News >「仕事日記」2005年12月


12月1日(木) DUO with 国府弘子 リハ 渋谷 高木クラビア・サロン
サーカス鑑賞 新宿厚生年金会館
サーカスのステージは音楽の暖か味と照明などの舞台まわりがとてもきれいで、上品な楽しみないし嗜みなかん自我とても良。エコロジーメッセージがちと気に食わぬは当方の趣味故にやりすごしつつ、我が編曲なる二部のCMソング大メドレーについては4〜5回往復の改訂の繰り返しの労が報われし感有之。
12月2日(金) 松田昌レコーディング 東銀座オンキョーハウス
 
12月3日(土) 松田昌レコーディング 東銀座オンキョーハウス
概ねの曲は昨日終わっていて残りを仕上げてNHKへ。矢野沙織ちゃんのスタジオライブ(小井政都志・吉尾キミヒロ)を手伝って取って返す。よく考えたら帰ってくる必要はないようなものだが、そこはそれ、打ち上げ大事。

松田昌の一徹な趣味に付き合う程度の気持ちでいたが、どうしてどうして素晴らしいアルバムが出来た。画期的にしてオリジナリティ溢れるピアニカの名盤の誕生である。
12月4日(日) ジャズピアノ☆パラダイス(国府弘子・佐山雅弘デュオ) 埼玉健康活動センター
テイクファイブ
スカラムーシュ
スタンダードメドレー
リクエストコーナー 
シャレード、寿限無(国府)
ムーンライトセレナーデ、コルコバド(佐山)
シェルブールの雨傘(国府)、黒いオルフェ(佐山)
スペイン、ルート66
ラプソディ・イン・ブルー
ジングルベル(国府)
ザ・クリスマス・ソング(佐山)
Sayamambo

3年前、外せない唯一のスケジュールのために飛鳥に乗りそこね、会場に向かう途中に追突事故に遭った、という因縁の小屋である。が、なんとなんと。スタッフは親切で熱心だし、満員の上に、い〜いお客様だったし、本番に掛けて見ると実にいいメニューだし、いいことづくめ。
12月5日(月) 先生 千葉ヤマハ クリスマスパーティ
 
12月6日(火) スブリームレコーディング(三宅純編曲)狸穴サウンドシティAスタジオ
鎌田名人(レコーディングエンジニア)のマイキングが斬新だった。
12月7日(水) 伊太地山弦楽団 新宿・白龍館
久々の弦カルはますます磨きがかかっていた。一人一人が完璧に自主的に鋭く発音しあって結果として交わるアンサンブルはとてつもなく強固。石井のベースもクァルテットの倍音を大いに引き出す。ピアノ殆ど弾くことなし。
12月9日(金) 沖縄前入り
空港まで迎えに来てくれたユッキーにたのんで糸満漁港へ連れてもらう。室町期の倭寇華やかなりし頃の拠点も、近代的な護岸工事と中型の漁船立ち並ぶ様子から中世を偲ぶ想像力は僕には望むべくもなくただ午後の強い日差しに目を細めるのみ。ハリセンボンがのんびりと浮かんでいる。あれは泳いでいるのではないな、ただ油断しつくして浮かんでいるのだ。ユッキーに聞くと“か〜んたんに獲れますよ”。そりゃそうだろうな。しかも汁物にしてウマイというから早晩絶滅するんじゃなかろうか。

プライベートメインイベント、ジャッキーズステーキハウス。170g1900円。これはとっても安いと思うのだが(勿論素敵に美味しい)昔から知ってる人に言わせるとそれでも高くなってしまったなぁということになるらしい。生ビールも飲んでホテルでひと眠り。なにせお店は10時(22時)からなのだ。当然朝方までにはなることだろうから昼寝はかかせない。何だか変だけど。10時前にユッキーが迎えに来てくれてまずコルコバドへ行こうと言う。かわいいお嬢さんがピアノを弾いていてベースの男性が僕に目合図する。知り合いなんだろうかと考えるが思い出せない。

ま、こういうことはよくあるので気にしないでいると、僕がスタジオワークを始めた24,5のころに金八先生の劇伴などを一緒に働いていた稲沢さんだった。キーボードプレイヤー。吉祥寺出身。その後アメリカにわたり10年前後もあちらで働いていたというから凄い。そろそろ帰国しようとして帰り道に沖縄に寄ったらすっかりハマッてそれっきり。面白い。群馬出身のヨウコさんはもともと沖縄への憧れもあったが、旅行中に耳にした稲沢さんのピアノにすっかり参ってしまい移住してきたそうだ。

この日はベーシストが遅刻する間、本来のピアニストがベースを弾いて弟子がピアノ。素敵なママの歌伴までこなすという変則ステージ。やがて現れたレギュラーベーシストの真境名さん。マジキナ、と読む。連弾などしてワイワイ楽しむうちに泡盛をボトル半分ほども空けてしまうが、昼寝が効いていてまだまだ元気。
アデューに移ってマコトちゃん、なおこさんたちと旧交を温めていると池波志乃さんに紹介された。ビートリッパーというユキタカのやってるバンドをプロデュースしてくれているそうだ。ベーシスト砂川さんの歌声はいつもながら心に響く。自分で歌うからだろうベースラインも青木クラスの流麗さ。後で気付いたのだが何度もここんちに来ていて砂川さんの歌と共演したことはなかったのだった。今のところ純粋なファンというところか。
12月10日(土) M’s うるま文化会館
那覇から1時間ほどの静かな町、具志川町その他が合併なった新生“うるま市”。ライブでもなかなか伺えない沖縄のそんな会館で単独でジャズコンサートが出来るとはなんたる幸せ。

ステージに上がってみるとベーゼンドルファーのフルコン。意外、といっては失礼だが嬉しい。機嫌よくリハを進めていると調律師さんが不思議なことをサジェスチョン。ベーゼンは切れるときは低弦で一直線に飛ぶからベーシストをガードしておいたほうがいい、と仰るのだ。僕は“ま、切れませんから”小井は“切れたら切れたで”というのだが、なんだか心配そうにしてらっしゃるのを見て大坂が“ドラムのピアノ側に譜面台で防御柵を作っておいて下さい。”二台の譜面台を面通しできる範囲ぎりぎりに高く設定したところで“それをするならベースの手前だろう”ということになり、少々見栄えは悪いがピアノの尻に弦飛び防止柵とは相成った。

幸いに切れることなくコンサートは終わって事務室での乾杯もなごやかに。調律師さんもお帰りになったところでスタッフに聞くと、少し前に山下洋輔さんがいらして弦は切らなかったもののジャズというのはあんなにも色んな弾き方をするのだ、とかなり恐れを抱くにいたったとのこと。

島唯一のベーゼンドルファーを預かり管理するおん身としてはさもありなんとご同情。那覇へ戻ってまたコルコバド。翌日はイベントだというのでアデューへは遠慮しておこうと思っていたのだが是非とのお誘いの伝言を聞き、またいそいそと出かける。
12月11日(日) ヒダノ修一トリオ 日南町
那覇から福岡へ、博多から岡山へ、そして生田と小刻みに眠りと目覚まし時計を繰り返してやっと会館に辿り着くとヒダノ君の大太鼓がステージ中央にデ〜ンと鎮座ましましていて大迫力。ここんとこ毎日撮っている携帯電話カメラをこの日は逃したのが残念。

ホテルをとってある米子に移動しての打ち上げは魚も酒もとてもよく、日曜日のこととて二次会のためのバーなどないかと問うに、お知り合いの店を紹介してくれて電話もいれておいてくれる親切さ。土井さんに尺八や師匠筋など興尽きぬ話をしてもらい、ちと宮城道夫をたどってみようかと思った。

ヒダノ君も酔うほどに口が回り出し、アシスタントの一人が尼崎出身だったり盛りだくさんの飲み会だったが僕は途中で降参・退散、午前2時。皆は5時ごろまで飲んでいたそうだ。

恩田さんは館長ではなくて事業企画の偉い人だった。
12月15日(木) ジャズ絵本リハ 青山円形劇場音楽室
観劇:セパレートテーブル
一部105分、二部85分の長丁場。役者というのはすごいものだ。歌川さんが特に良かった。それにしても中川さんの明りはいつも感動する。晴れてはいるが雪模様、という光が上手窓から斜めに差し込んでくるのである。
12月16日(金) 三国前乗り
大雪のため中止か延期かと昨日もめていたが決行の運び。横浜から乗り込んできた能祖将夫氏は徹夜で二千字の原稿と書き下ろしの詞、という二つの仕事を脱稿したばかりだという。目指せ文筆業。“寝ますから”とは仰るもののそうそうは眠れない体質らしく、ここんとこゆるいスケジュールで睡眠充分の僕の方がぐーすか寝ていて米原で起こされる始末。北陸本線に乗り換えるとやがて窓の外は雪景色。

芦原温泉駅で三宅小百合さんのお出迎え。ロータリーに廻して貰った車に乗ったときには靴が既に雪まみれ。辿り着いた三国未来文化館のヤマハCFIIIは年月の経ちようがちょうどほどよく手に馴染む。スタインウエィやベーゼンドルファーと対する時の巧まずして出てくる固有のいい音に引きずられるのではなく、あくまで我が指と耳でコントロールしてゆく快感がある。

かつての紅燈街(の一本裏の別宅街らしいが)の文化財指定を受けている大正期のおうちをお店にしている魚志桜(ウオシロウ)。障子に三日月とこうもりのデザインは昔のモノながら斬新で、なんでも蝙蝠は必ず群れを成すので客商売には縁起がいいとされていたとか。

上出さん現る。すぐ裏にお住まいとのことで、ここんちの奥座敷など案内してもらえば雪見障子の向こうはほんとうのお庭で雪の積もった中から生え出る見越しの松もあでやか。初めて三国にきたジョニーバンドの話や、最近ご覧になったという金子マリ・北京一・有山淳司の下北ライブのようすや、昨年当地に招聘したという高田渡・加川良・南こうせつ(!)の3人組もこの魚志桜の奥座敷で楽しく打ち上げをなさったという。

湯豆腐から初めて、だだ??(鱈の白子)の天麩羅、鱈の昆布〆、甘海老などいただきながら燗酒は“一本木”。いかのイキの良さは絶品で、たこの酢味噌和えをいただく頃にはすっかり酔いも回ってからしそばで締めるが話が中々尽きない。

ようやく宿に戻ると夜中じゅう温泉が空いている。靄に煙る向こうには名物の畳湯。入るとますますの湯気で何も見えないところへジャブジャブと湯をかぶる音だけが二人前。千と千尋の神隠しだったらどうしよう、とさっさと上がる。ちょっとしたミステリーが書けそうな体験。
12月17日(土) ジャズ絵本
ぼく逃げちゃうよ
アドリブ三題噺  
ひとしずくの水
あくたれラルフ  いつやっても楽しい
森のなか  初めてうまくいった。入り口と出口をジムノペティ、中身はゴールドベルク変奏曲。
月の船
創作詞(能祖将夫)

青山で本番中(アラカルト)の中西俊博君頭痛の報有之。彼ほどのミュージシャンが本番中に訴えるなどはけだし重大事態と言わざるを得ずにして一同不安を隠す能わず。

帰り道、東尋坊など回り道しながら送ってもらう。海一面の波しぶきというのを初めて見た。
12月18日(日) ソロ 市の蔵公民館
ゲスト:プリスカ・モロツィ

Maple Leaf Rag
Take Five(Dm)
おんなのため息
リクエストメドレー:Danny Boy, 雪の降る街を,Sing Sing Sing, Yesterday, Star Dust

Silent Night (プリスカ、アカペラ)
Winter Wonderlando(Prisca)
Summer Time(Prisca)
The Christmas Song(Prisca)

Round about Midnight
Sand Witch 3-2-3

Please Send Me Someone To Love(Prisca)
Everyday I Have The Blues(Prisca)

Encore:
Holly Night(Prisca)
Hymn To Freedom

前入りしておいてお迎えを待つ。こんなに楽なことはない。気持ちも焦らないし。乗り打ちでもさほど焦るわけではないがなんといっても余裕が違う。演奏に向かう気の鎮まりというものを実感する。

午後の山越え(多治見〜市の蔵)ですでに粉雪。プリスカは一旦乗った自動車を引き返して電車で出直したとのこと。

二階の広い和室が楽屋。8面もあろうかという窓の外はますます降りしきる粉雪。正座してひたすら眺めてしまう。テーブルに活けてあるカンガルー・ポウがこの和な空間に不思議にマッチしている。

○ 粉雪を眺む和室に洋黄花

立ち上がりて窓に寄ってみる

○ 粉雪に 松も瓦も染まりけり

見上げると同じ色なので空からというよりは空間から粉が湧き出してるようだ。

○ 空の白 砕けるごとく 雪の降る

この短い間にすっかり待ちは覆われて

○ 辛うじて 松の緑や 冬景色

“サンド・ウイッチ”の佳境で弦が切れた。記憶を辿れないくらい久しぶりとはいえ、切った途端その寸前の荒弾きに思い当たるのは同じ。不思議なのは切れたのが低弦のEなのに高音部上から二つ目のCあたりから弦が飛び出してきたことだ。勢いがとてもあった。張り巡らされた百本以上の弦の裏側を瞬時に跳ねて当たって巡ってある一点から飛び出してなお2mは飛ぶのだからその物理量たるや推して知るべし。沖縄うるまの調律師さんの心配もあながち杞憂ではなかったわけである。
12月19日(月) 伝兵衛DUO 姫路・ライラ
Wesが聴こえる
湘南Rainy Days
うぶ声(The First Cry)
夕暮れのラム(Summer Afternoon)
雀荘のえっちゃん
夢はいつも
二つの影(Long Time No See)
言葉のない夜(Mind Talk)
君の誕生日(Martha)
Summer Time
椰子の葉陰で
いつものズブロッカ
誓い(Faith)
またしてもハイウエイ
旅路より(Tears Of Nature)

僕は雪の多治見から、伝兵衛は大雪の山形から。同じ列車(東海道新幹線)の名古屋で座席合流する予定はきっと狂うだろうと思っていたら無事だった。日本の鉄道は大したものである。というと伝兵衛“インドじゃありない。”そりゃ比べる相手が飛躍しすぎである。

なんでも書籍を出版しようとしてるらしくいくつかのテーマの原稿を見せてくれて、それはとても面白く、伝兵衛だけが行ってきた体験を、伝兵衛だからこそ感じることの出来るさまざまを、伝兵衛にしか書けない貴重でいい本になるだろう、とは思うがしかし、もっと目前に迫っているはずのぼくとの宿題が手付かずなことの言訳である事くらいは、長い付き合い、すぐに見抜くのであった。

その宿題というのはこれから作るアルバムのうちの一つは伝兵衛の書き下ろす歌詞にぼくが曲をつけるというもの。こういう人(ナマケモノ)は一緒にいるときに働かせるのが一番。場面や方向性などいろいろ話してるうちにイメージが固まってきたところでアイデアの閃き!あるとても都会的な曲があるので(洋物インスト)それに歌詞をつけてしまえ。そしたらメロディを外して、その歌詞に改めて僕が曲をつける。

うまくいった!字数に合わせて見事に情景を紡ぐ(この辺がペテン師だというのだ)横で新しいメロディを書き連ねる。大阪から始めて西明石を過ぎる頃に曲まで出来てしまい、乗り過ごしても浮かんだ言葉とメロディはまとめておくべし、と軽くハラをくくってみたが降りる準備に慌てたくらいで済んだ。

原専務、巽医師のコンビによる主催も会を重ねて今回は僕の思い出のライブハウス“ライラ”を借りてくれて嬉。

25年も前だろうか、いやプリズムが本格化する前だから30年ぐらいにはなるだろう。小津昌彦トリオプラス金子晴美で西日本ツアーをした。東京を出て西へ西へとポイントを辿りながら九州を一回りするのは今も昔も変わらぬ合理的ツアー法だが、楽しむだけ楽しんだら実家に帰って家業を継ごうと思っていた身にとってそれはそれは夢のような旅だった。学生同士から一緒に上達してきた親友の斎藤誠とふたつ年上のかわいい歌手と。上手なドラマーというのはこんなにも楽なものかと毎日実感しながらもさまざまな教えを受けながら毎晩の酒の旨いこと。

なかんずくライラでの“If I Were A Bell”の演奏がそれまでの自分からは考えられないスイング感と、次から次へとめどなく溢れるフレーズに自身がたじろいだのを覚えている。細かなステップアップを重ねている中で、たまに一瞬で大きく飛躍することがある。20代前半の僕にとってのその瞬間はまさにここライラであったのだ。
12月20日(火) 伝兵衛DUO 福山・ハイダウエイ
Wesが聴こえる
湘南Rainy Days
うぶ声(The First Cry)
夕暮れのラム(Summer Afternoon)
雀荘のえっちゃん
夢はいつも
二つの影(Long Time No See)
言葉のない夜(Mind Talk)
君の誕生日(Martha)
嘘が八個
椰子の葉陰で
いつものズブロッカ
誓い(Faith)
またしてもハイウエイ
旅路より(Tears Of Nature)

前回来たときに花屋さんのブルースピアニストに勧められて聴いたCDの主、とも君が打ち上げで弾き語りをしてくれた。さくら、など僕には馴染みの薄いJポップを3曲。盲目の上に右手が使えないのだが、力強い左手のほぼ3和音ノーペダルと歌声でばっちりいい表現になるのだ。グルーブも抜群。ピアノがそこそこ弾けてなんだかポップスがイマイチ、、、なんてヌカシとるものどもはとも君体験をすれば目からウロコがおちることだろう。

前回に続いて二次会にヤタちゃんと行ったのはハイダウエイ・トクマスターのお姉さまのお店。福山市内。辿り着いてみると“まぁ、やっと来た”。ドレスアップしたマダムが8人ほどもいらしただろうか。かけつけ4曲(うち二曲はママの歌)でマダム連はお帰りになり、よっちゃん(すし屋の店主)の持ち込んでくれた握りが極上で、こりゃぁ日本酒を呼ぶねぇ、との呟きに好みは何だというので応えたらなんとひとっ走り店まで行って一升瓶を二本抱えて来てさぁ飲もう。気風(キップ)がイイってのはこのことだね、とばかり立山と男山を交互にいただく。

話すうちによっちゃんと僕が同年だということがわかりますます打ち解ける。ヤタちゃんとのセッションも楽しく夜は更けて、今度はママが仕入れた旨いチーズが出たのでそれじゃぁ赤ワインだ、となりなんだか好きに飲めてるような人体実験のような、、、。どうやって部屋に戻ったのだろう。
12月21日(水) 伝兵衛DUO 三原 グラン・カフェ
今日は夜走りなので宿がなく、早く着きすぎた三原の港から用もないのにフェリーに乗った。いいですね、こういう酔狂は。鷺島経由で因島。下船せずに復路となる。1時間の行程がとてもゆったりといい気分。ようやく開いたお店に入ったらピアノが見当たらぬ。

ふと気が付くと、2mもあろうかという割り箸細工の船の模型・水を欲しがっているような観葉植物が3鉢・大型のスピーカー・工事現場用の白いヘルメット・女の子がブランコに乗っている型紙(これも2mほど)その他雑多極まりないものどもの乗っかっているのがグランドピアノであった。世界で一番可哀想なピアノだろう。それはよいが調律していないのは無条件でわかるので不安。弾いてみたら意外にまともで、鳴りもいいので驚いたり安心したり。

紹介されたお好み焼き屋さんはさすがにうまい。こちらは広島風なのだがタイトルは“モダン焼き”だったのが不思議。

打ち上げになってみると客全員がフォーク好きで、まぁみんな次から次へ良く歌う。なごり雪から22才の別れ、はてはメリージェーンまで飛び出して果てしない。これから走るというのに伝兵衛も上機嫌でギターを弾いている。出発した午前2時前後は雪の粒が大きくなりつつもあり、道路に積もりだしていた。
12月22日(木) 伝兵衛DUO 和歌山 ラバー・ソウル
夜明け前の6時にホテル着。移動中眠っていたので10時過ぎには目が覚めてトンペイちゃんに電話。ピアノを弾かせてくれとせがむと、最近オープンした練習スタジオに案内してくれた。ステージアとS4(?)できつきつの部屋はそれでも防音が効いていて僕には天国。5時間ほどはあっという間に経ってしまった。興はまだまだ乗っていたのだが左手が痺れてきたので終わり。久しぶりにみっちり弾いたら本番はもぬけの殻。それでも歌が始まると今日は今日の景色が見える。
12月23日(金) 伝兵衛DUO 新城 ???(最近オープンしたイタリアンレストラン)
東名・名神の名古屋周辺が通行止めという異常事態の中、とりあえず京都まで出てみたところで開通の報せ。見渡す限りに埋まっていた車も一斉に動き出したのでついつられて栗東を通り過ぎたのが間違いの始まり。すぐに止まって1時間。300m進んでまた90分。ゆっくり眠る途中にふと目を覚ますとこの寒風の中、裸木に柿の実がいっぱい。車が止まっていたので数えてみたらばその1本に100以上あった。

○ 柿百個 葉の落ちきった木にそよぐ

などと呑気な事をいってるうちに夕方の4時を回る。川久保氏の指示で近江八幡駅に車を乗り捨てて米原、そして豊橋へ。エイスケ君のお迎えで現場入りできたのは22時前だったろうか。何人残っているか賭けようなどとフトドキなことを言い合っていたのだがなんと全員待っていてくれた。嬉。ピアノは新品のヤマハアップライト。ハンマーに弦の跡が全くない、というのはタッチコントロールの難しさは別にして、気持ちのいいものであった。

終演後伝兵衛は川久保さんの車で滋賀まで車を取りに。川久保さん可哀想。取り残された僕は江戸にももどれず立ち往生。
12月25日(日) 伝兵衛DUO 伊東・クラップス
一人で降り立つ伊東駅は寒風すさまじい。まっすぐ宿へ、即風呂へ。一時間程もぼ〜うっとしてから夕方の街角へ。刺身・煮魚定食はボリュームたっぷりでビールと燗酒各1本と中盛ご飯で丁度良し。

やがて伝兵衛と合流して聞くところによると、一昨日は雪と渋滞で米原方面を断念。豊橋泊の翌朝一番で東京へ戻りそのまま渋谷のライブ。今日再び豊橋まで行くとその間に川久保さんが近江八幡まで伝兵衛号を取りに言ってくれて豊橋まで受け渡しにきてくれたそうな。えらい!可哀想。

照ちゃんが鯛の手ぬぐいをくれた。元二子山部屋・伊豆乃花、山田さんがアワビの刺身をくれた。
12月26日(月) 伝兵衛DUO 倉敷・クッキージャー
ユミちゃん、ヒロコちゃんの容麗濠も衰えず艶やかさ増すばかりにして、狭い店尚且つロック系のバンドも多かりしに納入したアップライトピアノを、今日に合わせ調律を仕上げ万全の態勢で迎えてくれることの嬉しさよ。
12月27日(火) ソロ 日本橋ディスクピア・インストアライブ
Mind Talk
Floatin’ Time
Autumn Leaves
Softly As In A Morning Sunrise
ゴールドベルク変奏曲より アリア〜第7変奏
Hymn To Freedom
Spain
 
平日は極端に集客が悪いとは仰るものの一桁の客数は我が身の不行き届きを嘆くのみ。担当亀井氏、調律高橋氏の誠意に報われし思い。20年近くも無沙汰をしただろうか村田氏との邂逅有之。家業の傍ら音楽学の講義をいくつかの大学にて受け持たりし由。

李京龍(イ・ギョンヨン)氏来たらず。。
12月28日(水) 伝兵衛DUO 大阪・ダルマード
李京龍氏来る。約束の日を一日取り違えたるは彼我いずれの勘違いにあらんかは最早問わず大いに語る。セレネの上坂さん同行。ソウル・NY・LA・伊国へと我らが夢の雄飛留まるを知らず。青雲の志抱きし若者の荒唐放談に似て愉快なることこの上なきに増して大いに可能性・現実性あるを鑑むれば我が初老後の如何計り若者の未来に勝るとも劣るを知らん。

上記いささか難解文章に成りたるその故は以下。

イさんと話していて“老人語”という分類のあるのを聞いて、多少ショックだったが面白くもあり、自己内流行を見せる。卑近なる用語を使うならば“マイブーム”とも云うべきか。
12月29日(木) セッション 名古屋・スターアイズ
倉田大輔(Dr)
小井政都志(B)
入山ひとみ(V)
松田昌(ピアニカ)<<<飛び入り(の割にはいっぱい働かせてしまった)

Mind Talk
Long Time No See
マドモアゼル・ド・パリ
ドナ・リー
So Long
Tag
Nica’s Dream
Above Horizons
Floatin’ Time
以下セッション
Relaxin’ At Camariro
So Many Stars
Summer Time
レギュラーによる最後
Ladies In Mercedez
トリオによるアンコール
Creopatra’s Dream〜Anthony’s Scream

2デイズの初日はセッションデイとの告知は当方としてはステージ上がセッション性の高い組み合わせとの意なのだが、受け取り方によっては参加自由とも読めて、事実そのつもりで来ている人が何人か居たので二部の後半はそのように。進行中のベストアルバムの曲順そのままにセッションをという当初(といっても前日の思いつきに当日慌てて大量の譜面を書いただけだが)の希望はぼ演じられたが多少尻切れの感有之。

松田昌と大いに語る様は大学教授の議論めいて面白かったが、最後には男会話の落ちるべき場所に落ち着いて終わる。ひとりランプへ行き上等なるラムを二杯のみ宿へ。ハードボイルドである。
12月30日(金) M’s 名古屋・スターアイズ
Falling In Love With Love
What Is This Thing Called Love
Giant Steps
Falling Grace
Yesterdays
Ladies In Mercedez
Long Time No See
So Long
Tag
Like Someone In Love
Extended Play
Limehouse Blues
アンコール:???

M’s久々のライブハウスに大坂昌彦すっかり修行モードでぼくもひぃひぃイイながらの演奏はビシリと締まってとても良。スタンダードの新曲多し。といってもヘッドアレンジ成行きモノだが、それはそれでセッション性のスタイルができつつあり、それも今後の傾向を示すものとして収穫大。
12月31日(土) M’s カウントダウンライブ 韮山時代劇場
ゆっくりするなら都会で、という大坂を名古屋に残して小井政都志と二人で午後には現場に到着。イチゴ狩りに連れて行ってもらう。スタッフの一人、鈴木さんのイチゴ畑。少しくムッとするビニールハウスで赤くなっている実の裏を確認して先っぽを齧ると、、、甘味がやはり違うものですね。おなかは膨れてきているのに歩きながら赤い実を見つけるとついまたついばんでしまう。鳥になった気分。いやいや鳥さんは必要以上には食さないのだから下世話な鳥類といったところか。

○苺畑 赤い実のなる白い花

瀬木ソロ>越田太郎丸とのDUO>佐山入ってトリオ
の流れで一部
M’sが二部で休憩に。
カウントダウンを挟んで合同演奏。
飛鳥で大坂が作った“ディープ・ブルー”や今回僕の書き下ろした“伊豆の虜”もM’s+瀬木にマッチ。Floatin’ Timeの生ギターバージョンがことのほか素敵だった。 

沼津に出て宿泊。近場の飲み屋に電話すると満員で40分待ちだというのでタクシーで移動。岡本まるもちゃん、美容院のこととてコンサートは諦めたものの打ち上げに合流してくれて嬉。こういうちょっとしたフットワークを見せてくれちゃうと、またライブにも行こうという気持ちが強まる。出会い・ご縁を実に大事になさる母上の薫陶だろう。最終営業日のあとのダメ出しは厳しかったらしいが。

< Last Month▲page topNext Month >


2005年