源行宗 みなもとのゆきむね 康平七〜康治二(1064-1143) 号:源大府

三条院の曾孫。小一条院敦明親王の孫。参議基平の息子。大僧正行尊・参議季宗・後三条天皇女御基子の弟。
承保元年(1074)、叙爵。右兵衛権佐・修理権大夫・近江介をへて、保延四年(1138)、大蔵卿。翌年、従三位。康治二年閏二月、出家し、同年十二月、薨去。八十歳。
「鳥羽殿前栽合」「鳥羽殿北面歌合」「中宮権亮経定歌合」などに出詠。晩年、「崇徳院初度百首」に詠進した。源師頼国信俊頼などとの親交が窺われる。家集『行宗集』(『源大府卿集』とも)がある。金葉集初出。勅撰入集二十七首。

崇徳院御時、百首歌めしけるに、荻を

身のほどを思ひつづくる夕暮の荻のうは葉に風わたるなり(新古353)

【通釈】我が身のはかなさを思い続けていた夕暮、庭先の荻の上葉を風がわたってゆく音が聞える。

【補記】詞書の「崇徳院御時、百首歌」はいわゆる崇徳院初度百首を指す。完本は散佚したが、行宗の百首は『行宗集』に全て収録されている。同集は第三句を「夕されの」とする。

【他出】行宗集、続詞花集、和漢兼作集、題林愚抄

【参考歌】源道済「後拾遺集」
いとどしくなぐさめがたき夕暮に秋とおぼゆる風ぞ吹くなる

後朝恋の心をよめる

つらかりし心ならひに逢ひ見てもなほ夢かとぞうたがはれける(金葉381)

【通釈】薄情だった人の心に馴れてしまったので、こうして共に一夜を過したあとでも、なお夢を見たのではないかと疑われてならない。

【補記】「後朝(きぬぎぬ)の恋」、すなわち恋人と共に一夜を過ごして、朝帰って行く時の恋心を詠む。

俊頼が伊勢へまかることありて、下りける時、人々むまのはなむけし侍りける時よめる

待ちつけん我が身なりせば幾ちたび帰りこん日を君にとはまし(金葉343)

【通釈】お帰りを今かと待って再会できる我が身だったなら、何千回でも帰って来る日をあなたに尋ねるでしょうに。

【補記】金葉集二度本に拠る。『行宗集』には「たのむべきわが身なりせばいく度かかへりこん日を君にとはまし」と出ており、新後拾遺集はこの形で採っている(勅撰重出)。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成22年12月08日