河井酔茗 かわい・すいめい(1874—1965)


 

本名=河井又平(かわい・またへい)
明治7年5月7日—昭和40年1月17日 
享年90歳 
東京都東村山市萩山町1丁目16–1 小平霊園18区9側14番
 



詩人。大阪府生。東京専門学校(現・早稲田大学)中退。明治28年上京、雑誌『文庫』の詩の選者となる。その後一時帰郷し関西文壇に進出、『文庫』に専念。廃刊に至るまで「文庫派」といわれる多くの詩人の指導に尽力。34年処女詩集『無弦弓』を刊行。『塔影』『霧』『真賢木』などがある。






 

ひやひやと霧降る宵の
街の樹は遠のく姿
家と家遥に對ふ

あざやかに青き葉顫ふ
街の灯の疲れし影に
消ゆる人現はるる人

晝見たる文字の象も
色彩もありとや想ふ
すかし見る闇の深きに

轟きは彼方に消えて
大都會もの輕やかに
薄霧の底に沈みぬ

我いのち確かに置けど
浮城は今や千尋の
霧の海隠れてゆきぬ

(『霧』霧降る夜)

 


 

 酔茗は「文庫派」の詩人として口語自由詩運動を推進し、日本詩人協会や大日本詩人協会の創立にも関わってきた。昭和5年、妻の島本久恵とともに『女性時代』を創刊して以来、一貫して女性詩歌人の育成にも力を注いできた。
 36年に発表された一文の中で〈明治二十四年、初めて詩を発表して以来七十年間も詩と共に生きた人間〉と書き記しているが、それから4年後の昭和40年1月17日夜8時25分、急性心臓衰弱によって東京・中目黒の自宅で90歳の生涯を終えるまで、実に73年にも及ぶ気の遠くなるほどの詩人生をおくったのだった。久恵はそれから20年後の昭和60年6月27日に92歳で亡くなっている。



 

 赤御影石の台石に鏡のように磨かれた黒御影石が設置されており、その碑面に酔茗の詩「塔影」から〈月は廂に浮び出でて 九輪の影は水にあり〉が抜粋して刻まれている。
 夏の終わりの気配さえ消え去って、塋域の植樹にも秋の様相が目立ちはじめている。〈今、わが聲はかれがれなれど 此の「聲」は 始め一人に詩を語り 二人に語り 五十年の間、休みなく 人に詩を傳へ 世に詩を送り ただ一つの「詩」のために つづけ来りし「聲」なり〉と晩年の詩の一節にあったが、その最初の「聲」を聞いた人と、今、久恵夫人と共に眠るこの墓石の前にたたずむ私とは、薄暗緑色に沈んでいく秋の夕暮れを共に有しているのであろうか。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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