菊田一夫 きくた・かずお(1908—1973)


 

本名=菊田数男(きくた・かずお)
明治41年3月1日—昭和48年4月4日 
享年65歳(久遠院法晶日夫居士)
東京都八王子市上川町1520 上川霊園1区1番85号
 



劇作家・演出家。神奈川県生。台湾城北小学校中退・実業学校(夜学)。小学校卒業前から年季奉公。大正14年上京、印刷工、サトウ・ハチローの内弟子などをする。昭和5年処女作『阿呆凝士迷々伝』を発表。以来、『笑の王国』で劇作家の道に入る。『鐘の鳴る丘』『君の名は』『がめついやつ』『放浪記』などがある。






 

 「そう言えば、和具の謙吾さんて人がね、何か相談があるから、近いうちに東京に出てくるってよ。悠起枝さんが言ってた……心配してたからね。私は、きっと、お嫁さんでも貰う相談じゃないのかいって言ったんだ」
 まるで、この場の雰囲気にそぐわないことを言うのは、てれくささを隠す綾の人の好さなのであろうか。
 「やれやれ……折角手を握ってくれたと思っても、これだって、何も、あなたが好きですよという手の握りかたじゃないんだからね、いやんなっちまうよ」
 綾らしい言いかただった。春樹が笑うと、
 「早く行っておやり……」
 「ああ……」
 春樹は、朝霧の数寄屋橋を、真知子の待っている診療所へむかった。
 綾は呟いた。
 「忘却とは、忘れ去ることなり、……忘れ得ずして、忘却を誓う心のかなしさよ……か」
 数寄屋橋のてすりから川面をみると、それでも静かに川は流れている。水は流れずとも、その橋上を往き交う人々の運命が、いつも、たえずその川面に映り、そして、静かな流れに見せているのであろうか。
 綾の背後を、轟然たる音を立てて、朝の一番電車が通っていった。

(君の名は)

 


 

 辛酸をなめた育歴は想像を絶するものがある。生後間もなく養子に出された。養家の両親と渡った台湾では捨てられ、他人の手で養われた。小学校も学業半ばで年季奉公に出されてしまった。上京後は印刷工の傍らサトウ・ハチローの庇護を受けて芝居作者の道に入っていったのであった。
 ——〈理想と現実。語ってきもちのよいのは理想で、その理想が崩れて夢と消えるのが現実である〉と、菊田一夫は書き、〈菊田ほど仕事の好きな男を私は知らない。その仕事好きが彼を大成させ、そして彼を殺した〉とライバルであった北条秀司は記している。
 昭和48年4月4日午後9時、数年来の糖尿病に脳卒中を併発、東京信濃町の慶応義塾大学病院で他界、夢は途絶えた。



 

 菊田一夫には八王子の山深いこの上川霊園の墓碑のほかに、東京・世田谷区奥沢の九品仏浄真寺にも分骨された墓がある。
 この「菊田家累代之霊」と刻まれた墓は、その広さをもてあますようにぽつねんと建っている。低い境石に囲まれて塋域は渇いていた。墓前の左右には墓誌と向き合って「君の名は」の冒頭にある〈忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ〉の一文が刻まれた碑があった。
 それにしても汗をふきふき山道を登ってきた身には、ため息の出るような無愛想な風景である。一瞬、風が吹きわたり、背後の木陰を敷き詰められた庭の玉砂利までユラッと伸ばしてくれるまでは………。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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