ブリュッセル

グリーンウッド夫妻は2006年暮れ、娘夫婦がロンドン郊外に自宅を構えたというのでクリスマスを共に祝うために重い腰を上げた。 折角出向くならついでにまだ訪問したことのないベルギー見物もしようということになった。

12月16日(土)

KL865で成田を出発し、スキポール経由、ブリュッセルに飛んだ。だんだん歳をとると長旅は億劫になるものである。それでも機中でメリル・ストリープ演ずるファッション雑誌の鬼編集長とアン・ハサウェイ演ずる新人アシスタントとの闘いを描く「プラダを着た悪魔」を観てしまった。

ブリュッセル空港からは切符を買って鉄道で中央駅まで移動。至近距離のため石畳のデコボコ道をスーツケースを引きずってカレフール・ド・ヨーロッパにチェックイン。(International Hotel Serial No.379) 中世のギルドハウスに囲まれたグラン・プラスとは1ブロックの距離だ。ここで21日まで5泊し、ゆっくりとベルギーを賞味してからヒースローに飛ぼうというわけである。

カレフール・ド・ヨーロッパ

夜のグラン・プラスと周辺の街を少し散策して運動不足を補い長い1日を終える。

街角

12月17日(日)

朝食のハム、ソーセージ、ベーコン、ライムギパンはいずれもうまい。 朝のグラン・プラスを散策する。市庁舎、王の家、ブラバン公の館、ギルドハウスに囲まれた広場はクリスマスの飾りつけをし、観光客でにぎわっている。 日曜でもあり、国旗を持った地元の人も多い。ブラスバンドが雰囲気を盛り上げている。

グラン・プラス

王の家

ギルド・ハウス

小便小僧

石畳の鋪道にサンチヤゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道を示す貝殻マークを見つける。小便小僧、証券取引所、ブーシェ通り、ジャンネケ・ピスなどを見物後、ブーシェ通りのレオンで昼食とする。 (International Restaurant Serial No.295)観光客で大混雑。昼食後は聖ミッシェル大聖堂、ブリュッセル公園、王宮、ロワイヤル広場、芸術の丘を散策して、ホテルに帰る。グリーンウッド夫人は午後は休憩。

ブリュッセル公園と遠方に最高裁判所

王宮

グリーンウッド氏のみノートルダム・ドシャペル教会→最高裁判所→レジャン通り→エグモント庭園→プチ・サブロン広場→ノートルダム・デュ・サブロン教会→グラン・サブロン広場と散策。 最高裁判所は丘の上にありブリュッセルの街を見渡せる。遠くに鉄分子を模したアトミウム、王様の命でパリのサクレクールに模して建設したというナショナル・バシリカ・デュ・サクレクールが見える。

夜は再度グラン・プラスのイルミネーションの祭典を見る。コンピュータ制御の沢山のサーチライトを空に向けて光束を放ち、市庁舎の壁にトナカイの影像を映したりとかなり力をいれている。ブラバン公の館 前にはクリマスには付き物のベツレヘムでのキリスト誕生の場面を再現する場面がしつらえてあるがなんと本物の羊が馬小屋のなかに悠然と反芻しながら横たわっている。

ブラバン公の館

夜のイルミネーションに映える市庁舎

12月18日(月)

証券取引所→聖カトリーヌ教会→アドルフ・マックス・プランク通り→北駅近くのロジェ広場にむかう。ここの英語本専門本屋でジェームズ・ラブロックの「ガイアの復讐」の原著を手に入れる。このほかRichard Dawkins自身が朗読するThe God DelusionとTim Pigottが朗読するAlfred Lansing著のEnduranceのCDを買い込む。

ロジェ広場で反転し→デパートのイノ→ヌーヴ通り→モネ劇場と散策。ヨーロッパ最古のショッピング・アーケードというギャラリー・サンチュベールでチョコレートのお土産をどっさり買い込む。引き続き、ノートルダム・ドシャペル教会→グラン・サブロン広場→ノートルダム・デュ・サブロン教会と散策。ここでインテリアショップ、フラマンが経営するザ・キッチンで昼食。 (International Restaurant Serial No.296)観光客はおらず、地元のキャリア・ウーマンやリッチな夫婦でにぎわっていた。

昼食後はプチ・サブロン広場→エグモント庭園→レジャン通り→ロワイヤル広場→芸術の丘を散策して帰る。

ゴッドフォア・ド・ブイヨンの騎馬像

ロワイヤル広場には1848年に制作されたというゴッドフォア・ド・ブイヨンの騎馬像があった。12世紀末の第一次十字軍の指導者である。娘の連れ合いのご先祖かもしれないと言われている御仁だ。

12月19日(火)

今日一日はブリュッセル・シティー・ツァー社の観光バスでゲントブルージュを訪問。 ナポレンが敗れたワーテルローの古戦場はパスとした。

12月20日(水)

一日、王立古典美術館(Royal Museum of Fine Arts of Belgium)で過ごす。昼食も内部のカフェでとる。(International Restaurant Serial No.298)フランス革命軍がブリュッセルを占領していた1799年にパリの中央美術館(現ルーブル美術館)の分館として誕生したという歴史をもった巨大な美術館である。ルーベンスやブリューゲルの収蔵品が多いが、しかしグリーンウッド氏は地元ベルギーの印象派の画家テオ・ファン・レイセルベルヘに再会してすっかり気に入ってしまった。彼の「舵を取る男」という絵をパリのオルセー美術館で見つけて気に入ったのであったが、日本ではあまり知られていない。ここには沢山あった。記念に画集を買い求める。

テオ・ファン・レイセルベルヘの「舵を取る男」

明日はロンドンに飛ぶだけと、ベッドに入ったが、夜半、娘からの電話でおこされる。ヒースローが霧のため、全フライトがキャンセルされているという。それなら鉄道か船で渡ればよいと腹をくくって寝てしまう。

12月21日(木)

どうせ空港窓口に行っても安切符のため払い戻しはせず、霧が晴れた後の代替航空券をくれるだけなのだろうと考え、自前で列車の切符を買うことにした。 6:45歩いて目の前にある中央駅に出向き、ロンドンのウォータルー駅行きのユーロスターの切符を買う。 ドーバー海峡はトンネルで渡るのだ。もし満席なら次の日にでもと覚悟していたが意外に空席で好きな列車を選べた。時刻表を見ると30分毎に出発している。往復の方が安いというので不要な帰りの切符も買う。1人分往復で80ユーロ。このような事態もありかと旅行保険を掛けてある。 保証請求は代理店のJTBでしてくれ、二人分の160ユーロは戻った。

空港にも出頭せず捨てたつもりの空港券だったが帰国して代理店のJTBにBAと交渉してもらったら、天候理由だったので50%返還してくれるという。払い込み手数料が2,500円 天引きされるのでたいした金額は戻らないが、それでも保険とこの返還で金銭的な損失は航空券の50%ということになる。

ユーロスターは南駅から出発する。ベルギーの鉄道は改札というものがない。南駅だろうと中央駅からわざわざ別に切符を買う必要は無い。ユーロスターの切符を持ってそのまま来た列車に乗って南駅に向かう。英国への通関は南駅で行うため30分前にゆかねばならない。

ユーロスターは10m位の起伏がゆっくりと続く農地をフランスのカレーに向かってまっしぐらにひた走る。どこがフランスとの国境かもわからない。広い農地の間には林があるがいずれも一様で面白みはない。次第に退屈してくる。ブリュッセルの南17kmに1815年、ナポレオンがウェリントンに破れた古戦場、ワルテルローがあるが、このようなところなのだろう。20万人の兵士が戦い、半日で5万人が戦死したというのだからすざまじい。

そもそもフランスは今のベルギーあたりにいたフランンク族のクロヴィス王が486年、他のフランク族と同盟し、ソアソン(現Soissons、 Aisne県)でローマのガリア総督シアグリウスを破り、北フランスにおけるフランク王国の領土を確立し、メロビング朝(Merovingians)の基礎を固めたことに端を発しているのだ。

第一次大戦ではドイツ軍がベルギーの南東部を通過してフランスを侵略している。

というわけで現在のECとNATOの本部がブリュッセルの中心街より若干東よりにあるシューマン広場周辺にあることは自然な成り行きだとよく理解できる。

January 5, 2007

Rev. September 19, 2007


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