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仕事日記
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1月13日(火)前乗り名古屋
(ジャズ イン)ラブリーとなりの久富。ライブが終わる頃にはしまっているのでこういう日にしか行けない。やはり旨い!名物の八丁味噌煮込みおでんや、その汁にひたす串かつもさりながら明宝ハムが大のお気に入り。おとなしく帰ろうなんて思うほうがやはり間違いだったようで、岡田勉、江藤良人に地元でぐんぐん伸びている後藤君のピアノ。いや〜短期間にすごく伸びている。岡田さんが名古屋に暮らすようになったことが大きいんだろう。勉様はもはや悟りの境地。枯れたほうの意味ではない、為念。
1月14日(水)松田昌DUO 名古屋ヒルトン宴会場
納屋橋にある名古屋ヤマハの新年会。
マンボランドに行って初演奏。
1月15日(木)舞台打ち合わせ 可児文化ホール
わざわざこのために名古屋に一泊多く止まって名鉄移動。面倒だな、なんて思いつつ向かったが、やはり打ち合わせできてよかった。ライブが多かったし、コンサートものでも人の仕切りに乗っかってればよかったことばかりなので、ここんとこの準備活動になかなか体と心がついていかない。がんばろう。楽しい作業でもあるんだからね。

1月16日(金)リハ w/神谷満実子 神谷満実子邸
川崎市役所ロビーコンサートのリハ。
武満徹の歌曲が良。美智子皇后の若かりし日の詩に山本正美(直純夫人、ともに故人)がつけた曲というのも感動的。
1月17日(土)ゴールドベルク変奏曲CD化編集 ビクター223
ぞくぞくする作業。とても楽しい。とても上手な人になる。袴田エンジニア、魔法使い。
1月20日(火)ミューザ川崎ホール アドバイザー記者会見
挨拶のあとの質疑応答を楽しみにしていたが、僕のところにだけは質問がこなかった。メインはクラッシックで売りがパイプオルガンだからだろう。小椋桂さんの人柄の素晴らしさと品の良さに感動した。意見が辛口なところも好き。

M's スイングシティ
ゲスト:川嶋哲郎(Ts) 小林香織(As)
川嶋はやはりよい。小林も思ったほど急速ではないが確実に成長している。
終演後M'sミーティング。4月7日のウイズ・ストリングスライブに向けてレパートリィ増やしを約す。船生活は作曲〜編曲モードにしよう。荷物もそれが一番少なくてすむことでもあるし。。
1月21日(水)川崎市役所ロビーコンサート DUO w/ 神谷満実子
ペチカ、ヘンデルの何か、武満2曲、ソロでサヤマンボ、ジュテヴ(サティ)/ ねむの木の子守唄、、、、これが山本正美、直純先生の奥様の作曲だったのには驚いた。恐ろしくいい曲なのと、中田喜直に勝るとも劣らぬピアノ伴奏と歌との有機的結合。作曲家だったということすら知らずに、悪妻の評判ばかりでイメージしていた。先生が旅から帰ったら愛用のグランドピアノが売り払われていた、とかね。
小川範子さんが聞いててくれて“ドビュッシーなど弾かせてみたいきれいな音だ”と誉めてくれた。ドビュッシーを弾くような丸みのある音が出ないんだよなぁ、と(コンプレックスではないが)常々思っていたので、なんだか素直に嬉しかった。

ミューザ川崎ホール見学
施設をすべて見て回った。すばらしいホールである。やりたいアイデアがいっぱい出てきて困る。とりあえず主要コンサートはいまからスケジュール空けておいて見にこよう。それが結果的には今年の目標である“より休む”ことにもなる。
1月25日(日)ジャズ絵本 沖永良部島知名町
能祖将夫氏との“ジャズ絵本”が好評で、あちこちに呼ばれている。月猫もそうだが、この芝居系の仕事(スタッフワークその他周辺事情が音楽系と微妙に違うのである)は観光モードを何故か伴う。今日は沖永良部島知名町。沖縄でトランジットしか方法がないので、前日の午前中に発って、たっぷり二泊、その後、帰りの沖縄でまた二泊して次の大阪につなごう、などと考えていたのだが、前後ともに瀬木貴将のTV録りが入り(NHKとTBS、瀬木も売れてきたもんである。喜ばしい)やむなく前日(24日)夜の那覇入り+翌朝一番の知名入りとは相成った。

その前日(23日)の日立“George House”(最近作ったというすごく立派なウッディスペース)でのM'sで酒抜きをしたので、この日も大人しく寝て、羽田健太郎氏に教わった二日連続抜きを、と思っていたら、、、

タクシーで那覇空港から松山(という地域)のホテルに行く道すがら、昔行った“Captein Steak House”など眺めながら懐かしさに浸っていると、なんとホテルの2軒となりに“Jazz Live 天妃”との看板。こうまでマンマ“Jazz Live”と書かれてあっては覗かぬわけにはいかぬ。せめてもの言い訳に十二時過ぎまで部屋に居て(形式上二日酒抜きをしたことになる)時報とともにいそいそと出かけた。

塚本さん(Pf)のクァルテットがジャズスタンダードを次々と演奏するのが実に好ましかった。当たり前のようでも昨今のライブハウス事情、状況からすると普通のスタンダードを普通にセッションする、ということ自体が珍しくなっている中で、これが日々のこととして成立しているところにこの地の健全さを感じるのであった。

“ジャズ好きの酒飲み親爺”モードだったのだが、なんと和歌山“キャバーンクラブ”の客である木村氏が居合わせたんである。“佐山さんではないですか。1曲お願い”ということになって、勿論1曲では済まず、久々の“飲みつつ吸いつつワイワイセッション”状態を楽しんだ。歌伴もさせてもらいゴキゲンさん。このvocalist,まだお若いのに、東京での仕事では、ゴテナベさんとか西条孝之介さんという僕よりさらに2世代も上の人たちとばかりだそうで、彼女にもそうだが、おじ様たちの元気な様子がなんとなくしのばれてほほえましくも驚いた。

おいしいお酒をいただきつつそろそろ帰ろうかと思っているところへ川満くんというピアニストが現れ、ラブ・ゴーズ・マーチング・オンを教えてくれというので連弾で一手ご教授。彼がその日働いているところのママが来て、その店に拉致されてセッションしたのがまたルンバ。ベースの砂川さんもとてもうまいが、びっくりしたのはドラムの国場君。ポンタ氏そのままの音とフレーズなんである。なんでも中学からブラバンでドラムを始め、2年前にポンタボックスのことを先輩に教えられてからはすっかりポンタ一色だそうで、目が合ったときの笑い方までポンタそっくり。それもそのはず、今はポンタボックス・イン・モントルーにはまってるという。

3時間睡眠でセスナに乗ってたどり着いた知名町の立派なホール。本番終了後打ち上げ待ちの時間をピアノ庫でゴールドベルク変奏曲をつらつら弾いていたら、全曲いってしまった。リサイタル後初めての通し弾きである。めでたい、、、のかどうか。
1月29日(木)セッション 大阪・ロイヤルホース
東原力哉 、新玉哲郎
Ascendant
Martha
Samblues
Pretty ballad
Basho
God bless the child
Iron clad

P bop
Love goes marching on

トイレにラッパの日高君のチラシがあって、活躍の様子を嬉しく思っていたらリハ中に現れた。仕事にいく途中だというが、こういうちょっとしたフットワークは実に大事である。仕事につながる云々よりも会える時に会える人と会っておくというのは人生的有意義だろうと考えてしまうのは、ジャックモイヤーの自殺の影響もあるのか?
1月30日(金)オフ 松江・美音
7年ほど前にお手伝いを1回だけした女優の石富由美子さんが、故郷に帰ってライブの店を始めたとの年賀状をいただいたので、オフを利用して訪ねたら、なんとヤマハのS−400が置いてある。これは大変な名機なのだがコストパフォーマンスが悪くて泣く泣く製造中止になったという型で、出始めた頃に僕が欲しくて欲しくてしょうがなかったものである。機嫌よく何曲も弾いて、石富さんとも合わせた上に、お客様の伴奏までした。

コーディネイトしてくれたマコちゃん(浅野真)は山本さんの上司でやはり調律師。見るからに善人、という顔が時々あるが、この人がそうである。今日のために何日か前にふらりと客になった時に申し出て、調律を済ませておいたとのこと。やはり善人である。景気付けにと、一軒目の焼き鳥屋のカツコ姉御がかっこよかった。せせり(頭部)や皮など焼き鳥も、酢牡蠣やとり丼などの料理もすべて旨かったが、さんまの粕漬けが絶品だった。凝縮された旨みを、一箸一箸いただいてる感動がある。
1月31日(土)ハッシーパーティ 福山
中野さんは国立の後輩で、中学の先生を3年前にリタイアして語学留学でハワイへ。ニューヨークも候補だったが危険が多いと判断してハワイにした。8月末に渡米の予定が父上が病を得られ、止む無く延期。何故かすんなり回復なされて、改めて出発の準備をしていたら、あの9・11があった。こういうツキのありようもある。4月からウルグアイに海外協力隊で音楽教育システムの確立のお手伝いに向かわれる。偉い人というのは居るもんである。打ち上げでアエ(フランス語の先生)と中野氏と大いに語り、ちょっとポジティブな気持ちになる。どうもまだ腑抜けである。
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