News >「仕事日記」2006年6月


6月1日(木) 平野レミレコーディング打ち合わせ 和田誠事務所
編曲方針のお伺い。一旦好きに考えたら結構大掛かりになり心配。見積もりを待つ。
6月2日(金) M’s バーンスタインリハーサル
小井が丁寧な譜面を作り大助かり。アレンジも決まりまずは一安心。
里見紀子セッション 銀座スィングシティ
里見紀子(Vln)
小池修(Ts)
佐山雅弘(Pf)
土井孝幸(B)
ジーン重村(Dr)
なんといっても小池がよかった。M’sとEQの合同ライブを約す。
6月3日(土) 松田昌 インストアライブ 銀座ヤマハ
 
6月4日(日) 月猫絵本音楽会リハーサル 青山劇場Bリハーサル室
さるかに合戦仕上がる!異例のスピード、4日間!
6月5日(月) ヤマハ講義 behind 松田昌 大阪ヤマハ難波センター
 
6月6日(火) ヤマハ講義 behind 松田昌 名古屋ヤマハ東山センター
 
6月7日(水) オレたちだって歌いたい 目黒・ブルースアレイジャパン
本田雅人(As)
増崎孝司(Gi)
吉弘知鶴子(Key)
佐山雅弘(Pf)
バカボン鈴木(B)
鶴谷智生(Dr)
ゲストプロ:しほ

1. Pick Up Pieces
 インスト
2. Lotta Love バカボン鈴木
3. Between Us 吉弘知鶴子
以前僕が歌ったハリー・コニック・ジュニアの曲。さすがにキーボードプレイヤー好みなのかと思ったら、彼女にはより思い込みがあるらしく、歌詞の解説など聞いてるとさすがにN.O在住経験(今も行ったり来たり)、一歩も二歩も深い意味が隠されており、我が身の不明を、、、それは恥じないのだな。サウンドが良くて自分なりにいい歌詞だと思ってみずから演奏することが先ずは大事。
4. 浜辺のうた しほ
5. Shit! しっと!シット しほ+鶴谷智生
6. 暗闇でダンス しほ+鶴谷智生
この二つはバービー・ボーイズの曲だそうな。ビートも利いて歌詞も面白くてとても楽しめた。本番では不参加のキーボーディスト二人が手拍子踊りなどして邪魔立てしてしまったが、リハから聞いてるに、鶴谷のビートの凄まじさと増崎君の極度に高度な技術にほとほと感動した。元のバンドはどうだったのか興味が湧いた。
7. 紐育物語 佐山雅弘
新ねたゲット!
森さんのキーは高いのでオクターブ下げて歌うことにしてあったのだが、リハーサルしてみたらあまりに低いので(家で歌うのとステージでは3〜4度体のほうが高い声を出そうとするのである)タイガース方式、メインボーカル(タイガースでのジュリー)の出ないところはサブボーカル(加橋かつみ)がトップノートをとってジュリーはハモる、というのを提案したところ本田雅人が“そんなことしなくても佐山さんの出ないところだけを僕が歌うよ”。これが実に高度でなおかつ笑える状態になることが発見されたのだった。マンハッタンインザレインじんせいの、、、、とか、まてんろうにひがともる、というふうに一文字交代もあり、あとからお客様から聞くのに、最初は何が起こっているのかわからず、だんだんわかってくると共に凄さと可笑し味が湧いてきて、2コーラス目には身構えて待つようになって、その箇所がくるとキャーキャーいえる。これはある種理想的な状態である。
8. 傘がない 本田雅人
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1. 瀬戸の花嫁 吉弘知鶴子
Between Usと同じイントロ、当分の間同じコードチェンジで進行する。この音楽的高度なギャグは通じにくかったようで、“若いと、誰もが心配するけれど”の合いの手で共演者が楽器の手を止めて“え〜〜〜っ?”というところになって初めて受けていた。
2. 東京物語 佐山雅弘
こちらはムード歌謡なのでオクターブ下のまま歌ったがやはり盛り上がらず、苦肉の策で増崎孝司を見つめながら切々と歌ったら気持ち悪がられた。いや、申し分ない。
3. 襟裳岬 本田雅人
なんだか森進一コンテストみたくなってきたが、一等賞はやはり本田君です。
4. The Lady Wants To Know 増崎孝司
5. Harbor Light バカボン鈴木
6. Do The Do しほ
7. Lovin’ You Was Like A Party しほ
このグルーブの中にずっといたい。一拍前も一拍後も考えに入らず、ただ、今、乗っかっているこのリズムの点の気持ちよさに恍惚とする。 滅多にない気持ちよさを久しぶりに体感した。
8. Come Together しほ
9. 好きさ、好きさ、好きさ バカボン鈴木
enc: Lala Means I Love You バカボン鈴木
6月8日(木) 月猫絵本音楽会リハーサル
募集した子供を入れての実見リハーサル。実にうまく行ったが、東京の、それもやる気のある子供(リハに応じて来てくれるほどの)だけあって、カンもいいし積極的なだけに、本番でそこまでの子供は期待できない不安もまた生じる所以。
6月9日(金)
12時成田発のJAL006でN.Y.に直行。直行便は初めて。こんなにラクなものか。今回はフライト時から三木君が付いていてくれるので、ポワワンと伝兵衛号に乗るようなお気落さ。そのせいかどうか空港待合室に免税で買ったタバコを置き忘れてきてしまった。彼の切符を利用してツーカートンゲットするというウラワザも被害金額を倍にしただけの効果。悔。

ブロードウエイど真ん中のクラウン・プラザ・ホテルの34階はハドソン川沿いに建築中の高層ビルまで見渡せてとても気持ちい。時差ぼけ調節と夜に備えて小眠りするはずが、本格的な睡眠をとってしまい体は日本時間のまま。馬場孝喜が出演すると言うダウンタウンを歩くが見つからず、うろついている間にスイート・ベイジル改めスイート・リズム発見。バスター・ウイリアムスを含むアルトクァルテットを聞く。

The Sherman Irby(alto sax) Quartet,
featuring Larry Willis(p), Buster Williams(b), and Willie Jones(ds),
Sweet Rhythm in NYC on June 9-10.

アルト(シャーマン・アービィ)の音が太く、フレージングのところどころに池田篤と相通ずるものを散見して愉。

やっとたどり着いたビストロではギタートリオが演奏しており、まさに馬場君がそこに入ろうとするところ。

(店)Greenwich Village Bistro (13 Carmine Street, New York 9:00pm-)
Hiroya Tsukamoto-guitar
Moto Fukushima-bass
Franco Pinna-drums
special guest: Takayoshi Baba-guitar

コンテンポラリーな曲と演奏を聞いてパット・メセニーというのは矢張り一(ひと)時代、一(ひと)ジャンル作ったのだなぁと勝手に感慨に耽っていると、全曲塚本ヒロヤ君(Gi)のオリジナルだというから驚いた。このこと、塚本君にとって微妙ではある。が、少なくとも才能豊かな頼もしい存在であることは間違いなかろう。アダム・ロジャース、ウエイン・クランツなどN.Y.で今をときめくギタリストと親交も深いというから楽しみだ。カンダ君、高免君などバークリー仲間がN.Y.でダマになって頑張っているのが微笑ましい。

NY PONTA BOXのレコーディング時に写真家の山谷シュウヘイ君に連れて行ったもらった55バーを通ると黒山の人だかり(40人ほど)。入れ替え待ちの人々。窓から店内を覗くに、素晴らしいテナートリオのサウンドと50人ほどの客席。これは並ぼう。

Chris Potter Trio Late Show
Chris Potter - Sax, Scott Colley - Bass, Jeff Ballard - Drums

小一時間ほども待たされて入場し、やがて始まったクリス・ポッターは一音の嘘・ケレンもなくストイックでありながら情熱的に歌い続ける。ドラムとの相性も最高で、このジェフ・バラードと言う人も、一個たりとも把握していない音符はない状態で次々に面白いリズム展開を見せる様子は、大坂昌彦を髣髴させた。今はこのクラスにならないとある程度以上の仕事は出来ないのか、と思ったら嬉しい半面ちょっとぞっとした。 

“多少カゲンイイ(いい加減)でもピーハツ(ハッピー)にスイングしてりゃぁ客も店も喜んでそこそこ食っていけるさ、あんまり上を目指さないことよ”というのは若い頃とても嫌いな諸先輩の態度だったが、それは自分はそうならないぞ、ということであって世の中としては、上は上、そうでない者共もそれなりに、というくらいの振幅があるほうが健全でもあり、却って才能を発掘するにつながると思う。

地下鉄でブロードウエイにもどり夜食にマクドナルド。二人ともチーズバーガーセット。One or two? と聞かれたので二つだと答えたのだが、なんとひとセットに付きハンバーガー二個ずつ。添え物のポテトも膨大な量で見ただけで満腹。持ち帰った。
6月10日(土)
馬場君一行(ナナちゃん、岸本君)とメトロポリタン美術館。初めて入った。
何度かそのチャンスはあったのだが、ルーブルと同じく総攬的に見ても丸一週間は必要だろうから、なにかピンポイントで見たいものが生じた時に、と思っていたものだ。今回は連れも多いこととて、物見遊山で出かけてみたら面白かった。全員で楽器博物コーナーを見てから解散。一時間後にオモテの名物ハンバーガー屋台(権利金が2000万円!)で待ち合わせ。
レンブラントを探したら5点ほどあり、どれも素晴らしい。勿論ガラスなどかかってないからダイレクトに何かがこちらに向かってきて解釈不明の感動状態のまま椅子に何十分座っていただろうか。人工レンズになった左目で間近に寄って見るのも新しい発見があった。美術的なものでなく(逆にそうなのかもしれないが)自分の受ける感動は色んな要素・種類が幾重にも重なっていることがよくわかるのである。1660年の自画像がこちらの所蔵だったというのも嬉しかった。想像上の遊びとしてだが、レンブラントの画集でそれぞれの所蔵元を調べて、その土地・美術館を巡りつつ世界を歩く、なんていうのはさぞ楽しいだろう。

昼寝を取ってバードランドへ。一日を12時間単位で過ごせば裏表の時差は問題なく、却って有意義に使えるのかも知れぬ。熟睡と集中。

GARY PEACOCK, PAUL MOTIAN, MARC COPLAND
Wednesday, June 7 through Saturday, June 10 - show times 9&11pm
Music Charge: $30

ゲイリー・ピーコックとポール・モチアンのコラボが素晴らしい。モチアンは天才だ。ハーモニー・ドラムの元祖だと言う認識を新たにした。マーク・コープランド(Pf)はリッチー・バイラークを髣髴させるハーモニーおタク。ソフトペダルを多用して倍音まで計算に入れてそりゃぁ凄いんだが、プレゼンスという点にはまったく意に介しておらず、純粋芸術家な感じ。辛うじて彼とは話せたので何かメソードやテキストなどないかと聞いたが、35年間の蓄積だというばかりで、コメントもつまらない。森下滋とばったり会う。これはかなりユニークな体験だ。ダウンタウンまで一緒に足を伸ばしてライブをやってるピザハウスでビールなど飲む。

Arturo's Pizzeria
106 W. Houston St (at Thompson St)
212-677-3820

そこで弾いていたピアノの女性
KAYA(Japanese female)というピアニストのトリオがガーランド風のスタンダードプレイ。ベーシストのマルコさんは近々来日するそうだ。18歳の天才ピアニストのJzBradでのライブ。
6月11日(日)
滋の何回かのパフォーマンスのうち僕が見ることの出来るのが今日の教会だというので“ゴスペルやないかいな!”と、朝の10時から出かけたらアングリカント、英国国教教会の実にきっちりとしたミサで辛かった。滋の相方、バイオリンの???君はチェロの青弦(という名前)と共に夏木まりさんの仕事で一緒だった当時芸大生。その後主席卒業したらしい。単純なメロディも感動的に弾くしアドリブも借り物ではなく堂々と繰り広げるし、大したものだった。

山谷周平君の新しいギャラリーを訪ねて9.11に関する写真を多く見せてもらう。普段は団結しないニューヨーカーの切羽詰った集会や議論の様子など、いい写真が多く感動した。ラム肉のサンドイッチと青マメのスープでランチをしてから飛鳥にチェックイン。

熱でぼんやりはしてるのだが船室にいてもじっとしているだけなので、93丁目のルース・ステーキハウスに井上さんと馬場君のギターデュオを見にいく。ギターデュオは独特の弦アンサンブルになって心地よい。ワンセット聞いて帰船。南佳孝氏をお迎えして食事。彼にとっても久しぶりのN.Y.なので、とまたお出かけ。ステーキハウスの最終ステージに乱入したあと皆でちかくのクレオパトラズ・ニードルへ。岡崎芳郎がずば抜けてうまい。彼のN.Y.滞在が丸一年を経たところ。とっくに頭角を現してもよさそうなものだが、、、、。
6月12日(月)
佳孝氏と楽器屋めぐりの後、イタリアンレストランBice(ビチェ)でステーキ。これはうまかった。アメリカでは必ず“レア”と言うことにしているのは、どのように注文してもよく焼かれてしまうのでレアを注文するくらいで丁度いい、という経験則なのだが、今回三木君のミディアムレアとの注文をそのまま聞き流していたら実にその通り、切り口の真ん中がぎりぎりナマを抜けた紅色で、分厚い肉のジューシーな同心円を心行くまで堪能した。そしてやはりこれも三木君のサジェスチョンでスープやパスタをオーダーしなかったのも正解。丁度(+α)におなかがいっぱい。幸せな状態でエスプレッソをいただいたところで限界が来て、彼の宿で休ませてもらってこんこんと眠った。
発熱による悪寒と咳がひどい。昨日あたりは快方に向かっていて“熱は冷めたがセキが抜けない”などと冗談をとばしていたものだが、、、。

18時乗船 <睡眠> 19時半夕食 <睡眠> 21時打ち合わせ <睡眠>
6月13日(火)
8時 辛うじて朝食ビュフェの果物とジュース。コンピューターとアレンジそれぞれの場所を確保設定するにとどまり <睡眠> 13時 今夜のショーのリハーサル <睡眠> 17時半に会場に入り20時までショーをこなす(二回)

ショー第一回目 佐山雅弘スタンダードナイト
My One And Only Love
I Remember Clifford
Someday My Prince Will Come
君の笑顔(w/南佳孝)
ダイナ(w/南佳孝)
Someone Watch Over Me(w/南佳孝)
The Gift(w/南佳孝)
Star Dust(w/南佳孝)
りんご追分
Nature Boy(w/南佳孝)

<睡眠> 21時40分 電話で起こされ遅いディナーをいただくがふらふら。ボブさんがアメリカの薬をくれる。“いっぱい寝ま〜す”といってたが、本当〜〜〜〜にいっぱい寝た。 <睡眠> 寝汗と咳で起きて、汗拭きと着替え <睡眠> 以後3時間ごとくらいにこれが繰り返されるばかり。シャツ5枚ほどを適宜15分乾燥機に入れに歩くのが大儀だがしょうがない。そしていつのまにか、、、
6月14日(水) 終日航海
13時に起こされて瀬木のリハーサル。 <睡眠> 夕食に誘われるが、とても老人の集まりに出て良い状態ではないのでそのまま <睡眠> お腹ってなぁ空かないものかね?なんて思っているうちに <睡眠> やはりアメリカの薬は日本人にきつすぎるんじゃないかなぁ。と、また乾燥機とベッドの往復をするうちに、、、
6月15日(木) 終日航海
8時半 やっと食欲らしきものを感じて、ピリピリ痛む体をなだめながらシャンプー髭剃り身だしなみ。朝食でおかゆひと椀、白飯ふた椀いただく。食欲が出れば大丈夫だろうと思うのだが、、、いまひとつ。 <睡眠> 13時に瀬木のリハーサル。 <睡眠> 15時半頃なんだか起き上がれるくらいになった。
 
ショー第二回目 瀬木デュオ
風の旋律
失われた文明
エル・チョクロ
トルコ・マーチ
アラウンド・ザ・ワールド(瀬木・3分曲の宿題)
無我夢中
ドライ・バレー

喉の痛みを残すのみとなった。明日の初メキシコ上陸に万全でありたいところ。それもあるが、今回の乗船目的は何といっても
(1)バーンスタインの仕上げ
(2)平野レミ14曲アレンジ
これが出遅れている。その他に
(3)憂鬱と官能 読破
(4)後期授業項目
(5)ピアノが弾ける人のためのジャズピアノ教本
(6)前期授業のまとめ>>>次年度要綱にするための
があるが、それは追々気が向いた30分を当てていけばよいだろう。

発熱中に山之口某のオルガニスト読了。素材・展開その他面白い読み物の要素を全て備えているのだが、語り口がちょいと僕には合わなかったかも知れぬ。菊地成孔の“憂鬱と官能を教えた学校”はその点すいすいと読み進む。
6月16日(金) メキシコ コズメル島に投錨
艀、といっても綺麗なフェリー状の船で桟橋に運ばれる。100人乗り位か。

瀬木はここで下船。南佳孝氏と二人で観光客をするも愉。先ずは帽子を買い求める。60ドルだというので20なら買うと言ったらすぐ売ってくれたのでまだまだ甘かったようだ。ストリートで火踊りのパフォーマンスを見た後、パブでバラフォンを聞いているとスコール。これも旅情のうち。散歩しているとTV中継のパブがあるのでメキシコ×アンゴラの試合(FIFA W杯)を見る。引き分けでアンゴラが随分嬉しそうだったからそれなりの状況だったのだろう。メキシコ人は明るくワイワイと応援する。タイガースファンみたいだった。
6月17日(土) 終日航海 カリブ
咳だけは抜けぬも体調自体は回復の兆し。早朝6時に起きたのでスパに行くと混んでいる!ので、グランドホールにてピアノリハビリ。ゴールドベルク変奏曲を譜面見ながらゆっくりと確かめ弾き。半分弱で一旦疲れるから情けない。8時前になったので風呂をのぞくとまばら。お客様方は朝早く、ご飯にせっかち、ということか。自分の食事はお客様方に影響の少ないよう、なるべくビュッフェで終了時間間際にとることにしているので、9時過ぎにジュースと果物の朝食を終えて部屋に戻るとメッセージあり。

6月12日に青木智仁が亡くなったという。同じ頃に岩城宏之さんも亡くなっている。なんともやりきれない。
6月18日(日) 終日航海 カリブ
8時よりワールドカップの実況放送を電波キャッチ出来そうだというのでシアターに大勢集まったようだ。僕は咳がますますひどくなってきたので部屋にいたが、一向に始まらないうちに船長のアナウンス。どうしても拾えませんで申し訳ない。引き続き努力するが現在後半戦に入ってゼロゼロ。

NHKのBS番組は見ることが出来るようになっているのだが、W杯に関しては放映権の関係で日本の映像は船では不可能で、近くの国の地上波放送をキャッチできれば法律上も支障なく船内テレビに流せるのだそうだ。

独占放映権などのお金で助かることもあるんだろうが報道という事との兼ね合いは微妙なんだろうな。昔巨人戦を日テレが独占するという時に、日本テレビ系の無い地方やラジオしか聴けない人はどうするんだろうと思ったもんだが、あれからは時代も進んでいるし状況は違うんだろう。巨人はそんなこんなしてるうちに独占も何もあったもんじゃないくらい落ち目になっちゃって気の毒なことだ。

豊嶋さんという郵船クルーズスタッフに海彦をご馳走になる。船の色んな話が聞けて楽しいし、聞き上手でもあって、咳でいつものように弾まない僕の代わりに南佳孝をもてなしてくれる。

佳孝さんがモンゴルへテレビの取材旅行で行った折、ゲルに招待された。歓待のしるしに羊を捌いた。首の下から胸の中心線を刀で一直線にスパリ。手を突っ込んで心臓をぶちり。羊はめぇめぇ鳴いているが構わずに胃・腸(草ばかり食べているので真緑)など次々と取り出して傍らのバケツに入れる。不思議なことに血は飛ばない。イヌが喜んでむしゃむしゃ食べる。内臓を取り出し終わったら大鍋に入れてまるごとぐつぐつ煮る。岩塩のかたまりを入れるのが唯一の味付け。ゆであがったところを皆でいただく。一行14人のうち3人が食べたが漏れなく翌日激しい下痢をした。
一番のご馳走は“目”で、客人の中の一番偉い人に供される。こいつだ、いやあいつだ、と譲り合うので地元の人が最後に食べるのを見ると、煮上がった羊の顔を持ち上げて人差し指でぐりりと目玉を取り出してそのまま口に頬張り、さもうまそうにくちゅりと食べて目玉の芯をぷりりと吐き出した。

豊嶋君のお陰で面白い話が聞けた。一寸怖い。村上春樹のノモンハンの話を髣髴させる。
6月19日(月) パナマ運河通峡
まず Gatun という場所を通る。飛鳥が入ると両脇2m弱(小井なら“俺と同じクライや”という所)しか余らない通路に入って前後の扉を閉めて水中のバルブで一つ前のエリアと水位を同じくする。15分程でみるみる5mほどで同水位になり、当然船も持ち上がったところで次のエリアに入る。3箇所この作業をすると湖に入る。モーターなどで水をどうこうするのでなく、単にバルブの開閉で操作するところがすごい。水は同水位になる、という当たり前のことがとても偉大に思える。

ショー第三回目 佐山雅弘ラテンナイト
O Grande Amor
Caravan
上を向いて歩こう(南佳孝ソロ)
スコッチ・アンド・レイン(デュオ)
プールサイド(デュオ)
ミッドナイト・ラブコール(デュオ)
モンロー・ウォーク(デュオ)
Love Goes Marching On
Corcovado(デュオ)

瀬木とのデュオ、南佳孝さんとのデュオがVTRで流れたのでチェック。なかなかよいが、気付いたことが一つ。伴奏が際立ちすぎている上に、この伴奏があるから前の二人が成り立っているんだということがオモテに現れてしまっている。一言で言えば伴奏に謙虚さが無い。フロントを光らせて自らも輝く、という回路、これはPONTA氏から学び、ずっと実践してきて自信のあるところでもあったが、吉田美奈子との確執以来歌から遠ざかってきたことには、潜在的ながらも共演はよいが伴奏はいや、という気持ちが強くなっていたんだろう。

正しい回路としては“謙虚な伴奏=適度なアピールやオリジナリティも含む>共演の状態に高まる”ということである。“芸”というものを丁寧に作っていると“芸術”に高まる瞬間が訪れるように。

肯定的に考えれば、、、
自身からの表現欲求が高度と強度を増してきたので、丁寧な伴奏形態に気持ちが治まりきらなくなっている、ということだから基本的に伴奏物はなくす方向かも知れぬ。

否定的に断ずれば、、、
一旦自分が折れて、そこからその場にそぐって良きモノを作り出そうという忍耐力や謙虚さが薄れてきている。ということは自分では気付かない発見から遠ざかるし、相手の話を自分の聞きたいようにしか聞かない人間の回路に入っているということだから要注意である。が、この場合も伴奏仕事は相手に迷惑を変えるので控えた方が良しといたうえで修行の要有之。
6月20日(火) 終日航海
8:40記す
豪雨の大海原を船進む。大浴場にて寛ぐ。亦愉。咳未止。気功の山崎先生と会い、アドバイスを受ける。食べた方が栄養の為と思いがちだが、内蔵を休ませる為には2日ほど節食するほうが良。部屋の乾燥対策が大事。水を大量に。などなど。ダイニングの豪華朝食を諦めてビュフェにて食す。バナナ・メロン・ヨーグルト・クラムチャウダースープ・ミルク。テーブルは真っ白。赤きもの。トマトジュース・スイカ。確かに体の中が楽な気はする。
6月21日(水) 終日航海
エクアドル沿岸を過ぎ、グァテマラの領海を抜ける。海亀やイルカと遭遇したらしいが間に合わず。ようやく咳が収まりかけてきて、レミさんアレンジや吉田慶子さんの弦など書き進む。折に触れマリナーズクラブ(非営業時間はピアノなど弾くのに使っていいことになってる)を覗くが、ずっと南佳孝さんがピアノの練習をしている。熱心なことだ。時間の使い方がお上手でないのかも知れない。お客様方対応のちょっとしたストレスもありそうだし。

ボス・ウン・クントス。メキシコの5人組のア・カペラ鑑賞。ルネッサンスごろのメキシコ、イギリス、ドイツなどの歌を歌ってくれる。純正調のような、音程が決まらないような、微妙なところがいい。

菊地成孔の“憂鬱と官能を教えた学校”を読み進めていて、素晴らしくすっきりとバークリー理論を説明しているのだが、自分が発見ないし学習して、音楽のみならず人類の成り立ちにまでも思いをはせた構築性の高い音楽理論(それが故に、シャンソンやロック、各種のエスニックなどを理論体系の整わない前近代的なものとして見下す傾向もあり)が、ある一つの通念、それも商業音楽を合理的に理解発展させるものとしての理論体系の中のことであったことに地軸の揺らぎのようなショックが隠せないでいるが、今日のような芸能や紹介者でメキシコ在住の日本人バイオリニスト、黒沼ユリ子さんを色眼鏡なく見聞きできるのは収穫とも言える。
6月22日(木)
朝練ではゆっくり丁寧にバーンスタイン一通り。いざと言う早弾きは合わせリハーサルや本場あるいはM’sとともにやればついてくるだろうから、今日以後の個人練習はこのペースで。バッハも可然。

コントラクトブリッジ教室を覗く。相当面白いものである。クリスティに良く出てくるので興味はあったが、実にヨーロッパ的なゲームであることだ。アメフトやバスケットと同じで、訳がわからないながらも1時間も観戦しているとルールめいたものにおぼろげながら思いが至り、しかる後に丁寧な解説書を読むと試合場面なども思い起こしつつ身に入る。が、初手のコントラクト(契約)の具合が相当難しい。というよりここに集約している気がする。午後の中級コースも見学すべし。
6月23日(金) アカプルコ寄港
南佳孝下船。24度数残のインターネットカードをもらったが、さて。

シャトルバスで街の中心部に行ったがさほど面白くもなく、海岸をぶらついたくらいですぐ戻った。連れのいないせいでもあるだろう。

船着場から海岸沿いに歩いて小さなマーケット発見。こちらの方が人々など興味深かった。帰り道に波打ち際を歩いているうちに我慢できずに海に入ったら気持ちよかった。何年ぶりかの海水浴。吉良で泳いで以来。

離岸する際のフェアウエルパーティで、つのだ☆ひろ と会う。旧交を叙してすぐにラッキー川崎氏(ジョニー吉長の“イエロー”時代のキーボード)の訃報を聞く。乗船後3人目。ちと不吉?
6月24日(土) 終日航海
朝食で つのだ☆ひろ 氏に会い、先日のパール楽器60周年コンサートでのP氏の模様を聞く。近頃聞く話に軌を一にす。願君敢勿汚晩節。

昼食時に随行カメラマンの川田氏と遭遇。午後のお茶をしながら世界一周の醍醐味など伺う。彼は10年前に一度随行していて、今回は記録DVD(6枚組!)の撮影の為の乗船。ポルトガルに寄った折、10年前にも行った港の裏手の公園に行った。そこはとなりにホスピスが建つ港の見える高台で、見晴らしのいいところに老人がずっと座って海を見ている。その人は10年前に見かけたのと同じ人だった。

3ヶ月の世界旅行と言うのは、一つの異文化に対する感想が形をとる前に次の異文化に遭遇するので、ハードだが残るものは大きいという。南米全体を覆うカトリックに関して僕の常々の疑問“皆殺しにされて略奪されつくして国を奪われていいように使われる人々が何故唯々諾々とその侵略者の宗教を崇めるのか”については結論は出なかった。当たり前か、、、。

今夕の会食、甚だ愉快なりける。昼食の折にお声掛けいただき此席をオーガナイズしてくだすったH氏は遂にその生業明らかにせずと雖、その若かりし日に音楽を志したの由も無辺なるかなと肯んず。鉄鋼関係の重職たるT氏はジェリー・マリガンを嚆矢とするウエストコーストジャズのフリークでありしかど、お話の端々にその若き日ののめり込みよう垣間見えて微笑まし。伶夫人は英語の同時通訳を以て職種となさる由、いかにも瞳の輝きに知性宿りたる様こそ麗し。我が積年の疑問なる文法の前後に拘わらぬ同時通訳の裏話など聞けて幸いなり。煎じるところクラッシック譜面の8小節先を読みながら現時点を弾き続けるが如し、とは我が解釈の所似。

見渡す限りの海原を眺めつつヘッドフォンで聴くバッハの深遠なるが如きT氏のご意見に、ケンウッドのオーナーたるK氏応うるに、ヘッドフォンはゼンハイザーに留めを成すと。ヘッドフォン如きに5万も6万もするとは如何せんとの我が嘆息に“、、、どころではありませぬ”との短いコメントにこそ出費厭わぬオーディオファンの真髄をこそ見ゆ。  

両氏の煮詰まるところ、バッハにこそ、音と人生極まりぬ、との見解ぞ面白き。ひとしきりバッハ感を述べるこそ愉しけれども、T氏の愛用なるボウズ製ノイズキャンセリングヘッドフォンには独特の音場クセの耳につきしを近年我嫌い、タンノイスピーカーより出る柔らかき空気通過音にこそこの上ない安らぎを感じる旨述べしところ、思わぬ方角、即ちK令夫人より彼女の最も好みたる音環境こそ件のタンノイの大型スピーカーよりの音であり、そこより出ずるに限りては最早ジャンル・演者・録音の善悪・好みを超えて全く彼女の喜びて受け入れるところならんと。此れも一種の悟りとは言わんか。

絵画、詩歌など芸能芸術に話題は広がりとどまるところを知らずこそ、パーティ・会食の醍醐味をこそ味わいけるは人生の一コマ欣喜この上なし。

ドナルド・キーン著なる“明治天皇”窮めて面白し。高所から見る戊辰・明治の様子甚だ興味深くも、天皇という日本民族の象徴性と必要性に、いまさらの思い至るところ有之。而してこの客観的なる叙述が日本人以上に日本的心性を持ったよき時代のアメリカ人による著作、それも日本語でも著述成しうる人の英語著作の翻訳なりし所にある種の蓋然性を見るは穿ちであるかどうか。
6月25日(日) 終日航海
イルカの大群を何度も見るも撮影能わず。フレームを覗くよりも広き海原に遊泳するを観ぜんとすれば、その肌つや見事というほかなし。

ソロコンサート アラカルト
チキン >>>小島っぽく挑戦したがさすがにああはならぬ。
ラウンド・ミッドナイト
Tears Of Nature
Sand Witch
(by request)
1回目:夕日に赤い帆・テイクファイブ
2回目:トゥ・ラブ・アゲイン
ラプソディ・イン・ブルー
Hymn To Freedom
6月26日(月) 終日航海
寝坊とぼんやりで今日は初めてピアノ練習できず。が、翻って鑑みるに、風邪だったときも含んで乗船中毎日2時間以上の練習をしてたのだからえらいものである。本番に活かされる事を今はただ願うばかり。

10時にコンサートホールでも空いていないか、と覗いたら何のことはナイ、僕も参加する明日の臨時セッションのリハーサル時間だった(<忘れていた)。結局ポーランドバンドとつのだ☆ひろ、佐山雅弘、それにひろさんのバックコーラスで乗り合わせているナオちゃんという歌手のコラボで、7人編成の譜面を2曲急遽作らざるを得なくなる。昼ご飯前に歌モノ(ドンミナシング)を書き上げてナオちゃんに写譜を願い、午後一番でインスト(キャラバン)もの。こちらはいきなりパート譜を書き下ろす。

このちょっとしたストレス(イヤだという意味ではない)の効用はあるもので、ここ2〜3日ダレ気味だったレミさんアレンジやガーシュイン予習(自主写譜)へのモチベーションが“義務的なことをさっさと済ませて自分の為に時間を使いたい”という風に湧き出てくるから不思議である。おかげで今日は脳みそフル回転。
 
夕食は正餐。勿論正装。つのだ☆ひろ チームとご一緒する。男性コーラスのとしや君は20年前のパールドラム教室で会っていたそうだ。女性コーラスの高橋ナオコさんはディズニーランドでのショーのメイン歌手だったこともあったが、現在はジャズボーカリスト。もう一人の文子(あやこ)さんは若干23歳。DVD撮影チームの川田カメラマンと笹井ディレクターもお誘い。笹井さん無口で気になるが時々こそりと笑っているので大丈夫。

川田君とは降りる前に一度飲もうと約していて、今日がラストチャンスなので僕が移したであろう咳込みにもめげず付き合ってくれた。たまたま見かけた絵描きの出射(イデイ)さんも誘い、コーラスの3人と合わせて6人で愉快に飲む。絵画論から音楽、特に歌というものについてまで楽しく話し込み、下ネタに入りそうになったところでお開き。
6月27日(火)
○ デッキで煙草に火をつけた
ぼくはのんびりしているのだろうか
と思ったので
のんびりしてみることに

風防硝子を区切る桟
右桟にかかる雲が左端に
行くまでじっとしていようと
眺めていたら

視界が白くなって
また再び青色が滲み出る

あれ、目がどうかしたか
その時 霧笛
そうか 霧だ
何秒かごとに白くなったり青くなったり

そのうち雲は
動かなくなった
上空青くても水平線は
その境 定かならず

バラエティ・ジャズナイト
つのだ☆ひろ
高橋ナオコ
アスカ・オーケストラ
Autumn Leaves (オーケストラ+佐山)
セント・トーマス (トリオ)
キャラバン (全員)
スイングしなけりゃ意味ないよ (全員+高橋)
バイバイ・ブラックバード (ひろVocal)
オール・オブ・ミー (ヒロ+ナオコ 佐山 アスカ・べーシスト)
6月28日(水)〜29日(木)
目が覚めるとゴールデンブリッジの間近。あわててベレンダに出て見学。
入り納めのスパ。食べ納めの和朝食のちハイヤーで空港に送ってくれた運転手さんはこちらに在住の日本人で、いろいろ解説を聞きながら30分程で到着。JAL直行便での往き帰りはまったく国内旅行の様相でラクなもんであるな。待合室でガーシュインの写譜(11月のアイガットリズム変奏曲)飛行機の中ではエルキュール・ポワロに親しみ、なんなく成田に着いた。

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2006年