寅賓閣海防見張番所(いひんかくかいぼうみはりばんしょ)

概説 寅賓閣は元禄11(1698)年に創建され、元治元(1864)年幕末の天狗党の乱で焼失した水戸光圀公の別荘。2階建で建坪300坪(1000平方メートル)の大きなものだった。
 光圀は寅賓閣のある台地東端に海防見張番所を設置した。
[註:いひんかくの「い」の字は漢字第2水準に入っていないため似ている「寅」(いん)で仮に表示しました。正しくは「寅」の上に「夕」という字が付き「いん」と読み、地元の人は「い」と読むそうです。 ]
海防見張番所は湊公園の東の突端にあった
その他の写真
  1. 寅賓閣の碑のある小山は茶屋跡
  2. 寅賓閣と文武館の間の七曲り坂は明らかに堀切だ
訪問記[2004/06/14]寅賓閣の主要建物は那珂湊勤労青少年ホームの南側一帯に建っていたようで、現在、寅賓閣碑の建つ小山は茶屋跡だったようだ。紛らわしい。茶屋跡の東側、台地東端に海防見張番所が置かれていた。光圀の別荘とは言っても城郭としての体裁を意識していると思えるのは、西側の文武館との境にある堀切状の切り通し道。
所在地ひたちなか市山ノ上町。湊公園内。寅賓閣は那珂湊勤労青少年ホームの南側一帯に建っていた。海防見張番所は公園の東端。
参考書『那珂湊の地名』