ようやく東京でもインド料理屋が増えてきて、周囲から「ナンはおいしいね」とか「タンドーリチキンが好き」といった会話が聞かれるようになってきた。おかげで定番の質問「インドでは毎日カレーを食べるのですか」も減ってきた。
インド料理好きが増えるのは喜ばしいことではあるが……。
サーグ・パニールとかチキンムルギーといったインド料理の名前も急速に市民権を得ているようだが、残念ながら高級ホテルを利用するツアー客でもない限り、インドでこれらの料理と出会うのは難しい。
普通の食堂で日本のインド料理屋と同じメニューを揃えているのは、極端に言えばインド西部の大都市ムンバイ(旧ボンベイ)だけである。マハラーシュトラ州ではなくて、州都であるムンバイの周辺に過ぎない。
デリー、チェンナイなどの大都市なら「インドの庶民には縁遠いよりも遥か彼方にある」高級な店、言い方を変えると高級ホテル内のレストランで見つけられるかもしれない。
基本的にヴェジタリアンが多いという事情は置いといて、インド人なら誰でもタンドーリチキンを食べているなんぞと思うなかれ。私だって1回しか食べたことがない。それも前回の旅で「初めて」なのである。たまたまカルカッタの安宿がモスリム地区にあって、同じ建物に(珍しい)チキンの専門店が入っていたからだ。
最初に訪れた時のカルカッタでは、ひたすら「カバブとチャパティ」の日々だった。カバブとはシシカバブのことだが、そのボリュームは限りなく焼き鳥に近い。チャパティは言わずと知れた、小麦粉を練って鉄板で焼いただけの、具の全くないお好み焼きである。
安宿街(サダルストリート)があるのはモスリム地区だから、その二つの単語を知っていれば何とかなった。というか、知っているメニューがまるでなかったのである。まず飢えを満たすためにカバブとチャパティから始まり、試行錯誤と誰かの情報で少しずつ料理の名前を覚えていく。それがインド・バジェットトラベルの始まりだ。
ついでにお通しのように付いてきた野菜は生の小さなタマネギと青唐辛子。まさかと思って口にした唐辛子は正に唐辛子そのものだった。
マイソールボンダ、バジ、イドゥリ、ラッサム……わかるかな。
(最近は日本のインド料理屋でも極一部扱っている店があるけど)私はわからなかった。せっかくカルカッタでカバブとチャパティから始めて料理の名前をいくつか覚えていったのに、南のチェンナイ(旧マドラス)へ行ったら、そんな料理はどこにもなかった。代わりにメニューに載っていたのが意味不明の、手がかりすらない呪文の数々。また一から始めなければならない。
そんな感じで、一口にインド料理といっても地域によってまるで違う。食堂のクラスによっても違う。さらに宗教によっても違う。普通の食堂でナンを食べようとしたらムンバイへ行くしかないのである。
インドでは料理も多様性に満ち、実に奥深く、広大な広がりを持っている。
カルカッタを出てからカバブとチャパティに出会うことはなかった。

『レストラン』
まずはいろいろな食堂を紹介

ほぼ全景。テーブルは床、椅子は手前に石が置いてある。ブバネシュワールのスラムにて。

けっこう通ったカルカッタの(きれいになった)大衆食堂……に見えるよね。


どちらも南インド、タミール州。このクラスであれこれ注文しても一食100円ぐらい?
残念なことに、面白話から始められない。
以前なら「食堂の概念を捨てなければ、インドで食堂を見つけるのは難しい」という哲学的な話から始めるのが常だった。
写真を見ればわかるように、一部の例外を除けば食堂はものすごくきれいになっている。どうやってインドで生きていこうと悩んだカルカッタ最初の夜がウソのようである。
右も左もわからずにインドに入ってしまった上、サダルストリート周辺では上記の哲学的命題が必要とされた。早い話がどこにも食堂がない。(本当はあったのだが、食堂には見えなかった)
食堂らしきものを見つけても、その位置づけがわからない。高級とは思わなかったが、逆に外国人旅行者が足を踏み入れていいのか躊躇するほどボロく見えた。あんたら金持ちの入る店じゃねぇよと断られる気がした。(そんなことはなくて、むしろ喜んでくれたぐらいだ)
そこで同じ飛行機に乗っていたインド初日組3人は、やはり同じ便に乗っていたインドは2度目だというベテランの夕食に従うことにした。後になってベテラン君もカルカッタについてな〜んも知らんのは私らと同じとわかったのだが……。
それがどの店だったのか思い出せない。2度と行くことはなかったし、その店が最低という評価は今に至っても更新されていない。いつの間にか場所すら忘れてしまった。が、当時はそんなことわからない。
店構えは食堂らしかった。外から食堂とわかったからベテラン君は選んだのだと思う。入ると……客がほとんどいない。ガラガラの部屋の隅に置かれた4枚羽根の卓上扇風機にはびっしりホコリが積もっていた。そしてテーブルは木造校舎の床のように脂ぎっていた。そこまではひどくなかったはずだが、どうしてもそう表現したくなる。
メニューには○○カレーの類いが並んでいて、これは助かった……が、後から見ればかなり特殊に思える。
ベテラン君が「エッグカレーとチャパティ○枚」と注文したから、残り3人も一応考えるふりをしてから「エッグカレーとチャパティ○枚」と注文する。ありがちな光景だ。
まず、ボーイが水を持ってきた。
片手で4つのグラスを持っている。それも上から。つまり、小指以外の第1関節から先が水の中に入っている。それをドシンと置くと、当然のようにテーブルが濡れた。しかも、その水を観察すると……透明度が低いではないか。しかもしかも、何だか白いものがモヤモヤと漂っている。
断っておくが、だから「最低」なのである。その後、こんなにひどい店というか水とは出会っていない。しかし、私にとっては初めて体験するインドの食なのである。これが一般的と思ってしまうではないか。それは他の3人(面倒だからベテラン君も含んでしまう。間違いではなかろう)も同じ。誰も口をつけようとしない。
私は真剣に考えていた。
これがインドの普通なら、飲み物はコーラとチャイしかなくなる。この水を飲まなかったら旅を続けられない。
「オレ、試しに飲んでみるよ」
周囲からは一斉に「やめたほうがいいよ」の声。
しかし、この水を飲まなかったら旅を続けられない。
ゴクリ。(本当はチビリ)
ヌルリ。
ドヒャー。
「この水、何だかヌルリとしている」
「だから、やめておいたほうがいいよ」
言われるまでもない。
4人がドヨーンと沈んでいるところに料理が届いた。
正にエッグカレー。
直径10センチぐらいの浅いホーローの皿(言うまでもなく一部欠損、錆あり)にゆで卵がひとつゴロンと乗り、その上にカレーの汁が申し訳程度にかかっている。
「我輩はエッグカレーである。具はまだない」と主張しているかのようだ。
粗末な食事はあっという間に終わった。満たされたのは食欲ではなく、飢えにすぎなかった。それでも、誰もその店で追加注文する気になれなかった。
この水を飲まなかったら旅を続けられない。
でも、飲んだら旅はすぐに終わりそうだ。
食事をしなかったら旅を続けられない。
でも、四六時中食事をしなかったら旅を続けられない貧弱さだ。
その夜、ドーミトリーのベッドの上で「どうやってインドで生きていこう」と悩んだ私である。
幸いなことに、それが例外とわかるまで時間はかからなかった。

マイソールの大衆食堂の定食。これで17ルピー(43円)!

その食堂の従業員。通えば、すぐに親しくなれる。町中で会っても挨拶してくるほど。