渓流釣り旅行記`92ダイジェスト 中部・紀州・東北編


 会社を辞めるって楽しいなあ。
 そんな時しかまとまった時間がとれないから、思いっきり遊んじまおう。と言って、その後は就職もせずに早7年(`99年時点)、自営業でここまで来てしまった。お陰で甲斐性なしとの誉れ高い男に成長した。ザマアミロ.......

 会社を辞めた年に4月半ば過ぎから、信州、木曽周りで紀州へ1ヶ月半くらい、その後、夏から秋に掛けては涼しい東北へ同じく1ヶ月半くらい釣り旅をした。ジムニーに一式積み込んで、中を寝れるように改造して出掛けた。テントも持っているのだが、張るのが面倒なので車の中の生活が多かった旅だ。

 それまでは釣りに興味がなかったのだが、野宿して廻るには食糧の自給率を高めなくてはと検討しているうちに、渓流の美しさに圧倒され、のめり込んでしまったのである。餌とルアーがメインで、テンカラはちょっと触ったくらい。ルアーのスピード感が好きだ。源流でのルアーはスリル満点なのだ。
 渓流でのルアーは、当時(`90年代初期)、関東では殆ど知られていなかった。東北が本場で、どこの釣具屋にもロッドやルアーが沢山置いてあった。私は直ぐ影響される新しもの好きミーハーなので東北に行った途端にルアーを始めた。でも、東北の渓流魚はルアーずれしていたね。
 そうそう、先だって行った紀州では彼の有名なレベルラインテンカラの竹株渓遊師にもお会いし、尾鷲市内のレベルラインテンカラをやる人にキャスティングを教わった。レベルラインの8mは紀州のダイナミックな渓谷に合っている。条件さえよければ結構飛ぶもんだぜ、と思ったが、やっぱり難しいのでその後触っていない。


 

 東北は全県廻ってきたが、気に入ったのは秋田と津軽。秋田は良いなあ。山も川も人も好きだ。あと津軽は小泊村の飲み屋で一緒になった役場の秋元さんの家に泊めて貰ったので印象深い。綺麗な奥さんと可愛い子供たちと、都会の暮らしなんか比べものにならないくらい良い生活をしているのが羨ましい。年賀状とたまの電話ぐらいだが、いまだにお付き合いいただいている。
 小泊村は津軽半島の竜飛崎の南にポツンとある村で寂しいところと思っていたのだが、私の思いこみとは違い、住む人はみなオープンマインドだ。海の民で、大昔からの交易の中継地点として人の出入りが盛んだったからだろう。嫌あな体験を幾つもしたF県の山奥とは対照的だった(この県も低い方面の海寄りは良い人が多いんだけどね。住むところで、人柄が全然違う、県民性や地域性が、狭い日本の中でも色濃くあることが解った旅だった)。小泊村では津軽海峡をシーカヤックで北海道に渡るイベントをやっている。関東や関西からの参加者が多いのだそうだ。

    

 秋田の早口川支流薄市沢での尺上山女魚。3gの岩魚スプーンに来た。丁度雨の降り始め、落ち口から頭だけ覗かして、ゆっくりルアーを引いたところにガツンと来た。
 高祖の花田邸(釣り券売っているおじさんの家)で記念写真を撮り、比内町の田村旅館で刺身にして貰ってみんなで供養した。花田邸では遡上してきた鮭(65cm)を前日に上げたとかで、一緒に写真を撮った。

 さて、山も田畑も美しく気に入った秋田であるが、その秋田の山でさえも結構荒れていた。林道を行き止まりまで入っていくと、ブナ林の伐採の痕が目立つ。林道の周りは綺麗なのだが、その奥へ踏み込むと目立たないところで伐採が進行していたりする。それでも秋田は綺麗だと思う。他県でも同様な状況を沢山見たけれど、もっと荒れていた。秋田は伐採の跡も綺麗に処理しているように思えた。それは森林だけでなく田圃のあぜ道などの造りや手入れなどでも、そう感じる場所が全般に多かったように思える。もっとも全部を見て廻っているわけではないから感覚的な印象であることは否めないが自分にはとても良かった。

 秋田といえば秋田杉が有名だが、雄勝から鳥海に抜ける途中の丁川沿いで何日も泊まった大平キャンプ場(余計なものが何もなくて凄く良かった)を管理していた方に林業の状況を聞いた。よもやま話をしていたときに、その方にキャンプ場の向こう側の山の杉林(貧乏人の感覚には掴めない広さだった)を伐採して幾らくらいになると思うかと質問をされた。解らないので訪ねると、伐採して処理して運び出して売った純益が200万円位しかならないと言う。一山というほどではないが、それでもかなりの広さだ。そしてキャンプ場に積んであった秋田杉の丸太の山、それが幾らくらいか聞いた。太い杉の木が一本2万円位だと言う(`92年の話し)。市場に出るときはメチャ高くなっているので、間のところが相当の利益を得ているらしい。そういう機構になってしまっているのだそうだ。それでは外材と比較にならなくなってしまうと仰っていた。そうやって、日本の山は死んでいっているのだなと納得。


    
 秋田藤駒ヶ岳のブナ林。           暑いときはこれに限ります。沢の水で冷やしたお蕎麦。

    

藤駒湿原                   青森で釣った、尺上のアメマス


 会社を辞めた後の、四月後半には木曽でテント暮らしをしていた。寒かった。釣り初心者はヤマトイワナの7寸前後のを釣って食料としていたが、この時期の川での風呂や洗濯に懲りて、2回くらい宿屋に逃げ込んだ。

 

 木曽の次は高山を越えて長良川だ。もう鮎のシーズンに入ろうかという時期だったので、支流でアマゴ釣りに興じた。高い釣り券とヒラタを買ったけれど初心者に釣れるのは7寸以下の可愛いやつだけ。そのあとは、折れた竿の部分を手に入れる為に大阪のシマノの本社に急いで廻り、そこから和歌山に入る。

 ところが、紀州に入った途端、もう其処は初夏だった。木曽ではタラの芽がやっと顔を出すくらいだったのが、紀州に行ったらタラの芽はもう完璧に開き、枝を張ってしまっていた。結局、何処でも食べられず終い。やっぱり春に合わせて一旦南に行き、それから北上しなければいけなかったのか?

    

紀州日置川水系将軍川の奥。ここは当然アマゴの生活圏だ。

      

 ここは大台ヶ原東の川。景色は素晴らしいが、ひどいところだった。2年続けて行ったが、ほとんどぼうずに近い状態。聞けば、大阪方面からたくさんの人が入っているとのこと。禁漁区域までザイルを使って入って持っていってしまうのだと。知らなかった。もっとも釣り修行を始めたばかりで何も解っていなかったからね。
 河原にあまりゴミが落ちていないのが救い。


 紀州の親戚の家へ転がり込む。うちの爺さんたちから前の代の人達は鰹船をやっていたのだ。いまは鯛や河豚の養殖、ミカン山に干物加工販売などだ。湾に見える四角い点々が養殖の生け簀。今の養殖はチョット???のところがある。でも、ビジターで手伝うには最高。すっごい良い生活だ。東京都心に働きに出るなんて、クソみたいなことするのが馬鹿らしくなる。

 随分と昔、浪人の時分には何カ月も居候して、毎日海に手伝いに行かせて貰っていた。その頃の生け簀は、孟宗竹の太くて長いのを山から切り出し乾燥させて於いたものを使い、四辺に何本も組んで枠と足場がついた立派なものを漁師自身たちが作ったものだった。いまは鉄製なので、ときどき陸に上げてついた貝を取らなければいけない。どちらにしても重労働。生け簀の網も、ときどき陸に上げて、破れを見たり、貝を落としたりメンテしなければいけないからね。生き物相手は大変だ。何かあったら、損害は半端じゃあないし、生業にしている人は大変だと思う。でも、私の場合は組織に飼われているよりは良いなあ、と思う。

 朝は早く起き、船で漁協に行って生け簀の魚達の餌を積み湾に出る。暑くなりそうなときは氷も桶一杯に貰っていきビールを突っ込んでおく。弁当は持って行くが、たまにはその場で魚を釣って、サシミや塩焼きにしてビールと共に頂く。たっまりません! 身体が馴染んでしまったものだから、横浜に戻ってからも、よく紀州へ“帰りたい”と騒いだものだった。紀州の海っぺりは良いですぜ。海からちょっと数十分ほど山に入れば彫りの深いダイナミックな渓谷が切り立っている。海も山(渓流釣り)も楽しめるし、年間過ごしやすい気候だ。
 今回は、朝3時から、他の漁師さんの船に乗せて貰って漁に連れていって頂いた。前日に酒を飲み過ぎてしまって、うううう、大変だった。漁師さん達、済みませんでした m(_ _)m

   

   

 大工の与(ヨウ)ちゃんの所の宴会にお呼ばれ。このオッサン悪いやつで、潜りでサツキ鱒や大アマゴを捕りにいくもんだから、仲間の釣り師から散々嫌みや文句を言われていた。その仲間の萩原さんの冷凍庫の尺アマゴを見せて貰ったが、ハナ曲がりの凄い形相の雄だった。
 みんなで大台ヶ原の宮川水系大杉谷のヤマト谷へ釣りに入ったときは、ウェーダーとかガムテープできっちりガードしたウェアを着ていたのにも拘わらず、ぶっといヒルに全員やられてしまい、その中のメンバーの一人は、ウェーダーを脱いだら大事な玉袋の真下にパンパンに膨れ上がったデッカいヒルが吸い付いていたの見て倒れそうになったなど、オモロイ話ばかり聞かされた。みんな楽しい人間ばかりだ。

 実際、大杉谷あたりのヒルはデカイんだ。わたしも吸われまくったモンね。それだけじゃなくこの一帯のミミズには巨大なのが居て、人差し指ぐらいの太さで長さ25cm位はあろうかというのが、蛇みたいにガサゴソと落ち葉の中を素早く這っていく。
 紀州は、北の渓流とはまた雰囲気が違い、なにか空気も密度が高く酸素が濃い感じがする。大台ヶ原の周りが特によい雰囲気だ(紀州は林業が発達しているので針葉樹が多いし、舗装された林道が縦横無尽に走っているから手つかずのところが少ない)。なにか得体の知れないものが出てきそうなヴァイブレーションが漂うのもいい。日本狼が居てもおかしくない雰囲気だし、山の奥にいると、いつも何かに見つめられているような気がする。修験者の亡霊やなんか出て来ちゃったら最高なんだけどな。そうしたら、アガとガイなモンじゃにゃあ、にゃあアンにゃん!(あんた大したもんだなあ、ねえ兄さん!)と出てきた奴に言ってやるんだけど。。。

 皆さんも会社辞めて旅に出ませんか?


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