大伴宿禰書持
おおとものすくねふみもち
- 生没年 ?〜746(天平18)
- 系譜など 父は旅人。家持の同母弟。
- 略伝 739(天平11)年6月、家持の悲傷亡妾歌に即和(03/0463)。740(天平12)年12月9日、大宰府の梅花宴の歌に追和(17/3901〜3906)。741(天平13)年4月2日、奈良より恭仁京の家持に霍公鳥の歌を贈る。天平14年頃の冬、橘奈良麻呂の宴に出席して歌を詠む(08/1587)。家持が越中に赴任していた746(天平18)年、死去。同年9月25日作の家持による哀傷歌がある(17/3957〜3959)。続日本紀などに名は見えず、また万葉集を見ても官職に就いていた形跡はない。万葉に12首。03/0463、08/1480・1481、08/1587、17/3901〜3906、17/3909・3910。
関連サイト:「家持歌日記」を読む 第1部3(大伴家持の世界)
巻十七 書持の梅花宴追和歌について
「家持歌日記」を読む 第1部5(同上)
巻十七 家持と書持の霍公鳥の歌贈答について
書持の歌(やまとうた)
系図へ