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仕事日記
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ボリビア記
 
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風の街 ボリビア楽旅記
第二章 移動
小さな電気屋で電池の有無を聞いた。エリャーとかリャリェーチェとか、三河弁をまくしたてられてるみたいだったが親切に教えてくれた。身ぶりのみからの推察でニ本目を左に、次を右に行くと大きな家があるみたい。そのエリアには銀行もある。
歩いてみるとじつにそのままでびっくりした。
文化の街?

ドナート・エスピノーザの生まれ故郷ポトシは落着いた雰囲気で好きになった。
小ぶりな公園の周りを映画館や商店街が取り囲んで、日なたぼっこのおじさん、おばさんも気軽に挨拶をくれる。
ハイスクール生みたいなのも多く、ラパスの油断できなさに比べて民度というか文化度が高い気がした。
早くから我々の演奏予定のシアターに長蛇の列が出来ている。そんなに珍らしくて切符の行列かと思ったら違った。今日は歯の無料診断治療の日だそうだ。
鉱山の街

何でも、銀鉱があるのをスペイン人が嗅ぎつけて大発展し、鉱脈が廃れるとそれっきり。近年になって錫の鉱脈が注目されてまた発展しているという。ごくろうさん。
在治不忘乱
在乱不忘治
なんてことは、征服者にも被征服者にもないんだろうなァ。先住民族労働者の状況は今に至るも悲惨なものだそうだ。
カトリックの街

大体皆殺しに来た奴輩のキリスト教を、征服された者が心の依り所にしているという所がわかりづらい。徹底的な服従というのはそんなものなのだろうか。その経験があるからイスラムだってやっつけられると思っちゃうのか?
征服者と被征服者の混血民族が主流であるという観点からすれば、カトリックはスムーズに教育や人口の増加に入り込んで人々の体に染み込むに到ったのか。
それにしても当地のキリスト像は色っぽいというかイケメンというか誤解しそう。
日本車の街

通り過ぎるバンに「○○旅行社」と書いてあるのでこんな所にもパックツアーが来るのかと驚いた。と、思う間もなく「白百合幼稚園」だの「熊本○○寿司」だの次から次へ日本語外装の車がやたら目につく。
廃車寸前を安く買って船輸送、そして売り捌くというのが結構なビッグビジネスとして成立している由。という事はボリビア人にもビジネスマンはいる(当たり前か)という事。但し、そういう人達は国外に出て本国向けあるいは本国も含んだワールドビジネスに従事するらしい。ボリビア国内はまだまだ「信用を基礎とした取引き」(=ビジネス)の基盤に到ってないようだ。後で我々も手痛い目に遭う事になる。

日本人はやはり大事に使うのだろう。タクシーも日本車(元日本車というべきか)が多い。こちらはさすがに外装は違えているが、メーター類がない。右ハンドルをぶち抜いて左側につけただけに見える。いくらなんでもそれでは車は走らないだろうからどうにかはしているんだろうが。速度計も燃料計も右側に残ったまま、ピクリとも動かぬ。何やら色んな色の細い線がいっぱい束になって元の位置だったらしい所から左側のハンドルの右下に繋がっている。むき出しで。
車検ってあるのだろうか。我々は子供があやされるようにして暮らしているのだな、と思った。僕としてはその方が良い。
あいさつはキッス

朝七時からバスに乗って運転手を待っている。もう八時を過ぎた。
ポトシでのボリビア初ライブを大成功させた翌日、コチャバンバに向うオフ日の朝である。
昨晩は大受けで、サインを大勢にねだられたのは良いが、女性が皆両頬キスをするので閉口した。片頬を寄せて「グラシアス!」と言い乍ら唇をチュッと鳴らす。残った方も寄せて「フェリシダージ」と言ってチュッ。たまに実際にこちらの頬に唇をつける娘もいた、と瀬木に言うと「それはソノ気があるというサインなんですよ」。何とわかり易いシステム!早く言っておいてくれればいいのに。といっても何も変化はないけれど。
それはそうと運転手は未だ来ない。連絡が入った所によると、警察に居るらしい。事情はこうだ。
チャーターバスの不思議 その1

前日の夜明け頃ポトシ市街に入った我等がチャーターバスは二十人乗りのオールベッド仕様。つまりリクライニングするとフルフラットになる座席が二十。つまりは画体が甚しく大きい。そのバスが我々の泊すべきホテルを尋ねて、道の狭きが故に一歩通行ばかりの小道を行きつ戻りつ曲りくねってのし歩く。ある時は切り返しに軒先を掠め、ある時は一方通行を知り乍ら強行突破。一度など綺麗にデコレーションされた万国旗を引き千切って兜に飾ったまましばし走る。
そのエリアは元々大型車の進入禁止区域で、事前の申請と許可もない(ドナートが怠った)上での狼藉に、免許証と営業許可証を取り上げられたとの由。
但しそこはそれ、裁判だの罪状だのとは言わず、罰金という名のインクルード袖の下。罰金として国庫に如何程入金されるかは甚だ不明瞭との事。なのだが、昨日の担当警察官が未出勤でその彼を待つ余波が伝わり伝わって我々日本人一行がバスの中で一時間半与太話をする羽目とは相成った。
言われてみれば昨晩の演奏会終了後もバスは仲々到着せず、判明してみれば運転手。ヤケ酒を飲んでつぶれている所を発見され、漸くの事で目覚めさせ連行して事無きを得たの由。
事無きとは言えないだろう。酔っ払いの免許不携帯者の大型バスに我々は揺られていたのである。十五分程の事とはいえ。やれやれ。
パリィアード その1

夕方のコチャバンバに着いた我々を迎えてくれたのはエドウィン氏。人気デュオ“トゥーパイ”の片方にしてエフェクトレコードの社長。はたまた瀬木と同歳で二十年来の親友と来るから心強い。明日のコンサートの主催者イヴァンと共に歓迎のガーデンパーティを開いてくれたのだ。こちらではパリィアードといって、何かあると親しい者達が集ってはワイワイやるらしい。
エドウィン氏のレコーディングスタジオを併せ持った会社は日本でも仲々見れない、広くて清潔な一軒家。百坪程の敷地の半分を芝生の中庭に。今日は、 新聞などのインタビューも兼ねている。
炭火で焙ったサーロインを中心に、こちらへ来て初めてマトモなものを食した気がする。
高度的にも四千米級が三日続いた後の二八〇〇米。越田などは“過呼吸になるね”などと軽口を叩く。
これも渡航後初のアルコール、ペリーシアという当地のビールを皆で口にする。侮るべからず二八〇〇米。一ビンの三分の二程度で、大きいシャンパン半分程も飲んでしまったかのようなふわふわとした酔い加減が良い加減。
朝のコチャバンバ

コチャバンバの街は訪れた三都市の中でも最もヨーロッパナイズ(もしくはアメリカナイズ)されてる気がした。それは店々の綺麗さや、陳列のスマートさに感じたのだが、まァ上皮一枚の事だろうか。油断はならない。が、朝市のおばちゃん達の陽気さや葬儀用品店のゴージャスさに地方裕福都市の匂いを感じた。街の匂いは例の臭さなんだけどね。
そうそう葬儀屋通リともいうべき所に迷い込んだのですよ。幅六米、ワンブロック五十米程の片側がズラッと豪華棺桶が陳列。七〜八軒はあっただろうか。どこの店員も実ににこやかで、一軒などは相当詳しく説明(だったんだろう)してくれた。人生の最大の幸福は死ぬことだ、とでもいうように。
腐ってもスタイン

コチャバンバの国立劇場は天井のドームも深く、四階建の客席も豪華だが、ステージの幅の三倍も奥行きが取ってあって内堀氏とあれこれ推量してみたが謎。
ゆうべエドウィン氏が、明日はいいスタインウェイがあるよ、と言ってた如くD型(フルサイズのコンサートグランドピアノ)が艶然とましましている。鍵盤部側板が直角でなくゆるいカーブを描いている所からハンブルグ製だと知れる(教授 by 直ちゃん)。弦も綺麗に光っているし出音も少し手を懸ければ充分良く鳴るかに思えた。がしかし、タッチがバラバラで、引き出された鍵盤部は埃塗れ。鍵盤の最深部より三分の一位の所で一度アタリが来るのがスタインウェイ独特の感触。その位置が悉くずれている。八十八個のネジを早速調整に入る竹田氏。
要するに見えている所のみ綺麗に保守しているわけだが、それだけでも当地では珍しくも有難くも褒むるべき出来事である。
そこは「腐っても鯛」ならぬ「放置されてもスタインウェイ」返り土台の張力だけのせいでもなかろうが、一途に鳴ろうとしているかの彼女を直ちゃん又もや持てる時間全て注ぎ込む。本番は勿論ポトシに比ぶるべきもない仕上がり。何の手加減も不要で出したい音がでる。
ピアノ殺人未遂

この日は太郎丸君のソロも抜群に良い運びで、客にも伝わるのか大受けしていた。ところが中盤過ぎの聞かせ所“エルコンドルパサ”のイントロで、ハンマーバランスが崩れた。前述の“アタリ”の位置がパターンの最初の音、中央Eだけ深まってしまったのだ。
音色をキープしようとしてその深さから導き出されるテンポはほんの少し遅め。まァバラードティックな曲だし、悪かないだろうと思ったのが大間違い!
三千米近い高地でサンポーニャならまだしも、最も大量の息を要するケーナでテンポが落ちる、つまり遅くなるということは即ち殺人的な酸素供給を瀬木の肺は要求したことになったのだった。
“いやーいい音出てるねェ”などと暢気に感心していたら後で「死ぬかと思いましたよー」と叱られた。
でもこの曲でも越田ソロは秀逸だった。
男子一日会わざれば刮目して見るべし、という。しばらく会わぬうちに何か会得したか、今回のツアーに賭したものでもあるのか。
個々のフレージングや展開は聞き覚えのあるものだが、その運びに以前の階段を登るような跳び越えがなくなり、平地を往ってると思っているうちに下界が広がって来るようなスムースな運びがクライマックスまでつながるのである。
新境地というよりは名人の域?
チャーターバスの不思議 その2

ポトシ出発の朝の罰金だか賄賂だか解らぬネゴシエイションはコチャバンバ到着の時も見聞した。
こちらはエドウィン氏の手配で、大型バスの高級住宅地への乗入れを事前に申請、許可を受けていたのだが、その境界線を守るパトロールカーの警官は聞いて居らぬと言う。然る可く確認してもらったりのオフィシャルな行動要請は計り知れぬ時間のロス。そこで即座に値段の交渉とは相成り正規には(何が正規なんだか)五十ボリビアーノの罰金の所を二十ボリビアーノで手を打った。その金の行方は勿論不明である。
聞き覚えの無いと宣った警官その人が申請を受けた係官である事も容易に察せられる所だが、皆深くは突き詰めない。過ぎた事は片端から忘れて行かねばならぬ程次から次から問題は押し寄せて来るのである。瀬木の精神的なタフネスの醸造元を垣間見た思いがした。

さて、エドウィン氏の飛び入りはあるは、市長は挨拶の途中で“上を向いて歩こう”を歌っちゃうわ(勿論即伴奏した)で大盛り上りのアンコールの余韻冷めやらぬまま、我等がベッドバスは再びラパスを目指す。
一時間程も走ったろうか。休憩にはちと早いタイミングでバスが止まる。永原が「誰かが何か積み込んでるぞ」。
窓から見降すと一人の婦人の指示の下、三〜四人の男衆が一米半直径見当のでこぼこした円型の荷を十程も積んだだろうか、あれとあれよという間にバスは再発車。振り返って考えてみるに、既に何度も同じメンバーで動いている割には、今日の荷積みは狭さを極めていた。即ち、後刻にこの積荷の有るを予め折り込み済みで六つのボックスの中、二つに我々の荷を詰め込ませたのである。
どの行程にも運転手と助手用椅子のみの最前部に、便乗客を乗せては裏金稼ぎをしていた由。あの狭い所に何人も何時間も立ち放しの客共の根性に感心したりもするが、チャーターした側は理に合わぬ。
加うるに此度は何とタマネギ百キロ輸送である。旅客のことや、酔っぱらっての遅刻等、大抵のことは黙認したり遣り過して来た瀬木も流石に怒った。我々が眠ってる間に荷降しをされるのである。これは呑む訳には行かぬだろう。
降ろされた老婆は泣いて救いを求めたというが、なに構うものか。乗り込み地と行き先でそれぞれ多勢に手伝わせて荷運びの利を取る商人とそれを事前から請負う運転手がチャーターの主に断りもなしの狼藉なのである。ばれる嘘をついているうちは、人も国も駄目だろう。
ボリビアに対して同情も応援もするものではないが、持論の希望的性善説に翳りが出ることである。
日ボ・スタッフ事情

夜も明け遣らぬ五時頃にラパスグロリアホテルに着く。この日の夜にはコンサートなのでスタッフは大変である。十時半に待合せで、歩いて二ブロックの国立劇場に仕込みに入る。
筈が…。
現地スタッフが誰も連絡取れず仕舞いなので十五時に変更になった。
筈が…。
劇場に誰も居ない。スタッフ所か守衛も何も居ないのである。
そこで…。
鍵を壊して強行突破。日本人スタッフでアカリや音響の組み立て、直ちゃんは調律に励む。現地スタッフの到着は十七時半。若しこの時刻より仕込んでいたら十九時半の開演は不可能な計算であるが、誰も謝らず、誰も怒らず黙々と作業が続く。
日本人スタッフに見る“コンスタントな仕事”とは

内堀舞台監督の現状把握と決断の早さ正確さは今回改めて瞠目させられた。舞台袖で本番を見守る目付は、音楽に入り込んでるようなそれでいてまるで無関心のようにも見える。眠狂四郎の如くである。半覚状態が最も、あらゆる事に対処できる態勢なのだろうか。ところが舞台の内と外に拘らず何かを、例えば僕の困った表情を一瞬見ただけで、トランスポーテーションのように隣に居て「どうしました?」と聞く。
昔、喧嘩の強い友達がテーブル三卓程越しに売り言葉を掛けられたと思ったら、次の瞬間その相手が鼻血を抑えてうずくまっていたそんなシーンを彷彿とさせる。

ちょっと飛躍かな。

園田さんの作る音環境。当地初回のポトシでの注文(僕からの)そのままの音がコチャバンバでピアノの前に坐った途端出て来たのには驚いた。が、後でもっと驚いた。
最初に驚いたのは会場もピアノも違うのに掛算割算で同じ環境を作るべく卓を調整できる技術と、それ以前それ以上にセンス。
もっと驚いたのは、音響調整卓自体も持ち込んでは居らず日変り、それも8ch程度の機材だったと後で知った時である。
及川さんが担当する照明のことは詳しくないが、状況は一段と厳しいだろうに毎日同じステージ効果が出ている。
「僕の欲しい音」(X)割ることの「その場の状況」(Y)イコール スタッフのすべきこと(A)イコール 機材状況(B)掛ける 手間の種数(C)
A=X÷Y=B×C
を即座にこなすのである。技術もさり乍ら、体力、精神力そして愛情がなければ出来ない事だと思う。
次はスペイン?

ラパス国立劇場はドーム型の天井に錦絵ならぬカトリック風の絵画が施され、中央のシャンデリアとも相俟って荘厳な様子。
それ以外の劇場も絵こそ無くても、ドーム、天井、三〜四階の客席、貴賓席は必ずある等々、映画や本で見聞きするスペイン風の物だとは覚ゆ。
ポトシで建築中(修復中?)の教会などは、玄関脇の堀を塗り込んだ後に装飾彫刻しきりの場面も見た。
スペインの風が勿論残っての事だろうけど、これを以ってスペインを感じていいものかどうか。余波か混合かそっくり移入された上でのレベルの低下か?かくなる上はまだ見ぬスペインに行って体感せざるを得ないか?
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