ロンドン 2002 紀行

今回の旅は手づくりである。旅行業者を使ったのは往復の航空券購入とロンドンでのホテル予約だけである。他はすべてインターネットで直接予約した。ロンドンでのホテルは土地感のあるかっての職場 、ハマースミスに確保した。

ヒースロー到着(第1日)

3週間分の荷物をそれぞれ担ぎ、バッグ1個、キャスター付きスツケース1個づつひきずってる。タクシーを使うほうが楽で あるが、通勤に使った地下鉄がなつかしいといきなりピカデリーラインでハマースミス駅に直行することにした。新型の自動販売機で切符を買うのに少し手間 取ったが、完備したエスカレータに助けられ、なつかしい臭いと帰宅途中の通勤客がちらほらいる狭い車中に難なくおさまる。地下鉄といってもこのラインはハ マースミスまではほとんど地上を走る。夜の9時までは日の沈まない国なので、9時近いのに外は明るい。郊外の住宅地の風景には大きな変化は無い。日本にも ある落書きなどを見ているうちにハマースミス駅に到着。ここは駅が一新され、日本のようなピカピカのショッピングセンター複合駅にすっかり変わってしまっ ている。地表に近いのでエスカレーターすらない。腰痛病みにはつらいが重いスーツケースを持って階段を上がる。広い駅構内をぬけてようやくタクシーをひろ う。できたばかりのホテルのためだろう、何でも知っているはずのロンドンのタクシー運転手すらしらその所在を知らない。番地をたどってゆくとみつかった。 運転手も客に教えられ感激。概して英国のホテルは部屋がせまく、水周りが古いが米国系のツーリスト向けホテル、ホリーデインなら一定の規格を満たしている だろうと踏んだ。その予想のとおり、外は古いレンガを残してあるが、内部は新築でトイレも部屋も広い。窓の外をみて初めてロンドンと気が付く位ここは米国 である。(Hotel Serial No.218)

ロンドン中心部の再訪(第2日)

一夜明け、サッカー関連のTVニュースをみながら8:30に英国式朝食をとる。いつもとっている朝食なのでアットホーム だ。ゆっくりと朝食を消化させてからでかける。あいにくの曇天。ハマースミス駅からディストリクトラインでウエストミンスター駅に向かう。ビッグベンの東 側にあるこの駅の上にあるポートクリス・ハウスは完全に建替えられている。しかし、さすがビッグベンのまん前であるので擬似バットレス(控え壁)と擬似煙 突で景観を壊さないように配慮してある。残念なような気もするが、新デザインがかえってロンドンらしさを出しているともいえる。ポートクリス・ハウスの東 隣は旧ニュースコットランドヤードだ。

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ウエストミンスター橋

テームズ河の臭いを嗅ごうとウエストミンスター橋にでる。ここで意外な風景に出あう。南岸のウォータールー駅から徒歩で ホワイトホール官庁街に向かって役人や秘書たちとおぼしき風情の人々が大勢足早にやってくる。29年前は週末しかここに来てないが、週日なのであたりまえ かと再認識する。南岸が再開発され、ロンドンアイという巨大な観覧車が出現したのでウエストミンスター橋を渡る観光客も増えたようだ。ビッグベンは15分 おきに時を告げる。

ロンドンアイはカンチレバー軸受け構造のなかなか斬新なデザインだ。ホイールは川の上につき出している。水面に浮かべた バージの上でホイールを水平に組み立て、後ワイヤーで引いて建てたとのこと。なかなかスマートなアイディアで感心する。ホイールのドライブユニットは河の 中のパイル構造の上に設置されている。(写真の赤色)

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ロンドンアイ (ウエストミンスター橋より)

英国で最も高いゴシック建築というウエストミンスター寺院内部をゆっくり拝観する。側廊の巨大なバットレス(控壁)を持つ外壁が高いので、フライイングバットレス(飛梁)が壁に隠れて下からは見えず、(下の写真のようにロンドンアイの頂部からかろうじて見える)バットレス頂部の尖塔には彫像もないので外部はノートルダム寺院の ような華麗さはない。ヴォールトの高い内身廊は迫力があるが、建物自体は地味で高さ以外話題になることは少ない。ロンドンの地盤の良さに助けられて石組み にゆがみはない。ウエストミンスター寺院の真価はその中味だろう。聖エドワード(1066年)、ヘンリー3世(1272年)以降の英国王の墓、無名戦士の 墓、政治家、芸術家の銘を一つ一つ丁寧にみて、30年前の驚きを思い出す。10世紀にローマ教会の傘下で創立。その後16世紀の宗教改革の変動も乗り越え た連続した歴史を持っている。日本のように政治・文化の大きな大変革もなく、連綿と積み上げて来れた、幸運と知恵の再確認をする。

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ロンドンアイから見たビッグベンとウエストミンスター寺院

ダウニング街はセプテンバーイレブンの余波であろうかコンクリート製のバリケードなどが置かれていて警備は厳しくなっている。ホースガードでガードの交替を見る。1週間前に執り行われたゴールデン・ジュビリーの式典に準備した観客席がまだ残っている。

セントジェームスパーク内のレストランで朝のお茶とする。日本には飛んでこないめずらしい野鳥やリスをみながら園内を散策。

ザモールに出てバッキンガム宮殿に向かうが、観光客の雑踏でビクトリア女王記念塔で断念。ドイツの学生が多い。ゴールデンジュビリーの式典とザ・クイーン・コンサートに準備した観客席を撤去中であった。さいわいホースガードから帰ってきたクイーンズガードの行進を参観できた。界に輸出しているわけだ。工業製品の輸出は中国に任せておけばよいと思っているのだろう。

ザモールはユニオンジャックの並木道と化している。少ないと苦情の出た仮設トイレも撤去中であった。アドミラルティーアーチにはいつも白地に赤十字のセントジョージ旗の1/4にユニオンジャックを配したローヤル・ネーバル・エンサインがいつも数本かかげられているが。ゴールデンジュビリーを祝って満艦飾である。

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ローヤルガードの行進

トラファルガー広場、ヘイマーケットストリート、ピカデリーサーカス、リージェントストリート、ソーホと順に散策。ヘイ マーケットストリートではハーマジェスティー劇場がまだオペラ座の怪人を上演しているのを発見、もし当日券があるなら観劇しようと決心。昼食時、英国とア ルゼンチンのサッカー試合が行なわれていてスポーツパブは観客で満員。それをTV局スタッフが取材撮影している。リージェントストリートにはユニクロが出 店している。ソーホのイタリアンレストランで昼食。

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リージェントストリートに出店したユニクロ

昼食後、オックスフォードサーカス、オックスフォードストリート、マーブルアーチと散策する。ついに雨になり気温も下 がったため、オックスフォードストリートの Bhs で防水のジャケットを買う。日本を出るときは暑かったため、ジャケットを持ってこなかったのだ。そういえば29年前の夏8月、暖炉に石炭を投入したことを 思い出す。セイフウェイの地下カフェで午後のお茶にする。マーブルアーチに至り、1971年に家族で住んだエッジウエアロードに面したパークウエストプレ イスのフラットが昔のまま健在であることを確認。この一階には今回の旅に使うハーツレンタカーが店を開いていることも確認。31年前、手探りで歩くような濃霧にまかれたマーブルアーチで、飛べなく歩道をうろうろしているハトを踏まないように歩いた記憶がよみがえる。

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パークウエストプレイス

地下鉄でピカデリーサーカスにとってかえし、ダフ屋でアッパーサークルとバルコニーの当日券を買う。席は別で割高だがや むをえない。今日は2回の食事とお茶で食べすぎだ。ソーホの日本料理屋でザルソバを食す。ソーホやナショナルギャラリーで開演までの時間調整をする。ハー マジェスティー劇場で観劇。(Theater Serial No.13) ハーマジェスティー劇場はビクトリア女王のゴールデンジュビリー記念で造られた由緒正しい劇場だ。1901-2年にロンドンに滞在した夏目漱石も ほぼ一月分の滞在費を使ってフロックコートを用意してバルコニーで観劇している。我々もアッパーサークルとバルコニーなので既にCDで知っている曲がどの ようなシーンで使われるのかを確認するといった感じ。劇場は満席である。カーテンコールも終わり外に出ると英国の勝利を喜ぶ若者の集団が 白地に赤の十字のセントジョージ旗を振って車で走り回ったり、練り歩いている。レスタースクエアでは大騒ぎである。ピカデリーからハマースミスに帰る。長 い一日であった。腰痛がうずくがこれで時差ボケは一挙に解消。

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ハーマジェスティー劇場

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アルゼンチン勝って喜ぶピカデリーサーカス

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ピカデリーライン

テームズ河南岸(第3日)

ロンドン滞在3日目の朝は疲れた妻をホテルに残し、かって職場の仲間と昼食を楽しんだハマースミスブリッジのたもとのパ ブを探しにでかけた。ハマースミス駅周りが再開発されてしまっているし、曇りで太陽も見えないので方角すらわからない。まずロンドン市の地図を買って橋に 向かう。そのパブはハマースミスブリッジの北側のたもとからテームズ河北岸沿いの花一杯の小道を入った一番奥にあったと記憶していたが、川沿いの小道は広 くなっている。でもブルーアンカーというそのパブはあった。昔はパブで小道は行き止まり、パブは直接川の土手の上に建っていて暗い室内から川面を眺めなが ら食事を摂れたのに、今では河とパブの間には道ができてしまって昔のひそやかな趣はない。川沿いは瀟洒な住宅街となっている。ここからの蛇行するテームズ 河の風景はすばらしい。

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ブルーアンカー

かって働いていたエンジニアリング企業のビルはハマースミス駅の東側にそのままあった。オーナーは手狭のそのビルに加 え、隣のビルを買って北海油田開発のエンジニアリングにつかっていたが、今ではプロジェクトも減り、グリーンウッド氏の働いた古いほうは手放してしまっ た。でもビルはそのままそこにある。

12:00にウォータールー駅でトビーと会う約束だ。ピカデリーサーカスで乗り換えてジュビリーラインでウォータルー駅 に向かう。女王のシルバージュビリーを記念してそう命名されたそうである。29年前にはなかった地下鉄である。チューブの建材が興味深い。日本のようにコ ンクリートではなく、円弧状のリブ付き鋳鉄製ブロックをボルトで連結しているので、コンクリート劣化で剥離などの事故が生じない。数百年間メンテナンスな しでつかえるだろう。内装もしっかりしたホウロウ製である。地下鉄当局の長期ビジョンがしっかりしているのはコントラクター出身者として感心するところ だ。ホームも転落防止のドア付きである。

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ジュビリーラインのウォータールー駅

ウォータールー駅はロンドンの南側の郊外の通勤者が使う巨大なターミナル形式の駅だ。ここも基本構造は変えずに空港のような近代的な施設に生まれ変わっている。駅内のパブでトビーと落ち合ってタクシーでオキソタワー屋上のレストランに向かう。

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ウォータールー駅

オキソタワーの建物はかっては石炭火力発電所の建物をウォーターフロントのフラットに改築したものだ。タワーに○×○印がついている。これをオキソと読んでいる。テレス・コンラン卿のショップがあるという。レストランからはセントポール寺院がよく見える。その向こうはシティーだ。近代的高層ビルの建設ラッシュだ。オキソタワーで昼食後、トビーが切符を買っておいてくれたロンドンアイに乗るべくサウスバンクを散策しつつ移動する。(Restaurant Serial No.179) サウスバンクからの北岸の風景はサマーセットハウス、シェルメックスハウス、ホワイトホールコート、国防省とつづき見事である。

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トビーとオキソタワー前で

ロンドンアイは大人気で切符を持っていても30分以上待たされる。待たされる間、暇に任せてエンジニアリングする。ホ イールのリングをハブに結ぶスポークはワイヤーである。風に励起されるワイヤーの防振のため、日本の高圧送電線に使われる減振デバイスと同じものがすべて のワイヤーにつけてある。ドライブユニットはタイヤ駆動である。

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ホイールとハブを結ぶワイヤー

ロンドンアイ頂部からのながめは格別。ここからはウェストミンスタ寺院の見えないフライイングバトレスも見える。セントジェームスパーク越しにバッキンガムパレスの全貌が見える。セントジェームスパークの橋の上からロンドンアイが見えたのだから逆も真なりか。

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ロンドンアイから見たセントジェームスパークとバッキンガム宮殿

トビーがミレニアムブリッジまでサウスバンクをとってかえそうという。ミレニアムブリッジのたもとにはテートギャラリー があるという。火力発電所の巨大なビルを煙突毎、買い取って美術館に改装したのだという。ミレニアムブリッジはギャラーとセントポール寺院を直結する人専 用橋として架けられた。ノーマン・フォスターの設計という。非常にフラットな吊り橋構造にしたところ、振動がはげしいことが判明し、急遽オイルダンパーを 追加したといういわく付きの橋である。橋を渡ってセントポールを訪れる。セントポールはもう閉まっていた。ロンドンの大火後、クリストファー・レンにより 設計・建設されたというがしっかりした造りである。正面のビクトリア女王の石像はむろん後世に追加されたものであろう。

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セントポール寺院

セントポールの東側のシティーは建築ラッシュだ。いたるところにクレーンが林立している。シティーが復権したのはケネ ディー政権のキューバのミサイル危機の時、ソ連の国立銀行が資産凍結を回避するためにシティーにドルを移したことに起因すると成田空港で買ったドラッカー の最新著 「ネックストソサイエティー」で知った。このドルを有効利用したのがユーロドルであったという。セントラルライン経由ホルボーン乗換えでホテルに帰る。

 

昔の隣人と再会(第4日)

29年前の隣人、ジャネットとトニーに再会するため、ディストリクトラインでリッチモンドに向かう。ここからハンプトンまではタクシーだ。約束の12:00には時間もあるので、かっての借家に 立ち寄ろうとバッキンガムロードに向かう。不思議と番地まで思い出す。その家は昔のままのイメージでそこにあった。玄関の前に冬の寒気を避けるポーチが追 加され、レンガ壁に化粧のパネルをつけたのが変化だがなにより庭木が大きくなっている。庭先にはベンツが停まっている。現在のオーナーがでてきたのであい さつ。パキスタン航空のパイロットとか。元のオーナーはブリティッシュ・カレドニアンの職員だった。

隣人の転居先のブロードレーンまで散策。途中にある庭に大木をもつ邸宅街マールボロウも昔のままだ。

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マールボロウの邸宅

ジャネットとトニーはグリーンウッド夫妻と同世代である。庭に大木のある一戸建ての家で引退生活を送っている。ちょうど 銀行員の息子夫婦とスイス人と結婚してスイス在住の娘がそれぞれ孫を連れて帰省中で、グリーンウッド夫妻をいれてパーティーとなった。これからゆくコッツ ウォルドのどこがいいとか、チャーチル関連の話に花が咲いた。バートンオンザウォータがよかったという。あいにく雨となってしまったので散策はあきらめ、 バスでリッチモンドに帰る。これでロンドンで予定していたことはすべて終わる。明日はハーツで車を受け取ってロンドンを脱出するだけだ。

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ジャネットとトニーと

ロンドン脱出(第5日)

タクシーでマーブルアーチのハーツに移動。ゴールドカードで予約したため、書類にサインするだけですぐ乗れる。車庫はかって短期間家族ともども滞在したパークウエストプレースの中庭にしつらえてある。 英国は質実剛健の気風があり、マニュアルシフト好みである。しかし余計な神経を使いたくないのでハーツのゴールドカード頼みでマニュアルシフト車を敬遠したところ、ヴォークゾール ・オメガ2.2CDXが用意されていた。トランク、ドア、窓ガラスなどの開閉がリモート化されていて日頃原始的なジープに乗っている者にとって戸惑うことばかりである。ただ基本的なハンドル周りのレバー配置はジープと全く同じなので助かる。

一方通行のセイモア・ストリートを東進する。ポートマンスクエアにあったエンジニアリングオフスで働いていたことがある のでなれた道である。ある日チャーチルホテル前で女の子たちが大勢あつまり黄色い声をあげていたのを思い出す。マイケルジャクソンが独立するまえ、兄弟5 人で編成したコーラスグループ、ジャクソンファイブが公演で宿泊していたのだ。リージェントストリートで左折、パーククレッセントで左折してマリーボーン 道路を西に向かう。まっすぐどこまでもゆけばM40にそのまま入れる。マダムタッソー館やマリーボーン駅が走馬灯のように去って行く。さらばロンドン。

ロンドン , コッツウォルド、ウェールズへ

July 5, 2002

Rev. July 2, 2017


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