藤原顕仲 ふじわらのあきなか 康平二〜大治四(1059-1129) 号:帥兵衛佐

摂政実頼の裔。大宰帥権中納言資仲の三男。母は右大弁源経頼女。のち陸奥守基家の猶子となった。従四位下左兵衛佐に至る。保安元年(1120)、出家。
元永元年(1118)か二年頃、内大臣忠通家の歌合に参加。また藤原俊忠家や源雅定家の歌合にも列席している。「堀河百首」の作者。書も能くしたという。金葉集を難じて『良玉集』十巻を撰したが、散逸した。金葉集初出。勅撰入集四十三首。

権中納言俊忠卿の家の歌合にさみだれの心をよめる

五月雨に水まさるらし沢田川まきの継橋うきぬばかりに(金葉138)

【通釈】梅雨のためだろうか、水嵩が増したなあ。浅いと言われる沢田川に渡した真木の継橋が、浮いてしまうほどに。

【語釈】◇沢田川 山城国の歌枕。泉川(木津川)の支流かという。催馬楽に「沢田川袖漬くばかり浅けれど恭仁(くに)の宮人高橋渡す」。◇まきの継橋 川に柱を立て、槙(杉や檜の類)の板を渡して継いだ橋。

【補記】長治元年(1104)五月二十六日、藤原俊忠が自邸で催した当座歌合、三番右持。

【他出】左近権中将俊忠朝臣家歌合、定家八代抄、新時代不同歌合、歌枕名寄、井蛙抄

【主な派生歌】
沢田川まきの継橋うきぬれば人もわたらず五月雨のころ(慈円)
沢田河まきの継橋中たえて霞みぞわたる春の明ぼの(藤原家隆)

中院入道左大臣、中将に侍りける時、歌合し侍りけるに、五月雨の歌とてよめる

五月雨に浅沢沼の花かつみかつ見るままに隠れゆくかな(千載180)

【通釈】梅雨で水嵩が増し、浅沢沼の花菖蒲は、見る見る水面に隠れてゆくよ。

【語釈】◇中院入道左大臣 源雅定(1094-1162)。元永元年(1118)五月、自邸で歌合を主催した。◇浅沢沼 大阪の住吉神社近くの沼か。浅沢は万葉集以来の歌枕で杜若の名所。「住吉の浅沢小野のかきつはた衣に摺り付け着む日知らずも」(万葉巻七)。◇花かつみ 不詳。アヤメ科の水草を言うか。野生の花菖蒲とする説、マコモとする説などがある。「かつみ」は「かつ見る」を導くはたらきもしている。◇かつ見るままに 見るはしから。わずかに見えていたのが、あっと言う間に隠れていった、ということ。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
陸奥みちのく安積あさかの沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらむ

【主な派生歌】
しらせばやすがたの池の花かつみかつみるままに浪にしをるる(式子内親王)
野辺はいまだあさかの沼に刈る草のかつ見るままにしげる頃かな(藤原雅経[新古])

不被知人恋

知らせばや新桑(にひぐは)まゆのかきこもりいぶせきまでに忍ぶ心を(堀河百首)

【通釈】あの人に知らせたい。蚕が繭の中に籠っているように、思いをひたすら隠し、鬱々と塞ぎ込むほど堪(こら)えている、この恋心を。

【語釈】◇不被知人恋 人に知られざる恋。◇新桑まゆ 桑の新葉で育てた蚕の繭。万葉集に「新桑まよ」とある。

【補記】新千載集には「堀川院百首歌に、忍恋」の詞書で載る。

【参考歌】作者未詳「万葉集」
垂乳根の母がかふ蚕(こ)のまよごもりいぶせくもあるか妹に逢はずして

朝日子や今朝はうららにさしつらん田面(たのも)(たづ)の空に群れ鳴く(堀河百首)

【通釈】今朝は朝日がうららかに射しているようだ。いつも田んぼにいる鶴が、空に群がって鳴いているのが聞えてくるよ。

【語釈】◇朝日子 朝日に同じ。

【他出】和歌童蒙抄、和歌色葉、色葉和難集、題林愚抄

【参考歌】曾禰好忠「好忠集」「続詞花集」
峰に日や今朝はうららにさしつらむ軒の垂氷の下の玉水

堀河院御時、百首歌たてまつりける時、旅の歌

さすらふる我が身にしあれば象潟(きさかた)海士(あま)の苫屋にあまたたび寝ぬ(新古972)

【通釈】よるべもなく流浪する身の私だから、象潟の漁師の薦葺きの小屋で、何度も旅寝したことだ。

【語釈】◇象潟 出羽国由利郡象潟(きさがた)。かつて潟湖があった。◇苫屋 菅や萱などの草で編んだ薦で葺いた小屋。

【補記】堀河百首、題「旅」。

【本歌】凡河内躬恒「古今集」
夜をさむみ置く初霜をはらひつつ草の枕にあまたたびねぬ
  能因法師「後拾遺集」
世の中はかくても経けり象潟や海人の苫屋をわが宿にして


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日