News >「仕事日記」2006年9月


9月15日(金) クロニクル・コンサート 東京文化会館小ホール
バッハ ゴールドベルク変奏曲より
アリア
 50歳コンサートを思い出しながら、落ち着いて出だしがとれた。
第25変奏曲 低音部に工夫発見。八分音符を短めにすることで小節線をまたぐ連続音とその掛留解決が浮き彫りになる。3日ほどだが、このパートに一番時間をかけた。しかし音楽に入りきれたと思うところで音符の記憶がぼやけ、2拍分くらいアドリブで凌いでしまった。道は遠い。
Donna Lee ペダルでなく低音鍵盤の空押さえで倍音を残しながら間を取って次に入る。この手法をアリアから次に行くと気と同様、ジャズに乗り変わるときにも使ってみたら、気分よく出来た。ここでしか出て来ない響きを楽しみながら演奏できたと思う。
---------以上ソロピアノ
Creopatra’s Dream〜Anthony’s Scream
Floatin’ Time
Spain バースの前半をベースが取ってみたら面白かった。
---------ここまでM’s
Above Horizons ブラスのサウンドに乗って実に気分よく弾きおおせたが、現実の音と、ミノやマークと作ったサウンドの幻とが僕の耳には交じり合って聞こえていた。ソロのファーストコーラスはどうしてもCD通りになってしまう。
Long Time No See どのアレンジも良かったが、秀逸だったのはこの曲。
Tough
Extended Play
Quarter Cooker


アンコール1
Au Preberb パーカーのバップブルースをニューオリンズスタイルで、という三木のアイデア。楽しいアンコールになった。
---------ここまでオクテット
三木俊雄(Ts, Arr. Director)
近藤和彦(As)
松島啓二(Tp)
片岡雄三(Tb)
山岡潤(Euph)
佐山雅弘(Pf)
小井政都志(B)
大坂昌彦(Dr)

アンコール2
Mind Talk ソロ 伝兵衛の歌詞がところどころ聞こえてきて困った。

総じていいコンサートができた。自主公演は辛いこともいっぱいあるけど、思ったメンバーで好きなように(自分の曲が中心だとか、音楽監督を立てるとか)進行できるのでやはり楽しい。雪村いずみさんのように“看板という役割”的な望みも気が済んだし。といったところで、今後の方向は“ザ・ミュージシャン”かな。
9月16日(土) Mr.Pinstripe 打ち合わせ+録音 三軒茶屋 ノアスタジオ
作詞家、演出家など集まって各曲の構成確認、のち練習ピアノ録音。みんなでショーを作りつつあるコンサートの時間がもっとも楽しいのだが、いかんせんリサイタルの翌日のこととて、午前中からエンジンをかけるのが少々きつかった。前半部分を片付けたところで今日はお開き。ということはバンドアレンジに入る態勢が整ったということで、分量の膨大なデスクワークの号令がでたことになる。予定の立て方が大事。
9月17日(日) 名曲シリーズ打ち合わせ ミューザ川崎
明日のガラコンサートのリハーサルにお邪魔しながら合間を縫って飯森範親さんと11月3日のガーシュイン・I Got Rhythm Variationの打ち合わせ。食事をしながらモーツァルト〜ベートーベンの先になんだか共通項としてマーラーを感じる、など貴重なお話をうかがえて吉。ヤナーチェクのオペラを今度手がけるのでチェコ語を習っていると仰るから偉いものだ。楽しみにしていてくれている様子も嬉。秋山先生にもお会いできて次の演し物のアイデアなど話す。時々顔を出すというのは大事だし有効であるものだ。
9月19日(火) かにかま 観劇 新宿タイニィアリス
小島屋万助・本多愛也のマイムデュオ“かにかま”
抜けた男(小島屋)、RUN(本多)それぞれのソロもよかったが、死神、手術、桜どろぼう、などアンサンブルも素晴らしい。殴られるマイムでは、頬に食い込む 拳骨の指の形まで見える気がした。マイムは舞台装置なしで空は飛ぶわ回り舞台になるわ、とにかく楽しい。こちらの想像力で全てが進行するのだから観客一人一人に理想的なシチュエイションが提供される。壁から抜け出たり、入れまいとしている扉から顔だけ抜け出てくる場面で僕に見えているのは我が家の壁だったり、お気に入りのホテルのドアだったりするので実に気分がよい。
9月20日(水) 国立音楽大学
後期 第二回 ルイ・アームストロング
宿題形式。成功失敗相半ば。宿題(トランスクライブ)担当を頼んでおいた赤塚君(Tp)がなんと欠席。しかし、譜面は同級生に届いていて授業はできそう。14曲の候補曲のうちの5曲が譜面になっている。
OHPを使おうとしたら、それには専用の用紙が必要だとかで、生徒をコピーに走らせる。その間、名古屋音楽大学で好評だった一列縦隊ブルース回しをやって盛り上がる。どの生徒も半人前以上には弾くから面白い。3音のみ(名音ではこれと自由フレージングのみだったが)・下降ブルーノートスケールのみ、と進んでコールアンドレスポンスに入ろうとするところで皆のしり込みに会い、戸惑っているところで譜面到着。ちょっとした積極性のなさに戸惑っていては集団授業は出来ないことが徐々にわかってきたが、物足りないことに変わりはない。

赤塚君から届いた5曲の中の“Basin Street Blues”と僕が譜面にしてきた“West End Blues”をアナリーゼ。解説しながら自身すごく勉強になる。教師のやりがいここにありナンと感じつつ教室を見回すと、チンプンカンプンな顔がずらりと並んでいる。

3小節目の六度セブンでのナインスが効いている。テーマのこの部分がナインスであることのメロディフェイク的な解釈が出来るけれども、続くフレーズでナチュラル13thを使っているところが天才というのか、後世に出てくるバークリー理論との整合性に驚く。ここが肝心。理論はそれまでの現象を合理的に説明するために後から生まれて、それを派生・発展させるものであって、それ以前の人がその理論に乗っ取ったプレイをするはずがないと思い込むことのほうが間違いなのだ。このこと、音楽にとどまらず価値観一般に応用銘記するべし。

というようなことを滔々と述べるのだが、一人合点あるいは独り言のようだったかも知れぬ、とちと反省。しかしジャズの勉強で、このフレーズアナリーゼが一番面白いんだけどなぁ。
9月21日(木) 平野レミ マスタリング 新子安ビクターマスタリングセンター
 
9月22日(金) サーカス 灘区民会館
武田桂二(Bass)<<<その昔、山口真文さんのバンドに長くいて、ジョージ大塚さんの所にも頻繁に出入りさせられていたという。当時は今の半分くらいに痩せていたそうだ。そりゃそうだろう、その環境ならば。植松孝夫さんとも行き来があったので僕と植松さんのセッションの時にピットインに覗きに来たら、僕が植松さんに怒っているところで、いたたまれなくなって帰ったことがある、と懐かしそうに言うが、若い自分の僕が先輩に起こったりしたことはないと思うのだがどうだろう。苛ついているのを態度に出すまいとして、ちゃっかりばれてた、というところか。それにしても植松さんに対してはありえないと思うのだが、、、。

山口トモ(Perc)<<<広島のコトちゃんがここんとこお世話になっている様子。リハーサルでもお会いした。10月の末に広島で、トモ・コトのデュオコンサートをやるらしい。実にうまそうにタバコを吸う。

Smile(ア・カペラ)
アメリカン・フィーリング
しなやかに歌って
遥か
ちゅらうた
Amores〜逢いたいひとがいる
Screen Medley
 Sound Of Music
 Shall We Dance ?
 男と女
 白い恋人達
 Moon River
 The First Of May
 雨にぬれても
 Staying
 ロッキーのテーマ
 ひまわり
 ボディガードのテーマ
 スカボロフェア
 男はつらいよ
 瞳をとじて
 ハウルの動く城
 ものけ姫
 My Heart Will Go On
 愛と青春の旅立ち
ひとつぶの雨
Mr. サマータイム
愛で殺したい

打ち上げは東門街の焼き鳥屋・る主水(ルモンド)。今風に綺麗にしつらえてある上に掘りごたつで14〜5人の座敷。打ち上げに言うことなしの店。鳥類がどれも美味しく、焼酎が進む。内堀舞台監督ともやや久しぶりだが、制作の須藤さんが参加していて、こちらはもう何年ぶりかで飲むので酒も話も弾む。PAの大矢君がうまいこと言う。“佐山さんのピアノはいいですね。特に約束事のない部分が素晴らしい”そう、今日はアレンジャーでバンマスの鈴木和夫君の代役なので、彼の手になる丁寧なピアノ譜を、いつになく緊張しながらコツコツと弾く場面が多かったのだ。
特にピアノから始まる曲のテンポ感がすごく不安で、メトロノームのランプをつけながらのメドレーなど、ヒヤヒヤしながらの演奏。山口・武田の両人がすごいのは、メトロノームでしっかり始まった僕のピアノを受けてやがて演奏に参加して来、当然そのあとはリズムセクションに乗っ取って僕も演奏するわけだが、10小節や20小節くらいは僕にしか見えていないメトロノームのランプと完全にリンクしている。プロになった初期にテンポキープの訓練を怠っていたことを今更ながらに思い知らされて勉強になったことだった。みんなちゃんとやってるのね。トモトモでも、というのは失礼か。
9月23日(土) ソロ 八幡ロイヤルホテル
小犬のワルツ
愛の夢第三番〜Liberitium Boogie
Hymn To Freedom
Spain
Memories Of Tommorrow
Watermelon Man
Waltz For Debby
Summer Afternoon
Love Goes Marching On
Rhapsody In Blue
ショパン・メドレー
 〜幻想即興曲〜かあさんのうた〜幻想(ジャンクション)〜雨だれの前奏曲〜瀬戸の花嫁〜ワルツ変ホ長調(イントロのみ)〜革命のエチュード〜津軽海峡冬景色〜ノクターン変ホ長調〜川の流れのように〜軍隊ポロネーズ〜世界一つだけの花

桂秀(カシュウ)という会社のなんとかの会合でのアトラクション。といえば営業臭いがそうではなく、そこの社長さんが博多での瀬木とのデュオを聞いていたく感動してくれ、日ごろ音楽に触れることのない社員達にも聞かせたいと、その折の主催者・大野さんを通じての依頼。大野さんはこの会社のコンサルタントでもあるらしい。社長がショパンが好きだというので始まりと終りをショパンでくくってみたが、演奏も受けもいまいち。

ホテル宴会場(コンサートホール風にしつらえてくれた部屋の隣)での懇親会のあと町に連れ出してもらうと、いかしたバーがある。10mほどもあるだろう白壁に林立する様々なお酒。スペインの赤いスパークリングワインで乾杯した後注文したマイヤーズが(不思議なことに)置いてない。どうやら独特のこだわりでもあるようで、ロンサカバの23年ものを出してくれたらうまかった。普通のロンサカバは23年と18年(だったか)をブレンドしているそうで、23年ものオンリーというのは珍しいとのこと。思いついてアイリッシュウイスキーを頼むと、やはり、待ってました的な反応。が、そこはハードボイルドが身上の都会的バーのこと。片頬がわずかに弛んだのを僕が見逃さなかったのだ。エヘン。
なんとかかんとか解説してくれたのだが、どうもアイリッシュにまつわる事は入ってこない。最後にフランシス・アルバートを注文したが判ってもらえなかったので居並ぶ人たちにも合わせて解説すると“フランク・シナトラですね”。なんと、シナトラにちなんだものを、とバー・ラジオの尾崎さんにねだって作ってもらったカクテルを飲んだ八木正夫さんが“ぴったりしすぎていて、これはもう、芸名ではなく本名のフランシス・アルバートと名付けるべきだ”と叫んだ、という逸話のものが周りまわって元もとの“フランク・シナトラ”という名前で呼ばれている。胸のうちで、巡り合わせの妙やら八木さんの思い出などもカクテルされることだった。バーで飲むというのはいつも何かしら文学的な心情がついてくるものらしい。

ホテルのエレベーターを出たところで壁にぶつかって眼鏡が歪んだ。ほどに酔ってはいたのだが、済ませるべき電話で能祖将夫氏と打ち合わせなどしている途中、ところで今日は?となり、なんと本多愛也・小島屋万助・吉澤耕一らと小倉にいるというではないか。これは一緒に飲まないテはないヨ、と早々に電話を切ってタクシーを捕まえる。思いがけぬ月猫的飲み会。先日観た、かにかま公演のあれこれを話すのも愉。マイム話で芋焼酎がスイスイ入る。
9月24日(日) 欧陽菲菲 プリプロ 新大久保 On Air Studio
 
9月25日(月) ジョニー吉長 教則DVD録画 赤坂ODENスタジオ
ジョニーとも久しいが、二人の息子が立派に大人に、それもプロのミュージシャン、ロックンローラーなっている。ノブアキ、通称アックンは中学ごろからドラムを始めてたし、ライズというバンドでデビューしてそこそこ売れていたのも知ってはいたが、弟のケンスケがいつの間にかベースを始めていて、そのライズに参加しているとは驚き。かたぶとりの、良く動き回るオチビちゃんが、ロングヘアーも良く似合う長身に、低い位置でエレキベースをバキバキ弾く様子を見て湧き上がるこの気持ちはなんだろうか。

大腿骨にチタン、踝にボルトが入っているというジョニーのドラムはそれでも昔日のヘビーさをいささかも失ってはおらず、フクシン(B)ケンスケ(B)ノブアキ(Dr)ジョニー(Dr)そして僕はフェンダーローズのみ、という変則クインテットで何も決めずに始めたセッションはビッチェスブリューの如き様相を見せて、収録スタッフを置き去りにしてガンガン盛り上がる。
こういうシーンを途中からでもいいからカメラを回せばいいのに、一同ただ唖然。出会い頭の勢いは多少落ちるも、改めてのフリーセッションと“Baby You’re Mine”を収録終了。打ち上げは向島。
また遠いところで、、、つい先日オープンしたジョニーの開いたバーが向島は曳船というところなのでそこまでいく。珍しいロース肉の生など美味しく食べているうちに合流したケンスケの食うことといったら呆れる。生ロース、カルビ、ホルモン、タン、などなど思いつくものをどんどん注文しては、一通りほぼ食べ終わっている我々を尻目にバクバクと食べ続ける。頼もしい20歳である。
9月26日(火) 欧陽菲菲 レコーディング 目黒アートワークス
芝の渋谷さんというのはエリック・クラプトン命の名エンジニア。名前を聞いた時は何度か仕事をしたはずと思っていたが、いざ会って見ると具体的に思い出せない。困っていると向こうから“とりあえず改めまして”と名刺をくれる。人をムダに困らせない、オトナな態度、行いですね。

“We Love Heart”というのは天安門事件へのメッセージソングとして作られたもの。今回のピアノと歌だけでのレコーディングは、東芝のベスト盤のボーナストラックとしてのものだが、ブッシュアメリカへのメッセージとしてそのまま使えそう。
9月27日(水) 国立音楽大学
後期 第三回 スイング全盛
ビデオ“スイングタイム”を抜粋で見ながら解説、というよりは意見を述べたり、感想を聞いたりして進める。

[1] Artie Shaw “The D’hote” 1939
リズムセクション>アーティ・ショー(クラリネット)>サックスセクション>ブラスセクション(Tp・Tbとも)の順に登場するようにフィルムを操作してある一般向け解説番組。管楽器の数が現在の定型とは違っているなど、僕にはとても興味深かったのだが、まず感想を聞いてみた人は“自分では見ないですね”とのことで少々がっかりしたが、めげずに次へ。

[2]The Bob Cats “Who’s Sorry Now 1951”
3管編成による代表的なディキシースタイル。アドリブ・掛け合い・キメアレンジなど、スイング・ビッグバンドへの移行の様子がよくわかる、とともに順は逆だが、黒人のニューオリンズスタイル、形式が良く見通せる。

[3]The Firehouse Five Plus Two “The Brass Bell” 1951
かなり完成度の高いディキシーバンド。模倣・搾取などの議論をよそに白人文化・白人音楽として発展し、ある種の完成形にたどりついたともいえる。

[4] Nat “King” Cole “Route 66” 1950
キング・コールは白人向け(メジャー志向)とされているが、既にビバップ的なアプローチも垣間見えている。ギター、ベース、コンガという編成は商業上の都合にしても、ギタリストのプレイなどは完全にビバップになっている。

[5] Les Brown Orchestra Lucy Ann Polk(Vo) “I’ve Got The World On String” 1951
バンド歌手、という形を知ってほしい。インストである程度盛り上げておいて、バンプを作って転調してテーマ部分を歌で歌詞も聞かせ、というバンド優位のスタイルからボーカリスト最優先になっていく過程を俯瞰できたら面白いだろうが、それはまた別の機会にじっくりと資料を集めてみたい。レス・ブラウンはドリス・デイを要して“センチメンタル・ジャーニー”の大ヒットを飛ばしたバンドリーダー。

[6] Peggy Lee “Why Don’t You Do Right ? ” 1950
レス・ブラウン、トミー・ドーシーなどのバンドとは逆に、歌手のショーとしてのバックにフルバンドをつける、ということも当然行われており、ペギー・リーは早くからそのスタイルをとった先駆者かもしれない。ほかの白人女性歌手とは一味違ってブルースフィーリングもたっぷりで、この曲もかなりブルージー。名曲“ジャニー・ギター”の作詞作曲家。不確かながら“Fever”の初唄および作詞作曲も?

ビデオを一緒に見ながらの授業は、一件確かな資料で貴重なものには思えるのだが、ある種の“ゆるさ”は否めない。やはりレコードやCDなど音までにしておきながらピアノなど弾いて進めるほうが、コミュニケイションの度合いは深まるのではないだろうか。
9月28日(木) Mr.Pinstripe 打ち合わせ+録音 富士見が丘 ライズワンスタジオ
 

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2006年