清龍の易日記

〜2003年


現在の易日記へ



2003/12/21

「フセイン元大統領の心の中をのぞく」

最近私が頂くメールに「自分の事を易日記に載せないで下さいね」というものがわずかながらも届くようになりました。

出来る限り本人ですら本人だと言う事がわからないように書いていたのですが、HPに載るかと思うとお客様としては占いに来づらいと思いますのでこれからはできるだけ一般的なものを掲載して行きたいと考えております。

 今回は先週拘束されたという話題の人物フセインを取り上げる事にして、拘束中のフセインの心中を占ってみました。

政治情勢に関して無知蒙昧な私としては、まともな感想も書けないですが、あくまで占いだけによるコメントでどこまで出せるのかという事を観て頂けたらと思います。

中東情勢に詳しい方ならば、しっかりした考えもありますから

出された易の卦から、もっと深い所まで読めると思いますので、我ながら政治面の勉強不足を反省します・・・・。

では

『フセインの心中』

3・天文  山火賁    之卦  不変   本卦  火風鼎

2・人文  山雷頤             主爻  火沢けい

1・地文  山沢損             互卦  沢天夬

                      伏卦  水山蹇

天地  山沢損

まず、フセインにでた卦の1・に山沢損(さんたくそん)がありますから、体の調子がどうも悪いようだと思いましたし、かなり神経も参っています。

しかし、つかまった事で処刑になるという不安を持っているかと思っていた私でしたが、彼は処刑になるとは全く思っていません。

イラクでは、大量の化学兵器を迅速に生産していると言う報道がありましたが結果的に見つける事が出来なかったのですから、アメリカの敵国側に対してのでっち上げかもしれないと思っていたのですが、占いによりますと、イラクの化学兵器の所有は真実であり、かなりな量を持っていると出ています。

細菌をはじめ様々な化学物資を持っておりますし、

破壊兵器になる化学薬品をミサイルのようなスピード性の在る物に乗せて発射させて、敵国に送る事も考えていると出ています。無人飛行機もあるとアメリカでは報道していましたが、無人飛行機と核は持っていないと出ています。昔ながらの兵器や化学的破壊物資を、地下と、水の中にも隠しているというのが易の答えです。

どこに隠されているかは、地図を見て占っていけば場所も占いで出す事は可能だと私は信じるのですが・・・・。

フセインは、国際裁判に訴えかける事と、イラクの各武装勢力を交換条件で鎮めさせる事を提案して行くことで彼自身の命を維持できる自信を持っていると出ています。

山火賁(さんかひ)という卦は、フセインあってのイラクだという自負心でもあり、交換条件にもっていける特別な情報の提供も示されます。

フセインの拘束で、イラクの問題が緩むと期待をしているアメリカですが、このテロ問題は、なかなか終わりが遠いようです。

イラクの復興支援にも力が入っていく様にニュースにもイラク復興という声が聞こえますが、声ばかりで実際的な復興の動きは遅く復興は遅れます。

世間の声ではフセイン極刑は免れないといわれていますが、かなり長い年月拘束される状態が出ていますし、簡単に処刑されることはないです。

イラクの革命家達は、フセインの拘束に関して達観しています。

彼らの気持ちは、テロ行為ではなくて正義の革命家として酔いしれていますので

革命化の同志が集まって、イラクの持っている兵器を使えば、アメリカやその他の敵対する国に向かって報復していける自信を持っていると出ています。

しかし、それは革命家達の自己陶酔に酔いしれた過大な自信であって、感覚的な彼らの信念は革命家というような自己犠牲の精神性ではないというが易の判断です。

今後もテロ勢力は完全には消える事は無いですが、力は下火になりながらこちらの隙を狙って細菌や化学薬品で怖がらせていく事が、彼らの楽しみだそうです。

革命家達の氾濫により、今後復興できると思っているイラクにはまだまだ暴動の炎が消える事もなく、イラクの治安が治まっていくのもまだ先の事だというのが易のメッセージでした。

イラクのテロリストの今後の状況に関して判断した卦を一つ参考に付け加えます。

地文  地沢臨  人文  水地比  天文  火風鼎

本卦  雷地豫  主爻  水地比

之卦  雷風恒  主爻  水沢節

余談    

あと、今年も残すところ10日となりました。

一年の速さと人生の速さをしみじみと感じます。

お客様たちはもう来年の運勢を占って来年を期待しています。

新しい一年を占ってと言われると私は、『悪く出ても本当の事を言っても良いの?』と、思わず質問してしまいます。

これから迎える一年が悪く出ると、すごいショックですからね。

これから始まる一年に期待しているのに、良い事を言われないのは辛い事です。

しかも昨日のお客様は、来年の運勢がどうしても知りたくて友人から占いの代金を借金して来たそうで、ますます悪い事は言えないと思って緊張して占いました。

でた卦をみて、答える前に思わず涙ぐんでしまいましたら、『そんなに悪いのですか?』と

食い入る瞳で肩を上げて緊張しながら言われました。

「いえ、良く出て安心したのです」と答えますと、そのお客様は椅子の上で

倒れこんで「あぁ〜〜〜〜!」とウメキ声を出していました。

そこまで不安におびえながら借金までして占いに来るとはすごい人です。

子供達や、恋人達がクリスマスを迎える時のように、わくわくした喜びと期待を持って一年を迎える事が理想ですよね。

ちなみに私の来年の運勢がきついので沈む気持ちになりました。

10年以上の関わりのあるお客様からお電話が来まして、「元気ない声ですが、どうしたのですか?」と言われましたので、「わたしの来年の運勢が悪く出たので辛いの」と答えましたら、爆笑されて

『人に向かっては運勢に流されないで、運勢を好転させていく方法を力説なさるのに、石井さんも自分で自分の運勢を好転させて

こうやって自分は運勢を好転したと、易日記に書いてくださいよ』と言われてしまいました・・・・・。^^;

夫からは、「絶対に僕の来年の運勢を占わないでよ!気分が悪くなるから!」と釘を刺されました。毎朝のテレビの占い情報でも、一日の運勢を悪い事を言われて朝から気分が悪くなるのに、一年間悪いといわれたら冗談じゃないよ!と言うのです。

確かに冗談じゃないですよね。

「自分の運勢なんか、わたしは占いませんよ。あなたは占うのですか?」ともうすぐ88歳になる私の易の先生がおっしゃいました。

確かに運勢が悪く出るのは辛いですが、運勢が良いことしか出なかったら、良く出ても嬉しくないので、悪く出る事も「禍福はあざなえる縄の如し」ということなのでしょう・・・。

今年最後の易日記とさせていただきます。親しんで頂きました皆様、ありがとうございました。来年は、もう少しまともな占い師になれますように皆様のご指導とお導きを心からお願いいたします。

また来年もどうぞよろしくお願いいたします。

来年の初日記は1月4日日曜日です。

皆様も、よいお年をお迎えくださいませね。







2003/12/14
「見える物から見えないものを読む



まず先にお断りしておきますが、今日の日記は潔癖症の方には耐え難い話です。
食事前ならば、読まないようにして下さい!
遊び心のある方、不潔感にも鈍感な方、易の卦の勉強ならば内容の質はこだわらないと思う方は読んでください。
ずぼらで潔癖症でもなく、思考回路がぼんやりした私ですら、胃が傷み気持ち悪くなりました。

東京の表参道・青山にお店を持っているお客様からこんなメールを頂いたのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日白昼、赤いミニスカートをはいた女性が店の前に突如しゃがみますと、大便をして
そのまま去って行ったのです。                 
嘘のような本当の話。
社員が「ここはアフリカの草原でなくて、青山なのよ!」「ショックだ」を連発していました。
自分は運がついたと喜んでいたのです、赤い色で、うんだからいいなあと思って。
一生に一度あるかないかの瑞兆でしょっ? 
でも、ちょっと気になったので占ってみました。

本日、赤いミニスカートの女性が店頭で大便をしましたが、これはどのような意味が
ありますか?

地文:水沢節
人文:巽為風
天文:雷火豊

本卦:山水蒙        主爻:雷水解
不変
でした。
おなかの調子があまり良くなくて、下しただけでょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私は、この占った卦を見て、こんなたわけた事まで細かく教えてくださった易の柔軟性にびっくりしました。

また、こんな質問にも答えてくださる易の寛大さを有難く思うのです。
時によっては、そんな幼稚な質問をするんじゃない!と言うメッセージを頂く事もあります。
今回の答えは、易の言語を学ぶ為に教えてくださったと思えます。
易の卦は全部で64種類しかありませんが、64個だけで、この世の出来事を言葉に変換して見せるのですから、どの卦がどんな意味を持っているかを知るには、この64卦の組み合わせなのです。

では、このミニスカートの女性についての解釈ですが、地文の水沢節(すいたくせつ)は、長い時間ずっと我慢して耐え続けている事を示されています。
水沢節は、我慢の意味の卦だからです。
人文の巽為風(そんいふう)も、我慢の持続時間の長さを示すもので、其のお店の前まで耐えていたし我慢していくつもりでいたのです。
ところが、突如すごい勢いで直腸からの内容物が噴射されるような感覚に襲われて、堪えられなくなった事が、雷火豊(らいかほう)の卦で示されているのです。
主こうの雷水解は、解ける・緩む・流れると言う意味です。
トイレへ行きたい気持ちを我慢してきた様子から、突然の耐え難い苦しさが爆発的に襲ってきて、雪崩(なだれ)のような勢いで、下痢が大量に流れ出る状態を易が示して下さって、事の状況を易の言葉を使って読み込む為の技術を学ぶ者として、こんな汚い話でも易を通して教えていただける事が、占いオタクとして楽しむ事が出来ました。^^;

青山通りでも、細い路地に入れば人も少ないのですが、このお店の場所は商店街が並ぶ大きな通りです。お店が立ち並ぶ中、人通りも多いのに、人目につかない場所を探すゆとりも無いほどの状態だったのでしょう。
しかし我々が現場を目撃しても、そんなところでそんな事をしてはいけません、と声をかける事も出来ない気がしてきました。
相手が変質者だったら、出したものを投げつけられるかもしれないですからね・・・。

このメールを下さった人はさわやかな風貌の独身男性で女性に人気があり、女性がいつも沢山集まっています。
そんなことから、女の恨みでも買った仕返しかもしれないと思った私でしたが、そんな恨みなど全く無い見ず知らずの若い女性であると卦の中に示されています。

でている5個の易の卦の並び方には、そこのお店に何の関わりも無い若い女性が、どういう状態で大便をしたのか、さらに、その物の量と質まで示されているのでした。

HPに載せるのに、易を読む私の判断と事実に狂いがないか、其のお店に電話をして便の状態を店員さんに確認しました。
突然のお電話で変な質問のため、お店の方が神妙なお声で
「・・・その通りです・・・」とおっしゃっていただきました。
また一人私の人間性を疑う人を増やしてしまいましたが、マニアックな占い師として
居直って生きていきます。









2003/12/07


昨日は占いの仕事に苦戦した。

初めて来てくださったお客様から仕事の運勢を尋ねられた。

占うと、わたしの答えがお客様の実際の状況と全く正反対だから納得できないと言われた。

私の占いが間違っているならばこれ以上の事を言えないから他に回ってくださいと言って金額を返金すると言うと、其のお客様は
「あなたの占いは統計学ではないですよね。統計学はあくまで統計だから絶対ではない。でも、あなたの占いは統計学ではないから、統計学よりも絶対に近いですよね?」と奇妙な論理を言われた。

「私自身は自分の占いを統計学よりも信じてはいるけれども、お客様から観れば答えが全く外れている事になるのですよね?」

男性は不満な態度を示しながらガムをくちゃくちゃと噛み、威圧的にしばらく無言で座っていた。

納得できなければやめてもらおうと思い、私も相手の気持ちに任せるしかないと無言でいた。

狭いブースの中で二人が向かい合い、約2分ほどだが沈黙が続くのは重苦しかった。

「僕が占いが外れていると言ってるんだから、違った角度から僕の運勢を読んでください」とお客様は重い調子でやっとこ口を開いた。

私はなんと言って良いのか困ってしまった。占った答えを見ても私にはどう考えても違う読み方が出来ない、このお客様が言いがかりをつけているとしか思えなかったからだ。

「あぁ〜、難しい・・・。あなたを納得させる占いをする事が私には出来ないです。」

怒って席を立つかと待っていたのだが、静かに座っている男性だった。

「当たっていないならば、申し訳ないです。でも違った角度からの判断ができないです。之では納得行かないんですよね?」

こんなやり取りをしていたのだが、お客様は最後は急に態度を緩和して笑顔になってご自身の状況を説明してくださり、私の答えている内容は自分が気付かなかった部分だと思うと言われ、別人のように礼儀正しい人になってお辞儀をして「ありがとうございました、また来ます」と帰られた。

占った内容に対して当たっていないと否定しつづける事によって、占い師がどういう反応を示してくるのか確かめたかった人なのかもしれない。

恋愛運を知りたがる女性のお客様達も、交際している人がいても誰も付き合っていませんが恋愛の運勢を見てくださいとおっしゃる方は多い。

仕事の運勢がよいと言われながら占うと、実際は仕事の状況が酷く悪く出たりする人も多い。

つまり、占いの能力を確かめるためにお客様たちも智恵を使って来るのだろう。

大概のお客様たちは皆さんの教えてくださる内容に嘘がある事を見抜くと喜んで下さるが、今日のお客様は、なかなかしぶとくて最後の残り時間5分まで、当たっていないと主張し続けられた。

なんだか出会う人達といつでも、知能ゲームをしているようなそんな気持ちである。

ご贔屓(ひいき)のお客様になってくると、最初の頃のようにあえて嘘を言って様子を探る事はしなくなってくる。

裸の心のままで飛び込んでくださる人間関係は、すがすがしいほど気持ちが良い。







2003年11月30日

「留学中の娘さんのトラブル」

削除済





2003年11月30日
「悲しみを幸せだと言えた人」

外国人女性の話(易日記11/16)を読んだ人からメールを頂いた。

「この相談者は自分の友人です」という。

しかも、この人は、わたしのHPを今回初めて見たそうだ。

初めて見つけたHPで自分の友人の話を読むとは、ステキな偶然性を感じる。

許可も得たので、彼女のメールの一部をコピーさせて頂く。

人が経験した悲しいこと、嬉しいことを、他の人に伝えることって・・・すごく大切だと思います。

それぞれ皆、“自分”というちっぽけな器しかなくて、だけど他の人の経験を通して、何かを感じ、心が動き、その“自分”をいう器が、ほんの少しでも大きくできるんですから!

だからこれからも色んな方のお話(ドラマ)を聞かせてください!

私の話しでよければ是非、みなさんに伝えてください^^

この人は、なかなか恋多き女性である。

その恋も片思いが多い。

32年間生きてきて、今までの人生、彼女は悲しさと虚しさしか経験した事がないとメールにあった。

私から見ると彼女は普通以上に能力のある女性で魅力がある。

会社を立ち上げて事業をしているし、業績も黒字を出している。

さらに、現在大学へも通って障害者の教育に情熱をかけている。

これほどエネルギッシュに生きているのに、本人は今までの人生が悲しみと虚しさしか感じた事がないと言う。

彼女は障害者施設に研修に行き、そこで関わった8歳児のYちゃんという重度障害の子を通して色々な事を考えている。

Yちゃんの力のない指の感触を思い出すと涙があふれる彼女であり、

奇声を発して倒れたYちゃんが頭を打っても其の痛みすら表現できない事を知り、

痛みすら訴えることの出来ないYちゃんを通して、この女性は自分が悲しくて泣けることを幸福だと気付いたと言う。

私が多くの人と話して感じてきた事だが、人の幸福感にはある共通のものがある。

それは傍から見て恵まれているように見える人達の方が、気の毒だと思える人よりも

人生に虚しさを覚えていて不幸だといって嘆く人が多いことだ。

人気スタ―の胸のうちを聞いた事があるが、いつでも死を考えながらやっとこ生きていると言った人が結構居る。

わたしのお客様で神経を病んで通院している人は実際的な苦労はなくて、ご主人も穏やかであり子供も普通である。

生活に物足りなく刺激を求めて浮気をしている奥さん達が自分の人生が満たされずに生きる気力を失くしている人が多い。

また、親が資産家で自分の仕事を心配しないで良い境遇の人達も生きる意味を見出せないと言って引き篭もりになっていた。

其の反対に、失業して未来の生活に不安を感じる人や看病などに犠牲になって自分の人生を過ごせない人達が現状を打破する希望やタフな精神を持って頑張って生きている。

人間も花と似ている。

大切に飾られる温室の花は弱いが、

コンクリートの隙間からでも花を咲かせる雑草は寒暑風雪に負けないのと同じかもしれない。

日本は海老を外国から空輸しているが、海老だけを入れて運ぶと半分以上の海老が死んでしまう。

それで、生きているロブスターなどを中に入れると、8割以上の海老が生きているという。

緊張感が命をつなげる力になると言う事らしい。

抑圧されているとエネルギーが増えるのである。

圧力鍋のように抑圧して熱を逃がさないようにすれば溜まった蒸気が噴射するように、心も抑圧されると気力が上がる。

自由にやれない状況を苦しく思うから、自分の意識が希望を生み出す。

人生の泥沼から抜けられない思いを経験した人に限って、特別幸福に見えない状態でも

「自分は恵まれている」とか「幸福だ」という人が多い。

日常の平凡な結婚生活に不幸を感じて苦しむお客様の相談は多く、そこから神経を病む人たちが増えてきている。

「戦争の襲撃でも来ると神経の病や日常の不満も消えてしまうものだ。平和すぎるから不幸な気持ちになる」と私の知る老人達は語っていた。

物事は、2分される事で始めてその物を知ることが出来る。

だから分かるという字は、物を分けると言う字を使う。

悲しさを感じる事を幸福だと思った事は今までの私にはなかったが、

悲しさを感じられる事が幸福だと思えた彼女の視点は泣けないほどの悲しみを知った人なのかもしれない。

悲しさ・苦しさを現実に抱えながら、其の感情を幸福に思える人は滅多にいない。

幸福を幸福だと感じない人。

傍からみて、貧しく孤独で病気でも、そこに幸福感を覚える人もいる。

感情は自由に無限に広がる・・・・

でも、感情は思いのままにはならない。

メールを下さった方の「悲しめる自分は幸せです」という言葉がしばらく私の心に留まりそうだ。








2003年11月23日
「3本の柱を失った男」


修復できないような重い話を書くことが私には苦手だ。
私の心に重く残っている出来事を文章にしたら、当時の生臭い過去に逆もどりして心を暗くさせる自分が辛い。

子供の頃から日記を書く自分だったが辛い出来事を書くことが出来ない気弱さがある。
母が亡くなった時や可愛がっていた小鳥が亡くなった時、友人が亡くなった時も其の時の悲しみを日記に綴る気になれなかった。
思い出として書けない事が私にはたくさんある。

今日私がこれから書く話を最後まで書くことができるか自信がない。
そう思うほど、これから書く話は私にとって重い。

私は23歳の頃、家の近所にある大学で働いていた。
大学生だけでなく企業向けにマネジメント教育をしている大学だったので
出版部とか教育事業部などがあり誰もが熱意を持って働いているような職場だった。
経営管理などの教育を社会にしているだけあり社員への管理は見事なものがあったと思う。
私は多くの会社で働いたがこの職場ほど人使いの厳しいところもなかったと思うが、良い人材を集めていたと今でも思っている。働く仲間達は誰もがすばらしい魅力を持っていた。
(不況時でも大きな黒字を毎年続けているし給料も全体平均額が年一千万円である)

私の所属は経理部でそこには私と同じ年代の女の子が全部で6人いた。
若い女の子のいる部署のために独身男性が用事を作っては経理に来ていた。
其の中に出版部のUさんと言う30歳の男性がいた。
Uさんは色白のひょろりとした痩せ型で真面目で柔和な人だった。
本音をはっきり言う少年ぽい気質で、「新しい女の子が入ってくると僕の彼女になる人かもしれないと思って仕事に来るのが嬉しい」と静まりかえって仕事をしている経理部の中で皆に聞こえるように公言していた。

「かわいい私が入ってきて皆さんも良かったですね」と私はふざけ、皆はうつむいて微笑み、窓際に座っている部長達はこちらを見てわざと目をパチクリしていた。
おしゃべりが禁止されている職場だったのでいつもぎこちなく静かだった。
お昼時間が待ち遠しい私は、「あと何分で12時になる」と10分おきに時間状況を伝え、お腹がすいたと声に出す私を「彼女はおしゃべりしすぎだ」と厳しい人事部長から私の上司が忠告を受けていたので、無駄な話は出来る限り耐えた。
でも、その日に見た奇妙な夢の話とか朝来る道にいた変体のおじさんの行為など
事細かく報告したい私は人事部長のいない隙を狙って喋っていた。
回りは黙っていたがうつむいて笑っていた。

出版部のUさんは、「僕は仕事と趣味に恵まれている」とお昼を食べながら語っていた。
「でも人にとっての幸福とは仕事と趣味と愛情在る家庭の3つが揃ってこそ本当の幸福なんだよ。僕に足りないのはあと一つ、愛する相手だけだ。それを早く見つけたいと思っている。」穏やかに嬉しそうに話すU氏だった。

其のUさんが、経理の女の子Eさんに恋をした。
しかし、Eさんは無視する態度をとった。
Uさんは、徐々に精神の錯乱を起こし無理やり経理に入ってきてEさんにかかわろうとした。
人事部長が彼をののしり経理部のドアの鍵をかけて、彼を中に入れないようにした。
彼は外を回って校庭から窓をたたいて中に入れろと叫んでいた。
Uさんの瞳は充血してうつろに見開き、唇は乾燥してひび割れし口はポカンと開いていた。
学生食堂に行けば、異様な形相で追いかけて来た。

私の上司は面倒見の良い人情家であり、彼を面談室に呼んで長時間説得をした。
Eさんにはほかに交際している男性がいるし来年はその人と結婚する予定だと言うと
(嘘ではあるが)
彼は、それは自分のことだと言いはり、Eさんは恥ずかしがって自分と結婚することを隠しているだけだと言って上司の話を聞き入れなかったそうだ。
Eさんの年の離れたお兄さんも職場に来て彼を説得したが聞き入れてもらえなかった。

足早に経理部に向かうUさんに、人事部長が「きちがいっ!お前なんかぁ、クビだっ!!」とすごい怒りの形相で真っ赤に激怒して叫んだ。

彼は、経理の部屋のドアを体当たりでぶつかり壊してでも中に入ろうとしていた。
たまたま廊下にでていた私も、U氏がいる為に経理の部屋に入れてもらえなかった。
人事部長の、激怒した顔と言葉に私はひるむほど驚いたが立ち尽くすしかなかった。

日頃気の弱かったUさんは微塵もひるまなかった。

目を据わらせて経理のドアを叩く彼が不気味だったが、「Uさん、あなたは本物のUさんなの?いつものUさんじゃないよ!」と恐る恐る声をかけた。
其のとき彼が何を考えたのかわからないが、ドアを叩くのをやめて無言で帰って行った。

彼は高齢の御両親と六畳一間の小さなアパートで暮らしていた。(上司が訪問した)
其の日、彼は自分の住むアパートの部屋を間違えてよその部屋のドアを叩き続け精神病院に送られたそうだ。

二カ月ほどたった桜の季節に彼は病院を退院して私の上司に挨拶に来た。
上司が「Eさんは退社したよ」と話すと、うなづき「恥ずかしいです」としんみり一言だけ言ったそうだ。
職場を既にクビになっている辞令を彼はその日に貰った。
其の帰り道、桜吹雪に誘われたのか、彼は自分の命も散らせてしまった。

彼にとっての人生の幸福の基盤がほんの数ヶ月前にはあと一つで揃うはずだった。

彼が死を選んだのは彼の目指してきた幸福が手に入らない事に絶望したのだろうか。
あるいは、人生を再チャレンジすることに気力も希望も失ったのだろうか。
高齢の親を一人息子として養わなければいけないほどの環境を考えると、彼の人生は大変厳しかったに違いない。

私の周りには「死にたい」という人がなぜか集まる。
死にたいと思う時は、絶望的な発想しかできない。
そういう時は、生きる意味も持てずに、自分の持っている良い部分にも気付けないでいる。
心と体に定期的にやってくるバイオリズムのように、虚しくてたまらないと思える時期は誰にでもある。
お客様の中にも、神経を病んで退職し精神科に通院している方もいる。
こういう人を占うと死にたくなる時期の期限がでてくるし、死にたいと思う其の深層心理もでてくる。
占いにでている本人の深層心理を話していくと、自分の苦しみを第三者の立場で見る事が出来る様になっていくらしい。
つまり、自分の中に入り込んで苦しんでいた事が、第三者の目になって自分を客観視するようになるのだ。
「へえ〜〜〜、そんなふうに考える自分なんだ。」と自分を他人のように見る。
相談者が冷静になってから、どうせ死ぬならばこの時期まで待ったほうが良いと答えて、自殺の時期を延期することを勧める。

そう答えると、お客様たちはさらに神妙な顔になり苦痛だった表情が緩んでいく。
死ぬ時期の延長を受け止めて、それまでは一様死なないでやっていこうと妥協するのである。
そして、占いで示した我慢の時期が終わる頃にやって来て、「あれって一体なんだったんでしょうね。本当にこの時期が来たら気にならなくなりましたよ」とケロリとしている。

病気が経過するように、心の病も時期が来れば必ず経過するように出来ている。
どんなに其の時に苦しかった事も、何十年たってもまだ苦しいということはめったにない。
後から思い出せば、苦しかった事もこだわった事も、当時あれほど苦しむほどの事でもなかった気もする。
其の程度の問題に、生きることすら嫌になるほど苦しみ振り回される人間は、無駄なエネルギーを費やしているものだと思う。

幸福の条件「仕事・趣味・愛」の3本の柱が大切だと言った彼の言葉は真実だろうと思う。

しかし、現在の自分に幸福の柱が一本もなくても、それを手に入れる為にエネルギッシュに向かう根性さえあれば、人は幸せに成れるのだと思う。

生きるということは、動物・植物すべての生き物にとってエネルギーの発散だと言える。
エネルギーがなくなると、息をする事すらしんどくなる。
現在満たされているよりも満たそうと奮起するほうが、心のエネルギーは、はるかに強い。
エネルギーは幸福への原動力である。

後談
自殺して30年近いU氏が成仏してあの世に行きましたかと占ってみた。

天文  水火既済  之卦  山風蠱    本卦  火山旅
             主爻  水火既済  主爻  火山旅
             互卦  帰妹     互卦  沢風大過
             伏卦  随       伏卦  節
人文  天山遯

地文  地火明夷
天地  水火既済


易を少しでも知っているならば、ここの卦を観て出来すぎた卦ばかりでびっくりするだろう。
科学者に易の本で意味を照らして見せれば、勝手にこの卦を私が人事的に並べたと言われそうだ。
そう思う方の目の前で占って、出てくる陰と陽の変化をわざと出した物ではないと見てもらいたい。
でた卦の、地文・地火明夷(ちかめい)は、真っ暗な気持ちになって自分から
生きることを退いたと言う(天山遯てんざんとん)自殺の卦がでている。
自殺した理由は、水火既済(すいかきせい)の結婚相手からの失恋(山風蠱サンプウコ)だと言う。
山風蠱は、騙すとか破れるという意味である。
この占った卦を観てわかったが、彼の恋は勝手な一方だけの思い込みではなかった。
女性のほうで恋心を匂わせる言葉を交わしている卦が水火既済で出ているからだ。
おそらく、最初は女性も彼との結婚を少しは考えたのだろう。相手がデートもなくいきなり結婚を迫って追いかけてきたので、考える余地をなくしたのだ。

二人の性格から、職場から駅までの帰り道こんな会話をしたのだろうと想像する。
「いくつぐらいで結婚することを考えているの?」
「貰ってくれる人がいるならば、いくつでも構わないんだけどね」
「Eさんが僕のお嫁さんになってくれたら嬉しいな〜」
「私でもいいの?」
「僕はやさしい夫になる自信があるから、結婚してよ」
そこで、女性は沈黙したまま微笑む・・・・・
この会話だけで、子供ぽい男性は、結婚OKの承諾を得たと誤解した。
水火既済は、男女の結婚を示す。

そして、彼の魂は現在も火山旅(かざんりょ)の寂しく孤独な旅をしていると言う。
この旅は、古代中国の旅の状況を示すものだから、楽しい観光の旅ではない。
広大な面積の中国の旅は熊も出てくる命がけのもので、牛に荷物を乗せ、何ヶ月も誰にも会うことの出来ない、長く危険な孤独の旅だった。
火山旅の易の意味は、4−5千年前の中国の不安感と孤独の寂しい旅を示すのである。
30年近い年月が経つ今も、彼はまだ一人旅を続けて成仏していないと言うのだった。







2003年11月16日

外国のある国にお子さんを置いてビザなしで日本に来た女性の相談  

                    

やみルートできたために本国に帰国できない状態であるという。

彼女を気に入ってくれた日本の男性と結婚しているが偽装結婚で愛はなく、8歳の子供を引き取るために国に帰ることを希望していた。

自分の希望が叶うのかという質問だった。

子供を引き取った後は再婚するつもりですか? と質問をすると、

「それは、あなたの占いで答えるのが仕事だ。私は答える必要はない」と

舌を何度も出して露骨に感情の不快さを見せながらヒスッテリックに答える。

彼女の話し方を見て、

改めて、日本人の人柄のやわらかさを再認識させられた。

私のお客様たちは、「私の占いが当たらなかったらどうしょう!どぶ銭だと覚悟して下さいね」と占う前に私が言っても、ニコニコして下さる方ばかりで、実に奉仕的なお客様に恵まれている。

で、この外国の女性は日本の夫と離婚できるかの質問では、夫が離婚を望まないと出た。

「望まないのはわかっている。わたしは離婚することを決めているので、離婚できるかどうかを知りたいのだ」とイライラして言われた。

いったん母国に行って子供を連れて必ず戻ってくると約束すれば、離婚してくれるだろう。

そういって欺くしか離婚の可能性はないと答えると、

自分もそう思っていたと、嬉しそうに微笑んだ。

生きていくためだけに結婚したと、はっきりと言う。

国に戻って、そこで外国人と結婚して、子供を育てる経済力を認めてもらえば、子供を引き取れるし、結婚後よその国に行って暮らすことが彼女の夢だそうだ。

同国人は性格が短気で不遜な男ばかりなので、大嫌いだと言う。

子持ちでも若くて美人のために、言い寄る男性は多いと占いに出ていた。

既に、この占いの鑑定代金も、同伴の日本の男性が彼女のために支払った。

この男性は彼女の幸せの為ならばどんな事でもしたいと、前回ひとりで占いに来て私に語っていた。

彼女は自己中であなたのことを愛していないし、ほかの男性と結婚するのに

彼女の帰国のための費用も負担するのですかと聞くと、彼女さえ幸福ならばそれでいいという男性だった。

男性の瞳は泣いた後のような悲しさがにじみ出ていたが、今回は彼女がそばにいる為か、前回のときよりも男らしかった。

男性が通訳のときに口ごもり、言葉を捜して沈黙すると、女性は露骨にイライラとし男性の話し方の真似をして、不快感を現していた。

露骨に男性を見下しても、男性は忠実な飼い犬のように従順だった。

惚れた相手に対して相手がまったく自分を愛していなくても、どんなことでもして尽くせる愛の不思議さを目の前で見せられ、不思議な気持ちだった。

女性はブルーの冷ややかなまなざしで男性を一瞥すると、不愉快で耐えられないという表情を見せながら、彼女の男性問題に関する占いの回答を、彼がごまかして正直に通訳していないと言って怒った。

「そんなことはないですよ、彼はとっても誠実で彼の協力によってあなたは幸福に成れるのだし、彼はとっても正直です」と、私がつたない英語を使って言うと、

女性は黙ってうなずき、男性ははずかしそうにうつむいていた。

報われない日本の男性の犠牲的な想いが不憫だったが、彼は愛しているだけで幸福なのかもしれない。

男性は、良い人と結婚できると占いに出て喜ぶ彼女を寂しげにみつめていたが、喜ぶ彼女を見て一緒に喜んでいた。

男性の愛はこんな風に好きになると自分を犠牲に出来る人がいるが、女性が男性にそこまで尽くす話はあまり聞かない。

女性は子供に犠牲になり、男は女に犠牲になるように、種族保存の遺伝子がそうさせるのかもしれない・・・。

美人で若いという条件があれば女は男性次第でお金がなくても

何とか思いのままに進めそうだ。

(器量に自信のない人は羨ましく思うだろうが、美人であればあるほど最後まで幸福になれる人は少ない。幸せに見えるのは美しい旬の時だけという人が多い。なぜなら、自分の美にとらわれすぎる女性は自分の価値を美だけに置く傾向が強く、コンプレックスがない為に傲慢で自己本位になりやすい為である。だから、すごい顔のおばさんたちは結構幸せそうに、年をとっても生きているでしょ?)

思い通りに進んで行けそうな彼女の未来を占いで見ながら、人の人生が

バーチャルの世界を生きているように思えた。

惚れている男性も脳が惚れる悲しさを体験しているに過ぎないような、そんな風に見えた。

もしかしたら我々の経験はすべてマトリックスの映画のようにバーチャルなのかもしれない。

人生が終わった後に悩んだ過去を思い出せば、そんなにムキになる事もなかったと思うのではないだろうか。

終わっていく現象にとらわれて苦しむ人間の感情は詩人のように繊細でロマンチックなのかもしれない・・。

人は自分の人生にロマンを感じたい。

だから、あがくし、こだわるし、美や愛を求める。











2003年11月9日

親の切なさ・子のあがき

人は、自分が一番大切だが、子供を持つと、自分の事よりも子供を大切に思う人が、女性に俄然多くなる。

こうした女性の気性から、母性愛と言う言葉が生まれたのだろう。

人間だけではない、魚も自分の稚魚を守るのに必死になるし、鳥もヒナを心から守って育てている。

鳥達は、自分がヒナの時にも、また子供を産んでいないときにも、他者に対する犠牲的な愛情など持ったりしない。(・・とおもう。鳥になって生きてみれば、もしかすると犠牲的な鳥がいるのかもしれないが)

私が子供の頃、学校の裏庭に飛べない雀のヒナがいたので,家に持って帰った。えさを与えても口を開けない、このままでは死んでしまうと悩んでいると、親鳥が縁側から家に入ってきて、ヒナに口移しで餌を与えてくれた。

家の中に入ることなど、親雀にとって恐怖だとおもうが、ヒナを追って私の家までついて来たのだ。

ヒナに餌を与えるとすぐに親鳥は飛び出して、また餌を運んできた。

ヒナを思う親雀の愛情は、恐れを耐えることが出来るのだ。

そのため、我が家では、昼間の間は、縁側に雀のヒナを入れた箱を置いて、親鳥に餌を運んでもらった。

数日後、外の雀がイッセイに声を荒げた。

だみ声でぐわっ!がっ!ぐあっ!ぐあっ〜、ビビビビビ〜〜〜ッ!と、30〜40匹ほどの雀たちが、カナキリ声をだしていた。

異常な声に、急いで庭を見ると、猫がいた。

「わあ〜〜〜〜〜〜っ!」という私の叫び声で、猫は猛烈な速さで走り去った。

木々や塀、小屋の上にいる雀たちが、いっせいに私を凝視した。

雀たちの信頼を得たような、正義の味方の気分に浸りながら、雀の連帯感や社会性を教えられたとおもった。

子育てを放棄する親が最近は目立つようになったが、

自分の子供を心配して胸を痛めている女性を目の当たりにすると、親の切ないほどの子供を想う愛情に胸が熱くなる。

子供に関する相談は多い。

あるお客様は、高校生の娘さんがクラブ活動の仲間から無視されるようになったという。

お客様は、血走った眼差しで歯を食いしばり、私の占う様子を食い入るように見つめていた。

占いで仕事をするまで、私は他人の本音を、自分の身内以外に見ることはなかった。

自分とごく親しい者だけは、かっこ悪い裸の心を見せるが、それ以外の人は、誰もが、ゆとりある、さりげない態度をとりながら生きている。

占いをすると、初対面の人でも心を開放して、あるがままの自分を出す人が多い。

あまりに無防備に、欠点も恥じも、自慢も愚かさも、さらけ出してくると、一心同体になったような共感がある。

それを観させていただくたびに、普通の人達は、本音を出せないで、気張って生きているのだなと思う。

つまり、本音を出せないほど、人の心は油断できないと言う事なのだろう。

この母親は、元気をなくしているお子さんが、自殺してしまうのではないかと怯えていた。

お子さんが無視される原因などを占うと、後輩に優しい娘さんで、後輩の人気者になっていた。それを「ぶりっこ」だと、うとまれ、同学年の仲間達にとり後輩への扱いがやりづらくなり、この娘さんの勝手な振る舞いが周りに迷惑をかけていることを考えるべきだといって怒りをかっていると示された。

そう答えると、確かに娘さんは、後輩の人気者で、それが嬉しくて家でも自分が人気者だと言うことを、はしゃいで話していたと言う。

自分が人気になれば、仲間達の気持ちが、面白くないことを理解してあげるべきなのだろう。

それが、回りに対して配慮が足りないと、厳しい見方をすれば言えるという占いの答えだった。

甘やかす一人の存在で、他の仲間達の立場が、後輩に対してやりづらくなっていることを、本人に理解させる必要があることも話した。

之くらいのことなど、大きなトラブルとは思われないかもしれないが、当人にとっては、先の見えない恐怖であるし、女と言うものは、とっても厳しいものである。(女に限ったことではないが)

目立ったり、いい思いをしている人に対して、穏やかな気持ちで受け入れることが出来る人は少ないのだから、そう言う人の感覚を知らないままで社会に入ったら、いつでも人間関係で苦労して生きづらくなってしまうのだと話した。

母親は、戦闘的な険しさを表情にたたえながら、悔しそうにうなずいていた。

既によそのお母様たちに連絡を取って、娘さんの状況を話していると言う。

よその母親達の名前がわからないので、○○チャンのお母さんという呼び方で、一人一人を信頼できるかどうか親の立場から子供達の親に相談を持ちかけることで、娘さんにとって不利にならないか等も占いにかけた。

それぞれの親の性格や気持ちが占いに良く出ていると感心して頂いたが、

「女の根性の小ささは、充分わかっています。やっぱり女は怖いですね。自分の事だったら耐えられるんです。自分も学生の頃生意気だって言っていじめられたり無視されましたから。でも自分の子供がそうされるのはほんとに耐えられないですね。子供の為ならば私はどんなことでもして子供を守ります。子供にも無理をしないでいいよって言ってあります」《転校をさせるという気持ちの意味》

親心の必死な眼差しと気持ちを、よその親には見せることは出来ないものだが、こうやって相談される度に親心の必死さを目の当たりにし、親の本音は誰もが同じなのだと思う。(結果:本人の努力があっても、3ヶ月ほど陰湿な対応は続いたがその後無視される事は解決したようだ)

もう一人の母親で、とても上品な言葉遣いをなさる裕福な家庭の奥さんがいらっしゃった。

娘さんが勉強をせずに学校の授業についていけなくなったという。

さらに、子供の性格はしたたかで金遣いも荒く派手好きで、平気で嘘も尽くし人を陥れる子供だと言う。

小学校の頃から名門のエスカレーター式の学校に入れたがこのままでは進級も無理なので外国の学校に行かせることを占ったが、この方の澄んできれいな瞳が充血しあふれるばかりに涙が溜まっていった。

子供の将来を心配している親心や、思い通りにならない事の多さに、なんとも言えない悲しみを覚えた。

メロンが大好きな、わたしの友人がいた。

癌で亡くなる寸前に、お見舞いで貰ったメロンを友人は病室で子供に食べさせていた。

メロンを食べる息子を観ながら友人の瞳は嬉しそうだった。

自分は食べずに、子供が食べるのが嬉しい親だったのだ。

その翌日友人は子供を置いて逝ってしまったが、子供のために死ねないと言っていたために、医者がいう寿命よりも半年も余分に生きた。

私の母も若くして癌で亡くなったが、自分の事より子供《私》のことが心配だといいながら逝ってしまった。

この世に未練があると成仏できないというが、母は成仏するよりも娘の幸福のほうが大切だといって、死んでも天国には行かないで私のそばに居ると言っていた。

その言葉どおり、母は死んだあとも何ども幽霊になって姿を現した。

そして色々なアドバイスをしてくれた。

私の交際する男性が母の好みにあわないと別れなさいと怒りに来た。

母は神様ではないから親の感情的な意見だと思い言うことを聞かずにいると、しつこく登場してきて、「何度言ったらわかるのか!」とうるさく反対した。

眠っている時には、今日は雨が降るから傘を持っていきなさいと夢に出てきて言う。

母の夢知らせはきめ細かく日常生活にわたるほど頻繁だったし、よく当たっていた。

親子の縁はどんな縁で結びつくのか、まったくの他人であったものが自分のお腹から生まれてきたというだけで大切に思えるのだろうか・・・。

憎しみあう他人同士も親子の縁で結ばれれば、愛情が芽生えるのかもしれない。少なくとも若干の寛大さをもてるのではないだろうか・・・。

もちろん、肉親の憎しみもあるが肉親は無意識に身内を抑圧してしまう事はあっても、あえて子供の不幸は願わないのではないだろうか・・・。

私は自分の父親と、30年間絶縁状態だった。

気ままな父で、妻子を捨てて家を出て行った。

父のお葬式が30年ぶりの再会だった。

父が親しくしていた女性から父が私について語っていたことを色々と聞かせてもらえた。

「娘は自分を嫌がっているから姿を見られないように変装して娘が働いている占いの店に行ってみたい」と私が原宿で占い師になっているという話を聞いたときに、そう言って

父のガールフレンドと二人で占いに来たがっていたと言う。

「娘は親に似ず根性がある。何かやると子供の時から意外な力をみせる娘だった、占いをするなら感心する占いをするだろう。死ぬまでに一度占ってもらいに行きたい」と言って、何度も原宿まで行きたがっていたと聞き、私を過大評価している父の台詞に親心を感じ、長年の父へのわだかまりが、もうどうでもいい気持ちになり涙が止まらなかった。

自己中な父であり筆舌に尽くしがたい悲しさを私に与えてくれたが、私の幸福を喜び、過大に評価していたのはやはり肉親ならではのものだと思う。

人生や人の心が不本意な事を「そんなもの」だと思えればあきらめもつきやすい。

自分の人生も自分の親も、もっと良いものであるべきだと思うから満たされない不幸な気持ちになるのだろう。

(努力を放棄した考えではない。最善の努力の上で出てくる結果は自然な事だと言いたい)

子供のことで苦労する人

親のことで苦労する人

不甲斐ない子供がいるように、不甲斐ない親がいる

弱い子供がいるように、弱い親がいる

だめな親を持ったら、だめな子供を持ったと思えばいいかもしれない

だめな子供を持ったら、人間は、だめな物なんだって気づけばいい

だって、親とか子供という枠をとって考えれば、すべての人間は誰もが皆欠点だらけなのだから・・・・。

望みどおりの親とか子供は、宝くじに当たる程度の確率かもしれない・・・











2003年11月2日


老人の孤独の深い闇



昨日は、90歳のおばあちゃまが、お孫さんと一緒に来てくださいました。
若者の町 原宿まで、杖をついてきてくださって感激です。

待合の椅子で順番を待っているときから、ニコニコとなさって、まるで暖かな母親を思わせるような、なつかしい笑顔の方でした。

私の占いを頼って、おばあちゃまの運勢をよくしようと、歩きづらいほど混み合った竹下通りを歩いてきたというのです。

ご苦労の人生だったのか、実際の年齢以上にお年を取っているように見えました。

お子さんが4人いるそうですが、各子供の家をたらいまわしされて、一週間も同じ家にいることが出来ないこと、誰も家の人達と会話がないこと、
夕飯だけは貰えるが、それも一人でたべること、
自分の存在が迷惑な事がわかるので、老人ホームに入りたいといって市役所に相談に行ったが、相手にされなかったといって、涙をこぼし,鼻をすすったり、鼻をかみながら、一生懸命に語っていらっしゃいました。

今後の運勢を占ってみますと、穏やかに老人ホームで暮らせること、希望すれば娘さんの家に住む事もできること、生涯寝込まずに
朝おきる時間だと思ったら死んでいるほどの大往生をすること、だから心配しないで大丈夫だと申しました。
老人に死の話など、デリカシーのない事と思う人もいますが、このおばあちゃまは
寝込まずに死ぬ日まで元気にいられることを、いつも祈っているそうで、それは良かったといって、また涙を流されました。

でも、おばあちゃまの心の中は、ものすごい寂しさで、大海を一人でボートを漕いで渡らないといけないほどの、底冷えのする不安と孤独感で生きていると出ていました。
そう言いますとご本人もお孫さんも、大きくうなづいて泣き崩れてしまいました。

「本当に、自分はさびしい、自分は子供を4人産んだけれど、人生は死ぬまでさびしいもんですね。之も自分の生き方の責任と思って、受け止める気持ちでいます」

年を取れば、生き抜く力もなくなるので、不安は当然です。
老いの苦しさは、人生の学びとして乗り越えるべき最後の試練なのではないかと感じました。
体が思い通りにならない上に、家族から疎まれて、自分の存在を否定されるむなしさを、いつか自分も体験しなくてはいけないことの、怖さと緊張感は、大変なことです。

老年期の痛みを少なくするには、健康づくりと心の持ち方に、若い時から、かなりの根性を持って油断せずに生きる必要を感じます。

孤独感は、若くても子供でも誰もが持っているものですが、自力で生きる力のなくなった老人の孤独感ほど、深い孤独はないのかもしれません。
戦う事も、逃げる事もできない、ただ耐え忍ぶだけしか出来ない体になるのですから。

私は自分の恩師のお見舞いに行ったのですが、そこは老人病棟でした。
私が、お見舞いに行くたびに、向かい側のベッドにいる老婦人が、私をみて毎回
泣くのです。お見舞いに来てもらえる人をうらやましく思っているのです。
看護婦さんがやってきて、「寂しいんだよね。」といって手を握ってあげていました。
この老婦人には、誰もお見舞いに来ないのです。
気の毒に思って、翌週のお見舞いの時には、この方にも小さな花束を差し上げました。
すると、いつもよりも、長い時間しゃくりあげて泣かれました。
かえって、惨めな気持ちにさせてしまった気がして、申し訳ないと思いました。
もし私が同じ立場だったら、愛の情けを受ける自分の惨めさにやっぱり、悲しくなると思ったのです。

動くことの出来なくなった体で、死を待ちながら生きている老人の希望のなさを
知り、体が動けること、自分の人生を自力で歩めることが、どんなに輝かしく
魅力的なことなのかと、感じました。

神様から希望を一つかなえてあげると言われたら、きっと元気な体を持って
自力で生きることができるようにとお願いするのが、動けなくなった老人の希望ではないでしょうか。

誰もが老人になるのに、そのときが来るまで、
その孤独の苦しさ、何も出来なくなる自分自身のジレンマを、元気な時に気づかないで安穏として生きている人々は多いです。
もう少し、老人の「孤独のふかい闇」を理解していくべきだと思いました。

来週は、「親の愛のせつなさ」というテーマで、お客様の相談内容を書く予定です。


余談
先週の私の易日記に下着売りの話を書きましたが、想像するだけでも吐き気がして耐え難いと言うメールを頂きました。
さらに、私のリピーターのお客様からは、品のある占い師でいて欲しいから、お客様と鑑定内容を毅然とした根性を持って選別して欲しいというご意見まで頂きました。

わたしは、占いにかかわったおかげで、本来ならば、私にとって一生出会うことも無かっただろうと思う方と、心をわった会話をすることができております。

暴力団の男性ともはなしました、中学生の頃に、放火や殺人未遂でつかまった事もあった人です。
「もう今は悪い人間じゃなくなったの?」と質問をしましたら、‘こくん‘とうなづいていましたが、暴力団に入っているそうです。
オウムの麻原と同じ新潟の刑務所に今まで入って居たという、麻薬の密輸で捕まったというお客様もリピータさんで来ています。
殺人を犯した親を持っているお嬢さんも居ます。
お上品で美人のお嬢さんなのですが、親の罪の後ろめたさに結婚できないとおっしゃっていました。
日本の歴史上の有名人のお孫さんに当たる方もみえます。

もしわたしが、占い師にならずにいたら、こういった人たちが、自分とは別世界の人だという観念をもったまま生きていったと思うのです。
つまり偏見を持ったままの自分だったろうと思うのです。


でも、今はなんというか、そういった人たちの心を知ったり、親密な会話をする
ことによって、人の人格のどうにもならない感覚というものが、植物の種のよう
にあるのを感じるのです。
そういった人たちを、特別視したり偏見を持つのは、自分にとって、ものを見る判断が
固定されてしまうのを感じるのです。


また、どんな人でも、お話をしていますと、その人の持っている人間性の良さが見えてくるのです。

そのときに、そうやってしか生きることができない事も、その人にとっては、そのときに与えられている季節のようなもので、さけることのできないどうしようもない業のようなものに押さえ込まれているのを感じます。

また悪いことをして前科を貰った人も、心に罪悪感をもっているのを見ますと、誰の心にも善の心が潜んでいるのを感じるのです。

自分は、立派だとか、正しい人間だと思っている人が、罪悪感無く、卑怯なことや意地悪なことを平気でしていている人もいます。

つまり善人も罪はあると言うことです。

相手を傷つけることや犯罪などは勿論反対ですが、ある程度の事ならば、私には出来ないことでも、そうやってしか、生きることの出来ない人がいる事を受け止めて観るべきなのではないか、そこからお互いに、あるべき方向性を見つけることが出来れば、それが人にとっての生きる意味なのではないかと思うのです。
人や物事を、自分の固定観念に縛られずに、出来る限り中立の立場で観ていきたいとおもうのです。






2003年10月26日


女が優越感を持てるわけ


今日は一つ気張って、珍しいご商売について書きます。
それは女性下着を売る仕事です。この方は、もうこの仕事をおやめになったので書くことにしました。
このお客様は、歩いているとスカウトされるような、すっごい美人です。
さらに、この商売の下着はきれいな下着ではなくて、汚れたままの下着なのです。
携帯電話に買いの注文が入ると、待ち合わせの場所を決めて品物を持参するのですが
遠くでどんな人が売りに来ているのか眺めるだけというお客様が多く、時間と交通費が損になることが多いようです。
そこで、前もって、注文を入れたお客様がほんとに買いに来るのかどうか占いに相談にかけるのです。
占いで本当に買いにくると出たときだけ、約束の場所に出かけるように決めてから、いまのところ100%無駄な労力にならずに済んでいるので、占いに払う金額のほうが、経費と時間の節約になっているとおっしゃっていただいております。
よく売れるので在庫が不足し、汚れた下着を手に入れるにはどうしたらよいのかと相談されたのです。私の家族のでも、私の下着でも、一枚につき千円で買い取りますから協力して欲しいと言われ、一枚100円で買ってきた沢山のパンツを袋から出して、今すぐ、これとはきかえて欲しいと、積極的な交渉に入りました。
「自分で勝手にパッパッとはいて脱いでってすれば、いくらでも出来るじゃないですか?」
私は、パンツを脱いだりはいたりするしぐさを2度ほど繰り返しながら言いました。
「それでは汚れがつかないのでだめなんです。一日はいたものじゃないと売れないのです」
「私のでも大丈夫なの?・・・・・・・・・」
「もちろんですっ!だって顔はわかりませんから!誰がはいたのでもいいのです。汚れて匂いさえつけば。一枚100円のパンツでいいのです。こんなパンツが、一枚2千円で売れるのですが、一枚につき先生からは千円で仕入れますので、お願いしますっ!いつも新しい下着をつけられて、洗濯の心配も無いのですよ」
「パンツの匂いって、さらに香水をつけるの?」
「汚れたパンツがいい匂いがしたら、にせものですから当然そんなパンツは売れません。匂いは酷い方が理想です。」
「汚れ物が高額で買ってもらえるなんてすごいわね!」わたしの目がどんどんと輝いていくのを感じました。

こうやって誰がはいたのかわからないたくさんの下着を、ブルセラショップのようなお店で買い求める人が、その下着をはいたのが、おじさんとかばあさんである可能性があることを知らずに喜んでいることもわかりました。
そもそも、世の品物は騙したものが多いわけですから、パンツだって当然ということです。
やせ薬だって、効果ないですしね。

だましの多い人間界ですから、おじさんやおばあさんがはいた下着を、可愛い女の子の下着だと思って喜んでいる人が居ても、当然な世の中でしょうし、こんな騙しも、人の幸福に役立っていたのです。

女の子の居る家庭では、父親のパンツを同じ洗濯機の中に入れて洗うことすら、激しく嫌悪される位ですし、父親のパンツは洗ってあっても触りたくないと思われています。
このように男性のパンツと言うものは、一般的にも嫌われる存在なのです。

それが女の子のパンツに限っては、下着泥棒までいるし、さらに汚いほうが理想だとは、男性の気質って、寛大すぎるのか、異常なのか・・・、之だから女は、女だというだけで、年を取ってもブスでも優越感を持って生きていられるのだと、納得できました。

女性の特徴は、80過ぎても、自分の年齢や器量の問題すらも、優越感をもてる妨害にはなりません、とにかく女であれば、自信をもててしまうのです。(もちろん100%の女性が、そうだとはいえませんが、こんな女性が多いのは、「空が青い」と同じ程度の確率で存在するといえます。)
皆さんの知っている女性達を見てください、年齢・器量・知性などに制約されずに、実におおらかに、ほとんどの女性が自信を持っているでしょ?
女性の平均寿命のほうが長いのも、こんな楽天性が原因にもなっているのかもしれないですよね。

え?私の下着を売ったのか知りたいですって!?そんなこと、わかりますでしょ!
売って欲しい等といわれ、スッゴイ感激しました。この私がこの年齢でね。良い土産話ができたなって思いましたし、いい話の種もできて、こうしてHPにも書けました。

お店の占い師さん40〜80歳前後の女性達に、売りたかったら一枚千円で、買ってもらえますと声をかけましたが、声をかけて誘う私の人格を疑う!と、危険人物の烙印を押されてしまいました。^^;
「あなたは、やっぱりおかしい!寝起きのままで口紅もつけずにテレビに出るところだったし、今はいているうちらのパンツまで売れなど、石井さんらしいわ」と、口角泡を飛ばしながら言う人、笑う人、遠ざかる人さまざまでした。

ここで働く皆さんは、占い師という職業柄おしゃれで年を取っても、女性らしさを維持なさっています。
時々変態のお客様が鑑定に来て、下半身を出すようなのが居るそうです。《男性客だけです。女性で下半身を出す人が居ないのも不思議ですね。同じ人間なのに、変なことをするのって、何で男性だけなんでしょうね?》

占い師さんたちは、男性の下半身を見せられると、60過ぎても「ぎょっ!」となるそうで、不気味だというのです。
仕事中であってもかまわないので、やっつけてあげるから私を呼ぶようにと言っておきました。
この私が、二度と使い物にならないようにしてあげると宣言した手前、キックボクシングを習いながら、ハサミを用意して待っていたのに、その後ぱったりと、変態さんは来なくなってしまったそうです。
この変態さんは、感がいいのかもしれない。
あるいは、やることの運勢を当たる占い師を見つけて占っているのかもしれません。

変態さんで、このHPを読んでくださっている人がいるかもしれませんので、その方のためにも申し上げたいのですが、男の人って何で自分のモノに興味とか愛着が強い人が多いのでしょうね。
男性の思考は、男性にしか通用しないのです。女に見せても、バカにされるだけで、ますますもてなくなり女性との縁は遠のくだけです。
人の嗜好のさまざま、人の質のさまざまを、占いの仕事をしていますと、ますます感じます。
でも、下着を洗わないで良いのは、人類共通の便利さでしょうね。
まともな人は、私のような考えすらしないと言われましたが、皆さんは「まとも」ですか?^^







2003年10月19日



人間って自己中なものなのね!?


私の易日記に、感想を送って下さった皆さま、あたたかな応援をありがとうございます。
感想を頂きとっても嬉しかったのですが、実は今週は易日記をサボるつもりでいたので、励まされて、サボりづらくなってしまいました。^^;
でも、今週も楽しみにしていますと書いていただきまして、
なえた私の根性が、手を引っぱっていただいているようで、明るい気持ちになり、がんばって
今週も書くことにしました。

之で、4週連続で書くことになります。(パチパチパチ)自己満足の拍手です。
軟弱な根性のわたしが、ここまで頑張るのは、すごいな、すごいなって、自分でも感心しております。今日は我が家の階段に溜まった一週間分のほこりを、ほうきで掃きながら、「すごいね、こんなに頑張っている私!」と心に囁きまして、気持ちの良い秋晴れをうきうきと実感中です。
人は自己目標が高いほど、悩みも深いのですが、私の自己目標って露骨に低そうですよね?
こんなたわいないことをしている自分を感心して誉めているのは、世の中私くらいかと思っていたのですが、たくさんの人と話して判ったのは、多くの人たちも、布団を干して居る自分を、すごいなってほめる気持ちになるし、掃除機をかけても、今日の自分は立派に生きたって思うといわれて、私の自己目標は、平均的だったと安心したのです。^^
「まともな人間とかかわっていない証拠だ」などと、夫が文句を飛ばします。
で、今週の日記を休むつもりでいたくらいですから、前回以上に自分本位な想いを書きますが、ゆるしてください。
今回いただいた励まし&感想メールの一部をちょっとコピーさせていただきます。人の文章を利用して今回の日記に代えることができそうで、感謝しています。《深謝百拝》
人は誰かの愛なしでは、生きて行けないのでしょうね。
愛されていても、それを感じることができない人、
また「もっともっと」と満足できない人も悲しいですね。
愛し方を知らない人もね。
自分を愛せない人が多いですよね。
どうしたら愛せるようになるのか?悩みます。
カウンセリングとは、結局自分を愛せるようになるのを二人で探していく作業かもしれません。

私の易日記に、愛があれば、人は幸福だと書いた私でしたが、愛が与えられていても
「もっともっと」といって、不満な気持ちで居る人達の存在を忘れていました。
この感想を書いてくださった方は、カウンセリングをなさる人で、私が聞いたら、ひきつって倒れてしまうような、耐え難い相談でも親身になって聞いて上げる人なのです。
自己中な、思いやりのない人を愛さなければいけないと思うほど、この方は優しいのだと思うのですが、私ならば、自己中な人を愛したって、感謝しないで増長するだけだからやめたほうがいいと言ってしまいます。
人は誰もが愛されたいし、愛する人が欲しいのに、愛される方法を知らない人が
多いように思えます。
愛されていても、その愛の不足を怒ってしまう人もいますよね・・・・・・。
こちらだって愛されたいのに、向こうは自分の愛は出せないくせに、こちらの愛を納得してくれないどころか、感謝の態度も出さず、足りないと思って文句を言うのを日常茶飯に見ますが、そんな人に愛を与えても、猫に小判、焼け石に水ですよね。
お客様のお母様についての相談をききながら、この社会には平和に暮らしている人が多く居るように見えながら、現実は、心の闇を抱えている方がたくさんいるのが、この世の状況なんだと思いました。
76歳になる母親が、一年以上も入院しているのですが、いつまで生きているのか占って欲しいと言うのです。
お客様の表情は、暗くとてもいらいらとしていまして、親の病気を心配しているのではなくて、親を迷惑に感じているのがわかりました。
小学生の子供を二人抱えながら、一週間に4日間も往復2時間の電車で病院にお見舞いに行っているのですって。
週に4日も行くなんて、それだけで自分のことはほとんどできなくて大変ですよね。と言いますと、「本当に苦しくて辛い・・・」と涙をこらえていました。
週に4日行っても、お母様は来るのが足りないと文句を言うそうです。
行くには交通費も大変だし、ご主人の実家にも行かないといけないので
そう弁解すると、「自分の親が病気だったら毎日だって来るのが常識だ。情のない娘で、今まで苦労して育てたって、こんなもんで、私は不幸だ」と、文句ばかりを行くたびに言われるのです。
週に一度だって来てもらえたら、「忙しいのに悪いねー」って思うような人だったら
行くほうの気持ちも、親を思いやって、来て上げたいという気持ちになれるのだと思うのです。
それを、週に4日も来てもらいながら、毎日来ないなんて情がない、ひどい娘だと言われたら
長生きしてもらいたいと思ってもらえないのは、当然だと思います。
占いの答えにはまだまだ長生きしますと出てしまいまして、こう答える自分が申し訳ない気持ちになりました。
お客様の顔は、苦渋に満ち、深いため息をつきました。
他者を思いやることができなくて、自分の欲求だけを望み、さらにそれでも足りないと言う人が、愛されるわけがないのに、そういう人は、自分を客観視できないで、「もっともっと」愛してもらえないことを恨むのです。
もう一人のお客様で、東京に住んでいるのですが、ある地方にいるご主人のお母様が
老人ホームに入っているのです。
毎週一回新幹線で会いに行っているのですが、子供の教育費がかかり生活がきつくて交通費が大変辛いが、小姑から、週に一度は来るのが嫁として常識だと言われるそうです。
こんな問題を嫁としてどう解決したらよいかと相談されました。
思いやりのない、一方的な勝手に作った相手の常識に振り回されながら、嫁として犠牲になるか
嫌われても自分のやりたいようにするかしかないのかもしれません。
自己中の人についての例題は、余るほどいっぱいありますので、もう二つ書きます。
舅さんが、病気になったので、毎週日曜日にお昼と夕飯を作りに行っていたお客様もいましたが、仕事を抱えているので、土曜日に夜遅く帰宅するために、日曜日が朝早く起きるのが辛かったそうです。
2時間ほどかけて、舅さんの家に着くのは午前11時くらいで、お昼ご飯を用意したそうですが、「来る時間が遅すぎる」といわれ
「もっと早くくるのは、何のためですか?」と質問をしましたら
「病気の老人に向かって,何のために早く来るのか!と聞くとは
恐ろしい嫁だ。情けない」とあきれられたそうです。
仕事をしているのに、来てもらって悪いなと言われれば、尽くしてあげなくてはいけないと思いますが、頑張って来ているのに、来るのが遅すぎるなんて思うようでは
本当に相手のことを考えることができないお舅さんですね。
子供にかかる費用を工面しながら、お世話しに行く交通費や食費代を捻出している相手側の苦労を理解できたら、申し訳ないと思って恐縮する気持ちになるのが普通だと思うのですが、よい大人が自分の立場しか考え付かない人が多いので不思議です。
愛することのできない人も、愛されない人も、相手のことを考える想像力が弱いのでしょうね。
もう一人のお客様で、ある名門の大学院の先生が離婚の相談に見えましたが、寡黙な話し方で、何で離婚するのか理由を聞きましても、理由をぱきぱきと説明なさらないので、離婚理由がいまいち理解できませんでした。学者らしく世間の波に当たっていないような、おっとりとした方ですので、自分の内情をぺらぺら話すのは苦手なようです。
ところが占いに出た答えを見て、わたしは、奥さんの愛情の無さと自己中な気質を知って、こんな人と一緒に暮らせるわけが無いと申しました。
どんなことをしてあげても必ず文句を言う奥さんですし、お姑さんが用意してくれた誕生日のプレゼントすら、ありがとうではなくてプレゼントをそのままお姑さんの家に置いて帰り、不満をきちんと相手に示すことのできる嫁さんです。
家の中では、年中ヒステリックに叫び、夫が台所を片付けるのも、欠点を攻撃するばかりで、感謝の言葉もないのです。
毎日文句ばかり言われながら、男性がはらはらと暮らしてきた様子が出ていました。こう言いますと、そのお客様は、「僕が言うよりも占いの答えのほうが、きちんと説明していますね」とおっしゃって、そのとおりの奥さんだったと、静かにおっしゃっていました。
ちなみにこの方の離婚の運勢は、自分の不利な状況をはっきりと示せない人なので、かなり不利な結果になると出ていましたが、この方は、それを、どこをどう説明してよいか判らない対応でしたので、占いに出た奥さんの自己中ぶりを、はっきりと示すように申しました。
之が一生続いたら冗談じゃないですよね。サドとマゾの二人ならば,相性もあうでしょうけど、家庭と言うところは、一番人にとって安らげる場所であるべきなのです。
人にとって一番やすめる場所で、文句を言われつづけながら生活をすることや、厳しい態度をとる人が家庭に居れば、その家の住人にとって、とても苦痛で不幸だと思います。
人は自分の持っている信念通りにしてもらえないと、相手が間違っていると思うようですし、さらに相手に対しての愛のなさを批判してくるのです。
そもそも相手の愛のなさを批判する人は、愛されるわけがないのです。
こ、これって私の事でもあったりして・・・・・・・・・・・・。
来週は「女は優越感になりやすい?!」というテーマを書く予定です。かなりきわどいお話ですので見てくださいね。




2003年10月13日

運命や運勢って決まっているの!?

占いで、将来の自分の状況を、知りたがる人は多い。

27歳になるスポーツマンタイプの男性のお客様が、入ってくるなりこう言いました。

『僕は占いを今までやってもらったことはないですし、占いを信じてもいないのですが、友達から騙されたと思って、あなたの占いに行ってくるようにと勧められたのです。

今日僕が占いを当たるものだと思えたら、友達におごってやる約束をしてきました。

僕は特別悩みもないので、将来自分は金持ちになっているか?子供を何人もつか?家は買えるか?どんな人と、いつ結婚するか?いくつで死ぬか?それを見てください』

『あら、それを占ったとしても、当たったかどうか、いつわかるのでしょうね?

占いが当たると信じられたら、友達にご馳走する約束をしたから、こんな質問をするの?

おごりたくないから、あえてそんな質問をするのかって疑ってしまうわ』

『え?おごりたくないからじゃなくて、占いで聞きたいと思うことがないから、それなら、僕の将来を知りたいと思ったのです』男性の顔色が、(やっぱり当てられないのだと)勝ち誇ったような、満足げな笑みを浮かべていました。

「あなたの質問を占ったら、その答えが当たっているかどうかは、全部の正解を知るとなれば、寿命にいたっては、正解は死ぬまでわからないじゃないですか?子供の数だって、2人って、占いで言われたら、あえて、占いをはずす事ができるって思いますよ。

本当に当たるかどうかを調べに来たのならば、あなたが今何を考えているのか占ってあげますけど、どうですか?」

「え?そんなことができるのでしたら、どうぞっ。」占いを信じていないらしく、ニヤニヤと笑って言った。

占いを信じないお客様は男性客に多いのですが、彼女に無理やり連れてこられて、ニヤニヤしながら、見学と遊びのつもりで来る男性がいます。

この男性の心の中は、別れたばかりの女の子のことを、考えていることがでてきました。

別れる寸前まで、仲良くうまくいっていたのに、突然別れを宣告されてその理由を理解でいないでいること、なぜ彼女が別れを決めたのか、またどういう話で盛り上がっていたのかなど、占いの答えに出たままを言いますと、彼の表情は

まじめな顔になっていきました。

『当たっているはずよ!』と、私が言いますと、『・・・ハイ』と短い返事でした。

之の後、このお客様は、自分の仕事の運勢など、いろいろと質問を出してくるようになりましたが、彼が、友達におごるかどうかは、空想におまかせしておきます。

で、今日思ったのは、人は未来が幸福だと判れば、安心できるということです。

しかし、人生を安心してしまったら、油断するのが人間の弱さです。

未来が良いと太鼓判を押されるよりも、未来が危ないと警戒信号を発せられるほうが

受ける側にとっての緊張感はあるが、「なにくそ!」と根性がでてくるものです。

根性と努力で、運勢はいくらでも発展していくべきなのです。

運勢が、決まっているなんて、決まったとおりの運勢しか歩めないなんて、

あまりも軟弱な生き方だと思います。

未来が決まっていたら、努力も意味がないではないですか?

運命どおりになるならば、何の努力も要らないのですから、やる気がなくなりそうです。

ちょっと古い映画になりますが「バック トウー ザ フューチャー」を観て、人の運勢をうまくあらわしていると思ったのです。

現在の運の悪さを嘆く主人公(マイケル J.フォックス)が、タイムマシンに乗って過去の人生を修復してくる内容です。

過去の一部が修復されることによって、未来の自分の運勢も変化していくのです。

もちろん、映画は作り話ですが、運勢というものは、小さな出来事の何を選択するかで

刻々と、変化していくものなのです。

健康で長生きできる運勢を持っているからといって、安心して不健康な生活を送り、食べ物も添加物の多い物や、カップラーメンばかりなら健康にはならないのと同じです。

占いを勉強する前の私は、自分の未来の状況を知りたいと思っていました。

多勢の人を鑑定し、人の運に関して判ったことは、運勢はその性格が作ること、性格と運勢は相互作用していること、しかし、努力と選択の仕方で、状況は変化できるということでした。

人は、決まった運の道を生きているのではなくて、運を選ぶことができるし、

実力も、努力によって鍛えられ育つのです。

「その人がどのくらいの努力ができるのかは、性格で決まっているので、運勢も運命も変えることはできない」という占い師もいますが、わたしは、自分自身の持って生まれた性格を、しっかりと見つめる根性さえあれば、

自分の運勢を、良く変えて行くことができるし、それが、人間としての本当の生きる意味だと思うのです。

そういう意味では、今日のお客様が最初におっしゃった質問を全部当てることは出来ないのです。

未来を絶対にこうなると断言するのは、人の努力と選択を無視したことだからです。

占いは、未来を断言するのではなくて、未来をよりよくするために、しっかりとした判断力を持つこと事が出来るように、運勢をよい方向に導くためにあるべきだと思うのです。


人は持って生まれた運命とか運勢に流されやすいところがありますが、人が本当に生きるとは、自分の力を充実させて、自己のエネルギーを発散できる生き方をすることが、本当の幸福につながる生き方だと思うのです。

悪い運勢が絶対的なものならば、努力の意味がないじゃないですか?

しかし、未来の運勢が当たってしまう人が、いるのも事実です。

運勢と性格は、相互作用していますから、自分の性格が、不器用で物事全般に対して判断の弱い人であるならば、その人の未来も運勢も占いどおりになるでしょう。

私の先生は、『占いで悪い運勢を当ててはいけない。悪い運勢を当ててどうするのですか?

悪く出ていたら、それを避けることを出来ることが、本当の占いの使い方です』

と、おっしゃっています。

お客様の中には、よその占いで「奇形児が生まれる。離婚する。夫が浮気をして、あなたは神経をやられる。でも印鑑を買えば、それを消すことができる」といわれたと言って、本当に自分の運勢はそうなるのでしょうかと、意気消沈の暗い表情で,質問なさる方もいらっしゃいました。

中国の占いメッカでは,占いで運勢を悪く言った後に、月に三千円で、そうならないように祈祷してくれるという所もあるそうで、そ子で、不吉な予言を言われ不安になって、わざわざ、飛行機に乗って九州から、東京の私のいるところまで相談に来たという方もいました。

人生には、気をつけていても、避けられないと思えるような不幸に見舞われる人もありますが、平均的な人間の運勢としてみれば、季節のように、人生にも必ず巡ってくる春がある筈です。

人生の季節が循環せずに、長い冬の期間をもち続けている方が、いらっしゃるのもわかります。

そういう方には、巡り来る春を期待させる言葉なんて、人生の本当の苦しさを知らない者が言っていると思うでしょうね。

自分の努力が影響しない部分で、不幸に押さえこまれている人もいますし、死ぬよりも悲しい思いを味わっている人もいます。

自分だけの生き方がよければ人生がうまく行く人は、幸運な人だと思います。

でも、抗うことのできない不幸な状況を、どんな形でも乗り越えられたら、その人は、人間性も鍛えられて、すばらしい感性を持った人になれると思います。

本当の財産は消えることのない自分の魂の存在だとも思えるのです。

苦労しながらすばらしい魂になるよりも、楽な人生で、汚れた魂のほうが、気持ちは幸福ですから、鍛えられたくない私ですが。

あらゆる、苦難に負けないで、苦しさをもエネルギーとして利用していけるように頑張っていければ、それだけで人生の成功者と言えるとおもいます。









2003年10月5日

「愛されていないと、生きる力が出てこない!心が病むほど苦しい孤独感」

悩みや雑念にとらわれる時に、自分だけのとらわれだと思って、かっこよくない自分を情けなく思うのですが、時々、本やテレビ、人の会話などから、私と同じ考えをみつけますと、

『あぁ!みなも私と同じことを考えているんだ・・』とホット安堵した気持ちになります。

皆さんも、そんな経験 少しはありますか?

占いのお客様は、心を裸にして本音で話をしてくださるので、親近感が沸いてきて、友達や、家族の様なつながりを感じます。

そういう本音を聞きながら、私は、「人の孤独感というものは、人類共通の物なんだっ!」と、おもうのです。

孤独の寂しさって、よい家族がいても、ぬぐえない寂しさがありますし、

恋人がいても、安心できない不安感があるのです。

今満たされていたとしても、その安心感や幸福感が、いつまでも続く保証って、ないですね!

お客様の、孤独病を患っている症状を、年中聞きながら、人が、おなかがすくように、愛の飢えも、体に備わっている本能と同じで、避けることのできない物だと思いました。

もちろん、今まで、孤独感もない、元気満々の自信にあふれた人もいらっしゃるでしょうが、体が風邪を引くように、心が風邪を引いたりつまずいたりする時は、誰にでもあるのです。

50歳を少し過ぎた独身女性が、あふれる涙を流れるままにしていました。

「会社にいる25歳も若い男性の事が好きで、苦しいのです。でもあちらは、若い女子社員と嬉しそうに話しているのです。それを見ると悔しくなって、『ふん!』という態度を、彼に対してとってしまいます。あきらめなくてはいけないと思うのですが、好きになってもらえないのが悲しくてたまらないのです。」

「親も年をとってきて、このままでは自分は身よりもなくなって、孤独になってしまうから本当に信頼のできる好きな人と結婚したいのです」

そういわれて、結婚の運勢を占うことを希望しました。

年相応の男性は、汚らしくて、おじさんに見えるので嫌だ、と断言なさっていました。

若い男性がきれいで魅力を感じるそうです。

こういう相談相手を、特殊な人と思われるかもしれませんが、若い男性に恋焦がれる中年女性の相談は、とても多いのです。

確かに、若い人は、男性でも肌もきれいですし、瞳もイキイキしていますね。

若い人の話し方は、愛嬌もありますし、かわいいですからね。

また若い人は、明るさや希望にあふれた表情をしています。

男女に限らず、若いときは、心の内面に潜む光のようなエネルギーが、満ち溢れています。

そういったことも、若い人に魅力を覚える理由かもしれませんが、年をとるということは

本当に、可能性がどんどんと消えていくので、肉体的にも心理的にも、かなりきつい事だと、今まさに、この私も経験しながら実感中であります。

(ちなみに私はロマンスグレーの人が好きです・・・どうでもいい話題で、すいません)

若いときの恋愛は、年齢の制限もなく、若い人から老いた人まで、多くの人から愛される可能性の一番良い時期ですよね。

でも、年をとれば、好みの相手と相思相愛になる可能性は、かなり低くなってしまいます。

恋愛の可能性だけではなくて、容貌は衰えますし、視力も弱り、耳まで遠くなり

記憶力も弱り、体の動きも重くなります。

老化現象を、突然つきつけられた50歳前後の女性たちは、老化の現実を知って、ほろほろと涙をこぼされます。

ある40代の女性が、結婚相談所で最近お見合いをしたのですが、お見合い相手のお父上に「息子さんはまだ来てないのですか?」と質問をすると、なんと、父上だと思っていた相手が、本人のお見合い相手だったという、コントの題材になりそうな本当の話があります。

「自分はこんな爺さんとしか縁組がないのか!」と、その人は絶望して、自分自身の価値を踏みにじられた気持ちがしたそうです。でも、お見合いの相手は、その女性よりも6歳しか年上ではなかったのです。

年をとってみますと、自分の潜在意識には、自分の華やかな時代の思い出が、心の核にあるように思えます。

だから、ぼけてしまった老人が、自分の名前を結婚前の旧姓を名乗ったり、

自分の息子や娘を、自分の親だと思い込んでいる老人が、増えるのでしょう。

お年寄りが、「今日は生理なのでお風呂には入れません」と顔を赤らめていう人もいるそうで、若い娘さんだった時代に戻っている事を、老人ホームでお世話なさる方からもうかがいました。

自分の老化を嘆く女性や、自分の年齢にふさわしくない年齢層にいだく恋の切なさも、自分の潜在意識が若いままなのですから、異常な気持ちなのではなくて、そうなりやすいものなのでしょう。

自分の老いた顔を、写真で見た女性たちは、必ずこう言います。

「わたしって写真映りがひどいわ!実際以上に年を取って映っているよ。之がほんとの私だったら死ぬよ!」

私の、気持ち悪いほど老いた顔写真を見ながら、友達がこういってくれました。

「静止画像は,ふけて映るものなのよ」

人は、自分が思っている以上に、醜い姿をしているのかもしれないのです。

それと、結婚しないといけないと思って苦しんでいる人を見るのも、辛いものがあります。

「体調不良で仕事を辞めたので、生きていくために、早く結婚してもらわないと」と、

お母様が、娘さんをつれて、占いに来ていました。

結婚相談所に入会して、妥協して結婚を決めたのですが、決めた後から、お母さまが一人で占いに来て「本当に、あれで良かったのかしら?」と、不安で落ち着つかず苦しそうな様子でした。

あのお母様の心配そうな表情と、色白の京人形のような、お嬢さんの真剣な瞳を、思い出すたびに、今どうしているかしらと、苦しい気持ちになります。

幸せに暮らしていて欲しいと思いながら、お客様の結婚や恋愛がうまくいかないと、私自身の事のように思えて、切ない気持ちです。

こうやって、特別好きでもないのに、結婚して行く人もいるわけです。

なんとも、人の生き方は、自分の希望通りになれない事だらけで、人生の物悲しさを覚えます。

じっとりと退廃的な表情の不機嫌な30代の独身男性と、話しました。

「何でそんな冴えない顔をしているの?」と聞きましたら、『恋人いない病です』といわれました。

『ひどい性格の人だって、相性の合った人に出会えて、恋人ができるのに、何で僕にはできないのだろう!』と言うのです。

当たりの柔らかな感じの良い人のほうが、無愛想な人よりも、好かれる確立は上がるわけだから、もっと感じの良い態度をとった方が、愛される可能性が強まると思うのだけど、って答えますと、『こんな自分のことでも、好きになってくれる人だっているのです。だから、僕の性格の問題とはいえないです。僕の好みの人が、僕を好きにならないのが問題なのです』と反論されました。(そうだ!そうだ!と、同感している人がいるでしょうね)

「あのねっ! 僕の好みの人が、僕を好きになってもらえるには、やはり、親しまれやすい自分をだして確率を上げるしかないとおもうのですけどね・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

不満そうな、納得いかない表情をしながら、彼の主張を理解できない私の判断力を、あきらめた様子でしたが、自己愛の甘さは、誰もが持っているものです。

自分を正当化する限り、自分の魅力度の成長は、のびないですね。

誰もが、自己愛はあるのですから、自分が自己愛だらけのままで、あるがままの自分を愛して欲しいなどという欲求は、他人の自己愛を知らないからこそ、そう思えるのかもしれないです。

そういう人は、他人を美化し過ぎているのかもしれないですね。

他人は厳しく、自分も厳しい人間ならば、あるがままの自分でいれば、良い人だとは思って貰えるわけはないのに・・・。

恋愛がうまくできない人の特徴を、多くの恋愛相談を受けながら思うのは、

恋愛不器用な人達は、他人の厳しさを知らないから、自分を魅力的に演出する技を身につける努力をしないで、無防備なままでいるのではないか、人生が甘くない事を知らないから、油断して生きていられる・・・と、言うことです。

ずいぶんきついことを書いておりますが、

恋愛相手がいない苦しさを、私は毎週お客様の涙で見せられながら、愛を得られない苦しさを、これ以上見ていたくない気持ちになっているのです。

そのたびに、そんなあなたのままで気に入らたいって言うのは、甘すぎる。

何回だって選べることのできるレストランの陳列品だって、売れるかどうかは、おいしそうに頑張って演出しているのに、一人だけという恋人選びの基準は、もっと厳しいものなのに、人を楽しませる会話もできない、自分が生き生きと生きることもできない、ただ穏やかに話を聞くだけでは、もっとあなた以外の他の人を探したいと、誰だって思うのは常識だと、辛口なことを言ってしまいます。

自分の感情を隠さず飾らない人は、良い見方をすれば、それだけ裏表がなくて正直な人だと思います。

でも、自分の虚しさを露骨に出しているのは、他者に対する思いやりがないと言えますし、相手の空気を読めない人ですよね。

社会性のある人は、自分の態度を客観視しながら、回りの空気や相手の空気を読みながら、調和をとった対応をしていきます。そういう人は社会的に認められやすく、当然人からも好かれます。

回りの空気を読めない人って、たくさんいますよね。

自分の態度が回りをどういう気持ちにさせているかということが、まったく気がつかない人は、社会性が弱いので、運は強くなれないとも言えます。

人間社会で生きている我々にとって、運のよさを左右するものは、人の評価であり、人からの評価は避けることができないのですから。

人に好かれるか、疎まれるかの大きな差は、自分自身がどう自分を客観的に観察できるかであると、アメリカの心理学者も言っています。

セルフモニタリングが重要だというのです。

つまり自分自身の心や態度を見ることのできる鏡を持った人は、生き方の上手な人だというのです。

大人になっても、自分のマイナス感情を、人に露骨に見せるようでは、賢い生き方ではないですよね。

回りの空気を読めない不器用な人は、少なくとも恋愛上手ではないですね。

結婚している人が、『燃えるような恋をしたい』とか、『恋愛運を占ってください』という人もいます。

離婚して、70歳で、その孤独から自殺をしてしまったお客様もいます。

人は、愛がなければ、力を出して元気に生きることができにくいサガを持っているのですね。

愛は、心のエネルギーになるのですね。

愛されることで、心が安定して元気に生きていくことができるのですから、愛は大切な力なのですね。

生まれた時から、赤ちゃんが親を求めて泣くように、人は永遠に愛を求めるようにできているのですね。














心が病むほど苦しい孤独感

2003年9月28日

占いに来てくださったお客様が、毎日私のHPを見てくださっていると、おっしゃってくださったのです。

更新しているかもしれないと思って、毎日一回は、のぞいてくださっているそうです。

「本当に、ほんとうに、ありがとうございます♪」

「私は、横着者なので、めったに更新しないので、せめて3ヶ月に一度にしてください」と申しましたが、こんな私のHPをのぞきに来てくださる方が、世の中に一人でもいてくださり、とっても嬉しくなってしまいました。

がんばって、更新をもう少し増やさないと申し訳ない気持ちになりました。

面白い話は書けないですが、時々、私の占いの例題を出させていただいたり、占いのお仕事で感じたことで、書けそうな気持ちになったら、そんなことを日記のような気楽な形で、出させていただこうかなって思いました。

『これからは、少し更新をしていく期間を短くしますので、HPを見に来てくださいって

出すぞ〜〜〜〜っ!』と、

翌朝の日曜日の、おそい朝食時に、家族に話しますと、『お母さんは、かけ声ばかりで、続かないから、そんなことは言わないほうがいいよ。絶対に根を上げて止めるから』って子供から注意を受けてしまいました。

こんな風に、子供からも、ずぼらな性格を見破られております私ですので、いつまで続くのか、保障できませんが、

どうぞ、寛大にお受けとめくださいませ。

昨日のお客様は、女の子が、とても印象に残りました。

彼女は、一年前に癌になったそうで、そのときに、『余命一ヶ月』と診断されていたそうです。

ところが、手術をしないで、癌が消えてしまったそうで、お医者さんが、癌の写真と、治った写真を出して、学会で発表したと言うのです。

まだ若い女の子ですが、将来の職業は、行者になりたいと言うのです。

その理由は、余命一ヶ月だった自分を、年老いた行者が祈ってくれて体に気を4時間入れてくれたのですが、その後から病院で検査をしたら、癌が消えてしまっていたというのです。

病院の先生は、ものすごく驚いてしまったそうです。

「そんな凄いことってあるのね!!その行者の名前を教えてください」と私は申しました。

皆さんも、聞きたいですよね!

しかし、その行者さんは、その後すぐに亡くなってしまったというのです。ガックシ!・・

お客様のまじめな物静かな性格からも、嘘を言っているとは思えませんでした。

気功の治療なのだろうと思いますが、その行者さんは、若い娘さんの病を、自分の体に移して、この世の人生を終わらせて逝ったのだろうとおもいました。

彼女は、一度死んだ自分だと思っているので、将来の生き方を大切に考えていることを話してくれました。

生と死のような、大きな境界線を感じる体験をした人は、ものに対しての捕らえ方が

現実的な生き方よりも、精神性の満足を得ることに対して敏感になる方が多いのを感じます。

不思議なことって、あるのですよね。

私の家は、横浜にあるお寺の檀家ですので、お盆になると、そこのご住職様が家に来てくださって先祖供養の祈祷をくださるのですが、そのご住職様が私の手のひらを,ご自分の手で、指同士を組むようになさってから、振動させるように振ったのです。

そのときに、私の腕がパイプのような管になって、内臓から熱いものが、腕を流れて凄い勢いで、手のひらから風のように吹き上げていくのを感じたのです。

その後の、自分の体の軽さと爽快感といったら、驚くほどでした。

ご住職様は、その後体を弱らせてしまったそうで、自力で直してくださいましたが、

体の気を流せることが可能なことは、私の体験からも信じているのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


もう一人のお客様で、地震に対してこの本筮易を使って、予知できるようになりたいと思って、易を使って,地震状況を統計に取っている方が見えました。

易は、統計的に、ある質問に対して出た答えは、こういう結果だったということから、卦の意味を判断していますので、私は地震に関しての統計がないので、地震に関しては教えることができないと申していたのですが、彼は、毎日地震を占いながら、気象庁の発表から、微弱地震までとらえて

易の答えに当てはめているのですが、かなり精密にやっていて感心しました。

微弱のときに出る答えと、まったく微弱地震もないときに出る答えに、共通のものが出てきていることを、私に聞かせてくださいました。

地震を易で前もって予知できるようになれば、凄いことになると思いますが、

そのお客様の、易と地震に関しての勉強熱心振りを見ていますと、彼はいつか、地震を前もって判断できるようになれるだろうと思いました。

期待していますので、がんばって頂きたいです。

彼が当たるようになったら、皆さんにも地震の予知をおつたえしたいと思います。