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マドローダム
Madurodam

52 05 58.16N,4 17 51.36E

 毎回旅行のどこかでちゃんと子供たちのお楽しみを組み込んでおかなければなりません・・といいつつ結構いつも親も楽んでしまいますが。オランダではやはりここマドローダム。東武ワールドスクエアも台湾の小人国もみんなここがモデルでしょう。

 子供向けの施設は絶対にコンパクトであるべき、という意見を聞いたのはアメリカはフィラデルフィア、セサミプレイスのマーケティングマネージャーの女史からでしたが(実際セサミプレイスはそのとおり)、昔毎日通った通学路を大人になってから歩いてみると、なんて近いのだろう、あれ、坂もこんなに緩やかだったっけ、なんて思うことはありませんか。大人の1/2から2/3位の身長しかない子供にとって、距離や勾配は3割から5割り増しになって感じていたはずです(いつのまにか忘れてしまうものです)。子供が疲れることなく遊び回れる広さ、親の目も行き渡らせたい・・デンマークのチボリ公園も、そんな思想で出来ている気がします。そしてここマドローダムは、すべてもののが1/25のスケールという性格からも、実にコンパクトに凝縮してレイアウトされています。入園した途端にほぼ全体が見渡せる、でも全部回ってみると平気で3、4時間かかっていた、そんな空間でした。それでも96年に入り口付近を増築しているとか。そうやって改めて見渡してみると、密度ある旧市街、開放された新市街なんていう構成になっています。

 東武ワールドスクエアは世界中の建築を取り上げましたが、ここはあくまでもオランダのものしかありません。園内で売っているパスポートにはオランダ各州の建物を見つけようなんてページもあります。でもうちの子供には、どこの建物かなんてあまり関係なかった。小さいということにいたく親近感を持ちながら、建物や動き回る電車や車、飛行機の合間でいつまでも遊んでいました。

 この施設は、そもそもは子供向けの結核療養所を運営していたスタープ女史が、その財政基盤を確立するために、ロンドン郊外ビーコンズフィールドにあるBekonscot(ビコンズコット?1929年の設立)のようなミニチュア村(英語ではモデルヴィレッジと言っています)を作り、その入場料収益を療養所運営費に充てる構想を持っていたそうです。そこに第二次大戦中に収容所で亡くなった(殺された)一人息子のために記念碑を建てたいと思っていたマドロ夫妻とが出会い、夫妻は通常のモニュメント建設の代わりに、この構想実現のために多大な寄附をして実現したと、ここのホームページにはありました。(従って寄付者の名前がついている訳です)ここにもヨーロッパ大戦の背景があるのですね。この年(2002年)は開設50周年とか。戦後も随分遠くなりましたが、でも戦争の記憶はいつまでも人々に残っています。特にこちらの人たちには。

ここいらは旧市街の街並み。さっき実際に通ってきたビネンホフがここにもありました。マウリッツハウスも見えています。

パスポートに載っていた案内図。図の上を左右にトラムが走り、右上切れたところが駅になります。全体がすり鉢状になっていて、ゲートを入るとほぼ全体が見渡せます。周囲にレストランやキオスク、スナックコーナー、プレイグランドが取り囲んでいます。
ここはアムステルダムかな。やっぱり遠近感というか、スケールが取れません。このように、町の中に実際に足を踏みいることが出来るというのが、マドローダムと東武ワールドスクエアとの違いです。
新市街に高速道路が通ります。ここには写っていませんが、日通のトラックもありました。

こうなるともっと巨人です。後ろには観光客が一杯。因みに来場者のオランダ国内と国外(ここでは海外ではない)との比率は1:1だそうです。この狭さで年間1千万人はやっぱりすごいですね。