岸上大作 きしがみ・だいさく(1939—1960)


 

本名=岸上大作(きしがみ・だいさく)
昭和14年10月21日—昭和35年12月5日 
享年21歳(釈大道)
兵庫県神埼郡福崎町西田原 共同墓地


 
歌人。兵庫県生。國學院大學。昭和35年秋、安保闘争の経験と失恋を詠んだ『意志表示』で短歌研究新人賞推薦次席。安保世代の学生歌人として「東の岸上大作、西の清原日出夫」と呼ばれたが、同年自殺した。絶筆『ぼくのためのノート』。ほかに『もうひとつの意志表示』などがある。






 

分けあって一つのリンゴ母と食う今朝は涼しきわが眼ならん

かがまりてこんろに赤き火をおこす母とふたりの夢をつくるため
                                                             
木の橋に刻む靴の音拒まれて帰る姿勢を確かにさせる

幅ひろく見せて連行さるる背がわれの解答もとめてやまぬ

意志表示せまり声なき声を背にただ掌の中にマッチ擦るのみ

血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする

生きている不潔とむすぶたびに切れついに何本の手はなくすとも

 


 

 父は戦病死、母の手だけで育てられた青年がひとり、薄闇の荒野で立ち止まる場所は何処にもなかった。時代は青年を怒らせ、青年を走らせ、ついには青年を背いた。青年は母を詠い、恋人を詠い、行動を詠い、断絶を詠った。冬の陽はたちまち沈んでも、青暗い夜はいつまでも明けることはなかったのだ。行く末の望みは失せて、ほとばしる溜息だけが生きている証だった。
 昭和35年12月5日、岸上大作は、最後の炎を燃え上がらせて54枚もの原稿用紙に遺書を書いた。7時間をかけて死の寸前まで書き続けられた『ぼくのためのノート』、東京郊外、四畳半の下宿の窓で縊死した学生歌人の烈しい青春の情熱と熱気は、一瞬の閃光を残して彼方へと空しく消えていった。



 

 学生運動は挫折にしか辿り着けない迷路のようなものであったのだろうか。
 闘争や恋愛に傷心し、21年のあまりにも短い生涯、逃れようのない挫折によって、絶望の言葉を区切った学生歌人岸上大作。その墓は、兵庫県南西部のなだらかな山と丘陵に囲まれた小さな盆地、民俗学者柳田国男の生家に近いこの田舎町の、山裾の農道脇を削って造られたわずかばかりの墓域にあった。
 戦病死した父繁一と、平成3年に74歳で逝った母まさゑの墓に挟まれた「岸上大作之墓」。貧困の母子家庭、孤独の18年間を過ごした山里の朝もやに湿った反射光は碑面をつやつやと黒光りさせ、墓は羨ましいほど絶対的な強い意志を持って雄々しく建っていた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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