秋元不死男 あきもと・ふじお(1901—1977)                    


 

本名=秋元不二雄(あきもと・ふじお)
明治34年11月3日—昭和52年7月25日 
享年75歳(秋海院俳禅不死男居士)❖甘露忌 
静岡県駿東郡小山町大御神88–2 冨士霊園1区7号635番



俳人。神奈川県生。独学。年少より『白樺』の影響を受け文学を志す。昭和16年俳句事件で検挙、投獄。戦後は一時角川書店にて「俳句歳時記」編纂。23年『天狼』創刊同人。24年『氷海』発行主宰。句集『街』『瘤』『万座』『甘露集』、評論集『現代俳句の出発』などがある。







 

冬空をふりかぶり鉄を打つ男   

子を殴ちしながき一瞬天の蝉           

独房に林檎と寝たる誕生日

歳月の獄忘れめや冬木の瘤 
           
鳥わたるこきこきこきと罐切れば

今日ありて銀河をくぐりわかれけり        

つばくろや人が笛吹く生くるため

ライターの火のポポポポと滝涸るる       

口中へ涙こつんと冷ややかに  




 

 日本が太平洋戦争に突入していった愚かしい時代においては、新興俳句運動の動向自体も危険思想の一つと位置づけられていた。
 昭和16年、俳句弾圧事件に連座した秋元不死男にも治安維持法違反という厳しい現実が襲いかかり、2年におよぶ投獄生活を余儀なくされたが、そのことは不死男にとって急進的リアリズムから自在なる枯淡の句景へと辿る道筋の瘤のような傷痕でもあったのだ。
 昭和51年10月、以前より血便の異状を感じていた不死男は入院、直腸がん摘出手術をしたのだが、翌年2月に再入院した後は再起すること叶わず7月25日、〈ねたきりのわがつかみたし銀河の尾〉の絶句を遺して、75年の生涯を閉じた。



 

 鈴木真砂女や中村苑子、高柳重信らの俳人も眠るこの冨士霊園の墓地は不死男が生前に求めたもので、『氷海』にその時の句〈富士の根にわが眠る鳥わたりけり〉が収載されている。墓は不死男の死の翌年に妻阿喜が建てた。
 先祖来の菩提寺は埼玉県戸田市美女木の妙厳寺にあり、この墓には分骨が埋葬されている。黒っぽい火山礫土の庭に画一化された横型墓石、薄緑青色の花線香立、花も何もないスッキリとした墓域に〈冷されて牛の貫禄しづかなり〉と刻され、白々とした碑が朝日に照らし出されている。
 富士山が真っ向に見える。今日もさわやかな風が舞って、懸想通りに眠ることとなった富士の根で、毎日の如く輝ける霊峰を仰ぎ見ているのだろう。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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