大石敬子ソプラノコンサート

一歩前の会の推進役となっていた西沢重篤氏はこの数年、 飯山の鍋倉高原で野菜と花卉栽培を生業としている農家の江口氏から約1反の畑を借り、鎌倉浄妙寺三丁目在住の料理家辰巳芳子女史がはじめた”大豆100粒運動”に賛同して大豆の栽培を楽しんできた。自宅のある三浦半島の観音崎から鍋倉高原まで関越道と上信越道経由で日帰り往復しながら協力者の関氏や地元支援者の協力もうけて継続してきたのだ。採れた大豆は地元小学校の給食用の味噌・醤油の原料として無償提供し、 江口氏が植えた白いゆり、カサブランカは神奈川県の綾瀬市の畑に移植して栽培を継続して販売している。グリーンウッド氏も江口氏や西沢氏から、カサブランカを購入してきた。

この西沢氏が飯山市立の”なべくら高原森の家”(Hotel Serial No.354)が行っている棚田保全運動の一環としての水田草取り、ホタル観察会のイベントに合わせ大石敬子ソプラノコンサートを2006年7月22日に”なべくら高原森の家”のロビーで開催することを企画した。彼が有機野菜や自然食に興味を持つ人々約10名と大石敬子さんをミニバスに乗せ、グリーンウッド氏や長野から参加の小林氏が三々五々それぞれの車で森の家に集合した。

まず西沢氏の大豆畑を視察に訪れる。約30年前に飯山市が鍋倉山から千曲川に向かって下る緩やかな傾斜地を大型土木機械で階段状に整地し、アスファルト舗装した農道をジグザグにつけて入植者を募集した。 江口氏もその中の応募者の一人らしい。それぞれ1町歩以上の農地所有者だ。それに農地購入資金の返済も30年間猶予するという条件だったという。しかし入植者の高齢化、継承者難で返済問題が発生するだろうと危惧されているという。

西沢氏の大豆畑から望むなべくら高原の森の家

西沢氏は大豆畑で一日草取りをしたあと、ジッと悦びが湧き上がるのを感じるという。この畑の縁に立って見下ろすと”森の家”、森を隔てた向こうに水田草取り、蛍観察会が行われる柄山部落の水田が見える。そしてその向こうの谷間には千曲川が梅雨の激しい降雨を集めた濁流を新潟方面に運んでいる。千曲川の向こうは栄村で右手にある山は野沢温泉を北側から囲む山である。毛無山のアンテナが望める。

大豆畑を背に

広域農道がこの高原を等高線にそって横断し、深さ数十メートルの深い渓谷は鉄骨アーチ橋で渡るので交通は至極便利である。橋は順次架けられたようで森の家直前の橋はナビには入力されておらず上流の渓谷が消えるところまで大きく迂回させられた。

次に江口氏宅を訪れた。長雨後の晴れ間にとトラクターで畑にでかけたそうである。ここら辺は4mの積雪だそうで1階に相当する高さのコンクリート基礎の上に家屋を載せている。

水田草取りに参加した飯山応援団の皆様と一緒にバーベキューを楽しんだ。飯山市と高社山(1,351m)を隔てて隣接する中野市の市長をしたことのある綿貫氏が駆けつけて、元飯山市長ともどもバーベキューを楽しんだ。綿貫氏は西沢氏、グリーンウッド氏ともども長野北高の同期生で西沢氏が声をかけたらやってきたというわけである。

バーベキュー後、森の家のロビーで大石敬子さんのソプラノ独唱を飯山応援団、市の職員、信越放送のスタッフも交え全員で楽しんだ。敬子さんはデトモルト音楽大学ミュンスター校で声楽ディプロマ取得後過去5年間ドイツの音楽学校で声楽、ピアノ、合唱の指導を行う傍ら演奏活動をされている方で夏季休暇帰国を利用して駆けつけてくれたわけである。急なはなしで伴奏者がみつからないため、自ら電子ピアノを伴奏をしつつの独唱であった。

    うさぎおいしかの山 小鮒釣りしかの川・・・

    山は青きふるさと 水は清きふるさと

という唱歌「ふるさと」の歌詞をつくった高野辰野の作詞になる「おぼろ月夜」で始まり、ドイツリート、カンツォーネなど約1時間の時間があっという間に過ぎた。日本語の"ん"はヨーロッパ言語にない発音のためドイツ人伴奏者には歌手が歌詞を忘れたためごまかしたと感じるという逸話など聞かせてもらった。

大石敬子ソプラノコンサート

コンサート後は”森の家”から柄山部落まで真っ暗なブナの林の中を横断してホタル観察にでかけた。路傍の小川に落ちないように携帯電話機の画面の光を使って歩いた。結構使えるものである。森のなかにもゲンジボタルが飛び回り、なかなか結構であった。溜池のまわりにはヘイケボタルのか細い光がちらほら見えた。まだ数が少ないのか同期することはなかった。米国出張中にカンザス州のウィチタでみたホタルの大群を思い出した。

ホタル観察後は戸狩温泉で民宿を経営する 高源院あじさい寺(Hotel Serial No.355)に移動した。ここで地元の篤農家3名を交え、交流会が夜半まで持たれた。地元の活動家から”ササモチ”をごちそうになった。

大石敬子さんのお母様の大石順子さんより大豆を丸ごと18ミクロンに粉砕することで作る十割豆乳とこの十割豆乳ににがりを加えてくつる”おから”なしの豆腐についての紹介があった。静岡県富士市の(有)プラウド製造の製品を試飲した。なかなかよろしい。西沢氏はかれの畑でとれた大豆からこの十割豆乳を造ってみたいという夢を語った。

食用ミミズ内蔵の乾燥粉末は血栓溶解剤として海外では特許になっているというが、大石順子さんから国内では健康食品として販売されているというパンフレットをもらった。乾燥粉末にはルンブロキナーゼという酵素が含まれているとか。マックバーガーにミミズの肉が混入されているという噂があるが、あれは肉をミンチにしたとき残った血管だという。だいたい健康食品になるような高価なものをバーガーに混入させるはずはない。

グリーンウッド氏はジグリセリドトランスファットの問題点について話した。

中央郵便局長を引退されてから「大豆100粒運動を支える会」の事務局長を務め、「シニア おしゃれ倶楽部」というサイトを運営しておられる熊谷豊氏は熱心に取材されていた。

翌朝は 地元の観光協会の会長も兼務しておられる高源院あじさい寺の住職から最近の観光業の実情を聞いた。スキー場経営が中心だったが毎年20%という速度でスキーヤーが減少しており、今では往時の半分以下になってしまったという。朝食後、江口氏のお宅を再訪し、規格外のズッキーニを沢山いただいて帰った。帰って早速”ズッキーニのチーズ和え”を作って試食する。

今回は梅雨前線に伴う豪雨で不通となった中央道と長野道ではなく関越道と上信越道を使った。環状八号線で経験したことのないような渋滞に巻き込まれたが、ナビが千歳船橋→桜上水→高井戸に抜ける脇道を教えてくれたので指示に従って事なきを得た。帰りも同じ道を使ったが日曜日にも関わらず午後2:00帯では環状八号線は空いていた。第三京浜から横浜新道に入り損ねたが、ナビに助けを求めて、横浜新道に戻れた。

July 24, 2006

Rev. December 14, 2006


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