訓読万葉集 巻3 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―



巻第三(みまきにあたるまき)


雑歌(くさぐさのうた)


天皇(すめらみこと)雷岳(いかつちのをか)御遊(いでま)せる時、柿本朝臣人麻呂がよめる歌一首(ひとつ)

0235 (おほきみ)は神にしませば天雲(あまくも)(いかつち)()(いほ)りせるかも

右、或ル(マキ)ニ云ク、忍壁皇子(オサカベノミコ)ニ献レリ。其ノ歌ニ曰ク、

   (おほきみ)は神にしませば雲(がく)る雷山に宮敷き(いま)


天皇志斐嫗(しひのおみな)に賜へる御歌(おほみうた)一首

0236 いなと言へど強ふる志斐のが強語(しひかたり)このごろ聞かずて(あれ)恋ひにけり


志斐嫗が(こた)(まつ)れる歌一首

0237 いなと言へど語れ語れと()らせこそ志斐いは(まを)せ強語と()


長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)(みことのり)(うけたまは)りてよめる歌一首

0238 大宮の内まで聞こゆ網引(あびき)すと網子(あこ)調(ととの)ふる海人の呼び声

右一首。


長皇子猟路野(かりぢぬ)遊猟(みかり)したまへる時、柿本朝臣人麻呂がよめる歌一首、また短歌(みじかうた)

0239 やすみしし 我が大王(おほきみ) 高光る 我が日の皇子の
   馬()めて 御狩立たせる 若薦(わかこも)を 猟路の小野に
   (しし)こそは い匍ひ(をろが)め 鶉こそ い匍ひ(もとほ)
   (しし)じもの い匍ひ(をろが)み 鶉なす い匍ひ(もとほ)
   (かしこ)みと 仕へまつりて 久かたの (あめ)見るごとく
   真澄鏡(まそかがみ) 仰ぎて見れど 春草の いやめづらしき 我が大王かも

反し歌一首

0240 ひさかたの天行く月を(つな)に刺し我が大王は(きぬかさ)にせり

或ル本ノ反歌一首

 0241 (おほきみ)は神にしませば真木の立つ荒山中に海を成すかも


弓削皇子(ゆげのみこ)吉野(よしぬ)(いでま)せる時の御歌一首

0242 (たぎ)()の三船の山にゐる雲の常にあらむと我が()はなくに

或ル本ノ歌一首

 0244 み吉野の三船の山に立つ雲の常にあらむと我が()はなくに

右ノ一首ハ、柿本朝臣人麻呂ノ歌集ニ出デタリ。


春日王(かすがのおほきみ)の和へ奉れる歌一首

0243 (おほきみ)は千歳に()さむ白雲も三船の山に絶ゆる日あらめや


長田王(ながたのおほきみ)筑紫(つくし)に遣はされ水島を渡りたまふ時の歌二首(ふたつ)

0245 聞きし如まこと貴く(くす)しくも(かむ)さびますかこれの水島

0246 葦北の野坂の浦ゆ船出して水島に行かむ波立つなゆめ

石川大夫(いしかはのまへつきみ)が和ふる歌一首

0247 沖つ波辺波(へなみ)立つとも我が背子が御船の(とまり)波立ためやも


又長田王のよみたまへる歌一首

0248 隼人(はやひと)の薩摩の瀬戸を雲居なす遠くも(あれ)は今日見つるかも


柿本朝臣人麻呂が覊旅(たび)の歌八首(やつ)

0249 御津の崎波を(かしこ)隠江(こもりえ)の船寄せかねつ野島(ぬしま)の崎に

0250 玉藻刈る敏馬(みぬめ)を過ぎ夏草の野島の崎に舟近づきぬ

0251 淡路の野島の崎の浜風に妹が結べる紐吹き返す

0252 荒布(あらたへ)の藤江の浦に(すずき)釣る海人とか見らむ旅行く(あれ)

0253 稲日野(いなびぬ)も行き過ぎかてに思へれば心(こほ)しき加古の島見ゆ

0254 燭火(ともしび)の明石大門(おほと)に入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず

0255 天ざかる(ひな)長道(ながち)ゆ恋ひ来れば明石の()より大和島見ゆ

0256 飼飯(けひ)の海の庭よくあらし苅薦の乱れ出づ見ゆ海人の釣船

一本ニ云ク、

    武庫(むこ)の海の船にはあらし(いざり)する海人の釣船波の()ゆ見ゆ


鴨君足人(かものきみたりひと)が香具山の歌一首、また短歌

0257 天降(あも)りつく (あめ)の香具山 霞立つ 春に至れば
   松風に 池波立ちて 桜花 木晩(このくれ)茂み
   沖辺には 鴨妻呼ばひ 辺つ()に あぢ(むら)騒き
   ももしきの 大宮人の 退(まか)り出て 遊ぶ船には
   楫棹(かぢさを)も なくて(さぶ)しも 榜ぐ人なしに

反し歌二首

0258 人榜がず有らくも(しる)(かづ)きする鴛鴦(をし)沈鳧(たかべ)と船の()に棲む

0259 いつの間も神さびけるか香具山の桙杉の本に苔むすまでに

或ル本ノ歌ニ云ク

 0260 天降りつく 神の香具山 打ち靡く 春さり来れば
    桜花 木晩茂み 松風に 池波立ち
    辺つ方は あぢ群騒き 沖辺は 鴨妻呼ばひ
    ももしきの 大宮人の 退り出て 榜ぎにし船は
    棹楫(さをかぢ)も なくて寂しも 榜がむと()へど


柿本朝臣人麻呂が新田部皇子(にひたべのみこ)に献れる歌一首、また短歌

0261 やすみしし 我が大王 高光る 日の皇子
   敷き()す 大殿の()に 久方の 天伝(あまづた)ひ来る
   雪じもの 往き通ひつつ いや(しき)(いま)

反し歌一首

0262 矢釣(やつり)山木立も見えず降り乱る雪に騒きて参らくよしも


刑部垂麿(おさかべのたりまろ)が近江国より上来(まゐのぼ)る時よめる歌一首

0263 ()()いたく打ちてな行きそ()並べて見ても我が行く志賀にあらなくに


柿本朝臣人麻呂が近江国より上来る時、宇治河(うぢかは)(ほとり)に至りてよめる歌一首

0264 物部(もののふ)八十(やそ)宇治川の網代木(あじろき)にいさよふ波の行方知らずも


長忌寸奥麻呂が歌一首

0265 苦しくも降り来る雨か(かみ)の崎狭野の渡りに家もあらなくに


柿本朝臣人麻呂が歌一首

0266 淡海(あふみ)()夕波千鳥()が鳴けば心もしぬに(いにしへ)思ほゆ


志貴皇子の御歌一首

0267 むささびは木末(こぬれ)求むと足引の山の猟師(さつを)に逢ひにけるかも


長屋王故郷(ふるさと)の歌一首

0268 我が背子が古家(ふるへ)の里の明日香には千鳥鳴くなり君待ちかねて


阿倍女郎(あべのいらつめ)屋部坂(やべさか)の歌一首

0269 (しぬ)ひなば我が袖もちて隠さむを焼けつつかあらむ着ずて()しけり


高市連黒人が覊旅(たび)の歌八首

0270 旅にして物(こほ)しきに山下の(あけ)赭土船(そほぶね)沖に榜ぐ見ゆ

0271 作良(さくら)田へ*(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る

0272 四極(しはつ)山打ち越え見れば笠縫(かさぬひ)の島榜ぎ隠る棚無小舟(たななしをぶね)

0273 磯の崎榜ぎ()み行けば近江の()八十の水門(みなと)に鶴さはに鳴く

0274 我が船は比良(ひら)の湊に榜ぎ()てむ沖へな(さか)りさ夜更けにけり

0275 いづくに()は宿らなむ高島の勝野の原にこの日暮れなば

0276 妹も(あれ)も一つなれかも三河なる二見の道ゆ別れかねつる

一本、黒人ガ妻ノ答フル歌ニ云ク、

   三河なる二見の道ゆ別れなば我が背も(あれ)も独りかも行かむ

0277 早来ても見てましものを山背(やましろ)高槻の村*散りにけるかも


石川女郎(いしかはのいらつめ)が歌一首

0278 志賀(しか)の海女は昆布()苅り塩焼き(いとま)無み髪梳(くしげ)小櫛(をくし)取りも見なくに


高市連黒人が歌二首

0279 我妹子(わぎもこ)猪名野(ゐなぬ)は見せつ名次(なすぎ)(つぬ)の松原いつか示さむ

0280 いざ子ども大和へ早く白菅(しらすげ)真野(まぬ)榛原(はりはら)手折(たを)りて行かむ

黒人が()の答ふる歌一首

0281 白菅の真野の榛原往くさ()さ君こそ見らめ真野の榛原


春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)が歌一首

0282 つぬさはふ磐余(いはれ)も過ぎず泊瀬山いつかも越えむ夜は更けにつつ


高市連黒人が歌一首

0283 住吉(すみのえ)得名津(えなつ)に立ちて見渡せば武庫の泊ゆ出づる船人(ふなひと)


春日蔵首老が歌一首

0284 焼津辺(やきづへ)()が行きしかば駿河なる阿倍の市道(いちぢ)に逢ひし子らはも


丹比真人笠麻呂が、紀伊国に往き、()の山を超ゆる時よめる歌一首

0285 栲領巾(たくひれ)の懸けまく欲しき妹の名をこの勢の山に懸けばいかにあらむ

春日蔵首老が即ち和ふる歌一首

0286 よろしなべ()が背の君が負ひ来にしこの勢の山を妹とは呼ばじ


志賀(しが)(いでま)せる時、石上(いそのかみ)(まへつきみ)のよみたまへる歌一首

0287 ここにして家やも何処(いづく)白雲の棚引く山を越えて来にけり


穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)が歌一首

0288 我が命のま(さき)くあらば亦も見む志賀の大津に寄する白波


間人宿禰大浦(はしひとのすくねおほうら)初月(みかつき)の歌二首

0289 天の原振り放け見れば(しら)真弓張りて懸けたり夜道は行かむ

0290 倉椅(くらはし)の山を高みか夜隠(よこもり)に出で来る月の光(とも)しき


小田事主(をだのことぬし)が勢の山の歌一首

0291 真木の葉のしなふ勢の山偲はずて()が越え行けば木の葉知りけむ


録兄麻呂(ろくのえまろ)*が歌四首(よつ)

0292 久方の(あま)探女(さぐめ)が岩船の泊てし高津は()せにけるかも

0293 潮干(しほひ)の御津の海女の藁袋(くぐつ)持ち玉藻苅るらむいざ行きて見む

0294 風をいたみ沖つ白波高からし海人の釣船浜に帰りぬ

0295 住吉(すみのえ)の岸の松原遠つ神我が(おほきみ)幸行処(いでましところ)


田口益人大夫(たくちのますひとのまへつきみ)上野(かみつけぬ)国司(くにのみこともち)()けらるる時、駿河国浄見埼(きよみのさき)に至りてよめる歌二首

0296 廬原(いほはら)の清見が崎の三穂の浦のゆたけき見つつ物()ひもなし

0297 昼見れど飽かぬ田子の浦大王の(みこと)畏み夜見つるかも


辨基(べむき)が歌一首

0298 真土山夕越え行きて廬前(いほさき)角太川原(すみだがはら)に独りかも寝む


大納言(おほきものまをすつかさ)大伴の(まへつきみ)の歌一首

0299 奥山の(すが)の葉(しぬ)ぎ降る雪の()なば惜しけむ雨な降りそね


長屋王の馬を寧樂(なら)山に(とど)めてよみたまへる歌二首

0300 佐保過ぎて寧樂の手向(たむけ)に置く(ぬさ)は妹を目()れず相見しめとそ

0301 岩が根の凝重(こごし)く山を越えかねて()には泣くとも色に出でめやも


中納言(なかのものまをすつかさ)安倍廣庭(あべのひろには)の卿の歌一首

0302 子らが家道やや間遠(まとほ)きをぬば玉の夜渡る月に(きほ)ひあへむかも


柿本朝臣人麻呂が筑紫国に下れる時、海路(うみつぢ)にてよめる歌二首

0303 名ぐはしき印南(いなみ)の海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は

0304 大王の遠の朝廷(みかど)とあり(かよ)島門(しまと)を見れば神代し思ほゆ


高市連黒人の近江の旧き都の歌一首

0305 かく故に見じと言ふものを楽浪(ささなみ)の旧き都を見せつつもとな


伊勢国に(いでま)せる時、安貴王(あきのおほきみ)のよみたまへる歌一首

0306 伊勢の海の沖つ白波花にもが包みて妹が家苞(いへづと)にせむ


博通法師(はくつうほうし)が紀伊国に往きて三穂の石室(いはや)を見てよめる歌三首

0307 はた(すすき)久米の若子(わくご)(いま)しけむ三穂の石室は荒れにけるかも

0308 常磐なす石室は今も在りけれど住みける人そ常なかりける

0309 石室戸(いはやと)に立てる松の樹()を見れば昔の人を相見るごとし


門部王(かどべのおほきみ)(ひむがし)の市の樹を詠みたまへる作歌(うた)一首

0310 東の市の植木の木垂(こだ)るまで逢はず久しみうべ恋ひにけり


按作村主益人(くらつくりのすくりますひと)豊前国(とよくにのみちのくち)より(みやこ)(まゐのぼ)る時よめる歌一首

0311 梓弓引き豊国の鏡山見ず久ならば(こほ)しけむかも


式部卿(のりのつかさのかみ)藤原宇合(ふぢはらのうまかひ)の卿に、難波の(みやこ)を改め造らしめたまへる時よめる歌一首

0312 昔こそ難波田舎と言はれけめ今は都と都びにけり


土理宣令(とりのせむりやう)が歌一首

0313 み吉野の(たぎ)の白波知らねども語りし継げば古思ほゆ


波多朝臣少足(はたのあそみをたり)が歌一首

0314 小波(さざれなみ)礒越道(いそこせぢ)なる能登瀬川音の(さや)けさ(たぎ)つ瀬ごとに


暮春之月(やよひばかり)、芳野の離宮(とつみや)に幸せる時、中納言大伴の卿(みことのり)(うけたまは)りてよみたまへる歌一首、また短歌 奏上ヲ()ザル歌

0315 み吉野の 吉野の宮は 山柄(やまから)し 貴くあらし
   川柄(かはから)し 清けくあらし 天地と 長く久しく
   万代に 変らずあらむ 行幸(いでまし)の宮

反し歌

0316 昔見し(きさ)の小川を今見ればいよよ清けく成りにけるかも


山部宿禰赤人不盡山(ふじのやま)()てよめる歌一首、また短歌

0317 天地(あめつち)の 分かれし時ゆ 神さびて 高く(たふと)
   駿河なる 富士の高嶺(たかね)を (あま)の原 振り()け見れば
   渡る日の 影も(かく)ろひ 照る月の 光も見えず
   白雲(しらくも)も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける
   語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ 不盡(ふじ)高嶺(たかね)

反し歌

0318 田子(たこ)の浦ゆ打ち()て見れば真白くそ*不盡の高嶺に雪は降りける


不盡山を詠める歌一首、また短歌

0319 なまよみの 甲斐の国 打ち寄する 駿河の国と
   此方此方(こちごち)の 国のみ中ゆ 出で立てる 不盡(ふじ)高嶺(たかね)
   天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も ()びも(のぼ)らず
   燃ゆる火を 雪もち()ち 降る雪を 火もち消ちつつ
   言ひもかね 名付けも知らに (くす)しくも (いま)す神かも
   石花海(せのうみ)と 名付けてあるも その山の (つつ)める海ぞ
   不盡川と 人の渡るも その山の 水の(たぎ)ちぞ
   日の本の 大和の国の (しづ)めとも 座す神かも
   宝とも なれる山かも 駿河なる 不盡(ふじ)高嶺(たかね)は 見れど飽かぬかも

反し歌

0320 不盡の嶺に降り置ける雪は六月(みなつき)十五日(もち)()ぬればその夜降りけり

0321 富士の嶺を高み畏み天雲もい行きはばかり棚引くものを

右ノ一首ハ、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出タリ。類ヲ以テ此ニ載ス。


山部宿禰赤人が伊豫温泉(いよのゆ)()きてよめる歌一首、また短歌

0322 皇神祖(すめろき)の 神の(みこと)の 敷き()す 国のことごと
   湯はしも (さは)にあれども 島山の 宜しき国と
   凝々(こご)しかも 伊豫の高嶺の 射狭庭(いざには)の 岡に立たして
   歌思ひ (こと)思はしし み湯の()の 木群(こむら)を見れば
   臣木(おみのき)も 生ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず
   遠き代に 神さびゆかむ 行幸処(いでましところ)

反し歌

0323 ももしきの大宮人の熟田津(にきたづ)(ふな)乗りしけむ年の知らなく


神岳(かみをか)に登りて山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌

0324 三諸(みもろ)の 神名備山(かむなびやま)に 五百枝(いほえ)さし (しじ)に生ひたる
   (つが)の木の いや継ぎ嗣ぎに 玉葛(たまかづら) 絶ゆることなく
   ありつつも 止まず通はむ 明日香の (ふる)き都は
   山高み 川透白(とほしろ)
   春の日は 山し見がほし 秋の夜は 川し(さや)けし
   朝雲に (たづ)は乱れ 夕霧に かはづは騒ぐ
   見るごとに ()のみし泣かゆ (いにしへ)思へば

反し歌

0325 明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに


門部王の難波に(いま)して、漁父(あま)燭光(いざりひ)を見てよみたまへる歌一首

0326 見渡せば明石の浦に燭す火の穂にぞ出でぬる妹に恋ふらく


或る娘子(をとめ)等、乾鰒(ほしあはび)を包めるを、通觀僧(つぐわむほうし)に贈りて、(たは)れに咒願(かしり)を請ふ時、通觀がよめる歌一首

0327 (わたつみ)の沖に持ち行きて放つとも如何(うれむ)ぞこれが蘇りなむ


太宰少弐(おほみこともちのすなきすけ)小野老朝臣(をぬのおゆのあそみ)が歌一首

0328 青丹よし寧樂の都は咲く花の(にほ)ふがごとく今盛りなり


防人司佑(さきもりのつかさのまつりごとひと)大伴四綱(よつな)が歌二首

0329 やすみしし我が(おほきみ)の敷き()せる国の中なる都し思ほゆ

0330 藤波の花は盛りに成りにけり平城(なら)の都を思ほすや君


(かみ)大伴の卿の歌五首

0331 ()が盛りまた変若()ちめやも(ほとほと)に寧樂の都を見ずかなりなむ

0332 我が命も常にあらぬか昔見し(きさ)の小川を行きて見むため

0333 浅茅原つばらつばらに物()へば故りにし(さと)し思ほゆるかも

0334 萱草(わすれぐさ)我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れぬがため

0335 我が(ゆき)は久にはあらじ(いめ)(わだ)瀬とは成らずて淵にありこそ


沙弥満誓(さみのまむぜい)が綿を詠める歌一首

0336 しらぬひ筑紫の綿は身に付けて未だは着ねど暖けく見ゆ


山上臣憶良(やまのへのおみおくら)が宴より(まか)るときの歌一首

0337 憶良らは今は罷らむ子泣くらむ()()の母も()を待つらむそ


太宰帥(おほみこともちのかみ)大伴の卿の酒を讃めたまふ歌十三首(とをまりみつ)

0338 (しるし)なき物を()はずは一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあらし

0339 酒の名を(ひじり)と負ほせし古の大き聖の言の宜しさ

0340 古の七の(さか)しき人たちも()りせし物は酒にしあらし

0341 賢しみと物言はむよは酒飲みて酔哭(ゑひなき)するし勝りたるらし

0342 言はむすべ為むすべ知らに極りて貴き物は酒にしあらし

0343 中々に人とあらずは酒壷(さかつぼ)に成りてしかも酒に染みなむ

0344 あな(みにく)賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む

0345 (あたひ)なき宝といふとも一坏の濁れる酒に(あに)勝らめや

0346 夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣るに豈()かめやも

0347 世間(よのなか)の遊びの道に(あまね)きは酔哭するにありぬべからし

0348 今代(このよ)にし(たぬ)しくあらば来生(こむよ)には虫に鳥にも(あれ)は成りなむ

0349 生まるれば遂にも死ぬるものにあれば今生(このよ)なる間は楽しくを有らな

0350 黙然(もだ)居りて賢しらするは酒飲みて酔泣するになほ及かずけり


沙弥満誓が歌一首

0351 世間(よのなか)を何に譬へむ朝開き榜ぎにし船の跡なきごとし


若湯座王(わかゆゑのおほきみ)の歌一首

0352 葦辺(あしへ)には(たづ)()鳴きて湊風寒く吹くらむ津乎(つを)の崎はも


釋通觀(ほうしつぐわむ)が歌一首

0353 み吉野の高城(たかき)の山に白雲は行きはばかりて棚引けり見ゆ


日置少老(へきのをおゆ)が歌一首

0354 (なは)の浦に塩焼く(けぶり)夕されば行き過ぎかねて山に棚引く


生石村主真人(おふしのすくりまひと)が歌一首

0355 大汝(おほなむぢ)少彦名(すくなびこな)(いま)しけむ志都(しつ)石室(いはや)は幾代経ぬらむ


上古麻呂(かみのふるまろ)が歌一首

0356 今日もかも明日香の川の夕さらずかはづ鳴く瀬の(さや)けかるらむ


山部宿禰赤人が歌六首

0357 繩の浦ゆ背向(そがひ)に見ゆる沖つ島榜ぎ()む舟は釣しすらしも

0358 武庫の浦を榜ぎ廻む小舟(をぶね)粟島を背向に見つつ(とも)しき小舟

0359 阿倍の島鵜の住む磯に寄する波間なくこのごろ大和し思ほゆ

0360 潮干なば玉藻苅り籠め家の()浜苞(はまつと)乞はば何を示さむ

0361 秋風の寒き朝開(あさけ)狭野(さぬ)の岡越ゆらむ君に衣貸さましを

0362 雎鳩(みさご)居る磯廻(いそみ)に生ふる名乗藻(なのりそ)の名は()らしてよ親は知るとも

或ル本ノ歌ニ曰ク

 0363 雎鳩居る荒磯に生ふる名乗藻のよし名は告らせ親は知るとも


笠朝臣金村鹽津(しほつ)山にてよめる歌二首

0364 大夫(ますらを)弓末(ゆすゑ)振り起こし射つる矢を後見む人は語り継ぐがね

0365 鹽津山打ち越え行けば()が乗れる馬ぞ躓く家恋ふらしも


角鹿津(つぬがのつ)にて船に乗れる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌(みじかうた)

0366 越の海の 角鹿の浜ゆ 大舟に 真楫(まかぢ)()き下ろし
   勇魚(いさな)取り 海路(うみぢ)に出でて (あべ)きつつ 我が榜ぎ行けば
   大夫(ますらを)の 手結(たゆひ)が浦に 海未通女(あまをとめ) 塩焼く(けぶり)
   草枕 旅にしあれば 独りして 見る(しるし)無み
   海神(わたつみ)の 手に巻かしたる 玉たすき 懸けて偲ひつ 大和島根を

反し歌

0367 越の海の手結の浦を旅にして見れば(とも)しみ大和偲ひつ


石上大夫(いそのかみのまへつきみ)が歌一首

0368 大船に真楫(まかぢ)(しじ)貫き大王の命畏み磯廻するかも


和ふる歌一首

0369 物部(もののふ)(おみ)壮士(をとこ)は大王の(まけ)(まにま)に聞くといふものぞ

右、作者審カナラズ。但シ笠朝臣金村ノ歌集ノ中ニ出デタリ。


安倍廣庭の卿の歌一首

0370 小雨降り*との(ぐも)る夜を濡れ湿()づと恋ひつつ居りき君待ちがてり


出雲守(いづものかみ)門部王(かどべのおほきみ)(みやこ)(しぬ)ひたまふ歌一首

0371 飫宇(おう)の海の河原の千鳥()が鳴けば我が佐保川(さほかは)の思ほゆらくに


山部宿禰赤人が春日野(かすがぬ)に登りてよめる歌一首、また短歌

0372 春日(はるひ)を 春日(かすが)の山の 高座(たかくら)の 御笠の山に
   朝さらず 雲居たなびき 容鳥(かほとり)の 間なく(しば)鳴く
   雲居なす 心いさよひ その鳥の 片恋のみに
   昼はも 日のことごと (よる)はも ()のことごと
   立ちて居て 思ひぞ()がする 逢はぬ子故に

反し歌

0373 高座の三笠の山に鳴く鳥の止めば継がるる恋もするかも


石上乙麻呂朝臣(いそのかみのおとまろのあそみ)の歌一首

0374 雨降らば着なむと()へる笠の山人にな着しめ濡れは()づとも


湯原王(ゆはらのおほきみ)の芳野にてよみたまへる歌一首

0375 吉野なる夏実(なつみ)の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山影にして


湯原王の宴の(とき)の歌二首

0376 蜻蛉羽(あきづは)の袖振る妹を玉くしげ奥に思ふを見たまへ我君(わぎみ)

0377 青山の嶺の白雲朝に()に常に見れどもめづらし我君(わぎみ)


山部宿禰赤人が、(おひてたまへる)太政大臣(おほきまつりごとのおほまへつきみ)の藤原の家の山池(いけ)を詠める歌一首

0378 昔()し旧き堤は年深み池の渚に水草(みくさ)生ひにけり


大伴坂上郎女(おほとものさかのへのいらつめ)祭神(かみまつり)の歌一首、また短歌

0379 久かたの 天の原より ()()し 神の命
   奥山の 賢木(さかき)の枝に 白紙(しらが)付く 木綿(ゆふ)取り付けて
   斎瓮(いはひへ)を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉(たかたま)を (しじ)()き垂り
   (しし)じもの 膝折り伏せ 手弱女(たわやめ)の (おすひ)取り懸け
   かくだにも (あれ)()ひなむ 君に逢はぬかも

反し歌

0380 木綿畳(ゆふたたみ)手に取り持ちてかくだにも(あれ)は祈ひなむ君に逢はぬかも

右ノ歌ハ、天平五年冬十一月ヲ以テ、大伴ノ氏ノ神ニ供ヘ祭ル時、聊カ此歌ヲ作ル。故レ祭神歌ト曰フ。


筑紫娘子(つくしをとめ)行旅(たびゆきひと)に贈れる歌一首 娘子、字ヲ兒島ト曰フ

0381 家()ふと心進むな風伺(かぜまもり)好くして(いま)せ荒きその路


筑波岳(つくはね)に登りて、丹比真人国人(たぢひのまひとくにひと)がよめる歌一首、また短歌

0382 鶏が鳴く (あづま)の国に 高山は (さは)にあれども
   双神(ふたかみ)の 貴き山の 並み立ちの 見が欲し山と
   神代より 人の言ひ継ぎ 国見する 筑波の山を
   冬こもり 時じく時と 見ずて行かば まして(こひ)しみ
   雪消(ゆきけ)する 山道すらを なづみぞ()()

反し歌

0383 筑波嶺を(よそ)のみ見つつありかねて雪消の道をなづみ()るかも


山部宿禰赤人が歌一首

0384 我が屋戸に韓藍(からゐ)蒔き()ほし枯れぬれど懲りずて亦も蒔かむとそ()


仙柘枝(ひじりのつみのえ)の歌三首

0385 霰降り吉志美(きしみ)(たけ)(さが)しみと草取りかねて妹が手を取る

右ノ一首ハ、或ルヒト云ク、吉野ノ人味稲(ウマシネ)ノ柘枝仙媛ニ与フル歌ナリ。

0386 この夕へ(つみ)のさ枝の流れ()(やな)は打たずて取らずかもあらむ

右一首。

0387 古に梁打つ人の無かりせばここにもあらまし柘の枝はも

右ノ一首ハ、若宮年魚麻呂(ワカミヤノアユマロ)ガ作。


羇旅(たび)の歌一首、また短歌

0388 海神(わたつみ)は (あや)しきものか 淡路島 中に立て置きて
   白波を 伊豫に(もと)ほし 居待月(ゐまちつき) 明石の門ゆは
   夕されば 潮を満たしめ 明けされば 潮を()しむ
   潮騒の 波を恐み 淡路島 磯隠(いそがく)り居て
   いつしかも この夜の明けむ と(さもら)ふに ()の寝かてねば
   (たぎ)()の 浅野の(きぎし) 明けぬとし 立ち(とよ)むらし
   いざ子ども あべて榜ぎ出む 庭も静けし

反し歌

0389 島伝ひ敏馬(みぬめ)の崎を榜ぎ()めば大和(こほ)しく鶴(さは)に鳴く

右ノ歌ハ、若宮年魚麻呂之ヲ誦メリ。但シ作者ヲ審ラカニセズ。


譬喩歌(たとへうた)



紀皇女(きのひめみこ)の御歌一首

0390 輕の池の浦廻(うらみ)(もとほ)る鴨すらも玉藻の上に独り寝なくに


筑紫観世音寺造りの別当(かみ)沙弥満誓が歌一首

0391 鳥総(とぶさ)立て足柄山に船木(ふなき)伐り木に伐り()きつあたら船木を


太宰大監(おほみこともちのおほきまつりごとひと)大伴宿禰百代が梅の歌一首

0392 ぬば玉のその夜の梅を()忘れて折らず来にけり思ひしものを


満誓沙弥(まむぜいさみ)が月の歌一首

0393 見えずとも(たれ)恋ひざらめ山の端にいさよふ月を(よそ)に見てしか


金明軍(こむのみやうぐむ)が歌一首

0394 (しめ)結ひて我が定めてし住吉(すみのえ)の浜の小松は後も我が松


笠郎女(かさのいらつめ)大伴宿禰家持(おほとものすくねやかもち)に贈れる歌三首

0395 託馬野(つくまぬ)に生ふる紫草(むらさき)(ころも)()め未だ着ずして色に出でにけり

0396 陸奥(みちのく)真野(まぬ)草原(かやはら)遠けども面影にして見ゆちふものを

0397 奥山の磐本菅(いはもとすげ)を根深めて結びし心忘れかねつも


藤原朝臣八束(やつか)が梅の歌二首

0398 妹が()に咲きたる梅の何時も何時も成りなむ時に事は定めむ

0399 妹が()に咲きたる花の梅の花実にし成りなばかもかくもせむ


大伴宿禰駿河麻呂(するがまろ)が梅の歌一首

0400 梅の花咲きて散りぬと人は言へど我が標結ひし枝ならめやも


大伴坂上郎女が、親族(うがら)と宴する日、(うた)へる歌一首

0401 山守(やまもり)のありける知らにその山に標結ひ立てて(ゆひ)の恥しつ

大伴宿禰駿河麻呂が即ち和ふる歌一首

0402 山守は(けだ)しありとも我妹子(わぎもこ)が結ひけむ標を人解かめやも


大伴宿禰家持が同じ坂上(さかのへ)の家の大嬢(おほいらつめ)に贈れる歌一首

0403 朝に()に見まく欲しけきその玉を如何にしてかも手ゆ()れざらむ


娘子(をとめ)が佐伯宿禰赤麿に(こた)ふる贈歌(うた)一首

0404 ちはやぶる神の(やしろ)し無かりせば春日の野辺に粟蒔かましを


佐伯宿禰赤麿がまた贈れる歌一首

0405 春日野に粟蒔けりせば鹿(しし)待ちに継ぎて行かましを社し有りとも


娘子がまた報ふる歌一首

0406 ()は祭る神にはあらず大夫(ますらを)に憑きたる神ぞよく祭るべき


大伴宿禰駿河麻呂が同じ坂上の家の二嬢(おといらつめ)(つまど)ふ歌一首

0407 春霞(はるかすみ)春日の里の殖小水葱(うゑこなぎ)苗なりと言ひし()はさしにけむ


大伴宿禰家持が同じ坂上の家の大嬢に贈れる歌一首

0408 石竹(なでしこ)がその花にもが朝旦(あさなさな)手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ


大伴宿禰駿河麻呂が同じ坂上の家の二嬢(おといらつめ)に贈れる歌一首

0409 一日には千重波敷きに思へどもなぞその玉の手に巻き難き


大伴坂上郎女が橘の歌一首

0410 橘を屋戸に植ゑ()ほせ立ちて居て後に悔ゆとも(しるし)あらめやも


大伴宿禰駿河麻呂が和ふる歌一首

0411 我妹子が屋戸の橘いと近く植ゑてし故に成らずは止まじ


市原王(いちはらのおほきみ)の歌一首

0412 (いなだき)著統(きす)める玉は二つ無しかにもかくにも君がまにまに


(それ)の歌二首

0436 人言(ひとごと)の繁きこの頃玉ならば手に巻き持ちて恋ひざらましを

0437 妹も(あれ)清御(きよみ)の川の川岸の妹が悔ゆべき心は持たじ


大網公人主(おほあみのきみひとぬし)が宴に(うた)へる歌一首

0413 須磨の海人の塩焼衣(しほやききぬ)藤衣(ふぢころも)間遠くしあれば未だ着馴れず


大伴宿禰家持が歌一首

0414 足引の岩根こごしみ(すが)の根を引かば(かた)みと標のみそ結ふ


挽歌(かなしみうた)


上宮聖徳皇子(うへのみやのしやうとこのみこ)竹原井(たかはらゐ)出遊(いでま)せる時、龍田山に(みまか)れる人を(みそなは)して悲傷(かなし)みよみませる御歌一首

0415 家にあらば妹が手()かむ草枕旅に()やせるこの旅人(たびと)あはれ


大津皇子被死(つみな)はえたまへる時、磐余(いはれ)の池の(つつみ)にて流涕(かなし)みよみませる御歌一首

0416 つぬさはふ*磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

右、藤原宮、朱鳥元年冬十月。


河内王(かはちのおほきみ)豊前国(とよくにのみちのくち)鏡山に(はふ)れる時、手持女王(たもちのおほきみ)のよみたまへる歌三首

0417 (おほきみ)親魄(むつたま)あへや豊国の鏡の山を宮と定むる

0418 豊国の鏡の山の石戸(いはと)()(こも)りにけらし待てど来まさぬ

0419 石戸()手力(たぢから)もがも手弱(たわや)()にしあればすべの知らなく


石田王(いはたのおほきみ)()せたまへる時、丹生王(にふのおほきみ)のよみたまへる歌一首、また短歌

0420 なゆ竹の (とを)寄る皇子 さ丹頬(にづら)ふ 我が大王(おほきみ)
   隠国(こもりく)の 初瀬の山に 神さびて (いつ)(いま)すと
   玉づさの 人ぞ言ひつる 妖言(およづれ)か ()が聞きつる
   狂言(たはこと)か ()が聞きつるも 天地に 悔しきことの
   世間(よのなか)の 悔しきことは 天雲の そくへの極み
   天地の 至れるまでに 杖つきも つかずも行きて
   夕占(ゆふけ)問ひ 石卜(いしうら)以ちて 我が屋戸に 御室(みもろ)を建てて
   枕辺に 斎瓮(いはひへ)を据ゑ 竹玉(たかたま)を 無間(しじ)()き垂り
   木綿(ゆふ)たすき (かひな)に懸けて (あめ)なる ささらの小野の
   (いは)(すげ) 手に取り持ちて 久かたの (あま)の川原に
   出で立ちて (みそ)ぎてましを 高山の (いはほ)の上に (いま)せつるかも

反し歌

0421 逆言(およづれ)狂言(たはこと)とかも高山の巌の上に君が臥やせる

0422 石上(いそのかみ)布留(ふる)の山なる杉群(すぎむら)の思ひ過ぐべき君にあらなくに


同じ〔石田王卒之〕時、山前王(やまくまのおほきみ)哀傷(かなし)みよみたまへる歌一首

0423 つぬさはふ 磐余の道を 朝さらず 行きけむ人の
   思ひつつ 通ひけまくは 霍公鳥(ほととぎす) 来鳴く五月(さつき)
   菖蒲(あやめぐさ) 花橘を 玉に貫き (かづら)にせむと
   九月(ながつき)の しぐれの時は 黄葉(もみちば)を 折り挿頭(かざ)さむと
   ()(くず)の いや遠長く 万代に 絶えじと思ひて
   通ひけむ 君を明日よは (よそ)にかも見む

或ル本ノ反歌二首

 0424 隠国(こもりく)泊瀬娘子(はつせをとめ)が手に巻ける玉は乱れてありと言はずやも

 0425 川風の寒き長谷(はつせ)を嘆きつつ君が歩くに似る人も逢へや


柿本朝臣人麻呂が香具山にて(みまかれるひと)を見て悲慟(かなし)みよめる歌一首

0426 草枕旅の宿りに誰が(つま)か国忘れたる家待たなくに


田口廣麿が(みまか)れる時、刑部垂麻呂(おさかべのたりまろ)がよめる歌一首

0427 百足らず八十(やそ)隈坂(くまぢ)手向(たむけ)せば過ぎにし人にけだし逢はむかも


土形娘子(ひぢかたのをとめ)を泊瀬山に火葬(やきはふ)れる時、柿本朝臣人麻呂がよめる歌一首

0428 隠国の泊瀬の山の山際(やまのま)にいさよふ雲は妹にかもあらむ


溺れ死ねる出雲娘子(いづもをとめ)を吉野に火葬(やきはふ)れる時、柿本朝臣人麿がよめる歌二首

0429 山際(やまのま)ゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく

0430 八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ


勝鹿(かつしか)真間娘子(ままをとめ)が墓を(とほ)れる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌

0431 古に ありけむ人の 倭文幡(しつはた)の 帯解き交へて
   臥屋(ふせや)建て 妻問(つまどひ)しけむ 勝鹿の 真間の手兒名(てこな)
   奥津城(おくつき)を こことは聞けど 真木の葉や 茂みたるらむ
   松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも我は 忘らえなくに

反し歌

0432 我も見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手兒名が奥津城ところ

0433 勝鹿の真間の入江に打ち靡く玉藻苅りけむ手兒名し思ほゆ


和銅四年(よとせといふとし)辛亥(かのとゐ)三穂の浦を過ぐる時、姓名がよめる歌二首*

0434 風早(かざはや)の美保の浦廻の白躑躅(しらつつじ)見れども(さぶ)し亡き人思へば

0435 みつみつし久米の若子(わかご)がい()りけむ磯の草根の枯れまく惜しも


神亀(じむき)五年(いつとせといふとし)戊辰(つちのえたつ)、太宰帥大伴の卿の故人(すぎにしひと)思恋(しぬ)ひたまふ歌三首

0438 (うつく)しき人の()きてし敷布(しきたへ)()が手枕を纏く人あらめや

右ノ一首ハ、別去テ数旬ヲ経テ作メル歌。

0439 帰るべき時は来にけり都にて誰が手本(たもと)をか()が枕かむ

0440 都なる荒れたる家に独り寝ば旅にまさりて苦しかるべし

右ノ二首ハ、京ニ向フ時ニ臨近キテ作メル歌。


〔神亀〕六年(むとせといふとし)己巳(つちのとみ)左大臣(ひだりのおほまへつきみ)長屋王の(つみなへ)賜へる後、倉橋部女王(くらはしべのおほきみ)のよみたまへる歌一首

0441 大皇(おほきみ)の命畏み大殯(おほあらき)の時にはあらねど雲隠り()


膳部王(かしはでべのおほきみ)悲傷(かなし)める歌一首

0442 世間(よのなか)は空しきものとあらむとぞこの照る月は満ち欠けしける

右ノ一首ハ、作者(ヨミヒト)未詳(シラズ)


天平(てむひやう)元年(はじめのとし)己巳(つちのとみ)攝津国(つのくに)班田(あがちだ)史生(ふみひと)丈部龍麻呂(はせつかべのたつまろ)自経死(わなき)し時、判官(まつりごとひと)大伴宿禰三中(みなか)がよめる歌一首、また短歌

0443 天雲の 向伏(むかふ)す国の 武士(ますらを)と 言はえし人は
   皇祖(すめろき)の 神の御門に 外重(とのへ)に 立ち(さもら)
   内重(うちのへ)に 仕へ(まつ)り 玉葛 いや遠長く
   (おや)の名も 継ぎ行くものと 母父(おもちち)に 妻に子どもに
   語らひて 立ちにし日より 足根(たらちね)の 母の(みこと)
   斎瓮(いはひへ)を 前に据ゑ置きて 一手(ひとて)には 木綿(ゆふ)取り持ち
   一手には 和細布(にきたへ)(まつ)り 平けく ま(さき)くませと
   天地の 神に()()み 如何にあらむ 年月日にか
   躑躅花(つつじばな) にほへる君が にほ鳥の なづさひ来むと
   立ちて居て 待ちけむ人は (おほきみ)の 命畏み
   押し照る 難波の国に あら玉の 年経るまでに
   白布(しろたへ)の 衣袖(ころもて)干さず 朝宵に ありつる君は
   いかさまに 思ひませか うつせみの 惜しきこの世を
   露霜の 置きて()にけむ 時ならずして

反し歌

0444 昨日こそ君は在りしか思はぬに浜松の()の雲に棚引く

0445 いつしかと待つらむ妹に玉づさの言だに告げず()にし君かも


〔天平〕二年(ふたとせといふとし)庚午(かのえうま)冬十二月(しはす)太宰帥大伴の卿の(みやこ)に向きて上道(みちだち)する時によみたまへる歌五首

0446 我妹子が見し鞆之浦(とものうら)天木香樹(むろのき)は常世にあれど見し人ぞなき

0447 鞆之浦の磯の杜松(むろのき)見むごとに相見し妹は忘らえめやも

0448 磯の()に根()ふ室の木見し人をいかなりと問はば語り告げむか

右ノ三首ハ、鞆浦ヲ過ル日ニ作メル歌。

0449 妹と()し敏馬の崎を帰るさに独りし見れば涙ぐましも

0450 行くさには二人我が見しこの崎を独り過ぐれば心悲しも

右ノ二首ハ、敏馬埼ヲ過ル日ニ作メル歌。


故郷(もと)の家に還入(かへ)りて即ちよみたまへる歌三首

0451 人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり

0452 妹として二人作りし()山斎(しま)木高(こだか)く繁くなりにけるかも

0453 我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心()せつつ涙し流る


〔天平〕三年(みとせといふとし)辛未(かのとひつじ)秋七月(ふみつき)、大納言大伴の卿の(うせたま)へる時の歌六首(むつ)

0454 ()しきやし栄えし君のいましせば昨日も今日も()を召さましを

0455 かくのみにありけるものを萩が花咲きてありやと問ひし君はも

0456 君に恋ひ(いた)もすべ無み葦鶴(あしたづ)の哭のみし泣かゆ朝宵にして

0457 遠長く仕へむものと思へりし君し()さねば心神(こころど)もなし

0458 若き子の()徘徊(たもとほ)り朝夕に哭のみそ()が泣く君なしにして

右の五首(いつうた)は、資人(つかひびと)金明軍が犬馬の慕心に()へず、感緒(かなしみ)()べてよめる歌

0459 見れど飽かず(いま)しし君がもみち葉の移りい()けば悲しくもあるか

右の一首(ひとうた)は、内礼正(うちのゐやのかみ)縣犬養宿禰人上(あがたのいぬかひのすくねひとかみ)(のりご)ちて、卿の病を検護せしむ。而して医薬験無く、逝く水留まらず。これに因りて悲慟(かなし)みて即ち此歌をよめり。


七年(ななとせといふとし)乙亥(きのとのゐ)、大伴坂上郎女が尼の理願(りぐわむ)死去(みまか)れるを悲嘆(かなし)み、よめる歌一首、また短歌

0460 栲綱(たくつぬ)の 新羅(しらき)の国ゆ 人言(ひとごと)を 良しと聞かして
   問ひ()くる 親族(うがら)兄弟(はらがら) 無き国に 渡り来まして
   大皇(おほきみ)の 敷き()す国に うち日さす 都しみみに
   里家は (さは)にあれども いかさまに 思ひけめかも
   連れもなき 佐保の山辺に 泣く子なす 慕ひ来まして
   敷布(しきたへ)の 家をも造り あら玉の 年の緒長く
   住まひつつ いまししものを 生まるれば 死ぬちふことに
   (のが)ろえぬ ものにしあれば 恃めりし 人のことごと
   草枕 旅なる(ほと)に 佐保川を 朝川渡り
   春日野を 背向(そがひ)に見つつ 足引の 山辺をさして
   晩闇(くらやみ)と 隠りましぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに
   徘徊(たもとほ)り ただ独りして 白布(しろたへ)の 衣袖(ころもて)干さず
   嘆きつつ ()が泣く涙 有間山 雲居棚引き 雨に降りきや

反し歌

0461 留めえぬ命にしあれば敷布の家ゆは出でて雲(がく)りにき

右、新羅ノ国ノ尼、名ヲ理願ト曰フ。遠ク王徳ヲ感ジテ聖朝ニ帰化ス。時ニ大納言大将軍大伴卿ノ家ニ寄住シ、既ニ数紀ヲ経タリ。惟ニ天平七年乙亥ヲ以テ、忽ニ運病ニ沈ミテ、既ニ泉界ニ趣ク。是ニ大家石川命婦、餌薬ノ事ニ依リテ有間温泉ニ往キテ、此ノ喪ニ会ハズ。但郎女独リ留リテ屍柩ヲ葬送スルコト既ニ訖リヌ。仍チ此ノ歌ヲ作ミテ温泉ニ贈入(オク)ル。


十一年(ととせまりひととせといふとし)己卯(つちのとう)夏六月(みなつき)、大伴宿禰家持が(みまか)れる()悲傷(かなし)みよめる歌一首

0462 今よりは秋風寒く吹きなむを如何でか独り長き夜を寝む

(おと)大伴宿禰書持(ふみもち)が即ち和ふる歌一首

0463 長き夜を独りや寝むと君が言へば過ぎにし人の思ほゆらくに

又家持が(みぎり)()瞿麦(なでしこ)の花を見てよめる歌一首

0464 秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑし屋戸の石竹(なでしこ)咲きにけるかも

(かは)りて後、秋風を悲嘆(かなし)みて家持がよめる歌一首

0465 うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒く偲ひつるかも

又家持がよめる歌一首、また短歌

0466 我が屋戸に 花ぞ咲きたる そを見れど 心もゆかず
   ()しきやし 妹がありせば 御鴨(みかも)なす 二人並び居
   手折りても 見せましものを うつせみの 借れる身なれば
   露霜の ()ぬるがごとく 足引の 山道をさして
   入日なす 隠りにしかば そこ()ふに 胸こそ痛め
   言ひもかね 名づけも知らに 跡も無き 世間(よのなか)なれば 為むすべもなし

反し歌

0467 時はしもいつもあらむを心痛くい()我妹(わぎも)か若き子置きて

0468 出で行かす道知らませば予め妹を留めむ(せき)も置かましを

0469 妹が見し屋戸に花咲く時は経ぬ()が泣く涙いまだ干なくに

悲緒(かなしみ)()まずてまたよめる歌五首

0470 かくのみにありけるものを妹も(あれ)も千歳のごとく恃みたりけり

0471 家(ざか)りいます我妹を留みかね山(がく)りつれ心神(こころど)もなし

0472 世間し常かくのみとかつ知れど痛き心は(しぬ)ひかねつも

0473 佐保山に棚引く霞見るごとに妹を思ひ出泣かぬ日はなし

0474 昔こそ(よそ)にも見しか我妹子が奥津城と()へば()しき佐保山


十六年(ととせまりむとせといふとし)甲申(きのえさる)春二月(きさらき)安積皇子(あさかのみこ)(すぎたま)へる時、内舎人(うちとねり)大伴宿禰家持がよめる歌六首

0475 かけまくも あやに(かしこ)し 言はまくも ゆゆしきかも
   我が(おほきみ) 御子の(みこと) 万代に ()したまはまし
   大日本(おほやまと) 久迩(くに)の都は 打ち靡く 春さりぬれば
   山辺には 花咲きををり 川瀬には 鮎子さ(ばし)
   いや日異(ひけ)に 栄ゆる時に 逆言(およづれ)の 狂言(たはこと)とかも
   白布(しろたへ)に 舎人装ひて 和束(わづか)山 御輿(みこし)立たして
   久かたの 天知らしぬれ ()(まろ)び (ひづ)ち泣けども 為むすべもなし

反し歌

0476 我が(おほきみ)天知らさむと思はねば(おほ)にぞ見ける和束杣山(わづかそまやま)

0477 足引の山さへ光り咲く花の散りぬるごとき我が王かも

右ノ三首ハ、二月三日ニ作メル歌。

0478 かけまくも あやに(かしこ)し 我が(おほきみ) 皇子(みこ)(みこと)
   物部(もののふ)の 八十伴男(やそとものを)を 召し集へ (あども)ひたまひ
   朝猟(あさがり)に 鹿猪(しし)踏み起こし 夕猟(ゆふがり)に 鶉雉(とり)踏み立て
   大御馬(おほみま)の 口抑へとめ 御心を ()し明らめし
   活道(いくぢ)山 木立の(しじ)に 咲く花も うつろひにけり
   世間(よのなか)は かくのみならし 大夫(ますらを)の 心振り起こし
   剣刀(つるぎたち) 腰に取り佩き 梓弓 (ゆき)取り負ひて
   天地(あめつち)と いや遠長に 万代に かくしもがもと
   恃めりし 皇子の御門の 五月蝿(さばへ)なす 騒く舎人は
   白栲(しろたへ)に 衣取り着て 常なりし (ゑま)ひ振舞ひ
   いや日異(ひけ)に 変らふ見れば 悲しきろかも

反し歌

0479 ()しきかも皇子の命のあり(がよ)()しし活道の道は荒れにけり

0480 大伴の名に負ふ(ゆき)帯びて万代に(たの)みし心いづくか寄せむ

右ノ三首ハ、三月二十四日ニ作メル歌。


()せたる()悲傷(かなし)み高橋朝臣がよめる歌一首、また短歌

0481 白布(しろたへ)の 袖さし交へて 靡き寝し 我が黒髪の
   ま白髪に 変らむ極み 新世(あらたよ)に 共にあらむと
   玉の緒の 絶えじい妹と 結びてし 言は果たさず
   思へりし 心は遂げず 白布の 手本を別れ
   (にき)びにし 家ゆも出でて 緑児(みどりこ)の 泣くをも置きて
   朝霧(あさきり)の 髣髴(おほ)になりつつ 山背(やましろ)の 相楽(さがらか)山の
   山際(やまのま)ゆ 往き過ぎぬれば 言はむすべ 為むすべ知らに
   我妹子と さ寝し妻屋に 朝庭に 出で立ち偲ひ
   夕べには 入り居嘆かひ 脇はさむ 子の泣くごとに
   男じもの 負ひみ(うだ)きみ 朝鳥の ()のみ泣きつつ
   恋ふれども (しるし)を無みと 言問はぬ ものにはあれど
   我妹子が 入りにし山を (よすか)とぞ思ふ

反し歌

0482 うつせみの世のことなれば(よそ)に見し山をや今は(よすか)と思はむ

0483 朝鳥の啼のみし泣かむ我妹子に今また更に逢ふよしを無み

右ノ三首ハ、七月廿日、高橋朝臣ガ作メル歌。


更新日:平成19-04-19
最終更新日:平成20-01-21
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