辻 まこと つじ・まこと(1914—1975)


 

本名=辻 一(つじ・まこと)
大正3年9月20日—昭和50年12月19日 
享年61歳 
福島県双葉郡川内村上川内字三合田29 長福寺(曹洞宗)



詩人・画家。福岡県生。静岡工業学校(後の静岡工業高等学校、現・科学技術高等学校)中退。日本におけるダダイズムの中心的人物辻潤の長男、母は婦人解放運動家であり甘粕事件で大杉栄とともに殺害された伊藤野枝。挿絵、風刺画家として知られる。山登りを愛し、たびたび山の画文集を発表。画文集に『忠類図譜』『山からの絵本』などがある。



 



 かれこれ二十年ぐらい前から気がついていたことだけれど、私は自分の眼が色彩について左右不均衡なことを確かめた。左の眼はブルーについて右よりは一層敏感で、右の眼はイエローに対して強く反応する。
派手で強烈な色彩を眺める場合はほとんど差はないが、淡い色彩を弱い光で眺めると、それはかなりちがってくる。一体これは自分の眼の場合だけであろうかまたは他の人の眼もそのような不均衡があるものなのか。別に実生活に切実な障碍にはならないので、不勉強にもほってある。勿論少数の友人にきいてみたことはあるが、大方は「そんなことはないし、そんな話はきいたことがない」という。画を描くという仕事をやっていなければ、多分私だって一生気がつかなかったかも知れない。右眼のイエローの強さ、左眼のブルーの強さは勿論他の色についても影響がある。たとえば左眼でコバルトとおもった色は右眼ではセルリアンに見える。全体のトーンからいうと左眼の世界は静的で時にメランコリックであり、右眼の世界は動的で刺戟的だ。
 一人の人間の二つの眼の世界観にこれほどの差があるとすれば、他人の眼の色感との間にはずいぶんのひらきがありはしないだろうか。しかしこのひらきをどう確かめられるかむずかしい問題だとおもう。ゴッホの画などを見ると、その狂気をもたらしたものは、この世界や社会ではなく「眼」かも知れないとおもうのである。
                                           
(山からの言葉)



 

 父は辻潤、母は伊藤野枝。ただし、母は大杉栄の許に去り、父は放埒人生。大方は祖母の手によって育てられた。父ゆえに母ゆえに、まことの人生は風刺であり、真であり、反動でもあり、虚無であった。山野をさまよい、山野を愛で、〈作品を取り除いたらアトに何も残らないような人生は、人を取り除いたらアトに何も残らない作品と等しくみじめだ〉と思想する。
 昭和47年、胃がんのため胃の摘出手術をうけてからは療養生活者となり、昭和50年12月19日に死去した。21日に草野心平を葬儀委員長とした「歴程葬」がいとなまれた。自画像が、東京郊外の百草団地集会場の祭壇に飾られてあった。
 死因は癌性の肝硬変と発表されたが、真実は縊死であった。



 

 チューリップの花が家々の庭を彩っている。あぜ道には摘み残された土筆が点在して、代かきの始まった水田に耕耘機の音が心地よく響きわたる田園風景。赤錆た自転車が山門に立てかけてある。草野心平をこの村に誘った長福寺の矢内俊晃が生前愛用し、心平の詩にも出てくる自転車だ。登りついた細長い寺庭にはいろいろな碑が。辻まことから矢内住職への手紙に書かれた句も〈松風はわれらが笛や長福寺〉の碑となっている。
 寺の裏、村人の墓群れと少し離れたところに清々しい自然石がぽつねんと現れた。苔生した土盛りに乗っかった碑、名も知らぬ小人のような葉茎がさやさやと取り巻いている。
 〈声は皆 いのち 音は皆 深く 光は 遠く 時は 静かに ていねいだった--------〉 。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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