祐子内親王家紀伊 ゆうしないしんのうけのきい 生没年未詳 別称:一宮紀伊

父は散位平経重とも(作者部類)、従五位上民部大輔平経方とも(尊卑分脈)。母は歌人として名高い小弁。紀伊守藤原重経の妻(袋草紙)、または妹(和歌色葉)。
母と同じく後朱雀天皇皇女高倉一宮祐子内親王家に出仕。長久二年(1041)の祐子内親王家歌合、康平四年(1061)の祐子内親王家名所合、承暦二年(1078)の内裏後番歌合、嘉保元年(1094)の藤原師実家歌合、康和四年(1102)の堀河院艶書合、永久元年(1113)の少納言定通歌合などに出詠。また『堀河院百首』の作者。家集『一宮紀伊集(祐子内親王家紀伊集)』がある。後拾遺集初出。勅撰入集は三十一首。女房三十六歌仙小倉百人一首にも歌をとられている。

おなじ歌合によめる

朝まだき霞なこめそ山桜たづね行くまのよそめにもみん(詞花21)

【通釈】朝早くから霞よ立ちこめてないでくれ。山の桜を目指して出掛けてゆくのだから、道々、遠目からも眺めて行きたい。

【語釈】◇おなじ歌合 京極前太政大臣(藤原師実)家歌合。◇よそめ 遠く離れたところから見ること。

堀河院御時の艶書合(けさうぶみあはせ)によめる   中納言俊忠

人しれぬ思ひありその浦風に波のよるこそいはまほしけれ

【通釈】越の国の有磯海を御存知でしょう。ところで、私は人知れず抱いている思いがあります。有磯海の激しい浦風に波が寄せるように、恋心がしきりと寄せる夜にこそ、この思いを打ち明けたいものです。

【補記】「艶書合」は康和四年(1102)閏五月、堀河天皇が清涼殿で披講した歌合。

返し

音にきく高師の浦のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ(金葉469)[百]

【通釈】有磯海の浦風も名高いけれど、高師の浦のあだ波も評判ですよね。あなたの浮気っぽさも知らない人はいませんよ。そんなあだ波にかかりたくありません。袖が濡れてしまいますから。

【語釈】◇ありそ海 普通名詞「荒磯海」とする説もあるが、ここでは歌枕の有磯海であろう。歌枕紀行越中国参照。 ◇高師の浜 大阪府高石市の海浜部。現在は埋め立てが進み、かつての白砂青松の海岸の面影はない。◇あだ波 いたずらに立ち騷ぐ波。◇袖の濡れ… あとで泣く(袖を涙で濡らす)のはいやよ、という意を籠めている。

高石港
高石港 大阪府高石市。かつての高師の浜はこの辺りか。

人の夕方まうでこむと申したりければよめる

うらむなよ影見えがたき夕月夜(ゆふづくよ)おぼろけならぬ雲間まつ身ぞ(金葉)

【通釈】夕方にいらっしゃるの? 恨まないでね。今日の夕方は、月の見えにくい朧月夜――雲が晴れるまで待たなくてはならないの。こんな日ではなく、もっと素晴らしい月夜にお逢いしましょうよ。

【語釈】◇おぼろけならぬ ありきたりでない。並大抵でない。《おぼろ》は月の縁語。◇雲間まつ身ぞ 雲の絶え間を待つ我が身である。なにか差し障りがあることを言っている。

思ふ事ありてよみ侍りける

恋しさにたへて命のあらばこそあはれをかけん折もまちみめ(玉葉1815)

【通釈】この恋しさに耐えて、生き延びることができたなら、その時は、あの人が情けをかけてくれるのを待ってみよう。でも、今は辛くてとても生きていられそうにない。

海路

舟とめて見れどもあかず松風に波よせかくる天の橋立(堀河百首)

【通釈】ゆっくり景色を眺めたくて舟を漕ぐのを止めてもらったけれど、いくら見ても飽きるなんてことはない。風は海辺の松を吹き、その風に波が立っては寄せる、天の橋立は。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日