坪内逍遥 つぼうち・しょうよう(1859—1935)


 

本名=坪内雄蔵(つぼうち・ゆうぞう)
安政6年5月22日(新暦6月22日)—昭和10年2月28日 
享年75歳(双柿院始終逍遥居士)・逍遙忌 
静岡県熱海市水口町17–24 海蔵寺(臨済宗)



小説家・劇作家・評論家。尾張藩(岐阜県)生。東京帝国大学卒。明治18年評論『小説神髄』を発表。またその理論実践の小説『当世書生気質』を著した。23年からはシェクスピアや近松門左衛門の研究に没頭、戯曲なども書き演劇の近代化に貢献した。『桐一葉』『牧の方』などの戯曲、『シェクスピア全集』の翻訳などがある。



 



 小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ。人情とはいかなるものをいふや。曰く、人情とは人間の情慾にて、所謂百八煩悩是れなり。夫れ人間は情慾の動物なれば、いかなる賢人、善者なりとて、未だ情慾を有ぬは稀れなり。賢不肖の辨別なく、必ず情慾を抱けるものから、賢者の小人に異なる所以、善人の悪人に異なる所以は、一に道理の力を以て若しくは良心の力に頼りて情慾を抑へ制め、煩悩の犬を攘ふに因るのみ。されども智力大いに進みて、氣格高尚なる人に在りては、常に劣情を包み、かくして其外面に顕さゞれば、さながら其人煩悩をば全く脱せし如くなれども、彼れまた有情の人たるからには、などて情慾のなからざるべき。哀みても亂るることなく、楽みても荒むことなく、能くその節を守れるのみか、忿るべきをも敢て忿らず、怨むべきをも怨まざるは、もと情慾の薄きにあらで、其道理力の強きが故なり。                                        
                                                               
 (小説神髄)



 

 〈文学士ともあろうものが小説などという卑しいことに…… 〉等と福沢諭吉が言ったという風聞があるほど、東京帝国大学出身のエリートが書いた『当世書生気質』は評判をとった。次いで出した『小説神髄』は文学論としては未熟であったが、この新小説理論は幸田露伴や二葉亭四迷などの若い作家に多大な影響をあたえ日本の近代文学の礎となった。
 晩年は熱海の水口村(現・熱海市)に建てた双柿舎に移り住み、研究・著作に専心したが長年の病身から抜けることが出来ず、昭和10年1月、風邪より気管支カタルを併発、2月8日夜、執事に葬儀のことなどを申し渡して28日午前10時30分、昏睡状態のまま眠るが如く逝った。



 

 早咲きの梅の花が咲いている熱海の急坂、息せききって登っていく私の背中を追って、白い子犬が尻尾を振り振りついてくる。やっと辿りついた山門の先にまたしても石段が連なっていた。
 赤い前垂れの六地蔵が息切れを少しは和らげてくれたが、双柿舎にちかい海蔵寺境内の一番高いところに置かれた墓碑は、今しも目の前の本堂で挙行されている誰何の葬儀、読経の最中にあった。
 松の木の下、東京帝国大学近くの根津遊郭・大八幡楼の娼妓花紫を帝国大学生だった逍遙が通い詰めて結婚したという妻センとともにある「逍遥坪内雄蔵夫妻之墓」と書刻された伊豫石の墓、その碑の背後に植えられた貧弱な梅木が心細げな紅花を数輪咲かせていた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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