夏海浜欠台場

概説 「公辺御届向」(守山藩海防手当)(樫村家史料)の中に「成田村 一、船付之場所ヨリ松川陣屋迄十八町 一、大筒台場 壱ケ所」などと書かれている。[『守山藩史料(下)』(大洗町史資料集第7集)より]
 松川陣屋の砲台場は浜欠(現大洗町夏海)に設けられた。浜欠稲荷のそばを通って夏海台地を細道伝いに下り、海岸に突き出た台地に、3つの土塁が築かれていたという。昭和40年代の国道51号線開通によって砲台場跡の大部分が失われた。[『大洗町史(通史編)』より]
 守山藩(松川陣屋)の台場跡。太平洋に直面する標高22mの砂丘地に円柱状の台場が3基あったが、昭和40年代の国道51号線工事以降大部分が消滅し、現状からは位置を特定できなくなっている。[『大洗町埋蔵文化財包蔵地調査カード』より]
国道51号線沿いレストランひたち野と釣具屋の間付近(ここよりも若干北側)
夏海浜欠台場の比定地(クリックで拡大)
その他の写真
訪問記[2004/04/26]国道の場所だったのか、それよりも海側の場所だったのかさえすでに分からなくなっているそうだ。『大洗町史(通史編)』に砲台場跡略図が載っている。それによると松川陣屋から夏海十文字を経て塩見塚の南を国道51号線へ降りた真正面に円筒形の土塁3基描かれている。それに対して『大洗町埋蔵文化財包蔵地調査カード』ではそこから100mほど北側に比定している。この辺りは国道の両側にホテルや商業施設が建ち並び遺構を探す余地はない。しかし、『大洗町史(通史編)』の図の場所であったら一部でも残っている期待が持てる。
[2004/05/31]『大洗町史(通史編)』の図の場所を歩いてみた。国道51号線沿いレストランひたち野と釣具屋の間は全てブルで押されてアスファルトで固められている。その東側はすぐに斜面になって海の方へ下がっている。遺構に関してはほぼ絶望だ。
[2018/10/25]1947年撮影の米軍の空中写真に3基の土塁らしきものが写っているので、現在のGooglemapと並べて場所を比定してみた。
所在地大洗町成田町浜欠1323-2外。国道51号線沿い、レストランひたち野と釣具屋の間付近またはパシフィックホテル付近。
参考書『大洗町史(通史編)』、『守山藩史料(下)』(大洗町史資料集第7巻)