わせ場所に紋次はいない。市は不吉な運命を感じる。撮影は牧浦地志。
■週間TVガイド 1974年  “座頭市”にのってる勝新
 時代劇では『座頭市物語』(制作・フジテレビ)、『破れ傘刀舟・悪人狩り』(制作・NET)、 『ふりむくな鶴吉』(制作・NHK)、『丹下左膳』(制作・日本テレビ)の四本が目玉になる。
 四月中旬に制作をスタートした『座頭市物語』はすでに四本完成、 もっか、第五話を撮影中だが、これが“座頭市”こと勝新太郎自作自演の「祥月命日いのちの鐘」。
 この日を期して節酒節制に努め、脚本家とも打ち合わせを繰り返し、 脚本を三回も書き直した勝は、
 「監督って仕事は最高だよ。しょっちゅう、どうしていいかわからなくなる。 そういう不安な状態がたまらなく充実するんだね」。
 ゲスト出演に北大路欽也、今出川西紀を迎え練りに練った第五話の物語は、 オフクロの命日なのでその日だけは刀を抜くまい、と心に決めていた座頭市、賭場で土地のヤクザ 中森一家に因縁をふっかけられ、ス巻きにされて川に投げ込まれる。 それを助けたのが渡世人・青竹の紋次(北大路)。二人はやがて対決する宿命にあった・・・・。
 「勝さんとは映画の“悪名”以来の共演。感覚的にも合うもの、 ハダの触れあいを感じますね」と北大路。
 「欣也くんもスケールのでっかい役者になってきましたね。 負けちゃいられないって気合いがはいっちゃう」と勝も負けてはいない。
 あと一、二本は自ら監督した作品をという勝は、 「テレビだから本編だからって、ものを作る精神は同じ。 普通、テレビだと一週間で一本というペースらしいが、この作品は十日に一本。 それでも日数には不満が残っている。 でも、制作費の関係もあって、それでギリギリ。 一度、死んだ座頭市をこの作品で生き返らせて見せるよ」と汗だくで奮闘中だ。

 ▼北大路の言う“悪名”とは増村保造監督作品『悪名・縄張荒らし』のことである。 この作品は同じく増村監督『陸軍中野学校』と呼応する快作である。 つまらねえ戦争で死ぬんじゃあない、なんとしてでも生きるんだ、 死んではいかんのだという意志において、1974年東宝作品と1966年大映作品は呼応しあうのである。(池田博明)

★第4話 「縛られ観音ゆきずり旅」(脚本・浅井昭三郎、監督・三隅研次、撮影・牧浦地志) 1974年10月24日
 第4話  太地喜和子、和田浩治、藤原釜足、峰岸隆之介、須賀不二男、山本一郎

 ◆2007年のDVD-BOX付録のパンフレットより “島帰りのお駒(太地喜和子)は、獄中で子供を産み落としたまま行方知れずになっている愛娘を捜し求めていた。 市も必死にその娘を捜し回る。しかし、利根川べりのその町は、助川一家と橋場一家の利権争いとともに、 八州取締役の仙十郎(峰岸隆之介)の悪行が横行していた。 市はそれぞれの一家から喧嘩の助っ人を頼まれる事になるが・・・・”

  ◆DVDでようやく見ることができました。太地喜和子は勝新監督作品では 『顔役』や『新座頭市物語・折れた杖』でおなじみ。 おそらく勝新がもっとも好んだ女優だと思われます。本作でも出番は少ないのですが、 その魅力はいかんなく発揮されています。
 双方の一家に市を売り込んで一儲けしようとする渡世人に和田浩治、 もと牢番でお駒の娘を育てている老人に藤原釜足、 助川に須賀不二男、橋場に山本一郎。 八州取締役は両方を争わせてどちらも一掃する計略で、双方に応援の侍を送り込むが、 この侍たちはいざ出入りの時には敵味方なく斬り捨ててしまうのだった。撮影は牧浦地志。



★第5話 「情知らずが情に泣いた」(脚本・池田一朗、監督・安田公義)  1974年10月31日

第5話  ○馬子の少年・三太(岡本健)の姉で、女郎に売られているお吉(荒牧啓子)の身請け金の算段に、宍戸の富五郎(富田仲次郎)一家の賭場にあがった市。 勝ちまくる市を、敵対する下仁田一家の回し者と勘違いした富五郎は、用心棒の浪人・村上弦之進(黒沢年男)を呼ぶ。 しかし、盲目の妹・志乃(市毛良枝)の治療費をかせぐ為に用心棒稼業の旅をしている弦之進は市を斬る気になれない。常田富士男ほか。冨五郎の代貸(松山照夫)。

 ◆DVDで見ることができました。 常田富士男は三太の甲斐性の無い父親役で、娘の身請け金の算段に賭場を開こうとして宍戸一家の制裁を受けたり、 子供たちを市をおびき出す人質にしたり。
 弦之進の妹・志乃は「目が見えないほうがいいんです。兄が傍にいてくれますから」と言って、 兄の本当の仕事を知らない。 妹を宍戸一家に人質にとられ、市と決闘する羽目になる弦之進。 相打ちとなり双方が倒れたものの、検分に近づいた宍戸の冨五郎と代貸に怒りの一太刀を浴びせたのは市だった。 市が弦之進の形見にもつ鈴の音で志乃は兄が来たと思う。市は鈴を握りしめ、志乃が行き過ぎるのを待つ。撮影は森田富士郎。


 ▼勝新、黒沢年男の組み合わせは、『御用牙・かみそり半蔵・地獄責め』(東宝1973年作品。脚本・監督は増村保造)でも見られた。 『御用牙』は三隅研次、増村保造、井上芳夫と監督を替えて東宝で三作製作されたが、 もっとも生真面目に演出された第三作『鬼の半蔵やわ肌小判』が私はいちばん好き。 この第三作、牧浦地志の撮影が素晴らしい。(池田博明)
★第6話 「どしゃぶり」 (脚本・星川清司、監督・田中徳三)  1974年11月7日  

第6話
○百姓娘・お光(平田澄子)を売りに行く途中、女衒の又蔵(長谷川明男)は、昔の恋人で今は大酒のみの女道中師おせい(朝丘雪路)に会った。 昔、女郎に売られてゆくおせいを涙で見送ったのが又蔵だった。 又蔵は悪どい稼業を止める決心をする。裏切り者の烙印を押され、仲間に殺されかかった又蔵を、通りがかりの市が助けた・・・。
 用心棒・空っ風(成田三樹夫)、安五郎(藤岡重慶)、喜助(長谷川弘)、旅の男(笑福亭仁鶴)

2007年のDVDで見ました。 おせいは実の弟が自分の身請け金を稼ごうとをやくざになったこと、又蔵がその手引きをしたこと、 弟は一宿一飯でわらじをぬいだ一家の用心棒となり、最後は市に斬られたことで、又蔵や市を許していなかった。 市はおせいが酒をやめるなら、自分は仕込みを抜かないという約束をして、おせいに仕込みを預ける。 どしゃぶりの雨のなか、市は絶対絶命の危機に陥る。

脚本家・星川清司の傑作『剣鬼』
 この回の脚本は星川清司である。 星川といえば、原作・柴田練三郎、脚本・星川清司、監督・三隅研次、主演・市川雷蔵の『剣鬼』(大映京都65)は、 鬼気迫る傑作であった。
 同じスタッフで名高い『斬る』(大映京都62)を最近見ることができたが、 『剣鬼』の方が好きだ。 奥方が犬と不義の結果、出来た子供で、馬より早く走る青年が、雷蔵演ずる主人公である。 普段は花造りをしているが、非情な殺人マシーンとして育てられたのだ。『剣鬼』は凄絶な話である。
 『斬る』は、アップを多用し、大胆な角度で画面を構成している。 主を探すシーンや、ふすまを開け放って、部屋から部屋へと動くシーン、 鈴木清順監督の『刺青一代』(日活65)にも劣らない。(池田博明)

★第7話 「市に小鳥がとまった」 (脚本・池田一朗、監督・田中徳三)   1974年11月14日 石原裕次郎

第7話  ○悪徳家老・島田甚左衛門(名和宏)は藩の財政再建を口実に、お狩場でとれるキジや鮎を横流しして、 私腹を肥やそうと企んでいたが、目ざわりなのは鳥見役の三沢半平(石原裕次郎)。 島田は土地の親分・角政(山本麟一)に半平殺害を命ずる。 そんな時、やくざ同志の出入りにまきこまれた市と、その喧嘩を仲裁した半平が知り合った。

 伍助(酒井修)、市之進(城所英夫)、お松(林加奈枝)
 ◆市は角政親分に「出入りでは斬って斬りまくってくれ」と頼まれている。 いざ出入りというとき、半平が「ここはお狩り場だ」と仲裁に入った。邪魔者を片づけようとする角政。 市は「堅気さんをまきこんじゃいけません」と争いを止める。仕込みで子分どもを脅して・・・・。 怒る角政。市は角政に金を返して去る。
 家老はお狩り場のキジやアユの横流しを画策し、邪魔な半平の始末を角政に依頼する。 しかし、市が一緒では歯が立たない。藩主の幼な馴染みでもある半平は鳥モチの付いた竹を武器にしており、 人を斬ったことがないと言う。やくざに憧れる百姓・伍助の母や妹を人質に半平をおびき出そうとする角政。 計略を知った市は助っ人に出る。撮影は牧浦地志。


★第8話 「忘れじの花」 (脚本・奥村利夫・東條正年、監督・勝新太郎、撮影・森田富士郎)  1974年11月21日 十朱幸代

第8話  ●首をつろうとしていたお菊(十朱幸代)を救った市。お菊は逃げてきた女郎である。
  市とお菊は二人で道中。山あいの宿に泊まったり。先の宿場には、お菊の抱え主・辰蔵(鈴木康弘)が回っている。 土地の親分・松蔵(高木均)と辰蔵は兄弟分。お菊の先の亭主・佐吉(山城新吾)の情報で・・・。伊助(千波丈太郎)、おしん(武智豊子)、浪人(花岡秀樹)

 ◆市はお菊といっときの二人暮らし。
 斬り合いのさなか、市に突き出された槍を防いだお菊は刺されてしまう。 市に抱きかかえられたお菊は満天の星を見る。 「明日は晴れだね」、それがお菊の臨終の言葉だった。



■週間TVガイド 1974年10月25日 勝新も恐がる“禁句”

 「木曜の夜は“座頭市・・”を見ない人はタタッ斬るよ」と、 気炎をあげる勝新太郎。先日も完成パーティでその抱負を語った。
 「テレビだからという意識はないよ。だけど映画よりはもっと人間くさい座頭市になるな」。 テレビは六十分、ドラマのテンポは早くなるという。 「コマーシャルの前後に見せ場をつくる」というだけに毎回、アイデアねん出には苦労が多い。
 「高橋二三(脚本担当)とね。一週間行動をともにしたんだ。そしたらとんでもないアイデアが出てね。 それは見てのお楽しみだけどね」と、自信のほどを強調。 “どめくら”“こじき”などの「禁句」にも手を焼いた。
 「現場でかなり注意するが、いざラッシュ(試写)をみるとやたらチェックがでてくるんだな」。 その度になんべんも俳優を呼びもどし、やり直したという。
 「とことんやらねば気がすまない」という勝新、 “決定版・座頭市”に奮戦中。

■山城新吾『おこりんぼ さびしんぼ』(廣済堂文庫)より p.176-181

 『座頭市』は、人気が高まって新作を作るたびに、撮影がむずかしくなっていった。
 勝さんが、台本をどんどん変えてしまうからである。
 「いや、そこ、ちょっと待て。こうした方が面白い」
 監督も演出家も、その勝さんの一言が恐い。すべてのリハーサルが無駄になってしまうからだ。
 「馬鹿野郎、この期におよんでそんなこと」と思っても、勝演出が面白くてみんな納得してしまうのだから、仕方がない。
 そして出来上がった映画は当たるのだから。
 特にテレビ版になってからは、ほとんど台本などなかったと言っていいだろう。
 ある時、ぼくのところにも、ゲスト出演の依頼が来た。出演を承諾すると、勝さんは電話口でその回の内容を伝えた。
 「新吾、おまえは、日本橋の米問屋のせがれなんだ」
 「はい」
 「女房がいるんだよ。一応、女房は十朱幸代に電話しといたから、たぶん出ると思う。それでだ、二人が旅しているんだ、おまえたちが」
 「どんなせがれなんですか、ぼくは」
 「そこだ。おまえは堅気な癖にちょっと中途半端なんだ。それでヤクザと博打するんだよ。バカボンなおまえは負けて、借金を重ねる」
 「身上潰すわけですか」
 「いや待て。女房を置いていくから勘弁してくれ、って命ごいをするわけだ。その辺りの設定までは決まってる」
 電話はそれで切れた。後で台本らしきものが来たが、筋書きと言い換えてもよさそうなものだった。
 とうとう、本番の日がやってきた。
 女房に十朱幸代さん、オレを負かすヤクザの役に高木均さんという新劇の俳優を呼んである。
 「いいか、新吾。おまえ、チョンマゲを真っ直ぐにしている時は堅気なんだ。それをヒョイと曲げるとこれが、ヤクザになるわけだ」
 勝さんの演出がどんどん進む。チョンマゲに蝶番がついている。道中、女房と歩き、人前で愛想をふりまく若旦那のチョンマゲは、真っ直ぐだが、賭場に入った途端、ぴこん、と曲がった。
 「バカバカしい」
 と、高木さんは小声でぼやいているものの、顔は笑っている。それはそうだろう。これまでチョンマゲの曲がり具合で、その人物の性格を表現しようとした人などいなかったのだから。しかし、このアイデアが実際に映像になってみると、実に面白いのだ。
 こんな小さい箇所も、どんどん現場で決まっていく。台本がキッチリしていないのは当然だったかもしれない。しかし面食らう役者もやっぱりいるのだ。
 「ねえ、台本はないの? 演技のプランが立てられないじゃない」
 と、十朱ちゃんもぶつぶつ言っている。
 博打が始まる。オレはどんどん負ける。
 「こいつはうちの女房だ。すぐに受け出しに来るから、形に取ってくれ。オレはこう見えても日本橋の米問屋のせがれだ。今は道中だが、ちゃんと説得したら親父が五日以内に金を届けるから」
 といった台詞を言った。そこで、いったん場面が終わる。
 座頭市ではなく、演出家の勝さんがニヤリと笑った。そして台本に関係なく、ヤクザの親分役の高木さんに指示した。
 「いいか、新吾の言い訳が本当だと思ったら。そこで殺さずに置いとけ。こいつまた口からでまかせ言いやがってと思ったら、その場で殺せ」
 「はあ」
 親分役の高木さんはわかったようなわからないような顔をしている。
 ぼくにしてみれば、殺されずにすむ言い訳をいくつも考えるのはつらい。そんなに長々と筋がどうなるかわからないこの撮影に付き合っているわけにもいかない。
 だから、カメラに写らないところで小さい声で、
 「もう殺して、殺して」
 と必死に高木さんに訴えた。
 十朱ちゃんも、勝さんには逆らえないものの、若旦那に惚れて旅にまでついてきた女房の役づくりをしてきているのに「私だけ残されるの、イヤよ」といった顔をしていた。
 台本らしきものを読んでいた親分の高木さんは「新吾を殺してしまったら、話が成り立たない」と思ったらしい。
 「わかった。五日間、待ってやる」
 と言ってしまった。
 でも十朱ちゃんには悪かったが、高木さんが「殺っちまえ」と言ってくれた方が、本当はうれしかった。
 そんなふうに楽しく撮っていたテレビの『座頭市』も人気は上々だった。視聴率もよかった。
 だが、残念なことに放送は長くは続かなかった。
 みなさんは座頭市が怒る起爆剤になる言葉を覚えておられるだろうか。
 たとえば、こういうシーンだ。劇中、悪者が市をからかう。
 「うるせえ! このドめくら!」
 「ドめくらと言いなすったな」
 「ドめくら」はその頃から放送禁止用語になっていったのだった。どんどん規制が激しくなっていた時期だった。

★第9話 「二人座頭市」 (脚本・高橋ニ三、監督・勝新太郎、撮影・森田富士郎)  1974年11月28日 

第9話  ●勝新演出の作品中の『座頭市物語』の最高傑作。 アウト・フォーカスでゆっくりパン・ダウンすると真っ白な盆の上。賭場である。まるで『顔役』ムード。
浜木綿子  市とは幼ななじみで、勘が悪く、コブばかり作っていたという”コブ市”(植木等)の生き様が、座頭市のそれを逆照射する。 『緋牡丹博徒・花札勝負』(東映69)と同様、ニセモノの存在がホンモノのもうひとつの道を示す。 同じ盲人でありながら、なぜ一方は座頭市として恐れられ、なぜ一方はニセ市として笑われるのか。 座頭市の宿命さえ浮き上がる悲劇である。

 おけい(浜木綿子)、升五郎(遠藤太津朗)、武平(国一太郎)、女中(高木峯子)、白首女(朝永桐子)
▼女・おけい(浜木綿子)は壷振り師でもある。 勘の悪い市松から座頭市に乗り換えようとして、市に色仕掛けで迫る。 しかし、最後に市は、この女を断罪しない。やくざを斬って、市松を救った後で、 「もう女にだまされるんじゃないぞ」と諭すと、市松は「もう女はこりごりだ」と答える。 市が本ものの座頭市だったことを知って、一部始終を唖然と見つめていた女の前を二人は去っていく。 このやくざな世界で生きる女も、いわば被害者なのだ。(池田博明)

■読売新聞 1974年11月28日「試写室」より
 灯火を消した暗やみ。「暗くなりゃ五分と五分。 見当つけて切ってきな」。勝新太郎の座頭市の名せりふだが、 植木等の”座頭市”が、これを言って三下やくざをおどす。 彼は、座頭市の何たるかを知らず、座頭の市松という自分の名前を縮めて ”座頭市”と名乗るとみな恐れると知り、やくざの家にわらじを脱いで歩く楽な生活を覚えてしまった男。 それも相棒の性悪女おけい(浜木綿子)の入れ知恵だ。
 この危なっかしげな世渡りをする間抜けな座頭を、 勝の本物の座頭市が、茶の間の気持ちになり代って温かく見守り、 危機を救おうとするのが今回の趣向。やくざ時代劇の類型から脱して、弱い男の悲しさと、 強い男のやさしさをうまくデフォルメして対比している。
 市松と女がいる悪親分(遠藤太津朗)の家へ、 あんまとして入り込んだ座頭市は、市松が女に色仕掛けで悪事をそそのかされているのを知り、 忠告するが受け付けられない。「おめえ、やいてんだな」と市松は逆に得意げ。 こんな人物に植木は適役で、持ち前のこっけいな味が一層あわれさを出す。
 浜のあばずれ女の描写も的確。 女は市松が盲目なのを幸いに、自分と思わせて市松に夜たかを抱かせる。 市松はうれし涙。「男とは、ほれた女にこうも・・・」と思わされるリアルな描写だ。 女はドライだった。自分の都合で、市松の正体を親分にばらしてしまう。 「さあ、市松の窮地に座頭市は?」と興味をかきたてる巧みなクライマックスだ。 (和)
植木等
 ◆DVDになった作品を少しだけと思って見始めたら、最後まで見てしまった。
 遠藤太津朗の演技が秀逸。コブ市を少し疑いの目で見る様子、 おけいからコブ市の正体を明かされた瞬間の狼狽ぶり、 弱者をいじめる様子など、作品の幅を大きくしている。
 浜木綿子も絶品。悪役とはいいながら、 正体が割れたコブ市をやくざ衆がいたぶるのを、黙って見つめる表情には同情と諦観がある。 最後に本物の座頭市が仕込みをふるう場面でも、彼女は黙って、すべてを見ている。 まるで自分の心のなかをじっと見つめているようだ。

★第10話 「やぐら太鼓が風に哭いた」(脚本・直居欽哉、監督・田中徳三) 1974年12月5日
第10話  ○ゲストは中村光輝、神山繁、奈良富士子。 (徳木吉春さんのメモより)
 ◆2007年のDVD-BOX付録のパンフレットに補記。
 “兄弟子の罪を被って、親方(田子の浦親方)から暇を出された相撲取りの天狗岩こと大八(中村光輝)を旅先で拾った市は、 二人で赤松(中谷一郎)一家の賭場に上がる。何も知らない大八は客として出された寿司を食うが、 駒札を買う段になって金が無いため、揉め事になる。 市がとりなして1枚だけ駒札を買い、それを元手に大勝ちをしてしまう。 胴元が女坪振り師を出してくると、市はここらへんでやめると言う。 「坪の音色が変わりましたから」。イカサマだと難癖をつけるのかと色を成す胴元。 市の仕込みが女の胸元に隠したサイコロを暴く。大八は市に憧れ、 ばくち打ちになりたいと言うが、市は親元へ帰って親孝行しろと諭す。 大八は捨て子で「本当の父親は仁兵衛」だと言う。
 仁兵衛(神山繁)親分は足を洗って蕎麦屋をやっていた。 しかし、奉納相撲の仕切りは続けていた。赤松は興業権を奪い取るために、 関取衆を自分の賭場で遊ばせて、百五十両の借金をつくらせる。 金を払うか、さもなくば客分として仁兵衛のところにわらじをぬいでいる市を差し出せと迫る。 仁兵衛はどちらも断る。大八から事情を聞いた市は一人で赤松一家に乗り込んでいく。 賭場で赤松一家の用心棒(中丸忠雄)と一文銭居合切りの勝負。
 市は勝負に勝つが、仁兵衛のもとへ帰って来た市は 大八に親分を外へ絶対に出さないように言い含め、家を取り囲んだやくざを一掃するのだった。
 仁兵衛は大八を「オレの子供にならないか」と誘う。 そう言えば父親と名前が同じだし・・・。市には用心棒との最後の対決が残されていた”

★第11話 「木曾路のつむじ風」 (脚本・浅井昭三郎、監督・黒田義之、撮影・牧浦地志) 1974年12月12日

第11話 本郷功次郎  ○市を追い回している甚五郎(浜田晄)一味。 土地の親分・左平次(石橋蓮司)一家の力を借りて市を討とうとしたが、返り討ちに。 居合わせた短銃使いの弥七(本郷功次郎)が十両で市襲撃を約束。 肩を撃たれた市の治療にあたった玄庵(木村功)は、左平次と麻薬の関係に気付く。
 美根(杉田景子)、岩松(井上博一)、ほか香月京子、矢野宣。

 ◆上記の粗筋はやや異なる。 佐平次は最初は登場しない。2007年のDVDで初見。
 冒頭、緑の草原に笠をかぶった追手の姿が動く。 甚五郎は市に足を斬られる。身にまとい、自分の姿を隠した草を馬が食べに寄ってきて、 市は農民たちに馬泥棒と間違えられる。追っ手から逃れるにはかえって牢屋は好都合だ。 照明を巧みに生かした移動撮影は名手・牧浦地志。第2話を手がけた黒田義之監督の演出が冴える傑作。
 一方、村人の診療にやってきた玄庵と美根。甚五郎は佐平次に依頼して市を牢屋から出させる。 めし屋で市を襲撃したやくざ達は居合いで斬られ、まるで歯が立たない。 弥七が十両の金で市を撃つ。
 確かに命中した。しかし、急所を外れていた。市は村人の家に逃げ込み、自分で弾を摘出する。 瀕死の市を農民は玄庵のもとへ連れて行く。玄庵のもとへ佐平次の手下が押しかけるが、寝たままの市に斬られる。 佐平次は弥七にさらに三十両を渡して市にとどめをさすように依頼する。 しかし、弥七は美根と知り合いだった。医者だった弥七は身分を捨てて美根と別れた過去があったのだ。 金を返して酌婦相手に飲んだくれる弥七。
 村人が弥平次につまされている植物の危険性に気付いた玄庵は、佐平次のところに乗り込んで、 その植物の恐ろしさを訴える。しかし、欲にかたまった佐平次が承知するはずもない。 玄庵は斬られて重傷を負う。
 戸板に乗せて運ばれて来た玄庵を見て、弥七は苦悩する。 玄庵を助けることが出きる技術を持っているのは自分だけだ。
 一方、市はひとりで佐平次の館に斬り込む。

★第12話 「やわ肌仁義」 (脚本・高岩肇、監督・倉田準ニ、撮影・牧浦地志)  1974年12月26日

第12話   ○中仙道・安中宿へ通ずる間道で、市は男装の娘・おせい(上月晃)と道連れになった。 おせいは安中の権蔵(井上昭文)に殺された富岡の源八の娘。 父の敵を討つ為に、権蔵一家にわらじをぬいだ。市はおせいに女の着物を与え、富岡へ帰るよう諭す。 好色な権蔵はおせいに夢中になるが、おせいが自分の命を狙っていると知り、彼女を捕え河原に連れ出す。 
 仙五郎(三上真一郎)、権蔵の女で嫉妬深いおはつ(春川ますみ)、権蔵一家の猪吉(蟹江敬三)、 古川ロック、茶屋の主人(佐山俊二)

 ◆2007年のDVDで初見。女がやくざの一家にわらじをぬぐという話に無理がある。 上月晃はどうみても市より強いわけがないのだが、権蔵に頼まれて市を殴ったりやりこめたりする。 もちろんそれは芝居だが、非現実的である。権蔵は、河原で花火を打ち上げて、市の耳を撹乱しようするが、効を奏しない。 権蔵を成敗した後で、おせいは市がくれた女ものの着物を着る。


★第13話  「潮風に舞った千両くじ」 (脚本・直居欽哉・原田順夫、監督・井上昭、撮影・牧浦地志)  1975年1月9日
第13話
 ●街道で飲んだくれて横になっていた旅の男・新助(原田芳雄)を介抱したお礼にと市がもらった冨くじが千両当たった。 市はくじのことを知らせようと男を追う。ところが、男は島帰りで、 長年留守にした故郷の妻・おはな(赤座美代子)や妹・おはつ(武原英子)の事が第一で、 くれてやったくじが当たろうと当たるまいと、やったんだからととりあわない。 おはなは新助の留守中、新助が斬ったやくざの縄張りを手に入れた勝浦の五郎蔵親分(小池朝雄)の女になっていた。

 ▼監督・井上昭の演出が見事。辰造役に沖田駿一。代貸の岩松役に阿藤海。

 ◆DVDで再見。 千両が当たった冨くじに、 新助がその金額からしても、妹おはつの生活を助けるのにじゅうぶんなものなのに、まったく関心を示さないのは、納得がいかない。 既に身も心も親分の女になっているおはなの方は、「まず、金が大切」と現実的な選択をして、あっちへついたり、こっちへついたりする。 おはつが新しい代官に対する人身御供として誘拐されて、怒った新助はひとりで親分の屋敷へ殴りこむ。

★第14話 「赤ン坊喧嘩旅」  (脚本・星田正郎、監督・勝新太郎、撮影・森田富士郎)  1975年1月16日
第14話
 ●女が市と間違えられて和平次(岸田森)らに殺された。 市は女が抱いていた赤ン坊を里の父親のもとへ送り届けようとする。 途中で出会ったスリのお香(大谷直子)と一緒の旅。赤ン坊の父も今では土地の大親分・宇之助(中山仁)だが、 赤ン坊も母親も知らないと言う。
 島蔵(長沢大)、赤ん坊の母おとよ(真鍋明子)、平太夫(原田清人)、茂平(横山あきお)、 嘉七(志賀勝)ほか近江輝子

 ◆殺し屋たちは市が籠に乗ったのを見て待ち伏せしていた。 ところが途中で市は腹痛で苦しんでいる母親おとよを乗せたのだった。
 スリのお香は最初は迷惑がっているが、次第に赤ん坊と市に情けを移していく。 勝新監督にしては比較的クローズアップが少なく、カエデの紅葉が美しい。脚本の星田正郎は星
川清司郎・松村から作った合体匿名か。映画版第8作『座頭市血笑旅』のリメイクである。脚本もこの三人。

★第15話 「めんない鴉の祭り唄」(脚本・直居欽哉・原田順夫、監督・森一生、撮影・森田富士郎) 1975年1月23日
●鬼神一家がさしむけた追手を斬った市は、その中の卯之吉(富川徹夫)の命だけを助けた。 第15話 妹・お糸の待つ高萩の故郷で堅気に暮したいという言葉にほだされたのだ。 だが、卯之吉は通りがかった浪人・犬上(深江章喜)に殺され、市が渡した十両も奪われてしまう。 市は笛を落としてしまい、それが後で濡れ衣のもとになる。
 高萩で甘酒屋を切り盛りする卯之吉の妻は市が尋ねていくともう虫の息だった。 市を帰って来た夫だと勘違いしたまま、女房は死んでしまう。 卯之吉の妹・お糸(松坂慶子)は卯之吉の遺した息子と一緒に暮すことになる。 高萩の満二郎親分にみなし児から育ててもらった伊太郎(浜畑賢吉)は、お糸に惚れていた。 しかし、お糸は斬った張ったのやくざを夫にしようとは思っていなかった。
 鬼神一家が市を追ってくる。川を隔てた隣の日高一家を抱きこみ、 市を卯之吉殺しの下手人として引き渡すように要求する。しかし、満二郎は市の無実を信じる。 伊太郎は市を下手人と思いこみ、斬りかかるが、市が経緯を説明する。
 ひょっとこの半助(下条アトム)が茶屋で鬼神一家のサンピンと浪人の会話を聞きつけ、 伊太郎に話す。浪人が「罪を市にかぶせた上、賞金が稼げる」と言ったことや、 浪人が卯之吉が子供と一緒に持っていた八幡様のお守り(ウサギの爪)を刀につけていたことが証拠になり、 伊太郎は卯之吉の仇を討つべく、浪人と勝負に出る。そこへ市が加勢して・・・・。 松坂慶子
 高萩の満二郎親分(西村晃)、その妻(田島和子)、、ほか内田勝正、大和田進、椎谷健治、早川純一

 ◆DVDで再見。すっかり忘れていました。

 ■1974年12月9日 朝日新聞 座頭市に斬られ役が殺到
 テレビドラマに出演して、座頭市に斬られようーフジテレビ系の連続ドラマ『座頭市物語』で、 このほど、番組宣伝の一つとして、こんな趣向のキャンペーンが実施された。
 広報担当者の話によると、「座頭市に斬られたい」と応募したファンは、 なんと二万人。この中から、八百屋や魚屋のお兄さんら計五人が選ばれ、 先月二十六日、京都ロケに参加したのだが、本番では、座頭市(勝新太郎)を逆に斬りつけてしまうなど、 NGの連続だったとか。
 大望を果たしたものの、出演したファンの感想は「斬られ役がこんなにむずかしいとは」と、 神妙そのもの。お相手をつとめた勝は「ギャラをとれる人もいましたよ」とほめながらも「役者道楽も、 ホドホドに」と、一言忠告。

 ★第16話 「赤城おろし」  (脚本・直居欽哉・原田順夫、監督・勝新太郎、撮影・牧浦地志) 1975年1月30日 辰巳柳太郎

第16話  ●ご存知・国定忠治(辰巳柳太郎)を、情婦お町(池玲子)を交えて人間味ある、弱さのある人間として描いた作品。 強風の描写が冴える。重厚な傑作である。
 お加代(葵三恭子)、若い男(袋正)、吉五郎(御影伸介)、梅宮辰夫、宮本昿二郎
 撮影は牧浦地志。

 ◆2007年のDVDを見て、“市は赤城にやって来た。ちょうど国定忠治は、情婦お町(池玲子)に会うために赤城山を下山していた。 お町の家には若い男(袋正)がいた。お町はその若い男を「兄さん」と紹介し、「酒を買ってきておくれ」と外へ出す。 しかし、酒を飲まないはずの男が酒を買う不審さを目明しの吉五郎(御影伸介)に疑われる。吉五郎は忠治がお町のところに来ていると察する。役人が家を取り囲んだところで、三室の勘助(清水将夫)が機転をきかせ、 家のなかの忠治に危険を知らせ、一番に乗り込んで逃げ道を示唆する。 勘助は忠治に恩があったのだ。市が役人を切り伏せ、忠治は山へ逃げる。
 勘助は市を迎えて、酒を酌み交わす。 娘・お加代(葵三恭子)のうどんをすすりながら、勘助は落ち目の忠治の判断力を疑う。
 一方、山へ戻った忠治は、叔父・勘助からの情報をもたらした浅太郎(梅宮辰夫)を叱責する。 浅太郎は裏切り者の疑いを免れる為に勘助の許へ現われる。 許婚者の浅太郎が現われて喜ぶ加代。叔父を責める浅太郎。勘助は「凶状持ち、 忠治の許を去れ」と答え、怒った浅太郎は勘助を斬る。全てを見ていた市は勘助の真意を浅太郎に伝える。
 市は山へ登り、忠治を諭す。 勘助の願いでもあったもう一度忠治に人々の憧れになって欲しいと。 自分の不明を恥じた忠治は子分に盃を返し、山を下りる決心をする。お町にも最後の別れを告げる。
 年季の入った清水将夫、辰巳柳太郎のセリフ回しもみどころ。 池玲子は弱さのある女として見事に描かれている。”
勝新太郎監督 「赤城おろし」 台本と完成作品との異同
 
★第17話 「花嫁峠に夕陽は燃えた」 (脚本・山田隆之、監督・森一生、撮影・牧浦地志)  1975年2月6日
第17話
 ○庄屋の娘おちか(紀比呂子)は、隣村の峯吉(浜田光夫)に嫁入りする途中、代官・磯崎の一行と行き会った。 磯崎はおちかに横恋慕。峯吉に無実の罪を着せ、おちかに言うことをきけと迫る。 おちかは身投げを図ったが市に助けられた。 
 孫兵衛(井川久佐志)、磯崎源之丞(郷瑛治)、庄屋の与左衛門(北沢彪)、万蔵(小林勝彦)、ほか浅香春彦

 ◆2007年のDVDで初見。
 冒頭、お上に直訴状を渡そうとする万蔵たち。 役人たちの捕り物の途中に突然現われた孫兵衛は「オレが始末する」と万蔵たちを斬る。市が「(ミネ討ちだな)」とつぶやく。 重要な場面で登場するこの孫兵衛、農民の敵のようだが実は代官の悪事を探っている隠密。
 市は小さい頃のおちかを知っているという設定。市はおちかに手製の花嫁人形を貰う。



★第18話 「すっとび道中」 (脚本・池田一朗、監督・黒田義之、撮影・牧浦地志) 1975年2月13日
第18話
 ○島帰りの清太郎(中村賀津雄)は行方定めぬ旅がらす。 あばずれだが、心のやさしい女・お初(横山リエ)と意気投合し、旅連れとしゃれこんだ。 沼田の安五郎(土方弘)の賭場に上った清太郎は負けがこみ、女を借金の方に預けて、松川の大吉(南祐輔)殺しを引き受ける。
追っ手に斬られて足に深手を追い、なおも松川一家に追われる清太郎を市が助けた。
 代貸しの松三(樋浦勉)、平造(田村正男)、ほか三木昭八郎、角間進、

 ◆2007年のDVDで初見。 “河川敷の草原をいく市が器用に水たまりを避ける。 それを見ていた子供達が「右にいくと穴がある」と声をそろえる。 市は「悪童たちだな、右に穴なんて」と右へ歩くと穴に落下してしまう。 「子供は正直だ」と見解を変える。穴に落ちた市の上を一人の男が駆け抜けていく。 その男・清太郎が松川親分のところで仁義を切っている。親分に挨拶も束の間、短刀で親分の胸を刺し、 逃げる清太郎。暮れ六つまでに安五郎のもとに戻って、借金の方に預けた女を連れ戻すのだ。
 一方、お初は床へ忍んできた安五郎を待たせている間に脱出、途中で捕まって屋根裏部屋にとじこめられる。
 「走れメロス」のように戻ってきた清太郎に安五郎は「女は半時ばかり前に身を投げて死んだ」と伝える。 新品の下駄が崖の上にそろえてあった。おかしいとつめよる清太郎を縛り上げて屋根裏部屋へ。屋根裏で再会する二人。
 そこへ市が「松川が殺された。下手人の清太郎を引き渡してくれ」と尋ねて来る。 喜んで引き渡された清太郎を市は河原で斬り捨てる(ふりをする)。
 礼金を投げ渡す安五郎に市は居合斬りを見せて脅し、謝礼に女を望む。 物置小屋で女を受け取った市、そこへ清太郎もやって来た。裏切られた清太郎が暴れ、市が加勢する。”
 黒田義之監督、牧浦地志撮影のコンビは暗い場面に主役の表情を強調する照明と、ミドルショット。 狭い場所での斬り合いといった場面を多用して、緊迫感のある映像を作り出している。 このコンビでは既に第11話「木曽路のつむじ風」があった。 また森田富士郎撮影で第2話「子守唄に咲いた女郎花」もあった。これらも秀作。 

★第19話 「故郷に虹を見た」 (脚本・池田一朗・東條正年、監督・井上昭、撮影・森田富士郎) 1975年2月20日

第19話 ●秀作である。 藤田まこと
  市が仕込をふるうのを目撃した旅人がいた。 旅人は鯉の活き作りを市に供し、料亭「ふくべ」への立ち寄りを薦める。
 しかし、市がふくべへ立ち寄ってみると、すっかり料理の味は落ち、働く女もひどい、最低の料亭だった。
 3年前、料亭「ふくべ」の総領・壮吉(藤田まこと)は、 腹違いの弟・清次(河原崎健三)の人殺しの罪をかぶり、板前修業の旅に出た。 この土地の穴抜け祭りをきっかけに故郷へ戻る道中、市と道連れになる。 三年ぶりに帰ってみると、店は土地の親分・岩五郎(織本順吉)に乗っ取られ、 包丁を教えてくれた育ての父親・仁平(浜村純)は寝たっきりで、 妹・志津(真野響子)も、岩五郎の餌食になる寸前。 壮吉は「俺が不幸せになれば、他のやつが幸せになる」という考えを持っている。 市はそんな荘吉の考えを一種の身勝手だと断じるが、清次と荘吉の二人を見守る。 清次は博打で借金を作り、岩五郎に操られているのだ。兄弟喧嘩でどちらが死んでも岩五郎には利得が残る。
 織本順吉はやたらにひとの肩をポンポンたたくことで、いやらしさを表現していた。
 壮吉の父・仁平(浜村純)、松吉(長谷川浩)

★第20話 「女親分と狼たち」 (脚本・高橋ニ三、監督・森一生、撮影・牧浦地志) 1975年2月27日

第20話  ○松葉屋一家の若親分松五郎(佐藤慶)の無法から、堅気の衆を守るために、 ”後家のくそがんばり”と陰口をたたかれながら、女手一つで狩場一家を取り仕切る女親分お蝶(ミヤコ蝶々)。 狩場、松葉屋一家の微妙な関係に、松五郎の妹で、 お蝶の息子・幸助(山本圭)とは許婚のお妙(三浦真弓)は一人心を痛めている。 そんな時、昔、亡き親分に世話になった座頭市が、狩場一家にわらじを脱ぐ。
 子分衆たち・・・駒造(山下洵一郎)、倉次(石山雄大)、辰次(伊吹新吾)

 ◆2007年のDVDで初見。 “堅気の職人修業をしているはずの幸助が極道者として帰ってくる。狩場一家を盛り立てようと、松葉屋に仕掛ける。 一方、どんなことがあっても「おふくろさんだけは傷つけちゃいけない」と仁義を守る 松五郎に子分どもが堪えられなくなってくる。お蝶は一家の解散も辞さない覚悟で子分たちを解放しようとするが、 次第に決着のときは近づいていた。双方の子分衆が斬り合いで共倒れになり、最後は松五郎と幸助の一騎打ちになる。 激しい斬り合いの結果、松五郎は倒れ、幸助は立ち去った。 女親分ひとりだけが残されたのだった。 お妙は「峠で幸助さんの帰りを待っていた日々のほうが幸福だった」と嘆く。”


 ★第21話 「愛が始まる日」 (脚本・高橋ニ三・中村努、監督・井上昭、撮影・牧浦地志) 1975年3月6日
第21話
 ○まだ春の芽吹きが始まったころ、市は川べりで心中を図った一組の男女を助けた。 男は仙太郎(林与一)、女は土地の豪商の娘・お妙(津山登志子)。実はこの仙太郎は、巧みな口実で女をだます女たらし。
 「好きな男のために進んで苦界に身を沈めた」という宿場女郎のおゆき(小川知子) の問わず語りの身の上話を聞くうちに、この女も仙太郎にだまされた一人と市は知る。市はあの男はいけませんと忠告する。 お妙が宿場に売られてきて、彼女を案内したおゆきは、 迎えに帰ってきたと言った仙太郎が自分のために買ってきてくれたという櫛が、実はお妙のものだったことを知る。
 宿場を仕切る親分・岩蔵(田武謙三)、五兵衛(成瀬昌彦)、宗八(根岸一正)、ほか来路史圃

 ◆2007年のDVDで初見。 林与一は言葉上手に女をだまし、裏では冷淡な男を巧みに演じきっている。 “岩蔵から波乃屋の女たちの証文を出させて市は女たちを解放する。 しかし、自分が仙太郎にあげた櫛がおゆきに渡されたショックから立ち直れないお妙。 おゆきも櫛の一件で仙太郎の正体を知った。 一方、岩蔵一家が市を襲撃している間に、仙太郎はおゆきを連れ出し、 もう一度他の土地でやり直そうと話す。三年も待ったのだから、まだ待てるわ・・・。 二人で小さな離れで暮らし、子供をつくって・・もう決して離しゃしねぇ・・との 夢物語をうっとりと聞くおゆきを現実に引き戻したのは、市の声だった。 「もう話しちゃいけねえぞ。それ以上嘘をベラベラと」。 ドスで斬りかかる仙太郎を仕込みで斬り捨てた市に、 おゆきは仙太郎の話が嘘と知りつつも、「あんたなんかに何がわかるんだ」と泣いて抗議するのだった。 死んだ仙太郎の髪を櫛ですきながら、おゆきは思い出を反すうするのだった”
 ★第22話 「父と子の詩」 (脚本・高橋ニ三・宮嶋八成、監督・黒田義之、撮影・森田富士郎) 1975年3月13日
 ○ゲストは田村高広、田中邦衛、高沢順子。 (徳木吉春さんのメモより)
第22話
 ◆2007年のDVD-BOX付録のパンフレットより、2007年のDVDで初見。
 “市は旅先でたった一人で遊んでいる千之助(山下雄大)という子に 宿・下野屋を紹介してもらう。千之助の父親は、もと八州見回り役で今は源三一家の用心棒をしている 黒川鉄次郎(田村高廣)であった。 ある日、悪巧みにたけている源三(田中邦衛)は下野屋の証文と娘お春(高沢順子)をだましとってしまう。 市はお春を連れ、源三と証文を賭けて刺しの勝負をする”

 ◆DVDで初見、 “暮れ六つまでに借金を返さない場合には下野屋の家と土地、そしてお春を方に渡すという証文だが、 下野屋は金を準備したにもかかわらず、源三はわざと留守にし、遅刻したところで下野屋に会って因縁をつける。 裏切られた下野屋は首を吊ってしまう。
 鉄次郎は市を百両で斬る約束をするが、金を渡したくない源三は千之助を人質に取る。 鉄次郎の妾・志乃(原田あけみ)は悪巧みを立ち聞きしてしまう。 源三一家に斬られながらも、鉄次郎に謀略を告げる。怒った鉄次郎は息子を救いに一人で殴り込む。
 今回は市は殺陣に参加しない。 鉄次郎ひとりで源三一家を成敗してしまう。息子は父親の姿をしっかりと見ていた。”


浅丘ルリ子 ★第23話 「心中あいや節」 (脚本・星田正郎、監督・勝新太郎、撮影・森田富士郎) 1975年3月20日

第23話  ●津軽三味線が響く勝版『津軽じょんがら節』。
 盲目のごぜ・おさわ(浅丘ルリ子)は、芸人のおきてを破り、 はなれごぜとなって深い雪のなかを旅していた。おさわを一人の殺し屋・加平次(石橋蓮司)が追っていた。
 おさわの世話をする少女・おとよ(吉沢京子)、はなれごぜ・おきく(八木昌子)、 おさわに惚れた庄屋の息子(松平健《新人》)、その父・作衛門(加藤嘉)、ほか野村けい子
殺し屋を仕向けたのは庄屋の作衛門だった。 帰って来た息子やおさわを許して出迎えたように見せているが、 その実、作衛門は二人の仲を許してはいなかったのだ。 息子の女房と赤児を息子に会わせる。納まるところに納まるのがいい・・・と呟く息子だったが、 夜になって全く別の決意をしていた息子はおさわを吹雪の浜へ連れ出す。 裸足で雪の上を歩くおさわ。夜が明けると浜でふたりは死んでいるのだった。

 ▼藤田真男“TV『座頭市物語』の内のカツシン演出による『心中あいや節』でも、 まるで神業みたいなカメラワークにおどろかされるシーンがあった。 それは本当に何でもないような、ごくさりげない動作を捉えたもので、 笠をかぶった吉沢京子が、わずかにうなだれ、そしてまたわずかに面をあげる、 その時、全く偶然のように彼女の眼が笠の縁の奥にある、 ただそれだけのことで、こんな風に書いてみたところで、 具体的に理解してもらえないだろうが…  ぼく自身も、なぜ驚いたのか忘れてしまったほどなのだ。これでは、お話にならんか。 とにかく、あれが偶然だとしたら、そのタイミングを逃さずカメラに収めたカメラマンの腕は大したものだ。 巧みな演出によるものなら、カツシンのデリケートな感覚に驚く”
▼星川清司『カツドウヤ繁盛記』(日本経済新聞社、1997)より(p.212-)
 なにしろ、めっぽう「勘」のいいひとで、その才能は無類だ。のちになっても「心中あいや節」というテレビの座頭市シリーズのときにも舌を巻いた。そのときも、「ゴゼと座頭市というのはどうだろう」とわたしがいったのが、そもそものはじまりだったが、その仕事、わずか一時間たらずのものに難渋した。半年ちかくかかった。
 それでも、ようやく書きあげたので、読ませたら、勝はたいそうよろこんでくれた。そのまま決定稿になって、手直しなし。
 あるとき閑談していて、たまたま、ドナルド・キーンのことに話が及んだ。
 「つまらない市井の男と女が、道行にかかると、双方の背筋がすっと伸びる」
 近松のことを述べた一節に、そういうことばがあった。「背筋が伸びる」という日本人にもできないような表現がみごとだ、とわたしがいうと、勝が「それだ」と叫んだ。
 何をいいたいのか、すぐにわかった。そして、「わかったから、それ以上いわないで」とわたしはいった。それで二日待ってくれといった。勝はいい気分になって、それからは自由な閑談になった。
 わたしはほんとうに舌を巻いた。
 勝新太郎というひとの「勘」のするどさ。
 約束の二日のちに、わたしは、市とゴゼが生き別れになっている最後の件りを書き改めて渡した。
 その原稿を勝は読まなかった。そして、「おれが監督やりたいけど、それでいいか」といった。いいもわるいも、もう決めていることだ。監督と決まっていた井上昭を嘆かせた。
 勝はさらに欲を出し、三十五ミリフィルムで撮りたいといい出して、雪の若狭にトラック十台をつらねて出かけていった。
 雪の中に宿屋を一軒、建てたのだという。
 「熱心なひとですねぇ」
 ゴゼ役の浅丘ルリ子が感じ入ったように笑った。
 妻子がありながらごぜに心を奪われて、ついてまわる庄屋の息子を松平健、その父親を加藤嘉、父親にたのまれてゴゼ殺しを狙う悪党を石橋蓮司、ゴゼに同行している少女が吉沢京子、はなれゴゼが八木昌子、音楽が富田勲、という贅を凝らした布陣だった。
 いったん仕事となると、勝はゼニカネ計算がわからなくなる。
 「商売だってかんがえるさ、当りめえじゃねえか」
 そういいはするけれど、アテになったことではない。
 ゴゼと若旦那が道行となって海で果てる最期になった「心中あいや節」は、すべてうまくいったが、作品が完成し、しばらくしてから、ある席で、勝が笑いながら、こういった。
 「あれは、どうも座頭市の物語じゃなかったね。市は脇役だったぜ。欺されちまった。でも、おれは監督やったからいいや」

★第24話 「信濃路に春は近い」 (脚本・犬塚稔・内海一晃、監督・安田公義、撮影・牧浦地志) 1975年3月27日
第24話
 ○絹問屋の一人娘・お美津(香野百合子)は、大勢のお供と善光寺参り。 お供の一人・番頭の忠助(小笠原良智)はお美津をかどわかそうとしていた。 口うるさいお供にイヤ気がさしていたお美津は忠助の口車にのり、宿を抜け出す。 お美津は陰で忠助が糸を引く猪之助たちに狙われる。
 駕籠留の留五郎(芦屋雁之助)、仁三郎(和崎俊哉)。
 島吉(近藤洋介)、その女・お信(新橋耐子)

 ◆2007年のDVDで初見。 “昔自分を育ててくれた乳母のお梅が、番頭から山麓の村で病気と聞いて、 お美津は矢も盾もたまらず、宿を飛び出す。 途中で市と一緒になり、市はお美津を助けながら村に到着、しかし既にお梅は亡くなっていた。 帰りにお美津を誘拐しようとするおのぶ(新橋耐子)が近づいてきて、お美津に座頭市には注意しろと吹き込む。
 菜の花を摘んできたお美津に、市は注意する。「こいつはお百姓さんが大事に育てている花だ。 たくさんあるからって黙って持ってきちゃいけない。御免なさいと言ってくるんだよ」と。 しかし、お美津は「たくさんあったし。私に御免なさいなんて言葉は必要ないわ」と答える。 市は「御免なさいが言えなけりゃ」と諭す。 おのぶの口車に乗ってしまい、駕籠留のもとに連れて来られたお美津はようやく事の真相に気が付く。 金もうけをたくらんだおのぶも代貸の仁三郎にたたき出されてしまう。
 市がお美津を救出に来る。途中でお美津をさらうおのぶと島吉。 してやったりと喜ぶおのぶを裏切る島吉、市が最後の仕込をふるう。 お美津を探しているお供の者たちが発見、再会を喜ぶ。お美津は市の姿を探す。 お美津は「市さん、ご免なさい」と叫ぶ・・・” 

 ★第25話 「渡世人」 (脚本・内海一晃、監督・黒田義之、撮影・森田富士郎)  1975年4月3日
第25話
 ○悪貸元の徳兵衛を市に斬られた子分の新三(近藤正臣)と銀平(新克利)。 生前の徳兵衛のやり方には批判的だった二人だが、親分といえば親も同然と、複雑な気持ちのまま、市を求めて敵討ちの旅に出た。 そのころ市は銀平の妹であり新三の許婚のおそで(真木洋子)と道連れになった。
 重吉(渡辺文雄)、勘兵衛(今井建二)、仙造(成瀬正孝)、用心棒(平沢彰)

 ◆2007年のDVDで初見。 “市は小さな犬に吠えられて困っている姿で登場。あまり強そうに見えないので、お袖は本物の座頭市かどうかいぶかる。
 貸し元の重吉は、黒馬の勘兵衛と計らって、徳兵衛の縄張りを整理しようと、 新三と銀平を市に始末させようと画策する。 渡世のすじ目を通そうとする二人を表向きはほめておだてあげるが・・・。 明け六つ、庚申塚の果たし合いの場所にやって来た黒馬一家は銀平たちに襲いかかった。 銀平は市に「新三を斬らないでくれ。堅気になってお袖と一緒になってほしいと伝えてくれ」と遺言する”。



★第26話 「ひとり旅」 (脚本・直居欽哉、監督・三隅研次、撮影・牧浦地志) 1975年4月17日
第26話
 ○ゲストは中村鴈治郎、竹脇無我、中尾彬の豪華さで、剣を捨てようとした市が再び剣を取り、無我を斬り、 中尾彬が仕向けた刺客が市におそいかかるところで終ります。つまり殺し合いは果てることがないという暗示でしょう。(徳木吉春さんより)

 ◆2007年のDVD-BOX付録のパンフレットより、“故郷に戻った市は剣を捨てようとする。世話になった寺の住職・良海和尚(中村雁次郎)の言付だったからだ。 しかし、賞金が賭けられた市の首を狙いに来るやくざ者のせいで、村人達の暮らしが激しくかき乱されていく。 そして、ついに和尚が殺されてしまう。おゆみ(由美かおる)が止めるのも聞かず、市は再び剣を取るが・・・・。” 

 ◆2007年のDVDで初見。“和尚を村人達が土に埋めている。 フグの毒に当たったから、その治療法だという。翌日、和尚は息を吹き返す。 由美かおるは市の昔の知り合い・五郎助の娘・お由美。 市のためにやくざが村に乱入してきて迷惑だという村人たちが和尚の説得(市は自分の故郷に帰ってきたのだ。 お前たちの仲間を気持ちよく迎えてやれ)で、「市さん、いつまでも村にいてくれ」と変化するのがなんだか解せない。 また、村人みんなが市に反対するのに、年若いお由美が市に理解を示すのも、どうにも奇妙である。
 中尾彬は情報屋で市の懸賞金の上前を当てにしている。竹脇無我は500両を目当てに市と勝負する流れ者”



 ON & OFF
  池田博明   1976年10月

   『新・座頭市』が始まってからでは、あまりにも遅れすぎだろうというわけで、とりかかり出してから、2日で完成。こんなことならもっと早くやるべきなのだ。
  『座頭市物語』が放映されていた木曜日は札幌キネ旬知人会(名称はいま付けたもの。鉄家彰子・舘田芳彦・高村賢治・木下啓司・佐藤真知子ほか遊楽地下劇場を中心にしたサークルから仁平裕子・高並真也ら)の例会があったので、毎回見るというわけにはいかなかった。結局見たのは●印を付けた11話。

  『痛快!河内山宗俊』で太田昭和の演出ぶりをたんのうしたのと同様、井上昭の演出ぶりを知ったのが収穫だった。ただ筋を書き記して一体何になるのか、という気がしてならない。読む方にも何の喜びもないだろう。そこには「私」という人間もいないし、作品を作った人々の感情もない。・・・・ともあれ、PARTIIは、勝新演出作品を再録し、併せて藤田真男「血と汗と涙」、木下啓司「弱者の心情(仮題)」、鉄屋彰子「TV観たまま感じたまま」を掲載する予定である。
   +   +   +
 勝新の『顔役』は全身をかけてみる映画だった。映し出される対象の力と、観客は対決を強いられる。広角、アップ、パン・フォーカス、長回し。すべてが緊張に満ちている。「呼吸するカメラ」、しかも皮膚呼吸までをtらえようとする映像がそこにあった。MAO(藤田真男)は《毛穴的感覚》と評した。まさに毛穴の息吹を感じさせるのであり、例えば心の動揺が顔に出ないでも毛穴にあらわれるように、五感をかけてみる映画だった。私が「カメラが息をする」と言ったのは、比喩以上のもので、カメラという無機物が有機物に変化して、身をひそめ、対象を見据え、舌打ちする様子が“見えた”のである。

 山田宏一の「キートン映画の悪夢の構造」(『世界の映画作家26』キネマ旬報社)で引用されているキートンの言葉の中に、示唆的な一節がある。
 「ある程度ひろがりをもったギャグがある場合、わたしはこれをクロース・アップで撮ることを好まない。わたしは、むしろ、ロング・ショットでとらえて、アクションを持続させ発展させたいと思うのだ。(中略) クロース・アップはアクションを寸断してしまう」
 クロース・アップはアクションを寸断(カット)。なるほど。『顔役』はアクション映画ではない。アクションは寸断されているが、その代わり、映画と観客は不断にアクション=リアクションを繰り返す。
 同文章で山田宏一は、チャップリンも、悲劇がクロース・アップでとらえられた人生であるとすれば、喜劇はロング・ショットでとらえられた人生である、といった意味のことを述べている、と筆を進めている。なるほど。『顔役』は悲劇である。ラストシ−ンで勝新が土をふみ固めれば固めるほど、空しさがこみあげてくる。風車に立ち向かうドン・キホーテさながらの行為である。『人斬り与太』(東映1972年)を、負けることの分っている戦争というのは、傍観者的なみかたである。戦争には勝負がついても、闘争に終わりはないのだ。
   +    +    +
 テレビでも勝新は「映画」を撮っている。奥行き深い画面に、人物を何人も映しこんで、人間どうしの緊張関係を表現する。
 荒れる風の音。軒先から落ち雪の音。勝新座頭市は静かである。座頭市よりも陰影を持って描き出されるのは、中村玉緒や十朱幸代、植木等、大谷直子、池玲子、藤田まこと、浅丘ルリ子ら、市と関わる人々である。殊に勝新演出のときは、市よりも鋭く描かれている。
   +    +    +
 永田哲朗『殺陣』(三一書房)、西脇英夫『アウトローの挽歌』(白川書院)から、勝新についての情報を得た。十分消化して紹介したい。西脇さんの本はみんな買うべし。「ヤング・コミック」掲載のコラムは全編再録して欲しかった。

      勝新・座頭市の世界   池田博明

佐々木昭一郎 演出作品  紅い花  1976年10月22日(金) 夜10:55〜11:25  NHK総合テレビ 芸術祭参加 

▼今年映画館で見た映画  (池田記)
 2月 『必殺女拳士』『大阪電撃作戦』『砂のミラージュ』『ガルシアの首』
 3月 『ある殺し屋』『陸軍中野学校』『ひとり狼』『眠狂四郎殺法帖』『眠狂四郎勝負』『新・動く標的』『蒸気機関車の詩』『アフリカの鳥』『横浜暗黒街・マシンガンの竜』『暴走パニック・大激突』
 4月 『追想』『キンキンのルンペン大将(駄作)』『新・仁義なき戦い・組長の首』
 6月 『屋根裏の散歩者』『奴隷妻(愚作)』『女子大生欲しがる年頃』『O嬢の物語』『狼たちの午後』
 8月 『人斬り』『斬る』『鮫』『真田風雲録』『華岡青洲の妻』『恐るべき子供たち』『操行ゼロ』『アウトロー』『セント・アイブス』『十七人の忍者』『柳生武芸帖剣豪乱れ雲』『泳ぐひと』『おもいでの夏』『大地の子守唄』『戦後猟奇犯罪史(駄作)』『任侠外伝・玄海灘』
 9月 『おんな鑑別所性地獄』『実録・阿部定』

▼今月の名言 (池田選出)
 「目を見て人がわかるか」の質問に答えて、『田紳有楽』で谷崎賞受賞の藤枝静男、
 「わからないね。興奮するとアドレナリンが血中に溶けて瞳孔が開く。特攻隊も人を殺そうとする右翼も、女を見る男の目もみんな同じさ」(9月25ひ 読売新聞) 

【付記2000年/2007年】  TV版『座頭市物語』と『新・座頭市』は全作ビデオが発売されたことがある(全作ではないかも・・・)。しかし、現在は販売されていない。その後、数本が俳優中心でセット販売された。映画版の勝新監督作品『新座頭市物語・折れた杖』も1998年にようやくビデオで発売された。しかし、勝新監督の最初の傑作映画『顔役』はまだビデオ化されていない。TVシリーズ『警視−K』は1998年にVAPからビデオ化されて発売された。(池田追記、2000年)。『警視-K』ビデオはいまや品切れ絶版。2007年1月、とうとうTVシリーズの全作品100話のDVD発売が始まった。まずは第1シリーズ26話『座頭市物語』が発売となった。
【付記2009年】集英社新書『時代劇は死なず!』(春日太一著,2008年)の第二章は70ページにわたって、「大映・勝プロの葛藤」と題して、大映の技術スタッフの優秀さと勝新太郎と勝プロの苦闘を描きだしている。これほど真面目に書かれたテレビ版『座頭市』論はかつて無かった。なんども感動して、読む手が止まった。
 勝新太郎自身が監督した作品を手放しで持ち上げているわけではない。コストを無視した作品作りや、脚本を否定して内面に向かう孤独な作家、勝の姿を存分に伝えている。そして、「勝新太郎がわが身を削って実現させた<最高の仕事>が、<世界最高峰>の技術の拡散を防ぎ、いまに伝える礎となったのである」としめくくる。これほど評価されれば、天国の勝新も本望であろう。全篇引用したいところだが、それは著者と版元に失礼だろう。ぜひ買って読むべし。
【付記2017年】別冊宝島2575号は「勝新伝説」として勝新の遺した映像作品を特集、監督・勝新の考え方にも多く触れた企画本だった。2017年6月11日発行(店頭には5月下旬に並んだ)。別冊宝島ではテレビ版「座頭市」第1シリーズ〜第3シリーズのうち、勝新演出作品中心に各4挿話ずつDVDで売り出ししていた。ムックはそのまとめに当たる。


 座頭市物語第1シリーズ  日曜日にはTVを消せ No.9 PART2 

 新・座頭市第2シリーズ  日曜日にはTVを消せ No.9 PART3 

 新・座頭市第3シリ−ズ  日曜日にはTVを消せ No.9 PART4

 警視K              日曜日にはTVを消せ No.9 PART5 

 痛快!河内山宗俊      日曜日にはTVを消せ No.9 PART6 


監督・勝新の『新座頭市物語 折れた杖』脚本と完成作品の異同
 兵隊やくざ 映画シリーズ

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  →  『座頭市覚書』ロケ地の記述など情報が豊かです(作者不詳)