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仕事日記
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INDEX
 
2月1日(日)ソロ モーションブルー横浜
1st
1.ドビュッシー/グラナドゥス・パルナム博士
2.佐山雅弘/うぶ声
3.リスト〜ブライアント/愛の夢第3番ブギ
4.ショパン/変ホ長調の小バラード
5.ジョプリン/メイプルリーフラグ
6.佐山雅弘/サマーアフタヌーン
7〜9.ゲストコーナー(南佳孝)
10.ガーシュイン/ラプソディインブルー
enc:ウォルドロン/レフトアローン
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2nd
1.J.S.Bach/ゴールドベルク変奏曲より抜粋アリア、バリエイション3,4,21
2.佐山雅弘/イン・ザ・ベルベット 
3.J.S.Bach〜佐山雅弘/ト調のメヌエットジャズ風味
4.佐山雅弘/ラブ・ゴーズ・マーチング・オン
5.佐山雅弘/タフ
6.佐山雅弘/サンドウィッチ
7〜10.ゲストコーナー(南佳孝)
11.佐山雅弘/ティアーズ・オブ・ネイチャー
enc:ルート66(w/南佳孝)
2月5日(木)
サンホセの現地時刻が朝の6時17分だそうだ、一体何日の?東京では夜の11時17分だというからそれは出発した日、つまり2月5日が終わろうとしているのだろう。ではサンホセの朝は日本に追いつくべく2月5日の朝ということになるはずだ。永遠に追いつかない時差のチェイス。
案内にも地図にもサンホセと書いているのに瀬木もAA(American Airline)の人もサンノゼと言う。てふてふをチョウチョウと発音するようなものか。
離陸して5時間経って気分が楽になったので昨日からを振り返ってみよう。どこから始めるか…

デュークエイセスのジョギングコンサートの打ち上げが最早恒例となった通り2本向こうの居酒屋であった。いつもと違うのは翌日に離日を控えてPackingも手つかずの僕が早くに帰らなくてはいけないこと。だが、急に体が空いたからと足を運んで下さった秋山和慶先生が打上げにも参加してくれたとあっては、早々に引き上げる訳に行かぬ。礼儀以上に先の記者会見にも止むなく欠席を余儀無くされるような忙人と飲む機会は無駄にすべきではない。
共に飲むというのはやはりいいもので…
ピアノコンチェルトにトライするならリストもいいけどアナ(穴狙い)としてはモーツアルトだろうと。ジョージ・シアリングと一緒だった時は20番のニ短調だった、などとサラリと仰るから恐ろしい。
一時期、羽田健太郎さんのトリオ(荒川、石松)をリズムセクションに大フィルで5年程Pops Concert Seriesを演っていたことがあり、それを川崎では佐山と展開したいと言ってくれたのは嬉しかった。デュークのバックとはいえ、ワンコンサート見終わってからのことだから、僕のpfやアレンジを認識した上での発言なのだから、油断しない程度に喜んでもバチは当たらないだろう。

時間はその日の本番前楽屋に遡る。キーボードマガジンの連載があと2回、計15回を以て終了するのを受けて本に出来ないかと和田さんに問うと…
大体400字原稿用紙にして300枚が単行本の分量だと教えてくれた。
1800字×15=400×4.5×15
      =400×67.5
70枚もないんじゃまるでダメだけど、字数制限の下に書いたものをふくらませて、ワンアーティストワンアルバムのコラムに囲みで隠れた別アルバムについても思うさま書いていけば、主題と変奏(この比喩が気に入ってしまった)のように広がっていくでしょうとアドヴァイスして下さった。

いよいよ今日の出発あたりの事に入れる時になって気付いた事がある。成田→サンホセ(サンノゼ)8時間位は煙草など我慢できる。パリやNYの13時間でも1回から2回”吸いたいたいなァ、えい、水だ”と思えば着いていたものだ。しかし手帳に文字を連ねていると手がポケットの煙草を無意識にまさぐっている。手の習慣なのか精神の習性か。

あと1hでサンノゼ
自宅まで瀬木が迎えに来てくれた。昨日USAから帰って来て今日またUSA、ボリビア、やがて更にチリへと飛行、まァ、彼にしたら盛岡→東京→仙台みたいなもんなんだろう。同じVITZの二人でもドライブの行先が南極とはLOVE×2ツアーもくる所まで来たものだ。
空港手前のParking Service(なんと90日まで3400円!)にVITZを駐めて送ってもらう。Bagage Throughで瀬木は係員に英語で話しかけられ止むなくそのまま対応。髪など染めるからである。体型のせいだから関係ないか。
Upgradeの予約は出来ていたのだが、マイレージによるUpgrade Ticketを瀬木本人が忘れてしまい、後処理でできないかと交渉。内藤さんというAAの担当者が融通してくれて大助かり。8h+6h+8hの三行程がall economyとbusiness〜first〜businessではまるで違うだろうから。内藤さんと瀬木は「やァやァ」の仲みたいに見えた。そりゃそうだろう、あれだけ諸外国に行っていてAirLineは必ずAAなのだから。
WaitingLounge”Adminal Club”でも受付嬢に「アラ、また」という顔で案内を受けていた。
離陸したらのんびりできるとは限らない、飲み物だ、食事だと…それでも結構色んな事が出来た。
 7dials残1/3読了
 司馬全講演から2冊
 おしどり探偵の2冊
 へ調のコンチェルトをスコアで追う
 シューマンのコンチェルトをスコアで追う
 おしどりの2章
 講演2つ→ノート書

朝9時20分にサンホセ着
サンホセだけは荷を一旦受け取って預け直し、Body Check も受ける、靴まで脱がすのには驚いたが皆さん素直に従っている。
FirstclassをもらっているのでAdminal clubに行くも、Smoking Areaはないとのこと。”whole Airport haz no smoking area"
トイレタバコも考えたが止す。11:45 A-10ゲートよりDallas行に乗り込む。瀬木はMiamiと言ってたけど大丈夫なのか。

ダラス・フォートワース着 17:37
A.B.CのうちのC terminalに着いてA.39を目指す。
Admiral ClubはA.22近辺。10分程歩く途中EXITに魅かれる。外へ出てタバコ…でも一度出ると戻れないので今日は一日禁煙。これも修行と諦めたら、ここのクラブにはSmoking Lobbyがあった!
2本吸うと落ち着く。色んな人間に色んな落ち着き方があるのだから殺人強盗でもしない限りは便宜を計ってほしいものだ。喫煙は周囲の人にとって殺人に匹敵するということなんだろうが、禁酒法をやっちゃう国だなァとつくづく思う。
ビジネスコーナーがあったので、これから1.5hをフメンに費やす。18:30に時計を合わせ20:00にアラームを設定。

19:50 Dallas
1日400字(1枚)書けば1年で1冊の本が書ける。
へ調のコンチェルトのスコアは200頁。木管4部、金管3部、弦楽5部、計12部としてのべ2400頁6ヶ月で書くには月400頁→日に13頁 いや、スコアの頁数に戻してとにかく月40頁で5ヶ月200頁、1日2頁弱スコアを埋めれば半年に1曲ずつは大作、というかオケも書ける訳だ。
でも、物語も曲も構想がないとね。ただ一日にスコア2頁分、のべ小節数でいうと(無意味っぽいが)240小節分は何かしていよう、というのは音楽生活の目安としていいんじゃないか。
今、約70分で7頁書いた、掛3段×6Barsで126小節、つまり1時間を2単位フメンに費やそうということか。 
2月6日(金)
10:40 サンチャゴ着
ホテル名を書いたメモを通りすがりの制服に見せたら実に親切に案内されて、乗せてくれたのは何のことはないシャトルバス。1000ペソ×2人分寄こせという。この前にクレジットカードでペソを卸せとか、それがダメだというと両替所に行って40$かえさせられた。両替所の係員が「あ〜あ、でもしょうがないか、ぎりぎり犯罪じゃないし」という顔だったのを後から思いついた。40$で2000ペソだったからいくらなんでも高いだろうと言って5$ずつ渡したらブーブー言い乍ら引き下ったが、バッチリの稼ぎだったろう。
チリのお金を持っててもホテルは空港からも都心からも離れてるし、タクシーはもはやこわいから明日の9時にお迎え(本当に来るんだろうか)が来るまで部屋にいよう……と思うと急に心細い。

司馬講演→トミー&タペンスと読んでからFF(FINAL FANTASY X-2)の2曲目Arr.したら少し落ち着いた。時計を合わせにフロントへ、レストランを覗いたら客がいたので煙草をとってプールサイドでチリビールとトマトパスタ、愛想のいい男性従業員、やはり人と喋る、コミュニケイトすることで成り立っているのだなァと…
三日振りのビールが旨い。このホテルもそうだが、30時間の飛行機乗り継ぎもトランジットの待合もBGMがない。落ち着く。
プールサイドで風にゆらぐピンクの花を見て…

---数字譜面。割愛---

セギみたいな曲だ。
両替票をみたら
$40→peso22000
ということは
$5→44000
ということは
1000pesoづつあげたほうがよっぽど安かった!!

19:00
司馬講演→T+Tepence→へ調→作品とワンサイクルのあと眠ってしまい(時差?)瀬木のTelで起きたら時間が経っていないかのように明るくてプールの日射しや影の位置も変わってなく思えたが午後7時。緯度が高いんであるな、モスクワがこうだったもんな。

22:35
二度寝してしまったので体内時計は日本のまま、レストランが11時までだからと腹ごしらえ、これはつまり朝食ですね。その割にビールを2本飲んだけど、まァ村上春樹をやってると思えばいいのだ。せっかくだからペスカド(魚)を頼んだらでかいのもでかいがトマトソースとポテト法蓮草がうまいうまい。半分食べたら腹いっぱい。僕の食べたStanbassって何だろう。サバのような味だった。Salmonは分る。Sword fishは太刀魚だろうか、トライしてみたいもんである。
飛鳥寄港/バルパライソ(チリ)
2月7日(土)
1:10
23:50頃からF.F.の祈り曲Arrで今まで。80分の仕事量、悪くないひと単位である。

2:15
司講1節(アジアの話)後、G.G(Geoge Gershwin)Fdur Concert Orch ScoreとPf Scoreの付合せ(1楽章)勉60分、やっとScoreとCDのズレが解消できてスッキリ。しかし…
Scoreがこの手書きのものしか販売されてないのはどういう事情によるのだろう。ラプソディ・イン・ブルーも確か印刷譜は出回ってないようだし、指揮者はどうしてるのか。オケパート譜(バカ高いだろう)を買うと随いてくるんだろうか。
By the way, Gershwinの草稿は最終形とは部分によってはかなり違うものの、相当 清書〜最終形に近い。ということは下書きの段階でもかなりの程度丁寧な仕事をしていることになる。速書きでも字面がきれい、これは実践も折り込んだ訓練以外に達しえないが、大したものである。見習うべきである。もう遅いかも、いや思い立ったら吉日。
才能のなさ、努力の足りなさを長生きでカバーする?
この手書きスコアに到るまで、どのくらいのどの程度の何段階を踏んでいるか知りたいものだ。今は1楽章の確認に留めておく、その方が心に沈殿するだろう。 2:30

5:44
司講読了。韓のみち2章とタペンスを一つ残すまで(お楽しみを取っておく)
2台pfとvln第2節、完。(1/6)これから小井のstrings Arrangeに。しかし、通常の昼間がこのペースで過ごせたらどんなにか楽しく有意義だろう。
今日の夜中をひっくり返してみると…
10:30起床、豪華な朝食ののち、請負いアレンジを一つ。pf曲の机勉強〜1800字の原稿。趣味の作曲を進めて後、気がかりな本を3冊読んでバンド譜面作り
これが一段落したころに夕食(実際は朝のブッフェ)
6:45 Peri's Scope 済
 
7:40
日の出を見た。出そうだと見えたので風呂に入る寸前で窓際で素裸でいたが出そうで出ないものである。出始めると早いのは夕陽と一緒だった。驚いた事に左上方上がって行った。僕の見てるのは西方か?というのは冗談に作り込めそうだが、南半球ということ、そうかなァ、じゃあ午後2時頃には南中じゃなくて西中するのか?

バルパライソ 17:01
不思議だがずっと起きている。パッキングを済ませ、フロントに出たのが10:30。もうお迎えは来ていたが、チェックアウトに手間取り、今日到着の竹内先生夫妻を20分程も待たせてしまった。ラテンのフロントは侮れない。作業途中の電話に丁寧にじっくり話すのだ。Highwayを小一時間程走って街中。大きな青空マーケットなど見遣りながらポートターミナルへ。ずい分立派。
ボブ田中(ハワイ生まれの)さんと服部さんという二人のオフィサーに船内案内や、ショーの打合せを済ませて昼食を頂いていると窓の外に見えたのが市内へのシャトルバスに乗り込む市川秀男トリオ(横山涼一、木村…)+1(マリカ)+(市川夫人)。あと10分で出発だというので部屋にも入らず合流、マーケット見学は楽しい。人の生話を感じるのが安心感を呼ぶのかもしれぬ。横山さんがひったくりに会ったが、カメラのヒモだけで済んだ。”ドンデエスタレストランテ”と”セルベーザ””オホスベロスセニョリータ”と言えて用が足りて、”シンコ”が5$のことが分ってよかった。
船に戻って あてがわれた部屋に入ってみるととても立派。窓から陽は入るし、机は広いし、何よりハンガーが2dzというのが助かる。長逗留なので念入りに部屋作り、楽しい。19:30の夕食まで起きていられてしかるべく飲んでから眠れたらバッチリなのだが…。
2月8日(日)
3:40
夕食直後水平線に太陽が顎を乗せているのを見、カメラを部屋に取りに行くとその間に沈んでしまった。夕陽は速い。カメラのことなど考えずにしっくり我が目で見届ければよかったのである。10F先頭のVista Loungeからよく見えると言って向かった市川さん一行もエレベーターを降りたら沈んでいたという。 
そのままフィリピンバンドの演奏を聞き乍ら過す。ダジャレのみで成立しているようなバンド話は楽しくて36時間起きてる勘定になるのにマイヤーズ3杯(その前にビール2本と白ワイン1グラス)飲んで12時部屋に戻ってえらくも歯は磨き、倒れ込んだのだが3時に覚醒。
ラフマニノフの2台のpfの為の組曲2番を譜読み聞き始めたら2台分追うのがとても大変。やがて弾く為の把握プラス作曲足しになるだろうと写譜を始めたら最初の6小節(4つあるうちの一楽章だけで166小節)4段(pf2台分)書いた所でMDの全楽章が終わったので休憩。ま、このトロトロペースで日に何度かやればよい。

16:30
朝日を見届け朝食Buffet。竹内先生の南極についての講演を聞いて面白かった。極点は捉え方によって異なる3つがあるという。
1.緯度90°、東西緯0°
2.磁気の方角を突きつめた場所
3.実際に磁石がピンと立ってしまう所
ピアノラウンジで借り切れたのでGoledberg弾くが16番overtureに入った途端クルーが背後で電話するのに気付き3小節目の左手がどうしても思い出せず、煙草休憩。のち、liberitium boogieをA♭で演奏すべく練習するも思うに任せず。改めてGoldberg後半通して昼Buffet。白地に名を書いて黒枠するのは葬式の時だけだという誰かの小言を聞いた後、市川夫妻+マリカとコーヒー。マリカと二人になって話し込むうち、6人で操舵室に案内してもらえてラッキー、海図がすごい。そのままビスタラウンジに行くと詩の朗読始まり、ぼくだけ早々に逃げてグランドスパひとり占め。F.Fの自由曲(4曲中1曲)を決め込んでArrange終わらせる。

あてがわれた759室は後方エレベーターからすぐなのも便利だがプロムナードデッキになっているので気が向けばいつでも外に出れるのが良、一周してみた。大陸沿いに走ってるはずだが随分沖合だと見た、四周青海のみ、「おーい地球は丸いぜよー」といった気分。市川染五郎の竜馬は相当良かったけど僕の中の竜馬像は彼の顔がついてしまって困っている。香取信吾の近藤勇のほうがそれはそれとして自分のイメージでの局長を妨げない。
ところで、歩き乍らさっきの野崎船長の話の一部を思い出した。オートパイロットシステムの真上(頭上)に大きな方位磁石がある。電子機器でも何でもなく、昔ながらのただの(ただし強力な)方位磁石だそうだ。「機械は壊れることもありますが、こいつだけは壊れません。いざという時はこの方位磁石を頼りに東京まで帰ります」と仰る。ただ、それは近くの鉄分や地磁気の影響を受け易くこと細かな修正や状況判断が欠かせないそうである。ひたすら陽光を照り返すのみの大海原を眺め乍らその話を思い出すと、太古の人々が朝鮮半島からやって来たり、倭寇となって逆にこちらから行ったりしている様子が目に浮かぶようで楽しい。
現に野崎船長は以前乗っていた貨物船で電子機器類がアウトになって、太平洋の真只中から方位磁石のみで日本に帰ったという。海の男というものは格好いいものであることだ。
2月9日(月)
19:15
寅さん特別編観た。シーン毎には感動するも全体に難有。シアターを出ると一回目のディナータイムで周りがみな盛装。焦。
チョコマカとラフマの写譜。一単位5〜10分しか根気が続かぬが、書き写すとわかる事が多い。
レストランのエントランスのfl+pfが部屋まで聴こえる。イパネマの次にアベマリア、playerは白人2人だが変わらんもんである。日本船だからとリクエストがあるんだろうか?
昼食前にグランドスパ一人占め、というのも横揺れがそこそこあるので湯船がバシャバシャいうのだ。”街道をゆく”の韓国編読了。沖縄と朝鮮の問題については(おそらく他のすべてについてもそうだが)とにかく司馬史観が公平だろうと思う。
2月10日(火)
4:50-5:10 ラフマ 写譜
5:15-5:35  Fdur コード
5:40-6:30 小井orig アレンジ
NHKで南極の番組
外はパタゴニアのフィヨルド
「星の王子さま」にでてくるゾウを呑み込んだヘビにそっくりな島
日の出はなし。
今日はまる一日フィヨルドの中だそうだ。明日はブレノアレナス、明後日はウシュワイア。勉強は一旦、今日までだろう。

朝食後8:00-8:50 グランドHallでgoldberg
9--10 ビスタラウンジで木村、横山氏と談。フィヨルド壮観
10--11 グランスパ 一人きりでフィヨルド観
     海風呂の感 満喫
11--12 ビスタでMARICAと談。氷河寸前でU turn。流氷(Ice Rockというらしい)が透き通るBlue。
18才で作並で観た雪影の青と同じ。
海を走っているのだから見えてくる山は300〜1500のはずなのに海岸近くに既に雲、山の頂は雪、それでも山肌には樹木、何とも不思議。それらに交じって一つだけ大きな岩山。これもまた不思議であると共に奇観。アザラシ、イルカ。

12:30-14:00 市川3+1と食事+談
14:15-15:15 ピアノラウンジ無人につきFdur concerts譜読み。2楽章の途中で捲。

16:10 小一時間船最後部で小さい海鳥を見た。ずっと船についてきて上空旋回と海面急降下を繰り返す、すごい体力。遂に魚を得るを見る能ズ。
飛鳥寄港/プンタアナレス(チリ)
2月11日(水)
 
飛鳥寄港/ウシュワイア(アルゼンチン)
2月12日(木)
5:50
今日は寝坊した。でも通常の体に戻ったということだ。日の出を見損ねたのは残念だけど朝御飯を逃して風呂上りにペコペコ腹で早目の昼食から一日が始まるのがペースとしてはいいんじゃないか、夜更かしもできるし、それは即ち同量の時間分起きているとしたら一人の時間が増えることになるのだから。と思いつつ起床すると5時半だった。時差を利用した生活改善が体内的に行われたとは僕の性格上考えられないから、やはり興奮状態が続いているんだろう。

譜面も見ず、他のこともせずヘッドフォンでシューマンを通し聴きする。何とも好きである。確認〜確信。自分の中の女性的なものと彼のそれとが呼びあっている気がする。今手懸けてるもののごく狭い範囲内で比較すれば、ガーシュインよりラフマニノフより正直な音楽に思える。全編に亘ってメロディアスに覚えることが出来るのも大きい。和音とメロディでピアノプレイを、音楽を作って、右手が担当することも含めた左手部分はジャズのバッキングが固定していくような形で覚えていけばスムースに体に入るだろう。
                                 
ピアノパートをコードとメロにして、残りをきっちりと書く方式でスコア写譜すれば今やっている二台のピアノよりもラクな作業なんじゃないだろうか。
ガーシュイン“ヘ長調のコンチェルト”も同じ方式で外枠を把握して、ソリストモードと併立されれば演奏に奥行きが出るだろう。しかし、音楽の森のほんの一隅にたたずんで味わうだけでいかばかりの手間がかかることか、公園の片隅に気に入った場所を見つけて一時間日なたぼっこをすることが、たとえば広大なセントラルパークを満喫することと矛盾しないように、自分の心と対応した名曲にじっくり取り組んだ事は、その作曲家全般あるいは音楽という宇宙に深くかかわることにダイレクトにつながるだろうから安心して楽しもう。

いつだったか北欧の民話集を読んでいて、オチがないのに不満を覚えたことを思い出す。家族が舟に、それも旅行などではなく、なんか切羽詰って舟に乗って北海を渡るのだが魔物に次々とさらわれる。魔物の正体も明らかにされないまま、ついに最後の一人も舟から消える。という所で物語が終わってしまう。
”ふうん…”だけで本を閉じたのだが妙に心にひっかかりつづけている。
文章がよかったのか(その場合は翻訳も素晴らしかったことになる)意識下の何かが反応して表層意識に何か気付くべきことを発信していたのかも知れぬ。
昨日フィヨルドの長く続く光景も見事に沿岸何百キロに亘って人跡のない、ということは何千年も同じ風景だった実感や今走っているマゼラン海峡に遇して先の物語を思い出した。人の親も舟の形、大きささえも何ら具体的なイメージを結ばないが、光景のようなものだけがありありと迫る感じがする。音楽的感動体験と同調。形がなくて感動がある。確固とした抽象。最終的な憧れはそこにある。

(アガサ・)クリスティー年代順通し読みが、クィン氏登場に差掛った。不思議な世界である。ジャンルとしてファンタジーに入るのではないか。
「時間が経ってしまった方が物事ははっきりする」という推理小説の世界では珍しい観点からの謎解きは新鮮でもあるけれど、含蓄に富む。作曲家自身が気付いていない曲の内面を演奏家は引き出す、ということに何かつながっている。演奏家は作曲家に気兼ねせず、作曲家は自分の価値大系に小さくまとめようとせず…煎じ詰めれば”のびのびと”なんていう単純な結論になってしまうんだけど…

23:30
夜のUSHUAIA
瀬木といると安心なのは日本だけではなかった“サッカーをTV放映している所に地元民が集っているBar”っていうのを求めてさまよったが。そうは簡単にいくはずもなく、しゃれたバーばかりが多い。が、最後には見つけた。地元、それもオネエちゃんなしの青年が集っている所。Directにwelcomeこそしないが、そこから出ているVibrationがAccept(喜んで迎え入れる)珍しく瀬木もGinを何杯も飲。Cerbrra(Bear)500ml×2の後に何かArgentineなものを、というと、ラムコークが出て来て、これがまた濃い。瀬木のGinもロンググラスに2/3はGinを入れて来て、その気前良さにSalu(乾杯)。今日は瀬木といっぱい話せて良かった。
テルミーソ、ドンデエスタバーニョ(すみません、トイレはどこですか)が通じてよかった。
飛鳥/ホーン岬・ドレーク海峡クルージング
2月13日(金)
16:25
8:30に起きた。戻りつつある。日の出パス。それでなくても日出時間がどんどん早くなっていて明日あたりは6時を待たないのではないか。
シューマンを調べてゴールドベルグを弾いて、チェロキーを書いて、あ、チェロキーは昨日だった。クィンを読んで2台Pfを進めて和田誠を読んで一時間。ずーっと四方海ばかりというのは気持ちのいいものだが、どのエリアにもBGMがあるのでつい部屋に帰っていろいろしてしまうのだ。そしてやっとお昼。

オフィサーのアナウンスでウシュワイアを出て370km来たという。その間水平線のみ、ホーン岬もフィヨルドも貴重な体験には違いないが、休み時間も航海して海ばかりという事の方が得難い気がする。

19:12
DinnerでDavidと同席。ドイツ生れChicago在住のViolinist。オケには入ってないが教鞭をとっている。 collegeの生徒と chember orchestra をやっていて指揮もするという。この船では誰と演奏するのか聞いたらポーランドBandのPianist だというので“リハーサルはどうだった?”“…”そりゃ無理があるだろう。チャンスがあれば僕を試せと言ったら早速今夜合わせてみようということになった。酔醒ましをしなきゃ。
気難しそうなオジさんが遅れて同席したので話しかけると、チリから乗船した南極クルーズのためのパイロット(pilote ピロッテ)だという。瀬木がしゃべるといっぱい話してくれた。瀬木だからでもあるだろうけど、英語や日本語と違いスペイン語は話が通じた段階である程度以上みんなしゃべるみたいだ。ちょっと真面目にとりくんでみようかしら。

24:25
DavidとPfLoungeで合わせる。Jazz〜Bossaものばかりだったが結構イケる。楽器のうまさがちゃんとあるのは安心感。ドイツ人のはずだがどう見てもユダヤ顔。高瀬アキを知っているのはまァ当然としても、木野雅之さんのことをよく知っていて共演したというから驚き。もっと驚きなのは音楽家同士だと随分英語が通じることである。
結構ゆれて来た。部屋でビールで眠ろう。
飛鳥/南極海クルージング
2月14日(土)
8:45
前日の海の色を想い出す。今も青くきれいだが、陽光のせいなのかどうか、あくまでも深い青と科学実験で見れるコバルトブルーの透明度が両立しているような。この青が凍るから氷片は空色になるのかと思える青だった。
南緯60゜以南が南極圏(Antarctic Circle)63’33”以南が南極海。今はその間。

22:08
大陸が右に見える所まで入った。自分が何を感じているのかわからない。圧倒的なものがひしひしと迫っている実感だけがある。

デビッド・ヨナンのコンサートのアンコールにゲスト出演。「My Funny Valentine」すごくよかったと皆さんに言われた。ソロパフォーマンスの時は(演奏が良かったことは別にして)素敵な音ですね、とかいろいろ。やはり誰かとのコラボレーションの方がストレートに伝わる何かが僕にはあるのかもしれない。
夕方景色のいい所(といってもずっとそうだが)に入ったので大急ぎで大浴場に行った。左船後方には限られるが、広々とした窓六面を素裸で浴槽に浸りながら大贅沢。でもいつも一人切り、貸切り、みなさん思いつかないのかなァ。
2月15日(日)
10:15
今日は一日海の上らしい。昨晩の南緯64’44”が今回の航海の最南端だったそうだ。
写真や動画をケチらずに撮っておいてよかった。瀬木の協力で彼のMac(Macintosh)にどんどん入れてはメモリーカードをInitialize(初期化)していくのだ。やはりPC持ち歩いていると便利。でも僕は持っているとGameばかりするのでNG!

フルートで乗っているベッティさんは多分米人なんだがブラジルに住んでいてスペイン語も話す。すれ違う度に何やかやと声掛けするいい人なんだけど、ショーを見るととてもうさん臭い。
世界中を旅しては大自然の中でフルートを吹いている。それをビデオで流し乍らカラオケで演奏するのが、”ある愛の詩”とかその類で、ビデオに写っているのはビクトリアフォールズや、どっかの砂漠。カメに向って吹いているとやがてその亀が近づいて来て首を伸ばしてベッティさんの胸にkiss。きっと食べ物を仕込んでいるんだろう。ダチョウに吹く、キリンに聞かせる、いやもう大変なもんである。
業務乗船員はディナーで同じテーブルにつくので御一緒する。ずっと喋ってはる。右を向いて英語、左を向いてスペイン語。通りすがりのお客様には“コンバンワ(今晩は)”などと忙しい。
 
今日は初の“なーんもせん”一日になる。あるいはそうしよう、と思って朝ごはん食べたけど、やっぱりホールが空いてるのを見てゴールドベルグを一時間。風呂…っていうよりラフマニノフを一節書写。ま、その方が落ち着くんだろう。「あーっ!オレが悪かった。清く生きよう。」という気持ちになって、どうするのが清く生きることかまでくっきり悟るかとちょっと期待してたんだが、そういう方面のことは全くない。

13:10
リビングストン島を左に見る。その前にDeception Islandを通過したが左舷に居た(昼食)ので見過ごす。ペンギンコロニーが双眼鏡では見えたらしい。

18:17
“二台のピアノとバイオリンのための小品トロイメライ付”完成。嬉。

23:10
瀬木DUO stageがやっと出来た。
Mt.ElevasとDry Valleyをそのものズバリのドレイク海峡で演奏するとは何とも冥利。
彼が作った時、我々がRecordingした時には思いもしなかった出来事が今起こっているのだと思いつつ感無量(=無心に音楽に入り込める)だった。この境地を不可思議とは思えども、一期一会。この状態は二度と不可有得。

ステージ後のDinnerは中華、珍しいコーンスープ仕立てのフカヒレをいただきながら南氷洋の氷山を見る。楽し。
我々にとって最高級の料理。瀬木と話す。3ヶ月は飽きさせない料理を提供する。すでにchallengableなことだろう。

DavidがLounge Concertを手伝ってと言っていたのでホイコーローとカタヤキソバをPassしてVistaへ。
枯葉をSessionしてDavid Stage終わった後に佐山Encoreかかり「I Got A Rhythm」と「Dinah」を演奏。
Betty、Tummy、David、瀬木、佐山で飲む。国際交流だと皆で笑う。

帰りがけに瀬木がMadam(日本人客)につかまっているのにつきあってみると…
彼女は世界旅行が趣味(!!)で、アスカは3度目の。他の船もふくめた世界旅行も3度目でインド北部でのことやパタゴニアでのことなど興味深かったが、オセアニアンクリスタル(という客船)が一番良かったという。定員が100人くらいなのだけど、First class Onlyの客船でそれはもう至れり尽せりでノーストレスだったそうな。
クリスティーのいうビクトリア朝好みという所か、エスタブリッシュメント(支配階級)というのは居るものであるなァ。
飛鳥/ドレーク海峡クルージング
2月16日(月)
5:30
久しぶりに早起き出来た(5:15)の日の出(5:23)を見ようと甲板に出たが折からの厚い雲が茜になるだけ。水平線の日の出(日の入りも)は是非見たいもんである。

6:30
シューマン楽譜3頁
毎日が充実してるのは(のーんびり、という当面の予定とは違ってはいるが)PC作業がないからだと実感。特にGameだがそれを抜いても、作曲、Arrange、Pf練習、読書というサイクル、風呂、食事、洗濯、観光も入れてもなおかつ余裕があるのは、ひとつに3日に一度という実仕事量とPC作業のなさで裏仕事ないし勉強がはかどるということ。

PCでしなくてはいけないことは
1・メール、2・帳簿
した方がいいことは
3・日誌、4・メモ

だから通常は手書き日誌(スケジュール帳でよい)に何でも書き記しておいて週に一度PCに入力する日を作り、その日はGameしてもいいことにすればよい。メールチェックだけ(本当にそれだけ)を毎日30分。PCに触るのは基本的にそれだけにしよう。

Tammy Shaffというヤンキー歌手のラウンジコンサートを手伝った。
メインホールで見学したショーは田舎まるだしだったが、日本の抒情歌を8曲初見で(ローマ字ルビ)しっかり歌うのでびっくり。音楽家の出身なんだろう。デビッドにしろベッティーにしろクラッシクが普通程度にあるいはそれ以上(David)にできても、何かプラスアルファをキャリアの初め頃から常に意識しているフシがあり、それがジャズインプロピゼーションへの興味(デビッドがいい例)やNature Video(ベッティー→悪い例)になったりする。タミーは業務上、金髪美人が日本人の意のままに演歌をやったり、モンローになったりするので可哀想でもあるが、“見た目程若くないのよ。あなた(David26才)のMamaでもおかしくない”は冗談にせよ、曲折の途中なんだろう。

Davidは15才でドイツからジュリアートに留学生で単身渡った。住んでいたのは西側だったが学校が東側にあって、そちらはやはり何とも言えない不自由さがあったという。特にユダヤ人としては居辛さはつきまとうと言うのに、タミーが“アメリカでも、変に思う事がいっぱいあるからドイツじゃさぞかしもっとだろうと思える”初対面で日本人も混じえてこんな会話ができるのも船上プラスミュージシャンだからだろうか。勿論タミーも僕も瀬木もたしなみとしてこちらからそういう話題にはしない。
いつ渡米したかと僕が聞くのにDavidが答えたところから発展していったのである。為念。    
                        
15:43
瀬木と昼食中クジラの潮吹きに遭遇(2回)嬉。尾ヒレらしきものは見えた。小さめ。
朝食は時間帯の幅もあり煩わせないように一人で行くのだが、今朝はアルゼンチン在住の日本人コーディネーターと同席になり気詰まりだった。ブエノス人はツンとしていてプライド高く、他の南米人の人懐っこさと一線を画しているという。なので今後はなるべく誘い合わせようということになった…
瀬木も一昨朝Bettyと一緒で、さんざん自分のことをしゃべって、さっさと席を立ったそうだ。人の話を聞かないしゃべりっぱなしのおばさんは世界共通。

昼食後二人麻雀で負ける。一回戦など無和了で完敗!!
ライブラリーで高村薫”レディジョーカー”チラチラと通い読みしていたのだが、ノートに登録すると借りられるというので捜してみると、上品な帳面がライティングデスクにあって、自主的に借り日と返却日を記入するのみ。気持ちいいですね。こういうの、マナーにのみ訴えている。

16:50
グランドH、空いていたのでヘ長調の一節覚える。タンゴのブエノスリーダー(♂)が居たので早目に遠慮。
ピアノラウンジとホール、特に午前中は必ずどちらかが使えるので良。

17:05
前方に鯨群との船内アナウンスに消防隊員よろしくダウンジャケットを羽織ってデッキへ。部屋が7Fでロムナードデッキ(船周がつながっているフローリングでジョギングなどを皆している)なのが有利。
前方で三つ、やや間隔を置いて3つ(と思える)の潮吹き。チラリと黒い体も一本線のようながら見えた。
明朝にはドレイク海峡北緯60゜程に戻り、あとは一路アルゼンチンに向うので南氷洋及び人跡のない大自然とはお別れ。
※文中に登場するこの色の文字は管理人による注釈です。
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