辻 邦生 つじ・くにお(1925—1999)


 

本名=辻 邦生(つじ・くにお)
大正14年9月24日—平成11年7月29日 
享年73歳(禅林院文覚邦生居士)
東京都府中市多磨町4–62 多磨霊園10区2種6側11番 



小説家。東京府生。東京大学大学院卒。昭和32年にフランス留学。38年『廻廊にて』、43年『安土往還記』を刊行。『西行花伝』で谷崎潤一郎賞を受賞。学習院大教授などを歴任し、後年まで教鞭を執る。ほかに『夏の砦』『背教者ユリアヌス』などがある。



 



 まさしくこの生は太虚にはじまり太虚に終る。しかしその故に太陽や青空や花々の美しさが生命をとり戻すのだ。その後、私の仕事は、いっそう単純なものとなった。私ほ太虚の豊かな死滅と蘇生のなかにあって、その宿命を完成させる以外にどんな仕事が残されていようか。私が残したささやかな仕事も、この太虚を完成させることに他ならないのだ。ともあれ、私が残した仕事は、朝日の差しこむ明るい部屋のように、幾世代の人々の心のなかに目ざめつづけてゆくであろう。私はいずれ(死)に委ねられ、藤の花のようにこぼれ落ち、消え去るであろう。私の墓のうえを落葉が覆うであろう。紙屋川を吹きあがってくる風が音をたてて過ぎてゆくであろう。墓石の文字も見えぬほどに苔むしてゆくであろう。だが、そのときもなお私は生きている。あのささやかな美しい書物とともに、和歌巻とともに、宗達や与一や宗二の誓いや友情や誇りや苦悩を織りこみながら、生きつづける。おそらくそのようにしてすべてはいまなお生きているのだ。花々や空の青さが、なお人々に甘美な情感を与えつづけている以上は、それらのなかに、私たちの思いは生きつづけるのだ……。ああ、もう夜明けであろうか。いつになく鳥たちが杉木立のなかで鳴きかわしている。太虚のなかに響いてゆく、なんという澄んだ音であろう……。
                                              
(嵯峨野明月記)



 

 赤松の大木が並ぶ林道を葬送の車はゆっくりと走っていく。みるからに清涼な青い空、近くには浅間山、遠くに八ヶ岳連峰が一望できる台地に出ると、一気に回転する風景。清々しい風が追い越していき、車窓から差し出された写真の眼差しが、いま一度思い出を確かめながら頬笑んでいるように見えた。
 梅雨が終わりを告げ、ようやく夏が始まろうとしている高原。野花の花束が顔もとにおかれた棺の主は〈美と喜びに満ちたこの世界を、言葉によって伝えたい〉と語っていた辻 邦生。
 平成11年7月初めから軽井沢の別荘に滞在していたが、29日昼前に佐保子夫人との買い物中に倒れ、軽井沢病院に運ばれてまもなくの午後0時40分、心筋梗塞による心不全のため死去したのであった。



 

 本来、辻家の墓は本籍地の山梨県笛吹市春日居町国府の大中院にあるのだが、祖母久子の遺言によって父が建てた多磨霊園の「辻家之墓」。
 鬱圧とした天が開け、大地は精気をとりもどして乾燥した土庭に若笹が芽吹いている。数輪の可憐な花を咲かせたスミレが足もとに、傍らの墓誌には大中院の住職から授かった邦生の戒名が見える。〈永遠を眼にすることによってこの世が終わるということ、私が死ぬということから自然に解放されていった〉という邦生が眼にした二つの永遠。
 スイスのジルス・マリーア湖に映された雲と絶壁、軽井沢の森の谷間を吹き抜けていった風のトンネルの向こうに見た世界。人影もなく、白茶けた碑柱が林立するこの静謐な霊地にも永遠の風は流れ、死から解放された魂が厳かな虹をつくっていた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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