大伴百代 おおとものももよ 生没年未詳

名は百世にもつくる。天平元年(729)頃、恋の歌四首がある(万葉4-559〜564)。天平二年(730)正月、大宰府大伴旅人邸での梅花宴に出席、歌を詠む(5-823)。この時大宰大監。同年六月、駅使を送別する宴で歌を詠む(4-566)。その後帰京し、天平十年、兵部少輔に任ぜられる。美作守・筑紫鎮西府副将軍などを歴任した後、天平十八年(746)四月、従五位下に叙された。同年、豊前守に任ぜられ、翌年正月、正五位下に昇る。万葉集に七首の歌を残す。

大宰大監(だざいのだいけん)大伴宿禰百代の梅の歌一首

ぬば玉のその夜の梅をた忘れて折らず来にけり思ひしものを(万3-392)

【通釈】あの夜に見た梅をうっかり忘れて手折らずに来てしまった。あの花が良いと思い決めていたのに。

【補記】巻三譬喩歌。宴などに侍っていた女性を手に入れる機を逸したことを悔やむ。

大宰大監大伴宿禰百代の恋の歌四首

事もなく生き()しものを老いなみにかかる恋にも(あれ)は逢へるかも(万4-559)

【通釈】これまで平穏無事に生きてきたのに、老境に入ってこれほど辛い恋に出くわしてしまうとはなあ。

 

恋ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ(万4-560)

【通釈】恋い死にしてしまったら何になろう。生きている今の日のためにこそあなたの顔を見たいのに。

【他出】「拾遺集」題しらず 大伴百世
こひしなむのちはなにせんいける日のためこそ人の見まくほしけれ

 

思はぬを思ふと言はば大野なる三笠の杜の神し知らさむ(万4-561)

【通釈】思ってもいないのに思っていると言ったら、大野の三笠の社の神が悟って祟られることでしょう。しかし私は本当にあなたのことを思っているのですから、神を恐れはしません。

【補記】「大野」は今の福岡県大野城市あたり。「三笠の社」は同市山田に小さな森として残っていると言う。

 

(いとま)なく人の眉根(まよね)をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ妹かも(万4-562)

【通釈】しょっちゅう眉をむやみに掻かせておきながら、逢ってはくれないあなたなのだなあ。

【補記】眉が痒くなるのは、人に逢える前兆だとの俗信があった。

大宰帥大伴卿の宅に宴してよめる梅の花の歌

梅の花散らくはいづくしかすがにこの()の山に雪は降りつつ(万5-823)

【通釈】梅の花が散ると言うのは、どこでしょう。そうは言っても、この城の山に雪は降り続いています。梅の花とはやはり雪のことだったのですね。

【補記】天平二年一月十三日、旅人邸で梅の花を賞美する宴を催した時の作。大宰府の官人ら総勢三十二名が梅の歌を詠んだ。この歌は直前の旅人の詠「我が園に梅の花散る久かたの天より雪の流れ来るかも」を承けて詠まれたもの。なお「城の山」は大宰府近くの大城(おおき)の山に同じ。山頂に山城があった。


最終更新日:平成15年11月20日