石井清龍の本筮易


易日記

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2009年5月24日

  「ノムヒョン元大統領」

昨日は新緑の日光に森林浴に行ってきました。
景観のすばらしさを写真を撮ってみたのですが、カメラの目と肉眼の目はまったく違うのですね。
カメラの腕が悪いともいえるのですが、どうしても山や渓谷の深みを写真に収めることが出来ませんでした。
カメラに収めた景色は、空も木々も渓流もみんな固まってしまって動きが消えてしまいます。
自然にある空や山や木々にすら、命の息吹や躍動感があるのですが、写真に自然の躍動感を撮りたいのですが、むずかしいんですね。
目で捉える事と同じようにカメラでも捉える事が出来たらな〜〜〜って思うのです。
日光の景色のすばらしさをカメラで撮って、実際の日光のすばらしさを私のHPのトップの写真に使いたくて写真を選んでみたのですが
写真と言うのはほんとうに実物とまったくちがって、生きた魚・生きた花・生きている空を撮る事って不可能なんだって思いました。
それほど、写真には空気がなくて真空の乾きがあるのですね。
で、今日は、トップの写真だけを変えたかったのですが、写真だけが変わって更新が何もないのも拍子抜けしそうなので無理やり、ひとつ占ったことを書くことにしました。

昨日、韓国のノムヒョン元大統領が自殺したと報道されています。
自宅の裏山の30メートルほどの岩山から、自ら飛び降りて自殺したとの事です。
自殺の理由を占ってみました。
おそらく多くの人が自殺を疑っていると思いますが、易の答えも自殺ではありませんでした。
易には犯人も出ますがきっと完全犯罪になってしまうのでしょうね。
怖い世の中です。


余談
日光の深みは、自然の深さを堪能できることなんでしょうね。
霧降高原のつつじの原や霧降滝、竜王峡の雄大な渓谷と岩山を覆う新緑に日光のよさがあるように感じます。
我が家から日光までそう遠くないので、もっとすばらしい場所を見つけにまた日光に行ってみたいと思っています。
しかし、昨日は土曜日でしたが土曜日だというのに日光は人がすくなくてガラガラでした。
お土産やさんもレストランも人がいなくて、お客さんの誰もいないお店で焼きたての岩魚、鮎を食べました。

群馬の館林のつつじの公園では色々なつつじが咲き誇って色とりどりのつつじを堪能できましたが、霧降高原に咲くつつじは、ほとんど同じ色合いのつつじでしたが高原に咲くつつじは、つつじ公園で絢爛豪華に咲き誇るつつじと違う気品と和らぎを感じました。
もし日光でどこに行こうかと思ったら、霧降高原から霧降滝、竜王峡も心にとめてみてくださいね☆












2009年5月10日

  「免疫力アップする方法」

4日ぶりの太陽の今日は洗濯機を2回も回した。
セーターも手洗いした。干す前に生乾きのセーターにアイロンを掛けて形を整えて干す。毛糸ものをクリーニングに出しても、後から自分で手洗いをするとお湯が真っ黒になるので、自分で洗ったほうが満足感もあって気持ちが良い。
布団や毛布も干した。
ふっくらと膨らむ布団は太陽の匂いがする。
今夜は太陽の香りを味わいながら良い睡眠がとれるとおもうと、今から寝るのが待ち遠しい。
気持が沈んでいるときは、お日様のにおいを嗅ぐといいかもしれない。ふっくらと温まった布団に顔をうずめながら、そんなことを感じた。
若葉の季節だけあって、生まれたての緑がみずみずしい色でキラキラと輝いている。
一年の中で今の季節が一番命の息吹が強い時なんだろう。
草木が萌える季節だものね。

先日、免疫学の研究をしているお医者さんと話をした。
「どうしたら免疫って強くなるんですか?」と聞いてみた。
「まずバランスの良い食事ですね。油の多いものをとりすぎると駄目です。
睡眠は12時前には寝て朝はちゃんと起きること、寝すぎると免疫が低下します。
あと太陽を浴びることがとっても免疫を高めるんです。」
植物も家の中に置いてあるままだと枯れてしまう。光合成がないと植物もだめになるのだから、人間も太陽に触れないと免疫力が育たないんだろうな。

我が家の娘は夜型で平気で夜中の3時過ぎまで起きている。そのために翌日の昼過ぎから夕方まで堂々爆睡、起きれない為に学校の授業まで単位を落とす。
日々この繰り返しの娘の人生が眠ったまま終わりそうで、親として心配でたまらない気持ちだった。
何度も起きるようにと言っても、親の言うことなどまったく無視する。
幼いころは、脅せばすぐに言うことを聞く素直な娘だったのに、今では脅しがまったく効かない。
親のすねをかじりながら堂々と自分本位に生きている。
わたしの子供時代は、わたしだけでなく仲間達も親に対して従順な子供が多かった。
今の時代の子供のほうが親から沢山のことをやってもらっているのに、親に対して反抗できるし緊張感などないのだから、これっていったい何なんだろうか??
朝さえしっかり起きれたら、我が家のグータラ娘ももう少しまともな生き方ができるように成るんではないか!?
この免疫学の先生の話をすれば、さすがの娘も考え直すかもしれない。
早々に、この話を持ち出してみた。
ところが、この娘、「その先生は自分でそう思い込んでいるだけで、まだ研究結果で証明出来てないと思うよ。だから自分は信用しない。本当ならば自分も朝から起きるけど・・」などと言う。
ずぼらな生き方が心地よい人間の本能はどこまでも今の生活を壊したくないのだ!
情けないが、親の言葉を信じない子供になってしまった原因は、私のせいかもしれない。
罰が当たるとか、サンタが来ないとか、神様に守ってもらえないとか、子供の時に通用していた殺し文句が、大人になった時、すべて嘘だってばれてしまったのだから、こんな軽々しい嘘を言い続けていた母親は、もう信じてもらえなくなってしまったのだ。
子供相手ならば、信憑性がなくても通じるので、子供を従わせるのに脅し文句や架空の作り話は役立つのだが、使いすぎると、大人になってから親の言葉のいい加減さがばれてしまって、すっかり信じて貰えない。
やっぱり根拠のない脅しで親の思い通りに子供を動かそうと思ったことは失敗だった・・などと今回のことから反省した^^;
太陽を浴びない事と寝すぎる事が免疫を低下させるということが、実際は証明されているのかもしれないが、我が家の娘を早く健康的な生活にさせる手段として、私なりに易で占ってみることした。
そうすると太陽のエネルギーを感じさせる卦が出た。
易の共時性というのは、そのときの質問に対して見事に共通する質のものがでるが、毎度の事ながら易にでる卦を不思議に思う。
太陽には身体の循環機能を促す力があると易は言う。でも直射日光は良くない。
あくまで太陽のエネルギーが充満している大気を呼吸することが体内の循環を促して免疫を高めるようだ。太陽に触れない生活をしていると、腎臓・すい臓・脳機能の疾患になりやすく、骨も弱りやすく、猫背になるのも早まり老化しやすい、と言うのが易の答えだった。さらに過剰な睡眠は脳の働きを弱くするために、集中力はなくなり気力も沸かなくなるし、ぼんやりしがちな脳になってしまう、とこれも易の答えである。
朝目覚めてから二度寝するよりも、いったん起きてから、あとで昼寝をするほうが何度も目を覚ましながら朝の眠りをむさぼるよりも、身体に良いと易は示す。

余談
ゴールデンウィークに、群馬県の館林につつじを観に行ってきました。
盛りが終わって枯れ始めましたが、つつじの鮮やかさに心惹かれます。
でも、わたしは最近までつつじに心が惹かれませんでした。
つつじに若さを感じなかったのです。
それなのに今、つつじの鮮やかさに惹かれるのです。
花の好みって年齢とともに変わるのかもしれないですね。

新型のインフルエンザに怯える、こんな時代が来るなんて、世界大恐慌と一緒に恐怖の豚インフルエンザの到来で、不安なく生きることがどんなに有難いことか、そんなことを感じる時代になってしまいました。
豚インフルエンザは故意によるものだと言う噂がありましたが、易によりますと故意によるものではないそうです。
しかし易とはいえ無責任な事は言えませんので易が答えた新インフルエンザの原因については書けません。
あまり贅沢を求めずに中庸に生きることを理想とするのが、転ばない生き方に繋がるのだろうな〜〜と感じております。
早く原因が解明されて、この不安が解決して平和に暮らせるようになりたいと思います。











2009年4月26日

  「チャングムの誓い」を占う

朝鮮中宗期、女性で初めて王様の主治医となった「大長今(チャングム)」という名の女性がいたそうです。
朝鮮の王様である中宗の主治医が女性だったと触れている史料があるようで、そこに中宗1544年10月の『予證女醫知之』(予の証しは女医之を知る)と言う一行のみがあり、そのたったの一行の史実を基に想像をめぐらしてドラマが創られたのですが、これは「チャングムの誓い」という長編サクセスストーリーで韓国でも日本でも大人気となりました。
昔朝鮮では、男性の患者を男性の医者が女性の患者を女性の医者が診たそうです。
女性の脈を男性の医者が診る時は、直接女性の腕に触れないように、腕にシルクの布をおいて診ていたそうで女性の医者が王様の主治医となったことは当時としては前例を覆す大きな出来事です。
「チャングムの誓い」は、女性が王様の主治医に成った事以外すべて架空の話なのですが、簡単なあらすじは、かわいい女の子が幼い頃に両親を殺され、亡くなった母の望みを叶える事が主人公チャングムの心の支えであり、どんな苦労にも負けずに健気に乗り越えていくという話です。
ドラマに魅入られていくうちに、この物語が終われば主人公チャングムと別れる淋しさを堪えがたく感じていきました。
そして、本物のチャングムはどういう気持ちで当時を生きていたのか、どういう生き方をしていたのかと知りたくなったのです。
こんな事を想像しなら、当時のチャングムの生き様や本人像を易で占って、一人で納得していたのですが、今回は易が語った実在のチャングムについて皆にもお知らせすることにしました。
まずチャングムの容姿はとっても小柄な女性と思われます。
色白で目の細い弥生風の顔立ちで、クールで冷静で寡黙で感情を出さない知的な顔で、愛嬌の無い静かな態度の人だったようです。
内面の気性はかなりの野心家でしたし、行動力がありいつでもじっとしていることがなく、勉強家で理想が高く、徹底した追究心をもち続けて行こうと思って生きていました。
表面的には堂々とした自信に満ちた感じがするのですが、気持ちはかなりの心配性だったようです。
彼女にとって一番の苦労は何だったのか?と占うと、対人関係だと出ました。
彼女の能力が秀でていたことが、普通の女性達のレベルと雲泥の差になっていたのです。
根性と知性と努力の人で、探究心や野望が深いために、宮廷に入ってから認められてすごいスピードで出世するチャングムですが、彼女を観る女性の仲間たちの視線は厳しく、かなり妬まれたのです。

女性は、当時の宮廷の世界では男性のセクハラやパワハラに逆らえなかったようでチャングムもそれから逃げることが出来ないと悟っていました。不本意な気持ちで多くの男性達の対象にされていたようです。男尊女卑の社会では、多くの女性達が男性に逆らうことが出来なかったのでしょう。
今の時代でも、上司の色目に乗らないと仕事が厳しくなってしまい、会社に行くことが辛いというご相談が多いです。
しかし、王様とチャングムは男女の関係はなかったのですが主治医になったのは老人になってからではなく40程度の割りと若い年齢だったようです。
男性からの嫌がらせはないチャングムでしたが、女性仲間からは相手にしてもらえないために、一匹狼的な存在だったのです。
彼女は決して自己主張をするようなタイプではなく、芯の強さはあっても、他者に対しては順応する態度の人でしたが、心から信頼できる仲間がなく、冷たい目で見られていた事が、人は冷たいものだ!人生は厳しく油断せずに戦うものだと考えていたようです。
どんどんと能力を認められ、出世していくチャングムが周りの女性達にとって面白くなかったのでしょう。
チャングムの一番の悩みは、仲間たちの露骨なねたみや嫌がらせだったのです。
ドラマと同じように、チャングムをわざと陥れて、でっち上げたワナをかけられていたようです。
チャングムは、顔に感情を出しませんので、仲間たちの中傷や嫌がらせに対して無頓着を装っていたと易は言います。
チャングムの父親は、今の時代で言うなら警察官のような公務員でしたが、色白で目の細い小柄な男性で、闘争心がある勤勉な人でした。
とても頭の良い勉強が好きな父親だったようで、歴史や政界の動きなどを子供に話して聞かせていたようです。
そしてチャングムの母親は、公の祭りごとがあると踊り舞う女性でおしゃれが好きな美人だったようです。
チャングムの風貌と頭の良さは父親似だったのです。
両親の生活レベルはわりと恵まれていたようでチャングムは幼いころから不自由なく暮らせましたし、親子関係も仲が良いほうでした。
チャングムが心惹かれた男性もいたようで、その男性を待ち続けたようですが、その男性はチャングムの元には戻らなかった悲しい恋となってしまいました。
生涯独身だったチャングムでしたが、最後は脳の病から半身不随となって生涯を終えたと言うことです
こんな感じが易による実在のチャングムでした。
実在のチャングムを知ったら、もっと感動できるのではないかと期待したのですが、事実はドラマのような幼いころの苦労もなく環境的にも恵まれていた為か、ドラマの面白さには叶いませんでした。



余談
先日のことですが、壮絶な苦しい人生でもう死を待つだけと言う内容が長い文章で送られてきました。
こんな苦しい人を鑑定することが私は怖くて、お断りしたいと思ったのです。
でも、どうにもならないほどの苦しみを抱えている人を受け入れる事が出来ない自分が後ろめたくて、ずっと悩み続けていたのです。
占って人生をよく変換できないとしても、自分の人生を一つの自然現象として受け入れることが出来れば、気持ちの上で楽になれる可能性もあります。
そして、人と言うのは、どんなに真っ暗な闇の中にいても小さな光をともす力をだけは必ず備えているんですね☆
その小さな光をみつけさせよう〜、そう決心してそのお客様を受けたのです。
その相談者のことを書くことはできませんが、どうして心って頑なで不自由なのだろうか・・と感じました。
最近、こわいな〜〜〜と思う相談が増えていますが、度胸を出して受けるようにしました。
易で鑑定して良いという相談だけを受け入れるのではなくて、満足してもらえそうもないご相談でも、最近度胸を出して受けています。
そんなお客様がいらっしゃるときは、とっても緊張してしまいます。
話しにくいし、とっつき悪いし、返事しないし、難しいなと思いながら占っているのですが、厳しい表情の人がどんどんとほぐれて笑顔になってくれたり、「来て正解だった!」とおっしゃって下さると、私の中で登れないと諦めていた険しい山に登れたような喜びとなります。
少しづつですが、これからは無限の易の極みに諦めず挑戦していきたいです。







2009年3月22日

  「次の停留所」

駅の改札口の電光掲示板の文字が動いていると、人身事故ではないかと不安になる。
急いでいるときに限って「人身事故のため振り替え輸送をしています」と電光掲示板に出ることが、私の場合に限って多い。
人身事故の場合、電車の止まる時間は長く、5−6時間は不通になるのだから、予定が狂ってしまう。人身事故の遺族に係る賠償金は数億円もするらしい。
しかも、自殺した人の心はその場所に自縛霊として留まってしまうのだから、本人にとっても苦しい状態が終わらなくなってしまう。
線路に飛び込みたい衝動が走る事は決して珍しいことではないらしい。
死にたいと思ってもいないのに、線路に飛び込みたい気持ちになった事がある人は意外と多い。そばに誰もいないのに体を押された、とか、急に飛び込みたくなるので線路のそばには立てない、と言う人が結構いる。
すでに亡くなっている人がその線路で孤独のまま自縛霊として存在するのが寂しくて、仲間を求めて、あちらの世界に呼び込もうとしているとも言われる。
この世の視点でみれば死は良くないことだが、 この世もあの世も両方完全に見えている存在からは、 違う視点があるようだ。
しかし、自殺は心がその場所から離れられないままで、何もすることもできないので、自殺で苦しみが解消することはない、と易は言う。
死は生存形態を変えるだけで生命は永遠にある、というのが私の信じる易の視点だが、色んな宗教やスリピチャル系の人が語る死後の世界観があるが、どれが真実なのか 証拠はない。仏教の死後の世界観も、血の池地獄とか、針の山の絵があるが、あのような世界は死後の世界にはない、これも易の答え。
易が語る死後とか、あの世とか、命の価値について、簡単には語りつくせないものがある。死後のすべてをまだ私は占い尽くしたわけではない、易は聞いたことしか答えてくれないので、質問をしないと答えも得られない。
易をするのに時間もかかるし、興味があることしか質問も出ないので、私の知る死後の事は、ほんの少しのことしか判っていない。
でも、死後の場所は、バスで言うならば、次の停留所に過ぎない。
わたしの次の停留所はどんなところなのだろう?と気になるし、次の停留所までの経過はどうなるのかも気になり、最近死んですぐの状態、老衰した場合の死後の状態を占った。
脳が老化して眠ってばかりの人が死んでしまうと、あの世でもやっぱり 脳は若返ることはなく混沌として判断力は弱くなっているようだ。
だから、次への輪廻再生の道に入っていくのが老人の死後の状態なんだそうな 。
つまり体が弱った状態で老衰死は、あの世での生活は自力で楽しく生きるのではなくて 面倒を見てもらって生きるし、再生への道に流れるようになっているから、だからもしあの世での生活を満喫したいと思ったら、体が元気なうちにあちらに行くほうが良いらしい。死んですぐにあの世に行く人は少なく、多くの人たちは49日前後にあちらに行く。またすでにあの世の先輩が迎えに来てくれるのだが、行きたくないと断ることもできる。確かに、行った所もなく、どんなところか判らないのだから、誰も行きたいと思っていないんだろう。
でも、神様はあの世もこの世も知っているので、人がこの世へ執着するのは あの世を知らないからだって言っている 。
で、臓器を移植された人が、臓器の提供者の記憶を持つようになったという話があったので、臓器を提供した人の心は死後どうなっているのかっていうのも 易の神様に聞いてみた 。
まず提供した臓器に記憶はあるんだそうだ 。
でも、いつまでもずっとあるわけではないらしい
使っていた物にも、持ち主の感性は記憶されるらしい
だから臓器ならばますます持ち主の個性が記憶されているんだそうだ
だけど、その臓器に喜怒哀楽があるわけではないそうだ
新しく貰った中古の臓器の記憶が元の持ち主の記憶が残っていても
ずっと使っていくことによって、その臓器は新しい飼い主の記憶が入り込んでいくんだそうだ。記憶は触れる事によっても空気感染でも流れるらしい。
記憶と言うのは、コピーのように残るんだそうだ。あやしい意見で信じられないだろうけど、でも易はそう答える。
で、臓器がなくなって死んだ人の心は、どうなるか?
死んでしまったら、臓器がなくても怪我をしても、病気をしても、死後の状態は
健康で普通の身体になることは可能だそうだ。
可能だと書いたのは、死後も病気が治っていない人もいるからなのだが、こだわりや執着心が強いと、自分の体調の悪さに意識が囚われてしまうらしい。
こだわりがなくなれば、臓器がなくても病死でも、あちらでは健康でいられるそうだ。
一般の老人は、輪廻再生の道にすすむのだけど、この世に執着があると、あの世に行かずにこの世の未練のある場所に留まってずっと長くこの地に残る人もいっぱいいるらしい。
多くの霊たちが死後もこの世に留まっているのを見ながら、死んだ後もこの世で生きるのがわれわれの死後の状態なのだ、と周りを見ながらそう信じて、この世に留まって暮らしていく霊(人)達が多いのも事実のようだ。
つまり、死後、あの世へ強制送還されるのではない、あの世への道に進むのも、この世に留まるのも自分次第。
一般的な心の人が、老人で死ねば、死後も同じ身体で決して若返ることない、だけど
若い身体で死ねば、あの世でも青春がある。
死後この世に留まることを誰も止めることはないのだが、生きている人間の住む世界に死んだ後まで住んでいることは、執着心の深い魂なので、心が垢抜けていないらしい、
だから長い年月ずっとこの世にとどまってしまうのは進化の道が遅れるので望ましくない。
行く場所は、同じ意識を持ったもの同志が集まっている世界に行くそうだ。
自分勝手な人は、自分勝手な仲間の元に行く。欲が深い人は欲の深い人のところへ行く。
優しい人は優しい人が集まっているところに行く。
自殺者でも同じ意識のもの同士が集まっている。
で、老人でも心が悟りに近くて人格者だった場合、別次元の世界に行けるそうだ。
その別次元の世界に行くと、老人は理想の姿でさらに理想の人生に向かうそうだ。

余談   
最近落ち着かない生活をしていまして、日記の更新も出来なくなっております。
なにかを書こうとすると自分の書く文章が嫌でたまらないのです。
そんなわけで、今に始まったことではないのですが、書けないのです。
なんで更新しないのかとご心配をしてくださったメールをいただきましたことありがたくお礼申します。
次回の易日記は何について書くのかと、占ってくださった人もいました。
さらに、なんで更新しないのかという理由を占ってくださった人がいて、優しい気持ちを頂いて、とってもありがたい気持ちです。
今回は死後について占ったので書いたのですが、ハウツー本が世間では売れ筋で出回っていますが、死後のあり方、死後どうしたら幸せになれるのか?そういう本こそ出るべきだと私は思うのです。
「死後はこうしたほうが良いんですよっ!」って誰も教えてくれないでしょ?
死んだ後にこの世に留まってしまうのは、今住んでいる家から出たくないのと同じ気持ちなので、心情的には理解できるのですが、生きている時と死後は、身体違うのだから身体のない身でこの世に留まるのは、正しいあるべき生き方ではないということを知ることがとっても大切だと思うのです。
だってね、あまりにも死んだ後に未練が消えなくてこの地に留まって不満な気持ちでいる霊が多いんです。
死後のあり方を知ることが魂の幸せに繋がると、とっても感じます。
では、次はいつの更新かわかりませんが、皆さんもどうぞ元気でいてくださいね。
では、またです♪









2009年1月5日

  「2009年ですね」


皆様、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします
もう1月5日です。
早くも一年の365分の5を消費したことになりました。
365分の5は、73分の1ですから、73円しかないうちの1円をもう使い切ったことに成ります。
こう思うと、一年の経過は尋常ではないスピードと言えます。
私の親は、20歳を過ぎると人生は坂道を転がるようにあっという間に過ぎる、と言っていました。
10年を1単位と見て人生の枠組みを感じてきた私でしたが、老境に差し掛かり、年月の経過がもっと加速されて、20年ですら瞬間に思えます。人生は20年単位が一目盛りと感じます。
20年は瞬間に過ぎ、30年もあっという間です。90才過ぎても、「あっという間だった。一体自分は何をしてきたのだろうか?何も大した事が出来ないままこんな年になってしまった」と語るご老人は多いですが、「長い人生だった」と語ったご老人にまだ私は会った事がありません。
最近まで20年後の自分を考える事は無かったのですが、老境に差し掛かり残された寿命を数えやすくなると、20年後なんてあっという間だと思うんです。
残りの人生で私にやれることは何か?どう生きる事が出来るのか?と、こんな事を良く考えるようになりました。
一年が終わる頃、新たな年に向かって前向きな意識変革が芽生えるのと同じように死の時期が見えてくると、生きることに惰性的にならずに価値ある生き方を求めようとするのが人の本能かもしれません。
そう考えると人の寿命があまり長いことは良くないのかもしれないのですね。人生を短いと感じるほうが、人生の生きる価値を感じ、充実しようと前向きに生きることができるのかもしれないです。
だからと言って、病気は嫌ですよね。
去年の暮れのお客様のご相談ですが、乳がんの検査をしたところ、お乳の中が石灰化している事がわかり、今後の症状と原因を占いました。
そのときに出た易の卦から「お客様は、香辛料の強い東南アジア系の食べ物にはまって愛用しているが、それが原因でお乳の中が石灰化している、この調子で食べ続ければ石灰化がどんどんすすみゆくゆくは乳がんになっていく」と答えたのです。
お客様はのけぞって驚き、半年前にタイに旅行に行ってから、グリーンカレーが大好物になりグリーンペーストカレーで野菜を炒めるとおいしいので、2週間連続して食べ続けていた、あんなにおいしいのにグリーンカレーが悪かったなんて信じられないです、でももう止めますとおっしゃっていました。
まあ、どんな食べ物でも、同じものばかり食べ続けるのは体によくないのですからたまに食べる分には良いのでしょう。
我が家の娘もグリーンカレーが大好きなので、控えるようにと話しましたらあんなにおいしいのに・・と悔しがっています。
タイの人は、昔からの食生活で香辛料に馴染んでいますから、体が香辛料に対応できるものを持っているのでしょう。その香辛料によって日本人のように影響を受けることは少ないと易に出ています。
しかし、この中に含まれる香辛料は肝臓の働きを鈍らせるようです。グリーンカレーを多く取るならタイの人でも肝臓機能の働きをよくする食べ物をとることができるのが理想です。

余談
年末から伊豆に行っておりました。
伊東港では、イルカを三頭飼っていてイルカに餌をやったり芸を見せてもらえるイルカセラピー(そのように見えた)がありました。
外の海でやっているので入場料も無く、ずっと見続ける事が出来たのです。
水族館のイルカの芸はあっという間に終わってしまうので名残惜しくていつまでも見ていたくて、イルカの世話をしたいとかイルカと遊びたいといつも思っていたのですが、海で1時間近くずっとイルカの調教を見ているとだんだんと興味や感激が消えていきました。
楽しいと言うのは短いからなんですね

湾のまわりは魚釣りの人がいっぱいでしたが、イルカの芸を見ている人は少なく不思議でした。
昨晩、易のお弟子さんから電話が来ました。「今年の運勢占いましたか?」と言うので
占って出た卦を話しますと、ゲラゲラと笑い声を上げるのです。
「いい加減に困るのよね!今年も良くないなんて!!きっと私の人格の問題だわ!」そういう私にお弟子さんは「まあ、どんなに悪くても去年ほどの事は無いですよ!そして今年こそ占い外して、占いはこうしたら外せると言う前例を作ってください」と言われました。
「そうかぁ〜〜!そうだね!!頑張らなくちゃな〜〜〜!!今年もよい運勢に出来ない、なんて、そんな軟弱な自分であってはならないんだよね。よ〜〜〜〜し、今年の運勢絶対に外してやるぞ〜〜〜〜」と盛り上がりました。
悪い運勢をどうしたら良く出来るのか、何処までやれるか、持っている弱弱しい体力と愚鈍な脳みそと困難な環境に振り回されずに生きることは、すごい大変なことですが、頑張るしかないです。
しかし、私には頑張る根性が欠如しているのです。そんな自分をさげすんだのですが、人にとって一番難しいことは、頑張ることです。
頑張り続けることなんて出来るもんじゃありません。
出来る人間は頑張っているのではなくて、好きだからこそ集中し継続が出来るのだそうです。好きなことに集中できる人生は、幸せな人生ですね。
皆さんもどうぞ今年が良い一年になりますように☆