コバム

グリーンウッド夫妻は2006年の暮れ、ロンドン郊外のサレー州、コバムに住む娘夫婦とクリスマスを共に祝うために重い腰を上げてやってきた。 せっかく出向くならついでにとまだ訪問したことのないベルギー見物もした。

霧のためヒースロー空港は3日間閉鎖された。やむをえずユーロスターでブリュッセルからフランスのカレーに抜けてドーバー海峡をトンネルで渡った。鉄道の 旅はよかった。大陸と比較すると英国南部には古木の多い森、ヘッジロウで区切られた牧草地があって美しいことに気がつ く。

コバムではブルックランドの交通博物館を訪問したり、アロットメンツで野菜を収穫したり、田舎をサイクリングし、王立園芸協会の庭園を楽しんだ。アルコー ルで始まり、古い村の広場でクリスマスキャロルを歌い、七面鳥とクリスマスプディングでおわる英国のクリスマスを満喫 した。

12月21日(木)

ユーロスターはドーバー海峡を20分で渡る。カレーからトンネルに入ってあっという間だ。1973年に英国に滞在していたころはこのトンネルは無かった。 ヨーロッパと直結することに賛否両論あったらしいが、もう時代が変ったと、日本製のトンネル掘削機械で掘られたと記憶している。

英国の地はヨーロッパとがらり風景がかわる。フランスの樹種が一種しかなく、高さも幹の太さも一様な林は種々雑多な木が残る古木の多い森に変る。そして大 陸の大規模農業がつくる広大で単調な畠は小規模所有が作ったヘッジロウで区切られた牧草地に変って目を楽しませてくれる。フランスの質素な農村の家屋では 見えなくなり、都会の贅をつくした建物が増えてくる。 ロンドンに近づくにつれて霧は深くなり、巨大なウォータルー駅に到着した。2002年にここでトビーと落ち合っ て以来4年目だ。

このような風景の変化も農地の所有形態の差だけでなく軌条の差でもあるようだ。ヨーロッパではユーロスターは地元の生活とは切り離された時速300kmの 高速をだせる専用軌条を走っているので風景は無味乾燥である。英国に入ってからは生活と密接な関係のある在来線を走っていたため風景に人間味が感ぜられる ためらしい。2007年以降は英国内の専用軌条が完成してセントパンクラス駅に乗り付けるというので風景は無味乾燥になるのだろう。利便性とアメニティー は一致しない宿命かもしれない。 ユーロスターのフランス人首脳が「フランス人は、これでようやくワーテルローを忘れることができる」ともらしたという。ウォータルーはワーテルローの英語読みで1815年、英 プロイセン軍が仏軍を破ったベルギーの町の名だ。勝利に沸いた英国で記念にこの駅名が使われたという歴史があるからである。

娘に電話するとコバム経由のギルフォード行きに乗り、コバム&ストーク・ダバノン(Cobham & Stoke D'Abernon)駅で降りろという。車で迎えにきてくれるらしい。30分に1本走っていて40分かかるという。ならばとウォータルー駅で昼食をとって から列車に乗る。ウィンブルドンから先は田園地帯に入って心が休まる。

2階からコバム村方面を望む

列車を降りるとかなり寒い。鎌倉高校前駅とおなじく無人の郊外の駅だ。駅前には通勤客用の広い駐車場がある。車を待つ間 にかなり冷えてしまった。道はテームズ河の支流 、モール川(River Mole)沿いに走る。

途中、コバムのダウンタウンにあるスーパー、ウエイトローズ(Waitrose)で4人用の食料品を多量に買い込む。ベ ルギーのホテルでハムに取り合わせて食べた、ゴボウのような食材はなにかと探してみるとセレリアック(Celeriac)というものらしい。それだけでは 美味いものではないが、肉類と取り合わせると食欲が増すものだ。セロリとカブの間の子のようなものだ。日本では売っていないので種を買って帰ろうと決意す る。

娘達の家はあらかじめグーグルの航空写真で見たとおりのものであった。小高い丘の上にあってコバム村の教会近くを流れる River Moleが氾濫しても安全なところにある。River Moleはハンプトン・コートでテームズ河に合流する。

パソコン数台がごった返している家に落ち着くと、トビーがおいしいイングリッシ・ティーをつくってくれる。林望はイギリスの紅茶が上手いのは硬水のためだという。こ のような時、いつもミルクが先かティーが先かが話題になる。 トビーは人間のイクオリティーを徹底して教え込まれたのでこの地域に英国人しか住んでいないのは寂しいという。彼は食パンも自分で焼く。こちら製の機械は 四角い食パンを作ってくれる。それにバターでなくオリーブオイルを使っている。帰国して早 速まねてみたが味にかわりはない。より健康的なので今後はこれでゆくことにする。

一段落して暇になったのでブリュッセルで買ったジェームズ・ラブロックの「ガイアの復讐」を読み続ける。グローバルヒーティングがポ ジティブフィードバックに入ったかもしれないというところが気になってしょうがないのだ。娘はアンチ原発派のため、「グローバルヒーティング防止のために は原発が一番いい」という考えは許せないらしい。

グリーンウッド氏も原則としてグローバルヒーティング防止のために原発を採用することに異論はない。しかし日本の既存の 55基の原発は最近の日本の地震経験から得た新しい設計基準に満たない点が心配という理 由で結局娘と同じ結論である。狭い日本で人口緻密な首都圏が放射能汚染された場合の損失はグローバルヒーティングの損失と等価だろう。山地など人間がつか えないところを除いた有効面 積当たりの人口密度が日本は英国やヨーロッパに比べ6倍も高いのだ。原発により土地を失うというリスクは6倍高いということになるのだ。

12月22日(金)

朝、 庭のフェンスの上にリスがやってくる。

西沢重篤氏が藤沢で栽培し、信州で粉にした蕎麦粉を担いできていたので、これで”そば掻”を作って食べる。6日間洋食ばかりで あったので、大変美味だった。

まだ霧が晴れず、寒い日であったが、娘の運転で近くにあるブルックランドのモータースポーツと航空博物館を訪問する。

旧ブルックランズ・レーシングクラブのクラブハウス

かってここの領主がモータースポーツ用のバンクのある世界でも始めてのカーレース場を自費で建設し、スピードレースが行われていた。白洲次郎は若き時よくこ こを訪れたという。 アガサクリスティーのポアロ・シリーズのTV劇にこの旧ブルックランズ・レーシングクラブのクラブハウスが当時の影像とともに登場する。

ブルックランドのコンコード

コンコードのコックピット

 

ハリヤー戦闘機

その後、航空機産業工場となり、いまではビンテージのアストン・マーチンやベントレー、引退した超音速旅客機コンコー ド、現役の垂直離陸戦闘機であるハリヤーなどが展示されている。コンコードはマッハ2で飛ぶと摩擦で機体が熱くなるためガラス窓が極端に小さい。

親父に似てメカ好きの娘はハリヤーのコックピットやF1のドライバーズシートに納まってご満悦であった。

12月23日(土)

少し暖かくなったので近くのアロットメンツ(市民菜園allotment)にでかけて農薬フリーのダイコン、ニンジン、 スプラウツ、ビーツなどを収穫する。ウサギを見つけるが、「ヤヤ!見つかってしまったか」と いう風情でそそくさとブッシュのなかに逃げ込む。イギリス人は「さぐりをいれる」という意味にbeat about the bushと言うがそれくら い藪とか生垣(ヘッジグロウ)が多い。

アロットメンツにて

午後は多量の収穫物の処理をした。

午後のハイティーを楽しもうと近くのウッドランド・ホテルに出かける。(International Restaurant Serial No.299)ウッドランド・ホテルは1885年にブライアント&メイというマッチ会社の創業者の息子の ローランド・プラム氏によってカントリーハウスとして金に糸目をつけずに建てられた。 英国ではじめて電気を引きこんだ贅沢なゴチック式カントリーハウスであった。当初はモール川沿いまで庭が広がっていたという。

後のエドワードVII世となる当時のプリンス・オブ・ウェールズがしばしば週末にオーナーの客としてリリー・ラングト リーを同伴して訪れたという。プリンスは有名な女優でオスカー・ワイルドの友人でもあったリリー・ラングトリーを愛人としていたのだ。1897年以降プラ ム家の手を離れたこの館は2回転売された。ウォール街の恐慌で最後のオーナーが破産したため、ホテルとなった。第二次大戦中は老人ホームとなっていたが 1981年、再びホテルになったという 数奇の歴史を持っている。

ウッドランド・ホテルにて

すばらしいロビーでハイティーをいただいたが量が多すぎて食べきれない。残してしまった。 ちなみにハイティーとは肉料理の含まれる午後のお茶を意味し、椅子に腰掛けて高い食卓(ハイテーブル)で食べることに起因すると言われている。

夜は向かいの家に招かれ、ご近所の人に紹介された。最近室内をリファービッシュしたという家はモダンで快適であった。オーナーの趣味は登山である。スイス のアイガーをガイドを雇って登るのだという。ここに集まった面々は英国人とフィンランド人と日本人であったが、隣のノーマンは「いやコーニッシュもいる」 という。彼はコーンウォール出身なのだ。 コーンウォールは土着のケルト文化が強い地域でいまだに独立意識は強いのだ。

話がアイガー登山になったので対抗上読みかけの沢木耕太郎の「」を旅のつれづれにと持参した理由を話した。カバーに書 いてあったヒマラヤのギャチュンカンの北壁を夫婦で世界で2度目に挑戦、雪崩で中吊りになった妻の頭上で生きて帰るために迫られた後戻りできない選択と は・・・を 知りたくて持って来たといったとたん。「ガイアの復讐」など読むのをやめて、帰るまでに「凍」を先に読んで「後戻りの出来ない選択」とはなんであったか教 えてくれと という。

ノーマンの息子さんのフィンランド人の金髪の奥さんはフィンランド語の語順はインド・ヨーロッパ言語とは別のウラル・アルタイル語と同じと説明してくれ る。

話題は自然にグローバル・ウォーミングになる。この国では主婦レベルまで意識は高い。米国でも庶民レベルは高いのだがたまたまブッシュ政権が不勉強にすぎ ないとわかる。ひるがえって日本ではどうだろうかと自問する。

トビーがウィンブルドンに持つ事務所の壁にステンレス板を張れば磁石で資料などを押さえることができて便利だなという。ならば高価な18-8ステンレスで はなく安い13クロムでないと磁石が吸い付かないよとアドバイスした。このやり取りを聞いていたノーマンがどこかに消えたと思ったら磁石を探してきてピカ ピカの台所のステンレス製品を軒並み調べはじめた。換気扇のフードは磁石がピタと吸い付いてしまうではないか。ノーマンが「これは安物を使ったな」という ものだから自慢の主人は赤い顔をする。まずいことを言ってしまったと思ったが後のまつり。ノーマンはあわてて電子レンジをチェックすると磁石が吸い付かず 落ちた。ホットして「これは高級品だ」と宣言してノーマンの検査は無事終了したのであった。

兎に角、参加者はビールを片手に途切れなくジョークをしゃべりつづけるのでそれにあわせて、たまにはジョークの一つもお返して場を盛りげなければならな い。12時になって引き取ることになっても、 「家族を家につれもどったら後で忍んでてこい」と、盛り上がっていた。

12月24日(日)

本日も曇りだがサイクリングを兼ねてウィズリーの王立園芸協会の庭園を訪れた。コバム村の教会を過ぎ、モール川を 渡ってパブのアット・ザ・プラウ脇をすぎてからヘッジグロウで囲まれた田舎道をゆく。車などめったに来ない。

パブ、アット・ザ・プラウ

牧草地が水につかっているところがある。林望の「イギリスは愉快だ」に描かれたフェンランド地方の冬のフッ ラドはこのようなものなのだろう。

牧草地のフッラッド

この低地から坂を登り、M25を越えて最高地点マーティーズ・グリーン(Marty's Green)に至る。遠くに戦争中 使われたらしい捨てられた飛行場の跡がみえる。その先のA3を横断した丘にウィズリーの王立園芸協会の庭園があるはず。 マーティーズ・グリーンからはオッカム村(Ockham Village)に向かって坂道を下る。オッカム村の十字路で右折するのだが、その角にパブがあって、隣のノーマンがひいきにしているという。ここで乗馬 クラブの面々と会う。 ところでオッカム村のオッカムは”オッカムのかみそり”のオッカム(Occam)と同じ綴り ではない。

オッカム村で

オッカム村からA3まで道は更に下る。A3は1973年当時、ギルフォードのメロウ・ダウンズ(Merrow Downs)にあるゴルフコースに行くために通った道だ。1973年当時はまだよき時代でわれわれはいつも4人でささやかにプレーできた。しかしほんどの 日本人は大勢でやってきてコンぺをする。地元のメンバーに気をつかうでもなく、傍若無人にふるまうので、ヒンシュクをかって1980年代にはパブリック コースは日本人をうけつけなくなったという。いまでは日本人が買収した日本人専用コースでしかプレーできないという。

オッカム村からA3までのカントリーサイドのサイクリング

ウィズリーの王立園芸協会の庭園は広大でとても半日で廻れるものではない。それに冬だし、来年の6月にでもこなければそ の良さはわからないだろう。

ウィズリーの王立園芸協会の庭園

冬の収穫としてはクラブアップルがとても美しかった。 飯山の鍋倉高原で 農業をたのしんでいる 西沢重篤氏には土産とし各種ニンジンの種を仕入れる。ベルギーで食べたセレリアック、スプラウツ、ビーツの種を自分用に買った。

王立園芸協会のクラブアップル

ミセス・グリーンウッドはバテてしまったので娘が速めに帰ってもってきた車で帰り、グリーンウッド氏とトビーは自転車で がんばって帰る。

今日はクリスマス・イブだ。隣のノーマンの奥さんがシーア村(Shere)の広場でクリスマスキャロルを楽しむ集いに連れていってくれた。シーア村はコバ ムから8マイル南のノースダウンズとサウスダウンズの間にある谷間を東西に走っている古の街道にある。英国のヘリテージに指定されているそうで、中世の村 が大切に保存されている。

ノーマン夫婦と息子夫婦が乗る車を追いかけて一旦モール川まで下り、橋をわたる。夜の林の中をノースダウンズにむかって緩やかな傾斜を登る。丘のうえから 急坂をジグザグに下るとそこにシーア村はあった。 シーア村は南にあるサウスダウンズとの間の谷間を東西に走る古の昔からある街道筋の宿場なのである。娘は南イングランドはチョークの層が緩やかに北に傾斜 しているのでこのような地形になるのだという。

なにはさておき観光客で混雑するシェア村のパブ、シェフ・アンド・ブリューワでしこたま、ビターを飲む。グリーンウッド氏が「英国のクリスマスとは飲んで 、飲んで、飲みまくるとみたり」と喝破するとノーマンがニヤリとして「おぬしもようやく英国がわかりかけたな」と言う。

シェア村のパブ、シェフ・アンド・ブリューワで

広場でクリスマス・キャロル

気分がよくなったところでパブの前の広場に出てクリスマスキャロルの歌詞を印刷した紙をもらい、村のヴィカー(牧師)の指導にしたがい何曲か歌う。

シェア村のヴィカー

集いが散会しても歌い足りなかった人々が集まって歌っている。ノーマンの奥さんは若き頃、この村のヴィカーを一緒に働いたこともあったようで、久し ぶりと抱き合っていた。

ヴィカーに挨拶したのち酒を飲まなかった人の運転で帰路につく。このあたりの地理にくわしいノーマンがノースダウンズの展望ポイントに案内してくれ る。ギルフォードの夜景と遠くロンドンの空が明らむのをみた。昼間くればウインザーまで展望できるという。

無事自宅に帰って、お互いおおげさに抱擁しながらメリークリスマスを連呼するのだ。

12月25日(月)

今日はクリスマスデーである。

朝クリスマス・プレゼンを交換する。トビーはグリーンウッド氏に2冊の本を用意しておいてくれた。ロバート・レイシーの「英国史に残る偉大な物語」 とフレッド・ピアースの「河 が干上がるとき」でなかなか気の利いたチョイスでうれしくなる。

その後は一日中家にこもり、「ガイアの復讐」を完読する。 前半のグローバルヒーティングがポジティブフィードバックに入ったかもしれないというところは人類生存の危機かと迫力があった。しかし後半の風力やバイオ フュエル批判のところはこの美しい英国の風景を維持したいという贅沢さが全面にでてきて次元の違う二つの本を読んだような感じをもった。ただ英国に居てこ の本を読むと英国の美しい風景を維持するという目的のためには原発を活用するのはいいかもしれないと思うようになる。 山岳地帯がない英国は利用可能面積当たりの人口密度が低いので万一の放射能汚染でもその損失はローバルヒーティングによる損失よりも小さいだろう。それに 逆説的だが事故で土地が汚染されれば人間が立ち入り禁止となって自然保護にはかえって好都合なのだ。

夜はトビーが一日かけて七面鳥を焼き上げたおいしいディナーを楽しむ。七面鳥の皮と肉の間に手を入れ、庭で採取したハーブをみじん切りにしてバター に混ぜたものを丁寧に摺りこむのだ。こうしておくと肉がパサパサにならないという。そして、スタッフィング は七面鳥に詰めず横に並べて、オーブンで3時間かけて焼き上げる。伝統によってみがかれた料理はさすがうまい。 スタッフィングもクリスピーに焼き上がる。まずクラッカーを鳴らして、シャンペンを抜き、ついで七面鳥となる。最後にはなつかしいクリスマス・プディング を大いにたのしんだ。 ブランデーをたっぷりかけて火をつけるのだ。

12月26日(火)

今日はボクシングデーでお休み。グリーンウッド夫妻の帰国の日だ。トビーの運転でヒースロー空港の第4ターミナルに向かう。第5ターミナルが建設中 だった。少し霧があったが、予定通り、スキポールに着陸。KL861に乗り換えて成田に向かう。旅のつれづれにと持参した沢木耕太郎の「」を機中で読んだが機 体が揺れるたびに、7,000メートルの岸壁からずり落ちるようで読み続けられなかた。

大変な強風の中、27日に成田に着陸した。途中の水田も冠水してかなりの雨が降ったようだ。家に帰って風車を止めてなかったのに気がついた。幸い無 事。ただバッテリーが古くなったためか、気温が低いためか容量が減ったように思う。

January 8, 2007

Rev. October 9, 2011


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