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仕事日記
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12月1日(水)小原孝デュオ 東京文化会館小ホール
何回か出るというのはえらいもので、ゴールドベルク変奏曲であんなに上がっていたときと同じ椅子に座っている本番直前もにこにこである。

中田喜直;軍艦マーチによるパラフレーズもピアノが良く鳴らせておもしろかったが、なんと言ってもビートルズメドレー40分が良く出来た。アンコールはサヤマンボ。この二人で初めて演奏してからの4年間における小原孝のアドリブ対応力の飛躍的な上達は目を見張るものがある。
12月4日(土)松田昌 岐阜
 
12月5日(日)瀬木デュオ 延岡
 
12月6日(月)瀬木DUO 延岡???園

施設での演奏。一番前で聞いていた6〜7歳の男の子が、終演後に僕のところへ来た。分厚いめがねを指でずりあげながら“がんばるんだよ”。おもわず“うん!がんばる!”と答えた。

バス移動で博多へ。19時過ぎには瀬木と別れてチェックイン。田村氏との電話約束の8時。それと夜帯にかけなおすと言っていた佐々木氏からの電話待ちながらクリスティを読む。田村氏とは長話ができたが佐々木氏は留守電。社にかけてみると今日はもうあがったとのこと。やはり相手がその気になっている時に一気に話さなければものごとは進まぬ。進めるべきは彼の領分でもあるのだが。

気を取り直して町へ出る。ミスター・ドーナツを発見。明朝はコーヒーとドーナツにしようと決めた。ダンスダンスダンスみたいに。信長というたいそうな名前の焼き鳥屋でビールを3本と串5本。ホテルのバーでマイヤーズのダブル。おともはポークのミンチパテ。ゆっくりと歯を磨いてクリスティと眠る。

12月7日(火)
6時半に目覚め。散歩して7時の開店と同時にM.Dでコーヒーとオールドファッション。部屋に帰って宮本駿一レコーディング用に13ピースの譜面を書く。ワンパート書いてはABC殺人事件を一章読む、という繰り返し。優雅で有意義な時間の経ち方である。11時になったのでお気に入りの一膳めし屋に行く。このあたりが村上春樹と違う。夕べの焼き鳥屋からして、ずれてはいる。食後のコーヒーはホテルのテラス、イコール昨日のバーである。僕は行かなかったがモーニングブッフェの会場にもなる。

部屋に戻ってアレンジの続きをするが、午後はやはり何かと電話がかかってくる。仕上がりかけたところで部屋掃除のタイムリミット。丁度いいや、と再びティルーム。バナナケーキとストレートティ。“何度もありがとうございます。”と若いウェイターが言ってくれた。ということは僕の通った全時間帯に彼は働いていたことになる。

待ち合わせは17時。ほぼ24時間、一人で自由に使えるというんはいいものだ。大き目の編成のアレンジ一曲と推理小説一冊だから、何ほどの収穫も上がっていないのだが(映画の一本もいれたいところ)何といってもゆったりとマイペースなのが有難い。

ここのところふとした隙にアタマで鳴るのは543456などの旋回音形ばかりでつまらなかったが、この日は田園交響楽の節々が浮かんでは消える。こういうところにも暮らし方の差が出るものであることだ。

12月8日(水)伊太山弦楽団 新宿・白龍館

久々のフルメンバー。僕抜きで結構集まっていたり、歯抜けのメンバーででもそこそこ回っていたりしていたそうで、歌伴弦カルとは思えないユニット感が素晴らしい。もはやバンドと化している。僕が浮いているか。
ベーゼンドルファーのおいてある中華料理屋というのも珍しいが、お料理も美味しかった。紹興酒のいいのがあって僕的にはそれが一番。
12月9日(木)ザッハトルテにゲスト出演 京都・アンデパンダン
アンデパンダンでザッハトルテ。なにやら判じ物めいているが、古いながらも由緒ある洋館を利用したモダンアート系の場所として人気のスポットであるそうな。ぼろぼろのアップライトはなんとVICTOR製。何十年前のものか知れない。

12月10日(金)オフ

かねて約束の“千花”。三度目ともなると多少余裕が出るのか、話も料理も堪能した。前回はリサイタルのご褒美ということもあって、三木君との会話(演奏のいいわけなど)に重点がありすぎたようで、お料理の内容をよく覚えていなかった。まぁ絵でも音楽でも解説的なあれこれよりも、自分の心に残った感動を姿形でなく心象として覚えていればいいことではある。

二条城をじっくり見学した。お城というのは美術館であるな。狩野派の金と緑に圧倒されて各部屋ごとに足が止まる。大政奉還の宣言をした部屋などにはるかに思いを寄せながら、昼に食べたイタリアンレストランがとてもよく出来ていておいしい。北山のコーヒーも2度目だか3度目で、僕はモカに決めているくらいにはなった。いまのところコーヒーというのは僕にとってここで飲むこれのことをいう。もう一箇所は別府。

千花で先ず出てきたのは青りんご(!)うえ四分の一が切られていて、その蓋状になったものをどけると、くりぬいた小さな穴になますがはいっている。一口いただくと、白ゴマのいいかおりが広がる。僕などは味オンチのほうだから、この最初のシアワセ感が実に重要なのである。堀川牛蒡とレンコンのきんぴらに近江こんにゃくがのっている。さばを使ったしゅうまいという創作のあとにかにしんじょう。平茸のおすましはまったくの透明でうっすらとしながらも深い味わい。これはケチャップマヨネーズのアメリカ人などには通じまい、とやや傲慢なことをつい思ってしまったところへ、西洋男性の二人組みが入ってきた。
しばし様子を見ていると一人の人が流暢な日本語(標準語)で素材や料理法を取材しては相方に通訳している。その相方は料理人のようであり、お料理もそうだが器も信じられないほどに素晴らしいと仰る。“蜀山人曰く、食は器に在り”とは大旦那の弁。
たいとまぐろの刺身は醤油ではなく千切りのこぶでいただく。ただし醤油もいいのが出されて入る。このあたりの自信をもちながらも謙虚な思い遣りが美しい。エスタブなふりをした店でスパゲッティにタバスコの用意が無い店が増えたのはキライである。ちょっと比べるものに差がありすぎるか。万願寺ししとうとじゃこの和え物。今日は地名の付いたものが多いようである。髪の毛ほどに千切りした大葉と柴漬けを一面に盛り付けたもち米ごはんでしめるのは前回と同じ。

SOENに乱入して楽しく酔う。
12月11日(土)伝兵衛トリオ(Vln 里見紀子) 和歌山
電車とお迎えの都合により和歌山駅前で3時間を過ごす。たまには所在が無いのもいいものであった。
12月12日(日)伝兵衛トリオ 大阪ダルマード
伝兵衛たちと別行動でなんば駅に着く。ダルマードにたどり着く前に100円焼き(お好み焼きの廉価版。具はきゃべつのみ、一銭洋食のごときもの)、蓬莱の豚マン、たこやき、とジャンクフードで腹いっぱい。これでイカ焼きでもでていたらおしまいである。大阪に住んでいたらとてもジャズというある種攻撃的な気持ちを必要とする音楽はやりとおせないか、などと考えながらもぐもぐ。
12月13日(月)伝兵衛トリオ 博多バックステージ
伝兵衛、里見ともに大オススメのラーメンがあるというので行く。たしかにうまかった。店の名前は、、、忘れた。僕は愛情が薄いのである。
12月14日(火)伝兵衛トリオ 大分ブリックブロック
甲斐さんに連れられて佐藤さんのマッサージ。快。
12月15日(水)伝兵衛トリオ 小倉
 
12月16日(木)伝兵衛トリオ 洲本
キーボードでもいつも楽しく弾けていたのに、この日は何故か整理された音楽しかできなかった。残念。
12月17日(金)伝兵衛トリオ 姫路
善兵衛さんというひとが中心となって、江戸時代に姫路の中心産業だった木綿の生産を復活(勿論文化的な意味で)させようと栽培から縫製までかかわるグループがある、その広間というか展示場のようなところでライブ。綿花から糸にする糸車を始めてみた。直系10センチほどの器械と、これも手動ではあるが1メートルほどの滑車に糸を紡いでゆく器械の両方を体験させてもらった。楽しかった。電気もガスも使わぬ器械というのはいいものである。

子規にはまっている。随筆。思い出話の一節に、つい浮かんだ句がたいそう旨く出来ている気になって、自分を誉めたくなるようなシアワセな始めたての時期、というのがあってとても共感した。
司馬遼太郎によると今我々が使っている日本語の原型は明治20〜30年代にかけて漱石と子規が身を削るようにして仕上げたものだそうで、その興味から手を出してみたのだが、なるほどと思えることが随所にある。“墨汁一滴”という書には古文の間に現代文がちらちらと見えている。古文調のものでも僕みたいなものがすらすら読めるほどだから、よほどの工夫がなされているのかも知れぬ。
その次の作品の“病床六尺”では殆どが現代文になっていて確信を持つに至ったのかもしれないが、彼の凄みは“墨汁〜”のころにはすでにいつ死ぬるかもわからぬ病床にあったことで(脊椎カリエス)時に病のことにも触れつつ、季節を感じたり、花を愛でたり、友と語らい、詩歌俳諧を論じたり。それまで行ってきた活動、あるいは日常をそのまま生きていることである。

播但の道を伝兵衛号に揺られて:
人も問う 我も触れなむ 播の字に 史は思えど 郷は覚えず
おじおばの 寄りて坐するが如き山々 秋播但の街道を往く
12月18日(土)デュークエイセス 中野ゼロホール
イレギュラートリオ
佐藤ハチ恭彦(B)
譜読みも良く、ばらばらのデューク4人に良くついて行く。佐山とデュークの関係性などにも慮りあり。楽器技術もさりながら人間関係性および呼ばれたる自分の役割などに心くばりたる様子実に出来上がりおり、感心する。これに比して
岡田桂太(Dr)
音良く予習も足りているとはいえ現場、特に本番での融通つきにくく、己を恃む所多し故かとは見ゆ。車移動も省みず打ち上げに参加してくれたるは嬉。

どちらも一長ありといえども佐藤はリアルジャズの現場多く、桂太はサーカスなど今回に似たる仕事多きに、両人の向き不向き逆転の様を表すも興深きというべきか。
12月19日(日)瀬木デュオ 日進
 
12月20日(月)宮本駿一レコーディング ビクター302スタジオ
ピアノ弾き語りの宮本君は若干19歳。先日訪ねた半蔵門東京FMホールでのワンマンライブが女学生で満員になるなど、すでに確立した人気を得ている。彼のマネージャーが僕の高校の同級生(!)ということもあり2曲アレンジ。なんと一曲は僕が書き下ろした曲に宮本君が詩を乗せた。
宮本曲のほうはM’s+岡部洋一(Per)というリズムセクション。岡崎芳郎(Tp)に乗っかってもらい、ミュートをつけたり外したり好きに吹いてもらった。実にうまい。
僕のほうの曲は贅沢をさせてもらって里見紀子の弦カルに三木俊雄の3管。ポップスの曲作りはへただなぁと実感しきりだが、アレンジとピアノでなんとか及第点か。
12月22日(水)ソロピアノ 金沢21世紀美術館
ザ・クリスマスソング
クレオパトラの夢
自由への讃歌
スペイン
ゴールドベルク変奏曲 アリア〜11変奏まで
イン・ザ・ベルベット
つかの間の夢
プー・ソング
ラプソディ・イン・ブルー
ジングル・ベル
素晴らしい建物。豊富で意欲的な展示。現代彫刻はちょっとこわい。小型ベーゼンドルファーは鳴らすのに一苦労。後から来る大石と滋のためのコナレには役足っただろう。
和田誠夫妻来訪も楽しくワインパーティ。
12月23日(木)和田+佐山 映画トークアンドピアノライブ
冬の金沢で一泊というのも物足りぬと仕込んだ突然ライブ。一部は洋画、二部は和田映画に関する裏話などしていただき、音楽にまつわる話題になったときに僕がその曲を弾く。和田さんの成り行きに僕がついていっているようでもあるが、僕の弾けそうなものに話を持っていって僕に振っている場面も多いである。The Boy Next DoorとかOn Green Dolphin Streetとかね。これはこれでスリリングなセッションといえる。
本編に“照明熊谷学校”のテーマ(openingとclosing両方。ともに佐山作)。ダブルアンコールでレミさんの歌と“シャンソン・ド・レミ”を久々出来たこと。打ち上げにあらわれたサリナ・ジョーンズとラバーマンを共演できたことなど楽しいこと満載の一夜だった。夕方食べたお鮨も絶品。

12月24日(金)ミューザ川崎にて第九鑑賞

 
12月25日(土)M’s 座間
M’sホールコンサートのプレ幕開け。茅ケ崎のゲスト入りもよかったが、3人だけでホールでじっくりやるのがやはりM’sサウンドの全てが出てきて良。
12月26日(日)BSフジ 番組収録
宮川泰(ひろし)さんの作曲編曲法を解剖する、という趣向。このてのことは宮川さんご自身がもっとも得意とされているところなので、申し訳ないような気もするが総じてうまく行った。小井、高橋(徹)細野(義彦)のリズムセクションに久々のユカ(+もうひとりでザ・ピーナッツ)や槙みちるさんとの顔合わせも楽し。ストリングセクション付きのフルバンドでやりたいところではある。
12月27日(月)6台ピアノのうち小原孝、国府弘子との3人バージョンリハ 高木クラビアにて
 
12月28日(火)6台ピアノのうち島健との2人バージョンリハ 高木クラビアにて
 
12月31日(金)
ベートーベン1番から九番まで鑑賞。岩城さんはすごい。
和田誠さん矢崎泰久さん斉藤晴彦さんらと打ち上げる。斉藤さんは神田の生まれで毎年神田明神に初参りをなさるそうで、今回はついていった。お神楽などあって楽しかった。おみくじは中吉。
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