京急電車の部屋

■他社で活躍する京急電車

 都会で役目を終えた大手私鉄の車両が地方私鉄に譲渡されることは珍しい事ではありません。京急の電車は標準軌のため、そのままでは使いずらく譲渡の例はあまり多くありませんが、標準軌の四国の高松琴平電鉄にはまとまった両数が譲渡されています。譲渡の多少は鉄道会社本体より、むしろ系列の車両会社(京急であれば京急ファインテック)の事情が大きいように聞きます。近年大量に譲渡車輌を出している東急と京王はそれぞれ東横車輌電設と京王重機とという子会社があり、ここがなり熱心にセールスしている様です。現在元京急の電車が現役で活躍しているのは高松琴平電鉄だけですが、80年代は以下でご覧頂くように弘南電鉄・総武流山電鉄・伊予鉄道(写真はありませんが)にも在籍していました。

高松琴平電鉄

元京急デハ230形の高松琴平電鉄30形。
全部で7編成14両が譲渡され、一時は志度線・長尾線の主力として活躍していた。第三編成からは正面に貫通扉の取り付け工事が行われた。写真の車輌は京急ではデハ272で原形に近い姿を残した車輌だった。30形は2001年に最後に残された1編成も営業から退き、すでに全車過去帳入りしている。
総武流山鉄道

現在の流鉄はすべて西武鉄道からの譲受車となっていますが、以前はこんな車輌も活躍していました。詳しくは以下の弘南の章でふれますが、元京急400形です。標準軌から狭軌へなどかなり手が加えれていますが、窓の大きさなどは京急の車輌の香りがします。

1981年12月2日 流山駅
弘南電鉄

弘南電鉄100形(108)です。
三井造船玉野製作所製の旧デハ400形で、廃車となった車体を西武所沢工場が一括で引き取り、譲渡先の事情に合わせ改造し譲渡したもの。この時西武所沢工場に引き取られた400形は全部で10両あり、上記流鉄と弘南以外の8両は四国の伊予鉄道に譲渡されています。

1982年8月22日 津軽大沢駅