◎恒川惠市著『新興国は世界を変えるか』(中公新書)

 

 

この本では、近年の新興国(独自の基準で29ヵ国をあげている)の政治、経済面での歴史的変遷について解説されている。

 

まず「はじめに」にウクライナ戦争に関して次のようにあって「確かに、そうだね」と思った(なお、ロシアも新興国として著者があげる29ヵ国のなかに入っている)。「新興国は、ロシアのウクライナ侵攻に関しても、あいまいな態度に終始している。2022年3月2日の国連総会でロシア非難決議が採択された時、本書が新興国と考える29ヵ国・地域(そのうちロシアと国連加盟国ではない台湾は除く27ヵ国)のうち、10ヵ国が賛成ではなく棄権にまわった。その中には、新興国の中で最も経済成長率が高い中国、インド、ベトナムが入っている。経済制裁への参加にはもっと消極的で、ロシア自身が「非友好的な国と地域」として発表している制裁実施国に入っている新興国は、韓国、台湾、ポーランド、シンガポールの4ヵ国・地域だけである(B頁)」。

 

これはまさに、新興国には権威主義的なロシアを支持するとまではいかないとしても、忖度する傾向があることを示している。もちろん経済面、軍事面、資源面での援助をロシアから受けている国も多いはずだしね。個人的に特に関心を持ったのは「第3章 民主化のゆくえ」で、そこではまず新興国の民主主義度(ならびに権威主義度)のここ半世紀ほどの変遷について次のように述べられている。「この図[84頁の図2]は、どちらの指標[フリーダムハウスの世界自由指標とポリティVプロジェクトのポリティ2指標]で見ても、1981〜83年から2011〜13年まで、権威主義度が減った(民主主義度が増えた)ことを示している。(…)ただし図2は、体制の変化を示す矢印の長さが年々短くなっていること、2011〜13年以降は変化の方向が逆転したことを示している。すなわち、民主主義度が増すスピードが90年代以降は年々鈍化し、2010年代には権威主義度が増す逆転現象が起こったのである(83〜4頁)」。

 

つまり2013年を境に、少なくとも新興国では、民主化から権威主義化への逆転が起きたことになる。アラブの春とその後の展開だけを見ても、そのような傾向があることがわかるよね。ではなぜそのような変化が起こっているのかを、著者は体制変動の「需要」要因と「供給」要因という概念を持ち出して説明している。ちなみに「需要」要因とは「権威主義的な(あるいは民主主義的な)政府を求める声がどれだけ強いか(88頁)」、また「供給」要因とは「権威主義体制(ないしは民主主義体制)を支える制度的・思想的基盤がどのくらい強いか(90頁)」を意味するとのこと。

 

詳しくはこの新書本を読んでもらうこととして、ここでは私めが注目しているテーマの一つ「ナショナリズム」の影響のみを取り上げることにする。これは著者の見解ではなく私めの見解なんだけど、何度かツイしたように「ナショナリズム」には諸刃の剣的な側面がある。一方ではナショナリズムや民族主義は帝国主義列強からの解放、そして独立、さらには民主化をもたらしてきた。それは第二次世界大戦直後のアジアやアフリカについて考えてみればすぐにわかる。また本書に「台湾では経済的不満よりも民族アイデンティティ抑圧への反発が民主化の原動力となった(110頁)」とあるように、台湾でも「民族アイデンティティ抑圧への反発」、つまり民族主義的な運動が民主化を促したことがわかる。

 

その反面、ゲルマン民族を理想化したナチスドイツや、「大ロシア主義」を掲げるプーチンのロシアの例からもわかるとおり、ナショナリズムや民族主義は権威主義者や独裁者によって巧妙に利用されてきた実績がある。中共率いる中国も同様で、それに関して本書に次のようにある。「中国の習近平は、中華ナショナリズムの推進を、最高指導者であることの正当化に使っている。彼は、2012年に「中華民族の偉大な復興」を「中国の夢」として語って以来、民族意識を鼓舞する発言を続けてきた。そしてナショナリズムを、南シナ海の占有を強行したり、台湾や尖閣諸島周辺で軍事的威嚇を行ったりするなど、実際の行動で示してきた(94〜5頁)」。

 

あるいは「両国[中国とベトナム]の共産党政権は、反植民地闘争を経て成立したことで強い「ナショナリズム」の正当性を主張することができたし、共産党細胞のネットワークによって強制執行機関や社会管理統制機関を維持することもできた。それに高度経済成長という「需要」条件が加わって、両国の権威主義体制は揺らぐことなく続いてきたのである(115頁)」。

 

要するに本来共産主義という左派的なイデオロギーに依拠しているはずの中共の中国(やベトナム)が、本来保守的であるはずのナショナリズムや民族主義(民族主義のほうは、民族解放戦線などといった左派的な側面もあるけど)を巧妙に利用して権威主義的体制を長らく維持してきたことになる。しかも共産主義国であるにもかかわらず、中国の場合は「改革開放」政策、ベトナムの場合は「ドイモイ」政策を通じて高度経済成長を果たすという資本主義的なやり方すら巧妙に利用してきた。

 

ではなぜ中共のようなイデオロギーの権化がナショナリズムを利用しようとするのか? これは私めの見解で著者がそう書いているわけではないんだけど、おそらくは保守的なナショナリズムは長い伝統のなかで培われてきた文化、慣習、物語、神話などから成る強力なナラティブ、すなわち民衆に強く訴えることのできるナラティブ、そして共産主義のような近代になってから生まれたイデオロギーにはない直観に訴えるナラティブが備わっているからなんだろうと思う。いくら集中的な権力を誇る中共や習近平といえど、14億近い国民にそっぽを向かれたら統治はむずかしくなる。

 

この新書本でも、類似の指摘はあって、著者は体制変動の第三の「供給」条件として、体制正当化の力をあげ次のように述べている。「強制力だけに頼る体制の下では、政策の実施がスムーズにいかないことが多い。支配を受ける市民は、武力による抵抗から物言わぬサボタージュまで、さまざまな形で政策実施を妨害できる。そこで政府を握った勢力は、人々が納得ずくで服従するように、自分の支配を正当化しようとする。そうした正当化の原理を考える出発点としては、マックス・ウェーバーがあげた「カリスマ」「伝統」「法」の三つが適当であろう(93頁)」。

 

「力ずく」ではなく「納得ずく」とあるのに留意しましょう。「人々を納得ずくで服従」させるにはナラティブの力を利用するのが最善であることは指摘するまでもないところ。そしてこの「伝統」に関するナラティブを提供してくれるのが「ナショナリズム」や「民族主義」や「宗教」なのね。ただ共産主義社会の中国では、さすがに「宗教」は表立って使えないだろうから、「ナショナリズム」や「民族主義」が権威の正当化のために利用されているのでしょう(逆に中東では「宗教」が中心になるんだろうけど)。

 

これはあくまでも私め個人の見解だけど、世の中では「ナショナリズム=権威主義的=悪」みたいな見解がまかり通っているという印象がある。しかし本来ナショナリズムが権威主義を生むわけでも、権威主義がナショナリズムを生むわけではない。そうではなく本来それら二つは別個のもので、権威主義者が自己の存在の正当化のためにナショナリズムを利用するというのが真実なのだと思う。そもそも社会主義や共産主義に依拠するかつてのソ連や現代の中国も専制主義的な体制を敷いていた(いる)のだから。それどころか前述の習近平の中共もそうだけど、第二次世界大戦を意味するソ連独自の言い方「大祖国戦争」からもわかるように、ソ連や現代中国のような覇権国の左派政権でさえナショナリズムの力を利用していた(る)くらいだしね。

 

そもそも国民の生活を安定化させるという中間粒度の目標に関して言えば、ナショナリズムはきわめて有効に機能するという点を閑却すべきではない。ナショナリズムに関してはこれくらいにしておくけど、もう一つこの新書本から引用しておく。「政治的・歴史的圧力が国の政策に影響するという点は、内政に限られているわけではない。政治体制の「需要」「供給」要因の所で見たように、自分の地位に不安を持つ政治指導者は、対外的なナショナリズムに訴えることで、国内の支持をつなぎとめようとする。そうした誘惑は、反対勢力を抑圧してでも権力に留まろうとする、権威主義的な指導者ほど大きくなる。内政と外交は密接に結びついているのである。そして、対外的なナショナリズムが、経済力や軍事力の裏付けを得た時、世界のあり様に深刻な影響を与えることになる(151〜2頁)」。現代におけるそのような政治指導者の典型が、ロシアのプーチンと中国の習近平だと言えるだろうね。

 

さて残りの章だけど、2、4、5章は新興国における福祉や経済の実情に関する説明がなされているけど、それらについては特にコメントしない。それよりも重要なのは、「新興国は世界を変えるか」という本書のタイトルにある問いに答える「第6章 国際関係への関与と挑戦」「第7章 新興国は世界を変えるか」だと言える。新興国のなかには、ロシアと中国が含まれている以上、どうしてもその答えが、ネガティブな色彩を帯びざるを得ないことは、最初から予想される。

 

著者はまず第6章でBRICSの最近の動向を追っているけど、経済の範疇で重要になるのは、やはり中国の「一帯一路政策」で、それに関する問題が説明されている「4 一帯一路という怪物」では、よく知られたスリランカでのハンバントタ港事業を始めとした、いわゆる「真珠の首飾り」戦略について詳しく解説されている。そしてその結論として、次のように書かれている。「「一帯一路」イニシアチブは、経済的事業なのか、政治的・軍事的目標を含む事業なのかというあいまいさを残しているとはいえ、「真珠の首飾り」に示されているように、中国人民解放軍の戦力投射能力の大幅な拡大に役立つことは間違いない。中国が「一帯一路」事業を通して獲得する軍事行動能力を、国際法や国際協調を無視して使うようになれば、それは「限定された自由主義的国際主義」という世界秩序への重大な挑戦ということになろう。世界秩序への影響という点では、G20やBRICSという集団よりも、最大の新興国である中国の行動が重要なのである(173頁)」。

 

次に著者は「上海協力機構」について取り上げているけど、ここでは一点だけ引用しておく。「上海協力機構の集団安全保障的な動きは、外部からの軍事的攻撃への対処ということに限られていない。上海協力機構は発足当時から主権の尊重と内政不干渉を大原則の一つに掲げており、民主主義や人権擁護といった欧米の思想的影響を受けた国内の反政府運動に抗して現体制を守ることが、時間とともに重要な活動になっている(177頁)」。

 

こういった中国の動きは、戦前の軍国主義日本を彷彿とさせるとも言えるでしょうね。それにもかかわらず、次の戦争は日本が起こすことを前提とした奇妙な議論が、左派メディアを中心に日本ではよく見かけられる。はっきリ言えば、その手の言論は、結局ア・ラ・戦前軍国主義日本のような中共率いる中国を利することにしかならないと思う。もう時代は戦後ではないんだから、そういう思考様式をいつまでも引き摺っていると結局、一党独裁どころか三期目に入った習近平の個人独裁とも言える権威主義的な専制国家中国が得をするだけでしょうね。かつて第二次大戦開戦前後に、主流メディアは戦争を煽って軍国日本のあと押しをしたけど、今度はまったく正反対の方向から間接的に中国の軍国主義をあと押ししているようにすら思える。

 

第7章については、冒頭の文章がすべてを表わしているのでそれをあげておく。「中国とロシアを主要メンバーとする上海協力機構が、合同軍事演習を積み重ねていることは、前章で触れた通りであるが、中露両国の行動は「演習」にとどまらないレベルに達している。他の新興国の中にも、目的達成のために軍事力行使を躊躇しない国が増えている。そうした軍事力行使は、平和的な紛争解決という「自由主義的国際主義」世界秩序の根幹を揺るがす行為である。言うまでもなく、新興国の軍事的行動の拡大は、経済力の伸長による軍事力の向上に基づいている。その意味で、中国の行動は特に注意を要するだろう。しかし、世界秩序への軍事的影響力を考える時は、それが、必ずしも経済力だけによっては量れないことに注意する必要がある。軍事力の持つ影響力は、現在の経済力ばかりでなく、過去における兵力・武器や軍事技術の蓄積にも依っている。またそれは、近隣諸国との相対的な軍事力の差によっても左右されるので、地域秩序への影響を通して、世界秩序にインパクトを与える可能性がある。ロシアは、この点を示す好例である(179〜80頁)」。

 

力の真空を作れば、そこにどっと軍事大国がなだれこんでくることは地政学的真実であって、今回ロシアは見事にその説が現在でも有効であることを示してくれた。ロシアよりはるかに狡猾な中共は、現時点ではまだそこまでは至っていないけど、今や中国の軍事力行使は「whether」ではなく「when」の領域に入りつつあることを前提に考えるべきでしょう。

 

中露以外でもっとも重要になると思われる新興国はインドだよね。インドはやがて人口では中国を抜くと言われているし(中共は人口に関して鯖を読んでいて、すでにインドのほうが人口は多いという話もあるけど、真実はようわからん)。でもこのインドが曲者で、民主主義国だし中国と対峙するクアッドの一員でありながら、ロシアと軍事や資源に関してズブズブの関係にある。いずれにせよ、今後はインドの動向も要注意でしょうね。

 

最終章には、新興国に対して今後日本が取るべき対応が書かれているけど、欧米との連携をさらに深めるとか、「新興国の継続的な経済発展に寄与することができれば、自由主義的で国際協調的な世界秩序の重要性を、彼らに再認識させることができるだろう(222頁)」とか、当然と言えば当然のことが書かれている。でも後者に関して言えば、「一帯一路」の甘い汁で他の新興国や発展途上国にヒタヒタとにじり寄る、いわゆる「サイレントインベージョン」の中国にその点でいかに対抗すればよいのかについては書かれていない。日本の資金援助でケニアが拡張工事を行なったモンバサ港の運営権が、中国から受けた融資の担保に使われたりしているしね(170〜1頁)。

 

最後にもう一点引用して終わりにする。次のようにある。「しかし、中国の台頭と、中露間の事実上の同盟関係の緊密化、そして両国による「国家主義的自国主義」の実践に直面するようになって、日本と日本国民は自分たちが依って立つ世界秩序の在り方について、熟考することを迫られるようになっている。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することができなくなっているからである(217頁)」。

 

これに関して二点だけコメントしておく。著者がどう考えているのかはよくわからないけど、私めの考えでは「国家主義的自国主義」は、それが国内的なものであれば問題はないと思っている。基本的に国民の生活がかかわる問題に関しては、「自国ファースト」でまず自国の足元を固めることが重要だと考えている。ただそれが拡張主義に接合されて、本来世界レベルで解決すべき問題を無視して、対外的な政策として顕現するのは非常にまずい。トランプがその典型だよね。彼が「自国ファースト」を掲げること自体は特に問題はないと思っているけど、パリ協定離脱とか、本書であげられている例ではWTOの規約違反とか、それを国際レベルまで拡張して適用するのは非常に大きな問題だった。

 

それから「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するというのは憲法の前文の冒頭部分にある文言で、ここでいう「諸国民」とは「諸国家」を意味している(「nations」が不適切に訳されている)。第二次世界大戦直後はそれでもよかったのだろうけど、ロシア、中国、北朝鮮が近くに存在する上に、韓国までレーダー照射事件のようなやばい事件を起こすんだから、たまったものではない。まあいかに現憲法が時代に合わなくなったかを象徴的に示していると言える。ということで総合的には、世界中がキナ臭くなってきた今だからこそ是非読むべき本だと思う。

 

 

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※2023年4月28日