News >「仕事日記」レミちゃんレコーディング顛末記


オーケストラ録音前
元気なうちにもう一枚アルバムを作ろうと思う、と相談を受け、大賛成したが、自主アルバムなので、かけることの出来る予算に相当の制限がある、と覚悟しながらも楽しみにしていた。

やがて候補曲が出揃い、どの程度の編成でいこうか、という話になった。
フルオーケストラ、コンボ編成、ピアノ一本、の松竹梅を提示、それぞれの予想予算を睨みながらプロデューサーの仙波さんを始めとする主要スタッフが和田誠事務所で打ち合わせ。曲の案をぼくが持ち帰って、音楽的な面からのみ作り上げたい編成を考える、ということでその日は解散。数日後に14曲分の編成表を作って持っていった。
どうせこんな豪華なオーケストラ案は通らないだろうけれどやりたい事を全部書き出しておいて会議で減らしていこう、と思っていたら、2曲ほどをピアノソロにして、ストリングスの数を20人から14人に減らせばなんとかなる、という。ほぼ理想的な編成案で進行できるのだ、腕の振るい甲斐があるというものである。
1. ラ・セーヌ〜パリの空の下(セーヌは流れる)
その気になればシャンソンの名曲は山ほどある。今回は和田誠が全部訳詩するということがウラテーマでもあるので、最初の選曲が大事。20曲ほどの候補曲から決め込んでいる作業中(和田邸というか平野邸というか)に、ラ・セーヌのキー決めをしてお茶になった。その時に僕が何気なく“パリの空の下”を弾いたのを聞いて和田さんがメドレーを思いついたのだそうだ。僕はおぼえていなかったのだけれど。別の日の話だが、やはりある曲を練習した後の休憩時間に岸洋子さんを思い出して“群集”を弾いた。思わず入り込んだものだが気がつくとレミさんがじっと聞き入っていれ、誉めてくれた。心に浮かぶ歌を誰のためでもなく弾くのは楽しい。

さて、この曲では冒頭“パリの空”のメロディを桑山君が一節奏でたところで“ラ・セーヌ”の歌が始まる、という凝り方をしたら、レミさんがどうしても“パリ〜”のほうを歌ってしまう。素直な人なんである。アコーディオンのコンボかと思っていると間奏の途中、やや強引な転調(Am>EbMaj)をしたところから大編成の弦楽合奏が入る。弦楽は二種類。大編成は5・3・3・2・1(第一・第二・ビオラ・チェロ・コントラバス)小編成は弦カル。ほかにコンボでバイオリン1本やバイオリンとチェロが一人ずつというのもある。

10年以上前にやはりレミさんのアルバムを、弦カルから大編成まで使って作り、それなりに満足もしているが、アレンジ面での成長を実感できたのは嬉しかった。

レミさんはこの有名曲を知ってはいたが歌ったことはないのに、しかも書き下ろしの和田さんの詞にも拘らず、あまりにもスンナリと歌い上げるのだ。シャンソン歌手というのは大したものだ。
2. 私の心はバイオリン
シャンソンの中でも超有名だし、バイオリンをフィーチュアした名アレンジも多くあるので、編曲上気合の入った曲。歌詞的には原曲もバイオリンだが、ビオロンというのは歴史的にはビオラのことなので、そこを使ってビオラ大活躍にしようかとも考えたのだが、録音当日、里見紀子クァルテットに成谷君が欠けるというので諦めて里見のバイオリンにアドリブパートも入れて活躍してもらうことにする。

自宅リハーサルでキー探しをするのだが、日替わりで音域が上下する。生娘の日とおばさまの声がかわるがわるやってくる。おまけに本番のつもりで声を張り上げることがなかなか出来ない状況で音域を探すので予測が難しい。写譜の段階で上下4つのキーで譜面を作ってもらったら、本番の日はさすがに乙女の声になり、高いほうから二番目のキーで録音できてよかった。が、弦の人たちには奏法上厳しい調性とは相成った。蒲谷君が期待通り良い演奏だった。
3. 枯葉
ピアノ1本での伴奏。
今回のレコーディングでやりたかったのは美空ひばりとかフランクシナトラスタイルの、歌も含めた同時録音。“一斉にやるんですか”と驚くエンジニアやプロデューサーを説得してその形で望んだのだが、やはり殆どの曲は歌を入れ直すことになる。それはしょうがないが、音楽の六要素のうちの対位法の同時性が失われるのでぼくとしては忸怩。せめてピアノ1本の曲は何度弾いてもいいから歌のOKテイクが取れるまで、と申し出てそのようにした。5テイクほどとってOKを出した。のだが、何日かしてまた呼び出されてリテイク。その間、誰も思いつかないだろう凄い手法を使ったりもしたのだがそれは二年間封印の約束。それよりも個人的に腹をくくっていたことがある。

何回録っても全部違うプレイでそれぞれが最高の演奏。これは昔、友人のベーシスト桜井郁夫から聞いた辛島文夫さんのレコーディングでの話。ゲストプレイヤーの峰厚介さんが見事なソロをとる。その後のピアノソロの場面。ソロ中に辛島さんが“あ、今のダメ、もう一回”とリテイクを繰り返しなんと××回も録音した(回数は名誉の為秘密)という。辛島さんの真面目さも感ずるところ大(いろんな意味で)ではあるが、桜井が、そして話を聞いて僕が感動したのは、峰さんが、いやな顔一つせず、自分のソロはよかったのに惜しげな言葉の一つも吐かず、次のテイクもやはりあり得ないほどの良いソロを展開するのだった。次から次へ。
4. リヨン駅
これは何度も歌っていて得意ナンバー。僕と和田さんで独自のバースもつけてあり、楽しみなレパートリィだったのだが、このたび本歌も和田さんが訳詩を書き下ろしたので、覚えにくい、歌いにくいとのクレームがしばらく出ていた。
和田誠にダメだしをするとはいい度胸だ、といいたいところだが、妻だけに何もいえない。和田さんも怒る人じゃないしね。レミさんは幼児性の多い面もあるようにみえて、実はそれを使って自分を高め、最終的にはとてもいい歌を歌う。ちょっとした天才型閃きのある人なのだ。

コンボ編成で臨んだ。里見紀子のバイオリンと桑山哲也のアコーディオンの絡みが最高にスリリング。アレンジは20年ほども前に僕が施したものを使ったが、ちゃんと佐山色が出ていて興味深かった。
5. 小雨降る径
なんといっても編曲が一番うまくいったのはこの曲だろう。もともとタンゴリズムで、そのタイプのアレンジも僕はレミさんに提供しているのだが、今アルバムではジャズテイストにしようということになり、随分考えたが、音が浮かばず、候補曲数に余裕のあることでもあり、この曲は外してもらう方向でお願いしていたのだが、飛鳥でのんびりしている間に突然浮かんだ。こういう苦しみの後の直感というのはいいものが出来ることが多い。

雨をストリングスのピチカートで表すなんていうのは使い古された手法ではあるが、それだけに効果的ないい場面が出来た。間奏とオブリガートにTOKUを要望したのだが事務所やレコード会社の関係で参加してもらえず、片岡雄三君に急遽頼んだら、これが見事に当たった。
フリューゲルの中低音域を全部使ったフレーズ、ということはトロンボーンには最高音を上回るところから始まるパッセージを片岡君は楽々と吹いて、一オクターブ分低い音も足してくれる。二番の歌詞に絡むオブリガートも見事だったのだが、別テイクをくれ、と注文をつけた。この歌は、きっと帰ると約束して出て行った男をいつまでも待つ女のうたで、その男は当然変える意思などなく、騙している。歌っているのはレミさんなので、トロンボーンは騙している男の方の気持ちや様子でアドリブをしてくれ、と。
結果。結構ピカレスクにはなったが、やはり根っこは善人というのがばれちゃってるね、といってスタジオ内大受け。とはいえ素晴らしい音色とフレーズである。
6. 谷間に三つの鐘が鳴る
これもレミさんが歌いなれているはずの曲だが、出だしのトニック3度の音がしばらく決まらず、興味深いことだった。人それぞれの音程感と科学的ピッチ、本人といえども歌っている時とプレイバックの時の評価の違い、昔の人はどうだった、などなど。一つの現象でエッセイ的なことがいくつも頭に浮かび、舌先で酒を転がすように胸のうちで楽しむことが出来る。

一度ステージにかけた時にテナーサックスとエレクトーンを4リズムに乗っけていたので、今回はレコーディングだが敢えてエレクトーン、但し柏木玲子ちゃんが捕まれば、という発注。桑野聖君の品のいいバイオリンもよくハマっている。要所要所に出てくる鐘の音は、録音時にエレクトーンで弾いてもらい、ダビングで本物(といってもチューブラーベル)を僕が叩いて差し替えようとしたのだが、エレクトーンの音のほうがはるかにリアルだったので差し戻し。これも面白い現象だった。

1番、2番、3番と誕生・結婚・死を歌っていく物語歌。同時録音しているときの3番のサビで涙腺に来た。歌の入れ直しをしたあとは二度と来なかった。同時性の中で生まれたものは、その同時性を残さないと消えて行く。これは音楽の要素で言えば対位法にあたるのではないだろうか。
7. 私一人
松田昌ピアニキストとしてのデビューアルバムを作り、伝兵衛に頼んでツアーした。そのうちの一箇所が新宿の白龍館だったので和田誠夫妻をご招待したら、麹谷夫妻もいらして打ち上げに京王プラザのバーでシャンパンとワインをご一緒。面白い話と後日談もあるのだがそれはまた別の話。10曲以上も披露した中でレミさんが忘れられない曲があった。それがこの曲。原題は“孤独”。このタイトルも僕が昌さんに進言したのだ。彼はご存じなかったのだが、先鋭的シャンソン歌手・バルバラのムードに似ていたから。レミさんの直感力や歌唱力にどきりとするのはこういうときである。
音域も広いしメロディも半音進行がやたらある歌いにくい曲なのだが、是非歌いたいからなんとかして、と仰る。具体的には昌さんの了承を得たのちに和田誠さんが歌詞をつけて、僕がキーを探ってアレンジすることになる。そしてそうなったのだが、原曲に息継ぎをする場所がないので和田さんと僕でメロディを減らした。同音の反復をタイでつないだのだが、レミさんはなんとその作業の期間に原曲を歌詞なしのまま覚えてしまったのだ。息継ぎのところはどうするか。これが実にシャンソン的な歌いまわしで何とかなってしまうのである。時々天才。和田さん慌てて歌詞修正。

レコーディング当日までキー決定せず松田昌さん緊張の面持ちで登場。結局Amに落ち着いて昌さん絶妙のプレイが聞けた。ベースの佐藤慎一君が素晴らしくよかった。フィーチュアリングはないのだが、音色といいタイミングといい、恐ろしいほどの理解力の高さを感じた。メンバーのやりくりの結果なのが失礼な話だが、是非何かとご一緒したい人材である。
8. カフェ・モーツァルト・ワルツ
デュークエイセスがシャンソンを何曲かレパートリィにする時に和田さんが歌詞をつけて僕がアレンジした。今回は和田さんのアイデアでツィター一本での伴奏。事典でしか見たことのない楽器なのでプレイヤーに事前電話インタビューして様子を聞いて譜面を作った。
40cm×30cmくらいの弦がいっぱい張ってある可愛い楽器。その場での調律は時間が掛かるので前もってキーを、と言われたので慎重に調べて伝えてあったのだが、当日レミさんが高くしたいというのでスタッフ一同どのようにお願いすればいいか頭を悩ますことしきり。初対面だし特殊な楽器だし、と相談しているうちにレミさんつかつかと録音ブースの先生の方へ行って“一つ高いキーでやってもらえます?”と明るくおねだり。あっさりと受けてもらえた。20分ほどかかるチューニングの間、楽器についてのインタビュー攻め。和田さんが珍しく写真を撮っていた。文春の表紙になるのだろう。
9. 誰でも誰かが
寺山修二の演劇に和田誠が作った挿入歌。一部歌詞(3番)を歌ものっぽく(オトナっぽく)変えての新録音。イントロや間奏のメロディと展開が素晴らしいので、そのまま発展させていただいた。作業の前に当時のアレンジャーに和田さんを通じて諒解を得てもらったのは勿論和田さんを通じてのこと。このあたりの礼儀というか、オサエが大事。進行優先で事後承諾、あるいは事後承諾もおろそかにしている内に事後発覚になってしまって、取り返しのつかない事態、少なくとも信用失墜くらいのことは頻繁にあるので要注意。

最後のリフレイン部分が実に印象的で“だれで〜も、だれか〜が、すぅきぃ〜〜”とずっと頭の中で繰り返しなってしまうのだが、このレコーディングでの唯一のゲスト参加がこの部分。石川セリ、阿川佐和子、清水ミチコ。歌手・作家・お笑い、の組み合わせ。音域とキャラに合わせてメロディ・ソプラノ・アルト、を振り分けたのは大当たりだった。
中でも、一番しっかりしていたのはみっちゃん。さわちゃんはソプラノではりきってカワイイ、カワイイとスタジオで大評判ではあったが、みっちゃんのソルフェージュの速さ、メインボーカルとの合わせ方などのプロっぽさが光った。セリさんは本格的に歌手なのだが、何年か前の何とか言う病気で声帯が思うように働かず、存在感としてのことになっているので、技術上のことで同列には論ずる能ワズ。だんだん人数が増えて最後にはダブリングも使って広がりの出る感じ。これは音と位相は勿論、なんだか居合わせる空間までが魚眼レンズのようにワイドワイプするような錯覚に陥るのが気持ちよい。
10. はるかな日々
和田誠作詞、佐山雅弘作曲コンビの割と初期の作品。岸洋子さんのレパートリィに“黒い鷲”というバルバラの名曲があり、冗談で“黒鰯”などといっていた。転調の綺麗なドラマティックな曲で、これに対抗して“赤鰯”を作ろう、などと言い合って、転調の聞いた曲を作ってスケールの大きい歌詞を乗せた。世界旅行などしてさんざん人生を謳歌した女性が終生の愛を見つけて旅が終わるという、まことにもって都合がいいというか、有り得可からざる幸せ、だからこそ歌になるというか、、、少なくとも壮大な歌ではある。

年末に控えた金管五重奏との共演(@ミューザ w/M’s)は村田陽一に編曲を頼んだのだが、ここは一丁自分で初の金管五重奏アレンジをしてみたい。弦は20人ほど入れて(結果的には14人)木管も足して、と、作曲者自ら編曲するのだから思ったようにしたくなってレミさんに我儘を聞いてもらったのだった。
実を言うと、この曲をこの編成にする、というところから、他の楽曲の編成も派生してきたのである。結果は実にうまくいった。レコーディングというのは現場修正が効くので有難い。エンジニアの小貝さんはクラッシックがまぁ専門なのだが、金管五重奏と言う、一般的でありながら特殊(あまり実演の機会がない)なものは初めてだそうで、いいもんだ、良く書けている、としきりに感心してくれた。あれほどの耳のある人が言ってくれるのだからまぁ合格点だと思っておこう。アレンジャー冥利に尽きる一作となった。
11. 詩人の魂
これも何年か前に和田さんが訳詩して僕がアレンジしたもの。このアルバムの和田誠詞はほぼ全部韻を踏んでいるのだが、特にこの歌は僕の好み。脚韻を踏むことで音楽にどんどんリズミックな推進力がつくのである。

ジャンルというのはえらいものである、という話。この“詩人〜”にしても冒頭の“ラ・セーヌ〜”にしても、レミさんにとっては初挑戦なんだそうだ。つまり今までレパートリィではなかった。ところがいずれもシャンソンの名曲・スタンダードであってみれば、何種類もの歌唱も聞いているんだろうし、歌う感じに何か感でも働くのだろう、まるで何年も歌ってきたかのようなスムースさがあるのだ。初挑戦で苦労したのは“誰でも誰か”や“ひまわり”など、シャンソン以外の曲。新曲という意味では同じはずなのだが、、、ジャンルというのはえらいものである、という話。
松田昌作曲の“私一人”(原題は“孤独”)に至ってはインストルメンタル・オリジナル、それも凄く複雑なメロディなのに、シャンソンっぽい、というだけで、すんなり覚えて、歌うことができる。むむむ。不思議である。ジャズに置き換えて考えてみればわかる気もするが、分析・解説に至るには道のりが遠そうである。
12. ひまわり
和田さんがその昔、雪村いずみさんのコンサートのために訳しおろしたナンバーを今回レミさんに勧めたら、そして参考に雪村さんの歌ったものを聞かせたら、絶対に無理だからと言って頑強に断った。僕も加勢して説得した。ストリングスを使って映画のラストシーンがまざまざと蘇るようなアレンジが既に頭の中でなっていたのだ。
ぎりぎりまで粘っていたレミさんだったが、どうしてどうして、すこぶるいい出来になった。一体にレミさんは、雪村さんや森山さんに対するコンプレックスを露にして、どうせあんなに上手には歌えないもん、と拗ねて見せることが多いのだが、そこは歌手。我々が想像もつかない心の奥底に鉄の塊のような自我が潜んでいるに違いないのだ。

それにしても最後の4分の一弱にだけ豪華にストリングス(14人)を配したのはうまくいった。そこに至る道下和彦のギターがなんともいえず素晴らしい。
13. 一本指のシンフォニー
南安雄先生が岸洋子さんに紹介したフランスの名曲を和田誠さんが訳詩した作品。僕のアレンジ歴は和田さんが構成演出をした岸さんの音楽監督あたりから始まっているので、思い出深い一曲である。この度はピアノのみでの伴奏。ショパンやガーシュインをもじって歌をつないでいくのは和田さんのアイデア。小貝さんのエンジニアリングと執行(シギョウ)さんの調律が相俟って実に美しいピアノの音である。
14. 私のキッチン
“シャンソン・ド・レミ”というのを作ったことがある。一作前の平野レミアルバムに入れたのはもう10年ほど前のこと。レミさん宅(=和田宅)でミュージシャンが何人か集まってパーティをしている時に、音名と一般名詞の同じものを使って作詞作曲するというゲームをした。ソファとかファンファーレとか。そのつなぎの歌詞も脚韻を踏む、という高度なことを和田さんがやってのけ、僕が曲を付けた。
それがずっと好評なので、今回のレコーディングでもお料理の歌を作ろう、ということになって飛鳥に乗る前に手渡されたのは、歌詞というよりレシピ。NYからアカプルコへ向かう船室で書き上げたのは、なんだかコール・ポーターっぽくて一人で悦に入っている。サックスの名手、ボブ・ザングさんにクラリネットをお願いして、タバスコの辛い様子や、お餅の粘つく様子を音であて振りしてもらった。春から冬まで順番に四季を追っていくつなぎにそれぞれの季節の唱歌のメロディの断片を重ねて入れてあるところが編曲上のミソ。“春は名のみの、、、”のメロディのすぐあとからかぶさって“我は海の子”が聞こえる、という風に。

ワンコーラスが“バース”“Aメロ”“Bメロ”の3パートで構成されていて、バースで季節の料理紹介、Aがレシピ、Bがメッセージになっている。4番(冬)のBだけが違うメロディ。こちらの方が先に出来たメロディなのだが、納めの部分だけに使った。“食べる人を思ってお料理しましょう。愛は最高の調味料。”という歌詞が最高なのだが、録音中に作詞家より提案あり。“調味料”の歌詞に入る前に3拍余計に入れたい、と。3拍子の1小節分とは思いつかないが、やってみると確かに気持ちよい。4コーラス続いて最後に取って置きのメロディを初めて出すのにふさわしいエンディングになった。
オーケストラ録音後
なるべく同時録音でのボーカルを使ってほしかったのだがそうもいかず、部分部分差し替えながら歌いれが続く。和田さんが歌詞及びその聞こえ方、仙波さんがトータルなニュアンスや歌としての出来、僕が音程やバンドとの関係など純音楽面。合議制ですすんでいくのだが、レミさんは毎日おうちに帰るたびに、じっくり聞き込み、おまけにお歌の先生も家に呼んでアドバイスをいただいてくるものだから、何だか毎日新しい課題が出てきて、いっそ全部取り直さなければならないかとも危ぶまれた。

なんとか作業が済んで、いよいよトラックダウンの行程に入ってからも、ちょっとした歌の部分を微調整するのに随分時間をかけた。東神奈川のビクター工場でのマスタリングの日もレミさんが何か言い出すんじゃないかとスタッフ一同ヒヤヒヤしていたが、無事終了。駅前の中華料理屋さんが思いのほか美味しく(レミさんがおいしい、おいしい、というのだから本当に美味しいのだ)、マルひと月のレミちゃん月間がスタッフ一同の笑顔で終りを告げた。

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2006年