◎宇野重規著『日本の保守とリベラル』(中公選書)
最初に明確にしておくと、最後に「初出一覧」があり、それによると本書は、序章、第二章、終章を除いて書き下ろしではないらしい。そのため章ごとにややばらつきや重なりがあるようにも感じられるけど、全体的には誰もが、とりわけSNSで政治について語りたがる人は、ぜひ読んでおくべき本だという印象を受けた。
さて宇野氏と言えば、例の学術会議の一件ではずされた六人のうちの一人であったことは記憶に新しい。あの時、「学問の自由の侵害」だとか「三権分立の侵犯」だとか、私めから見ればまったくの的外れにしか思えない批判が飛び交っていたけど(なぜ的外れだと思うかはここでは詳しく述べないが、それらの批判は「学問の自由」や「三権分立」を自分たちに都合よく解釈して使っているにすぎないからだとだけ述べておく)、私めが一点だけ疑問に思ったのは、他の五人は知らないので置くとしても、なぜそのなかに宇野氏が入っているのかということだった。というのも、彼の著書は何冊か読んだことがあったけど、別に政府が脅威に感じなければならないほど急進的でもないし、イデオロギーに絡み取られて偏向しているという印象もなかったから。今回この『日本の保守とリベラル』を読み始めて、その印象がさらに強まった。
まあ国から補助金(つまり税金)が出ているのなら、政府がチェックするのは当たり前の話で、むしろチェックしなかったほうが国民は怒り心頭に発するでしょうね。そもそも一般社会では、金をもらいながら出資元に対して「チェックするな!」などと批判することはおよそ通用するものではなく、だからネットでは最近「公金ちゅうちゅう」という言葉がはやっている。大学の入試で不合格者の得点を公表したりはしないとしても、その手の疑問を払拭するためにも、菅氏は除外した理由を明確に述べるべきだったと思う。
と前置きしたうえで本書の内容に移ると、「序章 あいまいな日本の保守とリベラル」は、全体のおおまかな概要が述べられており、忙しい人は、ぜひこの章だけでも読むことをお勧めする。まず冒頭の「保守」の定義から紹介しましょう。次のようにある。「「保守(conservative)」が本来、対になるべきなのは、「革新(progressive)」や「急進(radical)」であろう。特定の抽象的理念に基づき、現状を根底から変革しようとする「革新」派や「急進」主義に対して、「保守」はブレーキをかける。現実は複雑である。どれだけ正しいように見える理想であっても、それを直ちに現実にあてはめ、それですべてを割り切ろうとすれば、必ずや無理が生じる。逆に、一見したところ不合理に見える慣習や制度にも、それなりに理由や合理性があることが多い。歴史において長く続いたものであれば、なおさらだ。そうだとすれば、性急な改革や革命ではなく、漸進的な改革の方が望ましい。伝統を尊重しつつ、問題があればそれをその都度、手直ししていけばいい。抽象的な理性よりも歴史的な英知を優先するのが「保守」というわけである。その場合、「保守」と「革新」、もしくは「急進」の違いは、改革や変革に対する態度、あるいは変化に対するスピード感の違いに基づくことになる(4頁)」。
それに対して「リベラル」については次のようにある。「多義的であり、単純に定義することが難しい概念だが、それが個人の自由や権利、多様性や寛容を尊重する立場であることを否定する人はいないはずだ。現代において「リベラル」と言えばまず、エスニシティやジェンダーなどの多様性を擁護し、一人ひとりの自由な生き方を肯定して、これを社会的に包摂していくことを説く人々を想像するのではないか。そうだとすれば、「リベラル」の対抗概念は、「権威主義(authoritarianism)」や「不寛容(intolerance)」などであろう。個人を抑圧する強権的な政治体制や、多様な価値観の存在を認めない宗教的原理主義などが、それにあたる(4〜5頁)」。
ちなみに保守は、「自由」を認めないのかというとまったくそうではなく、あとで述べるように元祖保守のエドマンド・バークは人々の自由を守るために保守主義を標榜し急進的なフランス革命を批判したのですね。要するに、「保守」と「リベラル」は相互排他的なものではないということ。著者も次のように述べている。「このように「保守」と「リベラル」は次元の異なる話であり、必ずしも対になるわけでも、二者択一の選択肢になるわけでもない。急進的な改革には批判的だが、個人の自由や寛容の理念がじっくりと発展していくことを願う人もいるだろう。社会の歴史や伝統を尊重する人が、必ずしもジェンダーの平等に反対するわけではない。改革や変革に対する姿勢と、自由や寛容、多様性などの理念への関与は、それぞれ別個に論ずべきである。無理して両者を対にすれば、話が混乱し、いたずらに対立が生まれていくだけである(5頁)」。
まさにその通りで個人的にも現代における「保守」と「リベラル」の対立は、マスメディアや一部の自称知識人が作り出した幻想だと思うけど、ここで「「保守」と「リベラル」は次元の異なる話」という部分に関して個人的な説明を加えておきましょう(なのでこれは、宇野氏が明言していることではありません)。「保守」というのは、人々の生活がかかる中間粒度、精神科医の兼本氏の用語を借りれば「了解レベル」を重視する見方なのだと思う。だから保守は、急進的な変革を嫌う。でも世界を見渡せば、「中間粒度の維持」だけでは足りない事象があまたある。たとえば国際安全保障とか気候変動問題などはそれに該当する。そこで出番になるのが「リベラル」の考え方になるわけ。だから「リベラル」は、より包括的、兼本氏の用語を借りれば「説明レベル」を重視する見方だと言える。このように「保守」と「リベラル」は、異なる粒度に適応されるべきものであり、だからどちらも必要なのですね。
私めはよく、トランプの間違いは左派メディアが喧伝しているように「自国第一主義」の主張にあるのではなく、それを粒度の異なる説明レベルにまで持ち込む「粒度越境の誤り」にあると指摘しているけど、それはまさに彼の問題が、この二つのレベルを区別できていない点に端を発していることを意味する。またネットでは、「ネトウヨ」だの「パヨク」だのといったレッテルの貼り合いが横行しているけど、どちらの側も、そもそもこのような粒度の違いをまったく無視しているとしか言いようがない。そもそもレッテル貼りは、「自分は何も考えていないぱっぱらぱあです!」と自白しているようなものだからね。
では、なぜ日本でも「保守」と「リベラル」があたかも二項対立的なものとして語られるようになったかと言うと、アメリカの影響が大きいらしい。そして「アメリカの政党対立が「保守」と「リベラル」という枠組みで語られることの背景として、アメリカは本質的に自由の国であるという「コンセンサス」の存在があると言われる(6頁)」とのこと。つまりアメリカでは「自由」という共通基盤の上に「保守」と「リベラル」の対立があることになる。だから中国のような独裁国に対しては、共和党、民主党一致して非難声明を出すのでしょう。それどころか「自由」に対するアメリカの考え方には神話的な側面さえあり、神話的であるということはそれが庶民のあいだに浸透しているアメリカ文化の基盤の一つをなしているということをも意味する。その点についてはわが訳書、ケント・グリーンフィールド著『〈選択〉の神話』を参照されたい。
次に宇野氏は次のように述べている。「その意味では、日本社会において今こそ、「リベラリズム」が求められているのではないか。本書において後ほど論じるように、「自由」は「好き勝手」や「わがまま」とは別であるし、「リベラリズム」とは単なる個人の自由や、まして利己主義を意味するものではない。むしろ社会における多様な存在を認め、それを守るための各個人の責任を強調するものこそが「リベラリズム」である。「保守」と「リベラル」は直ちに対立するものではない。むしろ日本において必要なのは、社会の行動や判断の基礎となる「保守」の確認であるし、多様な個人の生を受け入れる「リベラル」の確立である。両者は同時に追求することが可能であるし、追求されてしかるべきである。本書は、自らが社会を担っているという自負と責任感を持った「保守」と、多様な価値観を表明し、受け入れるだけの気概と道理を持った「リベラル」の確立を目指して執筆された(16頁)」。これには完全に同意できる。
ちなみに著者の言うリベラリズムの定義は、「他者の恣意的な意志ではなく、自分自身の意志に従うという意味での自由の理念を中核に、寛容や正義の原則を重視し、多様な価値観を持つ諸個人が共に生きるための社会やその制度づくりを目指す思想や政治運動(10頁)」というもので、「西洋において伝統的な「自由」や「リベラル」の道徳的理念がやがて一つの政治的潮流となり、さらに経済的・社会的な射程を持つに至ったのが、ここでの「リベラリズム」(10頁)」なのだそう。「多様な価値観を持つ諸個人が共に生きるための社会やその制度」や「経済的・社会的な射程」とは、「保守」が重視する中間粒度を意味するように思われ、それが正しければ、ここでの「リベラリズム」には、「リベラル」的側面と「保守」的側面の両者が合体していることになる。これは非常にバランスが取れた見方だと思う。
ちなみに私めは最近、「リベラル」という言葉はなるべく避け、「リベラリズム」「リベラリスト」という言葉を使うようになったけど、それはまさにリベラルを自称する日本の知識人には、あまりにも独善的で権威主義的、はては全体主義的な発言が多いように思えるから。権威主義や全体主義は、先の「リベラル」の定義でまさに「リベラル」の対抗概念とされていたものであるにもかかわらず。だから先の宇野氏の「リベラリズム」の定義は、そう考える私めにとってもきわめて有用だと言える。ところで『世界正義論』を取り上げた際に、著者の井上達夫氏が『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』というタイトルの本を書いていることを紹介したけど、バリバリのリベラリストの井上氏も、「リベラル」という言葉に対して同じようなジレンマを感じているのかもしれない。これについては宇野氏も、「第二章 日本のリベラリズム」で、「何より、現代日本を代表するリベラリストの一人である法哲学者の井上達夫自身が、『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』という名(迷)タイトルの本を書いている。現代日本において「リベラル」とはどこかうさんくさくて、嫌われるものであるらしい(62頁)」と書いている。
ここからようやく「第1章 日本の保守主義」に入るわけだけど、日本の保守主義を検討する前に、まずエドマンド・バークが取り上げられている。バークという人物は元祖保守として有名だけど、もともと自由の闘士であったことはあまり知られていない。次のようにある。「バークはアイルランドに生まれ、グレート・ブリテン王国の下院議員として活躍した。生粋の議会人であり、ホイッグ党(のちの自由党)の政治家として、当時の英国王であり、専制の色を濃くしつつあったジョージ三世との衝突をあえて辞さなかった人物である。¶アメリカ独立運動にあっては植民地の側に立って独立を容認し、アイルランドでは差別されたカトリックの権利擁護に努めた。さらには植民地インドにおける東インド会社の不正を糾弾するなど、一貫して自由の闘士であった(23〜4頁)」。
ではそのようなバリバリのリベラルと言ってもおかしくはないバークが、なぜフランス革命に反対の立場をとったのか? その問いに対して著者は次のように答える。「間違いないのは、彼が抽象的な政治理念に基づく急進的な改革に批判的であったことである(24頁)」。私めの言葉を使えば、バークは、人々の生活が依拠している中間粒度が理念によって破壊されるのを怖れたということになる。実際、フランス革命は、時が経つにつれ理念を煮詰めたような急進派が権力を掌握するようになり、最終的にロベスピエールの恐怖政治に至っているしね。そのいきさつは、歴史家サイモン・シャーマの『Citizens: A Chronicle of the French Revolution』(Vintage, 1989)に詳しく書かれている(中央公論社から『フランス革命の主役たち』として刊行されているのがその邦訳だと思う)。
次に宇野氏は、バークによる保守主義の特質を三つあげているけど、最後の三つ目が興味深いので、それを引用しておきましょう。「第三に、バークが英国国政を守ろうとしたのは、ただそれが古いからではない。より重要だったのは、人々の自由を守ることであった。そのようなバークの最大の関心事は、権力の専制化をいかに防ぎ、歴史的に人々に認められた権利をどのように守るかに向かった。鍵は、権力の抑制均衡(チェック・アンド・バランス)を可能にするための仕組みにある。自由のための制度構想こそが、バークの保守主義にとってきわめて重要であった(25〜6頁)」。とりわけ興味深いのは「権力の専制化をいかに防ぎ」「権力の抑制均衡」という部分であり、これは一般的には「抵抗権」という左派的な色合いを帯びた概念に該当する点。だから本来の保守には、「自由」の概念がその基盤に存在していて、この「自由」を守るために権力や権威を抑制しなければならないという考えが色濃く含まれていることになる。
こうなってくると現在の日本における「保守」に対する見方は、元来の保守の概念とはかなり異なることがわかる。そのことは著者の次のような主張からも確認できる。「その意味で、単に過去に価値を見出す思考がすべて保守主義と呼ばれるべきではない。まして知識社会学者カール・マンハイム(一八九三〜一九四七)がいう、変化一般に対する嫌悪や反発としての「伝統主義」とは明確に区別されなければならない。保守主義とはあくまで自由という価値を追求するものであり、民主主義を完全に否定する反動や復古主義とは異なる。保守主義は高度に自覚的な近代的思想であった(26頁)」。これはきわめて重要な指摘だと思う。というのも日本ではおもに左派メディアのプロパガンダによって「保守」が「民主主義を完全に否定する反動や復古主義」のたぐいだと見なされているきらいがあるから(「保守反動」などといった言葉が平気で使われていることを思い出してみればよい)。余談になるけど、アメリカの保守が、抵抗権の概念に基づく合衆国憲法修正第二条を盾にして銃規制に反対しているのは奇妙だと、あるいはねじれていると何度かツイしたことがあるけど、こうしてみると元来の保守にも抵抗権の概念が含まれているのだから、そのことはさほど奇妙でも、ねじれているようにも思えなくなってくる。
次に著者は、日本における保守主義の流れを明治時代から追い、次のように述べている。「本書の視点からすれば、このような伊藤[博文]から陸奥[宗光]へ、そして原[敬]へと継承される路線こそが、近代日本における保守主義の本流である。この路線は、明治憲法を前提としつつ、そこに内包された自由の論理を漸進的に発展させ、事実上、その後の立憲政治や政党政治を準備することになった。彼らは急進派に対し明確な一線を引きつつも、自覚的に漸進的な改革を志向した(43頁)」。彼らの考えにも、革命のような中間粒度を毀損する急進的な改革ではなく、中間粒度の破綻をきたさないよう社会の漸進的な進化を図ろうとするバーク的な考えが透けて見える。
次に吉田茂が登場するけど、彼に関してはきわめて複雑な人物なので別の本を取り上げた際に検討することにする。その次に登場するのが、個人的には残念ながら「あ〜う〜の人」としてしか記憶にない大平正芳。彼については『よみがえる田園都市国家』(ちくま新書)でも取り上げられていたけど、そこでも言及されていた「田園都市構想」にも言及されている。彼の考えを要約して宇野氏は、「香川の農家に生まれ、苦学して大学に進んだ大平は、戦後社会の基本的価値を肯定しつつ、その基盤となるコミュニティの役割に着目した。戦後日本の保守主義が、単に政治制度の連続性のみならず、背景にある日本的な組織のあり方や中間集団までをその射程に入れたことの意義はけっして小さくなかった(53頁)」。ここで言われている「コミュニティ」や「中間集団」を、私めは「中間粒度」と呼んでいるわけ。
でも結局大平氏はすぐお星さまになって、著者によれば「いち早くオイルショックを脱却した日本社会がバブル経済へと向かうなか、戦後日本の保守主義を支えた中間集団や地域コミュニティの行方についての関心は、むしろ後退していった印象が強い。結果として、保守主義の保守主義たる{所以/ゆえん}、保守主義が真に保守すべき価値の模索は後景に退き、保守主義のアイデンティティ危機が静かに進行していった。それを埋めるかのように新自由主義的な価値観が広がりをみせるようになったが、保守主義と新自由主義の緊張関係がとくに論じられることもなかった(53頁)」。
では日本の保守主義に未来はないかというと、著者はそうは考えておらず、次のように述べて「第一章 日本の保守主義」を締めくくっている。「明治以来の日本の保守主義の伝統を振り返るならば、明治憲法体制に内在する自由の論理を発展させることで民主化の要求に漸進的に応えてきたのが、日本の保守主義の真の「本流」であるとも言える。そうだとすれば、戦後憲法の定着のなかに、このような漸進的発展の延長を見ることこそが、「本流」を継承することになるのではなかろうか。歴史的視座に立つとき。日本の保守主義は新たなる可能性を見出すように思われてならない。(…)歴史のなかに連続性を見出し、保守すべき価値を見出す保守主義の英知が今こそ求められている(55〜6頁)」。
次に「第二章 日本のリベラリズム」に移りましょう。「第一章 日本の保守主義」でまずは保守主義の元祖エドマンド・バークについて検討したのと同様、ここでもリベラリズムの元祖が取り上げられている。著者によれば、「「リベラリズム」の初出は、一八一〇年代前半のスペインとされる。この時期、スペインでは、ナポレオンのフランス軍による侵攻に対し、抵抗運動が起きていた。この抵抗運動の担い手たちが「リベラルたち」と呼ばれることになり、それを受けて新聞などで「リベラリズム」という言葉が使われたという。この場合の「リベラルたち」とは、法の下の平等や立憲主義、代議制などを主張したグループであった(61頁)」。個人的な印象では、「リベラル」というとアングロサクソン的な響きがあるような気がするので、「スペイン」というのはちょっと意外に思える(ただスペイン内戦時に、スペインは世界中からリベラリストを集結させたことを考えると、少し納得できる部分はあるけど)。
それに関してより詳しい説明がのちにあって、そこには次のようにある。「「リベラルであること」の理念にとって、ナポレオンという存在は、いかにも両義的であった。たしかにナポレオンは「フランス革命の子」であり、フランス革命による伝統的な身分制社会の否定や、新たな人権の理念を自ら体現し、これをヨーロッパ大に拡大した原動力であった。その意味で、ナポレオンは間違いなく「解放」の象徴であった。しかしながら、他方でナポレオンは、自らが皇帝になって専制的な体制を打ち立て、さらに征服した近隣諸国に自らの親族を王として据えた。このことはナポレオンに期待した人々に大いなる失望をもたらし、そのような人々にとって、「抑圧者」としてのナポレオンの像が前面に出た。このようなナポレオンの両義性こそが、「リベラリズム」誕生の時代背景となったのである(66〜7頁)」。ただしこれは「リベラリズム」という「イズム」がつく政治思想に限定して言えることであって、「自由」という概念そのものは古代ローマの時代からあったわけだけどね。
ところで著者は、ナポレオンとほぼ同時代のフランスの「リベラリズム」の思想家として、スタール夫人とバンジャマン・コンスタンの名前をあげているけど、彼らの考えがちょっと興味深い。彼らは、「あくまで共和制を支持した。言い換えれば、フランス革命を否定して旧体制への復帰を願う反動と、革命の理念を急進化して自滅した恐怖政治のいずれにも対抗した。二人が目指したのは、「革命を終わらせ」、「リベラルな原理」を定着させることであった(67頁)」。これは現代日本で言うところの「リベラル」より、ここまでに説明してきた「保守主義」に近い。まず著者の言う「保守主義」とは、「伝統主義」、すなわち「旧体制への復帰を願う反動」とは無縁であることを思い出されたい。またそもそも共和制には貴族主義的で保守的な印象がある(アメリカの共和党が基本的に保守であることを考えてみればよい)。
またコンスタンによるルソー批判は興味深い。次のようにある。「古代のスパルタやローマに憧れたルソーの時代錯誤を批判したコンスタンは、「公的な意思決定への参加」を意味する「古代人の自由」と、「私的な生活の平穏な享受」を意味する「近代人の自由」を明確に区別した。経済活動などで忙しい近代人にとって大切なのは、個人としての自由や権利の保障(=近代人の自由)であって、政治参加(=古代人の自由)ではない。個人の自由を求めて、人民主権の確立を訴えたルソーは、古代人の自由と近代人の自由を取り違えたことになる。フランス革命が結果として恐怖政治をもたらしたのは、ルソーのこの錯誤に起因するとしたコンスタンの論法は鋭かった(67〜8頁)」。そして同じくフランス・リベラリズムに属するアレクシ・ド・トクヴィルとともに、コンスタンらのこの考えによって、「人民主権論や民主主義論と明確に区別される、独自の「リベラリズム」の思想が形成されることになる(68頁)」のだそう。こうしてみると元来のリベラリズムは、保守主義とも通底する部分があり、現代の日本人が一般に考えている「リベラル」とは似ても似つかないものであったということがわかる。ちなみに宇野氏には、『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ)という著書もあり、私めも読んだことがある。
それからリベラリズムの議論に関して三つのベースラインがあげられている。そのなかでも、一つ目の記述に留意しておきましょう。次のようにある。「第一に、欧米における「自由」の根本にあるのは、「他者の恣意的な意志ではなく、自分の意志に従うこと」という理念である。それは自律の理念と結びつき、古代ギリシア・ローマから近代の欧米に至るまで、つねに極めて重要な人間的価値の一つとされてきた。すでに触れたように、「自由」の持つこの側面こそが、近代日本において「自由」を考え[る]上での最大のつまずきとなったことは間違いない。ただし、日本語の「自由」で強調される「束縛や障害がないこと」という側面が、西欧語の「自由」に存在しないわけではない。その限りでは、程度の差とも言える(69頁)」。
この指摘はエーリッヒ・フロムの有名な『自由からの逃走』における「〜からの自由」と「〜への自由」の区別を思い起こさせる。ここでそれに関して、(訳書を持っていないので)ウィキの説明をあげておきましょう。「前者[「〜からの自由」]は第一次的絆(たとえば親子関係で言えば子供を親と結び付けている絆、中世で言えば封建制社会など社会的な制度的な絆)からの自由などを意味する。後者[〜への自由]は個人が個人的自我を喪失せず、個人的自我を確立させ、思考や感情や感覚などの表現ができるような状態を意味する」。日本人は「自由」を「〜からの自由」としてとらえているケースが多いように思われる。たとえば冒頭であげた「学問の自由」は、おおむね「政府の圧力からの自由」という意味で言及されていたと思われ、冒頭で「それらの批判は「学問の自由」を自分たちに都合よく解釈して使っているにすぎない」と言った理由の一つはそこにある。ほんとうに「政府の圧力からの自由」ではなく「学問することへの自由」を求めているのなら、政府ヒモつきの機関など当てにせず、それに類する団体を自発的に立ち上げればいいのだから。
ちなみに私めが『まちがえる脳』を取り上げたとき、「「言論の自由」や「表現の自由」というと、どうしても政治的な文脈のもとでとらえられがちになるけど、それをめぐる政治的な議論は元来二次的な側面に関するものにすぎないのであり、本来は内発的な動機、すなわち「言論する意志」や「表現する意志」がまずあってこそ「言論の自由」や「表現の自由」が成立しうる」と書いた。これは、言い換えればより重要な「〜への自由」という観点が抜け落ちているということを指摘したかったというわけ。だからそこで取り上げた決定論者は、欧米人であるにもかかわらず古代ギリシア・ローマから連綿と継承されてきた「自由」の概念の意味を真っ向から否定していることになる。ちなみにタイトルを明かしても問題がなくなったので公表すると、『まちがえる脳』のレビューに書いた「ごつい本」とは、今年10月にアメリカでの刊行が予定されているロバート・サポルスキーの『Determined』のこと(哲学者、倫理学者、法学者にタコ殴りにされてもおかしくない内容だったので、私めも出版社も訳書の刊行をあきらめたという次第。いずれ『まちがえる脳』に書いた記述も直す予定)。
さて次は、日本におけるリベラリズムの話に移行する。そこで真っ先に登場するのが福沢諭吉。彼に関しては一つだけ引用しておく。次のようにある。「福沢は『文明論之概略』において、真に「権力の偏重」を克服し、自由を確立するためには、学問、さらには宗教が権力から自立することが不可欠であると論じていた(77頁)」。学問と宗教の権力からの自立という話題は、最近でも世間を賑わせていたよね。
学問に関してはもちろん、前置きであげた学術会議の問題のことだけど、ウィキには「内閣総理大臣が所轄し、その経費は国の予算で負担されるが、活動は政府から独立して行われる(日本学術会議法 第1章の第1条・第3条)」とある。ということは、活動は自由としても、管轄と経費は政府という権力機関の責任のもとにあることになる。さらに言えば、どうやらこの機関は終戦直後にGHQの主導で創設されたものらしい。GHQも当時の権力機関だったのであり、したがって自律的な個人やその団体が創設した機関ではないことになる。自律的な個人が創設した機関に対して、政府が介入すれば、確かにそれは「学問の自由の侵害」と言えるのだろうけど、そもそも権力機関が創設し、管轄し、資金を出している機関に対して「学問の自由の侵害」を取り沙汰しても筋違いな気がする。「いやなら、自分たちで勝手に必要な機関を立ち上げて、自分でおじぇじぇを調達し、管轄せよ」と言われれば終わりだしね。
学術会議の件が日本で問題になったのはやはり、日本人の多くが、「自由」を「〜への自由」ではなく「〜からの自由」としてとらえていることの反映なのだろうと思う。「〜への自由」は、『まちがえる脳』を取り上げたときに使った言葉を用いれば内発的な動機に関するものであり、この内発的な動機がなければ、「〜からの自由」をうんぬんしても意味がないというのが私めの考え。そもそも一般社会では、たとえば大学に落ちたからといって、「ボ、ボ、ボクの(ア、ア、アタイの)学問の自由が侵犯された!」と糾弾し、その親が大学を訴えたりはしない。ほんとうに「学問する意志」、すなわち内発的な動機を持っているのなら、他の大学を受けるか、来年の機会を待てばいいのだから(まあ昨今では、学問をするために大学に行く人は少ないのだろうけどね)。学術会議の件も、他のあらゆる学問の機会が奪われるというのならまだしも、「学問する意志」があるのなら、政府のヒモつき機関など自分からさっさと蹴っ飛ばして、新たに自分たちだけで必要な機関を設立すればいい。しかも、学術会議から外されたからといって、大学でのポストが失われるわけではなかろうに、なぜ「学問の自由」が侵害されるのか、一般人には理解の範疇を超えていると言わざるを得ない。とはいえあとで述べるように、宇野氏に関して言えば、この件で政府に異議を唱えるようなことはしていない。
次に宗教に関して言うと、宗教の権力からの自立というより、むしろ政治権力の宗教からの自立という側面の方が強いのかもしれないが、例の統一教会の件で、一時期「政教の分離」という言葉がネット上で飛び交っていたことがある。しかし「政教の分離」には、きわめてややこしい側面がある。まず「政教の分離」の学術的な定義の一つに、「特定の宗教を国教にしない」というものがある。しかし日本は特定の宗教を国教にしているわけではないし、特定の宗教を国教にしようとする運動があるわけでもないので、現時点の日本でこの意味での「政教の分離」が問題になることはない(そもそも先進国のなかで特定の宗教を国教にしている国はイギリスくらいしかないのでは?)。では、「政治家は特定の宗教に帰依してはならない」という意味かというとそれもあり得そうにもない。そんなことを言いだせば、世界中のどんな国にも、割合は異なれ、特定の宗教に帰依している政治家はいくらでもいるだろうしね。というより、それを禁じればそれこそが「信教の自由」の侵犯に該当する。ならば、「政府は特定の宗教から支援を受けてはならない」という意味かというと、それも違うだろうと思う。そんなことを言い出せば、世界中のほぼあらゆる国の政権政党が、政治献金などの形態で宗教団体から支援を受けているだろうしね(「ほぼ」とぼかしを入れたのは、共産党が政権を握っている中国などは違うのかもしれないからだけど、内実はよくわからん)。それどころかたとえば自民党と連立している公明党や、今は違うけどメルケル氏が活躍していた頃にドイツの政権を握っていたドイツキリスト教民主同盟(CDU)は、政権政党それ自体が宗教に関与しているのだから、何でそれは問題にしないのかということになる。あるいは宗教団体による組織票を問題にするのなら、労働組合などの団体の組織票はなぜ問題にしないのかということになろう。かように「正教の分離」という問題は単純ではない。だから、統一教会をめぐって「政教の分離」を持ち出していた人々は、いかなる意味でそう言っていたのかを明確にすべきだった。個人的には、統一教会を擁護するつもりはさらさらないとしても、少なくとも「政教の分離」は、この件には無関係だったと思っている。
著者は次に、近代日本の「リベラリスト」として、福沢諭吉の他にも石橋湛山や清沢洌をあげているけど、(少なくとも私めにとって)マイナーな人物なので省略する。次に「現代日本のリベラリズム」が検討されている。しかし著者の見立てによれば、「戦後日本で「リベラリズム」を論じることは、必ずしも容易ではない(85頁)」のだそう。
著者は、その理由をいくつかあげているけど、個人的には三番目の指摘が興味深かった。やや長くなるけど引用しましょう。「第三に指摘すべきは、議論の座標軸の変化である。一九五五年、保守合同によって自由民主党が発足するが、以後、長く続く自民党の一党優位体制に対抗する野党勢力は、「リベラル」ではなく、「革新」と呼ばれることになった。これは言うまでもなく、自民党結成に先立って左右の社会党が統一し、以後、社会党が野党第一党の地位を守ったことによる。社会党は社会主義を掲げる革新政党であり、資本主義体制擁護の立場にある自民党と対立することになる。このような米ソ冷戦体制を背景とする社会主義と資本主義の対立の構図が、「リベラリズム」の位置づけをわかりにくくしたことは間違いない。¶一方、「リベラル」はむしろ自民党内における一定の勢力を指す言葉として用いられるようになっていく。自民党発足にあたっては「自主憲法の制定」が議論されたが、これは保守合同の一方である日本民主党の主張が大きかった。吉田茂に由来する自由党はむしろ日本国憲法を前提に、「軽武装・経済国家」を目指したが、この非改憲・非軍事志向の保守勢力を指して「(保守)リベラル」という呼び方が次第に定着していった。このような「リベラル」に代わる「革新」の台頭と、「リベラル」の保守化が、戦後日本における「リベラリズム」の語りを難しくしたと言えるだろう(87頁)」。
まず吉田茂に代表される保守勢力が非改憲・非軍事志向だったというのは皮肉が効いていておもしろい(吉田茂は経済発展を重視していたということもあるけど)。今では考えられない話だけど、共産党の野坂参三が吉田茂に向って「侵略戦争は正しくないが、自国を守るための戦争は正しい」と言ったという話は有名だよね。当時は共産党のほうが侵略戦争と自衛戦争を正しく区別していたのに対し、保守側の吉田茂のほうが、現在の左派のようにそれらをいっしょくたにしていたわけだから、隔世の感が否めない。まあそれはそれとして、それとは逆に現在にもつながる傾向という意味で興味深いのは、「「リベラル」はむしろ自民党内における一定の勢力を指す言葉として用いられるようになっていく」という指摘で、今回のLGBT法案を見てもわかる通り、自民党には極右、極左を除くあらゆるスペクトルの政治家が集まっているごった煮政党であるということが、歴史的な経緯からも透けて見えること。
かつての社会党もそうだけど、現在の野党第一党である立憲民主(維新に抜かれそうという話もあるけど)が勝てないのも、自己を権力、つまり与党自民党に対するカウンターバランスとして位置づけているからなのだろうと思う。そもそも自民党内に大勢のリベラルがいるのだから、それに対抗しようとすれば必然的に次第に極左化していかざるを得ない。ところが極左化すればするほど支持者の数が減っていく。だから大阪を拠点にし、自民党に対してはどちらかというと是々非々の立場を取りやすい維新に抜かれそうになる。ここで横軸を極左から極右に至る政治志向のスペクトルを取り、縦軸に支持者の数を取るグラフを描くとすれば、おそらくベルカーブを描くだろうと思う。それが正しければ、極左化が支持者の減少につながることは必定になる。かつての社会党や現在の立憲民主には、どうもその点に関して戦略的思考が欠けているのではないかという印象を、個人的には持たざるを得ない。
しかし著者によれば、一九九〇年代に入ると、「社会主義体制の崩壊によって「革新」のイメージが後退し、むしろそれに代わる政治的ラベルとして「リベラル」が復権することになった(94頁)」のだそうな。ところが「このような一九九〇年代の動きは、現代日本において、「リベラル」を語る上での独特な難しさの原因の一つとなっている(94頁)」とのこと。著者はその理由を三点ほどあげているけど長くなるのでそれには触れず、「近代日本の「リベラリズム」の遺産を継承し、現代日本にふさわしい「自由」のかたちを見つけることは、私たちにとっての重要な責務である(97頁)」という言葉で第二章は締め括られているとだけ指摘しておく。第三章以後はまた後日ということで。
まず福沢諭吉を扱った短い「第三章 二一世紀の福沢諭吉」だけど、学術会議の件との兼ね合いで二点だけ取り上げておく。最初に述べておくと宇野自身氏は、内閣によって学術会議に任命されなかったことに対して特に反論や抗議はしていない(たとえば、二度目の拒否のときのものだけど、この記事を参照されたい)。他の候補者には、ああだこうだと理屈をこねて抗議する人もいたことを考えると、二度も除外されたにもかかわらず、宇野氏がそのように振る舞ったことはきわめて潔いと言えるけど(私めなら発狂しそう)、実のところこの潔い態度は宇野氏の信念にも関係していたのであろうということが以下の文章からも見通せる。
一つは、福沢の学識職分論に関して次のように述べていること。「政府には政府の役割が、人民には人民の役割があり、両者は対等である。このように説く福沢は、学者が卑屈になり、政府の専制に屈することを批判する。政府ばかりが強くて、国民不在であるならば意味はない。「人間の事業は独り政府の任にあらず、学者は学者にて私に事を行うべし」と宣言し、官途につき、官に仕えることを喜ぶ学者を批判しているのは、福沢の真骨頂だろう(107頁)」。要するに宇野氏は、「学者は学者にて私に事を行うべし」であって、政府ヒモつき機関に所属すること自体、潔しとはしなかったんだろうと思う。ただしそれは宇野氏が、あくまでも福沢とともに「政府には政府の役割が、人民には人民の役割があり、両者は対等である」と考えているからなのでしょう。その考えをどう評価しようが、他のあまたの自称知識人とは違って、宇野氏においては自分の考えと行動が一致していることに間違いはないと思う。
もう一つは、「行政府と立法府を分離する米国の大統領制ではなく、両者をつなぐ英国の議院内閣制を推奨する福沢(110頁)」とある点。冒頭でも述べたように、学術会議の件のときに「三権分立の侵犯」という非難が飛び交っていた(一般のネット民だけならまだしも、野党の党首やら弁護士会やらもそう主張していた)。そもそもこの件で行政府がいったい何府を侵犯しているのかが判然としないことは置くとしても、中学校だったか高校だったかで習った「三権分立」の概念には、「三権が独立」していることと「特定の権威が暴走しないよう、三権が相互監視する」という二つの要件があったはずなのに、前者にしか焦点が置かれていないのではないかという疑惑を個人的には感じた。前者の要件だけを取り上げるのなら、そもそも日本やイギリスで実施されている「[行政府と立法府の]両者をつなぐ」議院内閣制(議院内閣制ではないとしても、ドイツなどの国も議会が大統領を選出している)や、「行政府と立法府を分離する」大統領制を維持してはいても、大統領が最高裁判事を任命しているアメリカに関して、それまで異議を唱えていたのかというと、そんなことはなかったはず。つまり学術会議の件が「三権分立の侵犯」であると主張していた人々は、自分のイデオロギーに合致した都合のいいケースにのみ、「三権分立の侵犯」の概念を、半分の要件を切り取って適用したという印象が非常に強くある。「両者をつなぐ議院内閣制を推奨する福沢」の考えに好意的に言及する著者は、良きにつけ悪しきにつけこの件に関して「三権分立の侵犯」などという論点で見たりはせず、英語で言えば「この件にはそれはirrelevantだ」と考えているだろうと思う。個人的には、「学問の自由の侵犯」もそうだけど、この件に関して「三権分立の侵犯」を主張していた人々は、進化科学に基づく最新の認知科学の用語を借りると、自分たちでも直観的に信じていないことをイデオロギー(たとえば抵抗権や革命権)に絡み取られて主張していたという印象が強い。直観に関するこの知見は、ヒューゴ・メルシエ&ダン・スペルベル著『The Enigma of Reason』や、わが訳書、ヒューゴ・メルシエ著『人は簡単には騙されない』を参照されたい。
とだけ述べて「第四章 福田恆存と保守思想」に移りましょう。福田恆存については「第一章 日本の保守主義」でも簡単に取り上げられていたけど、この章では彼の考えがより詳しく検討されている。章の冒頭に次のようにある。「そもそも保守と革新は非対称的である。現状に不満がある人々が最初に革新派となり、その火の手が上がってはじめて保守派は自らを認識する。つねに先行するのは革新派であり、保守派は遅れて登場するのである。このような福田の言明は、フランス革命後にこれを批判し、後に保守主義の始祖と言われたエドマンド・バークの場合にもよくあてはまるだろう。しかも福田に言わせれば、革新派はイデオロギーを掲げるが、保守派にとって重要なのはイデオロギーではない。保守とは生活感情であり、態度であって、けっして主義ではないというのが福田の信念であった(116頁)」。
「保守とは生活感情であり、態度であって、けっして主義ではない」という福田の見方は、「保守とは中間粒度に関する考えである」という私めの見方にも沿う。ただ「革新派はイデオロギーを掲げる」という点には注意が必要でしょうね。確かに「革新派」に関してはそうなのだろうけど、元来の「リベラリスト」は必ずしも「イデオロギー偏重」ではないと思う。「リベラリスト」が包括的な説明レベルに焦点を置くのは確かとしても、「リベラリスト」は中間粒度を無視してイデオロギーを優先させているわけではない。たとえば国際安全保障(国連憲章はその際たるものだけど、残念ながら国連が提供する集団安全保障がまったく機能していないことが今回のウクライナ戦争で完全に暴露されてしまった)や気候変動の問題を重視する「リベラリスト」は、まさに戦争や気候変動によって中間粒度が瓦解する可能性があるがゆえにそれらを重視しているのであって、それによって自己の信じるイデオロギーを主張しているわけではない。ただ国際安全保障や気候変動をめぐる問題を実際に解決するためには、中間粒度を担保している最大の単位である個々の国家だけでは不十分なのですね。だから元来の「リベラリスト」は、政治的リアリストでもあるのかもしれない。この点を保守主義者は誤解してはならない。
もう一つ引用しておくと、福田の見方に関して次のようにある。「個人は、コスモスとの結びつき、あるいはさらに世界、人類、家族、国家との結びつきを自ら拒んでしまっている。ある意味で、総じて「結びつき」に耐えられないのである。本来、人間は大いなる存在の一部であることから逃れられないのに、その結びつきを拒み、あえて断片であろうとして、惨めとなり、愛することもできずにいる(120頁)」。引き籠り翻訳者が偉そうなことを言うなと言われそうだけど、これこそがジョセフ・ヘンリックが『The WEIRDest People in the World』(GFS, 2020)で論じている、世界的に見れば外れ値にすぎないWEIRD文化に内在する問題であって、その問題を国内に持ち込む結果になりそうな法案を提起している日本の与党には、大いなる疑問を感じざるを得ない。とりわけ多様性を強調するなら、そもそも欧米人の学者が外れ値だと認めている欧米のWEIRD社会に何でも追随すればいいというものではないわな。それから福田の政治的リアリズムの見方も興味深いが(政治的リアリズムは元来の「リアリスト」も共有しているはずであることはすでに述べた)、ここでは省略する。
次に「第五章 丸山眞男における三つの主体像」だけど、章題が示すようにこの章のとりわけ前半は、哲学的、観念的な色合いがやたらに濃く、そもそもよく理解できなかったので基本的に飛ばす。ただし「3 主体とナショナリズム――国民主体」は、他の節に比べて興味深いのでその節だけ取り上げてみましょう。なおナショナリズムに関する私めの見方は、他の本(『グローバリゼーション』や『新興国は世界を変えるか』など)を取り上げた際に述べてきたのでここでは繰り返さない。
宇野氏はまず、前々章で取り上げた福沢諭吉をここでも取り上げる。引用の引用になるけど、丸山は福沢に関して次のように述べている。「福沢は{単に/傍点}個人主義者でもなければ{単に/傍点}国家主義者でもなかった。また、{一面/傍点}個人主義であるが{他面/傍点}国家主義という如きものでもなかった。彼は言いうべくんば、個人主義者{たることに於て/傍点}まさに国家主義者だったのである。¶国家を個人の内面的自由に媒介せしめたこと――福沢諭吉という一個の人間が日本思想史に出現したことの意味はかかって此処にあるとすらいえる(150頁)」。この丸山の福沢に関する見立てに対して、宇野氏は次のようにコメントしている。「「秩序を単に外的所与として受取る人間」から、「秩序に能動的に参与する人間」へと人間像の大転換を果たしたことにこそ、福沢の意義があると[丸山は]言う。「一身独立して一国独立する」との表現に現れているように、福沢はこの個人の自主性を国家の対外的独立へと内面的に結びつけることに成功したのである(150頁)」。
ということはリベラリストとしてあげられている福沢諭吉も丸山眞男も、「個人主義者にして国家主義者」であったことになる。これは現代の日本ではきわめて奇異に思われるかもしれないが、それは左派メディアの「ナショナリズム=個人主義の敵=悪」という喧伝に乗せられているからであって、実のところを知りたければ、たとえば次の事実を考えてみればよい。「「秩序を単に外的所与として受取る人間」から、「秩序に能動的に参与する人間」へと人間像の大転換」というのは、「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」と、J・F・ケネディが就任演説で述べた言葉とほぼ同じ意味であることを。あえて指摘するまでもなく、ケネディは民主党に属するリベラリストの大統領であった。このこと一つを考えてみても、今の日本の言論空間がいかにいびつかということがわかろうというもの。
そして丸山は次のように考えたとのこと。「民権運動の下からの国民的な国権主義は、明治が進むにつれて、むしろ個人の自由を抑圧する上からの藩閥的な国家主義へと吸収されていく。これと連動するように生じたのが、非政治的な個人主義である。(…)この結果、一方には個人的内面性に媒介されない国家主義、他方にまったく非政治的な個人主義とが併存、あるいは相互に補完しあうようになる(152頁)」。あるいは、「このような個人と国家の内面的媒介の消滅は、歪んだ日本のナショナリズムを生み出していった。民衆の間からの能動的な連帯には依存しえなくなった明治政府の指導者たちは、国家教育によって上からの愛国心の創出へと向かう(152頁)」。まさに左派メディアが対象としているのは、帝国主義に走った近代日本のこの「歪んだナショナリズム」であって、「ナショナリズム」そのものではないという点は、他の本を取り上げたときに私めが主張したことでもある。つまり帝国主義日本が「ナショナリズム」を歪曲して利用し、トップダウンに国民の支持を取りつけようとしたというのがほんとうのところなのだろうと思う。
では丸山のそのような考えを宇野氏はどう見ているかというと、一方では「少なくとも、国家主義、ウルトラ・ナショナリズム、帝国主義に収斂しないナショナリズムの可能性とその条件を模索した丸山の思索は、単に近代日本史の明るい部分だけを恣意的につまんだものでなかったことは確かである(154〜5頁)」と評価しつつも、「それがきわめて危うい賭けであったことは、繰り返すまでもない(155頁)」とケチをつけることも忘れていない。ならば私めはどう思うかというと、率直に言って丸山の本は学生時代(高校生の頃かも)に読まされた一冊(安い新書本だった記憶があるので、『日本の思想』(岩波新書)だったのかも)しか読んだことがないので何とも言えないものの、ただここに書かれていることは、私めのナショナリズムに対する考えに反するものではないとだけは言える。ただし丸山は、個人と国家の内面的な結合という考えをのちになって変えているらしいという点をつけ加えておきましょう。
第6章、第7章、終章の最後の三章は、冒頭で述べたように取ってつけたような感があり、一点を除いて特にコメントはない。その一点とは次のようなもの。本書の内容には些細な点を除けばほぼ全面的に同意できるけど、一つだけ同意しかねる点がある。それは終章の次のような文章に見て取れることに関して。「もし現代日本の「保守」が真にエドマンド・バーク以来の正統的な保守主義を継承しようとするならば、少なくとも日本国憲法の基本的な正統性を承認し、統治機構を中心に、現行の条文をより現代的なものにするための現実的な改正を目指すべきだろう。いたずらに復古的な自主憲法制定を訴えるよりも、戦後日本の経験やその価値意識を前提に、保守主義に不可欠な歴史の連続性の感覚を確保することが、保守主義の「正常化」につながるはずである(239頁)」。多くの憲法学者のように憲法改正を認めていないわけではないようでもあり(ただし「より現代的なもの」の「もの」が、「表現だけ」を意味しているのか、「内容だけ」を意味しているのか、両方を意味しているのかは定かでないけど、個人的には「表現だけ」ということはないだろうと思っている)、「保守=漸進的な進歩」という考えには大筋において合意するものの、一点だけ指摘したいことがある。
それは「漸進的な進歩」では間に合わない分野が一つあること。それは安全保障ですね。なぜなら安全保障には相手があるから。とりわけ近年の急激な軍拡を含めた中共のやり方は脅威なので安全保障は喫緊の課題になりつつあり、「漸進的な進歩」などと悠長なことは言っていられない。もちろん直情径行、猪突猛進のロシアがウクライナにしたように、中共が日本に軍事進攻してくる可能性は、とりわけ一党独裁どころか習近平の個人独裁と化してくるとゼロではないとしても、きわめて低いと思っている。それよりも問題なのは、「サイレントインベージョン」という言葉があるように、戦わずして勝つがモットーの国中国の中共は、スパイ(スパイと言うとスパイ小説やスパイ映画のおかげで陰謀論のように聞こえるけど、ゾルゲ、スノーデン、CIA、KGBなどといった人物や組織を考えてみればわかるように、他国で情報収集や工作活動を行なうスパイは現実に存在する)などを使って他国の情報を引き出して弱みを握ろうとしている。それどころか国防動員法や国家情報法などの他国にも影響を及ぼしうる法律を勝手に作っている。あるいは留学生を送り込んで技術を盗むなどということもやっている。そのようなスパイ活動を防止することも安全保障の一環であり、21世紀に入ってからの中共を見ていると、「漸進的な進歩」で彼らのやり口に対応していたのではとても間に合わないように思える。しかも前述したように、今回のウクライナ戦争で国連による集団安全保障がまるで機能しないことがはっきりしたわけだけど、中国もロシア同様、拒否権を行使できる安保理常任理事国である点は忘れるべきではない。
もちろん著者も安全保障をまったく無視しているわけではなく、次のように述べてはいる。「もちろん、安全保障を口実に、個人の自由を抑圧することは許されない。かといって、個人の自由を重視するあまり、一国の安全保障に無関心なままでいることも、「リベラル」の目指すところではないだろう。「一身の独立」と「一国の独立」を両立させ、個人の自由とリベラルな国際秩序の回復を不可分のものとして捉える政治的構想力が、今こそ求められている(236頁)」。とはいえこの箇所も奥歯に物が挟まったような言い方だし、他の箇所とも合わせて考えると、安全保障を喫緊の問題としてとらえているようには思えないのですね。まあ宇野氏は、理論的な政治学者であって、現在の国際情勢をも広く深く視野に入れる国際政治学者や地政学者のたぐいではないということもあるのだろうけど。
最後に「あとがき」から引用してまとめにしましょう。次のようにある。「著者はかつて保守主義についての本を書いたことから、ときに「保守主義者」と見られることがある。しかしながら、「保守主義者」と自ら名乗ったことはないし、その名で呼ばれる特定の政治的信条を持ったこともない。(…)それではお前は「リベラル」なのかと問われると、それはそれで迷ってしまうというのが正直なところである(245頁)」。本書を読んだ印象では、著者は「保守主義者にしてリベラリスト」であると思う。それにもかかわらず、どちらでもないような言い方をしているのは、世の中には保守とリベラル、あるいはリベラリズムは相容れないという見方がはびこっているから、著者もはっきりと両者だとは言えなかったのだろうと思う。それらが必ずしも対立するものでないことは、本書で著者が何度も主張しているし、私めも両社は互いに粒度の違う事象に関する考え方なのだから本来対立するものではないと思っている。世間では対立すると考えられているとすれば、それは対立を煽るのが大好きなメディアの影響が強いのだろうと思う。だからこそ本書の副題が示す「思考の座標軸を立て直す」必要がある。本書はそのための入門書としては格好の本だと言える。
※2023年6月17日