男の自宅介護

妻が脳出血

金沢に住む68歳男です。(2021年9月時点)
妻が脳出血で倒れて15年5ヶ月になります。経過は後述するとして、
57歳で早期退職し、生まれ故郷に戻り
自宅介護がスタートして11年経ちました。

キーワード:男の介護生活・妻が脳出血・50代定年無職

得意分野:理科系技術者

ホームページ開設

2年経過して、自宅介護のデータが蓄積し、介護のノウハウ、手探りで
男の家事に苦労し、将来設計もして、・・・。
同じような境遇の人がいれば情報交換したいのですが
なかなか、見つかりません。
ケアマネージャに聞いても担当している中には
男性の自宅介護者はいないようです。
単純に「他の人はどんな介護をしているのだろう」、
「自己流で介護しているが、もっといい方法があるのでは?」
と思っています。
ホームページを作っても見る人がいないのではと思い
作りかけましたが、中断していました。

そんな中、「いしかわ在宅支援ねっと」の記事が新聞に載り
ケアマネージャさんがその記事を持ってきてくださいました。
早速、準備会の方にメールを送りますと
「石川県での男性介護者の会の発足」を考えているとの返事がありました。

そこで、男性介護者の会の参加と、私の「男性介護」の内容を 公開することにしました。

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介護者の会でもネットを使っている人は少なく
ホームページを話題にされることはありませんでした。
少し離れていても、ネット上で
同じ立場の人と情報交換ができればいいなと願っています。

理科系なので、分析や簡潔な表現は得意ですが、
情緒を表現するのは得意ではありません。(舌足らずになってしまいます)
批判になったり、同情ひくのも、ちょっとちがうと思うので・・・。
情報発信によって、私の経験が他に役に立てばいいなと願っています。

---追記---
男性介護者の会は5年足らずの活動の後、2017年2月に解散しました。
結局、会でもネットでも、志を同じくする人には巡り合えませんでした。

妻が脳出血(妻50歳・私53歳・結婚25年になる年)

2006年3月27日夜中AM2:30ごろ就寝中、頭痛を訴え、救急車で搬送。
脳出血、同日開頭手術で血腫除去。 
人工心肺。鼻から栄養。

1か月の意識不明 4月28日手が微動。薄目あく
7月6日水頭症でシャント。
重度の褥瘡から筋肉減退
声出ず。尿便失禁。寝たきり。右半身動かず。左手指反り返り握れず

①急性期病院 2006/3/27~
②回復期リハビリ病棟~2006/9/20 約6か月
  〇身体障害者認定 :1級
③医療療養型病院 2006/9/20~2010/5/24 大阪 :医療費以外で15万円/.月
   会社のためと家が車いす不可のため入院
   当時普及したフレックスタイムを使い毎日8:00-16:30勤務で定時退社をつらぬく
   病院の夕食を介助。 責任ある仕事から外れる。(みんながやりたがらない裏方)
   土日は午後から夕食まで介助。(午前中は家事・買い物)
         2010/5/24~9/16   金沢  大坂と金沢合計約4年
 〇介護認定:要介護5
④自宅介護    2010/9/16~現在 

現状
①右半身不随、自力座位不可。車いすは可だけれど1時間ぐらい。
②左手指反り返り、握れない
③褥瘡完治したが、筋肉落ちる。 夜間は自動体位変換器
④尿・便意なし・・・おむつ
⑤声帯響かず、ひそひそ声 意思疎通は可
⑥感情、視力、聴力、性格は変わらず。 記憶は年なりに忘れる。
  (一時は私の名前も出てきませんでしたが)
⑦食事は流動食から普通食に回復。左手のスプーンでこぼしながら食べる。口に残る。
⑧歯磨き毎食後、寝る前。

③57歳早期退職(4年後)

2006年3月27日妻発症時。53歳。定年まで7年。子供2人は学生。
「定年まで会社を辞めない」と決意。
    家事は妻任せで、どこに何があるかさっぱりわからず。・・・掃除炊事洗濯開始。
    酒、バイク、テニスは封印。 家庭菜園、家財整理。(捨てられない性格)

2007年1月21日 3年後の2010年3月に退職することを決意。
(定年までやめないことを変更しました)
    ・・・療養型病院のつらさに、このままでいいのかと反省。
      将来設計と準備に3年かける。 悔いのない人生にしようと。
      そこから退職までの日数カウントダウンが始まりました。(妻にもわかるように)

2009年7月父死亡。(人生設計の計画外)悩むが退職は計画通りに。

  家計簿からライフプラン作成。リフォーム計画。

2010年4月 57歳にて早期退職。大阪の電器メーカに務めて33年

生まれ故郷で、24歳まで住んでいた金沢に2010年9月転宅。
この4月から9月までの半年で、
 ・大坂の家の整理、廃棄、引越、金沢の家の整理、リフォーム、
 ・妻の移送、転院、私の失業給付などなど 全部1人で。・・・大阪-金沢を13往復
  一番充実していたかもしれない。

2012年12月 60歳還暦

★妻も私も標準体重になり、メタボ脱出しました。(健康体)
  規則正しい生活と、夕食後には食べない。で必ず痩せます。(おやつは食べます)
★よろこび・・・スーパーのチラシと家計簿。天気のいい日の妻との散歩、工作
★趣味:パソコン、(バイク(4年後封印)、テニス(封印))
★余命23年(男60歳)計画・・・やりたいことリスト いっぱいあります。
★辛い・苦しいは卒業しました。・・・生活リズムは安定し、穏やかに充実しています。
★涙もろくなりました。・・・歌でも涙が出ます。

④自宅介護

2010年9月16日から妻を自宅介護

掃除洗濯食事の家事全般を男一人で。主夫です。スーパの安いところは把握しました。

■介護:
①おむつ交換・・・夜用尿取パッド4.5枚/日、紙おむつ1.5枚/日  便は2日毎。
②料理・食事介助・・・3食自炊。こぼれたものを介助。
  糖尿病で栄養管理。 摂取エネルギー、炭水化物、タンパク質、塩分制限
  妻は「まずい」と正直に言う。・・・残念
③口腔ケア・清拭・・・毎食後の仕上げの歯磨き、朝一番にレンジでチンのおしぼりで顔と背中。
④服薬・・・毎食後、口に残るのでヨーグルトに混ぜて飲ませている
⑤血圧・体温・体重管理・・・毎朝、決まった時間に測定
⑥散歩・・・車に乗せて金沢市内の公園に天気のいい日は連れ出す
⑦入浴介助(シャワー)・・・1日おき 入浴ない日は陰部洗浄
   無駄毛処理や耳掃除、爪切りなど
⑧散髪は私が。 かゆくなるので短髪。
⑨会話・・・昔は私が妻の言葉を聞き流していましたが、今は私の言葉を聞き流しています。

■デイケア(週3回 月水金) その間:二日分の食事の買い物、手続きなど 
⑨リハビリ・・・可動域確保
⑩機械浴・・・車いすごと浴槽に入る 
 →不明熱のため利用中止 以後、自宅シャワー浴可能になり 中止継続

■訪問リハビリ …デイケア中止に伴い2014/6スタート
・訪問リハビリ 月水金 週3回x20分 介護保険 →楽しくないので中止2020/10
・訪問看護 3ヶ月に1回 2018/6/29スタート 同行義務追加の制度改定による

■訪問看護 留置バルーンの交換に3週間に1回 2018/12~

■訪問医療マッサージ …ケアマネさん紹介で2017/11/28スタート
・火土 週2回x30分  医療保険 償還払い →窓口精算2020/9~

■レンタル 介護保険
⑪ベッド
⑫自動体位変換器
⑬ジェルクッション

■ショートステイ 介護保険
冠婚葬祭など、どうしても1日以上の用事に使用。
3年で6回使用のみ。  2012/12以来不使用

■心配事・・・自分が倒れること。(倒れても気づかれない)。うつやボケになること。

■購入・・・福祉車両、車いす、車用車いす、シャワーキャリー

 

不明熱騒動顛末 2013/12/24-2014/9/27

不明熱騒動顛末 



原因がつかめないと医療からも介護からも見放されます。
医師は自分の経験がないことを拒絶します。
自ら創意工夫、試行錯誤しながらあきらめず、解決策を探すことが必要です。

糖尿病 食事療法 2015/3/12~

「食事療法」「食品交換表」 



好きなものを好きなだけ食べていると病気になる。
チャンスはピンチの顔をしてやってくる。
「食事療法」「食品交換表」で栄養管理の方法を見つけました

 

糖尿病腎症 食事療法 2019/10/18~

糖尿病性腎症


eGFR30以上、尿アルブミン300以上の第3期(顕性腎症期)です。
妻の糖尿病が新しいステージになりました。
難易度の高い食事療法になります。

摂取エネルギー18単位(身体活動量25)、タンパク質50g、塩分6g以下、カリウム制限なし
 

糖尿病にインシュリン治療 2018/10/21~

インシュリン注射
 


・10月21日発熱(腎盂腎炎)で入院。同時に空腹時血糖値が295で「糖尿病」悪化の診断。
・「血糖値測定」と「インシュリン注射」の練習 10/24
・検査の結果、膵臓からインスリンは出ているので「2型糖尿病」です。
・PCに無線接続

「尿路感染」入院騒動から「間欠導尿」 2018/7/10~10/20

「尿路感染」と「間欠導尿」


尿路感染に対して 「間欠導尿」「ナイトバルーン」という解決策があるのを
病院からではなく、りすやまさん(経験者・先駆者)から知りました。
・・・排尿障害の治療の第1選択、尿路感染の予防は間欠導尿である

「診療報酬改定でナイトバルーンは保険適用になります」
中核の総合病院でも「ナイトバルーン」の2016年4月の診療報酬改定は周知されていません。
自ら情報を集めて説得しないと損をします。

■間欠導尿を断念。留置バルーンに変更しました。
欠かさず3.5時間ごと、平均160cc、最大299ccの導尿をつづけても
尿の濁りはのこり、7月の退院以来発熱を2度再発をさせてしまいました。
間欠導尿には自負がありましたから、間欠導尿の負けです。
「再発しないこと」を優先したいと思います。

「腎盂腎炎」に「留置バルーン」の選択 2018/10/21

留置バルーン


・7月の入院以来2回の発熱、10月に再入院。
・泌尿器科の先生の強い勧めで留置バルーンの選択をしました。10/31
・ケアマネさんにお願いしてカンファレンスの結果、通院にて交換を選択 11/1
・畜尿バックの車いす処理について工夫しました。
・腎盂腎炎の再発 2018/11/28
・訪問看護による留置バルーン交換を12月からスタート 2018/12/1




脳梗塞(人生2度目の救急車) 2022/12/04

脳梗塞から回復に向かっているのは、早期発見と適切な治療です

■2度目の救急車呼び出し

21時に消灯、就寝。
夜中の0時に妻の咳が続いたのでベッドを起こして見ると
(後で考えると、嚥下できずに咳が出た)
目の焦点があっていない、応答しない。声が出ない。
で、0時24分「119番」人生2度目の救急車を呼びました。

16年前、1度目の脳出血の時も真夜中の2時でした。
1度目は何が起きているかわからず、かなり慌てていましたが、
2度目は想定準備をしていたので冷静に躊躇はありませんでした。
---ただし、その時は予兆なく突然訪れます。



1度目の救急車で、私はパジャマのまま付き添い、
翌朝パジャマで歩いて帰宅しました。
最近の私は、真夜中に緊急でバルーン交換を依頼することもあって
救急車でも出られるように
パジャマでなく外出着で寝ています。

■眠れぬ24時間

0時58分  病院到着  救急車は搬入後お礼を言う間もなく撤退
1時30分~ MRI
3時15分  急性期病棟へ
3時35分  帰宅---入院準備----
~6時    入院持込みリストにより薬やおむつ、パジャマなど準備完了 
10時~   荷物持ち込み、脳外科先生とお話
~16時   口腔ケア用品の調査選定、手配
24時   就寝


■適切な治療

脳梗塞の血栓を溶かす薬は4~5時間が勝負です。

-------web情報-----
血栓溶解療法とは、心筋梗塞や脳梗塞の主な原因である血栓を分解・溶解する作用を持つ薬剤を使用する治療法 です。血栓を溶解することで、血管を開通させることができ、血流が途絶したことで傷害を受けた脳組織を回復させることができます。 一般的には 発症後4〜5時間以内に治療することで、後遺症を最小限にすることが期待 できます。
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真夜中の出来事だったので
もし、咳をしなかったら、
もし、別の部屋で寝ていたら、
もし、施設や病院(3時間ごとの巡回)なら
  朝まで気づかれなかったのではないかと思います
もし、朝まで気づかなかったら・・・。

----早期発見----いい方向に回りました----


「在宅介護で横に寝る」「救急医療情報シート」お勧めします。

急性胃腸炎で入院(人生3度目の救急車) 2022/12/16

■腹痛 序章
12/11日曜日 夕食後 嘔吐、頭痛
12/12月曜日 朝一通院でCT、血液検査
      →「腸炎」診断 3食抜き
12/13火曜日 おかゆ 3食
12/14水曜日 軟飯 3食 回復したと思いましたが・・・。
         (早く普通に戻したのが敗因でした)

■急性胃腸炎で入院 12/15 木曜日

朝食の途中で吐き気、腹痛、低血圧、めまい、発汗、下痢で、
吐いてはいないですが、訪問看護師さんの勧めもあって
救急車搬送してもらいました。

午後には血圧が戻り、
水分補給の点滴後、飲水出来れば帰宅の方向でしたが。。

16時、とろみ付き茶100ccほどを飲んで嘔吐
→入院となりました。(点滴でないと水分が取れないため)
診断:急性胃腸炎

■人生3度目の救急車

1回目は16年前の「脳出血」。
2回目は3週間前の「脳梗塞」。
3回目が「急性胃腸炎」です。


今回は低血圧もあって、短時間でも車椅子に乗れないと判断して
急病ではありませんが、訪問看護師さんの勧めもあって
救急車を呼びました。
「低血圧」は持病の「心不全」の可能性もあります。

「脳出血」「脳梗塞」は「1分1秒を争う急病」ですが、
今回はそうではないという後ろめたさがあります。
他に方法はないのですが、判断に迷うところです。

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