菊岡久利 きくおか・くり(1909—1970)                       


 

本名=高木陸奥男(たかぎ・みちのくお)
明治42年3月8日—昭和45年4月22日 
享年61歳(方外院残庵久利居士)
神奈川県鎌倉市扇ヶ谷1丁目17–7 寿福寺(臨済宗)



詩人・小説家。青森県生。旧制海城中学校(現・海城中学校・高等学校中退。横光利一に師事。アナーキズム詩人として活躍。昭和22年高見順らと『日本未来派』を創刊。小説『怖るべき子供たち』で直木賞候補。詩集『貧時交』『時の玩具』のほか詩文集『見える天使』、戯曲『野鴨は野鴨』などがある。






 

市外の空地に
工場が建っていつた
どんどん建っていつた
すてられた仔猫は
草の中の湿地で
水溜りに沿って啼いていつた
やがて人間の足音がした
棄猫は拾はれたいと思つた
人間は棄猫の
奴隷じみた啼聲を聞くと
胸糞が悪くなつた
人間は通りすぎた

春の雨が降つた
雨が烟るやうに
工場にも
煙突にも
空地にも降つた
草や木の芽がよろこんでる気配がした
自然はなんと豊かで
人事はあわたゞしく思はれた
びしょ濡れた棄猫は
衰弱した四肢をよたよたさせ
もう駄目だと思つた
そのざまは
いかにも汚ならしく
いかにも見窄らしい
濡れた毛がかたまつて
菱になつてゐた
(略)


                                                           
(見える天使)

 


 

 アナーキズム運動に身を投じ、父からは勘当を申し渡された。信州松本刑務所を皮切りに上海の通称領事館監獄など豚箱生活三十回という生活は、横光利一との出会いによって新たな方向が定まった。〈浪みたいに/ひきも切らず/あとからあとから仲間が押寄せる/だが何かの拍子に/ふと又/浪みたいに/いまは遠く引いていつた仲間を思ふ〉と、引き浪のように後退していった仲間たちを詠った詩集『貧時交』に横光は「私がこの人を尊敬する理由は、惑乱を防ぐ克已と、身体の鮮明と、表情の統一と、困苦をおのれの物として掴んだことだ。」と、序文に記したが、中山義秀の表する「漂泊の魂に生きた」菊岡久利は、昭和45年4月22日午前4時、糖尿病による心筋梗塞のため東京慈恵会医科大学附属病院で死去した。



 

 「亀谷山」の山号額、色褪せた朱塗りの総門から真っ直ぐにつづく桂敷き石畳の参道、禅宗様式の山門の先に新緑に映し出された本堂が見えてくる。鎌倉市佐助にあった菊岡久利の自宅にも近く、葬儀が行われた扇ヶ谷の寿福寺。かつて中原中也が暮らし、病に倒れたこの寺の墓地には北条政子や源実朝、大佛次郎、高浜虚子、星野立子などの墓もある。本堂裏の源氏山公園への登り口手前、陽光の遮られたやぐらの際に自然石の墓碑「菊岡久利之墓」は、乱雑に敷き詰められた大振りの玉石の上で静謐さを漂わせて建っている。花台や香台、台石、墓碑などの全てが自然石で統一されて、あたかも禅僧の座禅姿のような雰囲気の厳かなものだった。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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