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風の街 ボリビア楽旅記
序章 標高 四千米で見る夢
最初のコンサートを終えたポトシの朝

いやな夢ばかり見る。ラパスに着いてから六日間ずっとだ。今朝などは、東京を爆破してうろついているところを警官につかまってしまった。
到着して十二時間引っくり返ったベッドの妄想で、テナーの黒葛野とジャイアントステップスについて語って「これのトランスクライブが終われば絶対音感が身に付くだろう」馬鹿々々しい、誰が絶対音感など欲しいものか。
よく知っている女の名前を呼ばなくてはいけない場面でどうしても思い出せず、それをとうに見透かされている。刻々と女の顔は変わって行き、しかもどれも見たことのない顔なのだ。怖い。
もっとも従兄の裕二と久々に再会して将来の夢など語ったのはほほえましい。裕二は生まれてすぐ猩紅熱に罹って自分では喋れないので僕が一方的に話す。「もうすぐ大学がおわるが子供達も大きいので、院に入ってずっと音楽の勉強をしたい」などと矛盾したことを言っている。自分が青年期で、将来を思い描いているという夢はよく見る。人生に後悔しているのだろうか。それとも脳天気なだけなのか。
標高四千米というのは初体験の脳細胞に妙な刺激を与えるものか。二十年以上忘れていた寺下誠が出て来て、昔と同じように講釈を垂れたりする。

しかし昨日の演奏会は素晴らしかった。
第一章 到着
ラパスで来週のジャズフェスのプロモーション出演を終えて十二時間(の予定を九時間半で飛ばした)のバス移動でポトシへ。
こちらではプレス関係の記者会見。しかし主催者に対する質問は音楽についてではなく、この大きなプロジェクト(こちらも一週間に亘るジャズフェスで我々はその皮切り)の予算組みに不透明な所はないのか、ということに終始していたらしい。

いきなり余談だが、こういうのは世の常だ。いつからピアノを始めたか、とか今注目しているアーティストは誰か、なんてことをよく聞かれる。その日のコンサートや出したばかりのアルバムの内容や主張よりも大事な事みたいに。僕はまだいいが、瀬木などは必ず肺活量から質問されて、くさることしきりである。可哀相である。酷である。素晴らしい音楽。しかも全て自作曲。その稀なるメロディセンスと編曲法、バンドリーダーとしての高潔性を感じてほしいものだ。いや感じているのかも知れぬが、いの一番に知りたい事が肺活量、というのは教養に欠けるだろう。
プロフェショナル直ちゃん

ともあれ記者会見会場の隣、コンサート会場である「ポトシ・テアトル・クアルト・センテナリオ」へ。
オケピットのある立派な劇場が、もったいなくも殆ど使われていないのか、カビくさく、ほこりっぽい。おまけに昼間からしんしんと底冷えする。客席側から入ってステージのピアノを見るに特徴のある足のふくらみは、古のベヒシュタイン。70362の製造番号は1950年頃のものだろうか。竹田氏は一目見るなり働き出した。四時間プラス四時間(前日と当日)あれば何とか出来る状態だという。我々にあるのは三時間半。とすれば、調律、調整、整調の三つを頂点として枝分かれする何百もの行程のプライオリティを即座に考え、即座に動き始めなければいけない。
スタッフがステージ明りを点けるのに手間取る暗がりの中(この辺がラテンなんである。下準備というものがのろい)20Kgはあるだろう鍵盤部を引き出してハンマーをチェックしだす様子に周囲は声もなかった。

世界で最も高地の都市(四二〇〇米)で[1]重いものを持つ。[2]俯向く。という、高山病予防の為にしてはならない三つ(あと一つは走らない事)のうちの二つを、高度順応する筈のない到着当日に行為するのだから結果は見えている。しかし直ちゃんは周囲の助言に答えもせず、黙々と作業を続ける。電気はまだ点かない。舞台監督の内堀氏に借りた懐中電灯を頼りにひたすらフェルトを整調する。三つ四つ掃除(のように見える)しては鍵盤全体を戻して、鳴らしてみては、また引き出して微調整。これを何度かして次の部分へ。これを八十八鍵分。ハンマーバランスも同じ事。調律に到っては二百以上のピンに手間をかける。
四時半のリハーサル開始時間には顔面蒼白で眼球が今にも飛び出しそう。悪寒に震えて毛布にくるまり、ボンベで酸素吸入という典型的高山病の症状で、「出来るまでのことはやりました。後はお願いします」と笑顔で言われたら、涙がでた。

気を取り直してピアノにさわる。
気を取り直して、というのは文学的感動と科学的品質(この場合はピアノの状態。音楽的感興は後者に支えられ乍らも勿論前者の比重が高い)とは別だから、違う目と耳と心が要るのである。
驚いた。
もこもこの低音がバンドを支えられる明晰さに。
タッチバランスのとりようもない中音が指の角度ひとつで音色コントロール出来るように。
持続時間の極端に短かかった高音がペダリングと左手のフォロー次第で歌えるように。
なっているのである。
勿論彼の十八番であるスタインウェイを好条件でたっぷり時間をかけたようなことにはならぬ。が、そこが凄じい程の技術なのである。
腕のいい調律師が思うさま仕上げたピアノをマエストロが弾く。そこには協調も勿論だが、ある意味、小気味良い対決もある。我々の今回の作業は全くの別次元で、協演なのだ。ベーシストがピアニストに対して、こう弾けば向こうはこうするだろう、相手がこう弾くのはこちらがここを補ってくれることを信頼してのことだろう、とアンサンブルを紡ぎ出して行くような、お互いの長短、傾向を踏まえ、信頼した上で、時間の制約上捨てるべき作業は捨て、捨てられぬ行程は、例えば照明の吊るし作業の邪魔になろうとも行い切る。
ここに至って科学的と文学的の感動が一体となって本番への圧力、エンジンの爆発の為の圧縮のようなものが限りなく高まるのだ。
ネイチャーワールド 初ボリビア公演

先ず瀬木がソロでマイクの前に出て(Non PA)“シクーリ”を吹く。
吹き終わった一瞬の静寂のあと割れるような拍手。本場でもこれだけの音を出せる人間はそういない。おまけにいきなりオリジナル曲をぶつけて、それを白紙で受け入れる聴衆に我々も勇気づけられる。
さあ、これからが大変。越田のバカっ速いギターカッティング。八小節のアカペラで即高山病、との下馬評もよそに、“ブリーザ”“デザート”と快調に飛ばす。
永原も、こちらはきっちり高山病になっているのだが、隙を見ての酸素吸入でいつも通りのマッチョなプレイ。メンバー紹介で彼への拍手が一番大きかったのは大したものである。何の先入観もない聴衆に一番ひびいたのは永原のドラムだったのだから。彼には何かあるのだ。
高山病とまではいかないが、極端に食の細って、タバコも吸えない坂本も普段通りの沈着な支えをキープする。
“ラグーン”での情景的なバンドサウンドに乗って瞑想的なピアノソロが出来た。
続くデュエットの“イルシオン”は気負い負け(僕が)した感もあったが、“Non PA”のクラシカルな世界は客席の未経験だった所のようで長いレストに溜息が聴こえる。

その間じゅう吸入していたらしい永原のいつもの不必要な程大声のカウントで“冒険の旅路”が始まる。越田が火を吐くようなフレーズを叩きつける。ここまでソロがなかった、ということはずっとカッティングをし続けていたということで、息も絶え絶えの筈が「一気にいけちゃうもんですね」とは終演後の弁。
僕自身感じたが、ソロやメロディーよりリズムキープの方が、高山病的にはキツい。ピアノ如きでそうであるのを、日本一体育系カッティングを要求される瀬木曲でのバッキングを何曲も完璧に(一小節に十六個の音符である。一曲分、ワンステージ分を推量して驚嘆すべし)こなした上での爆発的ソロは凄い。
バンドというのはいいものだ。一蓮托生さまざまな条件の下で経験値を上げているので、今回のように全員初体験みたいな状況でも一定のサウンドになる。この異国、この高地で普段通りプラスアルファの演奏が展開できているということは、その裏地、土台たるや並々ならぬ様々が音楽に乗っかっているのであり、見えぬまでも感じるその何かに客席も感動してくれるのだろう。

ゲストのドナート・エスピノーザを迎え、彼の曲“ディシシオン(決意)”でネイチャーワールドには珍しい坂本のベースソロ、“無我夢中”で山下奏法をたっぷりとお見せして終局の“アンデスの詩”。
楽屋に戻っていつもなら声を掛け合うが、この日ばかりに皆“あと一曲、もうひとキメしてやるぞ”とピリピリした雰囲気。いいもんである。瀬木が酸素吸入しているのを見て、皆がそういえば一番きついのは吹く楽器の筈だよな、と初めて気付く。加えてツアコンから通訳まで一人で(スペイン語は一行十六人中彼しか話せない)背負っておくびにも出さないのだからやはり名バンマスであるだろう。前日にはチャカルタヤ(五三〇〇米)へのツアーも慣行しているのである。化け物である。怪物である。超人である。
出日本記

チャカルタヤの話が出た所で、時系列は逆になるが、到着からポトシのコンサート迄の事を書こう。

九月六日十六時三〇分発のAA一七〇便で日本を発った我々は、LA、マイアミと乗り継いで九月七日の五時半にラパス空港に着いた。コーディネイターのアンヘルとチャランゴのドナートのお迎えで明けて行く山道を擂り鉢の底へと降りて行く。四二〇〇米から見降ろすラパスの街は静かに茶一色。眠っている。空港前での朝露の凍りついた芝生の上や見降ろすラパスをパチパチとカメラに収める今本氏は半袖のシャツ姿で高山病第一号となった。
今ちゃんは、広島は三次のお好焼屋さんの大将で、全員おたふくソース持参を密かに期待していたが、不持参。でもよかった。持参したシャンプーが気圧変化で破れて鞄がぬたぬたしていた人が居たくらいだから、ドロドロのおたふくソースが全面に広がったスーツケースというのは考えたくないものである。
朝食を食べてすぐさま歩き回ったのは永原。彼はピースボートに乗ったり、バックパッカーで一人旅をしたり百戦練磨の世界旅行者なのだが、この日の夜から突然苦しみ出して再起不能になった。遠因は街での買い食い。チキンのつけあわせのバナナのフライだ、とは現地実業家歴三十年の藤本トシさんの言。直接のきっかけは二十二時に呼ばれた生出演でのセッティングと演奏、そして何といっても片付け。重いものを運んで、力を入れてネジを締め、二曲とはいえおもいっきり叩いて即撤収。この作業でやられてしまった。
買い食いとは馬鹿なことをするものだと思われ勝ちだが、先述したように、アジアでもアフリカでも同じように暮して来て無事だったのだから、初体験とはいえ南米でだけやられるというのは僕としても不思議だった。
ボリビア放送事情

この出演がすごかったのはあまりに成り行きだけで成立していることだ。二十二時に呼ばれて二十二時半から生本番と聞いていたのだが、二十二時の時点でスタジオはがらんどう。キャスターテーブルだけが整っていてアナウンサーが喋っている横で遮蔽物もなくセッティングする。それが何と本番中なのだ。渡される原稿で次々つなぐ技はさすがだったが、CMの一分がくるたびに音チェックなどする。全体が整うまで一時間程もニュースを続けて「次のコーナーで一曲めを演奏してもらうから、CMの間にバンドのサウンドチェックをしてくれ」という。つまり一分間。でも何とかやれちゃうのはパーマネントバンドの強味。

スタジオにピアノがないので用意されているはずだったのが、二十二時の時点で届いていなかった。楽器がきてもどうせキーボードなんだったら今日は不参加でもいいや、などと不謹慎なことを言ってるうちに、スタジオの近所に住むドナートの友達が最近買ったのがあるといってカーツェルが段ボールに入ったまま運ばれてきた。これで「ノイ プロブレモ、よかった」で済む所が楽しい…のか?
で、本番を横目で見ながらヘッドフォンで音を探すのだが、どの音色にもトレモロがついていて、何を弾いてもマンドリン。この音で出来ることは何か、などと考えてるのは呑気な僕だけで、回りはドタバタ。竹田氏は趣味で瀬木のコピーバンドなどしていて、キーボードもある程度わかるというので任せてみたら、本番直前の一分、つまりバンドサウンドチェックの時に原因(ペダルからの命令の設定)を究明して解決、なんと泥縄なこと。でも間一髪間に合っちゃうところが出来過ぎ。

聞く所によると、この番組は一日の終わりを締めくくるニュースバラエティで、とても視聴率が高いという。この態勢で毎日アナもあけずに(時々あいてるのかな)できているというのはある意味日本に勝ってるかも知れない。日本のようにすみずみまでカッチリされるのも僕の性分としてはいやなものだが、鷹揚さもここまでくるとちょっとね。
人気キャスターらしい男性は広島ので働いていたことがあるという。ギャップを感じていないはずはないだろうに実ににこやかに楽しそうに働いていた。
いざ往かむアンデスへ

到着翌日にしてもう登山。瀬木は皆のために高度順応しやすい日程を仕事とオフ、理想的な組み合わせで考えていたのだが、そこはラテン、しかも立ち遅れ勝ちなボリビアのこと。一週間前になってバタバタと決まっていったスケジュールは意に反してきついものになっていた。だが折角の大自然。この日しか見れないということでほぼ全員が参加、永原は高山病でホテル静養。
まずは車で辿り着く四八〇〇米。ここはソンゴ山の麓。ここに来るまでに羊は見るわ、リャマの大群に遭遇するわでとても充実。コンドル(小ぶりだった)も見れてラッキーだったが、何といっても山脈や大平原、湖などの大自然が悠久を思わせる。赤色の交じった小湖や、一部が赤土がむき出しになった崖が見えて、自然の不思議よ、と一同感嘆していたら、産業廃棄物の化学汚染だとのこと。嗚呼産業革命の無情さよ。然しラパス市街の混血人種も山岳部の先住民族も、電気やTVの普及した今、世界情勢には通じていて、さすれば勿論、冷暖房の効いた清潔な暮しにあこがれている筈ではある。昔乍らのシンプルな暮しこそ豊かな文化だなどというのはプールサイダーのたわ言かも知れぬ。
脱落

五一〇〇米の山頂を目指して一行は車を後にした。百米で一人脱落。それは僕。四八〇〇米から一歩二歩高みに足を踏み出すだけで全力疾走したぐらいハアハア言う。それにも増して幅二十糎〜一米の道(それでもよく切り拓いたもんである)の右が山、左が崖というシチュエイションにこの先耐えられそうもない。そりゃ雄大な景色ですよ。でも、途中で何かあって皆に迷惑をかけるよりはと、引き返した勇気を誉めてほしいくらいのもんである。負け犬の遠吠えである。皆さんはこの先何が、という思いで一歩一歩踏みしめて行進している。
危惧

車で待つこと三十分で丸山夫が帰ってきた。二人で更に三十分喋ってるうちに、坂本が「限界です」と帰還。それから一時間程待っても誰も帰らぬ。風がきつくなって来た。彼等の歩んでいるであろう中腹は雲に覆われていて、足早に流れている。雨霧で済んでいればよいが、雪だと危い。霰、雹ならビバークものである。
更に四十分程経って流石に心配した現地スタッフが三人でスタスタ(大したもんである)と別方向の高見に登るが見えぬと言う。
瀬木の持つ携帯電話は車のある四八〇〇米までは途切れずに通じていたが、今は不通。自分達に出来ることは何もないからと、ひたすら楽観論や極端に危険な例えを冗談にして気を紛らわすこと三十分程、「見えたぞー」とスペイン語。見えたぞーというスペイン語は知らないがこういう時はわかるもんであるな。ホッと胸を撫で降す我々の目に意外に元気そうな一ダース。驚いたのは丸山妻。下馬評では高山病第一号との呼び声も高かった(日頃からよく喋り、よくはしゃぐチョーネアカ元気ガールなんである)のが、ケロリとして「あー楽しかったー。きれいでしたよー」。

我々が見た雲は彼等の所では雪で、それを見て氷河の見える目標地点を諦めて百米手前から戻って来たとのこと。たかが百米と言う勿れ。五千米から五千百米なんである。今度こそ引き返した勇気を讃えるべきである。
色んな人たち

岡野夫妻はともに僕と同じ年。なのに踏破してケロリである。浅草人は身体が丈夫なのか。好奇心が強いのか。多分精神が柔軟で強靭なのだろう。この後、尻上がりにボリビアの洗礼に我々は傷ついていくことになるのだが、岡野夫人の状況を受け入れ楽しむ様子と、岡野氏の沈着な態度に、一同パニックを免れた場面は多かったように思う。

対照的にはしゃいでしまったのが竹田の直ちゃん。こわごわ進む五十糎幅の道から崖を見降ろしている時に突然気付いた。スキーではしょっ中こんな所来ている(彼は上級スキーヤーでもある)のだから、そのつもりになれば、下界はるけき景色を楽しめこそすれ、怖くはないじゃないか。と悟りを開いた。まではよかったが、殆ど尾根道といえるような狭きの場所で振り返って踊って見せた。最終地点では雄叫びを上げて、アンデスの山々に声の刻印を残した。ひびき渡ったその音は
「MOCO-CHIN-CHIN」「MOCO-CHIN-CHIN」「MOCO-CHIN-CHIN」「MOCO-CHIN-CHIN」「MOCO-CHIN-CHIN」

モコチンチンというのはボリビア独特の飲み物で、乾燥した桃の皮をムいて砂糖とシナモンで味を調整しつつ水に漬け込んでジュースにしたもの。どことなく梅酒に似た趣もある。
この登山日の時点では瀬木以外誰もが未経験だったのだが、外で味わえなさそうな期待感と何よりその語感で、成田を出る時から既にこのツアーの合言葉と化していたのであった。

岡山の大工、山村さんは瀬木の長年のファンでサンポーニャも吹く。極真空手の段持ちでアンデスは今年二回目。これが全て災いした。
高度順応しているだろうとビデオ撮影係になったはいいが重機を持っての山登りにへばらない筈はない。しかし格闘家たるもの一度口にした事を覆す訳には行かないと頑張る。おまけに弱音を吐く事は生活全般に亘って自分に禁じている。明らかにくたばっているのに「いや大丈夫」といって尚更頑張る。偉い!偉いけど大変。瀬木曰く、こんなにいい男なのに女性が現れないのは「私が居なくても大丈夫なんだ。この人は」と思われているからで、男も時には弱みを見せてもいいんじゃないか。僕も同感。
こんな事もあった。
ポトシでの朝食ブッフェで山村さんの前のシリアルのボールがやけに泡立っているので訳を尋ねたら、ミルクとアップルジュースをシリアルにかけて混ぜてみたとの事。おいしくなかろうから別皿をとれば、と勧めても頑として「大丈夫です」。
こんな場面でも、[1]自分のした事は最後まで責任を取る。[2]弱音を吐かない、を通すんである。偉い!でも何かちがう気もする。
我が人生最高の時(但し標高で)

再び全員揃った所で車で来た道を引き返し、分れ道をチャカルタヤ方面にとる。しばらく行くと右手はるかにチチカカ湖、山あいに見えてはいるのだが蜃気楼が浮んでいるかの印象。横になって手枕をしているようにのんびりしたたたずまい。あまりの心地よさに僕もその地に印を残した。

これでもかこれでもかと、上へ登る。徐々に息苦しくなるのを実感する。着いた。五三〇〇米だ。車を降りる。途端に「薄い!」。たかだか車とはいえ多少は守られていたのだろう。必死に深呼吸してやっと空気が肺の半分を充たすくらいの実感。禁煙しとけばよかった、と、そこまでは思わなかったが。
それにしても素晴らしい風景だ。としか書けない自分が情けない。
音で表わそうか。でも何のメロディも浮ばない。ひたすら圧倒…いや圧倒されるんでもないんだよな…。美しい…勿論美しいけど表わす言葉としては違うんだなァ。
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