金葉和歌集 ―『定家八代抄』による抜萃 26首―

【巻数】十巻

【歌数】伝本によって違いが甚だしい。新編国歌大観所収の二度本は665首。

【勅宣】白河院

【成立】天治元年(1124)末または二年初、上奏(初度本)。天治二年四月頃、再奏(二度本)。大治元年(1126)または翌年、再々奏(三奏本)。

【撰者】源俊頼

【主な歌人と収録歌数】源俊頼(31首) 源経信(26首) 藤原公実(23首) 藤原顕季(20首) 藤原忠通(15首)

【性格】第五勅撰和歌集。
「金葉」という名は、「最もすぐれた言の葉」を意味する。これは、古今集からの連続性を前提とした従来の勅撰集の命名法とは、全く異なるものである。その名称からして、金葉集は前代の勅撰集に対してアンチテーゼを掲げている。
言うまでもなくこの名は万葉集を思い出させる。金葉集が編集される少し前から万葉集の研究は進捗し、元暦校本や類聚古集などが編纂されて、万葉復興の気運が高まっていた。秘本に近い存在だった万葉集がようやくその姿をあらわし、金葉集の歌人たちはそこから古くて新しい和歌の表現法を意欲的に摂取しようとした。
同時に、王朝貴族社会の解体が始まった当時、文芸はいわゆる地下(じげ=宮廷外の庶民世界)との交流を活発にし、誹諧味や田園趣味といった新味を加えた。こうして和歌は古今集以来の伝統的用語・景物からの逸脱を推し進めていったのである。
最も流布した二度本は、経信・俊頼父子を始めとして、当代の歌人たちの作によってほぼ占められている。しかしその新風はなお過渡的なものであり、趣向が先行して情や調べが伴わない歌が少なくない点、前代の後拾遺集のもつ弱点を決して克服しているわけではなかった。
経信や俊頼はのちの新歌風大成者である俊成・定家らによっても高い評価を得た歌人であるが、勅撰集それ自体の評価は、また別物であった。あまりにも新風に寄りすぎ、同時代の歌人を偏重しているとして、むしろ厳しく批判されたのである。そのような評価は、『定家八代抄』に採られた歌数の少なさにも反映していよう。

【定家八代抄に漏れた主な名歌】
春ごとに松の緑にうづもれて風にしられぬ花桜かな(花園左大臣)
万代のためしと見ゆる花の色をうつしとどめよ白川の水(上西門院兵衛)
春雨にぬれてたづねむ山桜雲のかへしの嵐もぞふく(藤原頼宗)
夏山の青葉まじりの遅桜初花よりもめづらしきかな(藤原盛房)
聞くたびにめづらしければほととぎすいつも初音の心ちこそすれ(永縁)
万代にかはらぬ物はさみだれの雫にかをるあやめなりけり(経信)
夏衣すそのの草葉ふく風におもひもあへず鹿やなくらむ(藤原顕季)
有明の月もあかしの浦風に波ばかりこそよると見えしか(平忠盛)
しらせばやほのみしま江に袖ひちて七瀬の淀に思ふ心を(源顕仲)
あふと見てうつつのかひはなけれどもはかなき夢ぞ命なりける(藤原顕輔)
住みわびて我さへ軒の忍ぶ草しのぶかたがたしげき宿かな(周防内侍)

【底本】『八代集 三』(奥村恒哉校注 東洋文庫)

【参照】『金葉和歌集・詞花和歌集』(川村晃一・柏木由夫ほか校注 岩波新日本古典文學大系)。以下、新大系本と略称。なお新大系本の底本はノートルダム清心女子大学正宗文庫蔵伝二条為明筆本。



―目次―

巻一(春) 巻二(夏) 巻三(秋) 巻四(冬) 巻五(賀) 巻六(別) 巻七(恋上) 巻八(恋下) 巻九(雑上) 巻十(雑下)



巻第一(春)1首

宇治前太政大臣家歌合に桜をよめる    源俊頼朝臣

0050 山桜咲きそめしより久かたの雲ゐにみゆる滝のしら糸 (0095)

巻第二(夏)6首

応徳元年四月、三条内裏にて庭樹結葉といへる事をよませ給ける
                    大納言経信

0097 玉柏(たまがしは)庭も葉広(はびろ)になりにけりこや木綿(ゆふ)しでて神まつる頃 (0205)

鳥羽殿の歌合に郭公をよめる      修理大夫顕季

0104 み山いでてまだ里なれぬ(ほととぎす)うはの空なる()をやなくらん (0213)

註:新大系本、第四句「たびのそらなる」。

権中納言俊忠卿の家の歌合にさみだれの心をよめる
                   藤原顕仲朝臣

0138 五月雨に水まさるらし沢田川まきの継橋浮きぬばかりに (0229)

水風暮涼といへる事をよめる       源俊頼朝臣

0145 風吹けば(はす)の浮き葉に玉越えてすずしくなりぬ日ぐらしの声 (0249)

註:新大系本、詞書は「水風晩といへることをよめる」。

二条関白家にて雨後野草といへる事をよめる

0150 この里も夕立しけり浅茅生(あさぢふ)に露のすがらぬ草の葉もなし (0248)

公実卿の家にて対水待月といへる心をよめる
                     藤原基俊

0154 夏の夜の月待つほどの手すさびに岩もる清水いく(むす)びしつ (0251)

註:新大系本、第三句「()すさみに」。

巻第三(秋)3首

野草帯露といへる事をよめる      太宰大弐長実

0157 真葛(まくず)はふ阿太(あだ)の大野の白露を吹きなはらひそ秋のはつ風 (0284)

註:新大系本、第四句「吹きなみだりそ」。

師賢(もろかた)朝臣の梅津の山ざとに人々まかりて、田家秋風といへる事をよめる
                     大納言経信

0173 夕されば門田の稲葉音づれて芦のまろ屋に秋風ぞ吹く (0402)

堀河院御時、御前にて(おのおの)題をさぐりて歌つかうまつりけるに、すすきをとりてつかうまつれる
                     源俊頼朝臣

0239 うづら鳴く真野の入江のはま風に尾花なみよる秋の夕暮 (0404)

巻第四(冬)6首

関路千鳥といへる事をよめる          源兼昌

0270 淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいく()寝ざめぬ須磨の関守 (0533)

深山霰をよめる              大蔵卿匡房

0276 はし鷹の白斑(しらふ)に色やまがふらむとがへる山にあられ降るなり (0527)

註:新大系本、第五句「霰ふるらし」。

雪中鷹狩の心をよめる             源道済

0281 ぬれぬれもなほ狩りゆかむはし鷹の表毛(うはげ)の雪を打ち払ひつつ (0529)

註:新大系本、第四句「うはゞの雪を」。

宇治前太政大臣家歌合に雪の心をよめる
                     皇后宮摂津

0285 ふる雪に杉の青葉もうづもれてしるしも見えず三輪の山もと (0561)

神楽をよめる            皇后宮権大夫師時

0295 神なびのみむろの山に霜ふれば木綿四手(ゆふしで)かけぬ榊葉ぞなき (0524)

註:新大系本、第一句「かみがきの」。

年の暮の心をよませ給ひける        中納言国信

0304 なに事を待つとはなしに明け暮れて今年も今日になりにけるかな (0579)

註:詞書は302番の三宮(輔仁親王)の歌にかかるため、敬語が用いられている。

巻第五(賀)0首

巻第六(別離)2首

俊頼が伊勢へまかることありて、下りける時、人々むまのはなむけし侍りける時よめる
                      源行宗朝臣

0343 待ちつけむ我が身なりせば帰るべき程をいくたび君にとはまし (0756)

註:新大系本、第三句「いくちたび帰りこん日を」。

百首歌の中に別の心をよめる         中納言国信

0344 今日はさは立ち別るとも便りあらばありやなしやの(なさけ)忘るな (0757)

巻第七(恋上)1首

権中納言俊忠卿家にて恋歌十首人々よみけるに、来不留といへることをよめる
                      源俊頼朝臣

0416 思ひ草葉末にむすぶ白露のたまたま来ては手にもたまらず (1035)

註:新大系本、詞書「来不留」を「(にはか)リテ」とする。また第五句「()にもかゝらず」。

巻第八(恋下)2首

返し                     一宮紀伊

0469 音にきく高師(たかし)の浦のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ (0986)

註:「堀河院御時艶書合(けそうぶみあはせ)によめる 人しれぬ思ひありその浦風になみのよるこそいはまほしけれ」(中納言俊忠)への返し。

蔵人にて侍りける頃、内をわりなく出でて女のもとにまかりてよめる
                       藤原永実

0484 三日月のおぼろげならぬ恋しさにわれてぞ出づる雲のうへより (1098)

巻第九(雑上)4首

大峯にて思ひもかけず桜の花の咲きたりけるを見てよめる
                       僧正行尊

0521 もろともに哀れと思へ山桜花よりほかに知る人もなし (1511)

大峯の岩屋にてよめる

0533 草の(いほ)を何露けしと思ひけむ漏らぬ岩屋も袖はぬれけり (1512)

註:新大系本、詞書「大峰の((しやう))岩屋(いはや)にてよめる」。第一・二句「(くさ)(いほ)なにつゆけしと」。

和泉式部、保昌に具して丹後国に侍りける頃、都に歌合のありけるに、小式部内侍歌よみにとられて侍りけるを、中納言定頼、局のかたに詣で来て、「歌はいかがせさせ給ふ、丹後へ人はつかはしてけんや、使まうで来ずや、いかに心もとなくおぼすらん」など、たはぶれて立ちけるを、引き留めてよめる
                       小式部内侍

0550 大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立 (1654)

百首歌の中に述懐の心をよめる         源俊頼朝臣

0595 世の中はうき身にそへる影なれや思ひ捨つれど離れざりけり (1560)

巻第十(雑下)1首

小式部内侍うせてのち、上東門院より年頃給はりける衣を亡きあとにもつかはしたりけるに、小式部内侍と書き付けられたるを見てよめる
                        和泉式部

0620 もろともに苔の下にはくちずしてうづもれぬ名をみるぞ悲しき (663)





更新日:平成17-03-03
最終更新日:平成22-02-28

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