石井清龍の本筮易


易日記

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2008年6月29日

  「日本人の未来の心」


30年前「未来の日本の人心如何?」と占っていた。
最近、親を殺す子供は増えているし、秋葉原の無差別殺人の狂気の行為などが目立つ時代になった、まさに30年前から日本の人心はこうなるべくして成った、避けられない運命だったのか・・・と、神妙な気持ちに成っている。
今から30年前にも、恐ろしいと思える殺人事件は目立っていた。
犯罪は多くても、日本ほど住みやすく安全な国は無い、とアメリカなどと比較しても日本の治安の安全さが認められていた。
いつか日本もアメリカのように治安がもっと悪くなり、夜、女性が外を歩く事が出来なくなる時代が来るかもしれない、そんな不安から未来の日本の人心を占ったのだった。
その時に出ていた未来の日本人の心は、心が病む人が増え、精神病が増えている、と言うことだった。確かに今、鬱病患者が激増している。心療内科や精神病院にいくと、ごく普通のサラリーマンたちが待合室に沢山居る、と聞く。
会社内では、どこの会社でも鬱病の社員がいて、多ければ一社で10人も長期休暇を与えられているらしい。
精神の病が増えるだけではなく、感情のコントロールが出来ない人、心が幼いまま成長できず自己愛の塊のような幼稚な人間が増えていくというのが未来の日本人の心を示す、易の予言だった。
占ってから30年経ち、その時の易のアドバイスは今の時代を示していたのだろうとも思うのだが未来なのだから、将来の日本は、もっと幼稚な心を持つ自信満々な客観性の弱い自己愛の強い人間が増えていくのだろう。
どうにか、これからの我々の心が客観性を持てる思考ができるように、何か目覚めるようなことでも起きないだろうか・・・・。
昨日、ミャンマーに行って修行している修行僧さんたちとお話した。
お坊さん達は、秋葉原の殺人事件は、絶対に霊による憑依だと語っていた。
心や体が弱っていると、霊に憑依されてしまうという。
霊とか憑依などという事を信じる人は少ない。
自分が経験しないものは信じる事は出来ないし、もしそういう事が事実ならば、なぜ自分にはそういう事がないのか、あるものならば誰もが体験できるのではないか、そう思えると思う。
霊の存在を見ることの出来る人と、見えない人がいる。
その人達の違いは何か、と言うと、自己が確立されているような気質、何事も自分の意識をしっかりと出せる人は、他者を受け入れる体制よりも自己を出す体制なので,微妙な霊などとなれば、心の感受性が相手を認知するアンテナとなっているのだから、アンテナが受け入れない体制を取っているし、そういう意識の強い人には、霊の側も遠慮してくれる・・つまり、遠慮のあるタイプ、自己をあまり強力に押し出そうとしない気質の人は、霊から隙を狙われやすいので、霊を見る事が可能になりやすい。
体の弱い人、心の弱くなっている人も、自分の城を守る力が弱まっている為に、霊の影響を受けやすい、と易はいう。
お坊さんたちが言うように、秋葉原の無差別殺人を犯した加藤智大容疑者は霊に憑依されて、あのような事件を起したと易は言う。
憑依されて人を殺してしまうのならば、自分もいつかそういう可能性があるのかと言うとそうではない。人を殺したい、と言う暗黒の想念を自分が持っていなければ、そういう意識の霊とは波長は合わない。
悪い想念ほど、悪い霊を引き寄せてしまうのだ。
ちなみに加藤智大容疑者の人格を占ってみると、卑屈でありながら思い込みが強く、感情家で激しやすい気質で、昔から自分を抑える事が苦手な性格だったはずだ。やるならば可能な限り大きな事を言ったり、やりたいという欲望を持ち、コンプレックスと自信過剰の相反する両極端の意識を持っている。
強いコンプレックスがある為に、自分の弱さを防衛しようと自信を持たせる。
自信を持てる自分に成りたくて、叫んだり大きな台詞を吐けることに酔っていた。
そうやって得る安心感が自分の弱さを誤魔化せる手段だった。
いつか大きな事をやってやるぞと、言い聞かせながら生きていた加藤智大容疑者だったのだ。
自信が無いことも自信を持てると思うことも、心の弱さなのだ。
自信は要らない、ただ無心に頑張っていく、どんなに出来るようになっても、そこに自信は要らない、自信は邪心に繋がっていく。



余談
6月中になんと3回も更新しちゃいました。
パチパチパチ、拍手してください。
でも、この波は続きません。
某出版社から、依頼がありましたので、時間が無い中、ますます時間がなくなりますが、基本的な易の読み方でも書き始めていこうと思っています。
軽い内容のとっつきやすい物にするべきか、しっかりとした教科書的なものにするべきか
と、悩むのですが、睡魔に負けてしまいます。眠くなければもっとしっかり頑張れるのに、私が頑張れないのは、体力の無さ知能の無さ気力の無さ、眠けの多さです。
そういえば、8月6日に東京にマグニチュード6.3だったかの地震が起きる予言があるみたいですね。
本当に起きるのかと占って、次回の更新時にはお知らせしますね。
少子化で高齢者が増え、人口がどんどんと減っていく未来、さらに近未来は関東の大地震で家が倒壊するから、家を建てても住む人口は減るのだから、家を買うよりも借りるほうが得だと言う意見を聞きました。
それで、未来の関東の不動産価値を占ってみたのです。
未来の不動産物件って、質は今と同じようにピンからキリまでありますが、売買物件も賃貸物件もより高額な質のよい物件に人の意識が集るようです。つまり質のよい不動産物件に価値を持つようになる人が増えるとのことです。











2008年6月22日

  「易の師匠から渇を入れられました」

 北京オリンピックどうなるんだろうという事でちょっと試しに占っておきました。
無事に開催されるようですが、後半の時期に差し掛かる頃、同国人によって事件を企てる計画が起きるようです。すでに警備体制はしっかりしているとは思いますが、後半に行くほど警備を徹底していくべきのようです。

余談
腰の具合が最近かなり楽になってまいりました。
一時はもう治らないかと思うほどの長い苦しみでしたが、いきなり快調の気配を感じています。
まだ、気を送ってくださる方がいらっしゃるようですが、もう大丈夫ですのでご心配本当にありがとうございました。
具合が良くなりまして気合も漲ってまいりました。
腰の具合が悪いときは、易にも気が入りませんで、半年以上、易はもうイイ、仕事もやらない、やりたくない!と気力が出ませんでした。
私の易の先生は、私が易を止めても構わないし、私がやっている易が世の中から廃れてしまっても構わないとおっしゃる先生でした。好きなように趣味でやっていて良いとおっしゃる先生だったので、私が易に向かう姿勢を求められることも叱られることもありませんでした。
ところが、このたび今後の私の運勢を先生に見せましたら、いきなり「腰が悪いのですね」と先生がおっしゃったのです。
さらに、腰のどこが悪いかも判りますよ、と悪い場所まで指摘され、腰が悪いから易もやる気がない、と言われたのです。しかし易をやらなかったら易の神様は許しませんよ、と強い口調でおっしゃったのです。
こんな台詞が先生からでるなんて、驚きでした。
私は長いことの腰痛で先生に会いに行くこともなかなか出来ませんでしたし、先生に最近の私の気持ちを何も話していませんでしたので、まさか今回の一つの易の卦だけで、わたしの今の心理を見抜いてしまうとは夢にも思っても居ませんでした。
先生は易の卦をみただけで、わたしの感情まで読み取ってしまうのです。

先生の言葉数は少ないのですが、先生の言葉には重みがあり、先生の言葉次第で私はどうにでも心が決まってしまうほど、先生の言葉は私に絶大な影響力を持っているのです。今まで何の注文をつけなかった先生ですが、先生がこうしなさいと言ってくれたらどんなに楽だろうと思っていました。
先生は、私の思うとおりにやりなさい、と、そうおっしゃってきたのです。
先生に叱られてみたくて、自分の酷い事を沢山話しても、先生は私をいさめることは全くなかったのです。しかし、今回初めて叱られたのです。
先生は静かな口調でしたが「かわいそうに!あなたは易が当たらなかったらどうしよう!などと考えているんですね!」とおっしゃったのです。
「はい!そうです」
先生は、冷静な静かな瞳でじっと私を見つめながら、厳しい口調で、こう続けました。
「あなたがそんな弱い人だったら私はあなたに易を教えませんでしたよ!情けない!あなたは易に対して責任があるんですよ!易が当たらないかもしれないとか、当たらなかったらどうしよう、なんてそんな事を考えている場合じゃないのです!!
だって、そうでしょ?易が外れるかもしれないなんて思う人のところに誰が相談に行きたいですか?困って相談しに来る人の変わりにあなたが神様に聞くんですよ!当たらなかったらどうしようと思っていたら当たりませんよ、当たらないわけが無いんです!!しっかりしなさいっ!!」と静かでしたが、とても迫力のある声でした。
先生から渇を入れて貰えたのは初めてような気がします。
先生の渇が飛んできて、私の魂が飛び起きた気がしています。
くすぶり続けていた気持ちからどうやら復活できました。梅雨の雨でも、気持ちは快晴です。









2008年6月8日

  「天から降りそそぐもの」

私の易の師匠は93歳になるが、易を読む力は未だに超人だとおもう。
私が最近興味を持ち始めた、D流の合気柔術を占うと、武術の事を何もご存じない師匠が、「これが武術と言えるのですか?武術は戦うものでしょ?この武術は戦っていませんね、この武術は特殊で戦おうと戦おうと思うと技は効きません。 自分の力を入れないと相手も力が入らないんですね、どこを狙うかも判りますよ。簡単に殺すことも出来ちゃう武術ですね。S先生? あぁ、こんな人がいるんですね!!!この先生は神様も天才武術家だと言っていますね。でも教えたくないねこの先生、、、仕方ないですよ、教えたって出来ないと言っていますよ。あなた、この先生に会うべきでしたね!もし私が若くて動ける体だったら、習いに行きますよ」と、静かな口調でおっしゃっていた。
S先生は今から10年前に95歳でお亡くなりになったが、本やこの先生をご存知の方々からお話を伺うと、私の易の師匠が易だけでここまでS先生の合気術の技を見抜いていることに,いまさらながら師匠の読みの技は人智を超えてると驚く。直接、師匠が易を読んでいるのを拝見すれば、答える内容があまりにも細かくわかるのだが、こうして事後報告のような説明では、常識をうたがわれるので、まさかそこまで易なんかで判るわけがないと思われて誰にも信用してもらえないと思うが、この師匠の易を読む力は神さまの域だと、私は思っている。
「易は、生き物なので、占っている時に、答えはインスピレーションのように降ってきます。占って日が過ぎたものを見せられても、それはインスピレーションが届いていないので答えが本物で はないのです。本当に正しい答えは、占っているその時に降りてきます。だから占っている本人が一番答えを感じやすいし、傍で見ている人もインスピレーショ ンを感じやすいのです。だから自分の前で占ったもの以外は読みません」と、易の先生は昔から毅然とそう語って来られた。
私は師匠の語るインスピレーションの 説を信じる気持ちと、易の卦を見れば、卦の意味さえ知っていれば、インスピレーションが無くても易は読めるに違いない、と、思う気持ちもあったが、師匠の前で占ったもの以外の卦を質問することは出来なかった。
先生について易を習い始めてから 10年間は、私が家で占っても判読できないもどかしさで、早く易の卦の意味を知りたい焦りがあった。
先生は、私の焦る気持ちにもクールだった。
「易はゆっくりと出来るのが良いのですよ」と、先生はおっしゃる。
「木と同じです。早く成長する木は、細くてひょろひょろした木に成りますが、大木にはなりません。大木は根を張ってなかなか育ちませんが、ゆっくりと大きくなります。早く 育つ木は大木になれません。だから易も直ぐに出来ない方が良いのですよ、ゆっくりと出来るのが良いのです」
易を習ってから、すでに30年 近くたつが、未だに、先生の解釈を聞くと、なんでその卦にそんな意味がある事を今まで黙っていたのか、できるだけ易の卦にある意味を教えてもらいたかった、と思ってしまう。
だが、私の先生は、「易の卦を我々のように読める人は他には居ないと思っていい!習って簡単には出来るものではないが、やはり独学では深いところまでは到達できない。教えて もらえば出来るものでもなく、本当の答えは天のほうから送って来てくださる」と断言される。
「だからこの卦の意味はこうだ!と 意味を限定して覚える必要もないし、今聞いた解釈や意味をメモしてはいけない、顕在意識で覚えている意味を当てはめて判断したものは本物ではない!記憶が消えても潜在意識は忘れていません。易の答えは潜在意識が答えるべきものなのです。細かい説明を聞いても、その意味がそのまま次の易の卦のときに同じように使えません。ただ易の卦の色合いだけを知っていればよい」これが先生の教え方だった。
一般の勉強と違う価値観、覚えなくてよい・メモしてはいけない・忘れてよい、という指導を、半信半疑でついて行ったが、先生が老人ホームに入る頃、「良く着いてきてくれましたね、あなたのおかげで楽しかった、ありがとうございます」と涙を滲ませておっしゃってくださった。
確かに、易の運勢判断というのは、不思議なくらいに占っている時が一番よく判る。
お客さんから、鑑定後数ヶ月ほど して、私の占った答えが当たっていたという詳しい報告を頂くことがあると、その当時の易の卦を確認の為に出して見る。
当時私が難なく答えた易の解釈 が、日が過ぎているだけで、同じ卦でありながら、まったく意味が掴めず、この卦でどう答える事が出来るのだろうか、と悩んでしまうことがしょっちゅうある。
鑑定時に、易の答えは天から届いているのだから、易の答えが判るのは当然なのだろうが、後からその時の卦を見ると、意味がちんぷんかんぷんなのだから、易をしっかりと読めて当てていた事実を知ると、「よくこの易の卦からこんな判断が出来たものだと」自分で自分に感心してしまう事もある。
自分で当時占った過去の古い易の卦を見直して、鑑定時のように深いところまで読めない事は多いし、私の師匠も、古い易の卦をみると何の事を言っているのかわからないわね、と話されていた。
この、占っている時に、易の答えは 向こうから送られてくる、という易の先生の教えを私は信じていたのだが、本当にそうだったと、証明された事が起きた時には、本当に驚いてしまった。
日頃から人の能力というものは計り知れないものがあると思っていたが、思うとか信じるだけでは、やはりそれは信仰と似ていて、絶対的なものではない。だから、本当だという現実的な事実を体験できことは、自分自身の意識がさらに確定的となり、信じる気持ちが安定したと思う。
その出来事は、初めて鑑定にいらっしゃったお客様を占っている時だった。
わたしが筮竹を裁きながら占っている時、 出た2つ目の卦をみながら、一つ良くない卦がでたが、これはお客様には言わない事にしようと思っていた。
なぜ言わないようにしたのか、それはそのお客様が相談されていた運勢が、すごく幸せな未来が約束されているほど理想的な運勢だったから、少しくらいのマイナス部分を語ることで、よい運勢を選ぶことに水を差してはいけないと判断したからだ。
そのお客様の性格から、少しでも良くない部分があると、せっかくの良いものを選べないから、あえて一つくらいの良くない部分は言わない方がいいだろう、そう思っての判断だった。
それでよい運勢だけを力説してお客様に話していると、お客様が「自分にはオーラが見えるんです、先生が 占っているとき、この場所のところで、言わないことにしようと言う言葉が感じられたのです・・・」とまさにお客様が指摘した言葉が、易の卦のヒミツにしようと思っていた、その易の卦のあたりを手で撫でながらお客様がおっしゃった。
『一体、あなたは何なんですか?』驚いて質問すると、その方は、ヒーラーのお仕事をされていると話してくれた。
じゃあ、このときに私が占っていたときは、どんなオーラを感じましたか?3件の占ったものについての オーラを訊くと、お客様が答えるオーラというものが易の卦の色合いと見事に共通して いたのだから、仰天してしまった。
お客様は、私の腰痛の為に、ホメオパシーの錠剤を3種類持ってきて下さり、試しに飲んでみて一番効果のあるのを良かったら注文するといいですね、とおっしゃるので、効果があるかどうかは占いで判るので、前もってその効能を占わせていただいた。
私はでた卦に関して何も答えずに、 「ここではどんな風なオーラを感じましたか?」そう訊くと、お客様は、ニコニコ と柔和な優しい顔で『小さな人達が沢山集って踊っている姿が見えました』と、答えて下さった。そこに出ていた易の卦は、雷地豫・沢地萃・兌為沢、まさに小さな人達が沢山踊っている という意味の易の卦だった。

私は、易を陰と陽の記号の並びを目で見て、記号を言語化してから、意味を納得して読んでいる。
インスピレーションといっても、 ただ感じるもので実体の無いものだから、本当に天からインスピレーションなるモノが降っているかどうかの保障はないとも言える。
だが、このお客様は、私が易を 建てている最中に出てくる易の卦と同じ意味を持つ画像や映像やオーラをはっきりと 観る事が出来ていた。
いかに、易の答えが、占っている 時に天から降り注いでいるのかという事を、このお客様を通して神様が教えてくださったと、思えた。
だから、占ってから時間の過ぎた易の文字だけを書いた紙 を見ても、オーラは降り注いで居ないので、天からの協力が降って居ない時の易の答えを読む事は難しくなってしまうということなのだと、納得がいった。
私の易の先生のおっしゃるとおり に、その場で占ったものが本物の答えで、占った卦の紙を見せられてもその答えは本物からは遠いというのは、そういうことだったのだ。
太陽があまねく大地を照らすように、天からも求めるものすべてにアドバイスまで降り注いでいるのですね。


 余談
アメリカ大統領選挙、ヒラリーさんは敗北宣言をしましたね。
今年のお正月ごろオバマ氏とヒラリーさんの選挙戦を占っていたのです。
オバマ氏もヒラリーさんも油断しやすい気質で、油断さえしなければ、ヒラリーさんのほうが有望だと当時の易には出ていたのです。
しかし、ヒラリーさんの発言で状況は変化して行ったようです。主婦層から圧倒的に人気だったヒラリーさんでしたが、彼女の失言発言を見ながらヒラリーさんへの信望が減ってしまい、未来の大統領選挙でも、ヒラリーさんは今までのような主婦層からの人気を得る事がちょっと難しくなってしまったと最近の易に出てしまいました。
勝負事の運勢は、出方次第で大きく変わってしまいます。
今後のヒラリーさんが未来の大統領選挙にでても、当選する可能性はさらにうすくなりそうな気配ですが、作戦家のヒラリーさんですから、
より聡明な作戦で巻き返し、人望を獲得できれば、今の段階では弱まっているヒラリーさんの未来の運勢を変化させることも可能なのだろうと思います。
ちなみに私の腰痛と足痛のしつこさに関しては、まだ悪い運勢に翻弄されっぱなしで、情けないです。











2008年5月10日

  「地震情報を占う」

今話題のブラジルの預言者ジュセリーノさんは、アメリカの911事件を12年前に日付まで正確に予言していたそうです。
彼の予言は、町の公証役場に届けたそうで、証拠をちゃんと残しているそうです。
そのジュセリーノさんが、今年9月13日に名古屋の岡崎か中国でマグニチュード9.1の大地震が起きると予言しています。
ジュセリーノさんは、事件や地震の起きる日付まで言い切るのですから、すごい自信を持っている人だと思います。
911事件の日付まで当てたのですから、こういう人の予言は気になります。
名古屋で大規模の地震が本当に9月13日に起きるのか、もし起きると出たら心に準備があるだけでも、水や食料の用意、持ち出せるように下着の用意などもした
ほうが後々にも助かりますから、気をつけるに越したことはありません。
ジュセリーノさんの予言は9月13日と指定していますが、13日前後の可能性もありますから、私は9月13日前後に名古屋に大規模な地震が起きるかと占ってみました。

でた易の卦には、名古屋に大災害になるような地震は無いと出ました。
では、中国に起きるのか?ジュセリーノさんは、中国か名古屋と言う言い方をされているのですから、名古屋に起きなければ中国だ、となってしまいます。
でも中国も9月13日には大規模な地震は起きないとでました。
中国の国土は広いですから、中国に起きると言えば、可能性の幅は広いです。
しかし易によりますと、中国には9月13日から40−60日後までの間に割りと大きな地震があるかもしれないです。
私の占いはジュセリーノさんのように自信を持って断言することは出来ません。
なぜなら、易は現状を示すからです。
地震を占うと、現状の地面の断層の状態が易に出ます。
現状の様子から、未来を見通すのですが、断層もいつも生きていますので動いているのです。その動いている断層が未来にどういう軋轢を起して大災害の地震を起すか、そこまで易で判断することは私には出来ないと思っています。断層の状態をいつも占いながら追いかけていますと、断層が緊迫した状態から一気に緩んだ状態に変化しながら動く状態を易は示していました。
こんな易を見ながら、地層の変化を感じます。
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ゆらゆら、ゆら〜〜り、と動くのは気持ちよい、とは地震のことではありません。

先日、私のところに赤ちゃんを連れて易のお弟子さんが遊びに来ました。
赤ちゃんはミルクを気張って飲んでいました。
オムツも綺麗にしてもらい、いっぱいお昼寝をした後の赤ちゃんは快適な状態でした。
ところが私が抱っこをすると、赤ちゃんが真っ赤な顔をして大きな声で泣き喚くのです。まだ生後2ヶ月ですが、男の子のせいか泣き方も激しくて、この子はなかなか自己主張の強い子です。
『いったいなんで泣くんだろう?』と、赤ちゃんの泣く理由を占ってみました。
大雑把に出た易を書きますと、天山遯 水山蹇 火風鼎  雷天大壮 水天需 雷火豊 水天需
赤ちゃんの泣き声を易が通訳してくれたのですが、わずか2ヶ月の赤ちゃんなのに、この赤ちゃんの脳には体を大きくゆすってもらったときに気持ちよさがしっかりと記憶されていたのです。
動かずに抱っこされたままでは、赤ちゃんにとって快適ではなくて、非常に不満だったのです。
赤ちゃんは、男の子だけあり、力強い大きな揺らし方を望んでいて、それを強く要求していたのです。リズミカルに徐々に力を上げながら、大きく揺らすように、いきなり揺らすのではなくて、徐々に大きく揺らすように、それを望んで泣いている、という答えにさっそく大きくリズムをつけてゆすったとたんに赤ちゃんは泣き止んでしまい、口元がにっこりしてしまいました。そして眠ってしまいました。
自分の意思を易に通訳して貰えるなんて、運の良い赤ちゃんですね。

余談
少しずつ、気力が戻ってきました。
腰のほうも日常の生活は出来るほどまで回復してきました。
腰が悪いと気力が出ないものですね。
体が元気な事がいかに恵まれた幸せなことかと思います。
健康のありがたさは判っていても、失わないと本当に価値は判らないものですね。
この調子でどんどんと元気なって、今までの抑圧されていたエネルギーを気持ちよく
発散していきたいです。
そのうち、また、最近思っている事を書きますね。
皆さんも幸せに向かって頑張ってください!!

「ん?、幸せに向かう?幸せって何なんですか?」

易では、幸せを定義することは出来ない!と言います。
なぜなら幸せそのものは存在するものではないからだそうです。
幸せは風と同じようなモンだそうです。
風は掴む事が出来ない、だけど感じる事が出来る。
幸せってそんなモンなんだそうです。
でも、自分に幸せの自覚を促せるんです。
そして、幸せは努力をしたほうが、感じやすくなるんだそうです。
なんだか、こんな易の答えを知って、私は今ちょっこと幸せを感じます。








2008年5月5日

  「芸術とは」

真の芸術に触れたとき、魂を揺り動かされるような感覚になる。
イタリアのテノール歌手アンドレア・ボチェッリの歌声は、神の国で奏でられる聖なる歌声としか思えない。
彼のCDが世界中で6000万枚も売れたというので、どんな歌なのか早速買ってみた。
彼は、幼い頃から弱視だったそうだが、12歳のときにサッカーボールが目に当たって完全に失明してしまった。
視力を失うことで、さらに音に敏感になるのだろう。
彼の浪々とした声量ある歌いぶりは、まさに天を架ける虹のようにダイナミックで幻想的でまばゆい。
それでいて、力をこめて頑張る歌い方ではなく、実に気負いのないソフトな歌い方だ。
まるで祈るように静かな口元で歌っている。
つぶやくように祈るような静かな唇の動きで、なぜこれほど魂を揺さぶる神々しさが出てくるのだろう。
まさに地上をはるかに越えた宇宙の高い次元から届くような歌声なのだ。
彼の歌いぶりはまったく力みがない。
力まないからこそ、魂の深みが放出されるのだろうか。。
魂の底深くに潜む究極的な神の存在を、天のはるか上にいる天使達が、この世の我々を癒したくて歌にして届けているのかもしれない。
以前、真の芸術とは何か?と易で占った事があった。
易では、真の芸術とは、魂の真髄を表現すること、魂や気を表現した芸術こそ真の芸術と言える、と出ていたが、アンドレア・ボチェッリの歌声はまさに魂の真髄を感じる。

  
余談
本筮易協会のHPが更新されました、「名前を名乗ること」という題でお弟子さんが書いてくれました。







2008年4月29日

ポピー畑
  「易は悪い運勢を外す為に占う!」

今更こんな事に気付くとは情けないが、苦しくてたまらない時、愛の大切さや癒されることのありがたさを実感する。
元気な時は心配してもらう必要も無いので、けっこうマイペースに人様の助けも求めずに、人生は自力でやるしかない!と思いながら生きていた私だった。
だけど、どんなに元気な人でも、永遠に元気なままでい続ける人って稀なはずだ。
元気なままある日ぽっくりと死ぬ事が出来る人もいるだろうが、老人になり人のお世話になる人が殆どだ。体も脳も思い通りにならず、自力で生きる事が出来なくなったとき、心から優しく世話をしてくれる人がいたら、どんなに安心だろうか。
「老人になって死ぬのが人生最後の大仕事だ」とおっしゃったご老人のお話を思い出しながら
人生の修行は死ぬ最後まで厳しいのだな〜、と思う。

病気がこの世に無ければいいのに!苦しむ人がいなくなって皆幸せだったら良いのに!と思っていたが、私が苦しんでいるとき、心配してくださる人達が沢山いた。
会ったことも無い人からもよい治療の先生を紹介してくださるメールが沢山届いた。
「気」の存在も易も現実主義の人には笑われてしまうかもしれないが敢えて書いてみたいと思う。
遠隔気功で気を飛ばせるという人がこの世に多く、見ず知らずの人まで気を私に送って下さり、多いときは一日に5人の人から遠隔の気が飛んできた。
遠隔治療の気でも、それぞれ皆個性があり、気の質が皆違う。
届く気を感じながら、これは誰の気なのかと判別できる。
気が届いた時間を覚えておいて、送った時間を相手に確認すると一分も狂わずに、時間が見事に一致していた事が何度もあった。
ひどい腰痛の時、病院で神経ブロック注射を受けていたとき、下半身の麻痺が7時間たっても取れず立つ事が出来なくなった事があった。その時、私の両足の裏から体の内部に向かってすごい勢いで気がブワーーーッと侵入してきた。
帰宅できないと思えた腰の痛みと足の麻痺状態が、その気を受けたとたんに麻痺も痛みも取れて問題なく歩けるようになったのだが、その気を送ってくださった人は、心臓の病気があるので、気が体に侵入する間、私の心臓にも痛みを感じた。
その気の達人は、わたしがその時動けない事を知らないはずなのに、なぜ気を送ってくれたのだろう?と思っていると、病院の処置質で横になっていた私の携帯にメールが入り、今この先生に遠隔治療を頼んだので頑張ってくださいという、お弟子さんからのメールがあった。
この気の達人は、治療師でその時患者さんを治療中だったのだが、私の状況を知ったために私に遠隔の気を飛ばして下さっていたのだった。つまり患者さんと私の二人を同時に治療されていたのだった。
わたしの体は簡単に遠隔の気が入らなかったようで、わたしの体に入ろうと思ってもはじかれてしまう、違うところから狙ってみます、と言う事で何度も何度も狙う場所を変えたようで大変だったらしい。
人間の意識というのは、距離とは無関係に飛ぶ事ができるのだと実感する。
しかし、ひどくて全く動けない状態からは復活できても、私の体に問題が深いために治るまで時期を待つしかない。
よい鍼灸の先生のところに連れて行って下さったお客様もいて、私がうまく自分の症状を説明できないと言うと、私の代わりに症状を先生に熱心に説明して下さって、なんとありがたいことかと感激した。(深謝百拝)

苦しい時は、心が敏感になる。
苦しかったから、親切にされるたび心が癒される安堵感が深まった。
愛を与えることが出来る人達に出会い、わたしもそういう存在にならないといけないと小さな反省心も生まれた。
愛の価値は、苦しいときほど実感できる。
喉の渇きと同じで、渇いているときほど愛の癒しが心の琴線を震わす。
渇きの苦しいときに得られた水ほどおいしいく価値を知る。
そう考えると、病気の苦しみも、人が人を愛せる心の琴線に触れる呼び水になっていると思えてきた。
だから、かなり厳しく辛くてイヤだけど、苦しみも病も心の渇きも、本当は魂のためにあるんだね。
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雑談続きですが、私に占ってもらうのが怖いという人が多い。
自分の運勢が悪く出たら怖い、だから占ってもらいたいと思わない、と言うのである。
未来は決まっていて、自分の未来が悪く出たらすっごいショックで怖い、と。

あるお客様で世界的なヒーラーを呼ぶお仕事をされている人がいた。
ヒーリングを受けたり占ってもらう事があるという。
その人が、易があまりにも現実的なアドバイスをするので驚いたと言う。
易は「未来を『こうです!』と断言するもので、未来を良くする為に、運勢を良くする為に易を使うとは思わなかった、そう思っているのは自分だけでは無いはずだ」と、言われた。

「易に出た答えを見て、絶対に易のとおりになる、と思うべきではないです」と答えると、その人は「それだと先生、易は外れることになるので困るんじゃないですか?」と言われた。
『占って悪い運勢だと出て、その人の未来が悪いままだったら占いをする意味がない!易は悪い運勢を回避する為に使うべきなのです』と私は自分の師匠からそういわれた。

運勢が悪いのは、運の悪さだけではなく、上手く生きる術を知らないしとか、環境の悪さもあるだろう。
せめて、よい情報が入ると運勢は変わる。
知っているか知らないかが運の大きな差となる。
でも愚かな人は、愚かなのだから理解する力もないし、人から嫌われることしか出来ないし、嫌われる理由も判らない。こういう人が占っても運勢を良くすることは難しい。
私自身、今まで占ってきて、どうしても変える事が出来ない運勢があった。
つまり頑張っても占いの答えどおりになってしまった。
だから、困ってしまうのだが、でも自分にとって不本意な運勢を良く変える事が出来なかったのは、もうこれは自分の能力の無さでしかない、と思っている。
この能力が無いという現実がある限り、やはり未来の状況(運勢)はすべて易に出ているとおりで避けることは出来ないのではないか?と思う人もいるだろうが、いえいえ、やっぱり
易は未来を絶対だと決めるものではなくて、未来を好きなように生きる為に使うのが本当だと思う。
今回、私が腰痛に成ったとき、まさか一ヶ月も治らないなんて事はないだろうと思って易に占ってみたところ、5月になっても6月になっても治っていないと、今年の一月の時点でそういう答えが出ていた。
私は5月までなんてありえない、易がそう言うならば絶対に早く直してみせようと、必死に
あらゆる治療に通った。多いときは一日に4軒の治療めぐりをしたのだった。
温灸や低周波治療や気功など体にソフトな物ばかりだったのに、体も治療を休めないといけないようで、治療のやりすぎでますます腰をこじらせた結果となってしまった。
5月になっても治らないという運勢を、私の努力で外す事が出来なかったのが我ながら情けないと思っている、でもまだあきらめない、なんとかして5月には直す〜〜^^;
















2008年3月31日

幸手権現堂の桜、菜の花 20080330

  「近況報告です」

腰痛と坐骨神経痛による不調で今年に入ってから三ヶ月間、ただ息をしているだけの生活でした。
ほんとうに虚しかった
しみじみと悲しかった
たまらないほど情けなかった
いつまでも苦しくて、なんでこんなに直らないのか!!と、焦る三ヶ月間だった。
おかげさまで最近は歩けるようになって来ましたが、まだまだ痛みはしつこく私の体に住み付いております。
一時は症状がどんどんと酷くなる一方で、痛みで立つことすら、足の裏を布団に触れることすら悶絶するような激痛でトイレも自力ではいけないほどに…。
地獄でもこんなに動けない目にはあわないだろう!だってここまで動けなかったら地獄で生きていけない!地獄の苦しみを味わう為には、もうすこし元気でなければならないはずだ、と、そう思えたし、地獄も天国も、特定された場所ではなくて、やっぱり自分の心にあるんだな〜〜〜と、そう心から思えた。

病院では入院を勧められたが、治療の為ではなく検査と安静の為だけというので、入院すればパソコンも見れないし、と家で寝て過ごすことにしたのです。
元気な時は、ゆっくりと本を読める人生を送れるのが理想だったので、入院したら思う存分本が読めると思ったのに、痛み止めで頭が朦朧となる為、結局健康でないと本も読めないことに気が付いた。
時間がたっぷり与えられ、脳も冴えてやる気に満々という理想の状態は、私には得られない気がしてきました。
こんな感じで年明けから何もしないグータラな日々をずっと過ごしていたら、あっという間に桜の季節がやってきて、月日の速さに愕然となっております。

しかし痛みで体の痙攣が止まらないし、痛い治療で暴れて泣き叫ぶなんて、こんな事は我が人生初めてでした。
ここまで痛がる人は今まで居なかったでしょう?と、治療院の先生に言うとそこは骨接院なので、叫ぶ人は日常茶飯だそうです。
病院にいくと不健康で苦しんでいる人がいっぱいいるんですね。
なんで病気なんかがあるんだろうか?
病気は不幸だ、病気で苦しむ人は可哀想だ。
この世に病気があってはならない!!
そう強く考える私でしたが「なんで石井さんは痛い体験をたくさん味わうのでしょうね?」「腰痛を通して石井さんは何かを学ぶ必要があるんですよ」「腰に感謝しましょう、感謝すれば腰が元気になります」「腰痛の意味を知ったとき、腰痛は治まるんです、だから腰痛の意味に気が付きましょう」こんな意見を頂いた。

腰痛から学ぶ事がある為に神様が私に腰痛を与えたとは思えなかったが、いつまでも治らないでいると、何でもいいから早く治りたい気持ちから、腰痛から発する意味づけを無理やりひねり出すことにした。

どんな体験でも経験となり理解は生まれる。
まず私は、松葉杖をついて電車に乗ると席を強要していることになる後ろめたさを知ってしまった。
松葉杖の人が時々電車の出入り口の傍で立っている、あれは席を強要させる事を遠慮して、座っている人達に負担を掛けたくない人なんだ!と思った。
これからは、松葉杖の人に、そんな気遣いをさせないようにしたい、と思った。
街中で発作が起きて動けなくなったこともあった。
駅のホームで、重度の障害者のように膝同士が絡み合って立ち往生していたら、回りを一切見ずにマイペースでカートを引きずって歩く中高年の女性がいた、松葉杖にカートをぶつけてくる・・・、年を取った女性は、他人が気をつけてくれるのを信じているようで自分自身は周りに気を配らない人が多いかもしれない。
見るときは冷たい視線で睨み付けるのも中高年の女性に多いが、私自身も目つきが悪いから老化すると人相も険しくなってしまうのかもしれない、とこれも自分を省みたい。

声をかけてさっと腕を支えてくれた人が3人いた。
一人は60過ぎの女性で、あとは20代と30代の女性だった。
60過ぎの女性は自分も腰痛だったので解かるといい、30代の女性は親が腰痛だから分かると言っていた。
そして整形外科の待合室では、知らない患者さん達がとても親切だった。
車椅子を持ってきましょうか?とか無理しちゃダメだよ、と腕を支えて歩いてくれたり、看護婦さんを呼びに行ってくれたり、優しい人の集まりだった。

体の痛みも心の痛みも、痛みを本当に知った人は、本当にあたたかい。
健康で病気をしない人は、病気の人に向かって「働かなくちゃ食べていけないから病気なんかしていられないのよ。病気になるのはユトリがある証拠!甘えよ!」と言う人が多かった。

病気だけでなく、心の問題でも同じことで、どんなことでも体験しないと本当のところまで理解することは難しい。

元気で動き回っていた時の私は、気持ちが明るかったし楽しかった。忙しくてゆとりがなかった。楽しければ反省する必要も感じないし、ゆとりがないということは考える余裕も生まれなかった。
元気で楽しいと、反省心が生まれづらい。
めげてどうにも成らないほどに落ち込むことって、私には必要な事だった。
何の不安もなく満足したまま我が道と信じて歩き続けていたら、自分にとってそれが幸せのように思えても、見えるべき事を見逃している。
知るべき事を気付かないまま、自己満足して、陳腐な自分のままで人生が終わって行く人生に納得できない。
無限に生きる魂だからこそ陳腐な魂から脱したい。
何も出来なくなったことの焦りと不安、苦しくてどうにも成らないこの気持ち、これがあるべき心構えを考えさせる元になってくれた、と今思う。

私から易を習い始めたばかりのお弟子さんがいるが、まだ3度しか習いに来てないのに、私の具合を心配して易で私の様子を占っていた。
私が具合の悪い真っ最中に、なかなか治らないと言う易の答えを私に知らせたらショックを受けると案じ易の卦を見せなかったそうだが、先日その卦をその新米のお弟子さんが本人の解釈と一緒にメールで送ってきた。
日をあけて、わたしの体調を2度占っているのだったが、習いたてとは思えないほど、お弟子さんの判断が見事というほど当たっていたし、私の体調がどんな状態で、どういう理由と原因で今の状態があるかという事が易の卦面に余すことなく出ていたので、驚いた。
直接私に体調を確かめなくても、私を見なくても、知りたいと案じる相手の状況をこうやって易は教えてくれる事が、なんと凄いことなのだろうと思えた。
習い始めたばかりのお弟子さんにも、易がちゃんと答えてくれている。
情報をしっかりと知る手段がこの世に存在している。自然な宇宙の情報網があるとしかおもえない。

古いお弟子さんも、ときどき私の状況を易を使って占ってくれているらしい。
いきなり、「先生、先月酷かったでしょう?」などといわれたりする。
「あら!占ったの?」と思いながら、私の安否を気にかけてくれる優しさがありがたい。
こうしてお弟子さんの易や私の易を通して、愛情をもってその人の幸福を願って占っている易は外れる事が全くないということだ。
わたしの易の先生も、『困った問題では外れることは無い』と断言していた。
しかし、当てモノとなると外れる事はあった。
当てモノは外れる事が多く、本当に困った相談は外れないというのは、相談の内容に愛が存在しているかどうかの違いなのだ。
思いやる、心配する、幸せになってもらいたい、その意識が、純粋で愛ある神様に通じるアンテナになっていると思える。
病気の治療に関しても、何かを育てることに関しても、する側が愛を持っているかどうかで効果は全く違ってくる。
勿論、する側の愛だけよりも双方に愛があればますます天の支援も届きやすくなるのだろう。愛という意識が、宇宙の無限に存在する大きな波動と合うのではないだろうか。
宇宙のエネルギーの9割以上が判明されていないらしいが、人間も小宇宙なのだから人間と宇宙はしっかりと反応しあいながら結びついている。

最近は、思うことが多いのだが書く事が難しく、思っていることの半分も書けなかったが
この世はわれわれが想っている以上に神秘な世の中で、謎とメルヘンの世界なのである。
人間も宇宙もすべて神秘であり無限にある神秘現象を学ぶことは意外とたやすく、たくさんのヒントがこの世にはあるようだ。
人間は無限に進化する存在であり、神秘を極めながら進化できる事がこの宇宙で生きる一番の醍醐味なんだろう。
   
 余談
皆さんにはたくさんのご心配頂くメールや、良い治療のご紹介を頂きました。
多くの皆さんの温かさにとても感動しました。
本当にご親切ありがとうございます。
健康雑誌の取材記者さんからまで、取材していて驚くほどすごいと知ったという治療師さんをご紹介していただいたり、まるでおいしいものの見本市のように凄腕の治療師さんのリストが出来たと思えます。
わたしの不調は、治療だけでなく、治るまで時期を待つのが必要のようですので、もう少し待つことになりそうですが、おかげさまで随分と良くなってきております。

社会保険庁から、わたしに届いたお知らせによると、過去10年分以上就職していたときに収めていた厚生年金がまったく記録されていませんでした。
退職して国民年金に切り替わったときだけの記録でした。
社会保険庁に行って、過去の就職先の住所から就業年月日を報告しないといけないのですが、ありえないほどずさんな社会保険庁ですね。
社会保険料の一部を横領してしまった記事が新聞に出ていましたが、その横領分も国民の税金で穴埋めするのでしょうか?「消えた年金」に比べたら芥子粒のようなものですが。
しかし、こんなにずさんな社会保険庁でもなぜ国民は怒らないのでしょうか?
社会保険庁での手続でも、自分の老後のために積み立てきたものに対しむちゃくちゃな対応をされ迷惑を掛けられているのに皆穏やかに見えますね。
あれもこれもすべてが理解できない私はかなり頭が悪いのでしょうか?
普通の企業では仕事を失敗すると休み返上で対応をします。
経理などは一円でも合わないと合うまで責任追求され、残業代(今の時代はいただけると思います)もらえずに仕事させられますよね?
だけど、なぜ、お役所となると、仕事で大恥以上の失敗をしても土日返上で国民の対応をしてないのでしょうか?
役所は偉いという意識が昔の悪代官のようにあって、悪い事をしても問答無用、そのために民のためという意識になれないんでしょうか?
大方の人が自由できる時間を持てる土曜・日曜に平気で対応しないなんて普通の世間常識の感覚ではないですよね?
まさか社会保険庁の誤りで国民を事務所にわざわざ平日に来させた挙句に長い時間待たせ「昼休みは休憩時間ですから」なんてことはないでしょうね?
仕事は上手く行かなかった場合、軌道修正できるまでできる限りのことをするのが一般社会の常識であり、社保庁は民を軽んじているように見えます。
ただ誤解のないように言いたいのですが、実際に現場で働いている役所の人たちは一生懸命やっていると思います。彼らも別な意味で被害者なのです。
このような状態、仕組みにしてしまった責任の所在を明確にし、本当に民の側にたった運用にしていただくことを切に願うばかりです。









2008年1月27日

  「新年早々私らしく不運に始まりました」

寒くて凍えそうな中、凛とした紅梅をみると、「偉い花だな〜〜〜〜」と思えます。
紅梅には気骨と言うか芯がありますね。
一年で一番寒い時に、よくあれほど見事な紅色の花を咲かす事ができるものです…
私は桜が一番好きなのですが、紅梅もかなり好きです。
寒い時に咲くからこその紅梅は我々に声援を送っているのでしょうね。
白よりも紅のほうが、気が漲っている力強さ、芯のある強さを感じます。

最近赤い花に惹きつけられます。
本来は淡い色が穏やかで好きなのです。
私が体調を崩して元気が出ないために、強いパワーのある赤を心身が求めているのかもしれません。
今年の私の運勢が悪い話は前回書きましたが、悪い運勢を当てない覚悟でいたにもかかわらず今年の運勢の悪さをすでに回避できない状態になりました。
1月2日からすっかり腰から坐骨神経痛でもうどうにもならないほど惨めな体と心になり、必死にあらゆる治療に通っているのですが、しぶといようで長期戦となりそうです。
痛み止めに胃をやられ、マーライオンのように胃液を吐き、胃痛の苦しさにもう痛み止めも飲めません。
全く能力が無いくせに武術の稽古をお休みするのが悔しくて「まさか一ヶ月も治らないなんてことないでしょう!一回だけの治療で一気になおしてくれる所ないかな?」と、多いときは一日に3箇所の治療所に通うほどですが、腰がかなり複雑な状態らしくて治るのも武術の稽古を再開するのもなかなか難しいようで・・・
あ〜〜〜〜、もうなんでこう過酷な修行ばかりが私の人生なんでしょう!!

寒い中で凛と咲く紅梅に諭されて、わたしも人生を寒さの中でも生き抜かなければ〜〜〜、とは思うのですが、思うだけで息するだけの日々で何も出来ません。
紅梅にパワーを感じさせられたと思ったら、テレビでヒラリーさんの赤いスーツ姿をみてやっぱり赤は元気がいいなって思いました。
ヒラリーさんに赤い服は似合いますね。
パワフルなヒラリーさん!!!
元気って最高です。
元気だと運もアップしますね。
赤い服だからか、ヒラリーさんに勝利の輝きを感じます。
今年のアメリカ大統領選、ヒラリーさんの勢いが強く易に出ました。
アメリカで初の女性大統領の誕生となるのですね!
アメリカ国民も初の女性大統領を立たせたがっています。
ヒラリーさんは決断力と実行力はかなりある人ですし、頑固で自分本位な決断をしがちな傾向はありますが、アメリカに節約財政を心がけるようですし、弱者を守ろうとする政策を出すのではないでしょうか。
しかし、今年の私の運勢が最悪ですから、この私の易の答えが見事に外れてしまうと言う危険性も危惧しております。
次期、総理大臣とか、大統領など、誰になるかなんて事は、悩みでもなんでもない、そんな事を神様に占うこと自体が神様に向かう姿勢に畏れが無いことになる。
そんな事を占うべきではないんです。本当に困っているときに易が外れた事がありますか?易は本当に困ったときに占うべきものなんです。と易の師匠に言われた事がありますが、不詳の弟子の私は結果を試したくて占ってしまうのです。
こんな気迫の自分の心が易の力をしっかりと出せずにいるのでしょうね。
しかし、アメリカよりも日本を占うべきかも知れませんね。
日本は年初来から株の長期続落で始まりましたね。
確かに今年の東京市場の株価は低迷する一年になるようです。
ちょっと値を持ち直しなおしても続伸が持続するのは難しい一年で、仕手株の操作はちょっと活発な東京市場です。
株価低迷でもそれなりになんとかやっていくという日本経済です。
(あ、、でも株の占いなどは保証がありませんからあまり信じないでください^^;自他共に認める無知な占い師ですから^^;)

あと、作物が雨不足で前年度よりも収穫が減りがちという感じの卦もでていました。
夏以降の野菜の値段も上がりそうですね。
今年も東海大地震はなさそうで、とりあえずは良かったです。
ジュセリーノさんの今後の予言で日本に来る地震を発表されていますが、そうはならないので大丈夫らしいです。
悪いことは外れるに限ります。


余談
あぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
ホントに腰痛の激痛には泣かされます。
これも人生の修行と思うべきなんでしょうね。
この苦しみから早く脱出する方法も、占ってはいるのですが、私などは自分で占えるから便利で良いと思う人もいるでしょうが、結構占う時間がかかるのでじっくりと占いに没頭できないのです。
さらに、なかなか治らないって易に言われたりしますので、、、なぜかいつも私に出る答えって、めげる答えが多いんです。
なかなか治らないなんて言われたら、潜在意識までその気になってしまって、治るものも治らないんじゃないでしょうかね…
私の性格はすぐに調子に乗って油断するので、厳しく言われるのかもしれませんが・・・
易の私へのアドバイスは、「まず身体を優先しなさい、自分の意志を優先するな!」でした。
たとえば「これ食べたい?」って胃に聞くんだそうです。
口に聞くと食べたがるのでダメです。自分の心に聞いてもダメです。
で、自分の取り皿に盛った苺を食べるときに「胃ちゃん、まだ食べたいの?」
って聞くと、まだお皿に苺が残っているのに「もういい」って答えるわたしの胃でした。
普通自分のお皿にあると残さないように食べるのが普通ですが、胃に問い合わせると
身体に不要な量をちゃんと感じて嫌がってきます。
これってかなりの健康法ですよ。もしかしたら痩せれるかもしれない、、と淡い期待です。