News >「仕事日記」2006年4月


4月1日(土)
昨日和田誠さんに9月のクロニクル・コンサートのチラシをお願いした折に訊ねられたことで、コンセプトを確立できていなかったことに気付いた。潜在的には色々辿れるのだが、ここまでの流れを振り返りつつ意味を探ってみよう。

新アルバムがベスト盤、それも新録音なしによる年度末発売ということで、CD発売に伴うコンサートに対する意欲はいつになく消極的だったのだが、今までのアルバムを何度も聞き返して選曲したり曲順を決めていくうちに気付いたことには“ウラ佐山がある”ということ。
それは二つの面があってまず一つ目は、ごくジャズっぽいピアニストであるということ。
自作曲のうちキャッチーなものポップなものはほとんどPONTA BOXのほうに使ったことにもよるが、改めてソロアルバムから曲や演奏をピックアップしてみると米木康志・小山彰太とのトリオ録音は新鮮だし道下とのデュオはスリリング、ソロも思索的とはいえないがそれなりのオリジナリティが見え隠れして興味深い。

そこで目黒ブルースアレイジャパンに頼んでアルバム発売記念というコンサートタイトルのもと、ジャジーな一面でのライブをしたくなったのだった。初日は米木・小山のリズムセクション、二日目はM’sでどちらかあるいは両方にホーンセクションを入れてAbove Horizonsも演奏したい。時期的地域的な兼ね合いをホール関係エージェントに相談したところ、そんな良い企画はホールコンサートにしないテはないでしょうと言われて肯んじたのだった。

もう一つの面はプロデュースされるとのびのびと発揮できることが多々あるということ。村田陽一プロデュースの二曲はジム・アンダーソンのエンジニアリングの妙と相俟って出色の出来だし、M’sではクレジット上僕のプロデュースだが大坂・小井に徹底的に下駄を預けたことの好結果だといえる。音も運営も自分で頑張ってプロデュースしたGomboからは今回取り上げるに足りる演奏が見出せなかったことには多少忸怩たる思いはあるものの再発見の範疇ともいえる。Tears Of Natureでは服部隆之君の手を借りることで随分と広がりのある作品になった。あえて分業体制をとって(自分で編曲せずに)看板を背負ったピアニストにとどまることでいい結果が出ることはあるし、ある種のお姫様状態が好きということもある。付け加えるならば雪村いずみさんの影響もある。

若すぎもせず、分別臭くもならない年頃にトンコさんと結構密に仕事をした。感激した。姫でもなく、兵隊でもなく、スターあるいは主役という“役割”を忠実になさるのである。Show must go on という。“ショー”というものを全うする為のスターから雑役係りまで含んでのチームとそれぞれの役割なのだ、ということをひしひしと感じた。映画の現場もそれに近いかもしれない。“映画”という神様、または“映画の神様”に使える監督以下のヒエラルキーの下で監督に全権が与えられているのであって、監督そのものが神様ではない。そうでない監督もいるんだろうけど。歌手でも神様をやってる人もいれば絶対権力者であることでステージをまっとうするタイプの人もいる。それぞれアリだけど僕の好みは雪村さんタイプに収束していったあの一時期だったのだろう。

ジャズには“ジャズを超えてジャズであるもの”と“ジャズとしてのジャズ”がある。前者は価値観や哲学までも含んだ意味合いで、後者はジャンルとしての呼び名。後者自体広範すぎる価値観を含むが、サッチモとコルトレーンを含んでしまうベン図の中にクラプトンは入らない。前者の捉え方によって佐山雅弘がゴールドベルク変奏曲を演奏したり、オーケストラとクラッシック曲を共演したりすることが成立していくのだ。が、活動形態がますます多様化・大型化する中でそれとバランスをとろうとするかのごとく、ジャズのジャズ、独特のダークネスを裏地にもつジャズ演奏に惹かれている。川嶋哲郎ではなく三木俊雄との共演を望み、ポートレイトインジャズのセッションを切望するのも本来(というのもおかしいが)のジャズのありように対する憧れなのだろう。

そのこととプロデュースされつつ思うさまピアノを弾きたいということが結びついて、三木俊雄(アレンジも実にダークでジャジー)を音楽監督に迎えてのコンサートにする成行き。

自作とスタンダード、トリオと中編成、ジャズとクラッシック、自己プロデュースと役割としての主役。色んな要素を楽しんではいるが広がる一方の活動の、今後の中心線を探る一つのきっかけになればいいと思う。

伝兵衛DUO 鶴岡
横浜ホンキートンクブルース
Wesが聴こえる
嘘が八個
嘘つきダイヤモンド
湘南レイニーデイズ
いつものズブロッカ
忘れない誕生日
すれ違う時
夕暮れのRUM
あと一杯
夢はいつも
またしてもハイウエイ
誓い

とても良いバーで驚いた。マスターの鈴木さんは大阪シャピトルドゥーを髣髴とさせる如何にもバーテンさん。筆記具を借りたらクロスが出てきた辺りに普段の生活レベルからのダンディズムを感じて、このあたり人が人から日なたのような暖かさをいただいて生きている感がして心地よい。
4月2日(日) 伝兵衛DUO 仙台・ゴッコ
チェリスト塚野氏終演後とはいえ駆けつけてくれて嬉。スコットランドや日本の民謡をソロで披露してくれた後、サンサーンスの白鳥を共演するもピアノパートはコードを探りながらの冷や汗モノ。これもまた愉し。
4月3日(月) 松田昌デュオ 旭川・ポケット
放浪時代の松田昌ゆかりのエレクトーン・ライブハウス。おそらく日本唯一だろう。となりのピリカラーメンもうまかった。
4月4日(火) 松田昌デュオ 旭川公民館
閉鎖寸前で手入れの行き届いていないヤマハのフルコンをなんと朝からずっとメンテしていただきタッチバランス、ピッチの広がりまでとても弾き易くしてもらった。全体に日本の調律師は誠意・技術両面において数少ない本物の職人肌を持ち続けている人々ではなかろうか。
4月5日(水) ソロ&セッション 苫小牧・ビーフラット
HPでスケジュールを見つけた松本オーナーのお申し出により、米子への移動日を苫小牧に変更してのセッションデイ。河庄のお寿司も久々にと思っていると郊外に引っ越していた。ゆったりとした座敷が何部屋もある豪華なおすし屋さんになっていてびっくり。かわいい奥様も奥から顔を出してくれ、帰りがけに寒風の中車を見送ってくれる相変わらずの丁寧さに心ほのぼの。

店の手伝いもし、松本マスターのテナーと夜な夜なデュオをしている林かなちゃんにしょうしょうレッスンを施す。質問事項が山ほどあって、こういう生徒はいいですね。聞かれれば大抵の事は答えられる。聞くほうに根気さえあれば説明べたな僕からでも得るところはおおいはず。
4月6日(木) ソロ 米子・BIG SHIP
ゴールドベルク変奏曲よりアリア
Tears Of Nature
Tough
Hymn To Freedom
Memories Of Tommorrow
子供たち
子供たちの弾いた曲をその場でジャズ演奏
七つの子
ラプソディ・イン・ブルー
クラリネットがこわれちゃった
Spain

一部の流れは良かったが、喋りを入れて丁度30分は若干短い。次の機会にはカバーを一曲増やそう。

調律師の大江さんのお声がけでのソロコンサート。立派なホールを借りてくれて嬉しいながら、隣の大ホールで布袋寅泰のコンサートあり。僕の楽屋(小ホール)への裏口が封鎖されていて、声の届かぬ窓ガラスからイベンターがイヌを追い払うような手振りでシッシッという声まで聞こえるよう。これだから興行主の手下は嫌いだ。礼なきはこれを見ず、というのは実際には難しく、少々もめてしまった。

リハーサル時から音が漏れ心配するも、扉という扉を閉めたりしてなんとか本番をしのぐ。村田陽一もいるかと思い電話したが応答なし。

打ち上げはヒダノ修一君たちと行った事のある魚菜屋さん。ヨコワというのがマグロの一種だというのを初めて知った。このヅケがたまらなく旨かった。

二次会はいまづ屋。マチケンは相変わらず元気だったが毒舌にいつもほどの鋭さがかけているように思った。経営の形を変えるような噂も他から聞いたのでそのことかとも思ったが、よそから聞いた話を本人に確かめるのもなんだか礼を失するようで遠慮。コンサート打ち上げの楽しみモードに突入した。
4月7日(金) 特別講座 平田楽器
15人ほども集まったピアノやエレクトーンの講師たちにジャズのレクチャー。最初の十分で全員に教わりたいことを取材して、残りの時間を分配。構想を練ったのちに喋り始めたはいいが生来の説明べたがもろに出て、終わってみれば“面白いけどちんぷんかんぷん”といういつもの結果。まぁいいだろう。少なくとも本気で好きなことを滔々と喋っているのだから何かが伝わらないはずはなかろう。

ご婦人が二人で忙しく働くカレーハウスで美味しくもいただいたが、てきぱきと働く様子もごちそうさまになった。引きもきらぬ客の並んでいる間に注文をとり、玉ねぎをきったりカツレツにパン粉などつけるのも注文をとってから。このちょっとした手間を惜しまぬ姿勢が味と客をキープするのだろう。働く姿と地元の言葉の投げかけまでもが感動的ですらあった。

ピアノを借りてバーンスタインとモーツァルトを3時間ほどさらった後、大山中腹のロイヤルホテルの露天風呂でいったんとろとろ。

ハッシー・ハワイツアー以来懇意にしてもらっている斎藤さんに案内を願って“虎串”という阪神ファンの店でしゃぶしゃぶ。和牛のいいところを面積広く(大きいステーキほど)薄きことあくまで薄く美味この上なし。豚しゃぶもいただいたが、いつか東伯町でいただいた無菌豚というささみにも似たあっさり感と、それでいながら上品なジューシーさが共存したハーモニーに舌がとろける。
4月8日(土) バッハマタイ受難曲 鑑賞 @ミューザ川崎
気持ちよい響き。声もオーケストラ(小編成ながら)もきっちり聞こえた。字幕も助かった。短く感じた。聖書を読むより身近に感じた。楽団や合唱隊も素晴らしかったが、ミューザはやはりいいホールだと思った。
4月10日(月) 伝兵衛DUO 初台・ドアーズ
朝9時から12時まで東京文化会館小ホールで最早恒例となった午前ゲネプロ。島健さんと小原孝さん。渋谷に移って高木クラビアでガーシュインやピアソラ(に捧げる島健オリジナル)など詰めてメンバーチェンジ。不安の時代をひとさらいして初台へ。この時点でヘトヘト。伝兵衛と音合わせの後一眠りしてなんとか凌いだが、折角レンタルしてくれたスタインウエィを鳴らしきれずに無念。
4月11日(火) 打ち合わせ 和田事務所
レミさん久々にアルバム制作。今日はその打ち合わせでわくわく。作詞・訳詩を含めて言葉は全部和田誠さんというのがウラコンセプト。書き下ろしも予定。
4月13日(木) 打ち合わせ 東京交響楽団 練習場
村田と久々に会えて嬉。ミューザ川崎クリスマスコンサートにやっとアイデアの目鼻がついた。Above HorizonsをM’sプラス金管五重奏でできそう。これはかなりわくわくする。
4月14日(金) M’s 静岡・グランシップ
トリオをぐるりと取り囲むスタイルに設定された客席。音は散り気味ながらお客様の反応もよく、楽しく出来た。オープニングにインビテーション7拍子アレンジを持ってきたがぼくが小節を倍に捉えてしまい、収拾のつかぬことになってしまった。

さくらえびやなましらすが今は旬のはずなのだが時間などの関係でそのテじゃないところでの打ち上げは少々残念なれど、珍しく20台の女性が4人もいる飲み会に小井政都志も回春の様子有之。
4月15日(土) 不安の時代朗読会 名古屋中村文化小劇場
長尺の難解な田園詩も読み合わせでくっきりと。思ったほど形而上学的でもない。と思えたところでそのウラの隠喩にたどり着けるかどうかは今後。場面場面と音楽はさすがによく合っている。

隣の中村公園内神社にコンサート成功祈願などする。豊臣秀吉を神様に祭っているところだった。池端の桜が美しい。
4月16日(日) 松田昌デュオ 池袋二箇所
コンベンションホールでのヤマハ系パーティとインストアライブ。朝のC3Lがゴキゲン。響板だけSシリーズのものを貼ったということだが、小さいボディでふくよかこの上なし。伝兵衛CDのポップ届き嬉。
4月17日(月) 伝兵衛DUO 八戸・エイセブン
4月初旬の東北ツアーに組み込んでいたのが僕のダブルブッキングでなくなってしまい、日程変更となった単発ライブ。結果的に経費面・集客面など伝兵衛始め皆さんに多大なご迷惑をかけた。にもかかわらず満員のお客様。これにはただ感謝。二戸からアベチャン・クワッチの名コンビ。同じく二戸からシャンソンマダム大沢さんとともに現れたのは、かの詩人・いい山さんのお嬢様・小原さん。紺のお着物も艶やかに、演奏のモチベーションが高まってしまい、自分でやや当惑気味。

メトロノーム訓練の成果が先日静岡でのM‘s(マサちゃんズ)だと思うに任せなかったのが伝兵衛とのデュオだと確実に手応えがあるのはいいのか悪いのか。
4月18日(火) 平野レミ レコーディング打ち合わせ
久々に和田邸にお邪魔してのリハーサル。候補曲選びの為の選曲とキー合わせなのでとても気楽でのんびりムード。レミさんはひとりで“あーだめだ、声が出ないよ~”などとキャーキャー言ってるが、それが彼女のペースなのはもう知っているので、宥めるでもなくとんとんと作業を進めるうちに和田誠さんも帰宅してきて仕事だかパーティだかわからなくなりながらも一段落終了。上原のイタリアンレストランで前祝。ちょっと早すぎるけど。シャンペンで乾杯し、キャベツの料理が出たのだが、わずかに覗き見た厨房のまな板に乗っかった丸ごとキャベツがまぁ綺麗。千疋屋のバナナみたいにつるりと白磁肌の美人さん。

無菌豚というのがメニューにあったが、それじゃ普通の豚はすべて有菌豚なのか、そんなのやだ、などとわいわい言ってるうちにフォアグラのパテ(といっていいのかどうかわからないけど、大きめの牛タンスライスくらいのが二枚並んで)出てきたので赤ワインに切り替えてほくほく。和田夫妻は食べない。和田さんはとても食べたそうなのだけどレミさんの高カロ禁止令あくまで厳しく、僕一人でいただく。うっしっし。
4月19日(水) 先生 国立音楽大学
先生事始
念のためとはいえ随分早く登校(というのか出勤というのか)してIDカードなどもらいつつ出勤時の手続きを習う。これが総務課。教務課に行って出欠簿などの説明を受けて郵便受けをチェック。既に満杯。大学というところはやたら書類を寄越すものであるらしい。5号館というのがわからずにうろうろ。やっとたどり着いてみると思ったより多い人々にびっくり。40人程もいる。

前期はスコットジョプリンからアートテイタム、ビルエバンスを経てハンコックにいたるピアニストの系譜をたどって主に和音の変遷を見る。後期はサッチモからジャコ。いずれも列伝風にたどろうという企画はまずまず良かろうとは思っている。

今日は入り口。南北戦争終了から北部工業地帯に集まる労働力。その旅の過程のギターブルース、たどりついた工業地帯のバレルハウスで発展したラグタイム。

ビルエバンスまでは西洋和声はさほど使われてなかった。など解説。ピアノによるブルーノートの表し方テクニック。メイプルリーフラグ、エンターテイナーなど実演。

山下洋輔さんが授業の後半から入場し、授業終了後教務課など案内してくれた。生徒の何人かも紹介してくれたところによればニュータイドオーケストラのメンバーも多数いるし、総じて生徒達の積極性が感じられた初授業だった
4月20日(木) バーンスタインリハーサル〜ピアノ・デ・トオリオリハーサル 高木クラビア
今日も随分ピアノを弾いた(小原君に言ったら笑われそうだけど)が、相方がいるというのは矢張り相当有効なもので、カラダはともかく脳のほうはさほど疲れを感じない。ピアノもいいし。
4月22日(土) ピアノ・デ・トリオ 東京文化会館小ホール
◆スカラムーシュより3楽章(3台)
◆コブクロのさくら(小原孝)
◆森山ナオタローのさくら(島健)
◆???のさくら(佐山雅弘)<<<当日借りた譜面を見てアドリブ
◆宮城道夫〜佐山雅弘編曲 さくら変奏曲の変奏曲 (3台)<<<うまくいった。小原孝の音色が時折“琴”そのものに聞こえて不思議だった。それは見にきてくれた国府弘子さん(ステージでもつい呼び捨てにしてしまうので気をつけるのだ)も言ってた。
◆島健 ピアソラ組曲 (3台)<<<これも関所がいくつかあったがうまくいった。6台の時の3人(島健・塩谷哲・山下洋輔)とはまた違った味と仕上がりで興味深い。
◆いつか王子様が (島健・佐山雅弘 2台)
◆モーツァルト交響曲40番より1楽章(小原孝・佐山雅弘連弾)
◆春の唱歌メドレー (小原孝・島健 2台)<<<面白かったし、綺麗だった。この二人のデュオは上品さがにじみ出ていて好感度高し。こういう場面があるのもこの3人の集まりのポイントだろう。
◆ラプソディ・イン・ブルー (3台)<<<アレンジはうまくいったが演奏の練りこみガ足りなかった分、反挑戦的な(手堅い方に寄ってしまう)結果になったかも知れぬ。

アンコール:ラジオ体操世界一周<<<NHKの時のものを練りこんだアレンジがうまくいった。

総じて演奏も良かったし、デュオよりもリラックスして立ち向かえた。島さんの包容力と小原君のゆるぎないピアノ力に負うところが大きい。なにより満員のお客様、というのがありがたくも心強い。
4月23日(日) 平野レミリハーサル 平野邸
資料の整理と新曲相談。松田昌の“孤独”に和田誠さんが詞をつけて歌うことになった。楽しみ。

今日はレミさん手作りの料理でビールや焼酎をいただく。ギョーザが絶品だった。キャベツがニラの倍以上でホタテの身を細かくしたのが入ってたり、いろいろ細かい工夫をしているのだそうだ。詳しく語ってくれるので、いつかテレビで目撃した“油の温度は?”“うん、普通!”っていう話をふったら“だっていちいち温度計でもないでしょ”
4月24日(月) 大屋町 前日入り
三沢よりの奥平純代さんと伊丹空港で待ち合わせ、上垣ヤス君のお迎えで大屋町へ。作詞の永窪先生も先にいらしており、校長いか10人ほどと明日の校歌発表・歌唱指導会の打ち合わせ。

音楽会っぽいことも生徒にプレゼントしたいということで僕のコーナーや詞の朗読にピアノ伴奏(ジャズ絵本である)、既に曲の付いている永窪さんの詞(つまり歌)を初見ながら純代さんが歌う、などなど急に盛りだくさんになってしまった。急遽ヤス君の自宅からキーボードを運んでもらい、時ならぬセッションで大いに盛り上がった。
4月25日(火) 校歌発表会コンサート 養父市立大屋小学校講堂
◆校長あいさつ
◆永窪綾子 作詞者の気持ち(お喋り)
◆奥平純代 歌唱指導 <<<子供たちが一生懸命に歌ってくれるのは独特の感慨があった。総じて大屋の子供たちはのびのびと明るい。コンビニやマック、フライドチキンなどがこの町にはなにもない。きれいな川の流れる山々に囲まれただけの、それでいて全国木彫コンクールが開かれるなど文化意識は高い環境がいいのだろう。純代さんの歌唱指導はさすがに堂に入ったもので人選の正しさに内心鼻高々。
◆佐山雅弘 作曲者の気持ち(お喋り)
◆ジャズ演奏 新作校歌 <<<夕べのレストランでの急なリクエストに応えたのがえらく受けたのだが、子供たちにも大人気だった。
◆ぞうさん <<<校歌があまりに受けたのでアンコール。こちらも人気が高かった。しかし初めて聴かせるジャズがこれでよかったのかどうか。 
◆永窪詞朗読 佐山ピアノアドリブ
◆かっこう
◆ひばり
◆???(やはり鳥) <<<コラボというのも小学生、先生達ともに見慣れないものだろう。興味深そうに世界に入ってくれた気がしてよかった。
◆感謝状贈呈 <<<これには照れた。     

夜の部 佐山雅弘ジャズコンサート 
スペシャルゲスト 奥平純代(童謡歌手)
大人のための新校歌歌唱指導あり 振るってご応募下さい。  
というわかったようなわからないようなコンサートタイトルなのだが意外なことにとてもジャジーしかも佐山ワールド。思うに、、、瀬木や伝兵衛との組み合わせほど後ろにも回らず、ジャズメンないしジャズ歌手と組むより広がりがあり、ソロコーナーが思い切ってオリジナル中心になっても違和感のないステージになる。
ピアノソロによるジャズコンサート、ゲストに童謡歌手。
これは意外とイケル。

ゴールドベルクよりアリア
Tears Of Nature
Tough

翌日の飛行機のために難波まで送ってもらい、ぼくはそのままダルマードへ。ギネスで始める。今まで味わったことのない豆腐料理をいただいた。みっしりと味がつまっているところを丹念に水抜きをしたとのこと。明日は先生なので“大学教授の休日”というテーマでカクテルを頼んだら、Teacher’sの水割りが出てきたのはベタだったが、おいしかった。水割りがおいしい、とは普段思わないのだがこの際は理想的な飲み方に思えた。水が特別なのだろうか。さよりの刺身も新鮮。それにあわせてさつま焼酎がまたうまい。

酒にあう料理をいただき、お料理に呼ばれて酒を選ぶ。ゆっくりと流れる贅沢な時間である。睡眠よりカラダにいいのだ。
4月26日(水) 先生修行 国立音楽大学
オーディオなど備品の鍵の借り方と出席のとり方、補講の段取りを覚えた。 

年間の授業目標と進め方について生徒と合意が取れた。時代順に列伝をたどる。前期はピアニスト。後期は1900年にもう一度戻ってそれ以外。

今日はアートテイタム。生徒に教えるというよりは僕が1週間聞き込んだりコピー(トランスクライブ)した研究発表のような形。これはきついけど改めて勉強になりつつある。学者的演奏に陥りさえしなければ僕自身が飛躍的に上達するだろう。来週はエロールガーナー。聞き込みから始める。
4月27日(木) バーンスタインリハーサル 高木クラビア
伴奏者たちの上達に比べて僕のほうのツメが追いつかない。5月27日に向けて練習予定の組直しを余儀なくされる。その他にもデュークエイセスや平野レミさんのアレンジ、木野雅之さんとのセッションの個人練習など来るべき仕事の準備・練習のほかにさまざまな打ち合わせ項目などあり、演奏以外の日程・時間配分が不可欠になっている。いつのまにこんなことになったんだろう。

菊地成孔の東大での講義本を読んでいる。国立音楽大学で一緒になっているので参考までにと読み出したのだが、バークリー理論の成立とビバップの台頭が奇しくも時を同じくしてジャズをモダンジャズとプレモダンに振り分けた、という見識があった。けだし慧眼である。
4月28日(金) プリズム(!) 横浜・ストーミー・マンデイ
和田アキラ(Gi)
岡田治郎(Bass)
木村万作(Dr)
佐山雅弘(Key) 

いや、懐かしかった。とともにプリズムは現在進行形なのだということがよくわかった。岡田治郎が素晴らしい。プレイもいいしべーシストに要求されているバンドの番頭役を見事に務めている。木村万作も、これほどやりやすいとは以前は思っていなかったものだが、スバトットもフルムーンも完璧。

開演前に近くの蕎麦屋の二階を楽屋代わりに一時間ほども居るとすっかり打ち上げ気分。 

狭いながらも実に横浜らしい雰囲気のバーカウンターの中にいる美人がこれまた“横浜のイカすオンナ”。客席の小西嬢は予想していたが、なんと十河君(僕のプリズム現役時代のファン調律師、今でいえば水谷君)までいたのには感激した。

プリズム思い出話
スバトットをバンドに持ち込んだ時のこと。4人のうち譜面が読めるのは僕と渡邊健。曲がジャズものなのでワンコーラスをひたすら繰り返してぼくら(譜面組)が弾けるようになってくる20コーラス目くらいにはやつら(覚え込み組=アキラとリカ)はとっくに覚えていて、ということは譜面を追う僕たちよりよっぽどスイングしているのである。

教養知識は何ほどのこともない、むしろ縛りが出る弊害も多いのに比べて、彼らこそ音楽の力をストレートに出す最良の方法をとっているのだ、少なくともロックミュージックの力強さの大きな源泉の一つはこういうところにあるのだろう、と思ったものだ。それからは(それ以前もそのように努めてはいたが)客の前では必ず曲を覚えきってから演奏するようになった。

すると曲を覚える速度がどんどん速くなっていくのが面白くてしょうがない。フォームの分析、コードの解析が瞬時に出来る。ということは初見も以前にまして上達するのでいいことづくめ。作曲もプリズム入団後から始めたし、PONTA BOX、ゴンボ、M’sへと続く作曲・編曲・演奏法など全てを含む佐山スタイルはやはりこのプリズムが原点だったと改めて思った。
4月29日(土) プリズム 横浜・ストーミー・マンデイ
和田アキラ(Gi)
岡田治郎(Bass)
木村万作(Dr)
佐山雅弘(Key)
鈴木明男(Sax)

今日はカメ(明男の愛称)もいてますます同窓会気分。“今はカメっていわないんだよ、渕野さんと佐山くらいのもんだ”と言うから嫌がっているのかもしれないので、ますます呼んだ。年が同じで(向こうが一つ上との説も有り)学年上の先輩。学生当時から長身長髪でモテモテだった風采は一向に衰えてない。アキラたちは僕ら二人が国立音楽大学の同窓とは知らなかった(この25年間!)らしくますます話題が尽きない。蕎麦屋の二階で今日は半分出来上がってしまった。

Dead Zoneを持っていったのだが、全員が完璧にこなす。ビッチェス・ブリューのごときドラム。ロコのごときベースライン。アキラはいつのまにか譜面も読めるようになっていて驚いた。松岡さんのバンド経験が大きかったのだろう。そしてなんといっても“カメ”の優秀さよ。インCのリードシートを見るなり“こりゃアルトだな”といってスンナリと拾い読みをしたと思ったらどんどんテンポをあげて、全員で合わせてみようかというころには誰よりも把握していて、あのややこしいモード(スリートニックシステム)をらくらくと大迫力で吹きまくってくれて、作曲者としては嬉しいことこの上なし。

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2006年