茨城県内の幕末海防施設     関連ページ:土浦藩の海防問題 銚子の台場 北海道道南の陣屋・台場

概説 太平洋に面して約130kmの海岸線を持つ茨城県内には幕末の海防を担った台場(砲台)・海防陣屋などの遺構が存在する。幕末の海防に関する研究書としてその方面でよく知られている『幕末海防史の研究』(原剛著1988)によると、北茨城市から那珂川河口南側(大洗町磯浜町)までは水戸徳川家の海防施設が置かれたが、それ以南、波崎町にかけては「台場を築造しなかった海岸」と書かれている。しかし、この本が出た当時すでに出版されていた『大洗町史(通史編)』(1986)では大洗町から鹿嶋市にかけての海岸線には守山藩(福島県郡山市田村町)の海防施設が点在していたことが知られていた。
 水戸藩の海防施設は比較的認知されているが、『幕末海防史の研究』でも見落としてしまったように、守山藩の施設についてはその存在が人々に知られる間もなく記憶から失われかけようとしている感がある。そこで、我が『美浦村お散歩団』は水戸藩の海防施設に加え、守山藩およびその他の海防関連遺構を探してみることにした。
 資料収集・現地踏査などでは『常陸古文化探求室』のとらさんにたいへんお世話になっている。
県内最大・最良の台場遺構である
祝町向洲台場の土塁(大洗アクアワールド西側)
茨城県内の海防陣屋・台場リスト(北から南へ)
年譜 寛永年間
  1624〜1643
初代水戸藩主頼房、湊村を大砲練習の地として,船番所を置く
正保元年 1644水戸藩、磯原・水木・湊3ヵ村に異国船遠見番所を置く
元禄11年 16982代光圀、那珂湊を見下ろす高台に別邸兼海防指揮所として寅賓閣を建てる
  15年 1702守山藩の松川陣屋完成
文化5年 1808水戸藩、川尻・水木に海防陣屋を設置、150匁の大砲6挺を配備
文政7年 1824大津浜でイギリス人上陸事件発生
  8年 1825幕府、異国船打払令を出す。水戸藩、郷士や郷足軽を川尻・河原子・磯浜に25人ずつ配置、100匁大砲2挺と3匁玉鉄砲人数分配備
天保7年 1836水戸藩、川尻・河原子改め、友部・大沼に海防陣屋を設置。助川海防城完成。
湊村に最初の台場を築造
  13年 1842水戸藩、磯浜海防陣屋設置(『水戸藩史料別記下』)
  14年 1843守山藩、荒野村に海防陣屋を設け、大砲を配置
安政2年 1855水戸藩、那珂湊に反射炉建設
  3年 1856水戸藩の海防農民1500人
所在地茨城県の太平洋側海岸線に沿って設置されていた。
参考書 『幕末海防史の研究』、『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』、『大洗町史(通史編)』、『守山藩史料(下)』(大洗町史資料集第7集)、『品川台場史考』、『房総の幕末海防始末』 (その他、各陣屋・台場のページにも紹介してあります) *詳細な資料・史料リストは『常陸古文化探求室』をご覧下さい